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2015年10月31日 (土)

県内旅、日光と古峰神社

先々週16日に天候と混雑予想で行き先変更した日光ドライブ、昨日の金曜日に再チャレンジで行ってきました。紅葉の盛りは過ぎていましたが、それはそれ、いつの季節でも日光の自然は新たな魅力を見せてくれます。

東北道から日光道を乗り継いで終点・清滝ICから一般道に。登りの第二いろは坂、渋滞を心配しましたがさすが平日、交通量は多いものの時速40~50kmで順調に流れていました。小学生時代、遠足での初日光時での”いろは坂”はまだ1本だけでの対面通行でした。カーブの数も今より多く、大型観光バスは1度で曲がり切れず、バスガイドさんの誘導で切り返して曲がる場面もありました。まだ高級品だった自家用車を「庶民の手の届く」価格まで引き下げた名車スバル360も、さすがに登り切れずエンストする姿も見たものです。

明智平でトイレ休憩、駐車場はほぼ満杯、諦めかけた時に運良く空きスペースを発見無事駐車できました。金曜日とはいえ平日でこの状態です。土日は想像するだけで恐ろしい・・・。好天に恵まれ男体山は雄々しく姿をさらし、ロープウエイは順番待ちの列を作っていました。多分さほどの待ち時間もないのでしょうが、ここはパスして先に進みます。

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今回の日光、何度も訪れている2社1寺は素通り、メインの目的地は”イタリア大使館別荘記念公園”でした。明治期、蒸し暑い日本の夏は欧米人にとって耐え難いものだったらしく、その欧米列強大使館員達の避暑地として選ばれたのが日光(と軽井沢)だったようです。明治3年には早くもイギリス公使ハリー・バークスが日光を訪問、明治5年のアーネスト・サトウ氏による英字新聞での紹介記事で、欧米人に知られるようになりました。明治6年には日光金谷ホテルの前身”金谷カッテージイン”がオープンしています。「日本奥地紀行(バードの日本紀行)」の著者イギリス人旅行家イザベラ・バード女史もここに滞在しています。大使館別荘の方ですが、現在公開されている建物は昭和3年にイタリア大使館別荘として建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していたものだそうです。自然環境保全のため公園に駐車場はなく、手前の歌ヶ浜駐車場から10数分歩いて行くことになります。中禅寺湖に沿ったこの小道も、お天気の良い日なら良い散策路となります。途中野生の猿の姿も見かけました。

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大使館別荘の建物は、杉皮張りの本邸と国際避暑地歴史観として資料展示している副邸からなります。本邸からは中禅寺湖に降りるスロープが続き、舟遊びに使った桟橋も残されています。窓外に広がる湖の景色は素晴らしく、表面に歪みの見えるレトロな窓ガラスと相まって郷愁漂う景観となっています。お隣では、つい最近まで現役で使用されていたイギリス大使館別荘も、来春公開のための準備工事が行われていました。来春また来てみようかな?

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歌ヶ浜駐車場の目の前は立木観音で知られる日光中禅寺です。予定にはなかったのですが、こちらも観光してきました。日光を開山した勝道上人が立木のまま(根付いたまま)手彫りしたと伝えられるのが立木観音です。内部の撮影は禁止されていますので、観音様の写真はありません。鐘楼は参詣者が自由に鐘を突くことができ、一突きしてきました。参拝料は500円でした。

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今回の県内ドライブ旅、もう1か所目的地があります。それは”古峯神社(http://www.furumine-jinjya.jp/)”です。日光市の南隣、鹿沼市の山奥にある神社です。ツーリング好きで神社好きな息子のお勧めで立ち寄ってみました。清滝交差点から県道277号に折れ、その先から更に狭い道に分かれます。くねくねで車とすれ違うのも大変な林道を1時間以上走りました。それでも途中すれ違った車は2台のみでした。古峰神社は日本武尊を祀る、1300余年の歴史を持つと言う神社で、天狗信仰でも知られています。参籠と言う、宿泊して黎明の一番祈祷を受けるための宿泊施設も持っています。観光地日光とは異なる、現在進行形での宗教施設としての色を持っています。中禅寺で買った御朱印帳に、天狗の御朱印を頂きました。雰囲気も対応も、商売っ気たっぷりの観光地日光との対比が印象的でした。

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神社の写真での通り、中禅寺湖周辺では枯れ枝でしたが、海抜の下がったこの辺りでは紅葉が盛りでした。神社付随の庭園”古峯園”での紅葉は見事でした。こちらが息子の一押しの場所です。ちなみに神社名は「ふるみねじんじゃ」庭園は「こほうえん」と読みます。庭園入場料は300円、内容からして大変良心的な料金だと思います。御朱印の種類も現在9種類ありますので、異なる御朱印を頂きに、また別の季節に訪れても良い場所ですね。

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2015年10月19日 (月)

世界遺産 富岡製糸場

ちょっと前の話になりますが、先週の16日に富岡の製糸場に行ってきました。最初は「日光に紅葉を見に」とのつもりだったのですが、当日に”流鏑馬”が予定されていて混みそうだったのと、お天気がいまいちだったので行き先を変更しました。いろは坂の渋滞は最悪ですからね。

自宅から富岡までは北関東道経由で1時間ちょっとで着きます。ゴルフでは何度も訪れている地ですが、製糸場の方は世界遺産認定(国宝にも指定されました)で「混んでいるだろう」と敬遠していました。16日は平日(金曜日)ですので出かけてみました。観光客は多く、賑わってはいましたが、駐車場もすぐに停められましたし不便のあるほどの混み具合ではありませんでした。土日はまだまだ大変でしょうね。入場料は1,000円、ガイドツアー参加はまた別に200円必要です。他に音声ガイド器の貸し出しもあり、こちらも200円です。折角ですのでガイドツアーに参加してみました。

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ガイドツアーは”東置繭所(ひがしおきまゆじょ)”からスタートしました。隣接する”乾燥場”は昨年の大雪で崩壊、再建準備中だそうです。”置繭所”は乾燥した繭の保管場所です。長さ104,4mの建物が東西2棟あり、2階が繭の貯蔵場所になります。当時は繭は年1回しか取れず、大量に保管しておく必要からこのような規模の建物が必要とされたそうです。”木骨レンガ造り”との工法で、レンガを交互に組み合わせる”フランス積み”で積み上げられています。レンガは国産、瓦職人を指導して焼かせたそうです。”西置繭所”の方は現在改修中で見学できません。

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”繰糸所(そうしじょ)”は繭から生糸を取る工場です。長さ140.4m、製糸場最長の建物です。フランスから輸入した製糸器300釜が設置され、当時で世界最大規模の製糸工場だったそうです。現在は、操業していた最後の状態で保存されています。昭和40年代に設置された自動繰糸機はニッサン製でした。建物の屋根は”トラス構造”という建築工法で、屋根の重さが壁に負担をかけない仕組みになっているそうです。設立当時はまだ電灯がありませんでしたので、自然光を取り入れる設計になっています。ガラス板製造の技術がまだ日本には無く、窓ガラスはフランスから輸入したそうです。何枚かは当時のガラスが残っている可能性も?

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”ブリュナ館”は指導者として招聘されたフランス人ポール・ブリュナ氏が家族と暮らした住居です。建坪320坪という広大な建物です。ブリュナ氏の年俸は当時の大臣の俸給に匹敵したとか。殖産にかける明治政府の力の入れようが感じ取れます。富岡製糸場は殖産興業政策の一環として建てられた模範工場です。フランス人指導者への高給などで赤字でしたが、最初から採算度外視での運営でした。工女の任期も短く区切られ、技術伝習工女としてそれぞれの地元で指導者として活動させることを目的としていました。盆と正月だけ、というのが常識だった時代に初めて「日曜休日」を取り入れた先進的な施設でもあったようです。ブリュナ館は”コロニアル様式”との工法で建てられています。高床式で風通しを良くした造りです。コロニーは”植民地”を意味します。高温多湿な南方植民地でも西洋人が快適に暮らすための設計、ということです。彼らからしたら日本も、高温多湿の暮らしにくい地域だったのかも知れません。

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ガイドツアーはここまで、40分程度でした。後は他の施設を周ったり、繰糸所に戻って解説ビデオを見たりして過ごしました。施設保護の必要から、内部を見学できない建物が多かったのですが、それでも興味深い施設でした。生きた蚕も展示してありました。抹茶味のかりんとうみたいでしたね。coldsweats01 操業停止から国指定史跡に指定されるまでの18年余、施設をそのままに保存管理してきた片倉工業の高邁な意思に感心・感謝しました。

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昼食後は富岡市立美術博物館へ。市内の丘陵地・もみじ平総合公園内にあり、郷土資料と地元出身の画家・福沢一郎の作品が展示されてあります。福沢一郎作品は群馬県立美術館等で観たこともありましたので群馬県出身とは知っていましたが、富岡出身というのは初めて知りました。シュールリアリズムを日本に紹介、前衛美術で活躍した有名画家ではあるのですが、一般的知名度はそれほどではないのでしょう、家内との鑑賞中、他に客は誰も訪れませんでした。製糸場周辺はあんなに賑わっていたのに。見応えのある作品群、入場料210円は大変お得です。館内には氏のアトリエを再現したコーナーもありました。

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先月ゴルフで来た時に見たリンゴ畑を思い出して帰途立ち寄ってみました。美味しそうに実っていました。道の駅にも立ち寄ったのですが、リンゴも他の農産物も意外に高い!世界遺産効果で観光地価格になってしまったのでしょうか?

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2015年10月13日 (火)

ラグビーW杯日本代表の活躍&渡良瀬橋の夕日

今朝は3時半に起床、ラグビーW杯イングランド大会の日本代表を応援しました。番組欄では2時50分BS1となっていましたが、「どうせ前置きが長い」と予想しての起床時間。TVを点けたのが3時40分、今まさに選手たちがグラウンドに登場しようという絶好のタイミングでした。今までラグビーには興味を持ちませんでした。ルールもいまだによく判りません。その昔に人気を博した「青春とは何だ!」に始まるラグビードラマ、熱心に見てはいましたが、あのドラマは”青春”は描いていましたが”ラグビー”そのものはあまり描いていなかったような・・・。ユーミンの「ノーサイド」は好きだったけれど、ラグビーの試合はTVでも見たことがありませんでした。それが南ア戦勝利の報に興奮して「一度見てみるか」とTVで見たのが惨敗したスコットランド戦でした。試合には負けてしまったけれど、ラグビー興味は湧きあがりました。サモア戦も見ました。そして今朝のアメリカ戦です。ラグビーの魅力に取り付かれそうになっています。もう少し!あと10y、ほんの5yが中々進むことができない、散々焦らされた末のタッチダウンは爽快ですし、タッチダウン寸前での一瞬の手先の狂いからチャンスがピンチに変わる展開にもハラハラドキドキさせられます。文字通り手に汗握って観戦していました。サッカーと野球、私はサッカーの方が好きです。しかしサッカーでの得点は一瞬ですので、PK戦以外ではハラハラドキドキシーンは比較的少ないです。一方の野球では、2out満塁とか、ハラハラドキドキ展開はありますが、全体としての動きが緩慢というか、だいたいガム噛みながらプレーできるスポーツは少ないように思います。その点ラグビーでは、ダイナミックな動きとチャンスを積み重ねてゴールを目指すハラドキ感とが両立しているように思いました。2019年のW杯は日本で開催されます。オリンピックに比べて盛り上がらない無関心さを関係者が嘆いていましたが、それも過去の話になりそうです。やはり”勝利”に勝る特効薬は無いということでしょうか。

やたら早起きしたその夕方には、遠方(関西)より森高さんファンが来足しました。待ち合わせ場所は渡良瀬橋、時は夕焼け時、祝日でもあり、今日は夕日観望のファンらしき人が多かったですね。落日の山際に雲があり、少し残念な夕日、と思っていたらその後に色付き始めました。粘り勝ちでしょうか。その頃にはほとんどの方は帰ってしまっていました。絶品!とまでは届きませんが、まぁまぁ見応えのある夕日だったように思います。月後半のゼップダイバーでのライブには伺えません。またツアーでもやってくれないかなぁ~?

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2015年10月11日 (日)

『The Dance Moritaka Nights』

森高千里さんのライブ、『The Dance Moritaka Nights』初日の8日(木)に参戦してきました。会場は赤坂BLITZ、スタンディングです。前回の青山ブルーノートではALL外れで複数枚確保していた友人に救われましたので、2枚申し込んでみました。しかし今回は仲間内での当選確率がよく、チケット引受先が見つかりませんでした。結局1枚無駄にしてしまいました。私の場合、一般的森高さんファン層よりもひと世代以上離れています。同年代にはファンは少なく(というか1人も知りません)、しかも地方在住ですので、平日に東京まで出かけて行く人を探すのは至難の業。東京在住の友人達にも誘いをかけてみたのですが、元々ファンでない上に”スタンディング”がネックになってしまいました。2Fの座席でしたら多少の可能性もあったのでしょうが、こちらは座席数の少ないせいか抽選に外れてしまっています。

8日午後に足利を出発。去る7月24日より、東武線足利市駅とJR両毛線足利駅での発着時の駅メロディが「渡良瀬橋」になっています。(http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/page/moritakachisato-ashikagataishi.html) 当日は足利市長出席の記念式典が開かれ、森高さんからのメッセージが披露されました。地元アイドル・渡良瀬橋43のメンバーも浴衣姿でお手伝いしていました。駅メロ採用を記念して、両駅に特設コーナーが設けられました。写真は最後の2枚のみ、JR足利駅でのものです。

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その東武線足利市駅での特設コーナーも、9月末をもって終了しました。存続を望むファンの声も駅や市に寄せられたようですが、コーナーでの展示は年間スケジュールが決まっており、そのままでの継続は最初から無理だったようで予定通り一旦終了しました。しかし8日、森高さんライブでの上京の折に確認すると、お隣に新たにコーナーが設けられ、展示内容は寂しいですが一応復活していました。

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さて、話は森高さんライブに戻ります。赤坂BLITZは千代田線赤坂駅直通ですので北千住乗り換えで一直線、足利からは比較的便利な立地です。しかし敢えて赤坂見附駅を目的駅にしてみました。学生時代赤坂は私の行動圏でした。所属した美術部で何度か赤坂の画廊を利用したことがありましたし、夜な夜なのディスコ通いの場所でもありました。当時は高級品で学生には高すぎたケンタッキー・フライド・チキンを(先輩のおごりで)初めて食べたのも赤坂でした。当時は渋谷にはまだ店がなかったのです。他にバンジョーの生演奏のあるピザ専門店があったり、赤坂は”大人の匂い”のするちょっと背伸びの街でした。TBS前のカレーレストラン「トップス」のチーズケーキも好きでした。BLITZタワーの地下にまだ店があるとのことで覗いてみたのですが、ファストフード店的な”ただのカレー屋”になっていました。ケーキは店内でのケーキセットのみ、店頭販売はしていませんでした。響きの懐かしい一ツ木通りを歩いてみました。雰囲気は残っていましたが見覚えのある店はありません。BLITZ界隈の風景に至っては、全くの別世界です。

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開場は18:00ですが、グッズの販売コーナーが設置されていますので、会場前にはすでに見知った顔が参集していました。ご挨拶かたわら森高さんが表紙の足利市広報誌「あしかがみ(http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/page/ashikagami201509.html)」と渡良瀬橋缶バッヂを少数ですが配らせていただきました。今回の「あしかがみ」、一時市役所の配布コーナーから姿を消すほどの人気でした。市広報誌としては異例の出来事です。

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スタンディングは番号順での入場です。私の番号は74番、かなり良い番号です。ロッカーに荷物をしまいできる限り身軽にします。当日はさほど寒くなく、Tシャツ(前回ブルーノートグッズの赤シャツにしました)で支障なかったのは助かりました。ほぼ予定通りに入場開始、番号順に呼ばれますが、1番2番を始め早い番号の該当者がかなりの数居ません。平日の6時ですので仕事が終わらず間に合わない人も多かったのでしょう。「早く入れる権利」だけですので、時間に間に合わなければ、どんなに良い番号でもただの入場券になってしまいます。

スタンディング、演奏時間中はそれでも良いのですが、待ち時間は疲れます。限られたスペース内で何もせずじっとしているのは苦痛でした。折角手ぶらにしたのに、ワンドリンク制500円で買わされたペットボトルが邪魔です。引き換えは終演後にすればよかった・・・。ちなみに早い者順の立ち位置は前から3列目、以前の林檎さんライブでのオールスタンディングとは異なり、年代層の高いせいか押し合いもありませんでした。

ほぼ時間通り(2~3分遅れ?)に森高さんが登場、最初は少人数、途中からベースとギター(鈴木マリア)が加わります。今回は”The Dance Moritaka Nights”とのテーマですので、全曲いつもと違うアレンジが加えられています。「皆さんクラブに行きたくなりませんか~?」との呼びかけ。しかし昔燃えたディスコ的な盛り上がりにはなりません。そりゃそうでしょう。目の前に森高さんが居て歌ってるのですから、ダンスに集中できるはずもありません。もうひとつ”ディスコ”にならない理由、16歳年下の森高さんのイメージは”クラブ”なせいもあるのかも知れません。ディスコとクラブ、違いがよく判りませんが、音楽は異なります。ロックンロールやソウル系で踊った私達の時代ですので、テクノや今回のライブでのアレンジではリズムが遅過ぎてノリが難しくなります。

同じ Dance Moritaka でも私と森高世代ファンとでは感じ方がかなり異なったと思います。一般的に”ディスコブーム”というと「マハラジャ」や「ジュリアナ」を思い浮かべる人が多いと思います。「麻布十番マハラジャ」が1984年、「ジュリアナ東京」は1991年ですので、共に私が東京を離れてからのブームでした。私の通ったディスコは赤坂の「ムゲン」「ビブロス」「マンハッタン」、映画「サタデーナイトフィーバー」での第一次ディスコブームより更に前の時代です。「ムゲン」は日本でのディスコの走りとも言われ、芸能人も多く通っていたと言われます。私も「ビブロス」では当時10代ですでにデビューしていたアン・ルイスと2度遭遇したことがあります。

さて今回の「The Dance Moritaka Nights」での評価、40代前後の本来の森高さんファンの感じ方はどうだったのだろう?ネット上でのファン評価は良いものしか見ません。私自身は、世代的な差もあるのでしょうが、あまり良い評価にはなりません。かなりのダンス好きで今でもそこそこ踊れるつもりでいますが、私の感覚では「Dance Nights」にはなり得ないアレンジでした。森高さん世代での第一次・第二次ディスコブームでのユーロビートとも離れているように思います。”クラブ”イメージでのアレンジだったのでしょうか? それだと対象世代がずれてしまうように思うのですが・・・。懐かしい「拾った財布」を聴けたのは嬉しかったですが、「私がオバさんになっても」のアレンジは納得できません。「Dance Nights」をテーマにするならせめて、ユーロビートアレンジにして欲しかった。ディスコ好きでダンス好きで、勝手にイメージして出かけてしまった訳ですが、あれなら普段通りのライブの方が良かった気がしてしまっています。会場風景の写真は森高さんFacebookからお借りしました。

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