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2014年10月25日 (土)

足利フラワーパーク、イルミネーション点灯式

足利フラワーパーク(http://www.ashikaga.co.jp/)のイルミネーション点灯式に行ってきました。どこぞのランキングで、2013年イルミネーション全国2位に選ばれたとか。そして本日が今年の始まり、点灯式です。有機EL照明(世界初とか)を利用、更に新しい設定を加えています。点灯式ゲストは昨年度ゆるキャラNO.1のさのまると今年ベスト10入りしたとち助、そして「渡良瀬橋43(https://www.facebook.com/watarasebashi43?ref=profile)」でした。明日は残念ながら147位に終わったたかうじクンがゲストです。

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イルミネーションに訪れるのは2度目ですが、点灯式は初めてです。前回は真っ暗でしたので足元に不安がありました。薄闇の方が安心ですね。真っ暗にならなくても綺麗ですし、花とのコラボで楽しめます。予想以上のお客様で、駐車場も常設部分は満杯、新米刈取り後の臨時駐車場(田んぼ)まで使っていました。渡良瀬橋43のライブも賑わっていました。

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日の暮れる前には、普段のフラワーパークも少し散策できました。紫色のアメジストセージ、色鮮やかなバラたちの競演、そしてスイレンは印象的でした。スイレンにあんな様々な色があるとは知りませんでした。

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わたらせ渓谷鉄道

近場探索、昨日はわたらせ渓谷鐡道に乗って足尾まで行ってきました。廃線が検討された旧JR足尾線が、群馬県が筆頭株主となっての第3セクターで平成元年より運行しています。http://www.watetsu.com/  この路線、観光客誘致に「トロッコ列車」を走らせています。窓ガラスを取り除いた特殊車両です。通常は土日祝日の運行ですが、紅葉の季節には平日も走っています。すでに予約で満席の日も少なくないようです。しかし私と家内の乗ったのは普通列車、混み合うのは嫌いですし、片道500円安い。happy01 トロッコ列車は幾つかの駅を通過しますが、”急行”ではありません。所要時間は同じ、寧ろ数分遅い場合もあります。単線で追い越しができないこともありますし、ゆっくり景色を見る、停車駅での説明やちょっとしたイベント等のためなのでしょう。先頭部分だけではよく判りませんが、下写真、左がトロッコ列車、右が私たちの乗った普通列車(2両連結)です。

Dsc02186 Dsc02187 わたらせ渓谷線は、桐生ー間藤間の運行になります。私たちの乗ったのは大間々駅から。大間々ですと、駅前に車を停めることが簡単です。(有料:500円) 1日乗り降り自由のフリー切符が1,850円ですが、本数が少ないですので途中下車散策には注意が必要です。今回の目的地駅・通洞駅までは片道930円ですので、往復では10円安、また富弘美術館入館料が2割引きになります。下り路線、多くの部分は右に渓谷を見ます。平日の空いた普通列車ですのでうまく右側席を確保できましたが、反対側ですと面白味は半減どころか8割減でしょうね。トロッコ列車の平日運行が始まったばかりの季節ですので、紅葉はまだ始まったばかり、それでも心浮き立つ景色です。列車の窓ガラスが汚れていて、写真撮影の際短時間窓を少しだけ開けました。かなりの風圧です。窓無しのトロッコ列車では大変そう。途中長い(5km)トンネルもあります。トンネル内の騒音も酷いでしょう。駅を飛ばして通過しながらも運行所要時間の変わらないのは、そういった対策でスピードを落として走る配慮も含まれているのかも知れません。

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今回の目的地のひとつは足尾銅山跡の観光です。2006年の市長村合併で現在は日光市の一部になっていますが、最盛期(大正期)の足尾町は銅山で栄え、宇都宮に次ぐ人口を抱えていたそうです。銅山の発見は関ヶ原の10年後の1610年、閉山は1973年です。その間に、日本最初の公害として知られる足尾鉱毒事件が引き起こされています。

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足尾銅山観光は、当時の坑道の一部を公開してその様子を伝える観光施設です。入坑料820円。最初はトロッコ軌道車で出発しますが、乗っているのはほんの僅かの区間、ほとんどは狭い坑道を歩いての観光です。かなり背の低い部分もあり、背の高い人は歩くのに苦労すると思います。坑道内では、時代毎の作業風景を人形を使って再現・説明しています。手掘りの江戸時代はもちろんですが、近代でも、その過酷さは想像を絶するものがあります。坑道出口にあった「鋳銭座」も興味深かったです。足尾で作られた寛永通宝の造り方・歴史を解説した資料館です。通洞駅に戻り、駅脇のベンチで手持ち弁当昼食。最近は行先のレストランで食べるより、こちらの方が良くなっています。歳のせいでしょうか。帰りの電車は1両編成でした。

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一旦大間々駅まで戻り、車で再び足尾方面に出発します。もうひとつの目的地、「富弘美術館(http://www.city.midori.gunma.jp/tomihiro/)」を目指します。わたらせ渓谷鐡道ですと最寄駅は神戸(ごうと)ですが、そこからバス乗換になります。待ち合わせで30分、乗って10分、都合片道40分の時間ロスがあります。電車・バス共に本数が少ないですので、行動時間も限られてしまいます。寧ろ出発点に戻って車で、の方が融通が利き便利です。

星野富弘さんは、地元(旧勢多郡東村)出身、群馬大を経て高崎の中学校に体育教師として赴任しますが、赴任僅か2か月で頚椎損傷、体の自由を失います。入院中に口で筆を咥えて字を書くことを練習、その後詩画作品を制作するようになります。見舞い客が持ち込む花を題材に、お礼の絵手紙を描くようになったのが始まりのようです。元々は他の美術館で見た美術館紹介の本で興味を抱きました。所蔵作品よりも、美術館の設計・デザイン・周囲環境に重点を置き全国の美術館から選別紹介した本でした。以前から美術館の存在は知っていたのですが、同情鑑賞的になってしまいそうで敬遠した気持ちがありました。しかし実際は、かなり惹かれてしまいました。作者の境遇を外しては考えられませんが、絵も言葉も、かなり沁みます。閉館ぎりぎりまで、時間を費やしてしまいました。当初の目的であった美術館のデザインも風景も、予想を超える魅力でした。特に、庭から眺めた草木湖の風景は感動モノでした。館内にあるカフェからの景色も素敵そうです。そこまでの時間はありませんでしたが、コーヒーを飲むために今一度、別の季節にも訪れたい気持ちにもなりました。お奨めの場所です。

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2014年10月19日 (日)

「泣く男」「ハナ」

「泣く男」 http://nakuotoko.jp/

興味を感じる、観てみたいと思うような韓国映画は中々地元では上映されません。しかも、東京でも近県でも、上映期間が短いのでついつい見逃してしまいます。「泣く男」は、すでに醒めてしまった韓流ではありますが、嘗て四天王と言われたチャン・ドンゴン主役故なのか、近場で上映されました。特にマークしていた作品ではなかったのですが、機会を逃さず観てきました。

韓国はこの手の銃撃アクション映画が好きですね。また得意でもあります。日本作品では少ないジャンルですし、日本映画でやると現実味が感じられないと思います。もちろん韓国でも現実離れしたストーリーではありますが、外国作品ですとあまり考えずに見られます。チャン・ドンゴンは「ブラザーフッド」で主演男優賞を取っていますが、あの時の演技はあまりピンときませんでした。気持ちが入り過ぎて空回りした風に見えて。あれから10年、さすがに演技は重厚になりました。「アジョシ」を撮ったイ・ジョンボム監督作品ですが、奇しくも、「ブラザーフッド」で共演したウォンビンと、同じ監督の下で似たような役柄を演じることになりました。話の展開は、何故冷酷な殺し屋が何の関係もない女性を助けるために命をかけるのか、やや説明に無理があるような気もしますが、子役が可愛くて無理を通しても良い気になります。元々主役はストーリーよりもアクションです。その点では飽きさせません。

「ハナ ~奇跡の46日間~」 http://hana46.jp/

DVD視聴です。借りてきて観た「永遠の0」が映像不良で、代わりに無料で借りられるとのことで借りてきました。1991年の4月から5月にかけて、千葉市で開催された世界卓球選手権での実話を基に作られた作品です。ハ・ジウォンとペ・ドゥナとのW主演作品です。ベルリンの壁の崩壊が1989年、1991年はワルシャワ条約機構が解体(7月)、韓国・北朝鮮の同時国連加盟(9月)、ソヴィエト連邦崩壊(12月)という激動の時代でした。その気運の中で実現した南北統一チームです。東西ドイツ、ヴェトナム統一後も分断のまま残された朝鮮半島の、その統一の気運の一番盛り上がった時期とも言われます。実際には束の間の期待に終わり、統一チームで戦った選手たちも、2年後の世界卓球選手権(スウェーデン・イェテボリ)を最後に再開の機会を逸しているとか。(今でもそうですが)当時最強と言われた中国チームを破ったという、都合の良すぎる展開を実話として持っています。分断の現実と合わせて、作品の出来不出来を論ずる位置にありません。実話の重みに頼りすぎる一面はあるかも知れませんが、卓球実技や北朝鮮訛り等、役者たちは苦労したようです。ペ・ドゥナの魅力が十分に発揮できていない気がしてその点は残念ですが、観て損のない作品だと思います。

2014年10月15日 (水)

最近読んだ本

半年に1回の不定期テーマです。

「3センチヒールの靴」 谷村志穂著 集英社文庫  どんな作者かも知らず、書店でたまたま手に取ったまま買いました。主人公は20代後半から30代、アラサー世代の女性たちなのでしょうか? 様々な恋愛の形、ちょっとしたエピソードなど、17編の短編が収められてあります。ロマンチックな現代のおとぎ話的なエピソードもあり、リアルで等身大の、あり勝ちと思えるエピソードもあり。適齢期女性たちの願望と現実と、その双方が入れ替わり登場します。作者は私より9歳年下ですので、バブル時代初期に青春を迎えているはずです。そのひと時代のずれが、そのまま私にとっての実感とのずれになっているような感じです。理解はできるけれども沁みない、そんな部分があります。

「史記 武帝紀」 北方謙三 ハルキ文庫全7巻  北方謙三は”ハードボイルド作家”との印象があり、縁の薄い作家でした。最初に読んだのが「楊家将」、これが中々面白くて、続編の「血涙」まで続けて読みました。映画「楊家将(中国映画)」も。その流れで読み始めたのが「史記 武帝記」でした。漢王朝第7代皇帝劉徹を描いたものです。ただし、物語の最初から最後まで続けて登場するのは劉徹ではありますが、劉徹1人を描いた作品ではありません。奴僕の身から大将軍にまで栄達した衛青、西域に派遣され匈奴の捕虜になりながらも使命を果たして立ち戻った張騫、衛青の甥で天才的武将霍去病、そして悲劇の武将李陵、それぞれが主役として、半ば独立した物語として語られます。パート主役となるのは、漢側の人物だけではありません。匈奴側の単于も丁寧に描かれますし、特に匈奴の将軍頭屠は幼少期から登場して匈奴側のパート主役として描かれます。また「史記」の作者司馬遷も、武将達とは異なる目線で同じ舞台に登場します。敵対する勢力の双方から、そしてそれぞれの立場から同じ舞台を眺め・生き・行動します。登場人物それぞれが血の通った生きた人間として描かれますし、総体の群像として生きた時代を描き出します。最初から登場し続けながら準主役的立場に甘んじてきた劉徹が、最後には同じく脇役に徹してきた桑弘羊と共に、ひとりの人間として幕締めを飾ります。最後の2人のやり取りには涙を誘われます。そして最終章には最早、劉徹は登場しません。それぞれ数奇に生きた李陵と蘇武との別れのシーンが、エピローグ・後日談の如くに描かれます。歴史小説は、客観的な冷めた目で書き連ねられるものも多いのですが、北方謙三作品は、生身の人間として描く危うさと魅力とが同居しているように思えます。

「韓国現代史」 文 京洙著 岩波新書  「周縁からの視点で描き出す激動の60年」、序章で李朝末期から日本による植民地時代までを簡潔に記し、解放から2000年初めの盧武鉉政権までの韓国の政治情勢を三章に分けて書いています。この春頃に、「チスル(http://www.u-picc.com/Jiseul/)」という韓国映画を観たのですが、その段階では済州島4・3事件に関しては漠然とした知識しかありませんでした。この本を読んでからでしたら、感じ方も異なっていたかも知れません。事件による死者は25,00030,000人、島の人口の約1割に及びます。事件後日本へ移住した島民も多く、人口が半減してしまった時期もあったそうです。光州事件も同じですが、朝鮮戦争という、国家分断での同じ民族同士での争い・憎しみ、そして不信感が、こういった事件を生んでしまったのかも知れません。意外だったのは、両事件が公に語られ被害者達の名誉回復が比較的最近になってからだった、と言うことです。

「播磨灘物語」 司馬遼太郎著 講談社文庫全4巻  随分以前、おそらく1980年代に読んだ本だったと思います。日本の歴史物小説の中では特に印象に残っている作品です。今回、大河ドラマに合わせて読み返してみました。主人公黒田官兵衛は、戦国物ドラマ等での脇役定番の武将です。読むまでは私も詳しくは知らない人物でした。この作品で魅了されました。軍師は私欲を持ってはいけないと言います。私欲は先を見る目を曇らせる、自身の願望に惑わされて判断を誤る。官兵衛は私欲の少ない人物だったのでしょう。そして最後の最後に、夢を見、欲を持った。その時の判断だけが甘く、夢の実現はみませんでした。格好良くはないけれど、艶やかではないけれど、しぶとく冷めた目で時代を捉え生き抜いた雑草的逞しさと、少し世離れした哲人的な厭世観と、その双方を兼ね備えた人物に思えます。

今回のHNK大河ドラマ「軍師官兵衛」、毎週楽しみにしています。昔々は好きだった大河ドラマ、ここ暫くはあまり見なくなっていました。ホームドラマ的要素が盛り込まれたり、現代的価値観での歪曲解釈による大衆迎合脚本に嫌気の指した部分がありました。以前から「何故官兵衛が大河にならないのか?しっかりした原作もあるのに・・・」と感じていましたので、今回は、制作発表時点から期待して待っていました。期待に違わぬ部分もあり、毎週続けて見ていますが、不満な部分もあります。大河では元々、主人公を美化した脚本で描かれるのが定番です。しかし歴史は良し悪しでは測れませんし、何より、現代とは全く異なる価値観の中にあります。大河も所詮娯楽ドラマではありますので、史実から離れた脚色も致し方ない部分もあると思いますが、「善い人悪い人」での描き方には違和感を感じます。歴史小説でも、主人公が変わり立場が変われば描き方も異なりますが、大河ほどの落差のある作品は少数だと思います。朝鮮出兵での石田光成と官兵衛とのトラブル、同じ作者による「播磨灘物語」と「関ヶ原」と、その両方に同じ場面が登場します。主人公は逆になりますので多少ニュアンスに違いはありますが、大きな違いにはなりません。大河でももうすぐこの時代になります。その場面が描かれるかどうか判りませんが、描かれるとしたら、主人公擁護の詭弁脚色になりそうで、不安を通り越して危惧する気分になっています。「軍師官兵衛」という題名から、官兵衛の姓を「軍師」と勘違いしている視聴者も居るとか居ないとか?歴史に深い興味や知識のない人も見る大河ドラマだからこそ、判りやすくするだけでなく、“歴史の見方”を示す脚本も必要だと思っています。「史記 武帝紀」で描かれているように、漢と匈奴それぞれに生きるための必要があり事情があります。官兵衛を「善」とするために光成を「悪」とする安易な設定は、長い目で見れば、歴史に興味を持つ新たな芽を摘んでしまうように思っています。

2014年10月13日 (月)

連休お出かけ

いまだに「体育の日は10月10日」の思いの抜けない世代です。開会式も当時まだ珍しい”カラーテレビ”で見ましたし。ハンピーマンデーには反対です。何故祝うのか、祝日の元々の意味をもっと大事にして欲しいと思っています。

という連休、近場ですが出かけてきました。元々は近所に用事があってのついでなのですが、12日は息子の趣味に付き合う意味合いもあって鹿沼市の今宮神社に立ち寄りました。息子には様々な趣味があります。バイク(400cc)・ゴルフ・ボード・ダーツ、そして”御朱印”です。こちらはかなり渋い趣味ですが、バイクツーリングの途中で目的地目印として神社を巡るようになったのが始まりのようです。元々、日本の神話等にも興味を持っていたようです。”御朱印”は御朱印帳を持ち、参拝した神社の神職に押印して頂き、神社名・参拝日等を墨書して頂くものです。今回は特にその今宮神社に興味のあったわけではなく、たまたま目的地への途中にあったから、というだけでした。当日が例大祭に当たることは調べて知っていたのですが、思いの他の大きなお祭りでした。(http://www.city.kanuma.tochigi.jp/events/detail.12.14088.html

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街の通りは通行止めになり沢山の屋台が並んでいました。少し離れた位置に何とか駐車スペースを見つけ神社へ。ちょうど、神輿を含む行列の出発するタイミングでした。日光二荒山神社の分社に当たるそうで、かなり立派な造りです。すでに2冊目に入った御朱印帳に無事御朱印を頂き、参拝して参りました。用事を済ませての帰途、また市内を通ったのですが、花火も打ち上げられていました。地域では1年のメインの行事のようですね。

翌13日は、宇都宮へ。同窓会で故郷に帰っていた家内を、新幹線の駅まで迎えに行くことになっていました。同じ県内なのですが、宇都宮とは電車の連絡が悪いのです。特に北関東道の開通以降は、宇都宮の玄関口鹿沼ICまで、我が家の玄関から45分ほどで行き着けるようになり、更に車移動が増えました。どうせ宇都宮まで出るのならということで、家内到着前に宇都宮美術館に行ってみることにしました。この美術館は2度目ですが、前回は息子と2人でした。もう随分前になります。受験前のオープンキャンパスで帝京大学を訪れた時でした。美術館と大学とは、隣り合わせるほどに近い距離にあります。家族で美術館というのは何回かありましたが、息子と2人は後にも先にもそれ1回限りですので、美術館そのものに対する印象もなにか良いものになっています。結局息子は第1志望校に合格、宇都宮に進学することはありませんでしたので、美術館訪問もそれ1回きりになっていました。

今現在の企画展示は「佐伯祐三とパリ」でした。夭折の画家佐伯祐三とその周辺をテーマとしています。大阪に新美術館建設の計画があり、そのメインとなるコレクションからの出展だそうです。佐伯祐三という画家、有名でもちろん知っていますし作品も何回も観たことはありました。しかし「有名画家のひとり」の域は出ず、特別に興味を持って調べた事はなかったように思います。その分、今回は幾つかの新たな発見がありました。まず祐三が大阪の浄土真宗の寺の次男だったこと。”寺”と少しイメージの重ならない部分があります。大阪新美術館構想は、「地元大阪の佐伯祐三を」というのが原動力になったようです。祐三は30歳でパリにて他界しています。展示会では「風邪をひいて体調を崩し」をその発端として記載していますが、詳しい病名は書かれていません。一般には結核と言われていますが・・・。そして祐三の死の2週間後には、6歳半の娘も「同じ病で」亡くなっています。祐三は家族で渡仏していました。異国の地で相次いで夫と娘を失った米子夫人、その悲しさ心細さは如何ばかりだったのでしょうか。今回の展示では、同時代にパリに滞在して、祐三の影響下に描いていた荻須高徳や大橋了介らの作品も展示されてあります。別々に観ると似通って見えたそれらの作品、こうやって並べて観るとその違いがはっきりと見て取れます。描いた場所は似通っていても、描いたテーマは大きく異なっていたようです。

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もうひとつ、目を引いたのは、祐三が東京でアトリエを構えた場所でした。豊多摩郡落合村大字下落合、現在の新宿区中落合だそうです。進学で上京した私の、最初に住んだアパートの地です。ネットで調べてみると、まさにすぐ近く、ほとんど同じ範囲内です。現在もその場所に建物は残っていて、記念館となっているそうです。迂闊にも知りませんでした。次の上京の機会には、是非とも訪ねてみましょう。

宇都宮美術館は、宇都宮市北部の、新興住宅地とゴルフ場に囲まれた、まだ自然の多く残る地に建てられています。生憎の雨模様でしたが、お天気が良ければゆっくり散策しても楽しそうな場所にあります。

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2014年10月 9日 (木)

上京してきました。

知人から案内はがきを頂き、家内を連れて東京での個展を拝見しに行くことになりました。久々折角の上京ですので、イベントを2つばかり追加、限られた時間を有効に楽しんできました。

追加イベントの最初は、六本木国立新美術館(http://www.nact.jp/)での「オルセー美術館展」です。印象派作品の展覧会は殺人的に混む日本ですので、興味ある展示会でも敬遠してきたのですが、平日でも時間の取れる身になりました。平日でも油断は大敵と、開館時間までには到着するよう予定を組み、到着は10時の開館直後でした。チケット購入も入場もスムーズでしたが、館内はすでに混み合っていました。それでもまぁ、鑑賞にさほど支障のない程度の混み具合です。退場後には、入り口は入場規制、登りエスカレーターもチケット売り場も長蛇の列になっていました。平日でも・・・。

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今回の目玉はマネの「笛を吹く少年」と、モネの「草上の昼食」です。共に有名な作品ですが、特に「笛を吹く少年」は日本でよく知られていますね。この2作品が図録の表紙・裏表紙になっています。展示はフレデリック・バジールの作品で始まります。あまり知らなかった作家ですが、モネ、ルノワールと親しく、ピサロ、セザンヌと引き合わせた人物だったそうです。普仏戦争に従軍、29歳で早世しました。

続いてレアリスム、歴史画、肖像、静物等のテーマにそってそれぞれの作品が展示されていました。この「レアリスム」、クールベやトロワイヨン、そしてミレー等のバルビゾン派などを指す言葉ですが、時として誤って理解されている場合があります。この時代のものは技法的に「そっくり描く」との意味ではありません。画題・テーマでの「レアリスム」です。それ以前では絵画は王侯貴族・富裕層のためのもの、画題も神話や自身・身内の肖像画等で、自身の邸宅を飾る装飾品としての意味を持ちました。それが「レアリスム」では、名もなき庶民の日常生活、現実を描くことに意味を持たせました。「印象派」は主に技法的な改革です。「レアリスム」の内容改革なくしては登場しなかったはずのものです。

印象派成立に影響を与えた要因がもう2つあります。普仏戦争と「ジャポニスム」です。普仏戦争ではモネ、ピサロをはじめとする画家達が戦乱を避けロンドンに退避、ターナーやコンスタブル等の瑞々しい”大気”を描く風景画に出会い、またパリ万博では日本の浮世絵の平面的で鮮やかな色彩に衝撃を受けます。今回の展示にも、ジャポニスム作品としてマネの「夫人と団扇」が展示されていました。

上記は美術界内部での変革ですが、その変化を推し進めた社会的要因がその前提としてありました。産業の近代化に伴う中産階級の興隆です。先にも書きましたが、それ以前の美術界は富裕層の独占の場でした。画家はパトロンの注文に応じ作品を制作、「手間賃」として収入を得ます。絵画作品は大きく見れば”家具の一部”でもあったのです。それがナポレン3世の後押しでパリ大改革を推し進めたオスマン市長の時代から大きく変化します。初めてのブティック(デパート)が登場し、交通網や上下水道等の工事でパリは美しく生まれ変わり、また大規模工事による雇用創出で労働者階級の購買力も向上、現在のような消費経済が始まります。余裕のできた中小ブルジョアは、手の届く範囲での美術品購入も行うようになり、画商が生まれ、続いて美術館も成立するようになります。今まで王侯貴族の邸宅内で一部特権階級のみの鑑賞具だった絵画が、大衆に解放されたのです。エミール・ゾラの「居酒屋」でも、ルーブル美術館に繰り出す様子が描かれています。

・・・なことを考えながら、「オルセー美術館展」を鑑賞してきました。期待したほどの作品数がなく、少々物足りない思いもありましたが、楽しむことはできました。何点かは記憶に残っていました。20代初めの訪欧時に、観ています。当時はまだオルセー美術館は無く(1986年開館)、ジュ・ド・ポーム美術館(印象派美術館)での展示でした。オルセーは元々は、パリ万国博覧会に合わせて作られた、オルセー駅の駅舎でした。

六本木から市谷に移動、昼食は韓国料理です。店名は「DONまつり(http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130904/13171809/)」、この名この場所では初めてですが、通算では何度も訪れた店です。新大久保から浅草、上野、何度も引っ越し店名も変えてきました。あまり店名には拘りがないようです。韓国料理本や韓国語講座で活躍している八田氏推薦で、彼が「韓国の父母」と敬愛するご夫婦の経営する店です。今回はランチメニュー、私はスンドゥップチゲ、家内は水冷麺の注文です。味は相変わらず、スンドゥップチゲはかなり辛いですが、旨みの出た辛さです。生卵とご飯で辛さを調節します。家内の冷麺も少し味見させて頂きました。こちらもお奨めです。ランチはほどほどの入りでした。夜はどうなのだろう?韓流も去り経営も大変でしょうが、何とか同じ場所で続けて頂きたいと思っています。P2014_1008_130900_2

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この日最後の目的地は、当初の上京目的、知人の版画個展です。場所は本郷東大赤門斜め前にある画廊「愚怜(グレイ:http://gallerygray.aikotoba.jp/)」です。知人とは油絵を描いていた若き頃に知り合い、美大に在籍していた彼女はそのまま版画家となり、現在は版画協会・国画会会員として活躍しています。小さい作品が多いのですが、版画十数点を所有しています。しばらく増えていなかったのですが、今回も小品を買わせて頂きました。知人の変わらぬ活動を見るに、美術に燃えていた当時の思いも少しは甦ります。久々絵筆を取ってみたい気持ちにも・・・・。

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