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2020年11月16日 (月)

最近読んだ本「現代アート~」「アノニム」

「現代アートをたのしむ」 原田マハ 高橋瑞木 祥伝社新書Img_20201112_204637

 

お馴染み原田マハと、仲良しらしい、香港CHATエグゼクティブディレクター兼チーフキュレーターの高橋瑞木の共著。一般に取っ付き難いと言われる現代アートを紹介、その「距離を縮める」現代アートガイダンス。なるほどマハらしい、判り易い解説書だとは思いますが、さすが初めて聞くアーティスト名も多く、作品を観たことのない作家も。その点「ゴッホのあしあと」「いちまいの絵」のようにはすんなりと頭に入ってきません。即座に2度読みしました。50年前の高校生時代から草間彌生の存在は知っていましたし、ウォーホルやデュシャン、リキテンシュタインには胸躍る想いもあり、比較的現代美術に接してきた、と自負していた私も自信過剰だったと反省しました。「印象派は好きだけど現代美術は・・・・」との方々には、これ1冊で理解するのは難しいと思います。それでも、興味を抱く出発点としてはよくできた本だと思います。

「現代アート」は「コンテンポラリー・アート」の訳です。つまりは「同時代の~」という意味。ダヴィンチは500年前の、ゴッホは100年前の「現代アート」を描いていたわけです。ゴッホは生前認められなかったわけですが、現代人は「何故だろう?」と疑問に感じる。しかしその現代人も、同時代のアートには首を傾げます。同じなんですね。人間”過去”は見える、しかし身を置く”現代”は見える部分が多過ぎて俯瞰できない、余計なこまごまとしたものまで見てしまうので要約できません。しかし客観的に理解できなくても”感じる”部分はあるはずです。

時代のアーティスト達は「絵とは何か?」という命題に常に悩まされてきました。写真機の現れた時期の印象派の画家達にとっては特に。ピカソは「アヴィニョンの娘たち」を描くことで「綺麗・美しい」という概念にも疑問を呈しました。私も時に考えます、美しい女性を描いた絵、可愛らしい子供を描いた絵、その作品の価値は、描かれた女性・可愛らしい子供なのか?描いた作家自身には価値があるのか?美を写すだけでは模写にしかなりません。コピーです。

印象派の画家達も、ピカソもデュシャンもポロックも「絵とか何か?」「アートとは?」との命題に立ち向かい、概念を崩し新しい世界を築き上げてきました。その破壊と創造は今も続いています。17歳の高校生時代に学校祭で「ピカソ研究」をテーマとしました。(生誕90周年でした)そしてその偉大さに初めて気付きました。と同時に不安にもなりました。同時代に生きるピカソは常に変遷し、ネットの無いその時代に「ピカソの今」を知ることはできませんでした。1973年4月、ピカソの死を知り寧ろ安心しました。「これでピカソを辿ることができる、追い付ける」と。

時代を辿り変遷・変貌する現代アート、それを展望し理解することには結構熱意と努力を要します。しかしそれは同時代に生きる故にできること。私たち達は皆、今の時代のアートの目撃者・検証者です。過去の偉大な画家たちの作品を鑑賞することも、もちろん意義あることです。しかし今を生きる私たちにしかできない、観られない、感じられないこともあるのだと、この本を読みながら感じました。「時代の証人に」なれると。

 

「アノニム」原田マハ 角川文庫Img_20201116_160213

 

近頃「?」な思いもありながら、それなりに嵌り込んでいる原田マハ作品、芸術系作品をメインに読んでいますので、”ジャクソン・ポロック”との名を見て迷わず買ってしまいました。高校時代に読んだ「芸術新潮」での記事だったと思います。テーマは「天才」でした。マティスの系譜を継ぐのがイヴ・クライン、ピカソを継ぐのがジャクソン・ポロックと、何方かが書いていました。高校大学時代、クラインもポロックもステラもウォーホルもヴァザルリ、サム・フランシスも、私にとっては”アイドル”でした。

そんな名を記した作品、もう序盤で失望を感じましたが、最後まで読みました。序盤の失望は「私の期待した作品では無い」、読後の感想は「酷過ぎる、凡作の域にも達していない」でした。全く呆れます。

原田マハ芸術系作品に対する私の期待は、主題となるアーティストの人生を、原田マハの感性を通して蘇らせてくれること、です。高橋瑞木との共著「現代アートをたのしむ」でも、「ともすると、あまりにも特殊な人間だと思いすぎてしまうことはあるかもしれない。~でも、ゴッホだって~私たちと違わない、同じ人間なんですよね」「『ジヴェルニーの食卓』は、まさにその視点で書いたんですよ」とあります。私が嵌った切っ掛けはまさに「ジヴェルニーの食卓」でした。そして「太陽の棘」も傑作でした。「リーチ先生」も面白かった。「モダン」「ロマンシエ」も、少し別路線ですが楽しめました。一方、「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」は、私の望む路線ではありませんでしたが、サスペンスとしては良く出来た作品だと思います。

そして今回の「アノニム」、アルコール依存症とプレッシャーの中で、自死も疑われる自動車事故で44歳の生涯を閉じた、ピカソにも比較される抽象表現画家、この興味深いアーティストの生涯に関してはほとんど描かれていません。そして”サスペンス”部分でも、観るべき場所もない駄作でした。主人公達に都合の良い条件・展開ばかりを羅列した、二流漫画家でも書きそうにない設定、すべての情報を持つスーパースター達が、失敗のしようの無いお気楽犯罪に挑む、ってか?鑑定の基準にも達しないであろう偽作を得て納得するはずもない標的者、世界的オークションに出品されて美術界住人なら誰でも作者の見当の付く作品が「作者不詳」で通用する?どれもこれもあり得ないお伽噺です。出版した出版社にも、文庫化した角川文庫にも、その姿勢を疑います。

原田マハの芸術系作品、「美しき愚か者たちのタブロー」は文庫化されれば読むつもりです。その他作品に関しては、無条件で買うことなく、ぱらぱら読みしてから注意深く判断しようと思っています。マハ離れも、そう遠いことではないかも知れません。というか、これだけの駄作を読まされながらも、まだ読む気が自身に残っていることの方が驚きです。

 

この2冊に共通しているのが”香港”です。高橋瑞木は香港「CHAT」のエグゼクティブディレクター、「現代アートを楽しむ」の中でも、最近の香港での騒ぎ(「逃亡犯条例」制定に関する)にも触れています。「アノニム」の方では、一国二制度の維持と民主化を求める学生運動が描かれています。作品の描かれた2017年段階で2020年の香港を想像するのは難しいでしょうが、その点でも、「かすかな希望を残して、運動はいったん終結した」と、作者の展望の甘かったことを示してしまいました。また、作品中で登場するメガミュージアム企画は、実際に「視覚文化美術館M+」として今年末には開館予定となっています。

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