2024年8月 9日 (金)

最近の絵画活動

6月28日以来書いていないことに気が付きました。最近はFacebook主体になっていて、ブログの方は忘れがちです。しかし放りっぱなしはナンだし、取り敢えず少し書いておきます。ここ暫くのこと。

 

絵の方は展示会予定が混み合い忙しくなっています。今月中に1件、末から来月にかけてもう1件、9月にはグループ展2件に公募展応募も予定しています。さてさて作品は間に合うのだろうか?

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毎回新作と言うわけには行きません。同一地域で同じ作品を提示は出来ませんが、東京で出したものをまた地元で、とはアリです。銀座での「蒼騎会 選抜展」は今回が初めての企画です。推薦頂きました。F20号新作を予定しています。「蒼騎 埼北展」は所属する蒼騎会での支部展です。私は栃木なのですが会員が地域少なく支部がありません。お誘いを頂きこちらも初めての出展です。国立新美での「蒼騎展」出展作に新作を加えての展示になると思います。

「新画展」は地元で所属する絵画会での年1回の定例展です。ひとつの展示会では、例年最も出展作の多い展示です。今回は多分6点になると思います。「蒼騎展」出展作にF20号連作2点、そしてこれから描き出す新作(間に合うのか?)と小品を2点ほど。「パステルフレンズ展」は私が代表を務める小さな絵画愛好会です。油彩小品1点とパステル画1点を考えています。

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その後予定する公募展はまだ白紙状態です。新作を描ければ良いけれど、間に合わない可能性も大きい。その時は在庫から選ぶしかありません。一応頑張って描く気ではいるのですが…。

 

今週の6日・7日、在学する通信美大での東京での対面スクーリングに参加して来ました。通常はZOOMで受講できるのですが、やはりたまにはオフラインで受けないと学生気分が蘇りません。今年は京都本校での授業を2回、東京での授業は初めてでした。京都でのスクーリングは「松尾大社」にかかわるものでした。東京では「基礎デッサン:ヌード」です。9月にも東京での授業を受ける予定になっています。

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2024年6月28日 (金)

最近見た展示会

6月8日「京都府立堂本印象美術館」、以前から1度行ってみたいと思っていた美術館です。京都芸術大学通信部の現役学生をやっていて、ごくたまに京都を訪れるのですが、授業の時はあさ9:30から17:40までみっちり閉じ込められますので観光もできません。今回も授業ではあるのですが、1日だけですので前泊の日に訪れることができました。美術館向かいが立命館大学でした。

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南画的な日本画から抽象絵画に移行した前衛画家、作品は迫力がありました。欧米アンフォルメル画家からも注目されたようですが、偶然性に頼らない日本画的進行で、必ず下絵を描いたそうです。下絵を共に展示してありましたが、すべて完成品の方が充実しています。当たり前かも知れませんが感心しました。撮影禁止が残念です。今度はお寺等の障壁画も観てみたい。ロビーのみ撮影可でした。

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6月9日「京都文化博物館」「松尾大社展」、こちらが今回の授業です。京都芸大の教授が今回の展示を主導し監修者として名を連ねています。その教授の解説説明を聞きながら会場を周りました。絵の展示会と異なり、ほとんどが古文書資料ですので見ただけでは何の面白みもありません。「松尾大社展 みやこの西の守護神」の企画始まりから展示まで、そのご苦労と成り立ち、そして勿論「松尾大社(まつのおたいしゃ)」の歴史や文化的立ち位置等の解説がありました。先生は松尾大社の研究に長年勤しまれ、膨大な資料とそれを開示して頂くための神社との関係作り、東京在住の先生が京都の松尾大社で結婚式を挙げるところから始まったそうです。(笑) 今回初めて、展示会図録を端から端まで読みました。本の一端ではあるのでしょうが、古文書研究という分野の意味合いが少しは判った気がします。
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6月14日「まえばしガレリア」「岡本健彦・鬼頭健吾「revise」」、 前橋まで出かけました。京都芸大大学院鬼頭健吾教授の展示会が開催中でした。会期が16日まで。知ってはいたのですがギリギリになってしまいました。会場の「まえばしガレリア」は最近できた施設ですが、周りが飲み屋街で場所を探していて不安になりました。
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6月22日「アーティゾン美術館」「ブランクーシ 本質を知る」、ラグビー観戦が主目的での上京でしたのでしたので時間が限られます。デ・キリコはあまり好きでないのでパス。ロートレックが始まっていますが初日で土曜日、混雑が予想されます。後日平日に行きます。で決めたのがブランクーシでした。それほど興味のある作家でも無かったのですが、空いてそうだし学生無料の美術館だし…。期待していなかったせいもあるでしょうが、意外と楽しめました。彫刻は苦手、特に抽象彫刻は、との意識が邪魔していたのでしょう。さすが美術史に名を遺す作家です。観る価値はありました。ま、単純に美しい作品でした。抽象彫刻への道を開いた作家です。当時彫刻界を席巻していた権威:ロダン工房に入りながら1ヵ月で辞めた、その気概も頼もしい。
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6月25日「大川美術館」「The日本画」、「日本画」という枠組みは、開国に伴って海外文化が流入「洋画」に対して従来からの日本絵画を区別して考える、新たに作られた概念です。欧米に「フランス画」「ドイツ画」などという概念は無く、鎖国によって文化交流が閉ざされていた日本での特殊な文化環境で生まれた言葉です。時代を経て「日本画」の立ち位置に変化が生まれ、相互融合も進み、最近までの「画材・技法での区別」にも疑問を呈する場面が多くなりました。公募展等でも「日本画」「洋画」の区別なく公募・選抜する傾向が強くなってきています。日本画顔料を使った「洋画」や、「日本画」でのポップアートなど、年々その境目は微妙になって来ています。寧ろ必要ない、無意味な区別と考える人も多くなっています。
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6月27日「足利市立美術館」「コレクション展2024」、足利所縁の大山魯牛と田崎草雲を中心にした「南画」と、浅川コレクションで構成されています。「南画」は中国の「南宋画」が元となっています。宮廷画家などの専門画家による「北宋画」に対して、在野の文人・士大夫による、専門画家ではない知識階級による趣味の嗜みとして描かれた精神世界が「南画」です。「文人画」とも呼ばれます。足利藩江戸屋敷に生まれ画家・維新の志士として活躍した田崎草雲、と、両親の実家のある足利に移転し、草雲が住んだ白石山房で制作した大山魯牛とを中心として展示されています。急激な時代変遷に苦悩する魯牛の姿が見えてきます。大川美術館での企画と重なる部分もあり興味深い。因みに「北宋画」は、日本では雪舟や狩野派がその流れを引き継いでいます。
PartⅡは銀座「南画廊」に勤め「画廊春秋」を主催した浅川邦夫氏寄贈によるコレクションです。赤瀬川源平や清水晃、貴重な現代美術作品が並びます。「南画廊」での「サムフランシス展」観に行ったよなぁ。撮影不可だったので我が家のサム・フランシスポスターでも載せておきます。
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2024年6月 5日 (水)

最近読んだ本『風に舞い~』『モンテレッ~』『松野大社展』

風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年(2021年第14刷・2006年文藝春秋社)Image_20240502_0001

 

 初めて読む作家、だと思って読み始めたのですが、3年前に『みかづき』という作品を読んでいました。すっかり忘れていました。 

6作の短編から成る1冊です。第135回直木賞受賞作。スタートは児童文学で、本作は一般文芸に進んだ初期の作品になるらしい。そのせいかどうかは知りませんが、6作それぞれ色合いが異なります。別々に読んだら同じ作家の作品とは思わなかったかも知れません。解説の藤田香織も「とても驚いたのが収められている6つの物語そのものの質感の違い」と、同じように感じたようです。 

1作目の『器を探して』はイマドキ感のある作品です。『ジェネレーションX』は都合の良過ぎるストーリー展開ですが小説らしい楽しさはある。表題作『風に舞いあがるビニールシート』は世界の現実を知らしめるシビアな作品。直木賞と芥川賞の差異の小さくなっている昨今ですが、その両側を行き来する作品集に感じました。

 

 

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子 文春文庫 2021年(2018年方丈社)Image_20240502_0002

 

 本屋で見て気になってたまたま購入した本です。嘗てイタリアに「本の行商」との職種のあったこと、それが都会ではなくトスカーナの山奥の小さな村だったこと、興味をそそられました。 

外国人として初めての「露天商賞」受賞作品です。「イタリアの本屋大賞」との説明に一瞬躊躇しました。日本での本屋大賞受賞作・候補作はまず買いません。本を娯楽として考えていませんので、「本屋大賞」と聞くと娯楽性重視の本と捉えてしまいます。誤解かも知れませんが。同様に映画化・ドラマ化との一文も購入を避ける要因となっています。 

「露天商賞・金の籠賞」との賞、元々賞の根源が異なるのか?それとも賞の発祥に直接関わるテーマなので特別に選ばれたのか?判りませんが、少なくとも日本の「本屋大賞」には絶対に選ばれないであろう、娯楽性の少ない作品でした。 

私が本屋の本棚でたまたま選んだ時のイメージともかなり異なりました。エッセイ的、緩やかでロマンのある、読み易く楽しい作品をイメージしていました。実際にはかなり生真面目なノンフィクションです。山奥にある交通不便な寒村を何度も訪れ、周辺の街・村、本屋行商に関連する本屋を訪ねたり、研究的調査を重ねた上で書かれています。予想した気楽なエッセイではありませんでしたが、反面読み応えのある作品ではありました。

 

 

『松野大社展』みやこの西の守護神 京都府京都文化博物館 2024年Image_20240604_0001

 

 現在開催されている(6月23日まで)展示会の図録です。図録を端から端まで読んだのはおそらく初めてです。ほとんどは絵画展ですので、通常は作品の写真を眺めて所々拾い読みするだけです。高価な図録を勿体ないと、たまには思います。( ´艸`)

それでも絵の展示ですとそれなりの満足感も得られます。しかし今回は展示品の大部分は「書」で、それも美的書道ではなく城湯としての「書」です。眺めていても何も判りません。読むことも出来ませんし読んでも意味を解せません。。巻末の「作品解説」を読んでようやくその1部を理解できる程度です。

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何故そんな展示を観た、図録を買ったのかと言えば、実は所属する通信美大での講義が絡んでいるせいです。来週末に京都で講義を受け、後日リポートを転出しなければなりません。 

読んでいて眠くなるページも多い図録ですが、興味深い面も無いでもありません。神社の歴史・行事・祭事仕様の他に、多いのは陳情文的な文章です。京都でも高位に位置する神社で荘園から上がる年貢で祭祀を執り行いますが、その年貢が騒乱や時代変遷で届かなくなり、その解決を時の権力者に願う上訴文です。訴願先は時代で変わります。朝廷から鎌倉幕府・足利幕府へ、そして信長・秀吉に。その効果も時代で変わり、武士の世には多くの荘園が有名無実となります。そういった時代変遷を物語る文章の展示会でした。 

NHK大河ドラマファンには懐かしい名も出てきました。「梶原景時」です。ドラマでは中村獅童が演じていました。丹波国雀部荘での荘園代官を務めていた景時、その失脚後の新たな地頭で未払いが続いたそうです。ドラマとは言え知った名が登場すると一挙に興味が深まりますね。

2024年4月17日 (水)

最近読んだ本『ピカソに~』『私の家』『原田マハの~』『旅だから~』

『ピカソになれない私たち』一色さゆり 幻冬舎文庫 2022年(2020年幻冬舎)20240326_201010

 

 東京藝術大学出身の作者が、架空の芸術大学「東京美術大学」での、油画科で1番厳しいという森本ゼミで卒業製作に励む4人のゼミ生の1年間を描きます。50年以上の昔、美大進学を父親に反対され一般大学に進学しました。作品文中に「20倍もの競争率になる」と書かれている合格率、モデルとなった東京藝大油画科、私の時代では50倍に近かった。圧倒的に多い女子比率といい、時代は変わっています。 

そして古希を迎えた現在、通信美大在籍3年目を迎えています。最初の2年間は芸術学専攻でしたので、油画では1年を終了したところです。卒業製作は来年に予定しています。その意味では身に滲む部分も多い。砂利道の小石を1粒1粒描く精密描写課題などやりたくない。似たようなことはやらされるんですけど…。終盤は他人事とは思えず感極まって涙ぐみそうにもなりました。他人事として読む方々はどう感じるのだろう?  

 

『私の家』青山七恵 集英社文庫 2022年 Image_20240409_0008

 

 2007年に芥川龍之介賞を受賞した作家だそうですが、初めて読みました。どうやって選んだのか記憶にありません。「たまたま手に取った」のでしょう。そういった出会いもあります。 

親子・兄弟・大叔母、三代に渡る親族の「家」にまつわる物語です。それぞれの関係・悩み・行動、親族ならではの近しい関係でのぶつかり・イザコザ、日常的にありそうな些細での苛つき、軋轢。読んでいて少しイラつかされる部分はあります。あと、それと「家」との結び付きが、私にはピンと来ませんでした。章により主人公が入れ替わる、時代も行きつ戻りつするので戸惑う部分もありました。判るようで判らない、煮え切らない思いの残った作品でした。何かの折に、思い当たることもあるのかも知れません。そういった読書も過去にはありました。  

 

芸術新潮4月号『原田マハのポスト印象派物語』原田マハ 2024年4月新潮社Image_20240409_0007  

 

 高いので美術雑誌は大抵立ち読みですが、今号は原田マハがメイン記事を書いていたので買ってしまいました。税込み1,500円。 

「ポスト印象派物語」として、5人の画家を取り上げています。時空を超えて、エミール・ベルナールと共にそれぞれの画家を訪ねるとの設定です。今でも最も好きなマハ作品は『ジヴェルニーの食卓』です。『原田マハの印象派物語』も悪くない。そこまでは行きませんがそこそこ楽しめる文章でした。エッセイ以上小説未満。オーヴェールもポン=タヴェンも行きたいなぁ、もちろんパリも。

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『旅だから出逢えた言葉Ⅱ』伊集院静 小学館文庫(2021年・2017年小学館)Image_20240415_0002


『~Ⅰ』に続いての購読です。面白い、興味深い言葉も、何故敢えて?との言葉も混在しますが、その時々、その旅の中で心に滲みた言葉を挙げていますので、部外者読者には想像の届かない部分もあるのだと思います。『~Ⅰ』よりもしんみり読むことができました。

松井秀喜、国民栄誉賞受賞時での記事、「おそらく今後あらわれるかどうかわからないワールドシリーズMVPという栄誉~」との言葉があります。当時は想像もできなかったであろう大谷君の活躍、昨年11月に73歳で亡くなられた作者、松井に続く快挙を想像していたかも知れません。『~Ⅲ』も出ていますが買うかどうかは判りません。もうイイかな? 寧ろ『美の旅人 スペイン編』に心が動きます。

2024年3月26日 (火)

最近読んだ本『紫色の~』『お菓子で~』『美麗島~』

『紫色の場所』林 真理子 角川文庫 1986年20240315_171440

 

 バブル初期、当時「アイドル作家」とも言われて持て囃された時代の林真理子の作品です。今や日大理事長ですね。立場危うそうだけれド…。

主人公はスタイリスト、当時流行先端の職種に就く彼女が新宗教に興味を持つという、「時代だなぁ」という作品。今読むと古臭さを感じてしまいます。しかも宗教に嵌り掛けた原因が「教会で知り合った信者の男」という軽さ、林真理子らしい。オーム真理教での事件前の作品なのでこんな扱いもできたのでしょう。「久慈尊光教」というモデル丸判りの宗教団体名「おひかり」との言葉も出てくるし。クレーム付かなかったのだろうか?

 本棚から取り出した本です。若かりし頃の家内が買ったらしい。子育てに忙しかった時期にこんな本を読んでいたのかと思うとちょっと笑ってしまう。書棚には林真理子の本が数冊あります。すべて家内本、私は多分初・林真理子。 

 

『お菓子でたどるフランス史』池上俊一 岩波ジュニア新書 2013年(2021年第12刷)20240317_164037

 

 著者は西洋中世・ルネサンス史を専門とする東京大学大学院教授、『パスタでたどるイタリア史』に続く著作です。宗教や政治、素材、時代を経てのお菓子の歴史を辿ります。命を繋ぐ「食」という意味からは、必ずしも必要とは限らない「余分なもの」としてお菓子。祭事や神事から嗜好食品へとの変遷して行くには、大航海時代での砂糖やカカオの導入、そして植民地プランテーションでの大量生産化が必要でした。香辛料並みの高価品だった砂糖は、悲惨な奴隷制の犠牲の下に一般化されたのです。その中でフランスは、政略結婚によるスペイン・イタリアからの文化移入としてグルメ大国を創り上げて行きました。テーマ毎の編集で時系列を遡る部分もありやや混乱する場面もありましたが、興味深く読むことができました。

 商才無く10年前に店を閉めましたが、製菓学校卒の元パティシエです。新婚旅行ではフランスを2週間巡りました。最終章に登場する、ヌーヴェル・パティスリーを牽引した「ルノートル」、出店した西武デパートには通いましたし、ガストン・ルノートル氏来日での講習会にも参加しました。食を離れてから自宅で作ることは無く、すっかり忘れてしまいました。

 書棚にはまだ専門書も何冊か残されています。開くことは全くありませんでした。1982年、5万円の本です。当時の大卒初任給が12~13万円の時代でした。

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『美麗島プリズム気候』乃南アサ 新潮文庫 2022年(2020年集英社)20240326_101817

 

 小説を主として読んでいるのですが、時としてほんわかと、旅紀行とかエッセイとかも読みたくなります。そんな時のために買って置いた本です。台湾は行ったことないけど惹かれる部分もある国です。

 そんな気持ち・期待からは少し離れた内容でした。初めて読む作家です。お気楽な旅紀行文ではなく、台湾の歴史に食い込んだかなり真面目な考察を提供しています。「日本兵として戦った本省人と、日本兵を敵として戦った外省人」の同居する国、歴史的には確かにそうなのですが、意識したことがありませんでした。親日国として知られる台湾の、新たな一面も垣間見ることができました。期待とは異なりほっこりとはなりませんでしたが、読み応えのある作品ではあります。

2024年3月13日 (水)

最近読んだ本『源氏物語』

『源氏物語』紫式部 瀬戸内寂聴 訳 講談社文庫全10巻(2007年・2001年講談社)20221226_112245
NHK大河、最近は没入できない作品も多くなっていますが、「光る君へ」には嵌っています。今回は吉高由里子主演、というのも魅力になっています。朝ドラ「花子とアン」も好きでした。

次々回大河が発表になって間もなく、瀬戸内寂聴訳で『源氏物語』を読み始めました。講談社文庫全10巻です。購入した第1巻は2022年第33刷版、発行は6月ですが読み始めたのは22年末(11月位)でした。そして今月、ようやく読み終わりました。第10巻は2024年第13刷、かなりの脱落者が出ていると想像されます。(´;ω;`)ウッ… 大学生時代に谷崎潤一郎訳で読みましたがかなり印象が異なります。
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谷崎版は表現をボカシ、王朝文化を雰囲気持って伝えていたように思います。その点瀬戸内版は表現がリアルです。暴露本的で、勿論現代ものとは異なりますが、登場人物が肉感的に実在を感じさせます。読んでいて呆れるくらいに浮気者でちゃらんぽらんな人物が多数登場します。生活も派手で浪費家(貴族は全人口の数%で富を独占)、貴族が没落して武士の世が出現するのも「当然」と感じてしまいます。特に匂宮には呆れ果てます。単なるスケコマシですね。「君しか居ない!」とか情熱的に迫ったおきながら、浮舟が死んだと聞かされた途端に他の女人に手を出す。誠意も何もあったもんじゃない。そんな匂宮に心惹かれる浮舟、口の達者な悪っぽい男に傾く女心は現代とも共通するのでしょう。青春期その反対側に居た私は、読んでいて怒りさえ覚えます( ´艸`)  ま、誠実と表現されている薫の君も50歩100歩ではありますが…。



読んでいての小さな疑問。作中で男も女もやたら泣きます。現代的には「悲し気な目をする」程度で十分と思われる場面でも。「泣く」ことが悲しみを表現する定番で必須な態度だったのか?(泣き女感覚) それとも平安人は普通に涙脆かったのか?不思議。

訳者でこれほどに印象が異なるとは思いませんでした。大学時代の印象が正しかったのか?確かめることにしました。谷崎版は探しても第2巻しか出てきません。メルカリで買い直しました。谷崎版では宇治十帖は読んでなかったように思うし。
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ps.ラジオでたまたま、NHK大河で時代考証をされた学者さんの話を聞きました。勿論現代とは異なりますが、平安時代は一般に「平安な時代」だったそうです。大河での演出は「ドラマ的」要素も含まれています。「私の時代考証通り作ったら、面白くない物語になったでしょう」とも。また、貴族でも北の方(正妻)の他には+1人位で、物語のような浮気者は少数派だったとか。(当時の)現実を超えた創作が読者を獲得するのも今と同様です。『源氏物語』もエンタメ小説です。読んで「平安時代を理解した」とは早計のようです。

更にオマケ、大学美術部時代に『源氏物語』をテーマに作品を描いていました。谷崎版で読んでいた当時です。今見ると繋がりの判らない勝手なイメージですが、当時はそのつもりでした。( ´艸`) 
写真は左から《空蝉》《夕顔》《若紫》《朧月夜》《Lady Murasaki(紫の上)》
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今回読み始める前には「また描いてみようか」との気持ちもあったのですが、読み終わって今のところは、その気になりません。

2024年3月10日 (日)

最近読んだ本『青い小~』『孔丘』

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社文庫 1980年第8刷(1973年第1刷、1956年新潮社)20240220_125335

 

 『白い人』『黄色い人』の前年に発表された初の長編小説とのこと。1950年戦後初の留学生として渡仏、その時の経験をもとに書かれたらしい。現地でのアジア人への偏見と差別、敗戦国ドイツ人に対する嫌悪、そして戦中のレジスタンス活動裏側での暗黒面、何処までが実際の話しなのかは判りません。

 本棚から取り出した44年前の本、結婚前の家内が買った本です。最近は読書量の減っている家内ですが、若い頃は読書家でした。1980年は結婚の年、式は12月でしたので結婚間近の時期に読んだのでしょう。結婚前は2年ほど、東京と宮城とで離れて暮らしていました。まだ東北新幹線の無かった時代です。本の内容よりも、当時どのような気持ちでこの本を読んでいたのか?歳月を遡る気持ちになります。

 読書傾向、重なる部分もあるのですが、やはり選択する作家・作品には違いも結構あります。遠藤周作は家内の買ったものの方が多い。吉行淳之介・水上勉は2人共に読んでいるのですがやはり家内本の方がやや多いかも知れません。源氏鶏太・林真理子・田辺聖子はすべて家内の買ったもの。反対に司馬遼太郎など歴史ものはすべて私の方です。時には本棚から、私未読の家内本を読んでみるのも良いかも。家内再発見もあるかも知れません。

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『孔丘』宮城谷昌光 文春文庫上下巻 2023年(2020年文藝春秋社)20240228_213346

  

孔子24歳、物語は母の死から始まっています。「孔丘」は孔子の本名、偉人伝では無く、放浪し苦悩したひとりの人間として描こうとの作者の意図するところが見えます。「激し易い」、時には高弟からも不安視される、そしてあまりに理想を求め過ぎる孔丘。それでいて泰然自若とした悟り切った哲人の姿ではなく、晩年には「天」にすべてを委ねた意思無き姿をも現します。

「礼」とは元々は葬儀・葬送の手順・仕来りを意味するものだったとか。「儒者」は謂わば「葬儀屋」でした。ただ、古来の型通りに葬儀を執り行うことは貴人には欠かせない重要事で、決して卑しい身分ではありません。特殊技能者、といったところでしょうか。その「礼」を、葬礼を超えて政治・外交に、そして人が生きて行く意味合いを示す「哲学」へと昇華して行きます。後世人の世に描かれる「礼」のイメージ・規範は孔丘の創り出したものでした。

孔丘の人生を描くことは想像以上に難しかったようです。著者は50代・60代で「無理だ」と諦め、70過ぎて「死ぬまで書けない」と腹を括って書き始めたそうです。『論語』には時系列が無く、残した言葉が「何時何処で発せられたか」を確定すること自体が難しいとか。著者の苦労の垣間見える作品です。

宮城谷昌光は以前(15~20年位昔?)かなり嵌った時期があります。時代もの自体読む機会が減っています。久々に読むとやはり面白いですね。少し置いてになるでしょうが、また何か読んでみたいと思っています。

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2024年2月11日 (日)

最近読んだ本『虞美人草』『82年生~』『紫式部~』

『虞美人草』夏目漱石 旺文社文庫 1968年20240207_081752

 

夏目漱石を読んだのは何年振りだろう? 一生懸命読んでいたのは中学・高校時代なので52~57年ほど昔ということになります。その後にもぽつりぽつりとは読んだと思うのですが、はっきりした記憶はありません。 

漱石が『虞美人草』を書いたのは1907年、『坊ちゃん』『草枕』と同じ年です。1905年には『吾輩は猫である』を、1908年には『三四郎』を書いています。前後作品と比べて文体がやや漢語調で装飾過剰、特に前半は漱石らしくなく古臭く感じます。前後作品の方が読み易いので、時代変遷ではないはず。何故この作品だけ文調が異なるのか判りません。解説を担当した英文学者・海老池俊治は「遺憾ながら一種の出来損ない」とまで書いています。また、教養を持ち時代の「新しい女性像」藤尾を貶め、控えめな糸子・小夜子を持ち上げる、「漱石も明治人」なのだと、尤もながら再確認することになります。ストーリーも型に嵌った堅苦しさを感じます。 

虞美人はご存じ通り楚の将軍項羽の愛姫で虞美人草はヒナゲシ、「虞美人草」と「ヒナゲシ」とでは随分と語感が異なりますね。 

中学時代の最後、高校入試前日に自宅が火事に遭っていますので、中学時代の本は1冊も残っていません。新潮・角川がメインでしたが、文豪作家のものは少し高い旺文社文庫で買っていました。旺文社文庫はハードカバーで小さいながら函入りでした。ページ末に字句解説も付いています。旺文社には「中一時代」などの時代シリーズ学習雑誌や全国模試、大学受験ラジオ講座でお世話になりました。 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳 ちくま文庫 2023年(2018年筑摩書房)20240209_102719

 

 この文庫本の出た時点だと思うのですが、韓国で136万部、日本で23万部という大ベストセラー本です。榎本マリコのシュールっぽい表紙も目立ちます。

 男優先の時代を活きたある女性の33歳から物語は始まります。ある日突然、キム・ジヨンは自身の母に、その後には大学の先輩に、憑依したかのように他人格となって話し行動し始めます。驚き戸惑った夫チョン・デヒョンは妻を精神科医に連れて行きます。そして物語は1982年に戻り、キム・ジヨンの成長過程を描き出します。 

ジェンダーの問題が、社会生活上での男女格差の問われる時代です。日本よりやや男性優先意識の強い韓国、しかしその差は明らかな場面もありますが、隔絶したほどの差はありません。私自身韓国が好きで頻繁に訪れた時期もあり(20回訪韓しています)、韓国関連の書物、歴史ものや呉善花やら黒田福美やら、一般日本人よりはかなり多く読み知識も多いと自認しています。 

そんな近くて遠い、似てまた非なる国でのジェンダー意識を、特別でなく「ごく普通な」韓国女性の30年余りを描いて、韓国で多くの共感を得た作品です。非常非常識な差別でも極端な男尊女卑でもなく、普通の社会生活上にある、少し前なら日本でも「常識内」にあった性差別を描いたことで、より身近に意識することができたのでしょう。現在70歳の私の家事・育児を「手伝う」との意識、私の世代ではそれでも「良き夫・父親」範囲内に入っていたと思っていたのですが、娘世代には否定されます。「手伝う」と言う意識自体「家事・育児は女の仕事」との前提で出てしまう言葉ですから…。男としては身につまされる部分もある作品です。 

 

 

『紫式部日記・和泉式部日記』与謝野晶子訳 角川ソフィア文庫 2023年20240131_1950342

 

 読み終わりました。さほど面白くはない。訳した本文よりも、訳者の書いた「自序」「紫式部考」が作品を作者を知る上で興味深いものとなっています。 

『紫式部日記』は「文学」というより「記録」なのだろう。日々の行事・できごとを、貴人や女房の衣装装束までこまごまと記しています。文章としての滑らかさよりも、創作の資料として残している風に感じました。それ故、当時の風俗を記録した資料として価値あるものとされているようです。 

『和泉式部日記』はそれに比べるとやや「小説」的要素もあります。「私」ではなく「和泉」と、第三者の立場として書かれています。「和泉」との主語は与謝野晶子での意訳部分も多いらしい。小説的要素もあるにしても、その要素は源氏とは比較のしようもない程狭い。師の宮と和泉式部との二人のやり取りが大部分を占めます。正直言って飽きます。やはり日記文学は『更級日記』が(読んだ中では)1番内容があるように感じています。 

瀬戸内寂聴版『源氏物語』は「巻九」まで読み終わっているのですが、「巻十」が「入荷待ち」で10日待たされ未だ連絡が入りません。NHK大河影響で売れて在庫が切れたのかも知れません。前もって買っておけば良かった。

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姿を見なくなっていた谷崎潤一郎訳『源氏物語』が、本棚整理中に「巻二」だけ出てきました。中公文庫1973年初版です。大学生時代に読み、就職時に実家に送ったのだと思います。残りも何処かにあるのか紛失したのか判りません。先の瀬戸内版入荷待ちと対照的に、少し前は古本でしか手に入らなかった与謝野晶子版・谷崎潤一郎版が買えるようになっていました。大河人気での復刻なのでしょうか?谷崎版は挿画作家が豪華です。

2024年2月10日 (土)

2024年も2月になりました。

2024年もひと月と10日が経過しました。新年早々の「足利展(足利市立美術館)」に1点出展《飲み過ぎたあの日》F30号油彩、新しい年の活動をスタートしました。美術館は外壁補修中で外見は見栄えが悪い。

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通信美大授業でも油彩を描きました。F15号を2枚、2日間で描きます。通常創作ではできませんが授業では可能、というかやらざるを得ない。強制される集中力も美大入学のメリットなのでしょう。描くテーマや規制も授業ならではです。自らの製作では、好きなモノしか描きませんしいつもの同じ描法で描いてしまいます。気が進まず無理やりやらさせるのも経験、目覚めの可能性を高める効果もあるのでしょう。ZOOM遠隔授業でしたが、自分で設営した静物を初日はキュビスム的(多視点・形体構成)に、2日目はフォービスム的(単視点・色彩構成)に描きます。キュビスムの方は色数制限もありました。

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昨年12月の授業なのですが、「静物構成」の授業での作品も載せておきます。4日間合計2単位、最初の2日間でコラージュ作品を作ります。自身の身近なモノの写真を集めることが事前課題でした。最初の3枚がその1部です。出来上がったコラージュ作品を、1週置いた後の2日間で油彩に描きます。油彩は「できるだけ正確に写す」ことがテーマです。画面を64分割してコマ毎に手描きコピーします。

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今現在展示中の作品もあります。ひとつは小さな展示会ですが公民館での文化展です。月1回開かれている裸婦デッサン会、その会場にお借りしている公民館です。もう一つは「国立新美術館」での「全日本アートサロン絵画大賞展」です。公民館での《記念日の花束》F6号は今年の、国立新美の方は昨年秋の搬入でしたので昨年の作品になります。審査を経て8日から展示されています。

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美大3年目も年度末、実技スクーリングは終了、レポート提出があと1本か2本。最初の2年間は芸術学コースでしたので洋画コース2年目が4月から始まります。展示会は4月に大学OBOG展があります。大きいのは6月の「蒼騎展」ですね。まだ構想段階ですがF50号を予定しています。

 

2024年2月 5日 (月)

最近読んだ本『ノボさん』『すべて真夜中の~』『イメージを~』

『ノボさん』伊集院 静 講談社文庫上下巻 2016年(2013年講談社)20231121_095055

 

正岡子規の半生を描いた作品。夏目漱石との交流をも書いていますが「小説 正岡子規と夏目漱石」との副題で想像するほどには漱石に重点は置かれていません。あくまで主役は子規で、その最も親しく重要な友として漱石が登場しています。題名の「ノボさん」は子規の幼名「升(のぼる)」からきています。

小説は一校時代の、ベースボールに夢中になった子規の姿から始まりその死で終わります。疾風の如くに駆け抜けた34年間でした。「打者」「走者」「四球」など、現在も使われている野球用語の多くを翻訳創作しています。(「野球」は違うらしい)

伊集院静の筆は、隠居の手慰みだった「俳句」を文学の域の高めた功績に留まらず、ひとりの明治人、「ひと」としての正岡子規を愛情込めて描いています。読後には、その距離感はかなり縮まった感があります。また、結核菌が引き起こした脊椎カリエスでの病態も克明に描かれ、壮絶な描写に後ずさりしてしまいます。

 

 

『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子 講談社文庫 2014年(2022年第43刷/2011年講談社)20231121_095247

  

川上未映子2冊目ですが、前読の芥川賞受賞作『乳と卵』より3割増しで良かったと感じています。刷数を重ねているだけのことはあります。ま、刷数は「売れた」というだけで、必ずしも作品の質と一致するわけではありませんが。

ひとと接すること、一般社会でのコミュニケーション力に不安のある主人公、出版物の誤字脱字、間違いを探す校閲者として働いています。仕事は基本的には単独行動ですが、会社に勤める以上接する社員同士の社会関係はあります。それが上手く出来ずにストレスを抱える主人公は、仕事上の知人からの紹介を切っ掛けに会社を辞め、「フリーランス」として仕事を続けることにします。買い物など必要最小限以外ではほとんど他人と接することの無い生活が始まります。

たまに繁華街に出ても、遊び方も判らずウインドウショッピングすら気楽に楽しめない。そんな主人公がひょんなことから年上の中年男性と知り合い、恋心を抱く、そんなお話しです。

私自身、主人公ほどではありませんが世間話が苦手、普通に社会生活の送れる範囲内ではありますが、コミュニケーション力は劣る部分があります。その分共感できる範囲は広いかも知れません。結末ネタバレはしませんが、現実的に納得できる、しかも部分的には安心もできる収め方になっています。芥川賞から3年後でこの安定感、最近の作品も読んでみたくなりました。

 

 

『イメージを読む』若桑みどり ちくま学芸文庫2005年(2021年第13刷-1993年筑摩書房)20231010_091532

 

若桑みどりの著作を読むのはこれが3冊目になります。千葉大学教養部での「美術史」、4日間に渡る講義を纏めて文書化したものです。美術を専門にする学生向けでない点で判り易く、それでいて美術史の原則を外さない興味深い内容となっています。

中学生時代の歴史の授業で、「ナポレオンが生まれたからこの時代になったのでは無い、この時代だからナポレオンが生まれたのだ」と習い歴史が好きになりました。同様に、美術も時代から離れることはできません。必ずある時代・ある社会・ある文化の中で生み出されます。この本はその、芸術作品の創造された背景を探る「イコノロジー(図像解釈学)」を学ぶ美術史入門書です。

この本を読んで初めて知ったこと、ルネサンス・マニエリスム等の言葉の意味です。芸術様式の初期段階をプリミティヴ、完璧な様式を完成させた時代をルネサンス、技巧が洗練されワンパターン化してくるのがマニエリスム、と表現されているのだそうです。また、著者の書く「芸術の価値のひとつは、それがどれだけ人間にとって普遍的な真実をふくんでいるか、という点にあると思います」との言葉が印象的でした。

初めて読んだ若桑みどり著作は『クアトロ・ラガッツイ』でした。信長・秀吉の時代、九州の大名がローマに送り出した「天正少年使節」を描いた小説です。くどくどと煩わしく、なんとか読み切ったものの即座にBOOK OFF 行きとなった作品です。切っ掛けが無ければ二度と読まない作家だったでしょう。切っ掛けは通信美大(現役学生です)での参考文献に著作名があったことでした。『絵画を読む』との本でした。この本で著者が小説家では無く「学者」であることを知りました。『クワトロ~』でのくどくどしさは学者故の拘りだったのでしょう。その流れで本作も読むことになりました。芸術系では、まだ読みたい本もあります。2007年に71歳で亡くなられています。51qmppeol

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