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2012年5月18日 (金)

沖縄返還40周年とか、

今月15日で、沖縄が返還されて40周年になるそうです。歴史とか政治的経緯とか、そんな事を書くつもりはないのですが、たった1度だけの、昔の沖縄旅行を思い出しました。私にとっては自身で企画した最初の長距離旅行でした。

沖縄に旅したのは1973年の夏、つまりは返還の1年後です。気ままな東京での大学生活、高校時代の友人と二人で「夏休みに何処かへ旅しよう」との思い付きが始まりです。「九州でも」から、「じゃもう一足伸ばして与論島」「そこまで行くならいっそ沖縄」という事でなし崩しに決まりました。「石垣島も」という案も出たのですが、切りがないので却下、代わりにもう少し近い「久米島」を付け加えました。

時間はたっぷりありますが資金の限られている学生身分です。宿泊はユースホステルです。最近はあまり流行らないようですが、当時は若者の定番宿泊先でした。格安ビジネスホテルなんてまだありませんでしたから。

最近のYH事情は知りませんが、民営と公営とがあり、当時の公営YHでは数百円で泊まれました。東京でのバイト代が時給3百数十円でしたので、アルバイト2時間分で1泊2食付を賄える程度です。男女別2段ベッド部屋が一般的で、起床・就寝時間も決められ、朝にラジオ体操のあったYHもありました。食事の後片付けもセルフで、自分で食器を洗います。飲酒は禁止でした。寝具に被せる「専用シーツ」持参も必須でした。(スタッフの負担を軽減するために) 高校時代までには利用経験がなく、夏の沖縄旅行のために会員登録、準備経験のために、その春には山梨に旅してきました。それが初めての一人旅でした。当時と同じかどうか判りませんが、その時泊まった石和YH、まだあるようです。

本番は友人と二人、出発は東京(晴海?)から船での2泊3日です。ところが運悪く出発日に台風typhoonが上陸、船は欠航となり、「1泊位は贅沢を」と、予約しておいた那覇市のホテルはキャンセル、50%のキャンセル料だけ徴収されました。wobbly

ship出足を挫かれたものの、船のチケットは翌日の便に代換えとなり、まだうねりの残る太平洋へと船出しました。3,000t程度の大型船ではありましたが、台風直後のうねりの中ではやはり少々揺れます。船酔い気味で気分が悪い中、友人に船倉の「ディスコ」に誘われました。気乗らず出かけたものの、踊り出したら船の揺れなど関係ないわけで、たちまち快癒いたしました。coldsweats01 「ディスコ」といっても音源は「ジュークボックス」でした。←この単語、どの程度通じるのでしょう?  (※よく考えると「3,000t」というのは小さ過ぎる気がします。沖縄から鹿児島までの船が3,000tだったのかも知れません。東京ー沖縄間は5,000tだったかも?昔の事ですので、記憶が曖昧です)

船旅と言っても、もちろん豪華客船ではありません。プールもラウンジもありませんし、大広間での雑魚寝です。娯楽設備は何もありませんでしたが、不思議と退屈はしませんでした。至れり尽くせりの昨今と異なり、何もないのが「当たり前」でしたし。

娯楽設備のない、スマートフォンでのゲームとかもない代わりに、また別の旅の楽しみはありました。若者同士、何気なく知り合い会話を交わす交流は自然と生まれます。当時はフォークブーム、ギター担いで旅する若者も珍しくありませんでした。デッキのあちこちに初対面での輪ができ、ギターの伴奏で歌ったりしていました。吉田拓郎とかかぐや姫とか。昼は一人で海を見ながら読書にいそしんだり、今考えるととても贅沢なひと時だったように思えます。夏でしたので、夜は涼しいデッキに毛布1枚で寝ていました。硬い甲板の上でも熟睡sleepy、翌日に疲れは全く残りませんでした。若かったのですねぇ~。

夜の出航、朝の到着、船の中で1日半を過ごし沖縄に上陸しました。初日はそのまま首里城や国際通りなどの定番観光地を観光、那覇のYH泊りです。ここでひとつ知らなかった事、半公認の「白タク」の存在です。当時沖縄ではタクシーが足りず、電車は通っていませんし、「貨物輸送」とかの名目で実質上の「白タク(無許可タクシー)」が黙認され堂々と客を乗せて走っていたのです。最初はそれが判らず、「知り合いが迎えに来た」のだと思っていました。ここら辺り、昨今のソウルタクシー事情にも通じる部分はありますが、「半公認」であったせいか、ぼったくりもなく、安心して乗れる交通機関ではありました。また、本土復帰直後での経過措置として、輸入ウイスキーとかはまだ関税抜きで安く買う事ができました。植物検疫はまだ生きていて、ミカンとかでも本土への持ち出しは禁止されていました。ちなみに車は「右側通行」でした。(日本の道路交通法が適用となり「左側通行」に変更されたのは1978年です)

2日目は石垣島の代わりに選択された近場の離島「久米島」です。国産プロペラ旅客機YS-11で30分の飛行でした。空港建物は何の変哲もないコンクリート平屋建て、売店ではその場でインスタントラーメンを作って食べさせて貰えます。happy01

その暫く後にはリゾート開発された久米島ですが、当時は(美しい自然以外)何もなく、エメラルドグリーンのビーチにはひとっこ一人居ませんでした。男二人で貸切です。coldsweats01 海岸近くでは全日空ホテルの建設が始まっていました。

沖縄旅行での目的のひとつは「スキンダイビング」でした。要するに、水中眼鏡と足ヒレ・シュノーケルだけでの「素潜り」です。私はちょこっと経験があるだけ、友人は全くの初めてです。で、遠浅の久米島のビーチで練習、翌日には沖縄本島でのビーチで練習、一応の本番は真栄田岬というダイビングスポットでした。他に客は少なく、外人さんがスキューバダイブしていたのを羨ましく見たものです。「いつかは」と思いつつ、未だ果たせていません。

遠浅での膝の少し上程度の海にもきらびやかな熱帯魚が泳いでいました。真栄田岬でのダイビングも、潜ったのは3メートル程度でしたが、下から見上げた海面は遠く思えて、怖くもあり、今でも脳裏に浮かぶ、神秘的で魅惑される光景でした。

沖縄での滞在は4泊か5泊だったと思います。(記憶定かでありません) そこからまた船で、今度は1泊2日で鹿児島に移動しました。指宿のYHに宿泊、翌日は一挙に九州を縦断して、長崎から島原を経て阿蘇、そして別府と、今度は横断しました。列車に乗っている時間の長かった旅ですが、列車に乗っている事自体も楽しかったように憶えています。移動のための道具と言うより、それ自体が「旅」だったのだと思います。旅のルートや宿泊先も詳しくは決めていませんでした。長崎YHもその時になってからの飛び込みでした。

別府からは再び船で四国・松山へ。松山で数日を少した後、倉敷などに立ち寄りながらゆるゆると帰って行きました。(”国鉄”での切符有効期限内でしたら)時間に縛られない、もう考えられない、贅沢な旅でした。今思い起こすと、少し感傷的な気分になりますね。

2012年5月10日 (木)

クレマチスが咲きました。

庭のクレマチスが綺麗に咲いています。一昨年だったと思いますが、家内が母の誕生日に買って来た花です。椎名林檎の歌でこの花の名を憶えました。艶やかで妖艶な、それでいてでしゃばり過ぎない、色っぽい花ですね。

L02b0002

東京事変解散から早2ヵ月半、通勤車中ではライブベスト盤CDを聴いています。改めて聴いてみると、CDとライブ、編曲はもとより、林檎さんの感情移入のボリュームの違いにも気付かされます。今は休息期間なのでしょうか、それともソロ活動再開に向けての準備期間なのでしょうか? 解散ライブを「船出」と位置付けていましたので、着々と準備中と信じて、ソロツアーの発表を楽しみに待ちます。

L02b0003 庭にはスズランの花も咲いていました。

訂正:クレマチスを買ったのは、誕生日ではなく「母の日」でした。

2012年5月 6日 (日)

ひょうが降った!

大学卒業以来、GWとの縁は途切れています。この1週間もいつも通り、お休みは週1回の日曜日のみです。そんな「普通の」日曜日、世間並みに連休最終日となる友人達とゴルフに出かけてきました。暫く前の天気予報では晴れ、近付くにつれ予報が悪い方に流れてきましたが、それでも何とかプレー時間は持ちそうな予報でした。しかし今朝の出発時には、すぐ止んだものの雨もパラパラ、何かイヤな予感も・・・。

8時過ぎのスタート時は曇りでほど良い気候でした。普段でも連休時には近場のゴルフ場は空いています。皆もっと遠出するのでしょうね。最終日の今日は更に空いていました。待ち時間も少なくゆったりプレーできます。しかも日曜なのに平日料金での営業です。

プレーの方は良くもあり悪くもあり、ショットは好調で飛距離もほどほど出ていましたが、バンカーとアプローチでのミスで大叩きしたホールもあり、上手くかみ合ってパーを取れたホールも2つあり(ハーフでパー2つは、私としては上出来です)で、差し引きしていつも通りの「53」で前半を上がりました。

「後半は引き締めて!」とスタートしたのですが、直後から雲行きがおかしくなってきました。予報では降り出しは2時か3時頃と聞いていましたので、スムーズな進行で「何とか持ちそう」と思っていたのですが・・・。「あれっ?ポツポツ来たよ」と思った途端に遠くでゴロゴロ始まりました。無線でマスター室に確認すると「気を付けてプレーして下さい」との指示。「どう気を付けるんだ~?」と、取り敢えず先に進んだのですが、2打目を打った所で避難指示が出ました。カートを進めて避難小屋に退避、避難小屋はすでに満員状態でした。その内雷も激しくなり、「ひょう」まで降り始めました。「ひょう」を見たのなんて久し振りです。フェアウェイに、グリーンに降り注ぎ撥ねるひょうは何となくファンタスティック、避難小屋に避難中なのに、ショー映像を見ているような気分でした。

ほどなく雨も止み雷も遠ざかったのですが、私達の組は残りをキャンセルして帰る事にしました。この後のお天気も判りませんし、びしょ濡れでライも悪くなっています。同じ避難小屋に避難していた方の三分の一程度はキャンセル、残りはプレー再開を待つようです。前半よりは少しはスコアも改善されそうな流れもあり、その部分は残念でしたが、ま、滅多に見られない自然のショーを見た気分もありました。そんなのんびり気分で帰ったのですが、ニュースで見ると竜巻で被害の出た地域もあったようです。これも異常気象なのかなぁ?夏場では経験がありますが(当地は群馬に近く、雷発生の多い地域です)、この季節での雷中断は珍しいように思います。

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