2021年8月 9日 (月)

オリンピックが終わりました。

オリンピックが終わりました。自国開催ですので時差が無く、リタイアの身ですので1日中TV観戦が可能、毎日楽しませて頂きました。自然、お出かけ自粛にも繋がります。オリンピックの意義、1番は世界中から訪れる選手・スタッフたち、そして観戦に訪れる観戦客の皆さんとの交流にあると思っています。その意味では残念な、不十分な大会ではありました。それでも、「開催できた」ことは、最低限での恩恵ではあったと思っています。
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卓球新種目混合ではドイツ戦での脅威の粘りが活きました。祝金🥇! 柔道での阿部兄・妹の同時金メダル、レスリングでの川井姉妹金メダルも話題に。安部兄妹記念切手も買ってしまいました。
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甥っ子がやっていたのでフェンシングにも興味があります。エペでの金メダルは驚きました。最近エペでのレベルの上がっているのは知っていましたが、まさか🥇とは!フルーレも惜しかった。

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体操男子は団体は僅差で惜しかったですが、個人総合の連覇は引き綴ました。最高の世代交代です。女子も64年東京以来のメダル獲得。

競泳女子200メートル個人メドレーでの大橋悠依も見事でした。女子初の2種目制覇。しかし名前も知りませんでした。反面、期待された、瀬戸・萩野・入江など、そして体操の内村航平、ウエイトリフティングの三宅宏実など、ベテラン勢には1年延期は厳しい条件だったのでしょう。池江璃花子には忘れられない1年ですね。よくもまぁ、間に合ったものです。パリに期待。
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ゴルフの稲見萌寧も1年延期の恩恵を受けた1人でしょう。ほとんど渋野日向子に決まりそうだったのに。頂点を目指すアスリートにとって、1年は大きい。

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サッカーも良い試合をしましたが、1歩及ばず。スペインとの差は思い知らされました。泣くな久保、君には大きな未来がある。

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他にも印象的なシーンはあちこちに。空手形の清水希容はめちゃかっこいい!組手は日本が弱かったのは意外。海外人気の方が上回っていそう。極真は全く別の武道だし。

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最後を飾るバスケット女子の銀🥈には驚き!そんなに強くなっていたとは、少しも知りませんでした。野球も金取ったけど、最強国がベストメンバー組まない競技に何の意味があるのか判らない。これで「世界一」とか言うのは恥ずかしい。ま、「バラエティ」だからイイか・・・。男子が野球、女子がソフトボールというのも今時不思議、どっちにしても世界的にはマイナースポーツだけど。

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ご意見は様々あるでしょうが、私はオリンピックは「やって良かった」と思っています。「外国人観戦者・観光客を受け入れない」との方針の出た時点で開催の可能性を感じていました。無観客も致し方ないでしょうね。会場内での規制はできても、直行直帰を取り締まることは無理だと思いますので。オリンピック実施の意義は国民の気持ちを明るく盛り上げる事、選手たちの努力や気持ちは二の次です。と言うか、選手たちに責任の一端でも負わせてはいけません。

潜水泳法は、競技的には有利でも限界があります。到達点の判っているプールで可能でも、先の見えない大海ではできません。息を止め我慢することは、終わりが見えているからできる、終息位置不明のコロナ禍では、窒息してしまいます。ですので「息継ぎ」のための緊急事態宣言「小出し」は必然です。緊急事態宣言は、結果を先延ばしにするだけ、長く続けてもコロナが終息するわけではありません。最近の感染者急拡大をオリンピック開催を要因のように述べる人も居ます。沖縄や大阪でもオリンピックは行われていたのでしょうか?今後の検証は必要ですし、オリンピックでの活動増、人の移動での感染も少しはあったとは思います。しかし全国的感染増の要因とすることはできません。


オリンピック開催は、人々の気持ちを、少しは明るく、未来を見つめる方向に導いたと思います。それは反面、行動を活発にして人との接触機会を増し、感染増に繋がる部分もあります。諸刃の剣で矛盾した方策です。しかし、俯いて鬱に耐えるばかりでは、生きて行く力、コロナ禍に抗する力も失わせます。Vowodh3vxlsyjlrtrmbk

2021年7月24日 (土)

開会式、半分(本当は8割がた)寝ていました。

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聖火点灯まで3時間半」とのアナウンスで最初から挫けていました。それでもうつらうつらで(ほとんど見てなかったケド)点灯まで起きていた(?)、実際には4時間かかった。何度も書いていますが開会式長過ぎ!普通に入場行進して、簡略にお決まりのイベント挨拶して(バッハ会長は規定時間を大幅オーバーらしい・・・)、聖火点灯、昔の簡素な開会式に戻して欲しい。あくまでメインは「競技」なのだから。

私は、オリンピックはできるなら「できる範囲で」「やった方が良い」と思ってます。やらないで陰鬱になるなら、やって少しでも明るい気持ちにして欲しい。少なくともやる方が”前向き”な方向だと思います。野党は「開催しての失敗」を待っているだけ、「開催できるための工夫」を少しも考えないし努力しない。確かに、その方が楽だし事後の扇動もやり易い。

現在の感染拡大は、オリンピックよりも1億日本人の「自粛疲れ」にあるのは自明。この連休、久々の高速道路渋滞も、新幹線・旅客機の満席も出現してます。勿論「オリンピック観戦のため」ではない。

勘違いしている人が多いように思うのですが、緊急事態宣言もまんえん防止も、コロナ終息には力を成しません。結果を先延ばしにしているだけです。「中途半端に解除して繰り返す」と批判する人も居ますが、元々そういうもの、宣言期間を長くしても解決はしません。終息に向かわせるには、ワクチン接種と効果的な特効薬を開発するだけ、そうすれば”新型インフルエンザ”になります。

緊急事態の途切れ期間で、何とか息を継いでいる飲食店・商店は多いと思う。長々とした宣言延長は、瀕死の業界を絶滅に追い込みます。再感染増を承知の上での行政策だと思います。1番の失策はワクチン準備対応でしょう。オリンピック前に、人口の過半数以上は済ませていなければならなかった。

7年前に104年続いた家業の会社を閉めました。商才の無い4代目でした。しかし閉めていて良かった、というのが今の実感。従業員30人ばかりの小さな会社です。しかしその給料を払い、会社を維持するのは大変です。社員とその家族との生活を支えなければいけないのです。社会保険料の支払いは大きな負担でした。もし今営業していたなら、自身の生命保険金で・・・・とかも考えていたかも知れません。少なくとも、倒産夜逃げ位は経験したかも。コロナで死ぬのは重症患者だけではありません。

昨年は中止・延期が相次いだ絵画展示会、今年はほとんどが開催されました。マスクや消毒や、細々とした注意を払っての上です。東京でのグループ展では、例年なら「準備には多くの方の参加をお願い~」でしたが、今回は「密を避けるために役員だけで行います」との変更もありました。開催したいがために1部の役員さんに負担をかけてしまいました。

とある、行政機関主催の展示会のみ、2年続けての中止です。部門役員を委任されているので、昨年は役員会に緊急招集されました。「そこで決める」と思い出席したのですが、結論はすでに出ていました。「役員会で決めた」との形を作る為だけの開催でした。今年はそれも無く、秋の展示会が春先に早々と中止が決まりました。絵に興味も無い市職員が、責任を負いたく無い故の中止なのでしょう。勿論オリンピックとは全く別の話です。

2021年7月20日 (火)

オリンピックは「スポーツの祭典」?

今週には東京オリンピックが始まります。個人的には「出来るなら出来た方が良い」「できる範囲内で開催」と考えていました。「出来る範囲」の設定が難しいですけどね。開催中止の方がコロナ対策としては確かに良いかも知れません。ただそれも「多少はマシ」程度だと考えています。開催しなくても、感染拡大は収まらなかったように思っています。最近の感染拡大、1番の要因は「警戒感・緊張感の減少、自粛疲れ」だと思っています。インフルエンザの感染率は激減しました。つまりは元々「注意すれば防げる」感染だったのです。でも「注意し続ける」ことは難しい。コロナも同様なのだと思います。ワクチン接種が進み、特効薬が開発されない限り、根本的な解決には至らないのでしょう。

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さてオリンピックですが、今回は「オリンピック開催の意義」を問いかける良い機会だと思っています。オリンピックとは何なのか?その開催に意義はあるのか?

1964年の東京オリンピックは10月の開催でした。それを記念して10月10日が祝日に指定されました。(「体育の日」現在は変更) ”スポーツの秋”に開催された前回東京大会、では何故今回は真夏に?コロナ以前には開催を疑問視する最大のテーマだったはず。答えは簡単です。秋には「重要な」競技日程が詰まっている、からです。つまりは「オリンピックより大事な競技大会が」ですよね?現在ではオリンピックは、「他の競技の大会の少ない、暇な時にでもやっとけ」程度の競技会、ということです。簡単に言えば。

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私は以前から、各競技の本当のチャンピオンは、その種目の世界選手権・Wカップの勝者、と考えていました。オリンピックメダリストは「それに次ぐ」程度に。ですのでOP金メダリストに対する一般的価値評価は「過剰に過ぎる」と考えています。TV番組に例えれば、世界選手権・Wカップはノンフィクション、オリンピックはバラエティ、と思っています。その場の刹那の娯楽であるバラエティ番組、一般的人気のあるのはこちらでしょう。でも価値があり大事なのは寧ろ、ノンフィクションの方だと思っています。普段はその競技に篤い興味を持たない”俄かファン”が上乗せされる、そしてマスコミが過剰に煽る故に華やかに持ち上げられ過ぎるオリンピック、疑問に感じています。

世界的マイナースポーツ、野球やソフトボールは開催意義があるのか?最強国が最強チームを編成しない、野球・バスケットボール・サッカーなど、開催意義があるのか?疑問を感じます。アマチュア限定だった嘗てのオリンピック、プロアマの垣根の無くなった後の、対応の限界を示しています。また、1ヵ国に強豪選手が集中した場合(卓球や1部陸上競技など)、世界第4位はオリンピックに出場すらできません。

オリンピックは「スポーツの祭典」と呼ばれます。今の時代にはもう、「スポーツ」と「祭典」とを別個に分けて考える必要もあると考えます。「祭典」であるなら、マイナースポーツに陽を当てる意義はあると思いますし、最強チーム不出場でもそれなりに納得できます。バラエティならバラエティなりに、オリンピックはそちらに特化することで意義を見出す気がします。競技・スポーツ部分は世界選手権・Wカップに任せて。

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だいたいに置いて、競技の無い開会式がチケット応募人気というのも納得できません。最近の開会式は、現地で観ると感動するのかも知れませんが、TVでは、あまりに増長に過ぎて退屈します。前回も前々回も、長過ぎて途中で飽きて最後までは観ませんでした。さっさと選手入場をやって欲しい。まそんな開会式も、「祭典」ということなら意義も見いだせるかも知れません。

都市開催も止めて国開催に、サッカー・ラグビーW杯のように地方都市開催にすれば選手・観光客と地元民との交流も生まれ、「平和の祭典」としての価値も高まると思う。大規模設備の必要な競技は大都市周辺で、マイナー競技なら地方都市開催も可能でしょう。

また、コンパクト化を叫びながら一向にコンパクトにならないオリンピック、競技種目の大幅削減も必要と考えています。6人や11人や9人で、何試合も勝ち進んで1個のメダルを目指す競技、片や1人で3個も4個ものメダルを獲得できる競技、不平等だと思います。距離別細目は専門の種目別世界選手権に任せ、オリンピックでは陸上短距離は100mだけ、水泳も同様に。体操も団体と個人総合だけでも良い。削減した分の1部を現在登録外のマイナースポーツに回すのも良いかも。

もちろん極論ではありますが、今後のオリンピックの目指す方向は、しっかりと考えて行く必要はあります。マスコミの煽りと米TV業界、商業主義から離れて、できれば「平和と友好」をメインとした「祭典」へと。Img_20210709_111608

※正しくは「東京オリンピック・パラリンピック」ですが、パラリンピックは上記条件からは大きく外れますので、オリンピックだけに限って書かせて頂きました。

2021年4月26日 (月)

足利市民会館の閉鎖

知人の展覧会を観に地元足利市民会館へ。画歴42年、巡り歩いた日本&海外の風景を描いた油彩画作品が並びます。作者の人生の軌跡を見る思いがします。今年6月で閉館する市民会館、「無くなる前にここで個展を」との願いは叶いました。おめでとうございます。2日間だけの展示ですし、交遊の広い方のようで館内は多くのお客様を迎えていました。プライベート配慮で、写真は人の居ない部分に絞って撮影しています。
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昭和41年に開館した足利市民会館、まだ繊維産業で潤っていた足利市、当時としては近隣では群を抜く近代的大規模施設でした。当時私は小学生でした。その後繊維産業は凋落、栃木県第2位の人工を誇った足利市も今では4位に転落、市民会館も老朽化の一途を辿り、耐震性危惧もあり取り壊しが決まりました。財政逼迫の折、新施設建設の目途も経っていないままでの取り壊しです。音響の良さで、地方都市としては珍しいNHK交響楽団定期演奏会(1999年から)の開かれてきた大ホールも無くなります。痛みは隠せないながらも、各種愛好団体での展示の行われてきた別館展示場も無くなります。市民プラザの改修による展示施設が用意されるそうではありますが。
私は41年前の12月に、足利市民会館で結婚式を挙げました。下世代の方々には、市民会館と結婚式との繋がりイメージが湧かないかも知れません。当時はメジャーな結婚式会場でした。ホテル宴会場も専用結婚式場も無かった時代です。昨年末に40周年を迎えましたが、予定していた記念旅行もコロナで延期となっています。当時を思い出しながら、写真を撮ってきました。最後の写真、背景にあるステンレス彫刻は足利市出身の世界的彫刻家:飯田善國作品です。何処に移転されるのだろう?
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そして忘れてはならないのは、足利かがやき大使・森高千里さんと市民会館との縁です。勿論、名曲「渡良瀬橋」の取り持つ縁です。当時の全国ツアーでの”ダブルアンコール”エピソードはファン内で語り継がれています。そして育児休養明けの再開コンサート出発の地も、ご本人の希望で足利でした。コロナ禍で延期となった今回の「森高千里 この街ツアー」、閉館に間に合ったことは幸いでした。5月25日(火曜)、勿論参戦します!
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2021年3月12日 (金)

東日本大震災から10年が経ちました。

あの大震災から10年になりました。「もう」なのか「まだ」なのかはその方の記憶・経験により様々なのだと思います。
 
”その時”は遅い昼食で会社近くの食堂に居ました。テーブル上のグラスが、倒れもせずに振動ですべて零れ散りました。激しい揺れでしたが、何かが倒れるとか壊れるとかの被害は無く、立ち戻った会社でも、棚の書類が崩れた程度で目立った被害はありませんでした。東北での大きな被害を知ったのは帰宅後、仙台の親戚の無事は確認できたものの、気仙沼に住む家内のお姉さん一家とは連絡が取れません。夜遅くになり、気仙沼市役所に努める甥の無事がツイッターで間接的にですが確認でき、翌々日には全員の無事が確認できました。
 
1か月後、東北道が暫定開通すると同時に、水ペットボトルや食料・果物・震災直後1週間の新聞(現地ではTV新聞情報は途絶えていました)を積み、4WD車で気仙沼に向いました。燃料ガソリンも携行缶に備え積み込みます。速度制限の上限定開通した東北道を走る車は自衛隊車ばかりでした。栃木北部からは路面にうねりが残り、応急補修した箇所も目立ちます。仙台を過ぎての海岸方面は不通ヶ所が多く直接には向かえません。初日は内陸の古川に宿を取りました。宿泊したホテルも前日まで停電していたそうです。近隣宿の半数は休業していますので、各地から集まった瓦礫処理の土木関連業者で混み合っていました。ホテル調理場は停止していましたが、何軒かの食堂は営業していて夕食を取ることはできました。
 
翌朝気仙沼に向いました。市内でも高台になっている内陸部に変化は見られません。しかし海抜の低い海側になると景色が一変します。メイン道路のみ片付けられていますが、その両側には瓦礫が積み上げられ、SF映画を見るようで現実感が希薄になります。カメラは持って出たのですが、瓦礫にシャッターを切る勇気が持てませんでした。
     
家内のお姉さんは気仙沼湾の先、突き出た半島先端の神社に嫁いでいます。市内繁華街から抜けた海岸線の景色は更に一変します。瓦礫が全く無いのです。この地域にあった建物が、瓦礫となって市内に押し寄せたわけです。ほとんどが更地、造成途上の新興住宅地のような風景が広がります。初めてこの地を訪れた方には、被害の実態が掴めないかも知れません。しかし以前の景色を知るものにとっては、信じられないほどの変化です。外壁も何もない宅地跡に、洋式便器だけが取り残されている景色には唖然とさせられました。
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お姉さんは当日、孫と一緒に自宅に居たそうです。激しい揺れの後見晴らす海に白壁が立ち、数メートル高台の神社に避難、賽銭箱の陰で打ち寄せる波を見ていたとか。津波は鳥居の寸前で左右に分かれたそうです。文久元年の大津波を体験した神社は、津波の到達点を知っていたのです。高台にある神社とその後ろの数件だけが残り、前後左右の集落はすべて波に浚われました。自宅も屋根壁面を残したまま、家具もソファもピアノも流されがらんどうになりました。
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自宅新築前は神社付随の住居で生活していましたので、基本的な生活設備は整っています。直後は避難所に避難したものの神社に戻っています。何者かの侵入した形跡があり、留守にすることができなくなったのです。神社には救援物資は届きません。

家内は大学卒業後に一時、女川の小学校で教師をしていました。その縁で女川にも何度か訪れています。震災後も2度、家内と共に訪れ宿泊しました。高台造成途上で市内での宿泊設備は設置許可が降りず、移動可能なトレーラーハウスに泊まりました。同じ宿泊所に泊まりながら、1度目と2度目では住所が異なっています。当時の家内の同僚友人は、すべて他地域に転任となっていましたので、皆無事でした。あれだけの被害の中で、親戚・友人に誰ひとり怪我も無かったことは奇跡とも思えます。
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私自身にも、震災の影響はありました。震度5弱で近隣でも比較的被害の少なかった地域です。家業はパン製造販売で学校給食も請け負っていました。市内では最も規模・歴史を持つ地元業者でした。計画停電等での苦労はあったものの、直接の被害は何もないはずでした。
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それが震災数週間後に突然ボイラーが停止しました。ひと月後にはPCが作動せず更新。そして夏過ぎ、工場内で一番大きな設備、分割成型機に不都合が出ました。それぞれ、経年劣化はしていたのですが、震災での揺れが劣化を速めたようです。共に修理は利かず購入となり、予定外の出費が合計で2,000数百万円となりました。銀行からの融資で賄った金額ですので、震災後の不況で売り上げは伸びず、融資返済で経営は圧迫されることとなります。1910年の創業、104年続いた会社は、四代目の私が閉める役割を担うこととなりました。震災の3年後でした。

2021年2月25日 (木)

足利市の山林火災

152669706_1966793823463393_6474254916934 地元足利市での山火事は、今日で5日目を迎えます。今朝も朝早くからヘリの音が響いています。昨日までの強風は収まっていますので、何とか鎮火の方向が定まって欲しい。

 

市内でも南部に住んでいますので、直接に被害に遭う可能性はありませんが、市中心街でもきな臭い煙が漂います。現場に近付かないよう警告が発せられていますので遠景での昨日の写真です。素人写真では判り辛いですね。

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消防防災ヘリは渡良瀬川で水を汲み火災現場とを忙しく往復しています。強風の中での低空ホバリングでの給水は危険も伴うでしょう。栃木県所属のものだけでなく、近県や自衛隊の大型ヘリも応援に駆けつけて来て頂いています。

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以下写真は下野新聞でのものです。1枚目は市内中学校校庭、かなり間近まで迫っていました。昨日は休校になりました。報道映像ではかなり民家に近付いた位置まで火の迫っていた場所もあったようです。消防防災ヘリも、住宅地への延焼を防ぐ面に力を注ぎ、本格的鎮火を目指すまでの余力も無さそうです。ここ暫くの強風で飛び火して、延焼範囲が広くなり過ぎています。ヘリの力でなんとかぎりぎり、人・建物への被害が防がれている状況です。

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市の発表では、出火元はハイカー向けの休息場所辺り、利用者の火の不始末、煙草か調理火の可能性が取沙汰されています。直前にも、休息所の木製椅子に焦げ跡が見られ、ラーメンを作った形跡が残っていたそうです。ハイカーのモラルが疑われます。首都圏に近い足利市では、手軽な山岳ハイキングの場所として宣伝してきました。近来は中高齢者を中心にハイキングに訪れる人たちも増えていました。一部の低モラルの人による災害で(たぶん)億にも達するかもしれない被害が出て、大多数の健全なハイカーを貶める結果となる(かも知れない)、大変に残念なできごとです。まず取り敢えずは、少しでも早い鎮火・終息を祈ります。

2018年7月26日 (木)

東京オリンピックマラソンコースでの「耐熱性舗装」

日刊ゲンダイに、「一度きり東京五輪 マラソン酷暑対策に血税100億円投入の愚」という記事が掲載されました。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233943/1
この記事に関しては、「命に係わる暑さ」の渦中に住む北関東住人としては異論があります。「OPは涼しい秋にやれば良い」同様、北関東など、都会の発する熱に迷惑している地域の住民を無視した狭視的論に思えます。熊谷や館林・佐野、酷熱に苦しむ北関東の気温を下げるには、東京の気温を下げることが必要なのです。「たった一度のマラソンコースに」とは言いますが、OP終了と共にその効果が失われるわけではありません。
「耐熱性舗装」は確か、もう10年以上も前に開発されていたはずです。しかし高い経費が災いして実用化されませんでした。残念なことです。今回OPを契機に部分的ではありますが実際に活用されれば、実際の場でその効果が検証されることにより、今後の技術開発やコストダウンにも大きな効果が期待できると思います。「思ったほど効果が出なかった」という結果ももちろんあり得ますが、それも前進のひとつだと思います。首都高速や新幹線は1964年の東京OPを契機として造られました。OPが無ければ設置はもっと遅れていたと思います。私達はOP終了後もこの地に住み続けます。「OPさえ無事に済めば良い」わけではありません。OPを契機として、都会温暖化対策(ミストサウナも。熊谷市駅前に設置されてありますが、限定的とはいえ効果はあります。)の進むことに期待をかけています。
トランプ氏や中国等の非協力的態度で、地球全体での温暖化対策の進むことは当分期待できません。日本は日本で、独自の対策を練る必要に迫られています。一昨日はお隣佐野市で、昨日は遂に我が街足利市でも熱中症による死者が出てしまいました。熱中症対策は緊急な課題なのです。高額な費用にも係わらず実施を指示した都知事の英断に感謝すると共に、OP限定のその場凌ぎにならないことを願い、高速道路や新幹線同様、「耐熱性舗装」がOP遺産として後に行かされることを祈ります。

2016年1月 2日 (土)

謹賀新年!

新年明けましておめでとうございます。2016年になりました。今年は良い年になるでしょうか。ま、贅沢は言いません、健康で元気に暮らせることを祈ります。

大晦日は例年通り、三世代家族で食卓を囲み紅白歌合戦を見ました。紅白それ自体はそれほど面白いものでもありませんが、”皆が揃う場”というものが大事だと思っています。息子も付き合ってくれます。

元旦、私は都合があって外出、私を除く家族全員で初詣、私は帰宅後に家内と2人で地元神社に出かけました。家内は1日に2回の初詣となりました。(2回目は”初”じゃないですけどね) 初詣に出かけた神社は”下野の國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)”、足利頼義・義家親子が前九年の役の戦勝を祈願して創建したと言われる由緒ある神社です。”八幡神(やはたのかみ・はじまんじん)”は武運の神として清和源氏から崇敬をあつめた神です。神社のある住所が八幡町(やわたちょう)ですので、地元では”八幡神社(やわたじんじゃ)”と呼ばれることもあります。八幡宮境内には日本三大縁切り稲荷のひとつ”門田稲荷神社”も鎮座します。「縁切り」というと不吉に感じますが、病気や災害等の厄除けを願掛けする神社です。八幡宮拝殿の写真は昨年も載せましたので、今年は本殿裏側の彩色彫刻をご紹介します。地元の人でも、裏側まで周って見る人は少ないようです。勿体ないですね。最後の鳥居は門田稲荷神社です。

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正月2日は朝8時から箱根駅伝TV観戦です。母校・青学を応援します。昨年の優勝で脚光を浴びた青学陸上部ですが、私の在学中の1976年、最終10区ゴール150m手前で選手が昏倒して記録なしの棄権となりました。それ以来本選出場は途絶え、再登場まで33年の年月が必要でした。それを思うと昨年の優勝は夢のように思えます。明日も朝から応援します。http://www.aoyama.ac.jp/info/news/2015/02011/

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神野の好走で往路1位の確定したころ、息子と2人で出かけました。昨夜ふと思いついて、渡良瀬河川敷のゴルフ場でプレーすることにしたのです。午後からのハーフプレーです。12時過ぎに電話して13時半からのプレー、ゴルフ場までは車で15分ほどです。こんなに簡単にゴルフできること、都会の人では想像もつかないでしょうね。簡素な設備のゴルフ場ですが、打ちっぱなし練習場で200発打つより練習にはなるかも知れません。

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(自動運転ではありませんので)カートを飛ばすと風は冷たいですが、プレーするには1月とも思えない暖かい日でした。息子も2ホール目で上着を脱ぎました。快晴の青空の下、快適にゴルフしました。珍しくドライバーも安定しています。なのにスコアは「56」、なぜだ~! 理由は簡単、アプローチとパットが散々でした。ミドル2オンからの4パットとか、計21パット。バーディはいいからせめてパーは欲しかった・・・。でも良い練習になりました。練習場でのアプローチ練習は、多少ダフってもクラブが人工芝が滑って普通に飛びますが、本番ではしっかりダフります。練習場での甘さを教えて貰えます。

12月31日の朝にも渡良瀬ゴルフ場の写真を撮りました。ちょっと良い写真が撮れましたのでご紹介します。もちろんゴルフ場開場前の時間帯ですし場内には入っていません。

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2015年7月23日 (木)

東大テニスサークル 飲酒強要

3年前の事件だったそうですが、飲酒強要による急性アルコール中毒死した大学生のご両親がサークルのメンバーを東京地裁に提訴したとのニュースでした。以前から繰り返されている出来事です。そしてこのような事件の起こる度に「強制飲酒・一気飲みを禁止すべきだ!」との声が起こります。しかし私は、何でもかんでも「法で禁止する」方法に頼ることに疑問を感じます。また「禁止する」ことで解決する問題とも思えません。

私はこのテニスサークルの内部事情も知りませんし、現場状況もニュース報道された範囲でしか知り得ません。ですので、多くは想像ですし、今回の事件個別には必ずしも当てはまらない部分もあるかも知れません。しかしニュースから見えてくるものは、「伝統の行事」と言いながら、そのサークルに「”伝統”が無かった」と見えることです。また「強制飲酒」とは言いますが、「嫌で嫌でそれでも無理やり飲まされた」ケースは寧ろ少数のような気がします。本人が「周りの状況から(白けさせないために)無理をして飲む」が始まりになるとしても、急性中毒になるほどに飲んでしまうには、「酔いに任せて止めどなく飲み続けてしまった」状況があったように想像します。もちろんそれを「本人の自己責任」などと言う気持ちは全くありません。酒の飲み方を知らない若者を制御できなかった、周囲の年長者の責任だと思います。要因は「酒を飲ませた」ことではなく、「その後の適切な対応が成されなかった」ことがこの事件の要だと思っています。

私は大学生時代美術部に所属していました。軟派な部活ですので飲み会も多くありましたし、一気飲みイベントもありました。しかしちゃんと”伝統”もありました。新入生時代、先輩方によく飲みに連れて行かれましたし、一気飲みもやりました。飲み過ぎて潰れてしまった事も多々ありました。そんな時先輩方はもう飲みません。介抱対応に当たります。介抱方法も習いました。飲み潰れた人間を仰向けで寝かせてはいけない(嘔吐物を詰まらせて窒息する可能性がある)等々。また調子に乗って飲み過ぎてしまうお酒初心者に対する制御も、先輩方の行動から憶えました。自分達が役員となっての合宿では、役員が酒を飲むのは乾杯等宴会序盤だけです。その後は役員それぞれが手分けして、酔っ払いが外に出ないよう玄関を見張るもの、各部屋を巡回するもの、要注意人物の観察等々、睡眠時間を削って宴会を最後まで制御するのが役員の仕事でした。それは代々引き継がれます。それが”伝統”です。「飲ませて終わり」では”伝統”ではありません。

私の趣味のひとつが”ゴルフ”ですが、最近のゴルフ場、特に割安ゴルフ場ではマナーを知らない若者ゴルファーが増えているように感じます。スロープレー、隣のコースに打ち込んでも挨拶もしない、信じられない話では、若者グループコンペでドラコン距離を「メジャーで測っていた」との話までありました。以前ゴルフは、最初は「先輩に連れて行って貰う」ものでした。そうやってルール・マナーを憶えました。それが今では、料金も安くなりましたしネットで簡単に予約できます。先輩後輩の付き合いを敬遠する風潮も相まって、「気楽に仲間だけで」つまりは「初心者だけで」プレーする機会が増えているようです。酒の場も同じなのかも知れません。酒の飲み方を教えるはずの先輩自体が、飲み方・酔い方・飲ませ方を知らないまま先輩になってしまっている、そんな気がします。「禁止する」だけでは、更に”酒飲み素人”が増えるだけのような気がしてしまいます。伝えられるべき”伝統”が伝えられて初めて、悪酔いも”酒の恥”も、若気の至りとして青春を彩る想い出に変わります。決して悲劇にはしてはいけないものです。裁判所に提訴したご両親も、決して「罰すること」を主眼にしているではないでしょう。

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