新しい年、2023年を迎えました。令和も5年になるのに、未だしっくりきません。
12月30日には我が家恒例の歳末ゴルフ、2012年から始まりましたので10年になります。2010年までは大晦日31日の開催でした。昨年から30日に変更しています。2012年大晦日、息子と息子の友人と、私と私の友人と、4人で周ったのが始まりです。コロナ禍で息子と2人の年もありましたが、基本私たち親子と私の高校同期友人とが固定メンバーです。今年はそこに、息子の婚約者のお父様が加わりました。2023年は息子の結婚式の予定されている年でもあります。
寸前の打ちっ放し練習時に、練習用に使っていたゴルフシューズが壊れました。靴底がべりっと剥がれてしまったのです。長年使いましたので寿命ですね。本番用の靴も調節ダイヤルが緩くなっていましたので、ゴルフ屋歳末バーゲンでおニューを買いました。本番用キャロウェイを練習場用に降ろし、ゴルフ場ではおニューデビューです。
30日夜には、高校同期6人で集まり飲みました。当時の6組仲間で開催していた「毎年同窓会」、「同学年3組合同」までに広がり「来年は4組で、」との以降中止になってしまっています。その同窓会幹事メンバーでの「ミニ同窓会」でした。居酒屋で飲むのも久し振りです。2023年、同窓会復活はあるのでしょうか? まだコロナは落ち着きませんが。
1日、本日の初詣はいつも通り近所の氏神様「八幡神社」へ。八幡大菩薩、源義家が前九年・後三年の役の折に戦勝を祈願した地です。昨年に比べ参拝の列が段違いに長い、いや寧ろ、昨年一昨年が異常だったのでしょう。コロナ患者数は減りませんが日常は戻りつつあります。
お隣の「門田稲荷神社」にも立ち寄りました。門田稲荷神社は、京都の伏見稲荷・東京の榎木稲荷と並び日本三大縁切稲荷と呼ばれています。絵馬には「誰々と誰が別れますように」とか、人の世の煩悩の濃い呪詛的願いが書かれています。写真を張り画鋲を刺した過激なものも。以前はくぎを刺した藁人形もたまに見かけたものです。最近はあまりに過激なものは管理者が取り除くようになっていると聞きました。穴をあけた柄杓の奉納されるのも特徴的です。
朝の雑煮の写真を撮り忘れました。雑煮は大好きです。正月以外でも食べたい気分。夜は刺身にイタリアン発泡酒。明日はいよいよ箱根駅伝です。今年の安泰・健康と明日の勝利を祈って乾杯しました。
地元足利市で今日から開催(と言っても今日明日の2日間のみ)する「市民文化祭 洋画展」に1点出品しています。作品は油彩F20号《マスクの自画像 2022-4》です。2020年に時流に乗って?初めて描いた作品から数えて6作目です。油彩4点パステル画2点を同テーマで描いています。小品が多かったので、今回が1番大きいサイズになります。これまではほとんど顔だけでしたが、サイズが大きくなりましたので腰まで入りました。9月のグループ展にもシリーズ5作目を出展したのですが、会場で知らない人から声を掛けられるようになりました。(笑)
これまでの5作もご紹介します。制作年代順に。
せっかく始めたシリーズ、様々の色のマスクも買い揃えましたし、もう少し続けたい。コロナ終息を願いながら矛盾した願いです。
昨日は搬入日、地元市民会館が老朽化で取り壊され、今年は会場を移しての開催になります。慣れない設営作業で少々手間取りました。パネルを立てての仮設展示です。号数制限(30号まで)も付けなくてはいけなくなっています。新しい展示場の建設は未定です。人口も減り、元々は繊維産業で栄えた街ですので税収も厳しい行政事情、新市民会館の建設は相当先(8~10年)と見込まれています。以前は100号作品の応募もあった文化祭洋画展、暫くは寂しい展示が続きそうです。
13日木曜日はゴルフ、3人プレーのはずが直前で1人が足首を捻挫、ツーサムになってしまいました。1日曇り空で「暑くなくていい」とか言っていたら後半3ホールばかりは凍える寒さになりました。季節は確実に移ろっています。
更に前、10日月曜祝日には「森高千里デビュー35周年記念ライブ」で豊洲PITへ。5月以来のライブ参戦でした。林檎さんも新アルバムを出しますし新曲もリリース(まだ配信のみ)しました。林檎さんのライブも期待されます。
コロナに明け暮れた2021年も間もなく幕を閉じます。慌ただしい年でした。オリンピックがあったから今年のひと文字は「金」、とかでは表せない年でした。なんて安易な、的外れな選択なのかと呆れます。嫌なことからは目を背けよう、との意識なのでしょうか?それならせめて大谷君関連にして欲しかったなぁ・・・。
毎年大晦日に開催していた、我が家恒例の「大晦日ゴルフ」、今年は昨日30日に行ってきました。昨年はコロナ禍で息子と2人だけでした。今年は当初からのメンバーの高校友人が復帰、もうひとり同期友人を加えての4人で開催できました。それだけでも、コロナ終息への希望に繋がります。
個人的な今年の大ニュースはやはり、私自身が大学生に戻ったことでしょう。この4月から京都芸術大学での通信教育部芸術学科に入学、初年度も9か月を経過しました。ほとんどは遠隔での授業ですが、対面もあります。前半は直接対面が遠隔に変更になるケースもあり、実際に対面で受けた授業は京都での2科目だけでした。来年は直接対面がもっと増えると思います。他に、WEB動画を見てリポートを提出する科目、指定図書を読んでのリポート提出もあります。リポート提出後に改めて試験を受けなくてはいけない科目も。遠隔でも2日間5講時(約6時間)は結構きついですし、指定図書・参考図書購読でも忙しい思いをしました。今年感じた「慌ただしさ」には、コロナだけではなく、そんな忙しさも加味されています。読みたい一般読書は後回しにされましたし、映画を観に行く回数はめっきり減りました。専門に関係しますので、美術館訪問は減らすわけにはいきませんのでそのあおりですね。
1年を4分割した秋季予定はほぼ終わり、これまで22単位が確定しています。評価待ちが1科目、リポート提出準備中が2科目、後は冬季日程になります。なんとか30単位まで到達させたいところですが、それにはかなり頑張らないといけません。ちょっと厳しいかな?卒業して就職するわけでもなく、勉学自体が目的ですので、焦ってこなす必要もありません。履修しながら、満足なリポートを書くには知識が足りず、先延ばし延長にしている科目もあります。何年で卒業できるかも未定です。
中学生時代に初めて油彩を描き、高校では美術部に属しました。一時は美大進学を志しましたが諸々の事情で断念、一般大学の法学部に進学しました。しかし授業にはほとんど出ずに美術部部室に籠り、不真面目な大学生活を過ごしました。卒業後は東京での3年の修業の後に故郷に戻り家業を継ぎました。その間、絵はほとんど描きませんでした。
再開は、経営の才覚なく家業の会社を閉めてからですが、大きな切っ掛けは胃癌の罹病でした。手術から来年3月で丸5年になります。ステージ3に入っていましたので、手術での快癒可能性は半々に近かったようです。自身に残された時間を意識したことが「いつかは、」と先延ばしにしてきた絵の再開を後押ししました。退院後ふた月ほどで、市の施設での「パステル画講習会」に参加、そのままパステル画愛好会を結成してその代表として活動を始めました。現在他に、地元の絵画会と美術協会に加盟、国立新美術館での公募展にも応募、今年「蒼騎会」の会友に推挙されました。
そんな中で、ショッピングセンター内でのカルチャースクールに加入しました。藝大卒の先生に就いての鉛筆デッサンです。しかし私は絵を描くことを「趣味」とは考えていません。勿論、絵を描いて生計を成すことなど無理ですが、野球やゴルフなどのスポーツと異なり、明確なプロとアマとの境目のある世界ではありません。意識の違いだけだと思っています。「綺麗に見える」「上手に見える」絵を描くつもりはありません。私なりの世界を切り開く、意識で描きたいと思っています。インテリアではなく、「アート」を目指したい。意識だけは高く持ちたいと思っています。それが可能なのも絵の世界です。10代の進学時と異なり、生計の種にする必要のないことは、限りなく有利な条件でもあります。問題は残された時間、余命と言うことになります。こればっかりはどうにもなりません。
そんなこんなで、カルチャースクールではもの足りず、通信制美大入学となった。そんな年です。ついさっき年が明けました。2022年は更に活発に積極的に、絵にゴルフにライオンズにワイルドナイツに森高さん林檎さんに、残った時間をつぎ込みたいと思っています。そのためにも、コロナは終息して欲しい。ま、コロナも癌も、「上手く付き合って行く」と言う意識は必要なのでしょうが。謹賀新年、本年も宜しくお願いいたします。
8月5日⛳、栃木市の「大平台カントリークラブ」に行って来ました。7:07中コーススタートのスループレー、涼しい内に始めて暑くなる前に上がりたい。しかし7時でも決して涼しくはありません。それでも勿論、暑さの質と程度は異なります。スタート時は27~28℃?、11:30の終了時では35℃位だったと思います。少し風もありましたので助かりました。しかし、私達と入れ違いにスタートする組もあります。午後スルーも受け付けてましたが、殺人的な暑さの中、それは厳しそう。
3年振りのコース、「53」「52」での「105」でした。記録を見るとここに来るのは3回目、初めての2016年でも同じ「105」でした。違いはフェアウェイキープ率、今回64.3%、5年前は14.3%、それで同じスコア。おそらく、5年前では「飛んで曲がって」だったのでしょうね。特に胃癌手術後では飛距離は格段に落ちました。復帰直後ではドライバーで120~130yしか飛びませんでした。毎日70回が習慣だった腕立て伏せ、2週間の入院後では2回ができなかった・・・。筋肉って恐ろしい。胃を全摘しましたので量が食べられない上に養分吸収率が落ち、筋肉は付き辛くなっています。それでも振りをゆっくりにしたこの1~2年では、方向性は良くなっていますし、ひと時に比べると飛距離も少しだけ伸びています。勿論それでも、同行者中1番飛ばないのが通常ではありますが。
かなり異様な外見でプレーしてます。引かれちゃうかな?これは紫外線対策です。抗癌剤服用してますので、紫外線に過剰反応する”可能性”があるとか。体質によって異なるのであくまで”可能性”なのですが、過剰反応で不健康日焼けすると「元に戻り辛い」とか。”可能性”にしか過ぎなくとも、あんまり試したくは無い。コロナ禍で、「コロナに神経質な人」とは思われるかも知れませんが、寧ろ面倒な説明は要らなくなりました。
オリンピックでのゴルフはもっと暑そうな川口で行われています。暑くなるのは判っているのだし、せめて軽井沢とかでできなかったものか?選手たちは大変ですね。
5月30日は卒業中学校の同窓会ゴルフでした。同窓会と言っても、同期卒業生が集まって懐かし昔話する方ではなく、歴代卒業生の集まる組織的な方です。29日は総会・講演会の予定でしたが、総会は延期、講演会はリモートで参加しました。講演をお願いしたのは、メキシコ・ミュンヘン・モントリオール、オリンピック3大会に代表参加して金メダル8個(日本人歴代最高)を得た、体操の加藤沢男氏(元筑波大教授)でした。翌日のゴルフにもご参加頂きました。
組織同窓会に出席される方は、個人事業主(つまりは”社長”さん)やお医者さん税理士さんとか、社会的地位のある方が多くなります。当時では珍しい私立中学校ですので猶更かな。でゴルフ場もちょっと贅沢に、地元足利市で1番プレー費の高い「東松苑ゴルフ倶楽部」になりました。しかもキャディ付き、2万円超は年金生活者には辛い・・・。プロゴルファー中島常幸氏のお父さんが作った、バブル期には一時会員権が1億円を超えたとも言われるゴルフ場です。広そうに見えてOBラインが近かったり、グリーンも難しい、知らないと罠に嵌るコースですので、キャディさんに助けられることも多いコースです。
久し振りのコースで前回は大叩き、との記憶でしたが、プレー後に調べてみると前回は「99」で昨年のこと。記憶に残っていたのはその前、2012年のことで「110」でした。記憶も当てになりません。これも歳のせいか?スコアももっと悪かったような気がしていました。当時で「110」なら悪い方でもない、普通かな。因みに昨日は「56」「51」で「107」、ここ暫くでのほぼ平均値です。
プレー後は簡単な表彰式、参加11名中1人所用でハーフ離脱、1人遅刻で2ホール目からの参入でスコア無し、表彰対象は9名で私は7位、参加賞のみでした。残念。会場で金銀メダルを見せて頂きました。加藤氏の得たメダルは金8個銀4個銅1個だそうです。当時はメダルのデザインは統一され、10年間は同じデザイン(勝利の女神ニケ像)だったそうです。知りませんでした。同窓会ゴルフ次回予定は10月、日にちもその場で決定したのですが、残念ながら私はすでに予定が入っています。それもゴルフ、仲良し仲間の方の同期会ゴルフです。やっぱりそっちに行っちゃいそう。
4/1に書いてますが嘘ではありません。(笑) 昨日31日のお出かけです。
朝6時過ぎに自宅出発、まずは森高千里さんの「渡良瀬橋」歌碑の桜を検証。毎年この時期には訪れます。ってか、市内在住ですので週一位では前を通過してます。停まって写真撮るのは久し振りかな。もう満開です。散り始める寸前。今年は全体的に早いです。青い空の下も素敵ですが、色の薄いソメイヨシノは、花曇りの日での方が情緒深い気がします。
市の南側を走る国道50号線を一路西へ。桐生を抜けてみどり市(旧大間々町)から赤城山南麓道路に入ります。北関東道路のできるまでは、沼田・上越方面スキーで通った道、家族スキーでの想い出も多い。最近では桐生カントリーでプレーする時は勿論ですが、高崎の映画館・美術館訪問の折にも帰途で通ることも間々あります。停車して写真を撮ったのは「道の駅グリーンフラワー牧場」、家族スキーでの定番休憩所でした。シンボルの風車を見るとあの頃を思い出します。
今回のメイン目的地は「赤城国際カントリークラブ」です。元々は日曜日に「満開の鳳凰ゴルフ倶楽部でプレー」の予定でしたが、雨天予報でキャンセルとなりました。私自身は余程の土砂降りでない限り気にしないのですが、80歳初心者の叔母とのゴルフでしたので致し方なし。代わりに「一人予約」でこちらを入れました。見知らぬ人同士を組み合わせてプレーする仕組みです。最初は鳳凰で入れたのですが同伴者申し込みが無く成立せず、すでに成立決定していたこちらに変更しました。同伴者おふたりは地元前橋市から。元は富士見町ですが合併で前橋市に編入された地域にあるゴルフ場です。
10数年振り2度目、記録を付けだす前で詳細は不明ですが「初めての100切り」を達成したゴルフ場です。それだけに、コースレイアウトは全く憶えていないのですが、名前だけは印象深い場所です。勿論「2度目の100切り」を目指したのですが、結果は悲惨な「111」でした。パットで「39」叩いています。特に後半は「21」も。初100切りコースと言うと「え、そんな難しいコースで!」と驚かれることがあります。きっとビギナーズラックですね。赤城山からの芝目で微妙に切れる難しいグリーンです。距離合わせに走るとショートパットが曲がります。何も判らず強めのパットが「曲がる前に入る」幸運が続いたのかも知れません。距離のあるコースですので、歳とってドライバーの飛ばなくなったリスク加算もあるでしょうし・・・。フェアウェイも広くストレートな本格コースです。またチャレンジしたいですね。
「桜の木が少ないンだね」と周りながら話していました、が、途中で気付いたのです。無いのではなくまだ蕾だったのです。途中の道が満開でしたので想像できませんでした。こんなに違うなんて!海抜差もありますが、もしかしたら桜の種類も違う?山桜系とか?
空いていて前半2時間20分、後半2時間で周れました。平日ですのでツーサム・スリーサムのグループも多いです。後ろの組の姿は最後まで見ませんでした。
帰りには赤城神社に立ち寄りました。よく知られた赤城山上大沼にある神社ではなく、中腹の方。ただ残念なことに年2回?だかの神事で札所はお休み、ご朱印を頂けませんでしたし、社殿前にも入れませんでした。ドンピシャに運が悪い。
馬事公苑の桜も綺麗でしたし、有名な赤城千本桜(立ち寄るつもりでしたが人出が多いので回避、コロナに関わりなく混雑した場所は嫌いです)は混み合っていました。しかし山裾のこの道をこの時期通ってみると、日本人の”桜好き”に感心します。普段は他の木と区別の付かない桜、この時期だけは目立ちます。知られた桜の名所だけでなく、ちょっとした施設や寺社、個人宅まで、そして山中の山桜、驚くほどに桜は方々に見受けられます。華やかで儚い櫻花、私は高揚感よりも寂しさを意識してしまいます。最も華やかな散り際の花吹雪が1番悲しく切ない。この儚さも日本人感覚なのでしょうか。自宅にも1本欲しい気がしてしまいます。ただ大木になっちゃうのが困ります。大きくならない手頃サイズの桜って無いのかなぁ?
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