2024年6月28日 (金)

最近見た展示会

6月8日「京都府立堂本印象美術館」、以前から1度行ってみたいと思っていた美術館です。京都芸術大学通信部の現役学生をやっていて、ごくたまに京都を訪れるのですが、授業の時はあさ9:30から17:40までみっちり閉じ込められますので観光もできません。今回も授業ではあるのですが、1日だけですので前泊の日に訪れることができました。美術館向かいが立命館大学でした。

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南画的な日本画から抽象絵画に移行した前衛画家、作品は迫力がありました。欧米アンフォルメル画家からも注目されたようですが、偶然性に頼らない日本画的進行で、必ず下絵を描いたそうです。下絵を共に展示してありましたが、すべて完成品の方が充実しています。当たり前かも知れませんが感心しました。撮影禁止が残念です。今度はお寺等の障壁画も観てみたい。ロビーのみ撮影可でした。

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6月9日「京都文化博物館」「松尾大社展」、こちらが今回の授業です。京都芸大の教授が今回の展示を主導し監修者として名を連ねています。その教授の解説説明を聞きながら会場を周りました。絵の展示会と異なり、ほとんどが古文書資料ですので見ただけでは何の面白みもありません。「松尾大社展 みやこの西の守護神」の企画始まりから展示まで、そのご苦労と成り立ち、そして勿論「松尾大社(まつのおたいしゃ)」の歴史や文化的立ち位置等の解説がありました。先生は松尾大社の研究に長年勤しまれ、膨大な資料とそれを開示して頂くための神社との関係作り、東京在住の先生が京都の松尾大社で結婚式を挙げるところから始まったそうです。(笑) 今回初めて、展示会図録を端から端まで読みました。本の一端ではあるのでしょうが、古文書研究という分野の意味合いが少しは判った気がします。
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6月14日「まえばしガレリア」「岡本健彦・鬼頭健吾「revise」」、 前橋まで出かけました。京都芸大大学院鬼頭健吾教授の展示会が開催中でした。会期が16日まで。知ってはいたのですがギリギリになってしまいました。会場の「まえばしガレリア」は最近できた施設ですが、周りが飲み屋街で場所を探していて不安になりました。
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6月22日「アーティゾン美術館」「ブランクーシ 本質を知る」、ラグビー観戦が主目的での上京でしたのでしたので時間が限られます。デ・キリコはあまり好きでないのでパス。ロートレックが始まっていますが初日で土曜日、混雑が予想されます。後日平日に行きます。で決めたのがブランクーシでした。それほど興味のある作家でも無かったのですが、空いてそうだし学生無料の美術館だし…。期待していなかったせいもあるでしょうが、意外と楽しめました。彫刻は苦手、特に抽象彫刻は、との意識が邪魔していたのでしょう。さすが美術史に名を遺す作家です。観る価値はありました。ま、単純に美しい作品でした。抽象彫刻への道を開いた作家です。当時彫刻界を席巻していた権威:ロダン工房に入りながら1ヵ月で辞めた、その気概も頼もしい。
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6月25日「大川美術館」「The日本画」、「日本画」という枠組みは、開国に伴って海外文化が流入「洋画」に対して従来からの日本絵画を区別して考える、新たに作られた概念です。欧米に「フランス画」「ドイツ画」などという概念は無く、鎖国によって文化交流が閉ざされていた日本での特殊な文化環境で生まれた言葉です。時代を経て「日本画」の立ち位置に変化が生まれ、相互融合も進み、最近までの「画材・技法での区別」にも疑問を呈する場面が多くなりました。公募展等でも「日本画」「洋画」の区別なく公募・選抜する傾向が強くなってきています。日本画顔料を使った「洋画」や、「日本画」でのポップアートなど、年々その境目は微妙になって来ています。寧ろ必要ない、無意味な区別と考える人も多くなっています。
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6月27日「足利市立美術館」「コレクション展2024」、足利所縁の大山魯牛と田崎草雲を中心にした「南画」と、浅川コレクションで構成されています。「南画」は中国の「南宋画」が元となっています。宮廷画家などの専門画家による「北宋画」に対して、在野の文人・士大夫による、専門画家ではない知識階級による趣味の嗜みとして描かれた精神世界が「南画」です。「文人画」とも呼ばれます。足利藩江戸屋敷に生まれ画家・維新の志士として活躍した田崎草雲、と、両親の実家のある足利に移転し、草雲が住んだ白石山房で制作した大山魯牛とを中心として展示されています。急激な時代変遷に苦悩する魯牛の姿が見えてきます。大川美術館での企画と重なる部分もあり興味深い。因みに「北宋画」は、日本では雪舟や狩野派がその流れを引き継いでいます。
PartⅡは銀座「南画廊」に勤め「画廊春秋」を主催した浅川邦夫氏寄贈によるコレクションです。赤瀬川源平や清水晃、貴重な現代美術作品が並びます。「南画廊」での「サムフランシス展」観に行ったよなぁ。撮影不可だったので我が家のサム・フランシスポスターでも載せておきます。
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2024年6月 5日 (水)

最近読んだ本『風に舞い~』『モンテレッ~』『松野大社展』

風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年(2021年第14刷・2006年文藝春秋社)Image_20240502_0001

 

 初めて読む作家、だと思って読み始めたのですが、3年前に『みかづき』という作品を読んでいました。すっかり忘れていました。 

6作の短編から成る1冊です。第135回直木賞受賞作。スタートは児童文学で、本作は一般文芸に進んだ初期の作品になるらしい。そのせいかどうかは知りませんが、6作それぞれ色合いが異なります。別々に読んだら同じ作家の作品とは思わなかったかも知れません。解説の藤田香織も「とても驚いたのが収められている6つの物語そのものの質感の違い」と、同じように感じたようです。 

1作目の『器を探して』はイマドキ感のある作品です。『ジェネレーションX』は都合の良過ぎるストーリー展開ですが小説らしい楽しさはある。表題作『風に舞いあがるビニールシート』は世界の現実を知らしめるシビアな作品。直木賞と芥川賞の差異の小さくなっている昨今ですが、その両側を行き来する作品集に感じました。

 

 

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子 文春文庫 2021年(2018年方丈社)Image_20240502_0002

 

 本屋で見て気になってたまたま購入した本です。嘗てイタリアに「本の行商」との職種のあったこと、それが都会ではなくトスカーナの山奥の小さな村だったこと、興味をそそられました。 

外国人として初めての「露天商賞」受賞作品です。「イタリアの本屋大賞」との説明に一瞬躊躇しました。日本での本屋大賞受賞作・候補作はまず買いません。本を娯楽として考えていませんので、「本屋大賞」と聞くと娯楽性重視の本と捉えてしまいます。誤解かも知れませんが。同様に映画化・ドラマ化との一文も購入を避ける要因となっています。 

「露天商賞・金の籠賞」との賞、元々賞の根源が異なるのか?それとも賞の発祥に直接関わるテーマなので特別に選ばれたのか?判りませんが、少なくとも日本の「本屋大賞」には絶対に選ばれないであろう、娯楽性の少ない作品でした。 

私が本屋の本棚でたまたま選んだ時のイメージともかなり異なりました。エッセイ的、緩やかでロマンのある、読み易く楽しい作品をイメージしていました。実際にはかなり生真面目なノンフィクションです。山奥にある交通不便な寒村を何度も訪れ、周辺の街・村、本屋行商に関連する本屋を訪ねたり、研究的調査を重ねた上で書かれています。予想した気楽なエッセイではありませんでしたが、反面読み応えのある作品ではありました。

 

 

『松野大社展』みやこの西の守護神 京都府京都文化博物館 2024年Image_20240604_0001

 

 現在開催されている(6月23日まで)展示会の図録です。図録を端から端まで読んだのはおそらく初めてです。ほとんどは絵画展ですので、通常は作品の写真を眺めて所々拾い読みするだけです。高価な図録を勿体ないと、たまには思います。( ´艸`)

それでも絵の展示ですとそれなりの満足感も得られます。しかし今回は展示品の大部分は「書」で、それも美的書道ではなく城湯としての「書」です。眺めていても何も判りません。読むことも出来ませんし読んでも意味を解せません。。巻末の「作品解説」を読んでようやくその1部を理解できる程度です。

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何故そんな展示を観た、図録を買ったのかと言えば、実は所属する通信美大での講義が絡んでいるせいです。来週末に京都で講義を受け、後日リポートを転出しなければなりません。 

読んでいて眠くなるページも多い図録ですが、興味深い面も無いでもありません。神社の歴史・行事・祭事仕様の他に、多いのは陳情文的な文章です。京都でも高位に位置する神社で荘園から上がる年貢で祭祀を執り行いますが、その年貢が騒乱や時代変遷で届かなくなり、その解決を時の権力者に願う上訴文です。訴願先は時代で変わります。朝廷から鎌倉幕府・足利幕府へ、そして信長・秀吉に。その効果も時代で変わり、武士の世には多くの荘園が有名無実となります。そういった時代変遷を物語る文章の展示会でした。 

NHK大河ドラマファンには懐かしい名も出てきました。「梶原景時」です。ドラマでは中村獅童が演じていました。丹波国雀部荘での荘園代官を務めていた景時、その失脚後の新たな地頭で未払いが続いたそうです。ドラマとは言え知った名が登場すると一挙に興味が深まりますね。

2024年2月10日 (土)

2024年も2月になりました。

2024年もひと月と10日が経過しました。新年早々の「足利展(足利市立美術館)」に1点出展《飲み過ぎたあの日》F30号油彩、新しい年の活動をスタートしました。美術館は外壁補修中で外見は見栄えが悪い。

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通信美大授業でも油彩を描きました。F15号を2枚、2日間で描きます。通常創作ではできませんが授業では可能、というかやらざるを得ない。強制される集中力も美大入学のメリットなのでしょう。描くテーマや規制も授業ならではです。自らの製作では、好きなモノしか描きませんしいつもの同じ描法で描いてしまいます。気が進まず無理やりやらさせるのも経験、目覚めの可能性を高める効果もあるのでしょう。ZOOM遠隔授業でしたが、自分で設営した静物を初日はキュビスム的(多視点・形体構成)に、2日目はフォービスム的(単視点・色彩構成)に描きます。キュビスムの方は色数制限もありました。

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昨年12月の授業なのですが、「静物構成」の授業での作品も載せておきます。4日間合計2単位、最初の2日間でコラージュ作品を作ります。自身の身近なモノの写真を集めることが事前課題でした。最初の3枚がその1部です。出来上がったコラージュ作品を、1週置いた後の2日間で油彩に描きます。油彩は「できるだけ正確に写す」ことがテーマです。画面を64分割してコマ毎に手描きコピーします。

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今現在展示中の作品もあります。ひとつは小さな展示会ですが公民館での文化展です。月1回開かれている裸婦デッサン会、その会場にお借りしている公民館です。もう一つは「国立新美術館」での「全日本アートサロン絵画大賞展」です。公民館での《記念日の花束》F6号は今年の、国立新美の方は昨年秋の搬入でしたので昨年の作品になります。審査を経て8日から展示されています。

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美大3年目も年度末、実技スクーリングは終了、レポート提出があと1本か2本。最初の2年間は芸術学コースでしたので洋画コース2年目が4月から始まります。展示会は4月に大学OBOG展があります。大きいのは6月の「蒼騎展」ですね。まだ構想段階ですがF50号を予定しています。

 

2023年6月20日 (火)

通信美大実技スクーリング、始まりました。

京都芸術大学通信部、3年目が始まって3か月、今期から「洋画コース」に専攻変更しましたので実技スクーリングでの上京が続きました。基礎講習ですが、やはり実技が始まると「美大生」気分が深まります。20221028_142137

 

最初は「鉛筆デッサン」で牛骨を描きました。5月下旬での2日間の集中授業でした。1講時80分を5講時×2日間、は大変疲れます。7時半の電車で地元を出発して外苑キャンパス到着が9時半の開講ぎりぎりでの到着になります。終了は夕方5時40分ですので、折角東京に行きながら、美術館や画廊に立ち寄る時間もありません。ま、体力も無いけど。牛骨デッサンは、高校・大学美術部時代も含めて初めての体験でした。

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左2枚は初日、右2枚は2日目の午前と最終形態です。あんまり違いが判らないかも知れませんが、左右比率の違い(間違い)を少しずつ修正したり、角の角度を修正したり、小さな傷や影やなんやらかんやら、消して描いてを繰り返します。完成の無い作業です。20230528_122623

昼食はコンビニで買ったパンやお菓子、ロービーテーブルで食べました。昼食休憩は1時間、80分毎に10分の休憩が挟まれることにはなっていますが、それは各自に任されています。一斉に休憩するわけでは無く、進み具合が疲れ具合で各々判断します。ほとんど休憩無しで描いている人も居ます。

 

基礎実技スクーリング2科目目は先週末2日間の「木炭・石膏デッサン」でした。48~49年振りに扱う木炭でした。その昔は、鉛筆デッサンは苦手で、木炭の方が扱い易い印象が脳裏に残っていました。しかし半世紀振りの木炭、扱い方をすっかり忘れていました。うまく乗らなくで「何故?」と混乱状態。指で擦ったり押さえたりの基本技法を、すっかり忘れてしまっていました。なんとか描けるように戻るまで2~3時間は要してしまいました。焦る焦る。

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石膏課題はミケランジェロのジュリアーノ・デ・メディチ像でした。メディチ家の墓の墓標として、兄ロレンツィオ像と並んで設置されています。死後(政争で毒殺)に作られたのですが、美化して似てないことで有名です。最後の肖像はボッティチェルリ作です。しかし彫像としては、陰りを含んだ表情、艶めかしい首のひねりと、ミケランジェロの代表作として知られています。難しいですが描きがいのある石膏像ですね。

鉛筆デッサン以上に苦労しました。全体の影と細かい部分での影との整合性、描き進むほどにバランスが崩れます。ガーゼでパタパタと消してはまた修正して描き直します。完成に近付くのか離れているのかさえも判らなくなります。止め時は結局、授業終了時ということになります。集中力の持続が大変、帰りの電車ではもうグッタリでした。次回スクーリングは来月初め、今度は木炭で静物を描きます。

2023年5月 3日 (水)

描かなくちゃ、描かなくちゃ、

5月になりました。私の生まれ月、1年の中でも穏やかで朗らかな月です、と勝手に思ってます。

絵画活動、2年間学んだ京都芸術大学通信部芸術学コースから「洋画コース」に専攻変更しました。実地の作品製作メインの2年間(もしかしたら3年間?)となります。まだ実際の授業は受けていません。ガイダンス受講のみ。5月下旬の「鉛筆デッサン」が初めてのスクーリング授業となります。その前にTW(Text Work)作品を提出しなきゃなりません。

所属する絵画グループでの活動も忙しくなります。授業・リポートの合間に作品作りにも精出します。現在東京・亀戸での喫茶店を会場としたグループ展に1点出展中です。写真2枚目が私の作品。京都芸大通信部日本画コース在校生・卒業生メインのグループですが、私は油彩で参加しています。

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地元での展示会は、5月中に2つ予定されています。「チャリティーのつどい」は参加美術団体会員が小品を出展、販売します。売り上げの半額を福祉関係に寄付します。「足利美術協会公募展」は足利美術協会主催の公募展で、一般から作品を募集します。私は会員としての出展です。

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6月下旬には六本木・国立新美術館を会場とした「蒼騎展」が開催されます。年1回の本展ですが、昨年会員推挙されましたので、会員としては初の出展になります。写真は昨年の出品作です。

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その後、6月下旬に「美術文化わたらせGroup展」が地元和菓子店内のギャラリーで、8月には東京・両国でのグループ展「23人展」が。こちらは学生時代に作った会です。9月には代表を務めるパステル画愛好会での「パステルフレンズ展」と所属する地元の絵画愛好グループ「新画会」での「新画展」が予定されています。

さてさてこう並べてみると中々に忙しい。今年は出展作だけでなく、授業でも描かなくてはなりませんし、鉛筆や木炭でのデッサンの提出もあります。のんびりしている場合ではありません、なのに、作品は1点も仕上がっていません。来週末搬入の「チャリティ~」作品も描き掛けです。ま、これは小品だから描きだせばすぐですが、「足利美術協会公募展」「蒼騎展」予定作はそうは行きません。早いとこ目鼻付くところまでは描き進めなければ、危うい。いつもラストスパートで際どく仕上げています。「今回は早めに準備して、」と毎回思いながら、余裕持って仕上げられた前例がほとんどありません。いけないなぁ~。美大授業分を考えるに、今年はこれまでの気分でいちゃ痛い目を見るゾ!と戒めないと…。

2023年4月 4日 (火)

最近読んだ本『20世紀~』『かもめ・~』『八本目~』

『20世紀絵画-モダニズム美術史を問い直す-』宮下 誠 光文社新書 2005年20230227_215050

 

抽象絵画の「わかる、わからない」から話しが始まります。具象画は「わかる」、しかしそれは何が描かれているか、家なのか果物なのか人物なのか、それが判っても絵画を「わかった」わけでは無い。「わかる」「わからない」での二元論での思考を「絵画に失礼」と断じています。「はじめに」で10ページ、「序章」に40ページを割いています。始まるまでが少々面倒臭い。しかし概論として後に生きることになります。第一章からは個別作家に対する解説となりわかり易くなります。

 

近頃この手の本を連続して読んでいます。全体の流れとしては共通点が多いのですが、捉え方、理解の仕方、説明方向、それぞれに異なります。また、評論家と作家とでも視点の違いが感じられます。大きな価値観の変換を迫られた20世紀美術、描く側も観る側も、解説する評論家にとっても、難しい、しかし面白い時代なのだと思います。本を読んだだけで「わかる」までは行かないでしょうが、その助けには確実になっていると思いました。

 

 

 

『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ 著 神西 清 訳 新潮文庫 1967年(2021年58刷)20230327_195501  

 

たぶん数十年振りでの戯曲、やはり今ひとつ馴染めません。昔々シェークスピアを読んだ時もそうでした。3冊位で慣れました。今回は慣れるために他を読む予定はナシ。チェーホフは『桜の園・三人姉妹』を読んだ切り、それも数十年昔。たぶん高校生時代。

 

映画『ドライブマイカー』が切っ掛けて購入した本です。映画の中での戯曲演出舞台裏、読み合わせとか、興味深かった。原作『女のいない男たち』と映画とでは異なっていました。『ワーニャ伯父さん』戯曲練習場面が無ければ、映画の魅力は半減します。

 

肝心の内容ですが、どうも理解できません。戯曲に慣れないせいなのか、時代背景に無知なせいなのか? 高校生時代の『桜の園・三人姉妹』にはそういった記憶がありません。頭が柔らかかったンでしょうね。

 

20230327_1953542 ps.『源氏物語 巻四』、やっちゃいました。三巻読み終わったので買ってきたのですが、本棚に既にありました。来年大河に備えて読んでいます。

 

 

 

『八本目の槍』今村翔悟 新潮文庫 2022年20230404_091628

  

2018~2019年「小説新潮」に連載、2019年に刊行、吉川英治文学新人賞受賞作品です。初めて読んだ作家です。2022年に『塞王の楯』で直木賞を受賞しましたね。私が元々三成押しで家康嫌い(だから今年の大河はあまり見ていない🙃)なのと、「賤ヶ岳の七本槍の面々から見た三成像」との視点に興味を惹かれて手に取りました。結果として実に面白かったです。

 

三成を良く描き過ぎている、七本槍面々との関係を理想化し過ぎ、との意見もあると思います。三成好きが「こうあって欲しかった」との望みを創作した作品でもあるのだと思います。家康押しの方や、歴史事実の検証を趣味とされる方には不評かも知れません。事実私も「ないだろうなぁ~?」と思いながらも、十分に楽しませて頂きました。そこは「小説」ですから。

2023年2月12日 (日)

最近読んだ本『若冲』『洋画家の~』『~平安京~』

『若冲』澤田瞳子、文春文庫、2017年(2022年第8刷)20230206_121800

 

 ひと言で言って「面白かった」本です。 終盤は一気に読み進みました。 江戸後期の画家、近頃異常なほどに人気の高い画家の生涯を描いた秀作です。 この「異常なほどの人気」には常々疑問を感じていたのですが、そのせいで手を出しかけていた本でした。 印象派の画家たちを描いて秀逸な原田マハ作品では、創作でありながら「きっと本当にこういう人だったのだろうナ。」と思わせる筆致ですが、『若冲』ではそこまでリアルには感じられません。 寧ろ、作者が楽しんで「創作」している感が「面白さ」を作り上げているのだと感じます。

 

若冲の他に池大雅・与謝蕪村・谷文晁など、オールスターキャストで豪華に盛り上げます。市場騒動も実話だったそうで、市川君圭なる画家も(話には無関係のようですが)実在していたし、君圭に師事した張月焦は通称「晋蔵」だったそうです。舛源での末弟は若冲の弟子になっていますし、老後の世話をしていたのは腹違いの妹ではなく義妹(末弟の妻)だったとかで、生家との関係や登場人物に多少の違いはあるようですが、史実を基に想像を広げて書かれたのでしょう。

 

巻末の解説で上田秀人が「史実の隙間を埋めて、主人公の人生を紡ぎあげるのが歴史作家の仕事」「作家は登場人物を歴史上の偉人から、人間に変えるために歴史小説を書いている」とありました。まさにその仕事を見事に成し遂げた小説なのだと思いました。

 

ps.若冲の代表作であり作中にも登場する『動植綵絵』ですが、同じテーマで晩年に『菜蟲譜』が描かれています。所在不明になり再発見されたのが1999年、著作時に作者は見ていないかも知れません。知っていたら何か付け加えたのか?知りたいところです。

  

 

『洋画家の美術史』ナカムラクニオ、光文社新書、2021年20230210_175626

 

 日本人洋画家16人を取り上げて、画風・画業・エピソードを紹介しています。TVディレクターとして「開運!なんでも鑑定団」も担当したとかで、文章のノリも軽い。雑文としては面白いですが、専門美術書ではありません。

 

黒田清輝が、当時すでに評価されてきていた印象派に対して「ああ、変わったものもちょっと面白いと云うので一部に歓迎せられるのである。(中略) それ以上大した意味のあるものではない」と言ったそうです。さもありなん、と思う。黒田清輝は芸術家というより政治家、「法律を学びに留学して洋画に転向」が許された時代です。「美術」も殖産興業の一環、法律も洋画も「西欧文化・技術の導入」という面では同一でした。現在の「アート」感覚とは大きく異なります。

 

日本での印象派、セザンヌやゴッホの知られるのはかなり早かったのです。「白樺派」が、最初は白黒写真だったようですが紹介しました。志賀直哉や武者小路実篤らが中心で活動した集まりです。英国人陶芸家バーナード・リーチが印象派を知ったのは「白樺派」を通してだったそうです。

 

対して初期にフランス・ドイツに留学して西欧絵画を習得した留学生は、黒田の師事したラファエル・コランなど、アカデミックな作家が多くなります。私の大学進学時、美大を志して父に「そんなもので食ってはいけない」と反対されましたが、明治初期では洋画も「立身出世」を望める分野だったのです。

渡仏して印象派や外光派がすでに時代遅れと知った藤田嗣治は、黒田清輝指定の画箱を床に叩きつけた、そうです。初期留学の黒田や山本芳翠と、後の「芸術家」を目指して渡仏した佐伯祐三や藤田とは志向する根本が異なっていたのだと思います。

  

 

『日本の歴史4 平安京』北山茂夫、中公文庫、2019年改版4刷20230210_175702

 

 文庫本初版は1973年、原本は1965~67年中央公論社から刊行された古典的・代表的日本通史書籍です。全26巻。

 

読み終わるのに1年半もかかってしまいました。読み始めは普通に読んでいたのですが、途中からベッドサイドに置いて「就寝前読書」専用本としました。それからが長かった。以前は、就寝前の時間は貴重な読書タイムでしたが、加齢とともにすぐ瞼が重くなって読み進みことができません。一晩で1~2ページしか読み進まないようになっていました。それでこの状態です。武士の勃興に繋がる国司と受領との関係とか点部分での僅かな記憶はあるのですが、時間をかけ過ぎて内容が連続しては繋がりません。ま、それでも読み切りました。何かの折に「あ、そんなことも読んだような…」とか、思い出すことでもあればそれで満足です。元々古希前の頭に定着するような知識は期待していません。

 

「就寝前読書」本は入れ替えて、ローマ歴史本に代わりました。ひと版で10ページ以上進みました。「加齢」よりも『平安京』の睡眠促進効果が主要因だったようです。( ´艸`)

2023年1月17日 (火)

最近読んだ本『宇喜多の~』『秘密の~』『20世紀~』

『宇喜多の捨て嫁』木下昌輝 文春文庫 2017年(2021年第7刷)20221226_112231  

 

以前読んだ『宇喜多の楽土』の作者です。関ケ原合戦の西方主要大名でありながら何故か影の薄い宇喜多秀家、そんな興味で手に取った一冊でした。つまらなくはなかったのですが、いまひとつインパクトの薄い作品でした。普通ならそれ一冊で終え、他作まで手を伸ばさなかったかも知れません。それが何故か後を引き、直木賞候補となった『宇喜多の捨て嫁』の設定に興味を持ってしまいました。大きな期待無く買っておいた1冊です。 

作品は6篇の短編から成っていました。それぞれ主人公が異なり視線が異なり、同じ主人公の場合でも年代を変えて書かれています。別々の話しでありながら、時系列に並べられた作品で無いながら、実に巧妙に1点に繋がり纏められています。 

実の娘をも謀議の餌として使い見捨てる「捨て嫁」、梟雄:宇喜多直家の4女於葉の物語に始まり、若き日の純真な直家が、苦難の定めの中で如何にして非情な謀議にまみれた梟雄となって行くのか、先ほど終了したNHK大河での北条義時の如く、ダークサイドに堕ちる過程をリアルに描いています。やはり模範的な武士よりも「梟雄」の方が物語になり易い。直木賞受賞が成らなかったのが不思議にも感じましたが、同年の受賞作は西加奈子『サラバ!』でした。巡り合わせが悪かったですね。 

 

『秘密の花園』フランシス・ホジソン・バーネット 著 畔柳和代訳

新潮文庫 2016年(2021年第4刷)51ufvydnpkl_sx349_bo1204203200_

 

昨年4月にピカピカの1年生になった孫娘、その入学祝いに本を贈りました。『空飛ぶ教室』と迷った末に『秘密の花園』を選びました。小学生向けに判り易く書かれた本です。訳者は判りませんが、私が小学生低学年時に読んだのもそんなものだったのでしょう。2学年上の姉の本でした。61rl6rctql_sx356_bo1204203200_  

孫娘に渡す前に自身でも読んでみたのですが、そうなると本来の本家本物も読みたくなります。元々児童文学作品ではあるのですが、バーネットの著した本来の姿、読んで良かったと思いました。やはり表現の幅が、物語の厚みが異なります。型通りに読者の望む方向に進む模範的なハッピーエンド物語ですが、その単純さに心洗われます。成長期に心はぐくむには最適な作品だと思いました。ひととき、純真な少年に戻りました。(笑) 

 

『20世紀美術』宇佐美圭司 岩波新書 1994年第1刷20221226_112318

 

廃版になっているのでネットで古書で購入しました。40数年前の大学美術部時代に、荒川修作と並んで憧れた作家です。当時はアメリカの「スーパーリアリズム」やサム・フランシス、ヴィクトル・ヴァザルリなどが紹介され、セゾン美術館(西武美術館)の活動もあって、一般にも現代美術の注目された時代でした。最近では、東京大学生協食堂での壁画でのマイナー話題で名が挙げられました。哀しいことです。

Johns_diner_by_john_baeder Img_20200904_221131高階秀爾の『20世紀美術』を読んだ関係で、同じ書名の、しかも宇佐美圭司著作と言うことで興味を覚えました。著名な美術評論家の著作と現代美術作家の同じテーマでの著作、文も内容も「同じテーマ」とも思えないほどの違いがありました。文章としては、難しいながらも判り易い(矛盾してる?)高階秀爾、2度読みすると理解度は高まります。一方宇佐美圭司版は、観念的な面もあり、2度読みはまだしていないのですが、判り易い面と難解な面との差が大きい。難解部分は、2度読みしても理解し難い気がします。反面、実作者ならではの気概を感じる、現代美術の未来を芯から案じる心根が見えて共感できます。20220105_165736_20230116233001   

あとがきにある「第Ⅲ章を構成したアメリカ現代美術を代表する画家たちへの批判的言及は、画家たちの知名度がひくく、わかりにくいところがあるかもしれない。」とあります。モーリス・ルイスやバーネット・ニューマン等です。1994年当時では「知名度がひくく」だったのですね。現代では、岩波新書で美術書を読む方々には知名度の高い作家です。時代の流れを感じます。また、「批判的言及」の提示は実作作家ならではの言及です。評論家では「分析」重点ですので。

Image_20210704_0001宇佐美圭司は2012年、食道がんで他界しました。「短期間のうちにこれほど表現方法や内容の激変した時代は、歴史的にも類例を見ないだろう。」との時代、この10年でも美術界は更に不安に迷走していると感じています。宇佐美圭司ならどのように言及したのだろう? 

がん発症を知り、宇佐美圭司は「最後の個展」を三島市にあった「大岡信ことば館」に依頼しました。スケジュールを変更して依頼を受けた当時の館長は、今、私の地元足利市でカフェギャラリーを営んでいます。

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2022年12月23日 (金)

最近読んだ本『あちらに~』『常設展示室』『20世紀美術』

『あちらにいる鬼』井上荒野 朝日文庫 2021年第2刷(第1刷2021年)20221114_2017212

 

 

井上光晴の娘が、父と母、そして愛人・瀬戸内晴美(寂聴)とをモデルに描いたと言われる不思議な小説。光晴との愛人関係を断ち切るために得度したと言われる寂聴、そしてそのまま終生友人関係を続けたと言われます。寂聴と荒野の母親とは雑誌企画で対談もしている。荒野は寂聴に可愛がられ、当作執筆に当たっては「なんでもお聞きなさい」と全面協力したそう。世俗の一般人には図りようのない関係です。小説であるのだからすべて事実と言うわけではないだろう。井上荒野の創作した世界、しかしそのリアル感は、事実のなせる業とも思えます。事実関係は置くとしても、小説としての迫力には重みがあるし問題なく面白かった。寺島しのぶ・広末涼子主演で映画化されています。観に行っても良い。

 

直前に読んだ作品が寂聴の『京まんだら』でした。晴美時代を含めて、寂聴作品は読んだことありません。それが残念に思えるほどに良くできた作品でした。その寂聴に感じた筆のちから故に、この作品に登場する「長内みはる」にも、現実の寂聴を見出してしまうのかも知れません。久し振りに読み応えのある作品が2作続きました。

 

しかし井上光晴も、私の読書歴から抜け落ちた存在です。プロレタリア小説に傾倒したことのない私には、主だった作品の題名も浮かびません。最初「井上」と聞いた時も「靖」の方を思い浮かべてしまいました。

 

 

 

『常設展示室』原田マハ 新潮文庫 2021年20221221_110349

 

 

記念すべき?原田マハ25冊目。『ジヴェルニーの食卓』で嵌ったマハさん、『楽園のキャンヴァス』や『暗幕のゲルニカ』などの実在の作家を扱った(主人公にした)作品をメインに読み始めたのですが、そっち系既存作をほぼ読み終わった時点でそれ以外にも手を出しています。「それ以外」つまりはラブストーリーだったり、ただマハ作品では純粋のラブストーリーは意外と少ない。ある個人の日常や生い立ちとかを少々ドラマチックに創作した感動系物語。着想や手際が実に上手くて感心させられるのですが、時に「やり過ぎじゃない?」と思われる、都合の良い創作の過ぎることもあります。涙を強要する作り話は好きじゃないのですが、マハ的「ドラマチック」はその際どい境目を突きます。20221222_100042

 

今回の『常設展示室』は6作の短編からなります。それぞれに著名な作家の作品が登場しますが、その作家・作品が主人公ではありません。「美術系」ではありますが、主題は「ドラマチック系」での短編です。そしてそれぞれがまた、上手く作りやがっています。美術系本格小説を書いて貰いたい私には悔しいほどに。そして極めつけは最後に控える『道』です。

 

題名を見て即座に「東山魁夷?」と少々うんざりしました。しかしそれは私の早合点、6作中唯一の「著名作家」名の登場しない作品でした。読まされて、全く持って都合の良過ぎる偶然の組み合わせに呆れるのに、少々時間を要しました。ケンシロウではないけれど、切られたことに、都合の良過ぎる作り物「嘘っぱち」を読まされたことに暫く気付かない、とか。マハさんには負けます。騙されたことを快感に思えるほどの嘘っぱち作り物、暴涙の作品でした。認めたくないけど…。

 

高校生の時、今は亡き恩師に勧められて行きだした美術館常設展、その頃も想い出しました。国立西洋・国立近代・ブリヂストンなど。

 

 

 

『20世紀美術』高階秀爾 ちくま学芸文庫1993年(2018年第15刷)20220105_165736_20221223101201

 

 

授業課題図書で読みました。正直って高階秀爾の本をまともに読んだのはこれが2冊目、先に読んだのが『近代絵画史(上)(下)』でこれも今年になってから。有名な美術評論家として、勿論名は知っていましたが読んだのは展覧会図録等での短い評のみでした。読んで初めて、偉い評論家だったのだと知りました。( ´艸`)20220203_103410_20221223101201

 

「実物にはいっこう感心しない。ところがこの実物が絵になると、人は実物に似ていると言って感心する。世に絵画ほど空しいものはない。」本の中で引用されたフランスの哲学者パスカルの言葉です。勿論パスカルが本心で空しいと思ったと言うより、世間の人の絵画評価への皮肉でしょう。しかし妙に納得してしまいます。

 

田舎でグループ展などを開催してよく聞く誉め言葉が「わぁすごい!写真みたい!」とのもの。画風的に私の作品に投げ掛けられることは少ないので幸いですが(それでもたまにはアル)、どうにも複雑な気持ちにさせられる言葉です。「写真みたい」が誉め言葉と言うことは「写真>絵画」ということなのか?「似ている」ことが「偉い」のか?言っている方々に悪気はないので尚更対応には困ります。

 

しかし最近では、それもひとの持つ根源的欲求なのかも?とか思うこともあります。写実主義から印象派、キュビズム、フォービズム、その辺りまでは理解し易い。しかしその先、コンセプチュアルとかミニマル、ランド・アートとか、アポロプリエーションとかになると何が何だか判らなくなります。

 

新古典主義までは到達目標がはっきりしていました。つまりは、「100m走って10秒を切る」とか、皆同じような価値観で同じような方向に走り競っていたのです。それが20世紀美術では「自由」を勝ち得ました。「自由」「なんでもアリ」、しかし自由は大変、なんでもアリは何もないのと一緒、100m走で「どっちに向かって走ってもイイ」とか言われたら競いようが無くなります。

2022年11月24日 (木)

我が家、家業の歴史。

納戸の整理をしていたら、8年前まで営業していたパン店の写真が出てきました。少し記録を残して置くことも大事と、書き留めておくことにしました。家業はパン・洋菓子製造販売の会社「七福パン(七福食品工業㈱)でした。今回見付けた写真は1998~1999年頃の、宣伝用に撮ったものです。下段は一緒に出てきた顧客向け宣伝はがき、手作りです。
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家業「七福パン」のルーツは千葉県千葉市にあります。明治43年初代大網美代蔵がパン店を開業、陸軍千葉連隊に納めるようになり発展しました。美代蔵は福島県出身で、当初の屋号は「福島屋」でした。その後千葉の店舗を弟に譲り、昭和7年、親族の居た栃木県足利市に移転、間もなく「七福」に屋号を変更します。
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足利での最初の店舗・工場は、戦中の空襲での類焼を避けるための道路拡幅に土地を取られ、また原材料の入手困難もあり暫し休業、戦後足利市南町にて再開しました。昭和30年代後半には本社工場を足利市今福町に新たに作り、東武駅前店、両毛駅前店、通り三丁目店、桐生(群馬県)本町五丁目店の直営店舗の他、親族の営む七丁目店、本城店(足利高校裏)を営業、卸し売店は最盛期は50店舗を超えました。
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「七福」発展は二代目大網健一の商才、ワンマン的行動力に負うところです。「陸王」やアメ車「マーキュリー」に乗る派手好き経営者だったのですが、「遊び好き」は「世間が何を求めているか?」との動向にも敏感ということ、ファミレスの無かった時代にファミレス的店舗を作り成功しました。栃木県で2番目というパン成型半オートメーション自動機械も導入しました。当時の東武駅前レストランは、2階店舗内に小さな噴水付き池を作り錦鯉を放しました。田舎には斬新な店舗で大繁盛しました。温泉1泊社員旅行で大型バス2台をチャーターした繫盛期です。その後“第一パン”北関東進出に押され売店を縮小、パン店継続希望店舗には“山崎パン”を紹介、事業を学校給食、公私立高校での販売に転換しました。大網健一社長は県学校給食会理事長に就任、足利市会議員も務めました。  

足利市駅前再開発事業での「足利市ステーションビル」計画が社業つまづきの発端でした。「駅ビル」のはずが東武鉄道との交渉が成らず単なる「駅前ビル」に。景気後退もあり華やかだったのは最初の1年のみ、続々と物販店舗が撤退、ビルは寂れました。コンビニや大手ファミレスの進出、少子化、私立高校生徒減少などの経営環境の変化に、真面目一筋の三代目社長(私の父ですが)は対応しきれず、四代目(私)は更に適応力に乏しく、新たな道を見出せぬままに会社を閉じることになりました。高校生時代に「芸術至上主義」を信じていたような人間に、商売は最初から無理でした。2014年、創業から104年目でした。
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会社を閉めた2年後に父が他界、私も患い手術を経験しました。人生の限りを意識したこともあり、一昨年4月より通信制美大に入学しました。進学時に父に反対されて諦めた道です。会社清算に貯えを使い果たし、貧しい年金生活ですが気持ちは豊かになっている?前期高齢者生活です。
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