2024年3月10日 (日)

最近読んだ本『青い小~』『孔丘』

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社文庫 1980年第8刷(1973年第1刷、1956年新潮社)20240220_125335

 

 『白い人』『黄色い人』の前年に発表された初の長編小説とのこと。1950年戦後初の留学生として渡仏、その時の経験をもとに書かれたらしい。現地でのアジア人への偏見と差別、敗戦国ドイツ人に対する嫌悪、そして戦中のレジスタンス活動裏側での暗黒面、何処までが実際の話しなのかは判りません。

 本棚から取り出した44年前の本、結婚前の家内が買った本です。最近は読書量の減っている家内ですが、若い頃は読書家でした。1980年は結婚の年、式は12月でしたので結婚間近の時期に読んだのでしょう。結婚前は2年ほど、東京と宮城とで離れて暮らしていました。まだ東北新幹線の無かった時代です。本の内容よりも、当時どのような気持ちでこの本を読んでいたのか?歳月を遡る気持ちになります。

 読書傾向、重なる部分もあるのですが、やはり選択する作家・作品には違いも結構あります。遠藤周作は家内の買ったものの方が多い。吉行淳之介・水上勉は2人共に読んでいるのですがやはり家内本の方がやや多いかも知れません。源氏鶏太・林真理子・田辺聖子はすべて家内の買ったもの。反対に司馬遼太郎など歴史ものはすべて私の方です。時には本棚から、私未読の家内本を読んでみるのも良いかも。家内再発見もあるかも知れません。

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『孔丘』宮城谷昌光 文春文庫上下巻 2023年(2020年文藝春秋社)20240228_213346

  

孔子24歳、物語は母の死から始まっています。「孔丘」は孔子の本名、偉人伝では無く、放浪し苦悩したひとりの人間として描こうとの作者の意図するところが見えます。「激し易い」、時には高弟からも不安視される、そしてあまりに理想を求め過ぎる孔丘。それでいて泰然自若とした悟り切った哲人の姿ではなく、晩年には「天」にすべてを委ねた意思無き姿をも現します。

「礼」とは元々は葬儀・葬送の手順・仕来りを意味するものだったとか。「儒者」は謂わば「葬儀屋」でした。ただ、古来の型通りに葬儀を執り行うことは貴人には欠かせない重要事で、決して卑しい身分ではありません。特殊技能者、といったところでしょうか。その「礼」を、葬礼を超えて政治・外交に、そして人が生きて行く意味合いを示す「哲学」へと昇華して行きます。後世人の世に描かれる「礼」のイメージ・規範は孔丘の創り出したものでした。

孔丘の人生を描くことは想像以上に難しかったようです。著者は50代・60代で「無理だ」と諦め、70過ぎて「死ぬまで書けない」と腹を括って書き始めたそうです。『論語』には時系列が無く、残した言葉が「何時何処で発せられたか」を確定すること自体が難しいとか。著者の苦労の垣間見える作品です。

宮城谷昌光は以前(15~20年位昔?)かなり嵌った時期があります。時代もの自体読む機会が減っています。久々に読むとやはり面白いですね。少し置いてになるでしょうが、また何か読んでみたいと思っています。

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2024年2月11日 (日)

最近読んだ本『虞美人草』『82年生~』『紫式部~』

『虞美人草』夏目漱石 旺文社文庫 1968年20240207_081752

 

夏目漱石を読んだのは何年振りだろう? 一生懸命読んでいたのは中学・高校時代なので52~57年ほど昔ということになります。その後にもぽつりぽつりとは読んだと思うのですが、はっきりした記憶はありません。 

漱石が『虞美人草』を書いたのは1907年、『坊ちゃん』『草枕』と同じ年です。1905年には『吾輩は猫である』を、1908年には『三四郎』を書いています。前後作品と比べて文体がやや漢語調で装飾過剰、特に前半は漱石らしくなく古臭く感じます。前後作品の方が読み易いので、時代変遷ではないはず。何故この作品だけ文調が異なるのか判りません。解説を担当した英文学者・海老池俊治は「遺憾ながら一種の出来損ない」とまで書いています。また、教養を持ち時代の「新しい女性像」藤尾を貶め、控えめな糸子・小夜子を持ち上げる、「漱石も明治人」なのだと、尤もながら再確認することになります。ストーリーも型に嵌った堅苦しさを感じます。 

虞美人はご存じ通り楚の将軍項羽の愛姫で虞美人草はヒナゲシ、「虞美人草」と「ヒナゲシ」とでは随分と語感が異なりますね。 

中学時代の最後、高校入試前日に自宅が火事に遭っていますので、中学時代の本は1冊も残っていません。新潮・角川がメインでしたが、文豪作家のものは少し高い旺文社文庫で買っていました。旺文社文庫はハードカバーで小さいながら函入りでした。ページ末に字句解説も付いています。旺文社には「中一時代」などの時代シリーズ学習雑誌や全国模試、大学受験ラジオ講座でお世話になりました。 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳 ちくま文庫 2023年(2018年筑摩書房)20240209_102719

 

 この文庫本の出た時点だと思うのですが、韓国で136万部、日本で23万部という大ベストセラー本です。榎本マリコのシュールっぽい表紙も目立ちます。

 男優先の時代を活きたある女性の33歳から物語は始まります。ある日突然、キム・ジヨンは自身の母に、その後には大学の先輩に、憑依したかのように他人格となって話し行動し始めます。驚き戸惑った夫チョン・デヒョンは妻を精神科医に連れて行きます。そして物語は1982年に戻り、キム・ジヨンの成長過程を描き出します。 

ジェンダーの問題が、社会生活上での男女格差の問われる時代です。日本よりやや男性優先意識の強い韓国、しかしその差は明らかな場面もありますが、隔絶したほどの差はありません。私自身韓国が好きで頻繁に訪れた時期もあり(20回訪韓しています)、韓国関連の書物、歴史ものや呉善花やら黒田福美やら、一般日本人よりはかなり多く読み知識も多いと自認しています。 

そんな近くて遠い、似てまた非なる国でのジェンダー意識を、特別でなく「ごく普通な」韓国女性の30年余りを描いて、韓国で多くの共感を得た作品です。非常非常識な差別でも極端な男尊女卑でもなく、普通の社会生活上にある、少し前なら日本でも「常識内」にあった性差別を描いたことで、より身近に意識することができたのでしょう。現在70歳の私の家事・育児を「手伝う」との意識、私の世代ではそれでも「良き夫・父親」範囲内に入っていたと思っていたのですが、娘世代には否定されます。「手伝う」と言う意識自体「家事・育児は女の仕事」との前提で出てしまう言葉ですから…。男としては身につまされる部分もある作品です。 

 

 

『紫式部日記・和泉式部日記』与謝野晶子訳 角川ソフィア文庫 2023年20240131_1950342

 

 読み終わりました。さほど面白くはない。訳した本文よりも、訳者の書いた「自序」「紫式部考」が作品を作者を知る上で興味深いものとなっています。 

『紫式部日記』は「文学」というより「記録」なのだろう。日々の行事・できごとを、貴人や女房の衣装装束までこまごまと記しています。文章としての滑らかさよりも、創作の資料として残している風に感じました。それ故、当時の風俗を記録した資料として価値あるものとされているようです。 

『和泉式部日記』はそれに比べるとやや「小説」的要素もあります。「私」ではなく「和泉」と、第三者の立場として書かれています。「和泉」との主語は与謝野晶子での意訳部分も多いらしい。小説的要素もあるにしても、その要素は源氏とは比較のしようもない程狭い。師の宮と和泉式部との二人のやり取りが大部分を占めます。正直言って飽きます。やはり日記文学は『更級日記』が(読んだ中では)1番内容があるように感じています。 

瀬戸内寂聴版『源氏物語』は「巻九」まで読み終わっているのですが、「巻十」が「入荷待ち」で10日待たされ未だ連絡が入りません。NHK大河影響で売れて在庫が切れたのかも知れません。前もって買っておけば良かった。

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姿を見なくなっていた谷崎潤一郎訳『源氏物語』が、本棚整理中に「巻二」だけ出てきました。中公文庫1973年初版です。大学生時代に読み、就職時に実家に送ったのだと思います。残りも何処かにあるのか紛失したのか判りません。先の瀬戸内版入荷待ちと対照的に、少し前は古本でしか手に入らなかった与謝野晶子版・谷崎潤一郎版が買えるようになっていました。大河人気での復刻なのでしょうか?谷崎版は挿画作家が豪華です。

2023年8月12日 (土)

最近読んだ本『国境の南~』『源氏物語の~』『pray human』

『国境の南、太陽の西』村上春樹 講談社 1992年20230622_193445

 

東京に行った時に、通りがかった古本屋の店先で目に付いて買ってしまった本です。単純に題名が気に入って買いました。

 村上春樹は私の鬼門です。初めて読んだ『ダンス・ダンス・ダンス』で挫折しました。つまらなくて訳が分からなくて、苦痛で読むのを断念しました。これが「どんなに難解でもつまらなくても最後まで読む」との、自身のプライドに引っかかっています。軽いエッセイで肩慣らしと読んだ『もし僕らの言葉がウィスキーであったなら』でも、嫌みなキザが目に付いただけ。『羊をめぐる冒険』でようやく普通に読めたのですが、感動するほどではない。ややマシな凡作、程度にしか思えません。

映画『ドライブ・マイ・カー』は良かったけれど、原作と言う『女のいない男たち』を読んだら、良かったところの多くは脚本での付け足しだった。

 そして今回の『国境の~』です。読み始めは悪く感じませんでした。ミステリアスな彼女の、その背景に潜む物語を楽しみにしていたら種明かしはナシ、騙された思いです。「書き下ろし」なので、安易に書き始めて結局説得力のある謎解きが成立せず誤魔化して終わりにした、としか思えません。中途半端なライトノベル。

 本当にノーベル文学賞候補作家なのでしょうか?そう多く読んでいる訳ではありませんが、パール・バックやヘルマン・ヘッセ、ヘミングウェイ、カミュ、スタインベック、には及びもつかないし、川端康成・大江健三郎、カズオ・イシグロと比較しても、同等とは思えない。そもそもノーベル財団は候補者を発表しているわけでは無い、単にマスコミが騒いでいるだけ。もしかしたら本人も迷惑しているのかも。個人的には、単なる流行作家以上とは感じられません。やっぱり「ノルウェイの森」を読んでみないと判らないのか?

 

 

『源氏物語の女君たち』瀬戸内寂聴 文春文庫 2018年20230713_201425

 

今年の大河はもう諦めて、来年の大河を楽しみに瀬戸内版『源氏物語』を読んでいるのですが、文庫本10巻の内丁度半ばの5巻を読み終わるところです。一緒に買ったこの本、副読本のつもりで予習か復習か、結果として先走りして予習で読んでしまいました。

 昔、学生時代に読んだ源氏は谷崎版でした。実写をぼかして雰囲気で描く谷崎版に対して、瀬戸内版はかなり具体的に描写しています。副読本『源氏物語の女君たち』になると、更に生々しく男女の関りを具体化して説明します。全くもう、光るの君って嘘つきで調子良くって女たらし、歌舞伎町のホストにも負けていません。武士に権力を奪われるのも当然ですね。

 しかし他人事としては、小説としては実に面白い。時代の流行作家だったのですね。後半の流れ出来事もネタバレで(前回は宇治十条まで読んでなかった)知ってしまいましたが、知った上でも楽しみです。さ、後半も元気に読み始めます。その前に第6巻買ってこなくちゃ。

 

 

『pray human』崔実(Che Sil)講談社文庫 2022年(単行本2020年)20230812_095842

 

文庫本の帯を『コンビニ人間』の村田紗耶香が書いています。それに惹かれて買ったわけでは無いのですが、背を押す効果はあったかも知れません。ただ村田紗耶香の帯は、良くも悪くも読む人を限定してしまう危惧はありそうです。尤も、限定されても不都合ない程度に先鋭的な作品です。何しろ「精神病病棟の患者」を「患者目線で」描いた作品です。読者にある程度の「覚悟を強いる」ことを意識した帯なのかも知れません。

 何が異常で何が正常なのか、目線の違いで世界は異なって見えます。『コンビニ人間』的世界を、また全く異なる環境から描いています。人間って本当に面倒臭い生き物です。だからこそ文学が必要なのでしょう。在日三世として生まれ朝鮮学校で過ごした作者、幼い頃に性的被害を受けた過去も持っているそうです。作品中での主人公は、過去を語る機会を得ます。

芥川賞候補にもなったデビュー作『ジニのパズル』では朝鮮学校を舞台に、精神病棟も登場するそうです。機会があれば読んでみたい。因みに題名は『pray human』です。『play human』ではありません。

2023年4月13日 (木)

「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」

今年3回目の映画館、「エブエブ」こと「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」題名を憶えるのが大変、を観てきました。ユナイテッドシネマ足利での最終日、平日の朝9時の回ですが貸し切りでした。普段でも一桁観客鑑賞が普通なのでそう珍しくもないのですが。
アカデミー賞作品賞など、そしてミシェル・ヨーがアジア人女性として初の主演女優賞を得た作品、これは見逃せないと地元での最終回に駆け付けました。特にファンと言うわけではありませんが、ミシェル・ヨーは「グリーン・ディストゥニー」「SAYURI」などを観ています。主演女優賞は納得できます。しかし作品賞を受賞するほどの作品なのか?は疑問。途中3回ほど欠伸を催し「3時間越え?」と思ったら2時間20分の映画でした。長く感じました。
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無意味なドタバタ喜劇が嫌い、アクション主体の作品も好きじゃない、そんな私には合わない作品でした。新しいジャンル開拓の意気込みは感じます。しかしそれだけ。結末はそれなりでしたが、そこに持って行く過程が面倒。同じようなアクションシーンが長過ぎます。ヒットした「マトリックス」や「ハリポタ」でも退屈する私ですので、少数派なのかも知れません。ハリウッド系のアクション映画は、アクションを見せること自体が主体となる傾向があります。そこが合わないのかも。韓国映画の、必然性のあるアクションは嫌いじゃない。

2023年1月 1日 (日)

本年も宜しくお願いいたします。

新しい年、2023年を迎えました。令和も5年になるのに、未だしっくりきません。

12月30日には我が家恒例の歳末ゴルフ、2012年から始まりましたので10年になります。2010年までは大晦日31日の開催でした。昨年から30日に変更しています。2012年大晦日、息子と息子の友人と、私と私の友人と、4人で周ったのが始まりです。コロナ禍で息子と2人の年もありましたが、基本私たち親子と私の高校同期友人とが固定メンバーです。今年はそこに、息子の婚約者のお父様が加わりました。2023年は息子の結婚式の予定されている年でもあります。

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寸前の打ちっ放し練習時に、練習用に使っていたゴルフシューズが壊れました。靴底がべりっと剥がれてしまったのです。長年使いましたので寿命ですね。本番用の靴も調節ダイヤルが緩くなっていましたので、ゴルフ屋歳末バーゲンでおニューを買いました。本番用キャロウェイを練習場用に降ろし、ゴルフ場ではおニューデビューです。

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30日夜には、高校同期6人で集まり飲みました。当時の6組仲間で開催していた「毎年同窓会」、「同学年3組合同」までに広がり「来年は4組で、」との以降中止になってしまっています。その同窓会幹事メンバーでの「ミニ同窓会」でした。居酒屋で飲むのも久し振りです。2023年、同窓会復活はあるのでしょうか? まだコロナは落ち着きませんが。

1日、本日の初詣はいつも通り近所の氏神様「八幡神社」へ。八幡大菩薩、源義家が前九年・後三年の役の折に戦勝を祈願した地です。昨年に比べ参拝の列が段違いに長い、いや寧ろ、昨年一昨年が異常だったのでしょう。コロナ患者数は減りませんが日常は戻りつつあります。

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お隣の「門田稲荷神社」にも立ち寄りました。門田稲荷神社は、京都の伏見稲荷・東京の榎木稲荷と並び日本三大縁切稲荷と呼ばれています。絵馬には「誰々と誰が別れますように」とか、人の世の煩悩の濃い呪詛的願いが書かれています。写真を張り画鋲を刺した過激なものも。以前はくぎを刺した藁人形もたまに見かけたものです。最近はあまりに過激なものは管理者が取り除くようになっていると聞きました。穴をあけた柄杓の奉納されるのも特徴的です。

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朝の雑煮の写真を撮り忘れました。雑煮は大好きです。正月以外でも食べたい気分。夜は刺身にイタリアン発泡酒。明日はいよいよ箱根駅伝です。今年の安泰・健康と明日の勝利を祈って乾杯しました。20230101_184309

2022年11月24日 (木)

我が家、家業の歴史。

納戸の整理をしていたら、8年前まで営業していたパン店の写真が出てきました。少し記録を残して置くことも大事と、書き留めておくことにしました。家業はパン・洋菓子製造販売の会社「七福パン(七福食品工業㈱)でした。今回見付けた写真は1998~1999年頃の、宣伝用に撮ったものです。下段は一緒に出てきた顧客向け宣伝はがき、手作りです。
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家業「七福パン」のルーツは千葉県千葉市にあります。明治43年初代大網美代蔵がパン店を開業、陸軍千葉連隊に納めるようになり発展しました。美代蔵は福島県出身で、当初の屋号は「福島屋」でした。その後千葉の店舗を弟に譲り、昭和7年、親族の居た栃木県足利市に移転、間もなく「七福」に屋号を変更します。
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足利での最初の店舗・工場は、戦中の空襲での類焼を避けるための道路拡幅に土地を取られ、また原材料の入手困難もあり暫し休業、戦後足利市南町にて再開しました。昭和30年代後半には本社工場を足利市今福町に新たに作り、東武駅前店、両毛駅前店、通り三丁目店、桐生(群馬県)本町五丁目店の直営店舗の他、親族の営む七丁目店、本城店(足利高校裏)を営業、卸し売店は最盛期は50店舗を超えました。
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「七福」発展は二代目大網健一の商才、ワンマン的行動力に負うところです。「陸王」やアメ車「マーキュリー」に乗る派手好き経営者だったのですが、「遊び好き」は「世間が何を求めているか?」との動向にも敏感ということ、ファミレスの無かった時代にファミレス的店舗を作り成功しました。栃木県で2番目というパン成型半オートメーション自動機械も導入しました。当時の東武駅前レストランは、2階店舗内に小さな噴水付き池を作り錦鯉を放しました。田舎には斬新な店舗で大繁盛しました。温泉1泊社員旅行で大型バス2台をチャーターした繫盛期です。その後“第一パン”北関東進出に押され売店を縮小、パン店継続希望店舗には“山崎パン”を紹介、事業を学校給食、公私立高校での販売に転換しました。大網健一社長は県学校給食会理事長に就任、足利市会議員も務めました。  

足利市駅前再開発事業での「足利市ステーションビル」計画が社業つまづきの発端でした。「駅ビル」のはずが東武鉄道との交渉が成らず単なる「駅前ビル」に。景気後退もあり華やかだったのは最初の1年のみ、続々と物販店舗が撤退、ビルは寂れました。コンビニや大手ファミレスの進出、少子化、私立高校生徒減少などの経営環境の変化に、真面目一筋の三代目社長(私の父ですが)は対応しきれず、四代目(私)は更に適応力に乏しく、新たな道を見出せぬままに会社を閉じることになりました。高校生時代に「芸術至上主義」を信じていたような人間に、商売は最初から無理でした。2014年、創業から104年目でした。
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会社を閉めた2年後に父が他界、私も患い手術を経験しました。人生の限りを意識したこともあり、一昨年4月より通信制美大に入学しました。進学時に父に反対されて諦めた道です。会社清算に貯えを使い果たし、貧しい年金生活ですが気持ちは豊かになっている?前期高齢者生活です。

2022年8月10日 (水)

最近読んだ本『異邦人』『ペスト』『下町洋食~』

『異邦人』アルベール・カミュ 窪田啓作 訳 新潮文庫20220622_164013

 

 

高校生時代に読んで大いに影響を受けた作品です。50年振りの再読。「大いに」どころか、私の人生に多大な傷跡を残した作品でもあります。思春期のあの時代に読まなければ、少しは生き易い年月を送って来れたかも知れません。

 

主人公ムルソーは仏領アルジェに生まれ住む青年、話は施設に居る母親の死の知らせから始まります。日常を日常としてごく普通に生きる彼は、感情の流れ・表現が他の人々と少し異なる。世間におもねることをしない。自身の感情赴くままに、そして感じる起伏そのままに行動し表現する。決して世間一般の期待する「常識」とされている感情表現を「演じる」ことはしなかった。

 

ムルソーはつまらないイザコザから罪を犯し裁かれることとなる。裁判では事件本体とは関わりのない、ムルソーの日常が裁かれる。「母親の葬儀に涙を流さなかった」「通夜の席でミルクコーヒーを飲んだ」「直後に喜劇映画を観た」、些細な、何事も無ければ忘れ去ってしまったであろう出来事が、「殺人者」と名付けられることでプレイバックされ、「ああ、やっぱり」と「冷酷な人格」として断罪されてしまうことになる。

 

思春期に読みショックを受けたばかりか、解説に載せられた英語版での自序文章をも読んでしまった。「・・・母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、・・・嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。・・・」つまりは「美味しい」を「とっても美味しい!」と言う、表現することも「嘘」だと。その言葉を信じ信条としてしまった故に、私のその後は至極生き辛くなりました。一般に普通に口にされる「世辞」が言えなくなってしまったのです。

 

そして今回、その解説欄に読み落とした?記憶に残っていなかった部分のあったことに気付きました。ムルソーにモデルのあったことです。ムルソーはカミュではなかった!小説家が想像し創造した別人格だったのです。ムルソーに幽体移入してしまった私の人生をどうしてくれるんだ!カミュ!( ´艸`)

 

20220622_164206 カミュ27歳(1940年)時の作品。高校時代に読んだ時の文庫本は書棚に残っていたのですが、黄変しているし字が小さくて読み辛い。同じ訳者で新本を買ってきました。文庫発行が1954年(私の生まれた翌年)で、高校時代に読んだのが37刷、新しく買ったのが2021年136刷です。だいたい2年1刷の計算、昔の方が増刷速度が少し早いが、キンドル等の読者層も居るだろうから比較は難しい。長年に渡って親しまれる名作であることには変わりないだろう。

 

 

 

『ペスト』アルベール・カミュ 宮崎嶺雄 訳 新潮文庫20220622_164054

 

 

『異邦人』に続いて40数年振りの再読、やはり同様に老眼対策で新本を買いました。文庫初版が1969年、『異邦人』に比べると意外と遅い。1971年4刷を18歳で読んでいます。新しい方は2020年94刷です。

 

『異邦人』はドイツ軍のフランス占領時に書かれましたが、『ペスト』は戦後の1942年の発表になる。レジスタンスとしての活動経験が下敷きになっていると言われる。独占領下の仏とペストに襲われ閉鎖された1都市内での閉塞、共に全く経験の無い門外漢からは共通点よりも相違点の方が多いように想像されるが、作者の意図がどの程度及んでいるのかは判らない。

 

小説としての完成度は『異邦人』を上回ると評価されている。確かにその通りなのだろう。ただし、『異邦人』ショックの大き過ぎた私には薄い印象しか残っていませんでした。再読で小説としての完成度は改めて認識できました。「小説としてよくできている」との認識は確かですが、それ以上の感慨は湧き難い。因みに舞台となったアルジェリアの街・オランは、27歳で再婚した妻フランシーヌの故郷で実際に暫し住んだ土地だそうです。

 

コロナ禍で新しい読者がだいぶ加わったらしい。あとで94刷以降の増刷数も確認してみたい。

 

 

 

『下町洋食バー高野 ビーフシチューとカレーは何が違うのか?』麻宮ゆり子 ハルキ文庫 2021年20220810_160002

 

 

少し面倒な古典系が続いたので気分転換に選んだ作品。作者に関する知識は無い。パラっと見た感じで浅草の「神谷バー」が舞台と判るので買ってしまった。北関東某市に住む私にとって、浅草は東京の玄関口、子供の頃初めて訪れた「都会」でもあります。「神谷バー」の前はよく通る、しかし1度も入った事はないし「電気ブラン」も未体験、それでも身近に感じる(勘違いだけど)店です。

 

主人公郷子は、設定では私の5歳年長。群馬県の山奥の田舎から集団就職で東京に出た。私はお隣栃木県生まれだけれど、田舎にしては都会(人口10数万の市)だし、小銭を持つ割と裕福な商家の生まれで、逆に県北部からの集団就職を受け入れていた立場の生家だった。みつ豆も子供の頃から普通に食べていた。主人公とは全く異なる立場で同じ時代を共有している。

 

作者は1976年生まれなので、資料から想像した時代背景なのだろう。間違ってはいないけれどもリアル感はいまひとつ。NHK朝ドラの「ちむどんどん」の方が時代感は厚い。話としても普通。シリーズ化された2作目らしいが、次作が出ても買うことは無いだろう。つまらなくはないけれど敢えて選ぶほどではなさそう。ハルキ文庫には有り勝ちな作品かも知れない。

2022年4月 5日 (火)

友人の初めての個展

今月15日から、友人が絵の個展を開きます。彼の初めての個展、そして最後になるかも知れない個展です。知り合ったのはだいぶ以前、おそらく30~35年ほど前だったと思います。交流は長いですが、個人的には特に親しい間柄ではありません。
 
大学生時代、美術部役員を終えてからだったので4年次だったのでしょう、都内各大学美術部に声掛けして「卒業後も絵を描き続ける」会を作りました。発案は上智と芝浦工大美術部有志、私の大学には合同展実施で知り合った、顔見知りの芝工大部員から話が掛かりました。私ともうひとり、2名が参加し今に続いています。最盛期には会員数は50人ほどにはなったと思います。上智・芝工大・青山・共立・聖心・早稲田・日大・東工大などの部員が参加していました。しかし実際に卒業すると自然退会者も増え、メンバーも入れ替わり、現在での実働は20人弱程度だと思います。それでも展示会は46回を数えていますのでよく続いたものです。年1回の展示会と月1回の例会を基本としています。

発足して数年後に、同じような経緯で作られたある会のメンバーと知り合いました。慶応・東大・日本女等の卒業生をメインとした会でした。会員数の減少した時期でしたので、徐々に一緒に活動するようになりました。展示会はそれぞれ別個に年1回、例会は合同ということで。そちらの会も昨年で41回を数えます。

今回初めての個展を開催する彼は、そのもうひとつの会の中心人物です。合同で活動するようになった時期、私は故郷に戻り家業に就いていました。絵も描かず、日曜日に休めない業種でしたので例会にも全くに近く参加できず、年1回の展示会に顔を出す程度でした。一緒に活動するようになった経緯も、会のメンバーから又聞きした程度、今でも、顔と名前の一致しないメンバーも少なくありません。

さすがに会の代表だった彼のことは初期からはっきりと認識していました。それでも会っても年1回だけです。展示会とその後の飲み会とで。温厚で冷静、会を纏める包容力のある彼は、絵も、確実な描写力で安定した作品を描きます。一流の大学を出て一流の企業に務め、趣味の絵画も描き続け絵画会を統率してきた彼は、定年を1年残して早期退職しました。好きな絵を思う存分描きたかったのでしょう。その彼を、難病が襲いました。

発症は退職のひと月後だったそうです。完治の難しい難病で、発症後7年を経て病状は進行しています。2年ほど前に会ったきりですが、現在では薬を服用しても立っていられるのは20分ほどだそうです。発症後も絵を描き続けてきた彼が「個展」開催を意識するのは自然な流れでしょう。他と違うのは、体力的に個展を開催できる「最後の機会」と彼が認識していることです。これまでのグループ展でも、毎回の如く大作を出品してきました。体調の安定しない中、病の進行してきた中でです。今回の個展には、描き貯めた作品に新作を加え、100号以上8点を含む29点の出展が予定されています。

しかしもう彼に、搬入・搬出・作品を飾り付ける体力はありません。関係する2つの会の仲間が集まって作業に当たります。会場に常駐することも体調次第ですので、受け付け等もメンバーが入れ替わり担当します。開廊時間も普段より遅らせ、開ける時間も平常より短くしました。長年の想いを発表するには6日間は短いでしょうが、彼の体力的にはそれでも、限界を超えているのかも知れません。私は初日前半を担当、受け付けとして画廊に在廊します。その時間帯に彼は在廊できません。彼に会うにはもう1回、別日別時間帯に上京することになります。
 
私自身も、家業の会社を閉めてから胃癌が発見され手術しました。私にとっても他人事ではありません。何か趣味を持ち、リタイア後の時間を楽しみに思い描く人も多いと思います。しかし必ずしも思い描いた通りの、余裕ある老後が送れるとは限りません。ゴルフ友人で、リタイア後のプレーを楽しみにしていたある方は、約束した名門コースでのプレー前に、退職後3ヶ月にしてくも膜下出血で亡くなってしまいました。夫妻でのゴルフを楽しみに語っていたのに・・・。五分五分と言われた手術を乗り越え、術前に比べれば体力の衰えた私は、それでも好きな絵を描き、60代半ばを過ぎて、昔望んだ美大生にもなっています。自身の幸運が奇跡のようにも思えます。今は彼が、会期6日間を無事乗り切ることを祈るのみです。
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2021年12月31日 (金)

2021年大晦日

コロナに明け暮れた2021年も間もなく幕を閉じます。慌ただしい年でした。オリンピックがあったから今年のひと文字は「金」、とかでは表せない年でした。なんて安易な、的外れな選択なのかと呆れます。嫌なことからは目を背けよう、との意識なのでしょうか?それならせめて大谷君関連にして欲しかったなぁ・・・。Aaqselp Aaqsphv Aaqsyoj

 

 

毎年大晦日に開催していた、我が家恒例の「大晦日ゴルフ」、今年は昨日30日に行ってきました。昨年はコロナ禍で息子と2人だけでした。今年は当初からのメンバーの高校友人が復帰、もうひとり同期友人を加えての4人で開催できました。それだけでも、コロナ終息への希望に繋がります。

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個人的な今年の大ニュースはやはり、私自身が大学生に戻ったことでしょう。この4月から京都芸術大学での通信教育部芸術学科に入学、初年度も9か月を経過しました。ほとんどは遠隔での授業ですが、対面もあります。前半は直接対面が遠隔に変更になるケースもあり、実際に対面で受けた授業は京都での2科目だけでした。来年は直接対面がもっと増えると思います。他に、WEB動画を見てリポートを提出する科目、指定図書を読んでのリポート提出もあります。リポート提出後に改めて試験を受けなくてはいけない科目も。遠隔でも2日間5講時(約6時間)は結構きついですし、指定図書・参考図書購読でも忙しい思いをしました。今年感じた「慌ただしさ」には、コロナだけではなく、そんな忙しさも加味されています。読みたい一般読書は後回しにされましたし、映画を観に行く回数はめっきり減りました。専門に関係しますので、美術館訪問は減らすわけにはいきませんのでそのあおりですね。

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1年を4分割した秋季予定はほぼ終わり、これまで22単位が確定しています。評価待ちが1科目、リポート提出準備中が2科目、後は冬季日程になります。なんとか30単位まで到達させたいところですが、それにはかなり頑張らないといけません。ちょっと厳しいかな?卒業して就職するわけでもなく、勉学自体が目的ですので、焦ってこなす必要もありません。履修しながら、満足なリポートを書くには知識が足りず、先延ばし延長にしている科目もあります。何年で卒業できるかも未定です。

中学生時代に初めて油彩を描き、高校では美術部に属しました。一時は美大進学を志しましたが諸々の事情で断念、一般大学の法学部に進学しました。しかし授業にはほとんど出ずに美術部部室に籠り、不真面目な大学生活を過ごしました。卒業後は東京での3年の修業の後に故郷に戻り家業を継ぎました。その間、絵はほとんど描きませんでした。

再開は、経営の才覚なく家業の会社を閉めてからですが、大きな切っ掛けは胃癌の罹病でした。手術から来年3月で丸5年になります。ステージ3に入っていましたので、手術での快癒可能性は半々に近かったようです。自身に残された時間を意識したことが「いつかは、」と先延ばしにしてきた絵の再開を後押ししました。退院後ふた月ほどで、市の施設での「パステル画講習会」に参加、そのままパステル画愛好会を結成してその代表として活動を始めました。現在他に、地元の絵画会と美術協会に加盟、国立新美術館での公募展にも応募、今年「蒼騎会」の会友に推挙されました。

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そんな中で、ショッピングセンター内でのカルチャースクールに加入しました。藝大卒の先生に就いての鉛筆デッサンです。しかし私は絵を描くことを「趣味」とは考えていません。勿論、絵を描いて生計を成すことなど無理ですが、野球やゴルフなどのスポーツと異なり、明確なプロとアマとの境目のある世界ではありません。意識の違いだけだと思っています。「綺麗に見える」「上手に見える」絵を描くつもりはありません。私なりの世界を切り開く、意識で描きたいと思っています。インテリアではなく、「アート」を目指したい。意識だけは高く持ちたいと思っています。それが可能なのも絵の世界です。10代の進学時と異なり、生計の種にする必要のないことは、限りなく有利な条件でもあります。問題は残された時間、余命と言うことになります。こればっかりはどうにもなりません。

そんなこんなで、カルチャースクールではもの足りず、通信制美大入学となった。そんな年です。ついさっき年が明けました。2022年は更に活発に積極的に、絵にゴルフにライオンズにワイルドナイツに森高さん林檎さんに、残った時間をつぎ込みたいと思っています。そのためにも、コロナは終息して欲しい。ま、コロナも癌も、「上手く付き合って行く」と言う意識は必要なのでしょうが。謹賀新年、本年も宜しくお願いいたします。

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2021年10月 9日 (土)

初めての、落選

「栃木県芸術祭美術展」、”落選”の絵を引き取りに宇都宮へ行って来ました。昨年は初出品初入選でしたが、今回は敢え無く落選でした。
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部門別応募点数及び入賞・入選点数 ( )内は昨年度実績

(1)洋画部門
 応募点数 175点 (200点)うち25歳以下  23点
 入賞点数  9点 ( 10点)   〃     1点
 入選点数 115点 ( 113点)   〃    11点

今年は↑こんな状況だったとか。応募点数は減ったけど入選点数は増えています。レベルが高かったということだろうか?見た感じ確かに、平均レベルは昨年より気持ち上がっているような気もした。しかしそれでも、戻ってきた自作を眺めて、落選60点の内に入っているのは納得し難い。「自己の表現力不足」とか謙虚に考えるようにしていたけれど、改めて疑問を感じてしまう。
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出品作は実は、1976年の銀座での四人展に出したもの、それに加筆して出品しました。”手抜き”というわけでは無い。30数年のブランクの後再開して4年余、その間の作品は、何となく浮かんだ映像イメージで描いていました。裸婦クロッキー会でのスケッチと風景や静物を組み合わせてとか。描いている内にちょっと思ったのです。「20代の昔は、もっと何か、表現したいもの、訴えたいことがあったよなぁ~」と。それで昔の作品を引っ張り出してきて眺め、その内の数点に新に筆を加えてみました。その中で、1番昔に考えていたことが鮮明に蘇るのが、《Lady Murasaki》だったのです。

作品映像を見て、私の描いたテーマ、何か思い浮かびますか?やはり難しいとは思いますが・・・。また、落選の要因に関してはどうでしょう?第75回展での、大賞・準大賞作品も載せておきます。
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出品作《Lady Murasaki》はダブルテーマとなっています。ひとつは『源氏物語』です。当時谷崎訳で読んでいて、何作かシリーズで描きました。「Lady Murasaki」は、源氏の正室・葵の上亡き後、実質上正室の座に座った紫の上の英語訳名です。源氏が幼少に見出して「自身の好みに育てた」若紫イメージが強いかと思いますが、葵の上、夕顔と異なり早世していませんので、子を成さず源氏の移り気との中での、葛藤の後半生を送っています。その”大年増”紫の上をイメージしました。

もうひとつ、こっちが本命なのですが、紫色には中性的イメージを感じています。銀巴里で歌った美輪明宏は、髪を紫に染め、紫の衣装・靴で銀座を闊歩したとか。『紫の履歴書』という本も書いています。

10代の頃から、女性ファッションに興味を持って、An An やELLE を愛読していました。大学生時代には、女物の服を着たり、7cm位のピンヒールショートブーツを履いたりしていました。自身に性同一障害的な傾向があるのか疑ったことも。しかしずっと、恋愛対象は女性でした。今と違って、その手の性向を表すのに「オカマ・ホモ」という言葉しかなかった時代です。

ピーター、池畑慎之介はひとつ年上、高校生時代にファッション誌で見て憧れました。要は私、ファッション許容範囲の狭い、男性と言うものに不自由感を抱いていたのです。2019年の恵比寿での四人展には、毎日、オーバーニーブーツで通いました。Img_20211005_131543

で、種明かし、《Lady Murasaki》は”男性”です。これまで、誰にも言ってませんし、誰に指摘されたことがありません。故に表現力不足なのでしょうが、あからさまに簡単に、説明的な描き方はしたくなかった。それも意地です。もし今回の審査員の方々が落選理由として、「女性の皮膚の表現ができていない。ごつごつして男みたいだ」と思ってくれたのなら、意図の半分は通じたと思うのですが、果たして・・・・?
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