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2018年8月10日 (金)

DIC川村記念美術館

台風接近で荒天予報の8日、千葉県佐倉市の「DIC川村記念美術館に行ってきました。昨年に続き2回目の訪問です。来週からの東京でのグループ展を控えていて、出品予定3点目がまだ未完成、制作に没頭しようかとも考えたのですが、制作方針で迷っていたせいもあり、何か参考になるかとも考え思い切って出かけることにしました。高速利用で2時間半、ちょっと遠いです。できれば泊りで出かけたい、元々は家内と一緒で1泊旅行、成田観光を兼ねてと考えていたのですが、先月終わりに高齢の母が体調を崩し入院、7日に退院はしたのですが夫婦2人での外出は止めておきました。

館林ICから東北道・圏央道経由で向かいました。圏央道開通で多少は近くなったのですが、圏央道は未だ基本は対面交通(片道1車線、時々追い越し車線あり)ですので、前に遅い車が居るとそれに続くしかありません。だいたい80km前後での走行になります。追い越し車線以外で100kmを超えることはほとんどありませんでした。

美術館到着は12時半頃、台風直撃の恐れのあるため急遽閉館を早めて15時半までとか。危なかった。風は多少吹いていましたが雨は小雨程度、まだ台風の気配は薄い状態でした。

企画展はブリジット・ライリー展、英国人女流抽象画家(オプ・アート)です。現在80代後半、美人で有名でダリが心奪われた時期もあったとかなかったとか。4月から始まった企画展ですが、遠いせいもあり延ばし延ばしでしたがいよいよ26日で終了ということで、多少無理しても観たかった展示会です。

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下段3点は会場で買ったカタログから。真ん中と右は同じ作品です。「少し離れて見ると画面にない色が見える」という、錯覚を利用した作品だそうです。確かに白い線が離れると黄色に見えます。展示会には「ゆらぎ」という副題が付いていますが、確かに”揺らぎ”ます。じっと観ていると船酔いしそう。左端の作品は、会場の壁に直接描かれています。この展示会のために制作された作品、展示会終了後は塗り潰してしまうそうです。勿体ない・・・。因みにこのカタログ、ADC「原弘賞」なる賞を受賞しているそうです。立派な作りでした。価格も2.700円と高め。美術館カタログ本も欲しかったのですが、出費が嵩むので諦めました。ところが、帰ってみると美術館カタログは家にありました。昨年買って忘れていたらしい。危なかった~。coldsweats02

この「DIC川村記念美術館」は、大日本インキ化学工業㈱の2代目社長のコレクションを基に、3代目社長が設立したものだそうです。大日本インキって儲かってたんですね~!

館内放送で「2時から学芸員によるガイドツアーが~」とのことで、そちらも参加してきました。1時間少々。興味深かったのは、ライリー女史、自身では描かないそうです。今回の展示で本人が直接描いたのは最初の白黒作品1点のみ、他はすべて女史の指示の基スタッフが制作に当たったそうです。館内の壁に描かれた作品も、(ご本人が高齢なせいもあり)来日したのはスタッフのみだったそうです。「芸術家の仕事は構想そのもの」との考え方で、実際の作業には重きを置かない、というか技巧的に優秀なスタッフが居ればそれで充分、ということらしい。ウォーホルと同様ですね。

昨年、ヴォルス展を切欠に初めて訪れたこの美術館、その時はフランク・ステラの大作群に感動の渦でした。今回は2度目ですのでそこまでは行かないまでも、コレクションの充実度には驚かされます。次回は企画展のない時期に再訪して、まだ観ていない収蔵コレクションを観てみたいと思っています。展示会出品作品に即座に応用することは無理そうですが、刺激にはなりました。やっぱり行って良かったです。

美術館の建物は西欧の古城をイメージしてデザインされているそうです。名前は忘れましたが有名な建築家の作品とか。入口脇にはステラの金属彫刻と清水久兵衛の作品が左右に並びます。広い庭園も歩いてみたいですが、それだと1泊でゆっくり来ないと無理ですね。

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2018年7月12日 (木)

2年振りの東北。

2年振りに東北・宮城を旅してきました。宮城は家内の故郷、といっても転勤族だった義父の事情で生まれたのは北海道(美幌・本人の記憶には無し)、幼少期は大阪で過ごし、小学校からが仙台です。ただ実家のあったのは宮城県北部内陸地、北上川沿いの登米市ですが、義父の教育的配慮での母子での仙台暮らしだったそうです。地元名士だった祖父の死去に伴い実家を継いだ義父は、登米市と仙台市とを行ったり来たりの生活、家内は登米市に住んだ経験は無かったものの、夏休みや冬休み、長期休暇は田舎で過ごしたそうです。私達の子供が小さかった頃は、家内に連れられて我が屋の子供達もこの北上川沿いの田舎町で夏の何日かを過ごすのが毎年の恒例でした。この春5月に義父の13回忌があったのですが、5月GWの東北道は尋常ではなく、こちらに配慮しての「地元家族だけで、」の法事となりました。で今回、家内と2人でのお墓参り訪問となりました。2年振りの東北旅行です。

7日10時頃に出発、北関東道経由で東北道を北上。いつも通り那須SAで1回休憩して仙台到着は15時頃でした。Line_1530934288491_2

7日の予定、まずは楽天生命パーク球場での楽天・西武戦です。16時プレーボールですのでホテル到着後慌ただしく出発、タクシーで球場へ。立派で楽しそうな施設ですね。(内は見てませんが)グッズショップも充実していそうです。当日の先発は懐かしの岸、この時点で勝ちは半分諦めていました。岸投手は元々が宮城県仙台市出身ですので、残念ではありましたが楽天への移籍は致し方なかったと、本人を思えば喜ぶべきなのでしょう。岸に会えるのは嬉しいですが、最下位球団にあっての防御率1位投手ですのでライオンズの勝てる可能性は低くなります。

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球場には続々とエンジユニの地元ファンが押しかけます。一般発売開始2日後にネット接続したのですが、土曜日とあってすでにほとんど満席状態でした。横並びの席が確保できず、やむを得ず縦並びの席になってしまいました。前席が家内、やっぱり不便ですね。

立ち上がり、岸はやや不安な状態ながら強力西武打線を2点に抑えましたが序盤コントロールいまいちで球数を使い7回で降板、一方西武多和田は好調で6回までを1安打に抑えます。一般には西武優位!に思えますが、西武ファンは別なことを考えます。「多和田出来過ぎ、この後大丈夫だろうか?不安・・・」、そして不安は的中します。6回まで完璧だった多和田が7回突然にに別人となり2点献上で同点、8回に栗山のHRで再び1点リードしたものの8回裏アマダーに打たれたところで降板、リリーフ不安の西武に暗雲が差します。家内友人との会食の予定があり、ここで球場を後にしました。7:3で「負けた?」との思いのままで。1点リードでは勝ちを予想できない今年の西武ファン・・・。

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しかし仙台での楽天熱は相当なものです。これまで千葉でのロッテ戦、神宮でのヤクルト戦などのアウェイを経験してきましたが、それとは全く異なります。一応ビジター席を確保したつもりだったのですが、周囲はほとんど楽天ファンで埋め尽くされています。西武ファンは飛び飛びぽつぽつと近辺には数人のみ。その中で西武キャップ・ユニでの観戦です。さすがに歓声は掛けにくい、旗も振り辛い。1枚目写真、中央右寄りに見える青の塊が外野自由席でのライオンズ応援団です。私の席の7~8列前に、岸ネーム入りライオンズユニでの観戦女性が1人いました。岸選手ユニ、他はもちろん全部エンジ色です。

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ホーム球場ならではの楽天応援企画も楽しそうで地元盛り上げは上手いですね。敵地ながら郷土愛楽天愛を感じられる球場でした。ライオンズレオ君も遠征してきてました。

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待ち合わせた家内の地元友人は中学・高校の同級生です。仙台を訪れる時は必ず会う親しい友人です。市内繁華街での居酒屋で会食、ここ暫くの情報交換・知人の近況等で花を咲かせます。酒の肴は、ダダ茶豆・ホヤ酢・カツオ叩き・煮込み等々地元の味を堪能しました。酒は地元の一ノ蔵。会食の初めには、スマホ画面にライオンズ3-2での逃げ切り勝利の報も。岸君にはお気の毒でしたが。Img_20180707_192535_2

Img_20180708_071453 仙台での2日目、7月8日の朝は暑くなりそうな予報、それでも蒸し暑くはなりませんでした。ホテルで朝食を済ませた後に義兄宅を訪問、久々のご挨拶をさせて頂きました。お兄さんも登米市に住んだ経験は無く、仕事の関係で仙台市内に住んでいます。義父義母共に亡くなって住む人の無い実家は先の震災で危険建物に指定されています。義兄も今後共実家に住む予定は無く、土地建物の扱いに困っているようです。

早々に義兄宅を辞しお墓・実家のある登米市へ。距離の割に時間のかかる行程でしたが近くまで高速が延びだいぶ楽になりました。墓は通りから少し登った草深い場所にあります。5月に法事があり義兄達が訪れ掃除したようですが、この季節ですのですでに雑草に覆われています。

Img_20180708_131628_4 Img_20180708_132508 お墓から実家に移動、現況を確認しました。義母が毎年漬けていた梅は拾う人も無く散らばっています。義父が丹精した庭も荒れています。ひとの住まない家は寂しいですね。蔵のひび割れ、2階の歪みも酷くなっています。壊すにも直すにも費用が掛かります。田舎ではそうそう売れるわけでもなく難しいですね。

気仙沼には義姉が住んでいます。「時間があれば」とは思っていたのですが、気仙沼は”陸の孤島”、宮城とは言えほとんど岩手県です。当日の宿泊は女川を予定しており、気仙沼ー女川往復は少々厳しい、今回は断念しました。親族は無事だったとは言え気仙沼も震災被害の激しかった土地、復興の具合を確認したかったのですが。

女川町にも家内は短期(2年ほど)ですが住んだことがあります。私は震災後は2回目、家内の住んでいた頃(35年ほど昔)にも1度訪れたことがあります。家内は震災後で3回目の訪問になります。宿は2年前と同じ”トレーラーハウス”です。大津波で流された地元旅館の女将が作ったホテルです。宿を再興させようと図ったものの建築許可が降りず、苦肉の策が”移動できる”トレーラーハウスだったそうです。2年前とは場所も異なっています。2年前は駅から離れた高台でした。今回は駅のすぐ近くが整備され移動してきています。宿泊棟は車付き、事務所やレストランは普通に地面に着いています。「宿泊設備は建築許可が降りない」ということのようですね。ともあれ駅近になって便利になりました。室内も綺麗で十分な設備です。

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当日も西武・楽天戦は接戦でした。好投の菊池雄星は9回を1失点に抑えましたが、楽天塩見も8回1失点の好投、延長戦に。10回表外崎・メヒアの連続HRで一旦は勝ち越しますがリリーフ・カスティーヨが打たれて再び同点。ここで家内がしびれを切らして止むを得ずTV観戦を中止して風呂へ出かけます。

野球は結局、この日も西武が危うく逃げ切り勝ちました。が、9回熱投の菊池の勝ちを消したカスティーヨが、11回の秋山のHRで(自分が打ったわけでもないのに)勝ち星を拾うという今のルールには納得できません。勝ち星を得るなら、どう見ても菊地でしょう。何とかならないものかなぁ?

津波被害で街の半分以上を削られた女川町、駅周辺は綺麗に整備され家内の記憶とは全く異なる街となっています。仙石線の最終駅、30数年前での訪問で、海を指して途絶える線路は印象的でした。その点では今も同じですが、駅舎は近代的になっています。駅舎に温泉設備が併設され、今回はそこを使ってみることにしました。2階にある温泉は男女別、中には湯舟が2つ、単純な造りです。今流行りの健康ランド的な温泉設備のようなジェットバスや炭酸湯等の設備はありません。蛇口は10個。宿の狭い風呂を使うよりはゆったりできますが、そこまでです。脇にはTVのある休憩所、1階には売店があります。

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夕食の場所を探して”シーパルピア女川”を周ります。女川駅前にできた近代的商店街です。夜は寂しい~。日曜日の夜、多くの店は閉まっています。昼間は多少は賑やか?なのかも知れませんが、泊まる観光客は少ないでしょうからね。2年前に訪れた「OWL」は閉まっていました。後で聞いたらオーナーが体調不良だったとか。「居酒屋カフェM」という店で夕食しました。海鮮メニューの少なかったのが残念。

Img_20180709_072818_2 Img_20180709_072830_2 翌10日は仙台でお土産買い、朝食後女川港をちょっと見て早々に出発しました。女川の街は相変わらずあちこち工事中です。高台に住宅地を造成中のようですが、住民は戻ってくるのでしょうか?震災での人口減比率の1番高いのが女川町です。

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仙台駅近くに車を停め駅ビルで買い物。牛タン・笹蒲鉾・ホヤ・ずんだ餅・そして一ノ蔵酒造の発泡清酒”すず音”、一ノ蔵は足利でも売っているのですがこれはありません。以前、東北復興支援イベントが足利で催された時一ノ蔵酒造が参加出品していた時に買って美味しかった発泡酒です。甘くてシャンパンのようなお酒です。昨夜飲みました。牛タン(真タン)も美味しかった!年々高くなるずんだ餅ももうありません。残るは笹蒲とビン詰めホヤ、今晩出るかな?しかし皆年々高くなります。焼き雲丹、美味しそうだったけど手が出ません・・・。

Img_20180709_122139 お昼は駅ビルで買った雲丹イクラ弁当、旨し。でも「ご飯にも雲丹を沢山混ぜ込みました」って、少なくとも”沢山”では無かった。

帰途、福島猪苗代湖奥の裏磐梯、「諸橋近代美術館」に立ち寄りました。スポーツ量販店”ゼビオ”の創業者である諸橋廷蔵氏のコレクション、造った美術館だそうで、メイン収蔵はサルバドール・ダリとなっています。ゼビオって儲かってたんですね。

ダリ作品は素晴らしいコレクションですが、英国現代作家パメーラ・クルックの作品も面白かったです。若手新進だった時代、オークション参加で訪れた英国でたまたま画廊を訪れ「全部」の大人買いしたそうです。作者も「映画のような出来事」と語っていましたが、ダリ1作を買うに比べたら安かったのでしょうが、さすがの先見眼でした。

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2018年7月 5日 (木)

太田百合の里

家内の友人が勤めている縁で、2015年以来毎年訪れている施設です。でもだいたいの年、盛りの時期を過ぎてからの来園になってしまっています。今年も案の定、季節を逃しましたが、それ以前に今年は猪被害(猪が百合の球根を食べてしまう)で悲惨な状況でした。捕獲猪は20頭越えだったとか。訪問は7月1日でした。

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正面でもパラパラ、丘陵の上の方はポツポツ状態でほぼ全滅でした。盛りの時期に訪れることのできた2016年は↓こんな景色でした。2016年6月24日でした。

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ま、景色は残念でしたが、主目的のひとつは庭用の百合購入です。そちらでは知り合い関係で毎年オマケして貰っています。今年も6本購入で2本おまけ追加して頂きました。蕾状態での購入ですでに何本かは咲いています。

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以前購入の百合も、もう季節は終わってしまいましたが毎年楽しませて貰っています。

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庭の株も増えますし、新たに8本植えましたので来年は更に賑やかになります。

2018年3月19日 (月)

「セザンヌと過ごした時間」「ジャコメッティ 最後の肖像」

最近観てきた作品です。芸術家テーマの映画2点。「セザンヌと過ごした時間」は、フランスの画家ポール・セザンヌと「居酒屋」「ナナ」で知られた作家エミール・ゾラとの交遊と破断を描いたストーリーです。原田マハの小説「ジヴェルニーの食卓」に収められた4作の中の「タンギー爺さん」の中でも描かれていますが、セザンヌとゴヤとはエクス・アン・プロバンスの中学校で知り合い親友として交流を続けました。もっとも原田マハの小説ではセザンヌ本人は一切登場せず、タンギー爺さんの娘が語る形で描かれています。原田マハの小説もお勧めで、「タンギー爺さん」の他にドガを描いた「エトワール」、マティスを主人公とした「うつくしい墓」、マネを描いた「ジヴェルニーの食卓」が収められています。

映画に話を戻します。エクス・アン・プロバンスの中学校に、イタリア人移民の子(母親はフランス人)として転校してきていじめられる下級生ゾラを、セザンヌが庇って喧嘩するシーンが知り合った最初です。ゾラはその礼に林檎を持ってセザンヌ宅を訪れます。成長したゾラはパリに上り作家としての成功を目指します。ゾラの勧めもあって画家を目指したセザンヌもゾラの後を追って上京します。「テレーズ・ラカン」で小説家としての足場を固めたゾラは、その後「居酒屋」での爆発的ヒットで流行作家としての地位を確立しますが、反してセザンヌはサロンでの落選を続けます。成功者ゾラと一向に芽の出ないセザンヌとの関係は徐々に齟齬をきたし、セザンヌをモデルとした小説「制作(「作品」とも)で決定的に破綻します。(この絶交には他の説(女性関係)もあります)

画家などの芸術家には”貧しい”というイメージが一般的に感じられますが、セザンヌは裕福な銀行家の息子でした。親の意に反して画家を目指したことでパリでは窮乏の日々を過ごしましたが、父親の死後に遺産を相続しています。裕福な家に生まれながら粗雑で人間関係を築くことの下手なセザンヌ、貧しい移民の子に生まれながら成功して紳士然となるゾラ、その対比も映画の主題なのかも知れません。

映画をちょっと離れて印象派成立当時のパリ画壇、芸術の変遷に関して少し書かせてください。通常は芸術分野での進化・変遷としてしか描かれませんが、芸術も社会情勢の流れの中で変遷します。決して世間から独立した存在ではありません。現代では当たり前にある「美術館」も、その成立はフランス革命後です。それ以前、芸術は王侯貴族の専売特許であり、レンブラントやベラスケス等現代人に知られた有名作家も、当時の一般庶民には全く縁のない存在、その作品を一生涯目にする機会はなかったのです。一般人が芸術作品を観ることのできる、唯一の例外は”教会”でした。多くの絵画作品は王侯貴族が自身の宮殿・邸宅等に飾るために職人としての画家に”発注”し買い取るもの、その館を訪れる客人しか目にすることはできません。ですので画題も神話や王侯貴族の肖像画が主体となります。画家が自由に画題を選べる時代ではありませんでした。レンブラントの代表作「夜警」は、注文者が記念写真的目的で依頼したため、「鮮明に描かれていない人物が居る」との理由で受け取りを拒否されています。

美術館の始まりはフランス革命での王家断絶、宮殿開放です。美術品の宝庫ルーブル宮が一般に開放され、一般庶民が初めて芸術作品を目にしたのです。ゴヤの「居酒屋」の中でも、物見遊山でルーブルを訪れるシーンが描かれています。フランス革命、英国の産業革命後に自由経済の中で生まれた中産階級は、それまでの一般庶民と比べ経済的余裕も持つようになり、自身のリビングを飾る絵画に関心を持つようになりました。そして生まれたのが画商・画廊です。そして作品提供者としての”画家”、今までのような宮廷・貴族お抱えの絵師ではない現在の感覚に近い”画家”が生まれます。画題も自由に幅広くなり、写真機の登場により記念撮影的役割からも解放されます。

映画の中に、特に美術に知識・関心を持った方でないと見逃してしまうシーンがありました。印象派の画家たちを援助していた画材屋:タンギー爺さんがセザンヌに「野外用の絵の具」として渡した油絵具です。このシーンも重要なのです。それまでは金属製の注射器のような機材に絵の具を詰め、無くなると中を掃除して画材屋で再び充填して貰ったのです。手間のかかる作業でした。それがチューブ式絵の具の発明で補充・持ち運びが簡単になり、野外での制作に便利になりました。直射日光を避けて北向きの天窓を持つアトリエで描いた中世から、野外の光の中で描いた印象派への移行、単に芸術史的内部変化ではなく、こういった道具の開発も大きく影響しています。チューブ式絵の具を「当たり前」として見ている現代人には気付き難いシーンですね。

セザンヌの代表作に、故郷エクス・アン・プロバンスのサント・ヴィクトワール山を描いた作品が多くありますが、映画に登場する実際の映像よりもセザンヌ作品の方がずっと美しい!もしかするとそれも監督の意図だったのかも?新婚旅行でニースまでは行ったのですがプロバンスまでは行けませんでした。2020年の結婚40周年に海外旅行を思い描いています。今1番の候補はポルトガルなのですが、「プロバンスもイイナ」と迷ってしまいそうです。

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もう1作は彫刻家として有名なジャコメッティを描いた作品です。こちらはセザンヌと異なり、成功して財を成した最晩年のジャコメッティが登場します。尊敬するジャコメッティにモデルを依頼され、「2、3日、長くはかからない」との言葉を信じて嬉々として引き受けたアメリカ人作家・芸術評論家を主人公・語り手とした作品です。実在の人物で、彼の書いた回顧録が元となって作られた映画だそうです。

モデル初日の「肖像画とは決して完成しないものだ」との不吉な言葉通り、2日で済むはずの肖像画は一向に進展しません。突然アトリエに現れる愛人、ジャコメッティと妻との諍いの中で翻弄されるアメリカ人作家は、連日帰国航空便の予約を取り消し・変更を繰り返しながらモデル苦行に耐えますが、完成間近と思える頃にジャコメッティは画面を消しての描き直しを繰り返し一向に完成しません。画家の苦難の半生を描くことの多い芸術家主人公映画ですが、この「最後の肖像画」はその点では異彩です。3週間弱の短い期間に短縮され濃縮された画家(彫刻家)の素顔を、興味深く描いています。ユーモアも交え愉快ですしジャコメッティも納得できるリアル観で描かれています。この肖像画を描いた2年後にジャコメッティは亡くなっています。文字通り(完成した)「最後の肖像画」となったわけです。

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流行りなのか?芸術家主人公映画が大流行り、この後ゴッホ、ゴーギャンが続きます。異才の画家ヒエロニムス・ボスの映画も公開されます。どれもやはり、私の地元には来ません。「セザンヌ~」は宇都宮、「ジェコメッティ~」は高崎まで遠征しての映画鑑賞でした。

2018年2月19日 (月)

息子とスキー

17・18日、1泊2日でスキーに行ってきました。スキーは2年振り、同行者は息子でした。気付いてみると昨年11月以来記事を書いていません。かなり忙しく過ごし書くことは沢山あったここ3か月余りだったのですが、寧ろ忙し過ぎて、また取り敢えずFacebookに書き込んで済ませてしまっていた部分もあります。しかしFacebookやTwitterは過去に流れてしまい、後から振り返ることは難しいですのでやはりこちらにも残しておきたいと思います。まずは昨日一昨日の事、そして12月1月のことも振り返って書いておきたいと思っています。

初めてのスキーは小学生の時の大穴スキー場、当時夢中になっていた父に連れていかれました。しかしその後すぐに父がスキー場で骨折、家族スキーはそれっきり。次のスキーは高校でのスキー合宿での越後中里でした。当時はまだ竹のストックに皮のスキー靴、板は木でビンディングはカンダハーでした。クラスで1人だけ、スポーツ用品屋の息子だけが最新の”ステップイン”で参加していました。大学進学後はスキーに夢中、シーズン初めは狭山の人工スキー場、滑り初めは天神平、そして12月に岩原を中心に越後スキー合宿1週間、年が明けると白馬佐野坂で1週間、佐野坂スキー場をメインに白馬沿線の八方や栂池・青木湖等を巡り滑っていました。部活は美術部だったのですが、何故か1週間ずつ2回の”スキー合宿”があったのです。他に親しい仲間数人でのスキー、最初は越後湯沢布場、後にみつまた・かぐらスキー場に通いました。その頃の定宿、三俣高原の民宿に今回久々泊ってきました。初めて泊まったのは確か、かぐらスキー場の出来る前年だったと思います。それから数年は毎年宿泊、子育てで数年空いたものの3歳の娘を連れて親子2人で(長男が生まれていたので家内は留守番)1泊雪遊びに出かけたこともありました。子供たちの小学生時代には家族4人で何度か出かけています。その後は1人での日帰りスキーが多く、シーズン1回か2回スキーには出かけていたものの宿泊は絶えていました。今回の宿泊はおそらく24年振りになると思います。

昨シーズンもスキー予定は組んでいました。上越で滑ってから新潟市へ、その夜新潟市在住の友人と酒を酌み交わすという予定でした。宿泊はJALホテルを予約していました。しかし予定の数日前に胃に悪性腫瘍が発見され遭えなく断念、入院手術となってしまったのです。事情を話すとJALホテル、キャンセル料を取らずにキャンセル対応して下さいました。またいつか宿泊しなければ。作シーズン神田スキー街で買ったLANGEも1年休眠、今年やっとデビューできました。学生時代、LANGEは憧れのブランドでした。

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息子には時々スキー行きに付き合って貰っていました。昔(小学生時代)の家族スキーを除けば、泊りでのスキーは3回目、日帰りでも3~4回。ゴルフではそれ以上。優しい息子ですが、入院手術後は更に優しくなっているようです。(笑)

17日は無理せずゆっくり出発、昼少し前に越後湯沢・岩原スキー場に到着。5時間券を購入して滑り始めました。息子はボード、私はフィッシャーのショートスキーです。天候は雪、上の方のリフトは吹雪でホワイトアウトに近い状態です。フェイスマスクを車に忘れてしまいましたので、滑っている時は良いのですがリフトが寒くて参りました。

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雪質は最高!なのですが吹雪いて前がよく見えません。1シーズン空いていますので元々苦手な左足体重時が不安定、右カーブが上手く曲がれません。顔が寒いので3本ほど滑って昼休憩、食後も数本で早めに上がりました。学生時代は「リフト券の元を取ろう」と必死で滑ったものですが今は無理せず、コーヒータイムが増えています。駐車場を出ての道すがら、大学スキー合宿時代の定宿”電気屋”を見つけました。時代を超えての健在が嬉しいですね。白馬佐野坂の宿はネットでは見つけられませんでした。廃業したのかもしれません。

久々の三俣民宿、最初場所を勘違いして戸惑いましたが無事到着、懐かしい宿に落ち着きました。部屋は昔と変わらぬ6畳ですが綺麗にメンテナンスされています。壁に掛けられた派手なウエアは90年代初めのゴールドウィン”ボルペネーベ”、最近のボード系ダボダボデザインは好みに合わないのですが、幸いに体形が変わらないので20数年前のウエアがまだ使えています。歳を取って怪我が心配ですので、昨年バイク用アーマーウエアを買ってありました。厳重にフル装備です。安いものですがメットも買いました。スキー場での衝突事故が報道されているせいかメット着用者も増えましたね。当初は夕食後、三俣唯一の居酒屋に行くつもりでいたのですが外は吹雪、TVでオリンピック観戦しながらの室内宴会に切り替えました。酒は越後ワイン。

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翌朝も相変わらずの雪模様、標高の高いみつまた・かぐらスキー場は吹雪で閉鎖の可能性もあるそうです。目の前まで来ていて残念ですが、下の湯沢のスキー場に場所変更することにしました。襟後湯沢・神立スキー場到着はまたまたゆっくりの11時頃、10:30~16:30まで使えるレイト半日券を購入。今は様々な用途のチケットが販売されていて便利です。

神立も雪でしたがごく軽い吹雪程度、昨日よりはかなりマシです。雪質は相変わらずの粉雪、滑りにも慣れて軽快に曲がります。フェイスマスク着用で顔も寒くないので天候は差ほど気になりません。寧ろ晴れた悪雪よりは良いかも。

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帰途渋滞に巻き込まれたものの19時頃無事帰宅。やはり今度は晴天の元滑りたいですね。日帰りでも、今シーズン中に再訪したいと思っています。

2017年11月28日 (火)

京都・滋賀旅行

先週23日・24日で京都と滋賀(草津市)に行ってきました。仲良しオジン4人組でのゴルフ旅です。この仲間4人、元々は地元銀行での異業種交流会での出会いが始まりです。銀行と取引のある会社の50歳以下を会員とする若手経営者での会で、今回幹事役となったT氏は滋賀草津市を代表する地元有力企業の副社長、国内数か所を始め、タイ・フィリピン・中国・マレーシアにも工場を持つ中小企業の枠を超えた会社の跡継ぎです。彼が栃木工場の責任者として派遣されていた時期に知り合いました。他2人もこちらの地元での歴史ある優良会社の経営者です。私自身も、3年半前までは小さいながらも会社を経営していました。”社長同士”での付き合いというものでは会社規模が異なっても、ある部分”同格”扱いでお付き合いができます。(下請け等、経営上の取引のある場合はまた別です) そのお陰で、4人対等でのお付き合いが続いています。元々は前述若手経営者異業種交流会での役員同士でのお付き合いでした。そんな中、私が会長を務めた時の支店長が少々クセのある方でちょっとしたトラブルがありました。ただ、交流会会長と支店長との関係ですので表に出せない部分もあり、ひとり苦労していたのですが、「様子がオカシイ」と気付いた3人に飲みに誘われました。その折に心中を吐露したことで4人での仲間意識が高まり、会員同士の枠を超えた親密なお付き合いが始まりました。会の会長も、私の後がK氏その後がT氏と引き継ぐ事となりました。私自身は104年続いた会社を閉め、銀行とも交流会会員の多くとも関係が希薄になりましたが、そんな中、このオジン4人組での付き合いだけは変わらず続きました。T氏が滋賀の本社に戻ったために4人全員が揃う機会は減ったものの、飲み会にゴルフに時折集合しています。また、LINEでの朝1番の「おはよう!」を始まりに日々日常の活動報告も恒例となっています。

そんな4人組のゴルフ会、今回はT氏の地元に遠征してのゴルフ旅となりました。京都前泊の者も含め現地集合でそれぞれ滋賀へ、遠征3人の宿は草津駅前の同じホテルです。他に用事のあった1人を除く3人でまずは京都で夕食を取ることになっていました。写真は曇り空の合間に顔を出してくれた富士山と久し振りの駅弁。駅弁を食べる機会も減りました。

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ホテルにチェックインの後、集合までの時間を使ってひとり佐川美術館(http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/)を訪れることにしました。草津市のお隣守山市にありますが、地図で見るより少々遠くタクシーで4,000円ほどかかりました。佐川急便が創業40周年を記念して建設した美術館で、平山郁夫・佐藤忠良・陶芸家の樂吉左衛門の作品が収蔵されています。水を使った、水面と建物との調和の美しい美術館です。当日の企画展は浮世絵でした。外国人の姿も見える、観光客もほどほど訪れていましたがやはり、葛飾北斎の前ばかり混み合います。(笑)

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平山郁夫は、説明の必要もない有名人気作家ですが充実した収集です。「描かない事」の大切さを痛感する作品群です。アンコールワット等、細かい細工彫刻が刻まれているのでしょうが必要最小限の表現で纏めています。これが中々できない。ついつい描き過ぎてしまうのですよね。佐藤忠良の作品はブロンズ像ですので他数か所で観たことがあります。宮城県立美術館にも忠良館があります。記憶にある作品が多いのですが、それでも、佐藤忠良は想い出の作家です。1981年の新婚旅行(結婚は1980年)の折に訪れたロダン美術館で、「日本人初の個展」がたまたま開催されていました。当時は事前に得られる海外旅行情報は少なく、本当に偶然でした。そのために一層強い印象を受けましたし、同じ日本人として誇らしい気持ちにも成れました。リュックを担いで前日夜に翌日の行き先を決める、宿は行った先で探す、若い内にしかできない冒険的な新婚旅行でした。今考えると危うい気持ちになります。当時は欧州の治安も今より良かったですね。佐藤忠良館のみ撮影自由、ロダン美術館での当時のポスターも展示されてありました。

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タクシーで草津駅前のホテルに戻り3人で集合、京都を目指します。草津から京都は電車で20分の至近距離にあります。紅葉の京都は観光客でメチャ混み、T氏が予定していた夕食の店は2時間後にしか入れないとのことで、急遽京都駅近くの韓国料理店に変更しました。注文はプデ(部隊)チゲとチャプチェ(韓国風春雨料理)、私の希望です。久し振りの韓国料理でした。その後四条の馴染みの店に移動しての2次会、翌日のゴルフに備えいつもよりは早めにホテルに戻りました。

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翌24日はホテル前までお迎え頂いたT氏の車でゴルフ場へ。15分ほどでゴルフ場に到着。プロツアーにも使われる地元名門の琵琶湖カントリークラブでのプレー、T氏が会員になっていますので割引価格で利用できます。私自身はこのコース通算3回目でのプレーです。フェアウェイは平らで広いものの巧みに罠の張り巡らせられた難しいコースです。そんなコースで前回(4年前)は100を切り(99)それなりに自信を持って臨んだのですが、プレー直前に「バックでやろう!」と言うことになり大苦戦です。元々そこそこ距離のあるコースなのに、バックでは景色も変わります。ショートなのにドライバーで打つホールも。おまけに間には池が・・・。

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バックとレギュラーとでは全く異なるゴルフ場でした。速くて傾斜のきついグリーンはスコアの変化のない38→37でしたが、フェアウェイキープ率は50→28.6%と急落、パーオン率5.6→0%、ボギーオン率61.1→22.2%もこの通りです。成績も「120」の大叩きでした。でも苦戦は私だけにあらず、普段80代前半で周るK氏も珍しい101、全員が2桁スコアでした。それでもゴルフの楽しさはスコアだけにあらず、晴れた微風の中、4人の会話も弾み充実の時間を過ごす事ができました。プレー終了後会費を徴収、帰宅後に銀行入金しました。積み立てたお金は来年に予定している温泉1泊ゴルフ旅に使います。駅まで送って頂き琵琶湖線で京都へ、新幹線に乗り換え関東に戻りました。家内へのお土産は定番の生八つ橋です。

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2017年10月 9日 (月)

ここ暫くのお出かけ・できごと

前回10/07の書き込みの前が8/15、だいぶ間隔が空いてしまっています。「何事もなかった」わけではなく、寧ろ行事が多過ぎて書く間もなく次が始まってしまって書き損なった、といったところです。また、Facebooにちょこっと書いてそれで済ませてしまった部分もありますね。過ぎてしまった事柄ですが、簡単に書き留めておきたいと思います。

8/14が昨年亡くなった父の新盆棚経、そこは8/15に書きましたが、続いて16日には施餓鬼大法要がありました。菩提寺を訪れて供養します。新盆を迎える遺族の皆さんが本堂に集まり読経の中焼香します。その後お墓参り。ちなみに当家菩提寺:法玄寺は市内でも由緒あるお寺です。1196年、源姓足利市二代目足利義兼の正室時子(源頼朝正室北条政子の妹)の供養のために義兼の長子義氏の開いた寺で、境内には時子の碑があります。また、書家相田みつを氏のお墓もあります。

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17日は渡良瀬川にて灯籠流しがありました。おそらく子供の頃に来て以来だと思います。夕6時過ぎに訪れましたが、もう少し暗い(遅い時間)の方が雰囲気が出るかも知れません。思った以上に大勢の人たちが訪れていました。皆信心深いのですね。

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父関連の行事、少し日を置いての昨日(10/08)は一周忌でした。市内ホテルの9階レストランにおいて、喪主である母、母方の親族(千葉市より)とお隣佐野市在住の姉夫婦、姉の次男夫婦、私の娘夫婦、息子、妹そして3年半前に閉めた会社で長年勤めて頂いた社員数名と故人の曽孫2人での供養です。父は四国愛媛の出身です。兄弟は一番下の妹さんが1人残ってはいるのですが、遠方ですしもうお歳ですので来足は無理です。愛媛・千葉の夫婦ですので元々地元での親戚は少ないのです。それでも20人+小さいのが2人で賑やかに明るく、故人を偲ぶことができました。これで取り敢えず父関連の行事はひと段落、慣れない初めての仕切りばかりでいささか疲れました。

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8/20には市内陸上競技場にJFL栃木ウーヴァのサッカーの試合観戦です。対戦相手はHondaFCでしたが負けてしまいました。現在JFL16チーム中15位と低迷しています。

「伊香保ゴルフ倶楽部」 8/29日は平日ゴルフ。火曜日休みの2人と火曜日でも休める友人と。旧名は”岡崎城コース”、以前は”清瀧城コース”という姉妹コースがありましたがそちらは閉鎖されています。以前は時折訪れていたゴルフ場ですが、調べてみたら前回は2010年、久々のコースです。比較的平らなコースですが、距離があり飛ばない私にはミドルもロングに感じられて苦労します。このゴルフ場の”売り”は何と言ってもお昼のバイキングです。種類も多いし味も満足、これまでプレーした中での断然NO.1です!お昼休憩時間の長過ぎるのは苦情の元ですが、ここではもっと長く時間が欲しかった。難はお風呂、だいぶ老朽化が目立ちます。ロッカーは2段式ですが、特に狭さは感じませんでした。

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9月に入って8日・9日と1泊での茨城旅行。以前某銀行の若手経営陣での異業種交流会の会長(2年任期)を務めたことがありますが、今年はその会の北関東交流会(北関東4支店での交流会)25周年とのことでOBである私にもお誘いがかかりました。8日に1人で車で出発、25年前の発足時の会にも出席しましたが、その頃は北関東道が無く会場の大洗は遠く感じました。高速道の威力は大きいです。随分と近くなったものです。途中水戸市内のワインショップに立ち寄りました。以前水戸支店交流会の会長を務めていた女性オーナーはすでに大洗の会場に出かけていて不在ですが、ワイン2本とシードル(リンゴ酒)を買いました。オーナーとはその夜、ホテルの宴会場にてご挨拶させて頂きました。

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大洗到着、ホテルチェックイン前に目の前の大洗磯前神社(いそさきじんじゃ)に詣でました。太平洋に面した鳥居が印象的な神社です。

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「大洗ゴルフ倶楽部」 翌日はホテルすぐ隣の名門ゴルフ場でのコンペでした。プロトーナメントを何度も開催、2013年のダイヤモンドカップゴルフでは松山英樹プロが優勝しています。私自身は3度目のチャレンジですが、フラットながら距離があり、低く垂れ下がった左右の松林がフェアウェイを狭めて少しでもラフに入ればグリーンを狙えませんし、フェアウェイにあっても落し処が制限される難しいコースです。バンカーも深いしグリーンも速くて微妙に切れる、何処を取っても私の太刀打ちできるコースではありません。プレー代も土日は3万越えですので(今回は割引で29,000円程)そうそう行けるコースでもありません。初めてのチャレンジ(多分2004年、ゴルフを始めて間もない頃)ではおそらく150~160位だったと思います。前回2012年は「134」でした。それに比べれば今回の「115」は目覚ましい進歩です。目標だった「110切り」は果たせませんでしたが、まぁまぁ満足できる成績です。

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9/16にはメットライフドーム(西武ドーム)にて野球観戦。ライオンズの応援ですが、ここ暫くナマでは勝利を見ていません。私が行くと負け続け・・・。今回の対戦相手は優勝マジック「1」のソフトバンク、そう、ソフトバンクの優勝、工藤監督の胴上げを見てしまいました。

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勝てなかったことは残念ですが、ソフトバンクの優勝に関してはあまり悔しい感覚はありません。今年は断トツでしたし、優勝監督も西武出身の工藤監督です。清原は西武OBと認めたくないのですが、根本監督を慕って移籍した工藤・秋山に関しては西武OBとしての愛着を持ち続けています。

翌週の23日は高校の同窓会&同窓会ゴルフでした。2008年以来、毎年開催しています。ゴルフ会は市内城山CCにて新ペリ2組でのミニコンペ、その夜の同窓会は市内蕎麦店の2階貸し切りでの開催でした。今年の参加者は20名。

10/01は関東大学対抗戦での母校青山学院大の応援。今年は珍しく地元足利陸上競技場での開催です。相手は早稲田大学、おそらく早稲田OB会が誘致に動いたのでしょうね。対抗戦で早稲田に勝ったことはないのですが、今回も大差で負けました。スクラムでもタックルでも、体力・迫力負けしています。

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長々と書き連ねましたが、やっとお終いです。ね、行事多かったでしょう。追伸でもうひとつオマケ。6/02のブログに書きました「パステル画講習会」ですが、8/04で講習会は一応終了しました。希望者を募って自主運営愛好会として存続することになり、流れで私が会長就任となりました。月1回は以前通りに先生をお願いして講習会を開催、それ以外は会員だけでの自主活動になります。市からの援助の無い会費制愛好会ですので、毎週先生をお願いする予算はありません。自由参加での野外スケッチでも予定に入れて活動して行きたいと思っています。会員は現在11名です。

2017年7月11日 (火)

日光キスゲ平

県内旅、8日の土曜日に日光霧降高原へ行ってきました。目的は日光キスゲ、2年前の5月に訪れた霧降高原キスゲ平、高原らしい見晴らしの良い景色に惹かれた場所ですが、5月では日光キスゲは咲いていません。「また一度、キスゲの季節に」と再訪を期したことを思い出し出かけることにしました。霧降高原は学生時代の思い出の地です。大学美術部3年の春、新役員として企画設営した新歓合宿(新入生歓迎合宿)の場所でした。新役員として臨む最初の大きなイベントでした。2年前の訪問では、当時宿泊したロッジを訪ねたのですがすでに廃墟化していて年月の経過を感じたものです。

北関東道から東北道・日光道と高速・自動車専用道を経て日光へ。市街手前で脇道に入るはずが間違えて二社一寺繁華街に入り込んでしまいました。新装なった東照宮陽明門の影響もあるのでしょう、東照宮駐車場に入る車群の渋滞に巻き込まれ、この段階で帰途に予定していた東照宮観光は予定変更、ほとぼりの覚めた頃にまた来ましょう。

駐車場入り口を過ぎた後は順調に進みましたが、さすがにメインの季節ですのでキスゲ平駐車場は満杯、先にある展望駐車場を指示されます。こちらに駐車はできたものの、少々距離があります。若干の降り坂をとぼとぼと歩みキスゲ平へ。帰りの登り坂が不安になります。

キスゲ平、駐車場は満杯ではありますが、混乱するほどの混雑ではありません。「取り敢えず早めに昼食を」と入ったレストハウスもまだ空席がありました。山菜蕎麦とあんみつを食した頃には空席待ちのお客さんもいらっしゃいましたが数人程度、長蛇の列にはなりません。

階段&クネクネ坂を登りながら斜面に広がる日光キスゲ群生を眺めます。HPで見た5日の状況よりはやや寂しく感じます。説明文を読むと、日光キスゲは1つの蕾は1日しか咲かない、翌日には枯れてしまうそうです。次々に咲き次々に枯れる短命の花なのですね。それでも、当日はお天気も良く、高原の景観には魅せられます。http://www.kirifuri-kogen.jp/index.html

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嘗ては”霧降高原スキー場”のあった場所ですが、2010年に廃止されました。頂上付近は36度の急斜面があり、現在は”天空回廊”と名付けられています。駐車場からの移動の疲れと帰り道への余力を残すため、天空回廊までの登りは回避しました。HPでの開花情報を見ると、現在ではこの部分が開花のメイン部分になっているようです。

展望駐車場までの帰途はさすがに疲れました。疲れて到着した後に、少し先に大笹牧場行きバスの停留所のあることを知りました。すでに遅し。キスゲ平出発時にはこのバスも停車していましたがそのような説明は無し、不親切ですねぇ。

バス停の存在を知ったのは、キスゲ平から大笹牧場に向かったからです。東照宮の混雑を知っての方向転換です。大笹牧場まで登るのは初めてです。もっと地味で長閑な牧場を想像していたのですが、かなり観光地化された牧場だったのですね。チーズや乳製品やケーキ類ソーセージなどなど、多品目が販売されていました。大麦ダコワーズやココワイン(共に足利製造品)まで紛れ込んでいました。少々お高いものもあるのですが、ついつい財布が緩んでしまいそうです。若干のお買い物と、天然氷かき氷を食してきました。通常シロップで500円、天然シロップは700円です。天然苺シロップを注文。天然氷はこれで2度目の体験ですが、食感が全く異なります。サクサク食べても頭にキ~~~ンと来ません。

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駐車場にはバイクがいっぱい、バイカーには知られた場所だそうです。スズキの400ccに乗る我が家の息子も時々訪れているとか。そんなバイクを眺めていたら思わぬ出会いが!家内が呼ぶので視線を向けてみたらナント!3歳になる娘を連れた甥っ子夫婦がそこに居ました。よくもまぁ、出会ったものです。家内もよく見つけたなぁ!たまたま偶然の出来事でした。

2017年4月 6日 (木)

渡良瀬橋歌碑の桜 2017

開花の遅かった今年ですが、市内の桜もだいぶ華やかになってきました。昨日(5日)の午後お花見してきました。朝方は晴れていたのですが午後から曇り空になってしまいました。

森高千里さんの歌った「渡良瀬橋」の歌詞を記した歌碑の桜、例年やや遅めの開花ですが5分咲き程度まで咲き進みました。一気に開花が進みそうですが、週末のお天気が悪そうで心配です。渡良瀬橋対岸の浅間山(せんげんやま)の桜はもう満開に近そうです。橋の塗装工事はまだ終わりません。

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昨年は4/6現在ですでに満開に近い状態でした。

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更に遡って2015年は4/1でこんな状態。天候で開花状態が前後しますので遠来の方は時期見極めが難しいですね。

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八雲神社に移動しました。神社入口脇の桜はほぼ満開。例年1番早く咲きます。

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一般住宅建築と異なり昔ながらの大工仕事ですので一挙に出来上がることはありませんが、再建工事は着々と進んでいます。境内の植栽もだいぶ整理されすっきりしてきています。森高さん植樹の藤はそのまま、今年は本格的開花が期待できそうです。ただ今は、工事用簡易トイレがすぐ脇に設置され美観は・・・。

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神社に隣接した足利公園は円墳・前方後円墳のある古墳公園ですが、桜の名所でもあります。木により開花状態に差がありますが、6分~8分咲き程度でしょうか。平日ですしシートを敷いたお花見は2グループのみ、午後4時近くになっていましたのですでに引き上げた方も多かったのでしょう。

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2017年3月30日 (木)

”刀剣女子”がやって来た!

今週末4月2日まで、地元足利市の足利市立美術館にて「山姥切国広展(http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017kunihiro.html)」なる企画展示会が開かれています。戦国時代の刀匠・堀川国広の代表作と言われる、重要文化財「山姥切国広」が展示されています。以前、国広が足利学校で打ったとの、足利市民財団所蔵の短刀「布袋国広」が同美術館で展示されたことがあり、家内と訪れました。その折、”刀剣女子”という言葉を初めて知りました。刀がイケメン男子に擬人化された「刀剣乱舞」なるゲームがあり、その流れで刀剣に興味を持った女性達を”刀剣女子”と呼ぶとか。「布袋国広」展示の折にも、それらしき、普段市立美術館ではあまり見かけない若い女性客をチラホラと見かけました。今までも”御朱印ガール”とか”歴女”とかの話題がマスコミで取り上げられましたけれど、私自身御朱印帳は持っていますが、それらしき姿に遭遇したことが無く、「珍しいから」「少数だから」話題として取り上げられるだけ、との認識でいました。それが今回は大きく事情が異なっていました。

展示会初日、「入館4時間待ち」との、全く予想外の情報が入ってきました。それ以降でも、美術館周辺はもちろん、駅から美術館へ向かう道筋、足利学校周辺等でも、”刀剣女子”らしき姿を平日でも頻繁に見かけるようになりました。展示会に合わせた”國廣メニュー”提供の飲食店では、昼時に長蛇の列のできているのも目撃しました。人口減少、ドーナツ化、そして地方都市特有の車社会ですので、普段の街中は歩く人をほとんど見かけません。こんなに歩く人を見るのは、13年の森高千里さんライブの折以来かも知れません。それも、森高さんライブの折は2日間のみライブ会場への行き帰り時間のみですが、今回は会期中ずっとその状態が続いています。会期当初の「4時間待ち」対策として会期途中からは整理券の配布が始まり、指定入場時間までは市内散策に出歩けるようになり、足利学校や鑁阿寺等でも広く”刀剣女子”を見かけるようになりました。30年?も昔に一時「信長の野望」に嵌った時はありましたが、それ以降ゲームに夢中になったことはなく、今回の事態は想像の他でした。

28日の火曜日、話のタネに美術館へ行ってみることにしました。午前中は混み合うだろうからと午後ゆっくりに出て、到着は午後3時頃でした。しかしこれがまた事態を軽く見過ぎていたことになります。平日にも関わらず、入館できるのは早くに来て整理券を得た人達のみでした。整理券配布で館外に人込みはありませんが、館内には「午後3時入場」の整理券を持つ人の列ができています。

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もう入館はできないわけですし、元々刀剣には差ほどの興味を持つわけでもなく、興味の方向は”刀剣女子”にあったわけで、残念な気分もあまりなく美術館を後にしました。後は刀剣女子ウォッチング、市内をブラ歩き、鑁阿寺を目指します。

途中「ハマダプラザ(旧ハマダレコード)」店内を抜けてみました。ここの社長さんは今回の「國廣降臨」企画の中心人物の一人です。店内カフェは刀剣女子で埋まり、オリジナル関連グッズ「刀剣クランチチョコ」や刀剣乱舞関連のグッズ賞品が並んでいました。重要文化財・山姥切国広は個人所有です。その出展を粘り強く交渉してきた美術館関係者、そして商店会を動かしポスターや旗指物の制作や設置を行った浜田さんを始めとする方々、その苦労は並大抵ではなかったものと想像します。”街興し”は行政頼みでは決して成功しません。こういった現場の方々の地道なご苦労の上にしか成立しないものと思います。

今回のイベント盛況の要因は、もうひとつ重要なものがあると思っています。それは「足利」という街そのものが持つ歴史です。単に「刀の展示会」だけではこれだけの盛り上がりにはならなかったと思います。山姥切国広所有者が展示を許可下さったのも、堀川国広所縁の足利学校のある足利だったからこそでしょうし、訪れる”刀剣女子”の皆さんにも、鎌倉・室町の風情を残す足利学校・鑁阿寺の存在は欠くべからざるものであったと想像します。地元に住む人々にとっては当たり前の日常で、単なる田舎、地方都市にしか過ぎないのですが、こういった時には、文化資材に恵まれた土地柄なのだと、思い知らされます。鑁阿寺にも足利学校にも、多くの”刀剣女子”の姿を見ることができました。

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ちなみに、足利学校内にある森高千里さん植樹の藤、今年は花咲きそうです。時期は4月下旬から5月初めでしょうかね?

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