2024年6月 5日 (水)

最近読んだ本『風に舞い~』『モンテレッ~』『松野大社展』

風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年(2021年第14刷・2006年文藝春秋社)Image_20240502_0001

 

 初めて読む作家、だと思って読み始めたのですが、3年前に『みかづき』という作品を読んでいました。すっかり忘れていました。 

6作の短編から成る1冊です。第135回直木賞受賞作。スタートは児童文学で、本作は一般文芸に進んだ初期の作品になるらしい。そのせいかどうかは知りませんが、6作それぞれ色合いが異なります。別々に読んだら同じ作家の作品とは思わなかったかも知れません。解説の藤田香織も「とても驚いたのが収められている6つの物語そのものの質感の違い」と、同じように感じたようです。 

1作目の『器を探して』はイマドキ感のある作品です。『ジェネレーションX』は都合の良過ぎるストーリー展開ですが小説らしい楽しさはある。表題作『風に舞いあがるビニールシート』は世界の現実を知らしめるシビアな作品。直木賞と芥川賞の差異の小さくなっている昨今ですが、その両側を行き来する作品集に感じました。

 

 

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子 文春文庫 2021年(2018年方丈社)Image_20240502_0002

 

 本屋で見て気になってたまたま購入した本です。嘗てイタリアに「本の行商」との職種のあったこと、それが都会ではなくトスカーナの山奥の小さな村だったこと、興味をそそられました。 

外国人として初めての「露天商賞」受賞作品です。「イタリアの本屋大賞」との説明に一瞬躊躇しました。日本での本屋大賞受賞作・候補作はまず買いません。本を娯楽として考えていませんので、「本屋大賞」と聞くと娯楽性重視の本と捉えてしまいます。誤解かも知れませんが。同様に映画化・ドラマ化との一文も購入を避ける要因となっています。 

「露天商賞・金の籠賞」との賞、元々賞の根源が異なるのか?それとも賞の発祥に直接関わるテーマなので特別に選ばれたのか?判りませんが、少なくとも日本の「本屋大賞」には絶対に選ばれないであろう、娯楽性の少ない作品でした。 

私が本屋の本棚でたまたま選んだ時のイメージともかなり異なりました。エッセイ的、緩やかでロマンのある、読み易く楽しい作品をイメージしていました。実際にはかなり生真面目なノンフィクションです。山奥にある交通不便な寒村を何度も訪れ、周辺の街・村、本屋行商に関連する本屋を訪ねたり、研究的調査を重ねた上で書かれています。予想した気楽なエッセイではありませんでしたが、反面読み応えのある作品ではありました。

 

 

『松野大社展』みやこの西の守護神 京都府京都文化博物館 2024年Image_20240604_0001

 

 現在開催されている(6月23日まで)展示会の図録です。図録を端から端まで読んだのはおそらく初めてです。ほとんどは絵画展ですので、通常は作品の写真を眺めて所々拾い読みするだけです。高価な図録を勿体ないと、たまには思います。( ´艸`)

それでも絵の展示ですとそれなりの満足感も得られます。しかし今回は展示品の大部分は「書」で、それも美的書道ではなく城湯としての「書」です。眺めていても何も判りません。読むことも出来ませんし読んでも意味を解せません。。巻末の「作品解説」を読んでようやくその1部を理解できる程度です。

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何故そんな展示を観た、図録を買ったのかと言えば、実は所属する通信美大での講義が絡んでいるせいです。来週末に京都で講義を受け、後日リポートを転出しなければなりません。 

読んでいて眠くなるページも多い図録ですが、興味深い面も無いでもありません。神社の歴史・行事・祭事仕様の他に、多いのは陳情文的な文章です。京都でも高位に位置する神社で荘園から上がる年貢で祭祀を執り行いますが、その年貢が騒乱や時代変遷で届かなくなり、その解決を時の権力者に願う上訴文です。訴願先は時代で変わります。朝廷から鎌倉幕府・足利幕府へ、そして信長・秀吉に。その効果も時代で変わり、武士の世には多くの荘園が有名無実となります。そういった時代変遷を物語る文章の展示会でした。 

NHK大河ドラマファンには懐かしい名も出てきました。「梶原景時」です。ドラマでは中村獅童が演じていました。丹波国雀部荘での荘園代官を務めていた景時、その失脚後の新たな地頭で未払いが続いたそうです。ドラマとは言え知った名が登場すると一挙に興味が深まりますね。

2024年3月10日 (日)

最近読んだ本『青い小~』『孔丘』

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社文庫 1980年第8刷(1973年第1刷、1956年新潮社)20240220_125335

 

 『白い人』『黄色い人』の前年に発表された初の長編小説とのこと。1950年戦後初の留学生として渡仏、その時の経験をもとに書かれたらしい。現地でのアジア人への偏見と差別、敗戦国ドイツ人に対する嫌悪、そして戦中のレジスタンス活動裏側での暗黒面、何処までが実際の話しなのかは判りません。

 本棚から取り出した44年前の本、結婚前の家内が買った本です。最近は読書量の減っている家内ですが、若い頃は読書家でした。1980年は結婚の年、式は12月でしたので結婚間近の時期に読んだのでしょう。結婚前は2年ほど、東京と宮城とで離れて暮らしていました。まだ東北新幹線の無かった時代です。本の内容よりも、当時どのような気持ちでこの本を読んでいたのか?歳月を遡る気持ちになります。

 読書傾向、重なる部分もあるのですが、やはり選択する作家・作品には違いも結構あります。遠藤周作は家内の買ったものの方が多い。吉行淳之介・水上勉は2人共に読んでいるのですがやはり家内本の方がやや多いかも知れません。源氏鶏太・林真理子・田辺聖子はすべて家内の買ったもの。反対に司馬遼太郎など歴史ものはすべて私の方です。時には本棚から、私未読の家内本を読んでみるのも良いかも。家内再発見もあるかも知れません。

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『孔丘』宮城谷昌光 文春文庫上下巻 2023年(2020年文藝春秋社)20240228_213346

  

孔子24歳、物語は母の死から始まっています。「孔丘」は孔子の本名、偉人伝では無く、放浪し苦悩したひとりの人間として描こうとの作者の意図するところが見えます。「激し易い」、時には高弟からも不安視される、そしてあまりに理想を求め過ぎる孔丘。それでいて泰然自若とした悟り切った哲人の姿ではなく、晩年には「天」にすべてを委ねた意思無き姿をも現します。

「礼」とは元々は葬儀・葬送の手順・仕来りを意味するものだったとか。「儒者」は謂わば「葬儀屋」でした。ただ、古来の型通りに葬儀を執り行うことは貴人には欠かせない重要事で、決して卑しい身分ではありません。特殊技能者、といったところでしょうか。その「礼」を、葬礼を超えて政治・外交に、そして人が生きて行く意味合いを示す「哲学」へと昇華して行きます。後世人の世に描かれる「礼」のイメージ・規範は孔丘の創り出したものでした。

孔丘の人生を描くことは想像以上に難しかったようです。著者は50代・60代で「無理だ」と諦め、70過ぎて「死ぬまで書けない」と腹を括って書き始めたそうです。『論語』には時系列が無く、残した言葉が「何時何処で発せられたか」を確定すること自体が難しいとか。著者の苦労の垣間見える作品です。

宮城谷昌光は以前(15~20年位昔?)かなり嵌った時期があります。時代もの自体読む機会が減っています。久々に読むとやはり面白いですね。少し置いてになるでしょうが、また何か読んでみたいと思っています。

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2024年2月10日 (土)

2024年も2月になりました。

2024年もひと月と10日が経過しました。新年早々の「足利展(足利市立美術館)」に1点出展《飲み過ぎたあの日》F30号油彩、新しい年の活動をスタートしました。美術館は外壁補修中で外見は見栄えが悪い。

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通信美大授業でも油彩を描きました。F15号を2枚、2日間で描きます。通常創作ではできませんが授業では可能、というかやらざるを得ない。強制される集中力も美大入学のメリットなのでしょう。描くテーマや規制も授業ならではです。自らの製作では、好きなモノしか描きませんしいつもの同じ描法で描いてしまいます。気が進まず無理やりやらさせるのも経験、目覚めの可能性を高める効果もあるのでしょう。ZOOM遠隔授業でしたが、自分で設営した静物を初日はキュビスム的(多視点・形体構成)に、2日目はフォービスム的(単視点・色彩構成)に描きます。キュビスムの方は色数制限もありました。

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昨年12月の授業なのですが、「静物構成」の授業での作品も載せておきます。4日間合計2単位、最初の2日間でコラージュ作品を作ります。自身の身近なモノの写真を集めることが事前課題でした。最初の3枚がその1部です。出来上がったコラージュ作品を、1週置いた後の2日間で油彩に描きます。油彩は「できるだけ正確に写す」ことがテーマです。画面を64分割してコマ毎に手描きコピーします。

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今現在展示中の作品もあります。ひとつは小さな展示会ですが公民館での文化展です。月1回開かれている裸婦デッサン会、その会場にお借りしている公民館です。もう一つは「国立新美術館」での「全日本アートサロン絵画大賞展」です。公民館での《記念日の花束》F6号は今年の、国立新美の方は昨年秋の搬入でしたので昨年の作品になります。審査を経て8日から展示されています。

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美大3年目も年度末、実技スクーリングは終了、レポート提出があと1本か2本。最初の2年間は芸術学コースでしたので洋画コース2年目が4月から始まります。展示会は4月に大学OBOG展があります。大きいのは6月の「蒼騎展」ですね。まだ構想段階ですがF50号を予定しています。

 

2024年2月 5日 (月)

最近読んだ本『ノボさん』『すべて真夜中の~』『イメージを~』

『ノボさん』伊集院 静 講談社文庫上下巻 2016年(2013年講談社)20231121_095055

 

正岡子規の半生を描いた作品。夏目漱石との交流をも書いていますが「小説 正岡子規と夏目漱石」との副題で想像するほどには漱石に重点は置かれていません。あくまで主役は子規で、その最も親しく重要な友として漱石が登場しています。題名の「ノボさん」は子規の幼名「升(のぼる)」からきています。

小説は一校時代の、ベースボールに夢中になった子規の姿から始まりその死で終わります。疾風の如くに駆け抜けた34年間でした。「打者」「走者」「四球」など、現在も使われている野球用語の多くを翻訳創作しています。(「野球」は違うらしい)

伊集院静の筆は、隠居の手慰みだった「俳句」を文学の域の高めた功績に留まらず、ひとりの明治人、「ひと」としての正岡子規を愛情込めて描いています。読後には、その距離感はかなり縮まった感があります。また、結核菌が引き起こした脊椎カリエスでの病態も克明に描かれ、壮絶な描写に後ずさりしてしまいます。

 

 

『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子 講談社文庫 2014年(2022年第43刷/2011年講談社)20231121_095247

  

川上未映子2冊目ですが、前読の芥川賞受賞作『乳と卵』より3割増しで良かったと感じています。刷数を重ねているだけのことはあります。ま、刷数は「売れた」というだけで、必ずしも作品の質と一致するわけではありませんが。

ひとと接すること、一般社会でのコミュニケーション力に不安のある主人公、出版物の誤字脱字、間違いを探す校閲者として働いています。仕事は基本的には単独行動ですが、会社に勤める以上接する社員同士の社会関係はあります。それが上手く出来ずにストレスを抱える主人公は、仕事上の知人からの紹介を切っ掛けに会社を辞め、「フリーランス」として仕事を続けることにします。買い物など必要最小限以外ではほとんど他人と接することの無い生活が始まります。

たまに繁華街に出ても、遊び方も判らずウインドウショッピングすら気楽に楽しめない。そんな主人公がひょんなことから年上の中年男性と知り合い、恋心を抱く、そんなお話しです。

私自身、主人公ほどではありませんが世間話が苦手、普通に社会生活の送れる範囲内ではありますが、コミュニケーション力は劣る部分があります。その分共感できる範囲は広いかも知れません。結末ネタバレはしませんが、現実的に納得できる、しかも部分的には安心もできる収め方になっています。芥川賞から3年後でこの安定感、最近の作品も読んでみたくなりました。

 

 

『イメージを読む』若桑みどり ちくま学芸文庫2005年(2021年第13刷-1993年筑摩書房)20231010_091532

 

若桑みどりの著作を読むのはこれが3冊目になります。千葉大学教養部での「美術史」、4日間に渡る講義を纏めて文書化したものです。美術を専門にする学生向けでない点で判り易く、それでいて美術史の原則を外さない興味深い内容となっています。

中学生時代の歴史の授業で、「ナポレオンが生まれたからこの時代になったのでは無い、この時代だからナポレオンが生まれたのだ」と習い歴史が好きになりました。同様に、美術も時代から離れることはできません。必ずある時代・ある社会・ある文化の中で生み出されます。この本はその、芸術作品の創造された背景を探る「イコノロジー(図像解釈学)」を学ぶ美術史入門書です。

この本を読んで初めて知ったこと、ルネサンス・マニエリスム等の言葉の意味です。芸術様式の初期段階をプリミティヴ、完璧な様式を完成させた時代をルネサンス、技巧が洗練されワンパターン化してくるのがマニエリスム、と表現されているのだそうです。また、著者の書く「芸術の価値のひとつは、それがどれだけ人間にとって普遍的な真実をふくんでいるか、という点にあると思います」との言葉が印象的でした。

初めて読んだ若桑みどり著作は『クアトロ・ラガッツイ』でした。信長・秀吉の時代、九州の大名がローマに送り出した「天正少年使節」を描いた小説です。くどくどと煩わしく、なんとか読み切ったものの即座にBOOK OFF 行きとなった作品です。切っ掛けが無ければ二度と読まない作家だったでしょう。切っ掛けは通信美大(現役学生です)での参考文献に著作名があったことでした。『絵画を読む』との本でした。この本で著者が小説家では無く「学者」であることを知りました。『クワトロ~』でのくどくどしさは学者故の拘りだったのでしょう。その流れで本作も読むことになりました。芸術系では、まだ読みたい本もあります。2007年に71歳で亡くなられています。51qmppeol

2023年3月15日 (水)

最近読んだ本『女のいない~』『ブルボン王朝~』『美しき愚かもの~』

『女のいない男たち』村上春樹、文春文庫、2016年(2022年第11刷)20230222_102242

 

 

2013~14年に「文芸春秋」に掲載された短編をまとめたもの、単行本は2014年刊行。本を買う時「映画化決定」とかの帯が目に付くと手が遠のく体質なので、こちらは「映画を観て良かった」ので買った文庫本です。

 

 映画とは異なる、とは聞いていました。6編の載った短編集ですので、『ドライブ・マイ・カー』に他のどれかの短編とを組み合わせて映画の脚本としたのだろうと想像していました。実際には、他4編は全く繋がっていませんでした。残る1編表題の『女のいない男たち』も、テーマとしては重なるのでしょうがストーリーは別のものです。映画を興味深いものにした大きな要因である、舞台演劇の裏舞台は、脚本家のオリジナルになるのだろう、か? 短編『ドライブ・マイ・カー』も悪くはないのですが、映画はより濃い内容になっていました。ドライブ先も異なります。原作にはない長距離ドライブも、映画では重要な役割を担っていました。

 

『ドライブ・マイ・カー』以外の短編もそれなりに興味深かったのですが、短編集のために書き下ろしたという最後の『女のいない男たち』は、読者を惑わす技巧的な言葉遊びが目立ち、薄らいでいた「村上アレルギー」が再発しそうに感じました。「表題作が無い」とのことで最後に付け加えた書き下ろしだそうですが、蛇足でした。

 

20230222_102328 常に何作か併読していますので、前後して瀬戸内寂聴の『源氏物語』も第2巻が読み終わり第3巻を買ってきました。(全10巻) こちらも面白い。

 

 

 

『ブルボン王朝12の物語』中野京子 光文社新書 2010年(2021年15刷)20230308_212414

 

 

中野作品は『ハプスブルク家12の物語』に次いで2冊目です。「名画で読み解く」シリーズですが、「美術書」ではありません。その時代の有名名画を切っ掛けとして、描かれた人物・経歴・時代を解き明かす歴史エッセイ、と受け取っています。ルイ14世・15世・16世の個性の違いが面白い。運の悪かった16世が少し可哀そうに感じました。この種の本で11年で15刷はすごいですね。さすが人気作家。

 

政略結婚で入り組んでいますので、『ハプスブルク~』と交差する部分も多い。欧州ではこの2つの結び付きが1番濃いのでしょうが、他の中野作品『ロマノフ家~』『イギリス王家~』『プロイセン王家~』も全部読んで完成になるのかも知れません。取り敢えずひと休みしますが、間を置いて読んでみたいと思います。

 

よく「絵は感性」と言われますが、それは近代以降での話し、中世までの絵画では「感性」だけで読み解くのは無理です。作者が自由に描けたわけではありません。依頼主あっての製作でしたので依頼主の意向が重視されますし、キリスト教的決まり事も多かったのです。知識無しでは読み解けない作品も多かったですし、読み解く深さも異なります。

 

しかし表紙になっているカンタン・ド・ラ・トゥール《ポンパドゥール》ですが、「パステル画」というのには驚きます。行けるならルーヴルまで観に行きたい。

 

 

 

『美しき愚かものたちのタブロー』原田マハ 文春文庫 2022年(2019年文藝春秋社刊)20230315_200312

 

 

原田マハ得意の芸術畑作品、今回は松方コレクションの松方幸次郎を取り上げています。単行本発刊が2019年、開館60周年記念の「松方コレクション展」に合わせての宣伝?と『デトロイト美術館の奇跡』での失望感を思い浮かべました。しかし杞憂でした。数ページで「傑作」感を感じ取ってしまいました。遅読の上に数冊を並行して読む習慣で、読み終わるのにひと月以上かかるのが普通の私、「5日間読破」というのは近年稀なことです。ゴッホの《アルルの寝室》を登場させている点、展示会の開催に合わせての執筆であることは間違いないでしょうが、巻末の参考文献量を見ても、宣伝本意のやっつけ仕事では無かったことは確かでしょう。直木賞受賞は伊達ではありませんでした。

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主人公田代雄一が偽名の他は、実在の人物を登場させています。その田代雄一も、しっかりとした実在のモデルが存在します。勿論描かれたエピソードは原田マハの創作ではありますが、あたかも事実をそのままに描いた如くのリアル感を感じさせます。実話を下敷きにした存在感と、原田マハの表現力を遺憾なく発揮した作品だと思いました。

 

北関東の田舎街に生まれた私が、初めて本物の絵画に接したのは、この「国立西洋美術館」でした。1960年代の終わり、中学の2年か3年生の時でした。展示会名は憶えていませんが、ボナールの《逆光の裸婦》に魅せられたのが1番の印象です。他の作品でも、教科書で知る作品が目の前にあることに驚きました。「日本の若者が実際に西洋美術に触れられる美術館を作りたい」との松方幸次郎の大望の、恩恵に私自身も与かっているわけです。

2023年1月17日 (火)

最近読んだ本『宇喜多の~』『秘密の~』『20世紀~』

『宇喜多の捨て嫁』木下昌輝 文春文庫 2017年(2021年第7刷)20221226_112231  

 

以前読んだ『宇喜多の楽土』の作者です。関ケ原合戦の西方主要大名でありながら何故か影の薄い宇喜多秀家、そんな興味で手に取った一冊でした。つまらなくはなかったのですが、いまひとつインパクトの薄い作品でした。普通ならそれ一冊で終え、他作まで手を伸ばさなかったかも知れません。それが何故か後を引き、直木賞候補となった『宇喜多の捨て嫁』の設定に興味を持ってしまいました。大きな期待無く買っておいた1冊です。 

作品は6篇の短編から成っていました。それぞれ主人公が異なり視線が異なり、同じ主人公の場合でも年代を変えて書かれています。別々の話しでありながら、時系列に並べられた作品で無いながら、実に巧妙に1点に繋がり纏められています。 

実の娘をも謀議の餌として使い見捨てる「捨て嫁」、梟雄:宇喜多直家の4女於葉の物語に始まり、若き日の純真な直家が、苦難の定めの中で如何にして非情な謀議にまみれた梟雄となって行くのか、先ほど終了したNHK大河での北条義時の如く、ダークサイドに堕ちる過程をリアルに描いています。やはり模範的な武士よりも「梟雄」の方が物語になり易い。直木賞受賞が成らなかったのが不思議にも感じましたが、同年の受賞作は西加奈子『サラバ!』でした。巡り合わせが悪かったですね。 

 

『秘密の花園』フランシス・ホジソン・バーネット 著 畔柳和代訳

新潮文庫 2016年(2021年第4刷)51ufvydnpkl_sx349_bo1204203200_

 

昨年4月にピカピカの1年生になった孫娘、その入学祝いに本を贈りました。『空飛ぶ教室』と迷った末に『秘密の花園』を選びました。小学生向けに判り易く書かれた本です。訳者は判りませんが、私が小学生低学年時に読んだのもそんなものだったのでしょう。2学年上の姉の本でした。61rl6rctql_sx356_bo1204203200_  

孫娘に渡す前に自身でも読んでみたのですが、そうなると本来の本家本物も読みたくなります。元々児童文学作品ではあるのですが、バーネットの著した本来の姿、読んで良かったと思いました。やはり表現の幅が、物語の厚みが異なります。型通りに読者の望む方向に進む模範的なハッピーエンド物語ですが、その単純さに心洗われます。成長期に心はぐくむには最適な作品だと思いました。ひととき、純真な少年に戻りました。(笑) 

 

『20世紀美術』宇佐美圭司 岩波新書 1994年第1刷20221226_112318

 

廃版になっているのでネットで古書で購入しました。40数年前の大学美術部時代に、荒川修作と並んで憧れた作家です。当時はアメリカの「スーパーリアリズム」やサム・フランシス、ヴィクトル・ヴァザルリなどが紹介され、セゾン美術館(西武美術館)の活動もあって、一般にも現代美術の注目された時代でした。最近では、東京大学生協食堂での壁画でのマイナー話題で名が挙げられました。哀しいことです。

Johns_diner_by_john_baeder Img_20200904_221131高階秀爾の『20世紀美術』を読んだ関係で、同じ書名の、しかも宇佐美圭司著作と言うことで興味を覚えました。著名な美術評論家の著作と現代美術作家の同じテーマでの著作、文も内容も「同じテーマ」とも思えないほどの違いがありました。文章としては、難しいながらも判り易い(矛盾してる?)高階秀爾、2度読みすると理解度は高まります。一方宇佐美圭司版は、観念的な面もあり、2度読みはまだしていないのですが、判り易い面と難解な面との差が大きい。難解部分は、2度読みしても理解し難い気がします。反面、実作者ならではの気概を感じる、現代美術の未来を芯から案じる心根が見えて共感できます。20220105_165736_20230116233001   

あとがきにある「第Ⅲ章を構成したアメリカ現代美術を代表する画家たちへの批判的言及は、画家たちの知名度がひくく、わかりにくいところがあるかもしれない。」とあります。モーリス・ルイスやバーネット・ニューマン等です。1994年当時では「知名度がひくく」だったのですね。現代では、岩波新書で美術書を読む方々には知名度の高い作家です。時代の流れを感じます。また、「批判的言及」の提示は実作作家ならではの言及です。評論家では「分析」重点ですので。

Image_20210704_0001宇佐美圭司は2012年、食道がんで他界しました。「短期間のうちにこれほど表現方法や内容の激変した時代は、歴史的にも類例を見ないだろう。」との時代、この10年でも美術界は更に不安に迷走していると感じています。宇佐美圭司ならどのように言及したのだろう? 

がん発症を知り、宇佐美圭司は「最後の個展」を三島市にあった「大岡信ことば館」に依頼しました。スケジュールを変更して依頼を受けた当時の館長は、今、私の地元足利市でカフェギャラリーを営んでいます。

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2021年12月17日 (金)

友人の退職記念展

今月24日まで、多摩美術大学アートテイクギャラリーで「丸山浩司退職記念展」が開催されています。15日に行って来ました。丸山浩司元教授は高校のクラスメートです。高校3年間同級でしたが、最初の2年半で彼と交わした直接対話は、合計してもおそらく1時間に足りないくらいじゃないかと思います。別に仲が悪かったわけじゃない。単に互いに関心が無かっただけ。彼の家も出身中学も知りませんでした。それ以前に私自身に積極的に友達を作ろうとの意欲がありませんでした。美術部部室に閉じこもり、帰途の寄り道も本屋位でした。


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3年も後半になって、彼が美術部に入ってきました。それで多少は話す機会も増えたものの、彼に関しては何も知らず、まして絵に興味を持っていたなどとは意外でした。しかも美大進学を目指すという。ばかげた話です。当時東京藝大油科は倍率50倍以上でした。50人受けて49人が落ちる、その連中が多摩美・武蔵美に進むのですから、多摩美だって楽じゃありません。当時は美大自体も今よりずっと少なかったし、かなりの難関でした。彼は実情に無知なだけ、そう考えていました。

私自身の「親の反対で美大進学を諦めた」、それも嘘じゃありません。家業を継ぐ立場でもあったわけで。でも本当は自信が無かったのです。藝大に入るとか以前に、絵の道を続けて行くことに。そうして進学した渋谷の某トレンディ大学では、授業にはほとんど出ず、美術部部室で過ごしました。趣味の部活範囲内で者お山の大将です。ここでも、「親の反対で希望を~」は勉学に励まない、「自身への」言い訳でした。
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大学を卒業後に世田谷のケーキ屋での修業を経て、地元に戻りました。家業のパン・洋菓子販売会社での新店舗(レストラン)開業準備として、店内に飾る絵を探しに都内画廊を見て歩きました。そんな折、原宿の画廊で目に付いた作品がありました。「丸山浩司」名の木版画でした。彼が1浪して多摩美に入ったのは聞いていました。しかし関心もなく忘れていましたので、その名を見て思い出した程度です。版画専攻していたことは全く知りません。「もしや?」と思いはしたものの確信は持てませんでした。同じ漢字で「まるやまこうじ」との作家も居たくらいでしたし。1982年のことです。右写真はその時に購入した、「彼の作品と思われた」木版画です。1982-wave82a-4950

全く交流の無かった彼と、連絡を取り合うようになった切っ掛けは憶えていません。店内装飾用に版画を数点購入しました。そして何時しか、自身の夢を彼に託すようになりました。下写真は私の所蔵作品の一部です。
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同日に行われた彼の退職最終講義に出席させて頂きました。その時の学生からの質問で「美術の意味・意義」みたいな質問もありました。高校・大学、全く異なる学生時代を過ごし、性格も考え方も異なる彼と私、絵画を通してだけ信頼できる、それもその答えかも知れません。ゴッホともレンブラントとも、草間彌生とでも会話ができるのです。それが絵画。
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38年の教員生活を終えて彼は退職しました。「記念展」はその総括でもあります。時代を追って並べられた作品群、それは私の辿って来た時間でもあります。我が家には、1979年から2021年までの彼の作品があります。ちゃんと整理しなければと思いつつ、作品数も定かには確認していません。おそらく30数点程度かと思います。
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大学教授であっても、誰でもがこれだけの回顧展を開けるわけではありません。感慨もひとしおでしょう。作品を眺めながら私も切なく、少しうるっと来たくらいです。最終日にはもう1度会場を訪れます。しっかり目に焼き付けたい。しかし彼の画業は、これで終わったわけではありません。そして私は、まだ始まったばかり。少し遅かったですが・・・。

ps. 作品購入で会社の経費を使ったことがありません。「自分のものにしたかった」ことが理由です。その分、購入選択・決定は真剣です。でも今では少し後悔する部分もあります。経費を使っていれば、もっと高い、代表作を買って置けたなぁと。

2021年11月 1日 (月)

再び京都でスクーリング授業。

来週の京都スクーリングの詳細案内が届きました。今回は1日だけ。ただし朝9時現地集合なので前泊になります。今回は到着日に多少の時間もありますので、何処か巡りたいと思っています。今のところ、金閣寺を考えています。ところで、読み掛けの『金閣寺』が行方不明・・・。

周遊個所は、東寺・羅生門跡・西寺跡・北野天満宮・大将軍八神社・平安宮跡(当初、平安神宮だと思っていた、勘違い)です。
「東寺があるなら西寺も?」と常々思っていたのですが、「跡」なことを知りました。指定場所以外での撮影禁止・ジーパン禁止・飲食禁止。撮影・飲食は判りますが、ジーパン禁止と言うことは、もしや一般観光客立ち入り場所以外も観られる?との期待も。
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東京校舎でのスクーリング、裸婦デッサン(クロッキー)にまだ空きがあるようで少し迷ったのですが、今回は思い止まりました。5講時・6時間余も描き続ける、体力・精神力に自信がありません。胃の手術以来、体力限界を迎えると貧血気味になるのです。来年には是非受けてみたいのですが・・・。さて、遠隔スクーリングでの「花道文化の展開」リポートを書かなければ・・・。
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2021年10月19日 (火)

通信制美大、初めての対面授業。

NOTEにもFacebookにも書いたのですけれど、やはりこちらにも残しておきます。
68歳再大学生、美大のスクーリング授業で4月入学式以来の京都へ。初めての対面授業です。東京校舎での対面講座は申し込んだこともあるのですが、コロナ禍でリモート変更になってしまいました。で、直接対面授業はこれが初めて。
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「京都の文芸」、世界遺産コース・文芸コース向けの講座ですが、折角京都に本拠を置く大学に入りましたので、”京都”に関しても学びたいと選びました。京都を舞台とした小説を読み、京都の街を歩きます。1日目は午後から本校教室で3講時概略予習、2日目は午前中2講時は外、午後3講時は教室に戻っての講義です。

7:33地元発の電車で出発、13時少し前に到着して13:20からの講義を受けました。最初は平安から現代までの「京都を舞台とした」小説の概略。参考図書として、「細雪」「古都」「虞美人草」「金閣寺」「檸檬」「陰陽師」「夜は短し歩けよ乙女」が挙げられていました。「少なくとも1冊は読むように」とのことでしたが、既読本も含め全冊読破に挑戦するも、読み終わったのは「細雪」「古都」「檸檬」のみ、他は途中までで時間切れ。それでも無駄にはなりません。受講は終わりましたが、読み切ろうと思っています。講師先生は理系ライターという肩書の小説家、ラノベ系も書いているみたい。参考に上げられていたエッセイは読みましたが、著作も後ほど読んでみようかと。
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「金閣寺」は再読ですが、書棚の新潮文庫は昭和52年の45刷、字が小さい上に紙が変色していて老眼には読み辛い。新たに買い直しました。令和3年新版4刷、旧版は143刷まで重ねられていました。

2日目、地下鉄蹴上駅に現地集合、先生を含めた30名で「日向大神宮」と「平安神宮」を巡りました。
「日向大神宮」はこじんまりとした素朴な神社です。急な登り坂がキツカッた。奥の内宮は薄暗い山奥に佇み、個人旅行では来そうにない佇まい。手前の外宮は割と普通の神社です。コロナ明けのせいか、思ったよりも多くの人が参内していました。観光客風でない、山歩きハイキング、周辺近場遠足的な参拝者が多かった印象、神社仏閣の身近な京都、日常的参拝者も多いのかも知れません。

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外宮から内宮まで、また内宮の周りにも、小さな社が点在しています。今回は授業ですので、普段見落としがちなそんな社にも注意を払って。「気持ちメモ・五感メモ」取りながら周りますので、集中力も必要です。

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5分ほど歩いて「平安神宮」へ。琵琶湖疎水を利用した近代化明治物流の、インクライン鉄路跡を辿ります。いにしえの歴史だけでなく、赤レンガの近代化遺産も多い、進取精神の京都です。

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「平安神宮」は明治28年に、平安遷都1100年を記念して設立された、遷都時の第50代桓武天皇を祀った、”新しい”神宮です。併設された神苑が谷崎「細雪」に描かれています。神宮は無料、神苑は600円。御朱印も頂きました。コロナ対応で書き置きされたものですが。

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「細雪」に登場する紅枝垂れ桜は、思ったより丈の低い背丈でした。見あげる姿を想像していました。蒼龍池の臥龍橋飛び石は思ったより危うい、脚力の衰えた身では足踏み外す危険も感じた。和服で渡るには大変そう。茶店で抹茶餡蜜を頂きました。

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神宮で一旦は解散自由散策、各自昼食を済ませて自力で学校に戻り午後授業です。


午後授業は製作に移ります。周遊中に記した「感想・五感メモ」を使用してエッセイ、または小説・短歌等を書きます。時間が短いですので、小説は構想だけでもOK。文芸コースの方は小説に挑戦する方も多いようですが、芸術学コースの私はエッセイを選択、それでも大変です。

最後の5講時目は試験でした。授業を受けての感想を含めて、京都と文芸との関わりについて書きます。時間目一杯使って何とか提出。事後リポート提出の無いのは助かります。

17:40まで授業がありましたので、北関東の田舎まで帰るのはギリギリでした。北千住からの最終急行(その後に鈍行が1本有)でした。1泊では厳しいですね。来月もう1回講義を受けに京都まで行きます。次回は1日だけの授業ですので、少しは楽になります。疲れて、17日深夜は足がつって目覚めました。(´;ω;`)ウゥゥ

2021年8月29日 (日)

最近読んだ本「世界史概観」「ボクは好奇心~」

「世界史概観」H・G・ウェルズ 長谷部文雄・阿部知二 訳 岩波新書(上)(下)

 

あのH・G・ウェルズが、歴史書を書いているとは知りませんでした。大著「世界史体系」を書き、それを数分の一程度にまとめた概略版が本書だそうです。人類誕生前の地球の歴史に始まり、第二次大戦後のキューバ危機までが書かれています。H・G・ウェルズの死後には、子息のG・P・ウェルズが改訂版を重ねています。Img_20210808_091740

歴史書と言うと、学者先生が冷静客観的に書いた学問書とのイメージがありますが、「あの」ウェルズですので少し違います。「熱い!」です。「著者序」には「この『世界史概観』は、小説を読むのとほとんど同じように、一気に通読してもらうつもりで書かれたものである。」とあります。もちろん小説ではありませんが、地球と人類の「物語」として書かれてある気がします。人類の歩みをなぞり、危ぶみ、その行く末に悲嘆な思いを隠せない。特に近現代に関しては、政治屋たちの愚かさに地団駄踏む姿が想像されます。

H・G・ウェルズと言えば「宇宙戦争」ですね。最初に読んだのは少年向けに簡略化したものでした。映画も、昔のものも、トム・クルーズのものも観ました。宇宙人のタコ型の定番イメージを想像したのも、ウェルズ由来と聞いています。

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「ボクは好奇心のかたまり」遠藤周作 新潮文庫

 

本棚から取り出した1冊。自身で買っての未読本はそう大量にはありません。でも家内購入本では、趣味嗜好の違いもありそこそこ未読冊数もあります。ちょっと前にそれに気付いて、「買わなくてもあるじゃん」とたまに読んでいます。これもその中の1冊、昭和54年発行とあるので家内が大学を卒業してすぐの頃。遠藤周作、私は小説しか読んでませんでした。家内はエッセイとかコミック系が好きだったみたい。この手が何冊かあります。新聞掲載の連載エッセイだったみたい。Img_20210808_091653

遠藤周作って、悪戯好きだったんですね。作家仲間でのエピソードに度々でてきます。シリアスな作品しか知らなかった私には、作家の他の面が見られて興味深かった。ご健在の佐藤愛子さんもしばしば登場します。

 

ここ暫く、「最近読んだ本」のネタに困っています。本を読むのに忙しくて「読書」ができない。??? 意味不明ですが、通信教育美大生になったおかげで、リポート書きに追われています。想像の倍くらいはお勉強が忙しい。もっとも、40年前の学生時代に勉学に励んでいなかったせいなんですけどね。みんな、こんなに勉強していたのかなぁ、あの頃・・・。

私的感覚では、教科書を読むのは「読書」とはちょっと異なると思う。ですので読後感想文は書きません。リポートは書くけれど、そっちは「感想文になってはいけない」と講師から言われます。ただし1部、リポートのために読んだ本でもここで取り上げたものもあります。「ヨーロッパ哲学入門」は指定図書だったけど、純粋の教科書じゃないし、「読書」感はある。「ソクラテスの弁明」は参考資料として読みました。以下同文。これからもそういった本もあると思う。主に新書版とか。あと、「京都の文学」という講座も取っているので、そっちは純粋に文学作品です。ただ今、「細雪」を購読中。こちらは読み終わったらここに書くと思います。

教科書・参考文献以外を読むことのできる時間は限られているので、近頃はできるだけ本は買わないようにしています。元々、新刊話題本は滅多に買っていなかったので、大きな不都合はありません。必要本買うので出費は変わりません。専門書もあるので却って増えているかも・・・。

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