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2024年2月11日 (日)

最近読んだ本『虞美人草』『82年生~』『紫式部~』

『虞美人草』夏目漱石 旺文社文庫 1968年20240207_081752

 

夏目漱石を読んだのは何年振りだろう? 一生懸命読んでいたのは中学・高校時代なので52~57年ほど昔ということになります。その後にもぽつりぽつりとは読んだと思うのですが、はっきりした記憶はありません。 

漱石が『虞美人草』を書いたのは1907年、『坊ちゃん』『草枕』と同じ年です。1905年には『吾輩は猫である』を、1908年には『三四郎』を書いています。前後作品と比べて文体がやや漢語調で装飾過剰、特に前半は漱石らしくなく古臭く感じます。前後作品の方が読み易いので、時代変遷ではないはず。何故この作品だけ文調が異なるのか判りません。解説を担当した英文学者・海老池俊治は「遺憾ながら一種の出来損ない」とまで書いています。また、教養を持ち時代の「新しい女性像」藤尾を貶め、控えめな糸子・小夜子を持ち上げる、「漱石も明治人」なのだと、尤もながら再確認することになります。ストーリーも型に嵌った堅苦しさを感じます。 

虞美人はご存じ通り楚の将軍項羽の愛姫で虞美人草はヒナゲシ、「虞美人草」と「ヒナゲシ」とでは随分と語感が異なりますね。 

中学時代の最後、高校入試前日に自宅が火事に遭っていますので、中学時代の本は1冊も残っていません。新潮・角川がメインでしたが、文豪作家のものは少し高い旺文社文庫で買っていました。旺文社文庫はハードカバーで小さいながら函入りでした。ページ末に字句解説も付いています。旺文社には「中一時代」などの時代シリーズ学習雑誌や全国模試、大学受験ラジオ講座でお世話になりました。 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳 ちくま文庫 2023年(2018年筑摩書房)20240209_102719

 

 この文庫本の出た時点だと思うのですが、韓国で136万部、日本で23万部という大ベストセラー本です。榎本マリコのシュールっぽい表紙も目立ちます。

 男優先の時代を活きたある女性の33歳から物語は始まります。ある日突然、キム・ジヨンは自身の母に、その後には大学の先輩に、憑依したかのように他人格となって話し行動し始めます。驚き戸惑った夫チョン・デヒョンは妻を精神科医に連れて行きます。そして物語は1982年に戻り、キム・ジヨンの成長過程を描き出します。 

ジェンダーの問題が、社会生活上での男女格差の問われる時代です。日本よりやや男性優先意識の強い韓国、しかしその差は明らかな場面もありますが、隔絶したほどの差はありません。私自身韓国が好きで頻繁に訪れた時期もあり(20回訪韓しています)、韓国関連の書物、歴史ものや呉善花やら黒田福美やら、一般日本人よりはかなり多く読み知識も多いと自認しています。 

そんな近くて遠い、似てまた非なる国でのジェンダー意識を、特別でなく「ごく普通な」韓国女性の30年余りを描いて、韓国で多くの共感を得た作品です。非常非常識な差別でも極端な男尊女卑でもなく、普通の社会生活上にある、少し前なら日本でも「常識内」にあった性差別を描いたことで、より身近に意識することができたのでしょう。現在70歳の私の家事・育児を「手伝う」との意識、私の世代ではそれでも「良き夫・父親」範囲内に入っていたと思っていたのですが、娘世代には否定されます。「手伝う」と言う意識自体「家事・育児は女の仕事」との前提で出てしまう言葉ですから…。男としては身につまされる部分もある作品です。 

 

 

『紫式部日記・和泉式部日記』与謝野晶子訳 角川ソフィア文庫 2023年20240131_1950342

 

 読み終わりました。さほど面白くはない。訳した本文よりも、訳者の書いた「自序」「紫式部考」が作品を作者を知る上で興味深いものとなっています。 

『紫式部日記』は「文学」というより「記録」なのだろう。日々の行事・できごとを、貴人や女房の衣装装束までこまごまと記しています。文章としての滑らかさよりも、創作の資料として残している風に感じました。それ故、当時の風俗を記録した資料として価値あるものとされているようです。 

『和泉式部日記』はそれに比べるとやや「小説」的要素もあります。「私」ではなく「和泉」と、第三者の立場として書かれています。「和泉」との主語は与謝野晶子での意訳部分も多いらしい。小説的要素もあるにしても、その要素は源氏とは比較のしようもない程狭い。師の宮と和泉式部との二人のやり取りが大部分を占めます。正直言って飽きます。やはり日記文学は『更級日記』が(読んだ中では)1番内容があるように感じています。 

瀬戸内寂聴版『源氏物語』は「巻九」まで読み終わっているのですが、「巻十」が「入荷待ち」で10日待たされ未だ連絡が入りません。NHK大河影響で売れて在庫が切れたのかも知れません。前もって買っておけば良かった。

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姿を見なくなっていた谷崎潤一郎訳『源氏物語』が、本棚整理中に「巻二」だけ出てきました。中公文庫1973年初版です。大学生時代に読み、就職時に実家に送ったのだと思います。残りも何処かにあるのか紛失したのか判りません。先の瀬戸内版入荷待ちと対照的に、少し前は古本でしか手に入らなかった与謝野晶子版・谷崎潤一郎版が買えるようになっていました。大河人気での復刻なのでしょうか?谷崎版は挿画作家が豪華です。

2024年2月10日 (土)

2024年も2月になりました。

2024年もひと月と10日が経過しました。新年早々の「足利展(足利市立美術館)」に1点出展《飲み過ぎたあの日》F30号油彩、新しい年の活動をスタートしました。美術館は外壁補修中で外見は見栄えが悪い。

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通信美大授業でも油彩を描きました。F15号を2枚、2日間で描きます。通常創作ではできませんが授業では可能、というかやらざるを得ない。強制される集中力も美大入学のメリットなのでしょう。描くテーマや規制も授業ならではです。自らの製作では、好きなモノしか描きませんしいつもの同じ描法で描いてしまいます。気が進まず無理やりやらさせるのも経験、目覚めの可能性を高める効果もあるのでしょう。ZOOM遠隔授業でしたが、自分で設営した静物を初日はキュビスム的(多視点・形体構成)に、2日目はフォービスム的(単視点・色彩構成)に描きます。キュビスムの方は色数制限もありました。

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昨年12月の授業なのですが、「静物構成」の授業での作品も載せておきます。4日間合計2単位、最初の2日間でコラージュ作品を作ります。自身の身近なモノの写真を集めることが事前課題でした。最初の3枚がその1部です。出来上がったコラージュ作品を、1週置いた後の2日間で油彩に描きます。油彩は「できるだけ正確に写す」ことがテーマです。画面を64分割してコマ毎に手描きコピーします。

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今現在展示中の作品もあります。ひとつは小さな展示会ですが公民館での文化展です。月1回開かれている裸婦デッサン会、その会場にお借りしている公民館です。もう一つは「国立新美術館」での「全日本アートサロン絵画大賞展」です。公民館での《記念日の花束》F6号は今年の、国立新美の方は昨年秋の搬入でしたので昨年の作品になります。審査を経て8日から展示されています。

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美大3年目も年度末、実技スクーリングは終了、レポート提出があと1本か2本。最初の2年間は芸術学コースでしたので洋画コース2年目が4月から始まります。展示会は4月に大学OBOG展があります。大きいのは6月の「蒼騎展」ですね。まだ構想段階ですがF50号を予定しています。

 

2024年2月 5日 (月)

最近読んだ本『ノボさん』『すべて真夜中の~』『イメージを~』

『ノボさん』伊集院 静 講談社文庫上下巻 2016年(2013年講談社)20231121_095055

 

正岡子規の半生を描いた作品。夏目漱石との交流をも書いていますが「小説 正岡子規と夏目漱石」との副題で想像するほどには漱石に重点は置かれていません。あくまで主役は子規で、その最も親しく重要な友として漱石が登場しています。題名の「ノボさん」は子規の幼名「升(のぼる)」からきています。

小説は一校時代の、ベースボールに夢中になった子規の姿から始まりその死で終わります。疾風の如くに駆け抜けた34年間でした。「打者」「走者」「四球」など、現在も使われている野球用語の多くを翻訳創作しています。(「野球」は違うらしい)

伊集院静の筆は、隠居の手慰みだった「俳句」を文学の域の高めた功績に留まらず、ひとりの明治人、「ひと」としての正岡子規を愛情込めて描いています。読後には、その距離感はかなり縮まった感があります。また、結核菌が引き起こした脊椎カリエスでの病態も克明に描かれ、壮絶な描写に後ずさりしてしまいます。

 

 

『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子 講談社文庫 2014年(2022年第43刷/2011年講談社)20231121_095247

  

川上未映子2冊目ですが、前読の芥川賞受賞作『乳と卵』より3割増しで良かったと感じています。刷数を重ねているだけのことはあります。ま、刷数は「売れた」というだけで、必ずしも作品の質と一致するわけではありませんが。

ひとと接すること、一般社会でのコミュニケーション力に不安のある主人公、出版物の誤字脱字、間違いを探す校閲者として働いています。仕事は基本的には単独行動ですが、会社に勤める以上接する社員同士の社会関係はあります。それが上手く出来ずにストレスを抱える主人公は、仕事上の知人からの紹介を切っ掛けに会社を辞め、「フリーランス」として仕事を続けることにします。買い物など必要最小限以外ではほとんど他人と接することの無い生活が始まります。

たまに繁華街に出ても、遊び方も判らずウインドウショッピングすら気楽に楽しめない。そんな主人公がひょんなことから年上の中年男性と知り合い、恋心を抱く、そんなお話しです。

私自身、主人公ほどではありませんが世間話が苦手、普通に社会生活の送れる範囲内ではありますが、コミュニケーション力は劣る部分があります。その分共感できる範囲は広いかも知れません。結末ネタバレはしませんが、現実的に納得できる、しかも部分的には安心もできる収め方になっています。芥川賞から3年後でこの安定感、最近の作品も読んでみたくなりました。

 

 

『イメージを読む』若桑みどり ちくま学芸文庫2005年(2021年第13刷-1993年筑摩書房)20231010_091532

 

若桑みどりの著作を読むのはこれが3冊目になります。千葉大学教養部での「美術史」、4日間に渡る講義を纏めて文書化したものです。美術を専門にする学生向けでない点で判り易く、それでいて美術史の原則を外さない興味深い内容となっています。

中学生時代の歴史の授業で、「ナポレオンが生まれたからこの時代になったのでは無い、この時代だからナポレオンが生まれたのだ」と習い歴史が好きになりました。同様に、美術も時代から離れることはできません。必ずある時代・ある社会・ある文化の中で生み出されます。この本はその、芸術作品の創造された背景を探る「イコノロジー(図像解釈学)」を学ぶ美術史入門書です。

この本を読んで初めて知ったこと、ルネサンス・マニエリスム等の言葉の意味です。芸術様式の初期段階をプリミティヴ、完璧な様式を完成させた時代をルネサンス、技巧が洗練されワンパターン化してくるのがマニエリスム、と表現されているのだそうです。また、著者の書く「芸術の価値のひとつは、それがどれだけ人間にとって普遍的な真実をふくんでいるか、という点にあると思います」との言葉が印象的でした。

初めて読んだ若桑みどり著作は『クアトロ・ラガッツイ』でした。信長・秀吉の時代、九州の大名がローマに送り出した「天正少年使節」を描いた小説です。くどくどと煩わしく、なんとか読み切ったものの即座にBOOK OFF 行きとなった作品です。切っ掛けが無ければ二度と読まない作家だったでしょう。切っ掛けは通信美大(現役学生です)での参考文献に著作名があったことでした。『絵画を読む』との本でした。この本で著者が小説家では無く「学者」であることを知りました。『クワトロ~』でのくどくどしさは学者故の拘りだったのでしょう。その流れで本作も読むことになりました。芸術系では、まだ読みたい本もあります。2007年に71歳で亡くなられています。51qmppeol

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