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2018年9月22日 (土)

Facebook

niftyフォーラムに始まって、HP、mixi、ブログと移り変わるネットコミュニケーション。現在は家族等近い相手限定でのLINE(広げると面倒そう)とFacebook中心で使っていますが、mixiもブログも残してますし時折書き込んでいます。と言ってもmixiは利用頻度はかなり減りましたし、Facebookと重複しますのでこちらブログも書き込む間隔が空きがちです。ただFacebookはどんどん過去に流れて行ってしまい過去記事を探すのは至難の業、少し遅れてもこちらにも書き残すようにしています。ブログの方が詳しく書き残すことができますし。元々、使い捨てのようなSNSには若干の苦手感があります。ですのでTwitterもInstagramもページは持っていますがあまり利用していません。刹那的な書き捨てには違和感を感じています。

というところでFacebook、私の年代では利用率は低いようです。Facebookに限らずネット全般で。未だに携帯はガラケーでメールも禄に打てない同輩も少なくありません。私自身はそういった人達、(リタイヤ組の増えてきている年代ですが)どうやって会社生活を潜り抜けてきたのか不思議にも感じます。私自身、仕事上の必要に駆られて始めたPCです。始めた30代の頃には中小零細企業ではまだ珍しい存在でしたが、間もなく必需品となりました。PC無しの仕事など考えられません。想像ですが同輩達、PCが会社に導入された頃は管理職年代ですので、訳の分からない操作は部下後輩に任せて、虎穴に入らずに何とか逃げ切ったのでしょうか?零細企業主だった私は任せられる部下も無く、自身で憶えたのですが。そのお陰で、仕事上での表計算での生産計画作りやチラシ・値札作り等役だったのは勿論ですが、プライベートでも世界が広がりました。物理的距離は関係しませんので、遠い地に住む知人・友人もできましたし、趣味を同じくする仲間も見つけることができました。

ただこの世界、便利なことも多い反面、面倒な部分もやはり存在します。韓国に嵌り込み情報発信に励んでいた時期には、”2チャンネル”という不可思議世界に住む住人からストーカー攻撃を受け難渋した時期もありました。

さて話題を本題に戻します。Facebookです。現在日常の出来事等を書き込んでいますが、敬愛する森高千里さんファン達との楽しいやり取り、高校同期や大学部活での仲間、そして地元足利市を盛り上げるために頑張っている方々等、概して有意義に活用できていると思っています。ただFacebookには過剰サービスというか、私にとっては「余計な機能」と思える部分もあります。例えば「お友達記念日」、それは2人で祝えばよいと思います。関係ない、その片方とは関係のない、”友達の友達”まで持ち出されても・・・。私は原則シェアしません。誕生日祝いもどうかな?と思っています。Facebook友達が増えれば必然誕生日も増えます。年がら年中誕生祝をしなくてはなりません。滅多に音信のない友達との挨拶、それも必要な部分もあると思いますが、そこは年1回の新年挨拶で済ませて頂きたい。年間通してばら撒かれる儀礼的お祝いメッセージは目障りに感じる時もあります。メッセンジャーとかで個人対個人で伝えれば良いことです。

以上、ま、他愛のない”愚痴”です。真剣に悩んで迷惑に思っているわけではありません。ただひとつ、今面倒に思っていることがあります。”シェア”です。これも利用の仕方次第、便利に使える機能ではあります。ただ「乱用」は迷惑です。最近Facebookお友達になった某氏、多い時は一時に10件近くのシェアを並べます。それも多くはネトウヨ的書き込みのシェアです。内容的には同感できる記事もあり、最初は一応読んでから選択していたのですが、なんせ数が多過ぎます。今ではすべて見つけ次第非表示にしています。そして1番に不満迷惑に感じているのは、彼の書き込みはシェア”だけ”なのです。自身の文章で意見表明することは無く、すべて”シェア”です。本人それなりに意見考え方は持っているのでしょうが、「シェアだけ」というのはあまりに安易です。本人の確固たる信念にも疑惑の目を向けたい気持ちになってしまいます。そういった自覚はないのでしょうね。「同感できる有意義な意見を拡散している」との意識なのでしょうか?Facebook上だけので繋がりならば、お友達削除してお終いですが、元々オフラインでの友人から新たにFacebook友達になった人ですので、その点で面倒なのです。ま、暫くは非表示対応で済ませます。「このような投稿の表示が少なくなります」との効果を信じて。

追記:Facebookの余計なサービス、もうひとつありました。「過去の思い出をシェア」 振り返りたい気持ちもわからないではありますが、「自分の頭の中だけで振り返っていてくれ~」との思いもあります。ひとの寂しがりや一面を捉えた手法なのかも知れません。

2018年9月20日 (木)

美術館巡りドライブ

昨日は家内とドライブ、というか千葉県佐倉市まで美術館巡りに行ってきました。大学美術部で知り合った家内、特別に熱心なわけではありませんが、一応”共通の趣味”ということで時々私に付き合ってくれます。美術館同行は先月初めのルーヴル美術館展以来、次回は藤田とボナールはパスでクリムトは一緒に行くそうです。

佐倉の美術館というのは「DIC川村記念美術館」、先月8日に来たばかりです。昨年も来ていますので今回で3回目です。家内に見せたい美術館であるのと、私自身はまだ観ていない所蔵品のあることが再訪の理由です。常設展示品が目的ですので、敢えて企画展のない時期を狙ってみました。常設展ですので私は65歳割引で800円、家内は1,000円。美術館敷地内の散策路も魅力的、1度スケッチにでも来てみたいのですが、中々そういった余裕ある訪問は機会がありません。もう少し近ければ良いのですが・・・。

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東北道から圏央道経由で休憩なしで2時間半、やっぱり遠いですね。圏央道、途中まだ2車線(対面交通)部分がかなりあり、その部分は追い越しできませんので不便です。PAもありませんし。それでも前回よりは少しだけ4車線(片道2車線)部分も増えたようです。おいおい便利になってくるのでしょう。

「企画展のない時期の方が所蔵品展示が多いだろう」と予想したのですが、前回ライリー作品を展示していた部分は閉鎖中、作品数自体は増えていませんでした。ただもちろん入れ替えはあり、初めて観る作品も何点か。家内が期待していたライリー作品は展示されてありませんでした。美術館入場口前にある飯田善國作品を撮ってきました。飯田氏は我が郷土:足利市生まれ、お隣館林中学(現館林高校)出身です。美術品収集選択におけるアドヴァイザー役割を担ったそうです。

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今回の美術館訪問、家内が楽しみにしていたのはもうひとつ、美術館付随のレストランでした。かなり洒落た、そして本格的なレストランです。ランチタイム(11時から)に合わせて、美術館を半分観てからレストランに移動しました。レストランは敷地内ではありますが無料公開地域内にありますので、チケット半券に再入場スタンプを押して頂き一旦退場します。企画展のある時には、企画展イメージに合わせて特別メニューが提供されます。前回ライリー展の折には、カラフルなデザートが用意されたようです。今回は常設展ですので普通のメニューです。パスタランチをお願いしました。写真の他に自家製パン・デザートと飲み物が付きます。

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食後美術館の残り半分を観て、千葉市美術館へ移動しました。元々は佐倉市美術館か千葉県立美術館を考えていたのですが、川村記念美術館でのチラシを見て方向転換しました。千葉市美術館は千葉市中央区役所内に併設されてありました。千葉市は母の故郷、旧千葉駅前には親戚も住んでいますが、すっかり様変わりして何処が何処だか全く判りません。子供時代訪れた千葉駅(旧千葉駅)付近は、足利市より少しだけ賑やかな程度、大きな違いは感じていませんでした。

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チラシにある通りテーマは”1968年”です。1968年、私は中学3年生でした。ですのでこの時代を体感したのはほんの少し上世代ということになります。それでも中3時、時々は美術展を観に上京していましたし、TVニュース等で学生運動やフーテン・アングラ等の話題・映像は目に耳にして暮らしました。高校バス旅行では「受験生ブルース」「自衛隊に入ろう」「友よ」とかを皆で合唱したものです。本気で「夜明けは近い」と思っていた節もあります。時代ですねぇ~。浅間山荘事件はTV生中継で見ました。三里塚闘争は、あまり実感の伴わない近くて遠い世界のものでした。東大闘争を経て、私の大学入学時には学生運動は盛りを過ぎ、母校ノンポリ青学は全く平穏無事、法政や明治ではまだバリケードや立看が健在で休講も多かったようです。

美術界的には変革革命の時代だったのだと思います。異端視され世間一般からは白い目で見られる”前衛”全盛期です。私の学生時代にも、大学演劇部にはまだ天井桟敷的模倣は残っていました。家内は展示に「疲れた~」との感想でしたが、確かに気忙しい疲れる展示です。それでも、先は見えないながらも「時代を作ろう!」との熱い意気込みの感じられる、「表現すべきもの」のある、作家としては意気盛んな時代だったのだと思います。描くべき強い悩みのない、”前衛の平凡化”した現代からは、寧ろ羨ましい思いも少しは感じます。

展示で唯一撮影可だったのは赤坂のディスコ「ムゲン」の当時の館内装飾を再現したコーナーでした。赤坂ムゲンは大学生時代よく通った場所です。ただそれは1975年以降、有名なディスコではありますが、有名になり過ぎて地方からの上京お上りさん客(私もその部類でしたが)が増えて”最先端”から”観光地?”に変貌した頃でした。館内雰囲気も再現とは全く異なります。ですので名前は懐かしいですが、再現装飾に懐かしさは感じません。

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美術館巡り、次回は「藤田嗣治展」です。その前に大学美術部先輩の個展があり、そちらも上京します。

2018年9月15日 (土)

8・9月のゴルフ

PC不調時以降のゴルフです。

まずは8月14日(火曜)、盆最中のゴルフです。地元仲間でのゴルフ、ゴルフ場はいつもの「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」でした。暑いさ中、「命に関わる」ほどではないにしてもやはり暑かった~。INスタートの前半は、1度も100を切ったことのない苦手コースの割にはまあまあの「52」で乗り切りました。+3が1ホールあったものの私としては大叩きのないゴルフ、パットも「15」で上出来、ショートを除く7ホール中6ホールでフェアウェイ維持、いいんじゃないですか~! という展開からご想像通り、OUT後半は暑さもピーク、風もほぼ無し、集中力が続きません。パーパットも緊張感無く(´;ω;`)ウゥゥ「ボギーでいいや」と思っているからWボギーになる・・・。上がりの2ホールはトリプルトリプル、耐えていた最後でOBも飛び出し「55」、やはり今回も100を切れない「107」で終了でした。

ゴルフ場でひとっ風呂浴びてからメンバーのひとりの自宅に直行、久し振りの麻雀です。初めての全自動麻雀卓、こりゃ便利です。学生時代大学の周囲は麻雀屋だらけ、部活仲間での定例麻雀大会もありました。時は流れ現在、大学周囲に麻雀屋は1軒もありません。地元に戻ってから何回か卓を囲んだものの、ここ10年ばかりは全く途絶えていました。符の数え方も忘れました。それでも打つ内に感覚も戻り、半荘4回の内2回でトップを取り総合でもトップでした。ゴルフと異なり好調の麻雀でした。終わり良ければすべて良し、です。

続いては8月26日(日)、高校同期3人で周った「レイクウッドゴルフクラブ富岡コース」、景色の綺麗なコースですがやたら池が多い。今回で3回目ですが、前回(4年前)は池に嵌りまくって大叩きの「124」でした。今回も池プレッシャーに弱く、スタートホールティーショットでトップしていきなりの池ポチャ。トリプルトリプルのスタートながらショートでの1オン1パットのバーディもあり、ボギーにまとめて前半ブルーコースは上出来「48」でした。後半はゴールドコース、やはりトリプルスタートでしたがその後はボギーで収めていたのですが、5ホール目で遂にやっちゃいました。ラフからの2打目は当たりは良かったものの右ラフの木に当たり右手前奥へ跳ね返り、更に3打目も木に直撃、打った位置よりも戻されて・・・。結局ロングのこのホール+6の「11」、気落ちしての連続トリプルも出て「57」で計「105」、これでもこのコースでは1番良いスコア。

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富岡からの帰途、出来たばかりの「佐野強戸PA」に立ち寄ってみました。パーキングの少ない北関東道路待望のPAです。レストランもGスタンドもあります。ETCがあれば出入りもできます。施設の両側に駐車場のある、上り下り兼用PAです。できたばかりですので観光バスで立ち寄るお客さんが多かったですね。以前は東北道の佐野SAに利用客が集中、混み合いましたのでこれで多少は分散しますね。

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直近ゴルフは9月9日(日)の高校同窓会ゴルフです。”生存確認”のために毎年開催とした同窓会も今回で11回目です。今年も2名の仲間の旅立ちが報告され、会初頭に黙祷を捧げました。皆64~65歳、それぞれに問題を抱えた方も多く、私も他人事じゃありません。男性の健康寿命(寝たきりでない)は平均で71~72歳です、動ける内にやりたいことはやっておきましょう。リタイアした人も年々増えていますが、「これで追々ゆっくりと~」とか考えている間はありません。出欠返信でも、体調の関係で欠席の方も数人見受けられます。ゴルフ会参加者は少なく7名でしたが、出来る内にやっておいた方が良いのに・・・と思います。

ゴルフ場は市内中心部から(河川敷コースを除いて)1番近い「足利城ゴルフ倶楽部」です。「足利城」というくらいですから昔々は城(時代が古いですので山城です。”砦”と言った方が近いかも)のあった地域です。最初は藤原姓足利氏、後に源姓足利氏(足利尊氏の祖先)、戦国時代には山之内上杉氏の家臣長尾氏が領有した城です。藤原姓足利氏は源姓足利氏との争奪に破れ東北に逃れます。別名「両崖山城(りょうがいさんじょう)」ですが、「両崖」は「要害」のなまったものとの説もあります。そんな要害の地ですので崖を挟んだ両側に張り付いたフェアウェイが狭くアップダウンのあるゴルフ場です。

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7名の内1人はその夜の同窓会を欠席ですので、会費無し賞品なし扱いですが、なんと、その1人が優勝してしまいました。よって2位が繰り上げ優勝となります。繰り上げ優勝と準優勝の2人がニアピン・ドラコン・ベスグロを独占、賞品をごっそり持ち帰りました。幹事であり賞品を用意した私はOB連発の「111」でBM、つまり最下位でした・・・。残念。

そのゴルフ場プレー中での会話ですが、「地球温暖化」が話題となりました。ひとりが「温暖化は太平洋高気圧、自然現象だから仕方ない」と、排ガス等での温室ガス効果を全否定するのです。これは意外でした。トランプ米国大統領と同じですが、トランプ氏の場合は実際にそう信じているのではなく、自国利害優先での政治的発言と思っていました。しかし身近にパリ協定的考え方を否定する人間が居たとは・・・。そういった確固たる説もあるのでしょうか?ちょっと判らなくなりました。

東京オリンピックに関して、「時期をずらして暑い夏を避ければ良い」との発言をしばしば耳にします。私はこの考え方には大反対です。主題はすでにOPではなくなっていると思っています。より大事なのは、一時期酷暑の東京に滞在する選手達ではなく、これからもずっとその地に住み続ける人間、日本人だと思うのです。「命に関わる暑さ」「酷暑」はすでに、今年の局地的大雨・台風・地震、同様、すでに災害の域に達していると思います。このまま放置すれば本当に(今でもですが)人の、特筆すれば北関東人の「命に関わって」きます。北関東の酷暑の要因のひとつは”東京の熱波”です。アスファルト・コンクリートで熱せられた熱、そして冷房排気熱は、上空に巻き上げられ北関東を熱します。まずは「東京を冷やす」政策が必要だと思うのです。道路の耐熱塗装はだいぶ以前に開発されています。しかしかかる費用が高いために実用化に至らずに来ました。その実用化を提言した都知事の発言に対しては、「たった1度のマラソンのために」と「無駄使い」と断じる論調があります。マラソンは「たった1度(男女合わせれば2度ですが)」でも、前述の通り我々はOP後もこの地に住み続けるのです。命の危険を冒して。耐熱塗装もミストシャワーも、また排熱の少ない冷房装置とか、1964年の東京OPが高速道路や新幹線を”OP遺産”として残したように、2020年のOPでも、酷暑対策をOP遺産として残して欲しいと思っています。一部でも研究・実用化が進めば、コストダウンやより効果の期待できる対策の進展にも繋がると思うのです。そのためには「酷暑の東京OP」は、その切欠としなければならないのです。

夕6時からは市内のイタリアンレストランでの同窓会となります。同期旧5組と6組との合同同窓会ですが、今回は旧1組からも1人出席、来年からは3クラス合同を予定しています。仲間は多い方が楽しい!会場のレストランは1年ちょっと前にできた新しい店です。安くて美味しい。元々は他の店で決まりかけていたのですが、たまたま家族で入って美味しさに感激、その場で会場変更を決めてしまいました。足利市朝倉町の「MONA」という店です。65歳前後のオヤジ達には少々不似合いな店ですが、美味しけりゃ文句も出ないでしょう。

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店のメニュー、私のお勧めは「バーニャカウダ」です。イタリア・ピエモンテ州を代表する料理、アンチョビ・ニンニク・オリーブオイル等を混ぜ合わせた暖かいディップソースに野菜を付けて食べる、フォンデュに似たメニューですが、私の少ない経験の中ではこちらのバーニャカウダが1番です!ただ、周りを見渡すと食している人が少なかった。後で考えたら、世代的に料理認知が無く、食べ方も美味しさも知らない人がほとんどだったのかも知れません。う~~む。

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恩師も含めて出席者は22名、新しい参加者、久々の参加者も数名居たのですが、常連拝欠席もあり昨年(20名)とあまり変わらない人数となりました。ただ、リタイア年代ですので来年からの出席を匂わせる返信もいくつかあり、来年は人数が増えるかも知れません。また、人数はほぼ同じでも顔ぶれが異なれば話題も増えます。他のメンバーは知らず、私はいつも以上に話題豊富に楽しく過ごしました。翌日が月曜日だったこともあり、2次会は4人だけでしたが、こちらも楽しく飲みました。さて鬼を笑わせましょう。来年のためにクラス名簿のない旧1組の連絡先を確認しなければなりません。1年かけて芋蔓探索しようと思っています。同窓会企画も、すでに私の”趣味”のひとつになりつつあります。

2018年9月 6日 (木)

絵画、グループ展

今日の大谷君、その後にHR2本!5打席4打数4安打1四球2HR3打点1盗塁、まるで漫画、凄過ぎ。これで日本人選手メジャーデビュー年最多本塁打数(18本)に並びました。同数1位は城島だけど大谷君の2倍位の試合数を要しての本塁打数です。普通に打者専門で出場していれば、本塁打王も狙える立場だったかも知れないですね。Σ(・□・;) ただ、トミージョン手術を受けるとすれば、大谷君の記録も止まってしまいます。残念・・・・・。

さて、niftyマイページへの入室不可に続くPC不調、結果3週間程度ココログに書き込めない期間ができてしまいました。その間は主に絵画制作に没頭、東京の美術館へも行きました。「ルーヴル美術館展(国立新美術館)」「空山基新作個展(NANZUKA)」「「宇佐美圭司展(南天子画廊)」「ますむらひろしの北斎展(すみだ北斎美術館)」「ミケランジョロと理想の体(国立西洋美術館)」

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ついでにスカイツリーにも昇ってきました。あ、これ、1回の上京ではありません。

ここのところ、川村記念美術館やルドン展など刺激的な展示会が続きましたので、そのせいか少々印象は薄くなっています。空山基が多少印象深かったかな。一番の期待外れはルーヴル、やはり時代感覚なのか、感心はしても感激はできませんでした。名画とは、頭では理解できても感情移入できない部分が多くて・・・。今回はテーマも地味でしたしね。唯一興味を惹かれたのはエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランという女性画家でした。マリー・アントワネットを描いた画家として知られますが、アントワネット妃とは画家と顧客を超えた”友人”であったとも言われます。ま、興味の一番のポイントは”美人画家”だったという点ですが・・・。こんな感じ↓ 2011年に東京で展覧会があったとか。観たかったなぁ。

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この期間、個人的に一番のイベントは東京でのグループ展出品でした。大学生時代は美術部に所属、ろくに授業にも出ず部室に入り浸りでした。そんな時期、「卒業後も絵を描き続けよう」との趣旨で会を作ろうと、芝浦工大・上智大の現役&OB数名で話が持ち上がりました。合同展を開催した経緯もあり、芝浦工大の顔見知り知人から我が青学美術部にも勧誘があり、私を含めた2名が参加することになりました。参加者所属大学の顔触れは、芝浦工大・上智大・青学大の他に東京工大・早稲田大・日大・共立女子大・聖心女子大等々でした。会名を決める集会に集まったのがたまたま23人だったことから安易に「23人の会」と名付けられた会は、代々木の画廊(確か「オーハシ画廊」だったかと)で第1回展を開催、そのままなんと43年続き、今年は第45回展を開催(初期、年2回開催したので回数がずれてます)する運びとなりました。

私自身は、最初の6~7回は出品したものの、地元に戻ってからはたまに例会・飲み会に参加する半幽霊会員となっていました。絵画制作も長年滞っていました。それが昨年6月からパステル画を描くようになり、その後アクリル・油彩も再開しています。半幽霊会員ながら滞りなく会費を納めていたこともあり、昨年夏の44回展に久々の復活参加を遂げ、今回が復帰2回目の出品になります。

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今回の出品作はすべてパステル画、静物2点に渡良瀬川を描いた風景画1点です。昨年に比べるとやや自由さは出てきていますが、まだ硬さが見えますし、テーマ意識が薄いですね。それでもこの展示会時期で再開から1年と2ヶ月、ようやく描きたいテーマがちらちらと見え隠れするようになってきました。出品時にはすでに新しい方向に描き始めていました。次回展示会ではかなりイメージの異なる作品となっていると思います。

期間中、大学先輩や後輩にもお出かけ頂きました。地方在住のため会場に常駐できませんので、お会いできなかった方々、申し訳ありません。会期中には東京在住高校同級生との飲み会も実施でき、滅多にお会いできない会のメンバーとも楽しく過ごせました。43年も経っていますので脱退者・途中入会者もあり顔触れは変わってはいますが、結成呼びかけの芝浦工大・上智大メンバーの残存率はかなり高率です。我が青学大メンバー2名も共に昨年から復帰、健在です。高齢化もありこの先何年続くかは判りませんが、会を支えて頂いた古参メンバーには感謝しきりです。

最後に現在の作品制作状況を少々。パステル画完成が1点、パステル画制作中が2点、油彩画制作中が4点、アクリル画制作中が1点、その他地塗り済みキャンバスが2枚あります。1点1点描いて行けば良いのでしょうが、取り敢えず始めてしまわないとイメージが失われてしまいます。昔も並行作画が多かったですが、更に枚数が増えています。来月の大学OBOG展に1展出品(制作中の油彩画)、足利市美術協会公募展に出品(作品未定)、来年2月には代表を務めるパステル画会の展示会も予定しています。何処か公募展にも出してみたいですし、その内には地元での個展もやりたい。あと、来年秋頃には東京での4人展も企画しています。

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上左は完成パステル作品、中は少し前のアトリエ室状況、描きかけ作品はそれぞれ進展しています。右が中写真左下作品の現状、これでもまだ6~7割です。さ、アトリエに戻ります。

PC不調からの回復。

ここ2週間ばかりPCが不調に陥りログインできませんでした。パスワードを入れる画面までは出るのですが、パスワード入力後は真っ暗に・・・。原因不明。少し前にもniftyマイページに入れないトラブルがあり、その時はnifty対応で解決しました。そのトラブルを機会に「@niftyまかせて365」というサービスに入会していたので、そちらに相談しようと思いながら数日を無為にすごしてしまい、数日前にようやく電話しました。状況を確認するために久し振りにPCの電源を入れて・・・、と、ところが、電話が繋がった途端にPCも繋がり、「あ、あの、・・・PC不調でご相談しようと電話したのですが、今、あの、え~~と回復しそうなので、確認後ダメでしたらまたかけ直します。スミマセン。」  その後無事開通。おそらく、マイPC、何か無駄な動きを続けていて、暫く接続しなかった間に自己解決したのだろう。取り敢えずは解決、でもどうも最近時々不調に陥ります。購入後4年、PCも消費家電時代ですのでそろそろ買い替えを考えないといけないでしょう。DELLに見積もりを依頼、買い替え準備に入っています。

PC不調の間に、故障者リスト入りしていた大谷君が打者として復帰、現地時間日曜日には投手としても復帰登板、HR1本を打たれはしたものの49球を投げまずまずの様子で安心したのも束の間、今朝には「精密検査の結果肘の腱に断裂が発見」され、トミージョン手術するかどうか判断を要する状況になっているとか。一難去ってまた一難。現在テキサスに遠征中ですのでロスに戻って医師と相談してからの決断になるらしいですが、手術をすれば投手としての復帰までは1年を要するとか。若いので手術した方が良いようなのですが、本人の決断次第です。取り敢えず今日はDHで出場、今のところ1安打1四球。

大谷君の試合が終わったら、PC不調の間の出来事を書き込みます。

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