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2018年7月12日 (木)

2年振りの東北。

2年振りに東北・宮城を旅してきました。宮城は家内の故郷、といっても転勤族だった義父の事情で生まれたのは北海道(美幌・本人の記憶には無し)、幼少期は大阪で過ごし、小学校からが仙台です。ただ実家のあったのは宮城県北部内陸地、北上川沿いの登米市ですが、義父の教育的配慮での母子での仙台暮らしだったそうです。地元名士だった祖父の死去に伴い実家を継いだ義父は、登米市と仙台市とを行ったり来たりの生活、家内は登米市に住んだ経験は無かったものの、夏休みや冬休み、長期休暇は田舎で過ごしたそうです。私達の子供が小さかった頃は、家内に連れられて我が屋の子供達もこの北上川沿いの田舎町で夏の何日かを過ごすのが毎年の恒例でした。この春5月に義父の13回忌があったのですが、5月GWの東北道は尋常ではなく、こちらに配慮しての「地元家族だけで、」の法事となりました。で今回、家内と2人でのお墓参り訪問となりました。2年振りの東北旅行です。

7日10時頃に出発、北関東道経由で東北道を北上。いつも通り那須SAで1回休憩して仙台到着は15時頃でした。Line_1530934288491_2

7日の予定、まずは楽天生命パーク球場での楽天・西武戦です。16時プレーボールですのでホテル到着後慌ただしく出発、タクシーで球場へ。立派で楽しそうな施設ですね。(内は見てませんが)グッズショップも充実していそうです。当日の先発は懐かしの岸、この時点で勝ちは半分諦めていました。岸投手は元々が宮城県仙台市出身ですので、残念ではありましたが楽天への移籍は致し方なかったと、本人を思えば喜ぶべきなのでしょう。岸に会えるのは嬉しいですが、最下位球団にあっての防御率1位投手ですのでライオンズの勝てる可能性は低くなります。

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球場には続々とエンジユニの地元ファンが押しかけます。一般発売開始2日後にネット接続したのですが、土曜日とあってすでにほとんど満席状態でした。横並びの席が確保できず、やむを得ず縦並びの席になってしまいました。前席が家内、やっぱり不便ですね。

立ち上がり、岸はやや不安な状態ながら強力西武打線を2点に抑えましたが序盤コントロールいまいちで球数を使い7回で降板、一方西武多和田は好調で6回までを1安打に抑えます。一般には西武優位!に思えますが、西武ファンは別なことを考えます。「多和田出来過ぎ、この後大丈夫だろうか?不安・・・」、そして不安は的中します。6回まで完璧だった多和田が7回突然にに別人となり2点献上で同点、8回に栗山のHRで再び1点リードしたものの8回裏アマダーに打たれたところで降板、リリーフ不安の西武に暗雲が差します。家内友人との会食の予定があり、ここで球場を後にしました。7:3で「負けた?」との思いのままで。1点リードでは勝ちを予想できない今年の西武ファン・・・。

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しかし仙台での楽天熱は相当なものです。これまで千葉でのロッテ戦、神宮でのヤクルト戦などのアウェイを経験してきましたが、それとは全く異なります。一応ビジター席を確保したつもりだったのですが、周囲はほとんど楽天ファンで埋め尽くされています。西武ファンは飛び飛びぽつぽつと近辺には数人のみ。その中で西武キャップ・ユニでの観戦です。さすがに歓声は掛けにくい、旗も振り辛い。1枚目写真、中央右寄りに見える青の塊が外野自由席でのライオンズ応援団です。私の席の7~8列前に、岸ネーム入りライオンズユニでの観戦女性が1人いました。岸選手ユニ、他はもちろん全部エンジ色です。

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ホーム球場ならではの楽天応援企画も楽しそうで地元盛り上げは上手いですね。敵地ながら郷土愛楽天愛を感じられる球場でした。ライオンズレオ君も遠征してきてました。

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待ち合わせた家内の地元友人は中学・高校の同級生です。仙台を訪れる時は必ず会う親しい友人です。市内繁華街での居酒屋で会食、ここ暫くの情報交換・知人の近況等で花を咲かせます。酒の肴は、ダダ茶豆・ホヤ酢・カツオ叩き・煮込み等々地元の味を堪能しました。酒は地元の一ノ蔵。会食の初めには、スマホ画面にライオンズ3-2での逃げ切り勝利の報も。岸君にはお気の毒でしたが。Img_20180707_192535_2

Img_20180708_071453 仙台での2日目、7月8日の朝は暑くなりそうな予報、それでも蒸し暑くはなりませんでした。ホテルで朝食を済ませた後に義兄宅を訪問、久々のご挨拶をさせて頂きました。お兄さんも登米市に住んだ経験は無く、仕事の関係で仙台市内に住んでいます。義父義母共に亡くなって住む人の無い実家は先の震災で危険建物に指定されています。義兄も今後共実家に住む予定は無く、土地建物の扱いに困っているようです。

早々に義兄宅を辞しお墓・実家のある登米市へ。距離の割に時間のかかる行程でしたが近くまで高速が延びだいぶ楽になりました。墓は通りから少し登った草深い場所にあります。5月に法事があり義兄達が訪れ掃除したようですが、この季節ですのですでに雑草に覆われています。

Img_20180708_131628_4 Img_20180708_132508 お墓から実家に移動、現況を確認しました。義母が毎年漬けていた梅は拾う人も無く散らばっています。義父が丹精した庭も荒れています。ひとの住まない家は寂しいですね。蔵のひび割れ、2階の歪みも酷くなっています。壊すにも直すにも費用が掛かります。田舎ではそうそう売れるわけでもなく難しいですね。

気仙沼には義姉が住んでいます。「時間があれば」とは思っていたのですが、気仙沼は”陸の孤島”、宮城とは言えほとんど岩手県です。当日の宿泊は女川を予定しており、気仙沼ー女川往復は少々厳しい、今回は断念しました。親族は無事だったとは言え気仙沼も震災被害の激しかった土地、復興の具合を確認したかったのですが。

女川町にも家内は短期(2年ほど)ですが住んだことがあります。私は震災後は2回目、家内の住んでいた頃(35年ほど昔)にも1度訪れたことがあります。家内は震災後で3回目の訪問になります。宿は2年前と同じ”トレーラーハウス”です。大津波で流された地元旅館の女将が作ったホテルです。宿を再興させようと図ったものの建築許可が降りず、苦肉の策が”移動できる”トレーラーハウスだったそうです。2年前とは場所も異なっています。2年前は駅から離れた高台でした。今回は駅のすぐ近くが整備され移動してきています。宿泊棟は車付き、事務所やレストランは普通に地面に着いています。「宿泊設備は建築許可が降りない」ということのようですね。ともあれ駅近になって便利になりました。室内も綺麗で十分な設備です。

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当日も西武・楽天戦は接戦でした。好投の菊池雄星は9回を1失点に抑えましたが、楽天塩見も8回1失点の好投、延長戦に。10回表外崎・メヒアの連続HRで一旦は勝ち越しますがリリーフ・カスティーヨが打たれて再び同点。ここで家内がしびれを切らして止むを得ずTV観戦を中止して風呂へ出かけます。

野球は結局、この日も西武が危うく逃げ切り勝ちました。が、9回熱投の菊池の勝ちを消したカスティーヨが、11回の秋山のHRで(自分が打ったわけでもないのに)勝ち星を拾うという今のルールには納得できません。勝ち星を得るなら、どう見ても菊地でしょう。何とかならないものかなぁ?

津波被害で街の半分以上を削られた女川町、駅周辺は綺麗に整備され家内の記憶とは全く異なる街となっています。仙石線の最終駅、30数年前での訪問で、海を指して途絶える線路は印象的でした。その点では今も同じですが、駅舎は近代的になっています。駅舎に温泉設備が併設され、今回はそこを使ってみることにしました。2階にある温泉は男女別、中には湯舟が2つ、単純な造りです。今流行りの健康ランド的な温泉設備のようなジェットバスや炭酸湯等の設備はありません。蛇口は10個。宿の狭い風呂を使うよりはゆったりできますが、そこまでです。脇にはTVのある休憩所、1階には売店があります。

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夕食の場所を探して”シーパルピア女川”を周ります。女川駅前にできた近代的商店街です。夜は寂しい~。日曜日の夜、多くの店は閉まっています。昼間は多少は賑やか?なのかも知れませんが、泊まる観光客は少ないでしょうからね。2年前に訪れた「OWL」は閉まっていました。後で聞いたらオーナーが体調不良だったとか。「居酒屋カフェM」という店で夕食しました。海鮮メニューの少なかったのが残念。

Img_20180709_072818_2 Img_20180709_072830_2 翌10日は仙台でお土産買い、朝食後女川港をちょっと見て早々に出発しました。女川の街は相変わらずあちこち工事中です。高台に住宅地を造成中のようですが、住民は戻ってくるのでしょうか?震災での人口減比率の1番高いのが女川町です。

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仙台駅近くに車を停め駅ビルで買い物。牛タン・笹蒲鉾・ホヤ・ずんだ餅・そして一ノ蔵酒造の発泡清酒”すず音”、一ノ蔵は足利でも売っているのですがこれはありません。以前、東北復興支援イベントが足利で催された時一ノ蔵酒造が参加出品していた時に買って美味しかった発泡酒です。甘くてシャンパンのようなお酒です。昨夜飲みました。牛タン(真タン)も美味しかった!年々高くなるずんだ餅ももうありません。残るは笹蒲とビン詰めホヤ、今晩出るかな?しかし皆年々高くなります。焼き雲丹、美味しそうだったけど手が出ません・・・。

Img_20180709_122139 お昼は駅ビルで買った雲丹イクラ弁当、旨し。でも「ご飯にも雲丹を沢山混ぜ込みました」って、少なくとも”沢山”では無かった。

帰途、福島猪苗代湖奥の裏磐梯、「諸橋近代美術館」に立ち寄りました。スポーツ量販店”ゼビオ”の創業者である諸橋廷蔵氏のコレクション、造った美術館だそうで、メイン収蔵はサルバドール・ダリとなっています。ゼビオって儲かってたんですね。

ダリ作品は素晴らしいコレクションですが、英国現代作家パメーラ・クルックの作品も面白かったです。若手新進だった時代、オークション参加で訪れた英国でたまたま画廊を訪れ「全部」の大人買いしたそうです。作者も「映画のような出来事」と語っていましたが、ダリ1作を買うに比べたら安かったのでしょうが、さすがの先見眼でした。

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2018年6月28日 (木)

韓国が勝った、今晩は日本戦。

信じられない思い、韓国がドイツに勝利?! 韓国監督が「勝つ確率は1%」と言っていた試合、油断させるための発言だったのか?これでドイツは出場19回で初めての1次リーグ敗退、前回優勝国の敗退も初めてでは?日本の「大会1の番狂わせ」の地位も奪われた。

セネガル戦を見て、コロンビア戦勝利が「たまたま」ではない、「日本は強くなった」と確信、「強いから勝つんだ」だから「ポーランド戦も大丈夫」と思い始めていた、けど、また心配になってきた。意外と番狂わせの少ない競技、初戦心配された列強国も結果的には皆勝ち残ったし。だからドイツも結局は勝ち残ると思っていました。しかも2-0の韓国勝利、28本のシュートをことごとく阻まれたドイツ、サッカーって怖い・・・。

7/05追記、日本代表がんばりました!2大会ぶりの決勝トーナメント進出、ベルギーに破れて初のベスト8入りは逃したものの、本当に”今1歩”でした。後半アディショナルタイムでの失点によるマサに”サヨナラ負け”ですので選手達の悔しさは「半端ない」でしょうが、サポーターとしてはこれ以上望むべくもない感動でした。”夢”は4年後に持ち越しになりましたが、4年後にはすでに”夢”ではなくなっているでしょう。コロンビア戦では多分にラッキーな面はあったと思いますが、セネガル戦・ベルギー戦では「強くなった日本」を実感できました。さぁ、次は来年のラグビーW杯!申し込み済み先行予約、さて当選は?そのためにわざわざマスターカード(大会スポンサー、当選確率が上がるとか)作ったんだから。

2018年6月25日 (月)

決勝トーナメントへの進出はあるのか?ありそう💛

セネガル戦、はらはらしましたが何とか引き分けに持ち込みました。これで最終ポーランド戦で勝つか引き分けで自力勝ち抜けできるまでになりました。「ポーランドに勝つか引き分け」、W杯開始前では絶望的に思えるほどの条件ですが、今では「易々と」までは行かないまでも、かなり確率の高い条件に思えるようになりました。初戦コロンビア戦での勝利は、棚から牡丹餅、天から頂いたプレゼント的な”ラッキー!”感の方が強かったのですが、今回は「日本の強さ」を感じた一戦でした。先取点を取られた段階では「まだまだ」との思いが強かったのですが、2度目の先行点には「ここまでかな・・・?」との諦め感も正直ありました。しかし選手たちにはそんな思いは無かったようです。日本を応戦しながら見縊っていました。こんなに強かったンですね、SAMURAI日本!自信に満ちた代表チームでした。監督交代が結果的には良い方に転びましたが、それ以前に、日本代表チームは強くなっていたのですね。しっかり自力は育っていた、それが監督交代を好機として表面に現れた、そういう事だったのだと思いました。日本の得点は2点とも、流れの中からしっかりと得た得点でした。知らない間に、日本代表チームは変わっていたのですね。

日曜日、足利市運動公園陸上競技場でのJ3栃木ウーヴァ対市原FCを観戦に出かけました。現在勝ち点で並ぶ同士でのJ3首位争奪直接対決です。結果は栃木の勝利に終わりました。これで単独首位、J2昇格の可能性も出てきています。そんな栃木ウーヴァを見ていて思いました。J2昇格前の栃木SC、JFL時代の栃木SCですが、それに比べ今のウーヴァは格段に強い気がします。きっと今のJ3とJFLとは別物なのでしょう。日本のサッカー自体が底上げされ、自然代表チームもレベルアップした、そういうことだったんじゃないかと思いました。

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栃木ウーヴァはお隣栃木市を本拠とするチームです。足利市での試合数も多く、来週も足利で試合があります。そこで心配になりました。昔のJFL時代の栃木SCも年2試合?だったでしょうか、足利で試合があり応援に行っていました。それがJ2に昇格になり足利での試合が無くなりました。競技場がJ2規格に合わないようです。ウーヴァはどうなのでしょう?仕事でお酒でお世話になった先輩の会社がメインスポンサーになっている縁もあり観戦に来たのですが(昨シーズンも1回)、今日の試合を見て「また来週も」と思っています。足利での試合の無くならないことを祈りつつ、栃木ウーヴァの奮戦を祈ります。

2018年6月20日 (水)

祝 日本勝利!

溜まった近況書き込み途中ですがひと言、🙌バンザイニッポン!まさか本当に勝てるなんて思いませんでした。soccer

2018年5月16日 (水)

平成最後のGW 3

GW個人行事、最後は5月6日日曜日の野球観戦でした。応援対象はいつも通り西武ライオンズですが、いつもと異なるのは”イースタンリーグ”だったこと、つまりは二軍戦です。娘の住む町上尾市の、上尾市民球場で開催されるとのことで行ってきました。

二軍戦は初めての経験です。知った選手はほとんど居ませんでしたが、塩崎2軍監督と打撃コーチの赤田将吾という懐かしいお顔を発見!しました。もっとも塩崎監督は”お顔”ではなく背中しか見えませんでしたが。

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上尾市民球場最寄駅は北上尾、娘の家とは線路を挟んで反対側です。観戦後に立ち寄ろうかとも思っていたのですが、夕方から用事があるとかで近くに行きながら立ち寄れませんでした。先方からは「試合前に」との連絡もあったのですが、駐車場の心配もあり(早めに入れとかないと場所が無くなる?)、指定席ではないので一旦球場内に入ってしまうと自由も利かないでしょうし、今回は諦めました。お昼は途中7-11で買ったサンドイッチと納豆巻きを球場内で食べましたが、球場入り口周辺では”グルメ祭り”とかのイベント屋台も出ていて、そっちでも良かったかな。

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11:30頃に球場に到着、試合開始は13:00、いつも慌ただしくなる私ですが珍しく余裕がありました。球場は地元足利市のものよりも少し小さい?程度の普通にありそうな市民球場です。2軍とはいえプロですので、左右やバックネットに飛ぶファウルは半分近くは場外に消えます。そのクセ正面には飛ばずホームランはありませんでした。4番は1軍でも登場する台湾の呉念庭、こんなところに居ないで「さっさと所沢に帰ってこ~~い!」、名前は知っているけれど中々上がって来ない愛斗もクリーンナップ。あ、あと、元西武の細川亨捕手が楽天側で出ていました。

試合前のセレモニーには上尾のキャラクター”アッピーくん”という奇妙な縫い包みもレオ君と共に登場しました。

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試合は西武:相内・楽天:森の先発で開始、西武2番手で大石も登場しました。謹慎明けの作新:今井は4日、同姓同名話題の本田圭佑は12日に出場したようです。前橋育英出身の高橋光成は音沙汰無し、8月の前橋敷島球場のチケットは取ってあるのだけれど出てきそうにないな。出場選手中1番の話題選手は西川愛也(まなや)、期待される新人、この日もヒット連発していました。地元埼玉花咲徳栄高校出身ですので人気も1番、声援を浴びていました。打撃好調の西武ですので打者での昇格は大変でしょうね。それでも期待して待ってます。ベテランに疲れの出てくるであろう夏を控え、生きの良い新人は何人居ても心強い。結果は3-1でライオンズの勝利。私が応援に訪れると連敗が続いていましたが、ようやく勝利をも届けることができました。次戦は1軍での楽天戦を予定、次も勝たせて!

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2018年2月19日 (月)

息子とスキー

17・18日、1泊2日でスキーに行ってきました。スキーは2年振り、同行者は息子でした。気付いてみると昨年11月以来記事を書いていません。かなり忙しく過ごし書くことは沢山あったここ3か月余りだったのですが、寧ろ忙し過ぎて、また取り敢えずFacebookに書き込んで済ませてしまっていた部分もあります。しかしFacebookやTwitterは過去に流れてしまい、後から振り返ることは難しいですのでやはりこちらにも残しておきたいと思います。まずは昨日一昨日の事、そして12月1月のことも振り返って書いておきたいと思っています。

初めてのスキーは小学生の時の大穴スキー場、当時夢中になっていた父に連れていかれました。しかしその後すぐに父がスキー場で骨折、家族スキーはそれっきり。次のスキーは高校でのスキー合宿での越後中里でした。当時はまだ竹のストックに皮のスキー靴、板は木でビンディングはカンダハーでした。クラスで1人だけ、スポーツ用品屋の息子だけが最新の”ステップイン”で参加していました。大学進学後はスキーに夢中、シーズン初めは狭山の人工スキー場、滑り初めは天神平、そして12月に岩原を中心に越後スキー合宿1週間、年が明けると白馬佐野坂で1週間、佐野坂スキー場をメインに白馬沿線の八方や栂池・青木湖等を巡り滑っていました。部活は美術部だったのですが、何故か1週間ずつ2回の”スキー合宿”があったのです。他に親しい仲間数人でのスキー、最初は越後湯沢布場、後にみつまた・かぐらスキー場に通いました。その頃の定宿、三俣高原の民宿に今回久々泊ってきました。初めて泊まったのは確か、かぐらスキー場の出来る前年だったと思います。それから数年は毎年宿泊、子育てで数年空いたものの3歳の娘を連れて親子2人で(長男が生まれていたので家内は留守番)1泊雪遊びに出かけたこともありました。子供たちの小学生時代には家族4人で何度か出かけています。その後は1人での日帰りスキーが多く、シーズン1回か2回スキーには出かけていたものの宿泊は絶えていました。今回の宿泊はおそらく24年振りになると思います。

昨シーズンもスキー予定は組んでいました。上越で滑ってから新潟市へ、その夜新潟市在住の友人と酒を酌み交わすという予定でした。宿泊はJALホテルを予約していました。しかし予定の数日前に胃に悪性腫瘍が発見され遭えなく断念、入院手術となってしまったのです。事情を話すとJALホテル、キャンセル料を取らずにキャンセル対応して下さいました。またいつか宿泊しなければ。作シーズン神田スキー街で買ったLANGEも1年休眠、今年やっとデビューできました。学生時代、LANGEは憧れのブランドでした。

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息子には時々スキー行きに付き合って貰っていました。昔(小学生時代)の家族スキーを除けば、泊りでのスキーは3回目、日帰りでも3~4回。ゴルフではそれ以上。優しい息子ですが、入院手術後は更に優しくなっているようです。(笑)

17日は無理せずゆっくり出発、昼少し前に越後湯沢・岩原スキー場に到着。5時間券を購入して滑り始めました。息子はボード、私はフィッシャーのショートスキーです。天候は雪、上の方のリフトは吹雪でホワイトアウトに近い状態です。フェイスマスクを車に忘れてしまいましたので、滑っている時は良いのですがリフトが寒くて参りました。

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雪質は最高!なのですが吹雪いて前がよく見えません。1シーズン空いていますので元々苦手な左足体重時が不安定、右カーブが上手く曲がれません。顔が寒いので3本ほど滑って昼休憩、食後も数本で早めに上がりました。学生時代は「リフト券の元を取ろう」と必死で滑ったものですが今は無理せず、コーヒータイムが増えています。駐車場を出ての道すがら、大学スキー合宿時代の定宿”電気屋”を見つけました。時代を超えての健在が嬉しいですね。白馬佐野坂の宿はネットでは見つけられませんでした。廃業したのかもしれません。

久々の三俣民宿、最初場所を勘違いして戸惑いましたが無事到着、懐かしい宿に落ち着きました。部屋は昔と変わらぬ6畳ですが綺麗にメンテナンスされています。壁に掛けられた派手なウエアは90年代初めのゴールドウィン”ボルペネーベ”、最近のボード系ダボダボデザインは好みに合わないのですが、幸いに体形が変わらないので20数年前のウエアがまだ使えています。歳を取って怪我が心配ですので、昨年バイク用アーマーウエアを買ってありました。厳重にフル装備です。安いものですがメットも買いました。スキー場での衝突事故が報道されているせいかメット着用者も増えましたね。当初は夕食後、三俣唯一の居酒屋に行くつもりでいたのですが外は吹雪、TVでオリンピック観戦しながらの室内宴会に切り替えました。酒は越後ワイン。

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翌朝も相変わらずの雪模様、標高の高いみつまた・かぐらスキー場は吹雪で閉鎖の可能性もあるそうです。目の前まで来ていて残念ですが、下の湯沢のスキー場に場所変更することにしました。襟後湯沢・神立スキー場到着はまたまたゆっくりの11時頃、10:30~16:30まで使えるレイト半日券を購入。今は様々な用途のチケットが販売されていて便利です。

神立も雪でしたがごく軽い吹雪程度、昨日よりはかなりマシです。雪質は相変わらずの粉雪、滑りにも慣れて軽快に曲がります。フェイスマスク着用で顔も寒くないので天候は差ほど気になりません。寧ろ晴れた悪雪よりは良いかも。

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帰途渋滞に巻き込まれたものの19時頃無事帰宅。やはり今度は晴天の元滑りたいですね。日帰りでも、今シーズン中に再訪したいと思っています。

2017年11月29日 (水)

貴乃花の”相撲道”

話題の貴乃花問題、疑問に思っていたことがあります。貴ノ岩が翌日の巡業に出場していたことに対し「相撲がとれていたじゃないか」という怪我を疑問視する発言です。全く相撲に関心の無い方でしたらそう思うのも当然でしょうが、多少の知識があれば「本場所と巡業場所とでは相撲も全く別物」は常識です。巡業場所で怪我をてし本場所に影響しては元も子もありません。怪我をしないように立ち合いは頭で当たりませんし、技を掛けられたら抵抗しないで素直に投げられます。ですので投げ技は綺麗に決まります。「寄り倒し」「押し倒し」の決まり手はほとんどなく「寄り切り」「押し出し」で終わります。立ち合いで変わる事も引き技もあまりありません。要は型を見せる、勝負に拘らない相撲なのです。頭に怪我をしていても問題なくとることができます。私自身、巡業場所体験は2度ありますが、1度目は物足りなさを感じました。2度目はそういうものと割り切って観戦しました。相撲好きならな誰でも知っている常識、専門家が揃っているはずのTV・新聞等でこのことがあまり指摘されてこなかった事に不信感を感じています。敢えて貴乃花関に不信感を与えるための策略に感じています。

そしてとうとう日馬富士の引退が決まりました。もっとも、以前の状態で日本人力士であれば、もっと早い時期に、少なくとも県警で送検された段階で自ら引退の道を選んだと思います。それが日本的美学でした。貴乃花親方の異常とも思える対応が疑問視されていますが、彼の意図はかなり早い段階からすでに日馬富士個人に対するものではなくなっていたのだと思っています。モンゴル人力士は「低迷しつつあった日本相撲会を盛り上げるのに功績があった。」との評があります。確かに、スポーツ・格闘技としてはそうだったのだと思います。反面、神事を発祥とする日本の文化としての相撲は変質してしまいました。外国人力士でも、高見山をはしりとするハワイ出身力士たちは日本の文化に馴染むよう努力してくれました。しかしモンゴル人力士たちは必ずしも同じではありませんでした。そして相撲協会は、”格闘家として強い”彼らを、日本的美学を基にして諫めることが事ができませんでした。元々”ルール”にはないのですから。相撲道で”ルール”を持ち出した時から、美学としての大相撲の崩壊は始まったのだと思います。

マスコミは白鵬に「平成の大横綱」との肩書を唱えます。私は彼を”大横綱”とは思っていません。これは何を基準にするかで異なりますので、勝ち数・優勝回数で判断するならそうなのでしょう。ただ彼を”大横綱”と評する方々でも、”名横綱”と評価するには躊躇する方も少なくないと思います。私基準では何処をどう間違っても”名横綱”には値しません。日本的美学での”名横綱”は、立ち合いで変わりませんし張り手差しもしません。相撲は元々は「勝てば良い」とのスポーツ・格闘技とは別物でした。大関には大関の、横綱には横綱の相撲がありました。平幕力士なら許される勝ち方も、横綱には許されない、それが”横綱相撲”でした。白鵬は優勝回数等では大鵬も千代の富士も北の海も貴乃花も、単純な数字的には抜きました。しかし彼ら名横綱を抜いたとは、私には到底思えません。数ではなく質として、”横綱相撲”で勝った数で計算するなら、白鵬は未だ歴代の名横綱には及んでいないと思っています。それ以前に、ここに到達する以前に、「横綱としての品格に問題がある」との理由で引退を迫られていた可能性も大いにあったと思っています。昔の日本的美学での大相撲下であれば、白鵬が40回の優勝を得るまで現役であり続けることは不可能だったと思っています。今場所の彼の行動、土俵下からの抗議姿勢だけでも、以前なら引退勧告に至っても不思議ではなかったと思っています。

ただ残念なのは、モンゴル人力士の中では教養・常識があり、日本的美学の一部も理解してくれていると思っていた日馬富士が今回の加害者となってしまったことです。彼だけには横綱を全うして貰いたかった。現在の横綱で、最も綺麗な土俵入りを披露する力士だと思っています。

すでに暴力問題ではなく、「スポーツ・格闘技」としての大相撲を選ぶのか、「神事を発祥とする日本的美学に基づいた相撲道」に戻るのか、選択しなければいけない場所に来ているのだと思いますし、貴乃花親方の意図も、そこにあるように思っています。

2017年10月 9日 (月)

ここ暫くのお出かけ・できごと

前回10/07の書き込みの前が8/15、だいぶ間隔が空いてしまっています。「何事もなかった」わけではなく、寧ろ行事が多過ぎて書く間もなく次が始まってしまって書き損なった、といったところです。また、Facebooにちょこっと書いてそれで済ませてしまった部分もありますね。過ぎてしまった事柄ですが、簡単に書き留めておきたいと思います。

8/14が昨年亡くなった父の新盆棚経、そこは8/15に書きましたが、続いて16日には施餓鬼大法要がありました。菩提寺を訪れて供養します。新盆を迎える遺族の皆さんが本堂に集まり読経の中焼香します。その後お墓参り。ちなみに当家菩提寺:法玄寺は市内でも由緒あるお寺です。1196年、源姓足利市二代目足利義兼の正室時子(源頼朝正室北条政子の妹)の供養のために義兼の長子義氏の開いた寺で、境内には時子の碑があります。また、書家相田みつを氏のお墓もあります。

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17日は渡良瀬川にて灯籠流しがありました。おそらく子供の頃に来て以来だと思います。夕6時過ぎに訪れましたが、もう少し暗い(遅い時間)の方が雰囲気が出るかも知れません。思った以上に大勢の人たちが訪れていました。皆信心深いのですね。

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父関連の行事、少し日を置いての昨日(10/08)は一周忌でした。市内ホテルの9階レストランにおいて、喪主である母、母方の親族(千葉市より)とお隣佐野市在住の姉夫婦、姉の次男夫婦、私の娘夫婦、息子、妹そして3年半前に閉めた会社で長年勤めて頂いた社員数名と故人の曽孫2人での供養です。父は四国愛媛の出身です。兄弟は一番下の妹さんが1人残ってはいるのですが、遠方ですしもうお歳ですので来足は無理です。愛媛・千葉の夫婦ですので元々地元での親戚は少ないのです。それでも20人+小さいのが2人で賑やかに明るく、故人を偲ぶことができました。これで取り敢えず父関連の行事はひと段落、慣れない初めての仕切りばかりでいささか疲れました。

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8/20には市内陸上競技場にJFL栃木ウーヴァのサッカーの試合観戦です。対戦相手はHondaFCでしたが負けてしまいました。現在JFL16チーム中15位と低迷しています。

「伊香保ゴルフ倶楽部」 8/29日は平日ゴルフ。火曜日休みの2人と火曜日でも休める友人と。旧名は”岡崎城コース”、以前は”清瀧城コース”という姉妹コースがありましたがそちらは閉鎖されています。以前は時折訪れていたゴルフ場ですが、調べてみたら前回は2010年、久々のコースです。比較的平らなコースですが、距離があり飛ばない私にはミドルもロングに感じられて苦労します。このゴルフ場の”売り”は何と言ってもお昼のバイキングです。種類も多いし味も満足、これまでプレーした中での断然NO.1です!お昼休憩時間の長過ぎるのは苦情の元ですが、ここではもっと長く時間が欲しかった。難はお風呂、だいぶ老朽化が目立ちます。ロッカーは2段式ですが、特に狭さは感じませんでした。

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9月に入って8日・9日と1泊での茨城旅行。以前某銀行の若手経営陣での異業種交流会の会長(2年任期)を務めたことがありますが、今年はその会の北関東交流会(北関東4支店での交流会)25周年とのことでOBである私にもお誘いがかかりました。8日に1人で車で出発、25年前の発足時の会にも出席しましたが、その頃は北関東道が無く会場の大洗は遠く感じました。高速道の威力は大きいです。随分と近くなったものです。途中水戸市内のワインショップに立ち寄りました。以前水戸支店交流会の会長を務めていた女性オーナーはすでに大洗の会場に出かけていて不在ですが、ワイン2本とシードル(リンゴ酒)を買いました。オーナーとはその夜、ホテルの宴会場にてご挨拶させて頂きました。

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大洗到着、ホテルチェックイン前に目の前の大洗磯前神社(いそさきじんじゃ)に詣でました。太平洋に面した鳥居が印象的な神社です。

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「大洗ゴルフ倶楽部」 翌日はホテルすぐ隣の名門ゴルフ場でのコンペでした。プロトーナメントを何度も開催、2013年のダイヤモンドカップゴルフでは松山英樹プロが優勝しています。私自身は3度目のチャレンジですが、フラットながら距離があり、低く垂れ下がった左右の松林がフェアウェイを狭めて少しでもラフに入ればグリーンを狙えませんし、フェアウェイにあっても落し処が制限される難しいコースです。バンカーも深いしグリーンも速くて微妙に切れる、何処を取っても私の太刀打ちできるコースではありません。プレー代も土日は3万越えですので(今回は割引で29,000円程)そうそう行けるコースでもありません。初めてのチャレンジ(多分2004年、ゴルフを始めて間もない頃)ではおそらく150~160位だったと思います。前回2012年は「134」でした。それに比べれば今回の「115」は目覚ましい進歩です。目標だった「110切り」は果たせませんでしたが、まぁまぁ満足できる成績です。

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9/16にはメットライフドーム(西武ドーム)にて野球観戦。ライオンズの応援ですが、ここ暫くナマでは勝利を見ていません。私が行くと負け続け・・・。今回の対戦相手は優勝マジック「1」のソフトバンク、そう、ソフトバンクの優勝、工藤監督の胴上げを見てしまいました。

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勝てなかったことは残念ですが、ソフトバンクの優勝に関してはあまり悔しい感覚はありません。今年は断トツでしたし、優勝監督も西武出身の工藤監督です。清原は西武OBと認めたくないのですが、根本監督を慕って移籍した工藤・秋山に関しては西武OBとしての愛着を持ち続けています。

翌週の23日は高校の同窓会&同窓会ゴルフでした。2008年以来、毎年開催しています。ゴルフ会は市内城山CCにて新ペリ2組でのミニコンペ、その夜の同窓会は市内蕎麦店の2階貸し切りでの開催でした。今年の参加者は20名。

10/01は関東大学対抗戦での母校青山学院大の応援。今年は珍しく地元足利陸上競技場での開催です。相手は早稲田大学、おそらく早稲田OB会が誘致に動いたのでしょうね。対抗戦で早稲田に勝ったことはないのですが、今回も大差で負けました。スクラムでもタックルでも、体力・迫力負けしています。

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長々と書き連ねましたが、やっとお終いです。ね、行事多かったでしょう。追伸でもうひとつオマケ。6/02のブログに書きました「パステル画講習会」ですが、8/04で講習会は一応終了しました。希望者を募って自主運営愛好会として存続することになり、流れで私が会長就任となりました。月1回は以前通りに先生をお願いして講習会を開催、それ以外は会員だけでの自主活動になります。市からの援助の無い会費制愛好会ですので、毎週先生をお願いする予算はありません。自由参加での野外スケッチでも予定に入れて活動して行きたいと思っています。会員は現在11名です。

2017年8月15日 (火)

この1週間

この1週間、結構出歩いています。まずは8日(火)、東京に相撲を見に行っていました。夏巡業です。一般的には”地方巡業”とも呼ばれますが、今回は都心・渋谷での巡業です。都心で巡業の行われるのは異例(初めて?)ですが、どうやら元横綱旭富士と貴乃花巡業部長のアイデアらしい。しかも会場は母校体育館、「大相撲渋谷青山学院場所」です。青学は大学としては以前から、こういったアルバイト的副収入事業に熱心な一面がありました。体育館(青山学院記念館)はバスケBリーグの”サンロッカーズ渋谷”のホーム球場にもなっています。大相撲も1度行ってみたいとは思っていたのですが、今は人気で発売即完売状態のようです。地方巡業ではだいぶ以前、地元足利での場所で見に行ったことがあります。その時、「本気の勝負では無い」相撲に、「巡業場所はもういいや」との思いがありましたが、会場が会場でもあり、今回の行動になりました。

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開館は9時でしたがゆっくりの出発でしたので到着は12時半頃、でもこれで丁度良かったかも知れません。幕下の取り組みの始まるところでした。席も狭い(2階椅子席でした)ですので、稽古とか子供相撲とかのアトラクションから見ていたら疲れます。ま、一緒に行った家内はこれでも十分に「疲れた」ようですが。写真は十両取組前に披露された相撲甚句。

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序二段の取り組みはすでに終了していましたが、全部の力士が出場しているわけではなく、足利市出身の斎藤はお休みでした。同じくお目当ての栃木(小山)出身の貴乃花部屋所属幕下、期待の双子力士貴公俊・貴源治の取り組みは見ることができました。写真は貴公俊(兄)です。

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弟、貴源治は元横綱北の富士も名を挙げるくらいに注目されている若手力士です。ひと場所だけ務めた十両では負け越し、現在は幕下ですが、今回は十両最初の取り組みに配されていました。十両土俵入りと貴源治の取り組み。

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幕内土俵入りでは赤ちゃんを抱いた力士も。取り組み前の握手会や子供相撲に参加したお子さん達だと思われます。本場所では見られない和やかな風景です。

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横綱は稀勢の里と鶴竜が休場、白鵬と日馬富士の2横綱になります。

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椅子が狭く疲れましたが、距離もほどほどで良く見え楽しめました。以前は「本気の勝負で無い」と不満だった部分も、こちらが歳を重ねたせいか「巡業で怪我して本場所に影響があっては本末転倒」と寛大になってます。大学理事長の挨拶では「毎年開催」を目指すようなことをおっしゃってました。毎年は兎も角、立地が良いのですから安定した観客動員も可能、恒例開催も不可能ではない気がします。

10日(木)はゴルフでした。会場はゴールド佐野カントリー倶楽部、10数年前50歳を過ぎて始めたゴルフのデビューコースでした。その1週間前から打ちっ放しに通い始め、いきなりコンペ(それも参加50名規模の)参加した無謀な行動、スコアは確か「189」もちろん断トツの最下位です。その後も何回かプレーしていますがアップダウンの少ない綺麗なコースです。池が多く、未だ100を切った経験がありません。

今回のメンバーは集まって定期的にプレーしている仲良しオジン4人組。元々は取引銀行の異業種交流会で知り合いました。私自身は3年半前に事業を閉じてしまっていますが、他3人は今でも現役で活躍しています。社会的環境の変わってしまった後でも交際を続けて頂いています。ありがたいことです。会社を閉めて初めて、社会との繋がりの途絶える不安感を感じました。名刺を持たないことも不便。つい先日、個人名刺(携帯番号、メルアド、Facebook、ブログアドレスを記載)を作りました。前回(5月)から、スコアやオリンピック・罰金・会費等を集めプール、何回か先のお泊りゴルフ資金にしようと貯金を始めています。5回も続ければ宿泊費位にはなるでしょう。それも楽しみです。

さてゴルフ当日、事前予報は”晴れて暑い1日”でしたが前日辺りから予報が曇りに、当日朝はミストシャワー的な涼しい小雨模様の中でのスタートでした。午後多少は蒸したものの、概して快適なゴルフ日和でした。スコアは「51」「51」の平和賞「102」、100切りは成りませんでしたがこのコースでのベストタイ、また初めて池ポチャ無しOB無しで周れました。フェアウェイキープ率も64.3%と高率でした。まずまずでしょう。このメンバーでの次回ゴルフは11月と決まりました。

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翌11日(金・祝)はラグビー観戦です。熊谷スポーツ公園陸上競技場でのパナソニックワイルドナイツvs.ハイランダース(NZ)の一戦です。熊谷ラグビー場は2019年のW杯に向けて現在工事中です。https://matome.naver.jp/odai/2144627206965682401 写真は完成イメージ図。

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ハイランダースはニュージーランドの名門チーム、スーパーリーグに所属、優勝経験もある強豪チームです。ワイルドナイツの田中史朗選手が所属(2013~2016)していた時期もあります。そういった縁での来日なのでしょう。当初「まともな試合になるのだろうか?ぼろ負けじゃいやだなぁ」と思っていたのですが、試合開始直後に先制されたものの、中盤に逆転、後半は終始ワイルドナイツペースで試合が展開されました。最終結果は22対7での圧勝でした。日本のレベルも上がっているのでしょうが、ハイランダースは”若手主体”でのチーム編成、要するに2軍レベルだったようです。終盤は少々面白みに欠ける試合にはなってしまいましたが、2軍とはいえスーパーリーグ強豪チームに、日本のトップリーグチームが単独で対戦できること自体、時代が変わりつつあることを感じさせます。2勝に終わったスーパーリーグのサンウルブスにも、次シーズンでの活躍を期待したいと思います。 https://panasonic.co.jp/sports/rugby/info/2017/170522102800002.html https://sunwolves.or.jp/

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この1週間、次の行事は絵の展覧会です。学生時代に東京で、数大学(青山・芝浦工大・上智・共立・聖心・東工大・早稲田等)の美術部員を誘って絵の会を作りました。その会が今も続いています。元々「卒業しても将来に渡って絵を描き続ける」ことを目標に立ち上げた会です。40年超続いているのですから、その意味では目標に沿った、そしてこれからが”本番”とも言える会なのだと思います。展覧会は今回で44回を数えます。(当初、年2回開催した年もあり) 青山学院からは、美術部長だった男と副部長だった私との2名の参加(設立メンバー)だったのですが、その2人ともが郷里に戻ったこともあり、長らく半幽霊会員状態でした。会費は払い続けていましたし、たまに例会、また出品はしないものの展覧会にも出かけたり、細々とではありますが繋がりは保っていました。その甲斐もあり、意図せず2人とも同時に(打ち合わせたわけでもなく)今回同時に復活出品となりました。東京で幹事役として会の運営を続けていてくれたメンバーに感謝!です。メンバーもだいぶ変わりましたが、残っていた創設時メンバーには大変歓迎され喜んで貰いました。今後は積極的に参加させて頂きたいと思っています。

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今回出品させて頂いたのはパステル画2点です。(6号サイズ) 在学時代は油絵を描いていたのですが、油絵の具は使わずにいると固まってしまいます。一式新に買い揃えるのも大変ですのでパステル画にしました。パステルは全く初めてです。市の広報でたまたま目にした「パステル画教室」募集案内を見たのが切欠でした。前々から「いつかまた描き始めよう」とは思っていたのですが、思っているだけでは「いつか」は永遠に訪れません。1人で描き始めるより、パステル画教室参加が背を押してくれるように思いました。

以前、クレパスで描いた時期はありました。同じように考えていたのですが始めてみると大違いでした。色の載りが異なり思うようになりません。自在にならない不自由さから、タッチも色合いも以前とは違ってしまい、画風がすっかり変わってしまいました。自分でも不自然に感じるくらいにおとなしい作品です。以前の作品を知っている仲間たちも同じよう感じたようです。12日に搬入で上京、大学時代の美術部の仲間、東京在住の高校同期も訪れてくれました。わざわざありがとうございます。また、クッキー・煎餅・お酒等、お気遣いありがとうございます。18日・19日にまた上京在廊します。(18日は夕方から)

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ちなみに昔はこんな作品を描いてました。油絵です。画材に慣れればまた変わってくるかも知れませんが、年齢的なものもあるでしょうから昔に戻ることもないでしょう。感覚も保守的になってるでしょうから。それでもその内、油絵も描き始めたいですね。

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この1週間行事、実はもうひとつありました。”新盆”です。昨年10月に父が他界、施主として葬儀を取り仕切りました。もちろん初めての体験です。外からは見ていたはずなのですが、いざ自分でということになると何も判りません。ただ今では、葬儀屋さんが色々教えてくれますし(料金は発生しますが)手筈も整えて貰えます。随分と助かりました。10日に自宅に新盆棚を設置、13日にお寺に参って迎え盆、昨日14日には和尚さんが自宅を訪れ新盆棚経、16日は送り盆でお寺に、施餓鬼大法要に参列の上卒塔婆を頂いてお参りしてきます。17日には渡良瀬川にて灯籠流しもあります。こちらは少々お天気が心配ですが。

2016年12月21日 (水)

先週15日の上京

一週間経ってしまいました。書き込みに、どうもタイムラグができてしまいます。先週15日(木)、ちょっくら東京に出かけてきました。今回の目的は4ヵ所、そんな忙しいスケジュールを立てると周り切らなくなることが多いのですが、今回は珍しく完走できました。

8時発の特急で出発、早起きはしたのですが自宅でゆっくりし過ぎてギリギリ乗車、指定券を買う暇がなく車内で購入しました。ここで乗り遅れたら完走は無理でした。最初の目的地は上野、上野の森美術館で開催中の「デトロイト美術館展」です。米国自動車産業の最盛期、圧倒的な資金力を背景に集めた印象派を中心とする欧州近代絵画コレクション展です。売りはゴッホの自画像でポスターにも使われています。入館料は1,600円。

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上野の森美術館を訪れるのは久し振りです。私の大学浪人中の1972年の開館ですので、開館時の印象が残っているせいか、未だに”新しい美術館”との思いが払拭できません。(笑) 当時は(今も?)現代美術の紹介をメインテーマとした美術館でした。上野の美術館群、国立・公立のイメージがありますが、こちらは”私立”美術館、フジサンケイグループによる開館です。どの展覧会をどの会場で観たのか、記憶のはっきりしない部分も多いのですが、学生時代に魅せられた当時の最新現代美術、スーパーリアリズムやシルクスクリーン作品などは、ここ上野の森美術館で最初に観たような気がします。

開館直後(9分後)に入館、平日でもありさほど混んではいませんでした。目玉のゴッホ自画像は思ったより小さな作品で、1点だけぽつんと展示されてあり、少々物足りない思いもありました。ゴッホのもう1点、川辺のボート遊びを描いた作品の方が迫力がありました。モディリアニの肖像画群も印象に残った作品です。圧巻はピカソの婦人像でした。輝くばかりのピンクがかったジョンブリアンは眩しいばかりの迫力でした。ピンクの時代やキュービズム時代の作品もあり、ピカソ作品は充実していたように思います。私の好きなマティスは2点、大きな作品ですがかなり粗く、近距離で観るとどこが良いのかよく判らない、でも離れて観るとしっかり完成されています。マティス作品には当たり外れがあるというか、その時の自身の内心状態で感じ方が異なるように思います。今回の2点はうまくマッチングしませんでした。ボナールは1点のみ、相変わらず心安らぐ色使いです。中学生時代から油絵を描き絵画好きでしたが、当時観ることができたのは画集の中だけです。初めて本物を観ることができたのは中学3年生、友人と3人で訪れた上野西洋美術館での絵画展でした。どこの美術館展だったかは忘れましたが、海外の美術館作品展だったと思います。その時に観た、ボナールの「逆光の裸婦」に魅せられました。ほとんど”恋”してしまったほどに。(笑) デトロイト美術館展、充実はしていましたが、予想よりも作品数は少なめでした。ちょっと力抜け。月曜火曜には写真撮影が許可されるそうですが、当日は木曜日、下の写真は最新コピー技術による立体模写(油絵の具の盛り上がりも再現)2点(ゴッホとマティス)とポストカード(ピカソ)です。

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次の目的地は新宿、知り合いの個展が開催されていました。知り合いと言っても、もう30年近く会っていません。大学生時代、美術部に属していました。大学間交流で知り合った他大学美術部員達と大学横断の”会”を作りました。私の所属した青学と芝浦工大、上智、共立、聖心を中心に、東工大や東大、日大等の学生が集まりました。メンバーの入れ替わりはありますが、その会は今でも続いています。私自身はすっかり描かなくなってしまいましたが、年2回の展示会は継続していて、私もたまには上京して交友を温めています。

今回個展を開催したのは会創設時のメンバーのひとり、当時は共立女子大の学生でした。そのまま画家になった数少ないひとりです。「伊藤和子展」小田急百貨店10階アートギャラリーでの開催でした。今回はたまたま他の作家の展示会を検索していて見つけたのですが、以前にも1度展示会を訪れたことがありました。その時はたまたま本人不在でした。今回はお会いできました。お互いの年を経て、街ですれ違ったら判らなかったでしょうね。会場で写真を撮りませんでしたので、デパートHPでの作家紹介写真と過去作品を載せます。写実系の油絵作品です。

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3ヵ所目の目的地は神田小川町、これは絵画展ではありません。スキー靴の購入が目的です。初めてスキー靴を履いたのは小学生の時、群馬・大穴スキー場でした。その後暫く間が空いて、高校時代の体育授業でのスキー合宿を経て、大学時代に夢中になりました。11月の狭山スキー場(人工)を皮切りに、天神平かかぐらスキー場での滑り初め、上越(岩原、新日本、湯沢等)・白馬(佐野坂、青木湖、八方等)には毎年数日から1週間程度滞在していました。今考えると、よく金が続いたものです。初めての板はカザマ、靴はミズノでした。これは親に買って貰いました。その後はバイト資金で購入、買うのはいつも神田小川町でした。当時はスキーバブル時代、小川町にはスキー屋が林立していました。高いニューモデルには手が出ませんので、前年前々年の型落ち品をあさり歩いていました。滑る回数の減った近年は、板はレンタルで済ませています。最近はレンタルでもそこそこの板を置いています。靴の方は昨シーズンの滑降中にサロモンの底が剥がれました。crying 経年による劣化です。他にハンソンが残っているのですがこれも古い型ですので危なそう、買うことにしました。

リフトに長蛇の列を成したのも今は昔の物語、今では、地方都市ではスキー用品を扱う店もほとんどなくなりました。選択肢を得るには東京まで行くしかありません。当時に比べると随分店数は減りましたが、そこは東京小川町、買い迷うだけの選択範囲はあります。何軒か巡り試着して、ある店の靴にほぼ決めかけていたのですが、最後にもう1軒、懐かしい名前の「ニッピン」を覗いてみました。学生時代によく訪れた店でした。ここで見つけたのがラングのレディス25.5cm、昨年モデル現品限り税込み29,000円ほどの品でした。足サイズが小さいですのでレディスでも可能、同じレベルのものですとレディスの方が安いのが一般的です。もうガンガン滑るわけでもありませんし、脚力も落ちていますのでその意味でも丁度良さそうです。何より、試し履きした時のフィッティング具合が即断レベルでした。前の店で妥協しなくて良かった~! ラングは学生時代の憧れの靴でした。当時は一段高かった印象があります。今では特に人気のブランドではありませんが、やはり当時の思いも影響していたのかも知れません。今年中はもう無理ですが、スキー場に行くのが楽しみです。

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最後に上野に戻りました。東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」を観るためです。こちらは上野の森美術館より1時間遅い17時半まで開いています。美術館到着は16時。会期終了間近(18日まで)でしたが、この時間帯は、混んではいるものの鑑賞に堪える範囲内でした。デトロイト美術館展の半券で100円引きの1,500円で入館、珍しく音声ガイドも借りました。(520円)

バルビゾン派の影響を受けたオランダ時代のゴッホの暗い色調の作品に始まり、パリに出ての印象派との出会い、そしてゴーギャンとの出会い、時代を追って2人作品と同時代作家達の作品が展示されます。所々に2人の、ゴッホの弟テオや同時代の画家ベルナール等に宛てた手紙の文章の一部が例示され、2人の関係性が浮き彫りにされます。アルルでの共同生活と破綻、ゴッホの死、ゴーギャンのタヒチへの移住、交錯する2人の思いがその作品によって語られます。企画として面白く、作品の質量共に大変充実した展示会だったと思います。惜しむらくは、私の事情ですが、時間が足りませんでした。鑑賞半ばで「閉館30分前」のアナウンスがあり、後半はかなりはしょって観ることとなってしまいました。

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ゴッホ、日本では大変人気のある作家ですが、私にとっても特別の人物でした。中学高校時代は憧れであると共に、若者特有の傲慢さで”目標”でもありました。ある時、16歳当時のゴッホのデッサンを画集で観て、同年齢での自身の技量との差に呆然自失した記憶が残っています。大学2年次での初海外旅行では、団体旅行であったにも関わらず自由時間がかなりあり、友人と2人で旅程にはなかったゴッホ美術館を訪ねました。ネットはもちろんたいした情報もない時代、ガイドブックも持たずに言葉も通じず、どうやって行ったのか記憶にありません。若者特権の行動力、というか恐れ知らずというか、あまり考えていませんでしたね。欧州の治安も、今よりはずっと良かった気がします。

最後は忙しかったものの、充実の1日でした。

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