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2017年6月 2日 (金)

「パステル画講習会」に通い始めました。

小学校の頃に絵画教室に通ったのは親の意思でした。ただ、「芸術家に育てよう」とかの気持ちのあったわけではないようです。高校卒業時の「芸術系の大学受験」という希望は無下に却下されました。

中学で初めて油絵を描き、ゴッホに憧れました。高校では美術部部長、大学では副部長でした。大学在学中に幾つかの大学の美術部員を集めて「卒業後も描き続ける」ことを目標に絵の会を作りました。その会は、40年以上経った今現在も存続しています。私の方は絵からはすっかり遠ざかり、最後の出展は今は昔、ほぼ毎月開かれている例会も、実技部門では2009年にヌードクロッキー会に参加したのが最後、それ以降は年2回の展示会をたまに観に行って打ち上げに参加する程度、ほとんど会費を払うだけの会員となっています。そんな幽霊会員も、「また描き始めたい」との思いは心底に残っていました。ただ「いつか」と思うだけではその「いつか」はいつになっても訪れません。油絵をと思っても、昔の画材は(絵の具が固まってしまい)もう使えません...。買い替えなければ、と思うだけで挫けていました。写真は2009年でのクロッキー会での作品。

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そんな折、市の広報での「パステル画講習会」参加者募集に反応してしまいました。クレパスは昔少し描きましたが、パステルは未経験です。それでも、油彩よりは気軽に描き始められそうに感じましたし、ひとりで、よりは講習会参加は描き始める切欠になりそうです。思い切って申し込んでみました。その初日が今日でした。参加19名中17名が女性、男性は私を含めて2名だけです。こういったサークル、何処でも女性が中心、男性は元気がありません。
初日の今日は説明や自己紹介、基本説明の後、実技は”試し描き”程度でした。初めてのパステルはまだ具合がよく判りませんが、短時間の割にはなんとか恰好はついたかも知れません。これから週一の講習があと9週続きます。次回までに1度、野外スケッチにでも出かけてみようかとも思っています。元々は今年夏の東京での展示会への「たまには出品してよ」との久々出展依頼が始まりです。それまでに出展できそうな作品が仕上がるかどうか?ぼちぼちやってみます。

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2017年3月30日 (木)

”刀剣女子”がやって来た!

今週末4月2日まで、地元足利市の足利市立美術館にて「山姥切国広展(http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017kunihiro.html)」なる企画展示会が開かれています。戦国時代の刀匠・堀川国広の代表作と言われる、重要文化財「山姥切国広」が展示されています。以前、国広が足利学校で打ったとの、足利市民財団所蔵の短刀「布袋国広」が同美術館で展示されたことがあり、家内と訪れました。その折、”刀剣女子”という言葉を初めて知りました。刀がイケメン男子に擬人化された「刀剣乱舞」なるゲームがあり、その流れで刀剣に興味を持った女性達を”刀剣女子”と呼ぶとか。「布袋国広」展示の折にも、それらしき、普段市立美術館ではあまり見かけない若い女性客をチラホラと見かけました。今までも”御朱印ガール”とか”歴女”とかの話題がマスコミで取り上げられましたけれど、私自身御朱印帳は持っていますが、それらしき姿に遭遇したことが無く、「珍しいから」「少数だから」話題として取り上げられるだけ、との認識でいました。それが今回は大きく事情が異なっていました。

展示会初日、「入館4時間待ち」との、全く予想外の情報が入ってきました。それ以降でも、美術館周辺はもちろん、駅から美術館へ向かう道筋、足利学校周辺等でも、”刀剣女子”らしき姿を平日でも頻繁に見かけるようになりました。展示会に合わせた”國廣メニュー”提供の飲食店では、昼時に長蛇の列のできているのも目撃しました。人口減少、ドーナツ化、そして地方都市特有の車社会ですので、普段の街中は歩く人をほとんど見かけません。こんなに歩く人を見るのは、13年の森高千里さんライブの折以来かも知れません。それも、森高さんライブの折は2日間のみライブ会場への行き帰り時間のみですが、今回は会期中ずっとその状態が続いています。会期当初の「4時間待ち」対策として会期途中からは整理券の配布が始まり、指定入場時間までは市内散策に出歩けるようになり、足利学校や鑁阿寺等でも広く”刀剣女子”を見かけるようになりました。30年?も昔に一時「信長の野望」に嵌った時はありましたが、それ以降ゲームに夢中になったことはなく、今回の事態は想像の他でした。

28日の火曜日、話のタネに美術館へ行ってみることにしました。午前中は混み合うだろうからと午後ゆっくりに出て、到着は午後3時頃でした。しかしこれがまた事態を軽く見過ぎていたことになります。平日にも関わらず、入館できるのは早くに来て整理券を得た人達のみでした。整理券配布で館外に人込みはありませんが、館内には「午後3時入場」の整理券を持つ人の列ができています。

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もう入館はできないわけですし、元々刀剣には差ほどの興味を持つわけでもなく、興味の方向は”刀剣女子”にあったわけで、残念な気分もあまりなく美術館を後にしました。後は刀剣女子ウォッチング、市内をブラ歩き、鑁阿寺を目指します。

途中「ハマダプラザ(旧ハマダレコード)」店内を抜けてみました。ここの社長さんは今回の「國廣降臨」企画の中心人物の一人です。店内カフェは刀剣女子で埋まり、オリジナル関連グッズ「刀剣クランチチョコ」や刀剣乱舞関連のグッズ賞品が並んでいました。重要文化財・山姥切国広は個人所有です。その出展を粘り強く交渉してきた美術館関係者、そして商店会を動かしポスターや旗指物の制作や設置を行った浜田さんを始めとする方々、その苦労は並大抵ではなかったものと想像します。”街興し”は行政頼みでは決して成功しません。こういった現場の方々の地道なご苦労の上にしか成立しないものと思います。

今回のイベント盛況の要因は、もうひとつ重要なものがあると思っています。それは「足利」という街そのものが持つ歴史です。単に「刀の展示会」だけではこれだけの盛り上がりにはならなかったと思います。山姥切国広所有者が展示を許可下さったのも、堀川国広所縁の足利学校のある足利だったからこそでしょうし、訪れる”刀剣女子”の皆さんにも、鎌倉・室町の風情を残す足利学校・鑁阿寺の存在は欠くべからざるものであったと想像します。地元に住む人々にとっては当たり前の日常で、単なる田舎、地方都市にしか過ぎないのですが、こういった時には、文化資材に恵まれた土地柄なのだと、思い知らされます。鑁阿寺にも足利学校にも、多くの”刀剣女子”の姿を見ることができました。

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ちなみに、足利学校内にある森高千里さん植樹の藤、今年は花咲きそうです。時期は4月下旬から5月初めでしょうかね?

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2017年2月10日 (金)

片山真理「帰途」 群馬県立近代美術館

先月に行った時、時間の関係で周れなかった片山真理さんの展示会、今日改めて行ってきました。『片山真理「帰途」』、会場は群馬県立近代美術館です。

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ブールデルによる、入口の大きな馬の彫像が印象的な群馬県立近代美術館、収蔵品も充実しています。何回も観た作品群ですので、今日は軽めに鑑賞しました。隔年開催の「群馬青年ビエンナーレ」が同時開催です。片山真理氏の注目された切欠となった公募展です。当時は市立太田商業高校在学中だったそうです。そういった関係でのコラボ企画なのでしょう。もちろん、青年ビエンナーレの方も観ました。大賞作品は確かに面白かったですね。意味はよく判りませんが。しかし(作家の)女性比率が高くなっていますね。友人が美大の教授をやっていますが、やはり学生の女性比率は高いそうです。

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片山真理さんの展示会は原則”撮影自由(動画は不可)”ですが、今回は公立美術館が会場ですのでどうか?と思っていたのですが、その一画だけ、撮影可になっていました。もちろん、他の鑑賞者への配慮は必要です。

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「帰途」とのタイトルが示すように、今回は故郷で撮ったセルフポートレイトが多く展示されていました。切断された下肢を晒すその作品は、鑑賞者への挑戦なのか抵抗なのか、理解者を装う偽善を強く指摘されているような、強迫観念を感じます。見てはいけないものを見ているような背徳感と内心の軽薄な興味心、内面を揺り動かされる不安感と同時に微かな快感、見透かされ弄ばれている如く支配されてしまいます。会場中央に吊られた立体作品には、「内臓までも晒す」ような意図まで感じられてしまいます。この先どこまで行くのか、怖いもの見たさの期待が膨らみます。

2017年1月22日 (日)

片山真理展覧会「19872017」

高崎まで展覧会を観に行ってきました。片山真理展覧会「19872017」http://www.gateaufesta-harada.com/event_news/detail/61

元々は群馬県立近代美術館で彼女の展覧会を開催中です。県立近代美術館の方が新作、ラスクで有名になったお菓子屋さん「ガトーフェスタハラダ」ギャラリーでの方は、題名の通り1987~2017年、今までの作品の回顧展のような立ち位置のようです。昨年の六本木森美術館でのものを始め3ヵ所での展示会を観ていますので、観た作品も多かったのですが、西洋のお城風の円柱を背景にすると雰囲気も異なってきます。時代の異なる作品群を一挙に観ることのできたことも興味深かったです。広く綺麗な会場で観易かったのですが、独特のおどろおどろした趣は薄くなってしまいます。入場無料、写真撮影自由です。(動画は不可)

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何年か前、群馬県立近代美術館で「群馬青年ビエンナーレ」を観た時に過去受賞者(2005年奨励賞)として名を知り、お隣太田市在住ということもあり興味を持ったのが始まりです。昨年は森美術館での「六本木クロッシング2016」と3331アーツ千代田での個展とを観に行きました。そういった見方が作家本人にとってどうなのかは判りませんが、ヴンダーリッヒや金子國義に魅せられた時代もあり、彼らの絵や四谷シモンの人形が命を得て動き出している、そういった魅惑を感じてしまいます。ガトーフェスタハラダでの展覧会の方は期間が短く、今日しか行けそうな日がありませんでした。その今日も、県立近代美術館と両方を巡る時間はありません。そちらは3月20日まで期間がありますのでまた来月にでも行ってみようと考えています。

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2017年1月18日 (水)

平成倶楽部鉢形城コース と 鉢形城

最近(楽天GORAクチコミでの)高評価ゴルフ場でのプレーが続いています。12月初旬のレーサムゴルフ&スパリゾート「4.7」、富岡倶楽部「4.5」、大晦日に再びレーサムゴルフ&~、そして今日は平成倶楽部鉢形城コース「4.5」でした。ちなみに来週には太平洋クラブ佐野ヒルクレストコース「4.5」が控えています。決して突然に景気が良くなったわけでは無くたまたま続いただけで、今日のゴルフも初対面の方も含むメンバーでの、普段とはちょっと趣の異なったお誘いでした。しかも、その初対面の方の設営による、かなりバブリーなゴルフ場にも係わらず、キャディ付き11,000円(昼食込、税別)という、平日にしても格安の料金でした。

平成倶楽部鉢形城コースは、埼玉県寄居町にあります。「鉢形城」という名前に興味を持ち調べてみると、ちゃんとその名の”お城”がありました。建物は残されていないものの城跡は歴史公園として保存されているらしい。折角なのでこれは見ておかないとイケンだろうと、早起きしてプレー前に立ち寄ることにしました。ナビ検索では北関東道・関越道経由花園ICからのルートの方が若干は速そうでしたが大差ないため、一般道にて向かいました。結果的には城跡目当てのこの”早起き”が幸いしました。どうもついつい忘れてしまいます、平日ゴルフの弱点”通勤渋滞”を。寄居町到着時点では道路もだいぶ混み合ってきていました。当初予定の出発時間では、途中早くから渋滞に巻き込まれて危なかったかも知れません。

「鉢形城」は、山之内上杉氏の家臣長尾景春の築城と伝えられているそうです。その後、後北条氏の所有となり、北関東支配の拠点として武田信玄の侵攻をも防いだ難攻の城だったそうです。豊臣秀吉の小田原攻めの時に前田利家・上杉景勝等の軍勢8万(昨年のNHK大河「真田丸」の真田勢も参加)に囲まれ、1か月余の籠城の末に開城しました。山城ではないのですが、荒川と深沢川に挟まれた天然の要害として幾度もの籠城に耐えた名城だったようです。歴史公園内には、門と石垣の一部が再現されているだけで建物はほとんどないのですが、一般の住宅等に浸食されることなく、かなり広範囲に城跡が残されています。掘割や曲輪跡など、人工的な高低差が往時を偲ばせ想像を掻き立てます。”城跡”としてはかなり魅力的な場所と感じました。

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さてさて城跡散策の後は本番のゴルフです。平成倶楽部鉢形城コース(http://www.yc21.co.jp/heisei/index.php)は、上記鉢形城から車で3分ほどの場所にありました。平安朝寝殿造りのクラブハウスが売りの”高級接待コース”だそうです。確かに設備は豪華、接客も丁寧、余裕を持って少々広過ぎるくらいのロッカールームにはちゃんと私のネームも入っていました。キャディ付き原則のゴルフ場です。そんなゴルフ場も、今回は特別に割安なプランだったようですが、以前には考えられなかったコストパフォーマンスでプレーすることができるようになっています。

朝8時40分過ぎのスタートでしたが、さすがに冷えて地面も池も凍っています。ティーはもちろん刺さりませんし、アイアンで叩くと金属的な音がしました。フェアウェイの広い丘陵コースですが、キャディさん無しでは苦労しそうな戦略性もあります。OUTスタートの1番ホール、バック・レギュラー・レディス、そのすべてのティーグラウンドの前にウォーターハザードが刻まれています。つまり、レギュラーティーからは2本のハザードを超える必要があります。ま、普通に飛べば何ら問題の無い位置ではあるのですが、腰の回らないスタートホールではプレシャーになります。いの一番を引いてしまった私は見事に期待に応え、いきなりの池ポチャスタートとなりました。他にも池の効いているホール、ガードバンカーの厄介なホール、広めのフェアウェイも決して平らではなく、刻むのか狙うのか、初めてではキャディさんの助言が不可欠です。グリーンは、さすがオールキャディコースですのでディポットはほとんどなく綺麗でした。朝方は凍っていてアプローチは止まりませんが、パッティングでは特別に速いグリーンではありませんでした。ただ今日は、平日でもあり、キャディさんの話では「やや難しめの位置にカップが切られている」とのことでした。そのせいか、滅多にない現実的バーディチャンスを2度とも外してしまいました・・・。池ポチャの+5でスタートした前半はトリ・ダボ続きで7ホール目で初めてのパーが来たものの「56」、後半はOBがひとつあったものの、パー1個にボギー5つと持ち直し、久々のハーフ50切りの「49」でした。初めてのコースでの「105」は上々でしょう。ドライバー、フェアウェイウッドはまあまあ良かったのですが、アプローチミスが多過ぎました。トップはなかったのですが、ダブリでの無駄な1打が何回も・・・。

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午後ロッカーにスマホを置いてきてしまったもので、コースの写真は少ないのですが、綺麗で庭園風、かと思えばややトリッキーなホールもあったりして、ホールそれぞれに個性作りされています。お天気も良く、雪化粧の男体山も綺麗に見えました。昼食の蕎麦も美味しかったです。大浴場が、最近では珍しい”湯煙”けぶる浴場でした。わざとなのか換気が悪いのか判りませんが、昔の温泉場のようでちょっと懐かしい思いもありました。

プレー終了後再び鉢形城公園へ。早朝では開いていない「鉢形城歴史館」を見学しました。城の再現模型や出土品、資料が展示されています。山之内上杉氏時代のものは少なく、後北条氏由来のものが中心です。城跡としてはかなりの規模の史跡ですので、曲輪の一部でも再現できればと待ち望まれます。

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2016年12月21日 (水)

先週15日の上京

一週間経ってしまいました。書き込みに、どうもタイムラグができてしまいます。先週15日(木)、ちょっくら東京に出かけてきました。今回の目的は4ヵ所、そんな忙しいスケジュールを立てると周り切らなくなることが多いのですが、今回は珍しく完走できました。

8時発の特急で出発、早起きはしたのですが自宅でゆっくりし過ぎてギリギリ乗車、指定券を買う暇がなく車内で購入しました。ここで乗り遅れたら完走は無理でした。最初の目的地は上野、上野の森美術館で開催中の「デトロイト美術館展」です。米国自動車産業の最盛期、圧倒的な資金力を背景に集めた印象派を中心とする欧州近代絵画コレクション展です。売りはゴッホの自画像でポスターにも使われています。入館料は1,600円。

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上野の森美術館を訪れるのは久し振りです。私の大学浪人中の1972年の開館ですので、開館時の印象が残っているせいか、未だに”新しい美術館”との思いが払拭できません。(笑) 当時は(今も?)現代美術の紹介をメインテーマとした美術館でした。上野の美術館群、国立・公立のイメージがありますが、こちらは”私立”美術館、フジサンケイグループによる開館です。どの展覧会をどの会場で観たのか、記憶のはっきりしない部分も多いのですが、学生時代に魅せられた当時の最新現代美術、スーパーリアリズムやシルクスクリーン作品などは、ここ上野の森美術館で最初に観たような気がします。

開館直後(9分後)に入館、平日でもありさほど混んではいませんでした。目玉のゴッホ自画像は思ったより小さな作品で、1点だけぽつんと展示されてあり、少々物足りない思いもありました。ゴッホのもう1点、川辺のボート遊びを描いた作品の方が迫力がありました。モディリアニの肖像画群も印象に残った作品です。圧巻はピカソの婦人像でした。輝くばかりのピンクがかったジョンブリアンは眩しいばかりの迫力でした。ピンクの時代やキュービズム時代の作品もあり、ピカソ作品は充実していたように思います。私の好きなマティスは2点、大きな作品ですがかなり粗く、近距離で観るとどこが良いのかよく判らない、でも離れて観るとしっかり完成されています。マティス作品には当たり外れがあるというか、その時の自身の内心状態で感じ方が異なるように思います。今回の2点はうまくマッチングしませんでした。ボナールは1点のみ、相変わらず心安らぐ色使いです。中学生時代から油絵を描き絵画好きでしたが、当時観ることができたのは画集の中だけです。初めて本物を観ることができたのは中学3年生、友人と3人で訪れた上野西洋美術館での絵画展でした。どこの美術館展だったかは忘れましたが、海外の美術館作品展だったと思います。その時に観た、ボナールの「逆光の裸婦」に魅せられました。ほとんど”恋”してしまったほどに。(笑) デトロイト美術館展、充実はしていましたが、予想よりも作品数は少なめでした。ちょっと力抜け。月曜火曜には写真撮影が許可されるそうですが、当日は木曜日、下の写真は最新コピー技術による立体模写(油絵の具の盛り上がりも再現)2点(ゴッホとマティス)とポストカード(ピカソ)です。

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次の目的地は新宿、知り合いの個展が開催されていました。知り合いと言っても、もう30年近く会っていません。大学生時代、美術部に属していました。大学間交流で知り合った他大学美術部員達と大学横断の”会”を作りました。私の所属した青学と芝浦工大、上智、共立、聖心を中心に、東工大や東大、日大等の学生が集まりました。メンバーの入れ替わりはありますが、その会は今でも続いています。私自身はすっかり描かなくなってしまいましたが、年2回の展示会は継続していて、私もたまには上京して交友を温めています。

今回個展を開催したのは会創設時のメンバーのひとり、当時は共立女子大の学生でした。そのまま画家になった数少ないひとりです。「伊藤和子展」小田急百貨店10階アートギャラリーでの開催でした。今回はたまたま他の作家の展示会を検索していて見つけたのですが、以前にも1度展示会を訪れたことがありました。その時はたまたま本人不在でした。今回はお会いできました。お互いの年を経て、街ですれ違ったら判らなかったでしょうね。会場で写真を撮りませんでしたので、デパートHPでの作家紹介写真と過去作品を載せます。写実系の油絵作品です。

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3ヵ所目の目的地は神田小川町、これは絵画展ではありません。スキー靴の購入が目的です。初めてスキー靴を履いたのは小学生の時、群馬・大穴スキー場でした。その後暫く間が空いて、高校時代の体育授業でのスキー合宿を経て、大学時代に夢中になりました。11月の狭山スキー場(人工)を皮切りに、天神平かかぐらスキー場での滑り初め、上越(岩原、新日本、湯沢等)・白馬(佐野坂、青木湖、八方等)には毎年数日から1週間程度滞在していました。今考えると、よく金が続いたものです。初めての板はカザマ、靴はミズノでした。これは親に買って貰いました。その後はバイト資金で購入、買うのはいつも神田小川町でした。当時はスキーバブル時代、小川町にはスキー屋が林立していました。高いニューモデルには手が出ませんので、前年前々年の型落ち品をあさり歩いていました。滑る回数の減った近年は、板はレンタルで済ませています。最近はレンタルでもそこそこの板を置いています。靴の方は昨シーズンの滑降中にサロモンの底が剥がれました。crying 経年による劣化です。他にハンソンが残っているのですがこれも古い型ですので危なそう、買うことにしました。

リフトに長蛇の列を成したのも今は昔の物語、今では、地方都市ではスキー用品を扱う店もほとんどなくなりました。選択肢を得るには東京まで行くしかありません。当時に比べると随分店数は減りましたが、そこは東京小川町、買い迷うだけの選択範囲はあります。何軒か巡り試着して、ある店の靴にほぼ決めかけていたのですが、最後にもう1軒、懐かしい名前の「ニッピン」を覗いてみました。学生時代によく訪れた店でした。ここで見つけたのがラングのレディス25.5cm、昨年モデル現品限り税込み29,000円ほどの品でした。足サイズが小さいですのでレディスでも可能、同じレベルのものですとレディスの方が安いのが一般的です。もうガンガン滑るわけでもありませんし、脚力も落ちていますのでその意味でも丁度良さそうです。何より、試し履きした時のフィッティング具合が即断レベルでした。前の店で妥協しなくて良かった~! ラングは学生時代の憧れの靴でした。当時は一段高かった印象があります。今では特に人気のブランドではありませんが、やはり当時の思いも影響していたのかも知れません。今年中はもう無理ですが、スキー場に行くのが楽しみです。

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最後に上野に戻りました。東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」を観るためです。こちらは上野の森美術館より1時間遅い17時半まで開いています。美術館到着は16時。会期終了間近(18日まで)でしたが、この時間帯は、混んではいるものの鑑賞に堪える範囲内でした。デトロイト美術館展の半券で100円引きの1,500円で入館、珍しく音声ガイドも借りました。(520円)

バルビゾン派の影響を受けたオランダ時代のゴッホの暗い色調の作品に始まり、パリに出ての印象派との出会い、そしてゴーギャンとの出会い、時代を追って2人作品と同時代作家達の作品が展示されます。所々に2人の、ゴッホの弟テオや同時代の画家ベルナール等に宛てた手紙の文章の一部が例示され、2人の関係性が浮き彫りにされます。アルルでの共同生活と破綻、ゴッホの死、ゴーギャンのタヒチへの移住、交錯する2人の思いがその作品によって語られます。企画として面白く、作品の質量共に大変充実した展示会だったと思います。惜しむらくは、私の事情ですが、時間が足りませんでした。鑑賞半ばで「閉館30分前」のアナウンスがあり、後半はかなりはしょって観ることとなってしまいました。

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ゴッホ、日本では大変人気のある作家ですが、私にとっても特別の人物でした。中学高校時代は憧れであると共に、若者特有の傲慢さで”目標”でもありました。ある時、16歳当時のゴッホのデッサンを画集で観て、同年齢での自身の技量との差に呆然自失した記憶が残っています。大学2年次での初海外旅行では、団体旅行であったにも関わらず自由時間がかなりあり、友人と2人で旅程にはなかったゴッホ美術館を訪ねました。ネットはもちろんたいした情報もない時代、ガイドブックも持たずに言葉も通じず、どうやって行ったのか記憶にありません。若者特権の行動力、というか恐れ知らずというか、あまり考えていませんでしたね。欧州の治安も、今よりはずっと良かった気がします。

最後は忙しかったものの、充実の1日でした。

2016年8月 8日 (月)

金曜日から昨日まで

イベントが続くと書き込みが遅れます。

先週の金曜日は展覧会を観に東京へ。目的地は2か所。最初は池袋にある画廊へ、知人が版画公募に入賞しました。「The 1st TKO International Miniprint Exhibition 2016」という、版画小品(ミニプリント)を集めた展覧会です。今回新しく始まった公募展で、世界43か国からの応募があったそうです。330作家、599作品の中から、知人は審査員特別賞を受賞しました。会場に置いてあったパンフレットは立派なもので、まさかと思い確認したのですが”無料”でした。申し訳なくも頂いてきました。

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欧州やアジア、様々な国からの応募があった公募展ですが、こうしてみると日本の版画レベルの高さを実感します。入賞した知人の、これからの益々の活躍を祈ります。

池袋から山手線で上野へ。もうひとつの展覧会は都美術館で開催中の「ポンピドゥー・センター傑作展」です。当日(8/5)は夜9時までの開館です。それもあり地元を出発したのは午後1時過ぎでした。上野到着は夕5時頃、そのせいか元々人気がないのか、会場は空いていました。印象派に人気が偏る日本ですので現代美術系の展覧会は一般的に人気薄です。

ポンピドゥー・センターにはちょっとした思い入れもあります。1981年の新婚旅行で訪れた場所です。開館が1977年ですので開館間もない時期となります。未来的な建物で一部で話題になったのですが、パリの観光地としては日本ではほぼ知名度のない時期だったと思います。主目的はセンター内にある「現代美術館」だったのですが、ネットのない当時では具体的情報はほとんどなく、英語表記もなく、建物内をうろうろしただけで結局美術館には辿り付けませんでした。それでも、今見てもSFチックな建物ですので、それだけでも印象に深く残りました。

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今回の「傑作展」は、1906年から1977年まで、その年に制作された作品を1点づつ選び展示して時代を追う企画となっています。幕開けは1906年に描かれたラウル・デュフィの「旗で飾られた通り」でした。写真ではよく観る有名な作品です。この歳にセザンヌが没しています。並べられた作品には、よく知られた有名な作家の作品もあり、名前を知らない作家の作品もありました。1928年にはレオナール・フジタの自画像が並びます。翌1929年はセラフィーヌ・ルイ、本格的な美術教育を経ずに家政婦から画家になったという変わり種です。画風に記憶はあるのですが名前は知りませんでした。1931年はピエール・ボナールの裸婦です。ボナールも想い出深い画家です。デパートでの展示会は観ていたものの、初めて美術館(国立西洋美術館)を訪れた時、最も印象深い作品がボナールでした。この作品ではありませんがやはり裸婦像で、かなり魅せられたものです。1933年はオットー・フロイントリッヒ、ユダヤ系ドイツ人ですが、ナチスのユダヤ人収容所で没しています。1948年のアンリ・マティスも好きな作家のひとりです。私の生まれた1953年はフェルナン・レジェでした。この年に最初のデュフィが亡くなっています。1961年は梱包作家のクリスト、私のイメージする”現代美術”はこのあたりから始まります。1967年はヴィクトル・ヴァザルリ、学生時代に日本でも展覧会が開かれ話題になりました。最後の1977年の作家はポンピドゥー・センターをデザインした2人、展示はセンターの模型でした。

写実主義、ロマン派、印象派、野獣派、キュビズム、ダダ、ポップ、美術運動の歴史は技法や主義主張、思考回路等で現されます。しかし”現代美術”は時系列でしかありません。”今”は常に”過去”になる運命を持っています。センターの出来た時点では”現代美術”であったデュフィも(今でも新しさを感じさせますが)、すでに”現代美術”と呼ぶには確立され過ぎています。私の内での”現代”は学生時代に心躍らせたイヴ・クラインやウォーホールや荒川修作、池田満寿夫等々ですが、今の若手画家にとってはすでに古典になっているのか?興味深い展示会でしたが、最大の欠点は「会場が寒過ぎた」ことです。いつもなら一旦全体を観てまた最初に戻って観直すのですが、寒過ぎて耐えられず早々に退出してしまいました。

昨日の日曜日はゴルフでした。予定は無かったのですが急遽友人に誘われました。メンバーに欠員が出たのでしょう。ゴルフ場は「赤城カントリー倶楽部(http://www.akagi-cc.com/)」、以前には女子プロツアー(SANKYOレディス)の開催されていたコースです。SANKYO(三共)は大手パチンコ台製造会社です。あまり一般には知られていないかも知れませんでしたが、群馬県桐生市は名古屋と並ぶパチンコ台産地です。パチンコも今では釘師の活躍する時代ではありません。コンピューター関連会社になっています。そのSANKYOの経営するゴルフ場です。

当日は大変暑い日でしたが、赤城山の中腹海抜400mにあるゴルフ場には涼しい風(微風)が吹いていました。気温も下界よりは少しは低かったのでしょう。(山腹にある割には)アップダウンの少なくフェアウェイも広いコースですが、女子ツアーに使われていた位ですので、池やバンカーの巧妙に配置された戦略性の高い難しいコースです。ラフの芝も粘ります。距離も長くレギュラーで6,300yあるのですが、参加メンバーの関係でこの日はバックからのプレーとなってしまいました。6,700y余、元々距離の出ない私ですので、パーオンはもちろんボギーオンもほとんどなく、ショートホール以外では現実的なパーチャンスは1回もありませんでした。スコアは「59」「55」の「114」と散々ではありましたが、条件からすると個人的には健闘した部類だと思っています。視野の狭いバックティー(レギュラーTから先は開けています)からで、ナイスショットも少なかったもののOBは1発もありませんでした。通常メンバーではバックTを使わせて貰えませんので、良い経験をしました。スコアは悪くても楽しいプレーでした。

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2016年7月21日 (木)

女川・仙台2泊3日 ③

3日目 火曜日

たかが2泊3日の旅行記を書くのに1週間以上もかかってしまっています。考えてみると、家内と2人きりでの国内旅行(韓国は何回も2人で行ってますが)は、宮城での法事と東京1泊旅行を除くと36年振りかも知れない。

3日目の朝、ホテルJALシティでバイキング朝食、開放感からか日常よりも食欲があります。特に家内の方は・・・。のんびりと9時頃にチェックアウト。この日最初の目的地が9時半開館ですので急いでも仕方ありません。目的地は宮城県美術館(http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/)、伊達氏の居城のあった青葉山裾にあり、過去1度訪れたことがあります。今回の目的は付属の「佐藤忠良記念館」です。当日は特別な企画展は開催されておらず、常設展と記念館とを鑑賞しました。

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日本を代表する具象彫刻家・佐藤忠良氏は、宮城県出身(先日観た映画「殿!利息でござる」の舞台に近いらしい)ではありますが、6歳までしか居なかったよう。それでも特別な愛着を感じていたのか、氏の作品寄贈により記念館ができました。マイヨール、ロダンの影響を受けて彫刻家を志したそうです。具象彫刻の本道を貫いた作家ですが、ジーンズを穿いた女性像等、現代的なスタイリッシュな作品を残しています。「職人に勲章は要らない」と、文化勲章等国家からの賞はすべて辞退しています。女優の佐藤オリエは娘で、幼少期の娘をモデルとした作品も展示されてありました。

彫刻家佐藤忠良は私たち夫婦にとって想い出に繋がる作家です。1981年の新婚旅行はフランスでした。当時メインだった”JALパック”とかのツアーではなく、リュック担いで「その日の宿はその日に探す」というフランス国内2週間の旅でした。大学美術部で知り合った2人ですので、フランスでは何ヶ所かの美術館を巡っています。パリでは「ギュスターブ・モロー美術館」と「ロダン美術館(http://www.musee-rodin.fr/)」とを訪れています。共に印象深い美術館でしたが、ほんとうにタマタマ奇跡のように、そのロダン美術館で「佐藤忠良展」が開かれていたのです。「日本人初」の快挙でした。当時はもちろんネットはありませんし、海外情報は「地球の歩き方」などの印刷物で得るのみ、美術館の概略や住所等しか事前には判りませんでした。「今どんな展示が行われているのか?」などは知りようがなかったのです。そんな中であの国立ロダン美術館で、「日本人初」の、そして家内の出身地である宮城県生まれの佐藤忠良氏の個展が開かれている、まさに”奇跡”的タイミングでした。

次の観光目的地は同じく仙台市内の大崎八幡宮です。元々は足利氏の流れを汲む大崎氏の祀った神社ですが、後に伊達政宗が仙台に遷し保護したそうです。豪華絢爛な社殿は国宝に指定されていますが、観光施設ではなく一般の神社として拝観は無料です。

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大崎八幡宮では御朱印を頂きました。右ページは前日に頂いた瑞巌寺のものです。

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仙台市を離れて東北道へ。白石ICで高速を降ります。今回の旅の最後の目的地は”白石城”です。今月初めに観た映画「殿!利息でござる」での河北新報(宮城県の新聞)版宣伝チラシ、その裏面の観光案内で興味を持ちました。再建施設ではありますが、写真での本丸が綺麗で行ってみたくなりました。それまで、白石に城のあることも知りませんでした。学生時代に1度、みやぎ蔵王スキー場で滑ったことがありましたので、白石駅で降りたような気もするのですがほとんど憶えていません。

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城は本丸と大手門が復元再現されています。当時の建築様式に忠実に木造による再現が行われ、全国的にも希少な歴史資料となっているようです。城内の階段は敵の侵入を遅らせるために急角度に造られています。伊達氏から蒲生氏、上杉氏と領主が変わりましたが、関ケ原の合戦寸前に伊達政宗が攻略、伊達家の重臣片倉小十郎景綱が城を預かるようになりました。景綱の息子重長は大阪夏の陣において、落城寸前の城から真田信繁(幸村)の娘阿梅(おうめ)を連れ出し後室(継室)に迎えています。その縁で信繁の次男・守信をも片倉性を名乗らせ保護したそうです。当時としてはかなりの危険を冒したことになります。大河「真田丸」ではその辺は触れられるのでしょうか?

白石市は2016年推計で人口は35.000人を割り込んでいます。地方小都市ではどこでもそうでしょうが、人口は年々減少しているようです。城の周りの商店街にもシャッターの閉まった店舗が目立ちます。

その後は自宅へ向けて一直線、休息を挟みながら夕方には到着しました。運転時間が長くさすがに疲れました。しかし充実した3日間だったように思っています。Dsc03607

2016年7月17日 (日)

女川・仙台2泊3日 ②

2日目☆ 月曜日

翌朝女川での目覚め、家内が「クーラーが効き過ぎてる」と。確認してみたものの、前夜寒く感じたので設定は27℃のまま、実質作動していません。寒さは”常温”でした。旅行中、日中は多少暑くなることはあっても、朝晩は涼しく、特に朝は肌寒いくらいでした。元々が「暑さ日本一!」を競う熊谷市の近くに住んでいる身ですが、今更に南北に長い日本列島の気候差を実感した次第です。朝食は少し大きめのトレーラーハウスにあるレストランで和定食、到着時に朝食時間を予約しています。30分刻みでの予約で私達は7時半を希望しましたが他にお客さんは居ません。その後各テーブルにセッティングされましたので8時予約が多かったようです。他のお客さんに出合いませんでしたので判りませんが、多分復興工事関連のお客さんが多いのだと思います。

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2日目の午前中は松島観光を予定。万石浦に沿う国道398号を西へ進みます。国道両側に並ぶ店舗・住宅が真新しい建物ばかりで綺麗なのが逆に悲しく感じます。石巻からは三陸自動車道を利用。登米市への往復でも利用した三陸道ですが、震災復興物資輸送のために早期開通したため一部は対面交通です。4車線化されていない部分は自動車専用道として運用、無料で走れます。現在、鳴瀬奥松島ICから西が有料部分となっています。

松島北ICで降りて国道45号線で松島へ向かいますが、復興関連かトラックも多く混み合っています。観光客の多い週末は渋滞もするそう。月曜日で良かった~!駐車場も簡単に見付けられました。まずは定番の観光船による松島島巡り観光です。仙台までは何回も来ていますが、松島を訪れるのは初めてです。予約なしで乗れる大型観光船による島巡りは1時間に1本、当日は最も大きい第三仁王丸(定員400名)でした。中型・小型船は団体・小グループ向けで予約が必要です。大型船では入れない浅瀬を抜けたり、島にもより接近できます。観光としては小型船の方が面白そうです。

第三仁王丸による島巡りは1人1.500円、2階はグリーン席で600円の追加料金が必要です。今回は奮発してグリーン席を利用、チケットは入船後に売店で購入します。出港は11時ですが早めに桟橋に並びました。前から数人目。グリーン券買って窓際の席が取れないとつまりません。10分前ほどに観光船が接岸、すぐさま窓掃除が始まります。毎回接岸の度に窓掃除していましたがこれは大事ですね、窓が汚れていては台無しです。平日にも関わらず多くの観光客が列をなしましたが、2階グリーン席が満席になるほどではありませんでした。

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旅行中3日間は晴天に恵まれました。この日は30℃近くになったようですが蒸し暑さはなく快適でした。日本三景松島を堪能するには絶好の日和でした。

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湾内に点在する島たちにはひとつひとつ名前が付いています。観光船の名前の由来になっている仁王島、千貫島、双子島等々。かなりの沖合にまで小さな島がぽっかりぽっかりと浮かんでいます。しかしもちろん浮かんでいるわけではありません。リアス式海岸の谷あいに海水が入り込んで山頂だけが残った沈降地形です。ですので見えない海中には山裾があり、暗礁だらけということ、水深は10メートル以内しかないそうです。それで牡蠣養殖の棚を立てることができたのですね。お天気も良く、海上はのんびりほんわかした風景ですが、海中に潜む渓谷を想像すると恐ろしい心持もします。

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大震災津波で一部崩落した島もあるそうです。元々が浸食で少しずつゆっくり姿を変えています。327年前にこの地を訪れた芭蕉が見た風景とも、きっと少し異なるのでしょうね。

下船後に昼食。家内がネットクチコミで探した寿司店へ。寿司を食うなら塩釜が良いのですが、その後の予定の都合で松島になりました。観光船乗り場からも近い場所にある寿司屋ですので、「観光地だから」とあまり期待はしていませんでした。昼食時ですので混雑も心配しました。ところがあにはからず、普通の寿司店で先客はひと組のみ。こじんまりとした造りですので団体客向けにはならず、観光宣伝もあまりしていないのかも知れません。「季節のおまかせにぎり」3.400円を2人前注文、年金暮らしの身には贅沢ですが、久々の本格握りでした。珍しい生穴子の握りは初めて食べました。やっぱり普通の焼いた穴子の方が良いかな?というか、その”普通の穴子”が特別美味しかったのです。雲丹も地元海なし県ではほとんどお目にかかれない甘さです。鮑も絶品!たまの贅沢ですが後悔の無い出費でした。

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昼食の後、寿司店からすぐの観光地、伊達氏所縁の瑞巌寺へ。津波の塩害で杉林が枯れてしまったとかで参道は通行止め工事中、う回路には洞窟遺跡群が並んでいます。昼だから良いですが、暗くなったら怖そうです。

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瑞巌寺境内も経年劣化と度重なる地震による建物の傷みから、平成20年から”平成の大修理”を行っています。本堂の修復がようやく終了、この春から公開が再開されました。豪華絢爛な襖絵が嘗ての姿を取り戻しています。襖絵は、修理補修だけでなく模写での差し替えも行われているようです。それだけ傷みが激しかったのでしょう。宝物館には模写された原本の方も一部陳列されていました。大修理は更に平成29年11月頃まで続きます。現在、庫裡や大書院などの公開が停止されています。

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撮影禁止ですので画像はありませんが、修復なった本堂襖絵は見応えがあります。長谷川等伯の弟子等胤や狩野派の絵師の手になるものです。HPで一応は見ることができますが、小さな画面ではやはりその魅力は伝わりません。http://www.zuiganji.or.jp/keidai/hondou.html

瑞巌寺から少し石巻方面に戻り、家内の女川小教師時代の旧同僚を訪ねました。私達の結婚式には栃木までお出で頂きました。私はその結婚式以来、家内は震災後も含め何度かは逢っています。お茶とデザートをご馳走になりました。

友人宅を辞して仙台へ。宿泊はJALシティ仙台、駅近くにあるホテルです。家内の家の里はお墓のある登米市とはなっていますが、実は家内、登米市で暮らした経験がありません。転勤族であった義父の仕事の関係で生まれも幼少期も宮城県外です。小学校からは仙台暮らし、登米市は長期休日等に”里帰り”するだけの場所だったそうです。そして高校まで暮らした仙台の家は、1978年の宮城県沖地震で床下に地割れが走ったこともあり、現在は残っていません。仙台は緑も多く降雪も少なく住みやすい場所ですが、過去何回も大きな地震に見舞われています。その、小学校から高校までを暮らした仙台ですが、もう家内のナビは通用しません。それほどに仙台市は巨大化し大きく変貌しています。

ホテルにチェックイン、ひと休みもほどほどに街に繰り出しました。駅ビルでお土産お買い物、牛タンと笹蒲鉾を自宅に送って貰います。この牛タンも家内にとっては今浦島です。笹かまと異なり、比較的新しい仙台名物です。その後歩いて秋田料理店へ。ここで家内の中学高校時代の最も親しかった友人と会食の約束となっています。折角の仙台、たまの仙台ですので、お邪魔虫(私)付ではありますが、こういった設営も家内孝行・家族サービスの一環です。会食中の話題は家内プライベートではありますので割愛、お友達と別れた後、一番町・国分町を家内案内でぶらついてホテルへ戻りました。生ビールと秋田の酒で気持ち良く酔った晩でした。

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3日目 に続きます。

2016年7月14日 (木)

女川・仙台2泊3日 ①

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10日日曜日からの2泊3日、家内の里の墓参りを兼ねて、宮城県を巡ってきました。家内の実家は登米市という、宮城県北部の地にあります。1970年のNHK大河「樅の木は残った」所縁の地でもあり、地元の名士であった義父がNHKの取材番組に出演したこともあったそうです。その義父も亡くなり、義兄も仙台に移り住み、実家の家は住む人もなく時折義兄が掃除に訪れる程度になっていたのですが、5年前の大震災では、倒壊は免れたものの被害を受け、”危険建物”として住むことはできなくなりました。相次いで亡くなった義父・義母の13回忌で訪れたのが2年前でした。義母がよく漬けていた梅の実は摘む人もなく散乱し、住む人の居ない家の寂しさを募らせます。

実家から近いお墓に詣でたのち、石巻に向けて出発しました。気仙沼には義姉が住み2年前の法事の折には訪問したのですが、足利から登米市まで3回の休憩を入れて5時間、三陸自動車道ができても時間がかかります。岩手県との境目にある気仙沼市までは更に片道1時間半はかかり、今回は電話での挨拶のみとしました。気仙沼の義姉宅は大震災津波で1階部分を流されてしまいましたが親族は全員無事、その自宅も改修が終わっています。

石巻では、登米市出身の石ノ森章太郎の作品等を展示する「石ノ森漫画館(http://www.man-bow.com/manga/)」を訪ねました。1度訪ねたいと思いつつ、ここまで機会を逸していました。石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の連載の始まったのが私が11歳の時でした。中学入学最初に所属したのが”漫画愛好会”だったように、当時の私はマンガ好き、中でも石ノ森章太郎は好きな作家で、よく真似して描いていました。

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石ノ森萬画館は旧北上川が石巻湾に流れ込む中州にあり津波の被害を受けていますが、チリ地震時の津波の教訓から1階部分の天井を高く設計、原画等の資料は2階3階部分に保管していたため、一部モニュメントやミュージアムショップの商品に被害はあったものの、周辺の状況と比較すると比較的軽微に収まっています。館内の補修清掃を経て、大震災翌年の11月に営業を再開しました。様々なモニュメントや原画等の資料、仮面ライダーの仮面の変遷を辿るコーナーやトキワ荘再現模型もありました。3階のライブラリーでは、石ノ森作品だけでなく様々な作者の単行本を自由に読むことができます。近所にお住まいでしたら、朝から漫画を読んで1日を過ごせそうです。漫画喫茶より安上がりかも。館内は、1階3階部分が撮影自由となっています。あと、パンフレットでは入館料800円となっていますが何故か実際には600円でした。

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映像ホールでは30分に1回14分程度の短編作品を上映、「シージェッター海斗」の回を観てきました。”シージェッター海斗”は石ノ森原作の石巻市の地元ヒーローです。石ノ森章太郎にローカルヒーローを作って貰えるなんて贅沢ですね。短編作品も、仮面ライダー制作スタッフによる制作だそうです。萬画館入口には海斗の像が飾られてありました。

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当日の宿泊は女川です。向かう途中に「サン・ファン・ヴァウティスタパーク」に立ち寄りました。支倉常長の慶長遣欧使節団の資料を展示する「サンファン館(http://www.santjuan.or.jp/)」はすでに閉館していましたが、係留してある復元船は見ることができました。

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2011年の大震災で大きな被害を受けた女川町は、家内にとって思い入れのある地です。30数年前、短い期間ではありましたが小学校の教師として赴任していました。結婚式では、担任していた児童たちが声をそろえての「○○先生、ご結婚おめでと~ございます!」のテープが披露されました。家内は震災後に1度、当時の同僚先生方と女川を訪れています。私の方は、婚約時代に訪れて以来です。日本有数の漁港を持ち、歌手・中村雅俊の出身地でもあります。

この時点で夕方5時過ぎですので宿を目指しますが、女川町内は工事現場だらけで家内の記憶はもとより、スマホナビもあまり役に立ちません。到着後宿の方に聞いたところでは、ほぼ毎月のように道路ルートが変わってしまうそうです。道を間違えて女川港に侵入、予定外ではありましたが港見物ができました。港は綺麗に再建され、以前の状態を知らない私には震災の傷跡は感じられません。貨物船らしい大型船がびっくりするほどの汽笛を鳴らして出港、写真を撮ってるのに気付いたのか船員さんが手を振ってくれました。

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道を戻り女川駅へ。2015年3月に再開された新駅は、町営の温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ(http://onagawa-yupoppo.com/)」が併設されています。TV等で紹介されていた駅前商業施設はすでに一般店舗は閉まっていて、1部飲食店のみが開いていました。近隣に住宅がないわけですので閑散としています。新しい近代的設備が却って寂しく見えます。ちょっと話題になった手作り”ダンボルギーニ(段ボール製ランボルギーニ)”も窓ガラス越しです。

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再び宿探しが始まります。スマホナビが指図する道は工事中で通行止め、う回路も判り難い。後で判ったことですが、総合運動公園(陸上競技場)内が復興住宅用地に転用され、その中の通路がう回路に利用されているため判り難かったようです。住宅の間にナイター照明塔や元の観覧席が残る不可思議な空間です。

女川での宿は、トレーラーハウス”EL FARO(http://elfaro365.com/index_pc.php)”です。女川町内で旅館を営んでいて地震で全壊してしまった事業者4社が集まって作った協同組合での運営です。ほとんどを建築制限地域に指定されてしまった女川での、窮余の策が移動可能な”トレーラーハウス”ということだそうです。町内全域でかさ上げ工事や道路工事が行われていて先が見えません。建築制限地域にも設置でき、今後の状況変化にも対応可能な宿泊設備ということです。室内環境は快適でした。壁1枚を隔ててのビジネスホテルより良いかも知れません。ただ、ドアを開ければ直接屋外ですので、寒い季節はどうなのか?少し心配ではあります。

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夕食は女川駅前の「シーパルピア女川(http://www.onagawa.org/ekimae/)」でと決めていました。日中に訪れたやたら都会的?な商店街です。当初は「タクシーで」と思い定めていたのですが、宿のスタッフに尋ねたところ女川にタクシーは”5台”のみ、夜間は早く営業終了で予約も不可、との話し。仕方ないので家内にドライバーをお願いしての自力走行となりました。

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駅舎併設の「ゆぽっぽ」には多少のお客さんは入っているようです。復興工事関係者でしょうか? 終電(夜8時代)後の駅ホームも眺めることができました。家内の勤務時と同様に”終着駅”ですので線路はここで途切れます。40年近く前に見た素朴な”終着駅”風景は印象的でした。「ここでお終い」「先がない」という風景は鮮烈でもあります。

日曜定休の店もあり、すでに営業終了した店もあり、開いているのは3件のみでした。その内の1件で夕食。居酒屋というにはモダンで明る過ぎて少々落ち着かない。メニューも漁港らしい香りはあまりありませんでした。もう1軒梯子、”フクロウ”という意味の店名”bar OWL(http://barowl.wix.com/barowl)”へ。当日行われたイベント「我歴stock 女川」運営スタッフの打ち上げとかで「騒がしくて申し訳ありません」と最初にバーテンダーさんに謝られてしまいましたが、寧ろ賑やかで愉快でした。打ち上げでギター片手に歌っていたのがこの店のオーナーさんだそうです。ちなみにこのイベント、倉木麻衣さんも出演されていたとか。知っていれば参加したかった・・・。

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”女川の夜”というオリジナルカクテル(写真無)を注文、料理は”ほやきそば”なるものを食べてみました。ほやきそば、つまりはホヤ入り焼きそばです。”ホヤ”は海蛸とも書く海産動物で、その形状から「海のパイナップル」とも呼ばれます。鮮度が落ちると独特のクセ・匂いが出てかなり好き嫌いの別れる食べ物です。昔1度高田馬場(東京)の居酒屋で食したことがありますが、とても食べられるシロモノではありませんでした。そのクセを酒の肴として好む方もいらしゃるようですが・・・。しかし新鮮なものは、個性的な後味はあるものの全く別な食べ物です。牡鹿半島特産ですので、まさに本場もの、商標登録したという”ほやきそば”はまさに他では食べられない地元の味です。

Dsc03588 北関東の田舎街で、モダン過ぎて長続きしなかった飲食店を何軒も見てきました。シーパルピア女川の将来にも不安を感じる部分はありますが、取り敢えず楽しい夜を過ごすことはできました。何年か後に”その後”を確認にまた訪れたい気持ちになっています。造成工事中ばかりで未来図の見えない女川の街の本当の復興の姿も気にかかります。

2日目 に続きます。

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