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2017年3月30日 (木)

”刀剣女子”がやって来た!

今週末4月2日まで、地元足利市の足利市立美術館にて「山姥切国広展(http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017kunihiro.html)」なる企画展示会が開かれています。戦国時代の刀匠・堀川国広の代表作と言われる、重要文化財「山姥切国広」が展示されています。以前、国広が足利学校で打ったとの、足利市民財団所蔵の短刀「布袋国広」が同美術館で展示されたことがあり、家内と訪れました。その折、”刀剣女子”という言葉を初めて知りました。刀がイケメン男子に擬人化された「刀剣乱舞」なるゲームがあり、その流れで刀剣に興味を持った女性達を”刀剣女子”と呼ぶとか。「布袋国広」展示の折にも、それらしき、普段市立美術館ではあまり見かけない若い女性客をチラホラと見かけました。今までも”御朱印ガール”とか”歴女”とかの話題がマスコミで取り上げられましたけれど、私自身御朱印帳は持っていますが、それらしき姿に遭遇したことが無く、「珍しいから」「少数だから」話題として取り上げられるだけ、との認識でいました。それが今回は大きく事情が異なっていました。

展示会初日、「入館4時間待ち」との、全く予想外の情報が入ってきました。それ以降でも、美術館周辺はもちろん、駅から美術館へ向かう道筋、足利学校周辺等でも、”刀剣女子”らしき姿を平日でも頻繁に見かけるようになりました。展示会に合わせた”國廣メニュー”提供の飲食店では、昼時に長蛇の列のできているのも目撃しました。人口減少、ドーナツ化、そして地方都市特有の車社会ですので、普段の街中は歩く人をほとんど見かけません。こんなに歩く人を見るのは、13年の森高千里さんライブの折以来かも知れません。それも、森高さんライブの折は2日間のみライブ会場への行き帰り時間のみですが、今回は会期中ずっとその状態が続いています。会期当初の「4時間待ち」対策として会期途中からは整理券の配布が始まり、指定入場時間までは市内散策に出歩けるようになり、足利学校や鑁阿寺等でも広く”刀剣女子”を見かけるようになりました。30年?も昔に一時「信長の野望」に嵌った時はありましたが、それ以降ゲームに夢中になったことはなく、今回の事態は想像の他でした。

28日の火曜日、話のタネに美術館へ行ってみることにしました。午前中は混み合うだろうからと午後ゆっくりに出て、到着は午後3時頃でした。しかしこれがまた事態を軽く見過ぎていたことになります。平日にも関わらず、入館できるのは早くに来て整理券を得た人達のみでした。整理券配布で館外に人込みはありませんが、館内には「午後3時入場」の整理券を持つ人の列ができています。

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もう入館はできないわけですし、元々刀剣には差ほどの興味を持つわけでもなく、興味の方向は”刀剣女子”にあったわけで、残念な気分もあまりなく美術館を後にしました。後は刀剣女子ウォッチング、市内をブラ歩き、鑁阿寺を目指します。

途中「ハマダプラザ(旧ハマダレコード)」店内を抜けてみました。ここの社長さんは今回の「國廣降臨」企画の中心人物の一人です。店内カフェは刀剣女子で埋まり、オリジナル関連グッズ「刀剣クランチチョコ」や刀剣乱舞関連のグッズ賞品が並んでいました。重要文化財・山姥切国広は個人所有です。その出展を粘り強く交渉してきた美術館関係者、そして商店会を動かしポスターや旗指物の制作や設置を行った浜田さんを始めとする方々、その苦労は並大抵ではなかったものと想像します。”街興し”は行政頼みでは決して成功しません。こういった現場の方々の地道なご苦労の上にしか成立しないものと思います。

今回のイベント盛況の要因は、もうひとつ重要なものがあると思っています。それは「足利」という街そのものが持つ歴史です。単に「刀の展示会」だけではこれだけの盛り上がりにはならなかったと思います。山姥切国広所有者が展示を許可下さったのも、堀川国広所縁の足利学校のある足利だったからこそでしょうし、訪れる”刀剣女子”の皆さんにも、鎌倉・室町の風情を残す足利学校・鑁阿寺の存在は欠くべからざるものであったと想像します。地元に住む人々にとっては当たり前の日常で、単なる田舎、地方都市にしか過ぎないのですが、こういった時には、文化資材に恵まれた土地柄なのだと、思い知らされます。鑁阿寺にも足利学校にも、多くの”刀剣女子”の姿を見ることができました。

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ちなみに、足利学校内にある森高千里さん植樹の藤、今年は花咲きそうです。時期は4月下旬から5月初めでしょうかね?

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2017年3月18日 (土)

車買い換えました。

1月の末に、14年10ヵ月、14万数千キロ走った愛車とお別れしました。TOYOTAのライトウェイトスポーツカー、MR-Sでした。色は白、2シーター1,800cc。あまり大事には扱わなかったので内も外も傷だらけになってしまいましたが、随分と楽しませて貰いました。手動のオープンソフトトップですが、徐々に生地がゴワゴワになってしまい、最後の数年は破れてしまいそうで怖くて開けることができませんでした。元々日本では、雨が多いし夏は暑いしで、オープンで楽しめる季節は短いのですが、その短い季節での爽快感はひとしおでした。寒い中、革ジャン着て走る冬のオープンも味なものでした。

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そんな愛車も年を経て疲れも見えてきました。手を入れてやればそれなりに走れるのですが、性能維持には費用もかかりますし経年車両は保険料も高くなります。半ば引退して年金生活に入ってしまっていますので、経費節減の必要もあり買い替えることにしました。ただ、「買い替える」ことを決めて「さて、何にしようか?」と迷い選んだわけではありません。寧ろ逆でこの車が発売されたので買い替えることに決めた、つまりは「欲しくなってしまった」というのが本音でしょう。HONDAのS660です。軽ですので税金は安くなりますし燃費も大幅に向上します。家内を説得するには好材料、一応の名目は立ちます。しかし、なんやかんやで購入費用は250万円ほど、普通車を買える金額になってしまいました。発売当初は半年以上待たされたそうですが、オーダーから3ヵ月で納車されました。色は当初は黄色と赤で迷ったのですが、ま、歳も考えて地味にグレーに決めました。

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”フル”ではなく”セミ”オープンで、手仕事での取り外しのソフトトップです。今日初めて取り外して走ってみました。フルオープンに比べると開放感は限定的ですが、高原でも走ってみればそれなりの爽快感は味わえそうです。これからの季節、ゴルフドライブが楽しみです。バゲージはありませんのでキャディバッグは助手席ですが、それはMR-Sでも同じでした。購入前、助手席にキャディバッグの入ることは確認済みです。

学生時代は東京で過ごし就職もしましたので、免許を取ったのは田舎に戻って必要に迫まれた30歳過ぎでした。初めて買った車はスズキのアルト、当時の軽は550ccですし力も無かったですので、家族でのドライブ旅行、榛名山を登るのに苦労した記憶があります。次がダイハツのシャレードでした。チラシにあった「安い」シャレードに惹かれて買いに行ったのですが、現場で見るとどうしても良い方に気持ちが動きます。結局は展示されてあったシャレードで一番高かった”セルジオ・タッキーニ”デザインの車を買ってしまいました。綺麗な青で結構お気に入りでした。3台目はスバルのインプレッサスポーツワゴン4WD、スキーでの雪道走行を考えて買った車です。シャレードは家内用に保持。ここから2台体制になります。そしてそろそろシャレードの買い替えを考え始めた頃、スズキの販売店で目に付いた”キャラ”というマイナー車種に気を惹かれてしまいました。軽なのに中古で100万円という価格でした。”キャラ”はスズキの軽スポーツカー、扉が上に開くガルウイング車です。一般的にはマツダのAZ-1としての方が知られていますが、製造元はスズキで同じ軽スポーツのカプチーノのエンジンが使われています。当時は「一番早い軽カー」と言われていました。その後、キャラはMR-Sに、インプレッサは同じスバルのフォレスターに変わっています。ちなみにフォレスターは、家内の希望で初めての、そして唯一のオートマ車購入でした。

インプレッサまでは”必要な道具・行動手段”との認識が強かったように思います。キャラがその認識を変えてしまいました。”運転すること”それ自体に楽しみを見出すようになったのです。荷物の積めない不便な車3台目のS660、当分はこれで楽しませて頂きます。年齢的にはこれが最後かも知れません。ちなみに父親の血を継いだのか、息子の愛車はスバルインプレッサWRX→BRZとなっています。

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