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2021年3月12日 (金)

東日本大震災から10年が経ちました。

あの大震災から10年になりました。「もう」なのか「まだ」なのかはその方の記憶・経験により様々なのだと思います。
 
”その時”は遅い昼食で会社近くの食堂に居ました。テーブル上のグラスが、倒れもせずに振動ですべて零れ散りました。激しい揺れでしたが、何かが倒れるとか壊れるとかの被害は無く、立ち戻った会社でも、棚の書類が崩れた程度で目立った被害はありませんでした。東北での大きな被害を知ったのは帰宅後、仙台の親戚の無事は確認できたものの、気仙沼に住む家内のお姉さん一家とは連絡が取れません。夜遅くになり、気仙沼市役所に努める甥の無事がツイッターで間接的にですが確認でき、翌々日には全員の無事が確認できました。
 
1か月後、東北道が暫定開通すると同時に、水ペットボトルや食料・果物・震災直後1週間の新聞(現地ではTV新聞情報は途絶えていました)を積み、4WD車で気仙沼に向いました。燃料ガソリンも携行缶に備え積み込みます。速度制限の上限定開通した東北道を走る車は自衛隊車ばかりでした。栃木北部からは路面にうねりが残り、応急補修した箇所も目立ちます。仙台を過ぎての海岸方面は不通ヶ所が多く直接には向かえません。初日は内陸の古川に宿を取りました。宿泊したホテルも前日まで停電していたそうです。近隣宿の半数は休業していますので、各地から集まった瓦礫処理の土木関連業者で混み合っていました。ホテル調理場は停止していましたが、何軒かの食堂は営業していて夕食を取ることはできました。
 
翌朝気仙沼に向いました。市内でも高台になっている内陸部に変化は見られません。しかし海抜の低い海側になると景色が一変します。メイン道路のみ片付けられていますが、その両側には瓦礫が積み上げられ、SF映画を見るようで現実感が希薄になります。カメラは持って出たのですが、瓦礫にシャッターを切る勇気が持てませんでした。
     
家内のお姉さんは気仙沼湾の先、突き出た半島先端の神社に嫁いでいます。市内繁華街から抜けた海岸線の景色は更に一変します。瓦礫が全く無いのです。この地域にあった建物が、瓦礫となって市内に押し寄せたわけです。ほとんどが更地、造成途上の新興住宅地のような風景が広がります。初めてこの地を訪れた方には、被害の実態が掴めないかも知れません。しかし以前の景色を知るものにとっては、信じられないほどの変化です。外壁も何もない宅地跡に、洋式便器だけが取り残されている景色には唖然とさせられました。
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お姉さんは当日、孫と一緒に自宅に居たそうです。激しい揺れの後見晴らす海に白壁が立ち、数メートル高台の神社に避難、賽銭箱の陰で打ち寄せる波を見ていたとか。津波は鳥居の寸前で左右に分かれたそうです。文久元年の大津波を体験した神社は、津波の到達点を知っていたのです。高台にある神社とその後ろの数件だけが残り、前後左右の集落はすべて波に浚われました。自宅も屋根壁面を残したまま、家具もソファもピアノも流されがらんどうになりました。
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自宅新築前は神社付随の住居で生活していましたので、基本的な生活設備は整っています。直後は避難所に避難したものの神社に戻っています。何者かの侵入した形跡があり、留守にすることができなくなったのです。神社には救援物資は届きません。

家内は大学卒業後に一時、女川の小学校で教師をしていました。その縁で女川にも何度か訪れています。震災後も2度、家内と共に訪れ宿泊しました。高台造成途上で市内での宿泊設備は設置許可が降りず、移動可能なトレーラーハウスに泊まりました。同じ宿泊所に泊まりながら、1度目と2度目では住所が異なっています。当時の家内の同僚友人は、すべて他地域に転任となっていましたので、皆無事でした。あれだけの被害の中で、親戚・友人に誰ひとり怪我も無かったことは奇跡とも思えます。
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私自身にも、震災の影響はありました。震度5弱で近隣でも比較的被害の少なかった地域です。家業はパン製造販売で学校給食も請け負っていました。市内では最も規模・歴史を持つ地元業者でした。計画停電等での苦労はあったものの、直接の被害は何もないはずでした。
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それが震災数週間後に突然ボイラーが停止しました。ひと月後にはPCが作動せず更新。そして夏過ぎ、工場内で一番大きな設備、分割成型機に不都合が出ました。それぞれ、経年劣化はしていたのですが、震災での揺れが劣化を速めたようです。共に修理は利かず購入となり、予定外の出費が合計で2,000数百万円となりました。銀行からの融資で賄った金額ですので、震災後の不況で売り上げは伸びず、融資返済で経営は圧迫されることとなります。1910年の創業、104年続いた会社は、四代目の私が閉める役割を担うこととなりました。震災の3年後でした。

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