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2017年4月 6日 (木)

渡良瀬橋歌碑の桜 2017

開花の遅かった今年ですが、市内の桜もだいぶ華やかになってきました。昨日(5日)の午後お花見してきました。朝方は晴れていたのですが午後から曇り空になってしまいました。

森高千里さんの歌った「渡良瀬橋」の歌詞を記した歌碑の桜、例年やや遅めの開花ですが5分咲き程度まで咲き進みました。一気に開花が進みそうですが、週末のお天気が悪そうで心配です。渡良瀬橋対岸の浅間山(せんげんやま)の桜はもう満開に近そうです。橋の塗装工事はまだ終わりません。

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昨年は4/6現在ですでに満開に近い状態でした。

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更に遡って2015年は4/1でこんな状態。天候で開花状態が前後しますので遠来の方は時期見極めが難しいですね。

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八雲神社に移動しました。神社入口脇の桜はほぼ満開。例年1番早く咲きます。

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一般住宅建築と異なり昔ながらの大工仕事ですので一挙に出来上がることはありませんが、再建工事は着々と進んでいます。境内の植栽もだいぶ整理されすっきりしてきています。森高さん植樹の藤はそのまま、今年は本格的開花が期待できそうです。ただ今は、工事用簡易トイレがすぐ脇に設置され美観は・・・。

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神社に隣接した足利公園は円墳・前方後円墳のある古墳公園ですが、桜の名所でもあります。木により開花状態に差がありますが、6分~8分咲き程度でしょうか。平日ですしシートを敷いたお花見は2グループのみ、午後4時近くになっていましたのですでに引き上げた方も多かったのでしょう。

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2017年3月30日 (木)

”刀剣女子”がやって来た!

今週末4月2日まで、地元足利市の足利市立美術館にて「山姥切国広展(http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017kunihiro.html)」なる企画展示会が開かれています。戦国時代の刀匠・堀川国広の代表作と言われる、重要文化財「山姥切国広」が展示されています。以前、国広が足利学校で打ったとの、足利市民財団所蔵の短刀「布袋国広」が同美術館で展示されたことがあり、家内と訪れました。その折、”刀剣女子”という言葉を初めて知りました。刀がイケメン男子に擬人化された「刀剣乱舞」なるゲームがあり、その流れで刀剣に興味を持った女性達を”刀剣女子”と呼ぶとか。「布袋国広」展示の折にも、それらしき、普段市立美術館ではあまり見かけない若い女性客をチラホラと見かけました。今までも”御朱印ガール”とか”歴女”とかの話題がマスコミで取り上げられましたけれど、私自身御朱印帳は持っていますが、それらしき姿に遭遇したことが無く、「珍しいから」「少数だから」話題として取り上げられるだけ、との認識でいました。それが今回は大きく事情が異なっていました。

展示会初日、「入館4時間待ち」との、全く予想外の情報が入ってきました。それ以降でも、美術館周辺はもちろん、駅から美術館へ向かう道筋、足利学校周辺等でも、”刀剣女子”らしき姿を平日でも頻繁に見かけるようになりました。展示会に合わせた”國廣メニュー”提供の飲食店では、昼時に長蛇の列のできているのも目撃しました。人口減少、ドーナツ化、そして地方都市特有の車社会ですので、普段の街中は歩く人をほとんど見かけません。こんなに歩く人を見るのは、13年の森高千里さんライブの折以来かも知れません。それも、森高さんライブの折は2日間のみライブ会場への行き帰り時間のみですが、今回は会期中ずっとその状態が続いています。会期当初の「4時間待ち」対策として会期途中からは整理券の配布が始まり、指定入場時間までは市内散策に出歩けるようになり、足利学校や鑁阿寺等でも広く”刀剣女子”を見かけるようになりました。30年?も昔に一時「信長の野望」に嵌った時はありましたが、それ以降ゲームに夢中になったことはなく、今回の事態は想像の他でした。

28日の火曜日、話のタネに美術館へ行ってみることにしました。午前中は混み合うだろうからと午後ゆっくりに出て、到着は午後3時頃でした。しかしこれがまた事態を軽く見過ぎていたことになります。平日にも関わらず、入館できるのは早くに来て整理券を得た人達のみでした。整理券配布で館外に人込みはありませんが、館内には「午後3時入場」の整理券を持つ人の列ができています。

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もう入館はできないわけですし、元々刀剣には差ほどの興味を持つわけでもなく、興味の方向は”刀剣女子”にあったわけで、残念な気分もあまりなく美術館を後にしました。後は刀剣女子ウォッチング、市内をブラ歩き、鑁阿寺を目指します。

途中「ハマダプラザ(旧ハマダレコード)」店内を抜けてみました。ここの社長さんは今回の「國廣降臨」企画の中心人物の一人です。店内カフェは刀剣女子で埋まり、オリジナル関連グッズ「刀剣クランチチョコ」や刀剣乱舞関連のグッズ賞品が並んでいました。重要文化財・山姥切国広は個人所有です。その出展を粘り強く交渉してきた美術館関係者、そして商店会を動かしポスターや旗指物の制作や設置を行った浜田さんを始めとする方々、その苦労は並大抵ではなかったものと想像します。”街興し”は行政頼みでは決して成功しません。こういった現場の方々の地道なご苦労の上にしか成立しないものと思います。

今回のイベント盛況の要因は、もうひとつ重要なものがあると思っています。それは「足利」という街そのものが持つ歴史です。単に「刀の展示会」だけではこれだけの盛り上がりにはならなかったと思います。山姥切国広所有者が展示を許可下さったのも、堀川国広所縁の足利学校のある足利だったからこそでしょうし、訪れる”刀剣女子”の皆さんにも、鎌倉・室町の風情を残す足利学校・鑁阿寺の存在は欠くべからざるものであったと想像します。地元に住む人々にとっては当たり前の日常で、単なる田舎、地方都市にしか過ぎないのですが、こういった時には、文化資材に恵まれた土地柄なのだと、思い知らされます。鑁阿寺にも足利学校にも、多くの”刀剣女子”の姿を見ることができました。

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ちなみに、足利学校内にある森高千里さん植樹の藤、今年は花咲きそうです。時期は4月下旬から5月初めでしょうかね?

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2017年1月18日 (水)

平成倶楽部鉢形城コース と 鉢形城

最近(楽天GORAクチコミでの)高評価ゴルフ場でのプレーが続いています。12月初旬のレーサムゴルフ&スパリゾート「4.7」、富岡倶楽部「4.5」、大晦日に再びレーサムゴルフ&~、そして今日は平成倶楽部鉢形城コース「4.5」でした。ちなみに来週には太平洋クラブ佐野ヒルクレストコース「4.5」が控えています。決して突然に景気が良くなったわけでは無くたまたま続いただけで、今日のゴルフも初対面の方も含むメンバーでの、普段とはちょっと趣の異なったお誘いでした。しかも、その初対面の方の設営による、かなりバブリーなゴルフ場にも係わらず、キャディ付き11,000円(昼食込、税別)という、平日にしても格安の料金でした。

平成倶楽部鉢形城コースは、埼玉県寄居町にあります。「鉢形城」という名前に興味を持ち調べてみると、ちゃんとその名の”お城”がありました。建物は残されていないものの城跡は歴史公園として保存されているらしい。折角なのでこれは見ておかないとイケンだろうと、早起きしてプレー前に立ち寄ることにしました。ナビ検索では北関東道・関越道経由花園ICからのルートの方が若干は速そうでしたが大差ないため、一般道にて向かいました。結果的には城跡目当てのこの”早起き”が幸いしました。どうもついつい忘れてしまいます、平日ゴルフの弱点”通勤渋滞”を。寄居町到着時点では道路もだいぶ混み合ってきていました。当初予定の出発時間では、途中早くから渋滞に巻き込まれて危なかったかも知れません。

「鉢形城」は、山之内上杉氏の家臣長尾景春の築城と伝えられているそうです。その後、後北条氏の所有となり、北関東支配の拠点として武田信玄の侵攻をも防いだ難攻の城だったそうです。豊臣秀吉の小田原攻めの時に前田利家・上杉景勝等の軍勢8万(昨年のNHK大河「真田丸」の真田勢も参加)に囲まれ、1か月余の籠城の末に開城しました。山城ではないのですが、荒川と深沢川に挟まれた天然の要害として幾度もの籠城に耐えた名城だったようです。歴史公園内には、門と石垣の一部が再現されているだけで建物はほとんどないのですが、一般の住宅等に浸食されることなく、かなり広範囲に城跡が残されています。掘割や曲輪跡など、人工的な高低差が往時を偲ばせ想像を掻き立てます。”城跡”としてはかなり魅力的な場所と感じました。

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さてさて城跡散策の後は本番のゴルフです。平成倶楽部鉢形城コース(http://www.yc21.co.jp/heisei/index.php)は、上記鉢形城から車で3分ほどの場所にありました。平安朝寝殿造りのクラブハウスが売りの”高級接待コース”だそうです。確かに設備は豪華、接客も丁寧、余裕を持って少々広過ぎるくらいのロッカールームにはちゃんと私のネームも入っていました。キャディ付き原則のゴルフ場です。そんなゴルフ場も、今回は特別に割安なプランだったようですが、以前には考えられなかったコストパフォーマンスでプレーすることができるようになっています。

朝8時40分過ぎのスタートでしたが、さすがに冷えて地面も池も凍っています。ティーはもちろん刺さりませんし、アイアンで叩くと金属的な音がしました。フェアウェイの広い丘陵コースですが、キャディさん無しでは苦労しそうな戦略性もあります。OUTスタートの1番ホール、バック・レギュラー・レディス、そのすべてのティーグラウンドの前にウォーターハザードが刻まれています。つまり、レギュラーティーからは2本のハザードを超える必要があります。ま、普通に飛べば何ら問題の無い位置ではあるのですが、腰の回らないスタートホールではプレシャーになります。いの一番を引いてしまった私は見事に期待に応え、いきなりの池ポチャスタートとなりました。他にも池の効いているホール、ガードバンカーの厄介なホール、広めのフェアウェイも決して平らではなく、刻むのか狙うのか、初めてではキャディさんの助言が不可欠です。グリーンは、さすがオールキャディコースですのでディポットはほとんどなく綺麗でした。朝方は凍っていてアプローチは止まりませんが、パッティングでは特別に速いグリーンではありませんでした。ただ今日は、平日でもあり、キャディさんの話では「やや難しめの位置にカップが切られている」とのことでした。そのせいか、滅多にない現実的バーディチャンスを2度とも外してしまいました・・・。池ポチャの+5でスタートした前半はトリ・ダボ続きで7ホール目で初めてのパーが来たものの「56」、後半はOBがひとつあったものの、パー1個にボギー5つと持ち直し、久々のハーフ50切りの「49」でした。初めてのコースでの「105」は上々でしょう。ドライバー、フェアウェイウッドはまあまあ良かったのですが、アプローチミスが多過ぎました。トップはなかったのですが、ダブリでの無駄な1打が何回も・・・。

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午後ロッカーにスマホを置いてきてしまったもので、コースの写真は少ないのですが、綺麗で庭園風、かと思えばややトリッキーなホールもあったりして、ホールそれぞれに個性作りされています。お天気も良く、雪化粧の男体山も綺麗に見えました。昼食の蕎麦も美味しかったです。大浴場が、最近では珍しい”湯煙”けぶる浴場でした。わざとなのか換気が悪いのか判りませんが、昔の温泉場のようでちょっと懐かしい思いもありました。

プレー終了後再び鉢形城公園へ。早朝では開いていない「鉢形城歴史館」を見学しました。城の再現模型や出土品、資料が展示されています。山之内上杉氏時代のものは少なく、後北条氏由来のものが中心です。城跡としてはかなりの規模の史跡ですので、曲輪の一部でも再現できればと待ち望まれます。

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2016年11月12日 (土)

秋の水上小旅行

書き損ねていた日記、最後は家内との群馬水上1泊旅行です。最初の目的地は”吹割の滝”です。随分以前に家内と訪れたことがあります。通常は高速を使って沼田経由ですが、今回は別のルートを辿ってみました。桐生市からみどり市(旧大間々町)を通り赤城山の北面を周る道です。子供たちがまだ小さかった頃、群馬のスキー場へ行った時に一度だけ通ったことがありました。当時は崖にへばり付いた狭い山道でした。ただ沼田側は綺麗に整備されていて、大間々側も一部新しい橋やトンネルの工事が始まっていました。20年近く経ちどう変わっているのか確かめたい気持ちがありました。結果、頭の中に残っていた景色は何処にも発見できない、全くの別の道路に変わっていました。すれ違うのも難しい狭いつづれ織り道は何処にも残っていません。何処にでもありそうな普通の道路で拍子抜けでした。

道路が快適だったせいで、予定より30分以上早く吹割の滝に到着、まだ観光客の姿もあまり見ません。近くのお土産屋さん駐車場に駐車。吹割の滝周辺の飲食店や土産物屋さんの駐車場、原則駐車無料です。以前は「利用者に限る」、また購買を強要する雰囲気もあったようですが、今では「できるだけご利用ください」との柔らかい対応になっています。エチケットとして、滝見学後に土産物&ソフトクリームを購入いたしました。

滝は、水量が少なく迫力はいまひとつでしたが、記憶に残るあの独特の流れは楽しむことができました。滝の周囲を巡るハイクコース(周回約1時間)ができていました。山際の道では、今年は”熊出没!”もあったとの注意書きが。所々に熊よけ(熊に人の存在を知らせる)鉦が設置されていて、叩いて鳴らしながら進みます。家内はかなり怯えていましたが、幸い遭遇はしませんでした。でも確かに、出そうな雰囲気はある道でした。

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この日のメインイベントは水上での”カヌー体験”でした。沼田から水上に移動、予約していたイベント会社(レイクウォーク http://www.lakewalk.jp/contents/for-bigginer/)で受付を済ませ、体験会場の赤谷湖に向かいます。水上では川や湖を利用したレジャーイベントが様々企画されています。企画会社も多数あります。ラフティングやキャニオニング等々、バンジージャンプも。昨年体験したキャニオニングも水上の別の会社の企画でした。

現地集合場所には、インストラクターの男性スタッフと参加者お二人が待っていました。お二人は東京からの参加とか。まずはライフジャケットの装着。こちらで用意したものは長靴と風よけのジャケットですが、これもレンタルが可能です。夏場は長靴ではなく、”濡れても良い靴”になります。集合場所の駐車場から湖岸に降りて、基本的な説明、パドル(オール)の操作練習、注意事項確認が行われます。そしていよいよ湖に乗り出します。

当日は暖かい日和で寒さを感じることもなく、ゆったり快適な時間を過ごすことができました。カヌーは2人乗り、家内が前私が後席です。当初はパドル操作に戸惑い、中々真っ直ぐ走りませんでしたが、じき慣れて安定して漕ぐことができるようになりました。当初渋っていた家内も、意外なほどにパドル操作を楽しんでいる雰囲気になってきました。慣れて力が抜けてくると、反対に推進力は増します。湖面に反射する光、木々の木漏れ日、お天気に恵まれた幸いを満喫できる景色です。期待した紅葉は、例年よりかなり遅れているそうでまだ早かったのですが、そんな残念さも忘れさせる癒しの時間となりました。操作に慣れてきたところで、少し狭い渓谷に乗り出します。細い滝の流れ落ちる場所があるのですが、インストラクターの勧めで触れてみると「温かい!」温泉の滝でした。”源泉かけ流し”温泉宿から流れ出る滝だそうです。

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落として水没させてしまう危険もありますので、原則スマホを含む貴重品はカヌーには持ち込みません。写真はスタッフが撮ってくれます。(有料:後日CD-Rで郵送されてきます) カヌー内に持ち込んだのはペットボトルの飲み物だけです。結構一生懸命漕いだのですが、家内も私も意外と筋肉痛にはなりませんでした。吹割の滝同様、こちらも水量は普段より少ないそうです。多い時期にはこれより5mは水位が上がり景色も全く異なって見えるとか。家内も喜んでくれました。またいつか別の季節に、訪れてみたい気がします。

2016年11月 7日 (月)

被災地復興支援イベント

書き損ねた日記、1週間戻って10月30日の出来事です。10月29日・30日の土日2日間、渡良瀬川河川敷公園で、「被災地復興支援イベント”つながるマルシェ足利”」が開催されました。被災地の特産品等を仕入れ販売して復興の手助けをする、また、日数を経て関心の薄れてしまった感もある東日本大震災、その被災地はいまだ復興途上にあることを再確認して、息の長い支援を続けようとの思いを込めたイベントです。特産品販売は、被災地からの直接の出店もあり、物産を仕入れての地元ボランティアによる販売もあります。Facebookでこの企画を知り、29日は仕事のため、30日の1日だけではあるのですが、ボランティアとしてお手伝いさせて頂きました。

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当日割り振られた私の担当は”陸前高田”物産販売テントでした。ホヤの燻製やコンブ、茎わかめの漬物等、海産物加工品を中心とする品物が並べられています。お隣テーブルには陸前高田以外の岩手県物産が並べられてあります。

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宮城県からは銘酒”一ノ蔵”が出店、石巻ライオンズクラブの皆様も遠路はるばる参加されていました。熊本県のコーナーも。

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物販テントの他に音楽イベントも企画、ハワイアンやらジャズやらビートルズやら、入れ代わり立ち代わりの演奏は夜まで続きました。夜は夜で野外映画上映会も企画されていましたが、そこまではお付き合いし難く、先に失礼させて頂きました。また会場の周囲には、被災地を応援する言葉の書かれた黄色いハンカチが並べられてあります。

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私の家内は宮城県出身、気仙沼の親類が津波で被災しています。そんな思いもあり今回お手伝いさせて頂いたのですが、売店で突っ立っているばかりで、あまりお役に立てなかったのではと申し訳なく思っています。テントの設営・撤収やハンカチの取り付け等、主宰された方々のご苦労は並大抵ではなかったと思います。今回このイベントを知ったのが遅く何もできなかったのですが、気仙沼の甥に頼んで観光パンフレットだけは送って貰い会場に置いて頂きました。

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ブログにも書きましたが、この夏に被災地・女川を訪れました。一度無に帰した街を復興することの大変さを実感してきました。それ以前に”復興”ということはどういうことなのか?考えさせられることの多い旅でした。また再び、女川を気仙沼を訪れる機会を作りたいと思っています。

2016年7月21日 (木)

女川・仙台2泊3日 ③

3日目 火曜日

たかが2泊3日の旅行記を書くのに1週間以上もかかってしまっています。考えてみると、家内と2人きりでの国内旅行(韓国は何回も2人で行ってますが)は、宮城での法事と東京1泊旅行を除くと36年振りかも知れない。

3日目の朝、ホテルJALシティでバイキング朝食、開放感からか日常よりも食欲があります。特に家内の方は・・・。のんびりと9時頃にチェックアウト。この日最初の目的地が9時半開館ですので急いでも仕方ありません。目的地は宮城県美術館(http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/)、伊達氏の居城のあった青葉山裾にあり、過去1度訪れたことがあります。今回の目的は付属の「佐藤忠良記念館」です。当日は特別な企画展は開催されておらず、常設展と記念館とを鑑賞しました。

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日本を代表する具象彫刻家・佐藤忠良氏は、宮城県出身(先日観た映画「殿!利息でござる」の舞台に近いらしい)ではありますが、6歳までしか居なかったよう。それでも特別な愛着を感じていたのか、氏の作品寄贈により記念館ができました。マイヨール、ロダンの影響を受けて彫刻家を志したそうです。具象彫刻の本道を貫いた作家ですが、ジーンズを穿いた女性像等、現代的なスタイリッシュな作品を残しています。「職人に勲章は要らない」と、文化勲章等国家からの賞はすべて辞退しています。女優の佐藤オリエは娘で、幼少期の娘をモデルとした作品も展示されてありました。

彫刻家佐藤忠良は私たち夫婦にとって想い出に繋がる作家です。1981年の新婚旅行はフランスでした。当時メインだった”JALパック”とかのツアーではなく、リュック担いで「その日の宿はその日に探す」というフランス国内2週間の旅でした。大学美術部で知り合った2人ですので、フランスでは何ヶ所かの美術館を巡っています。パリでは「ギュスターブ・モロー美術館」と「ロダン美術館(http://www.musee-rodin.fr/)」とを訪れています。共に印象深い美術館でしたが、ほんとうにタマタマ奇跡のように、そのロダン美術館で「佐藤忠良展」が開かれていたのです。「日本人初」の快挙でした。当時はもちろんネットはありませんし、海外情報は「地球の歩き方」などの印刷物で得るのみ、美術館の概略や住所等しか事前には判りませんでした。「今どんな展示が行われているのか?」などは知りようがなかったのです。そんな中であの国立ロダン美術館で、「日本人初」の、そして家内の出身地である宮城県生まれの佐藤忠良氏の個展が開かれている、まさに”奇跡”的タイミングでした。

次の観光目的地は同じく仙台市内の大崎八幡宮です。元々は足利氏の流れを汲む大崎氏の祀った神社ですが、後に伊達政宗が仙台に遷し保護したそうです。豪華絢爛な社殿は国宝に指定されていますが、観光施設ではなく一般の神社として拝観は無料です。

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大崎八幡宮では御朱印を頂きました。右ページは前日に頂いた瑞巌寺のものです。

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仙台市を離れて東北道へ。白石ICで高速を降ります。今回の旅の最後の目的地は”白石城”です。今月初めに観た映画「殿!利息でござる」での河北新報(宮城県の新聞)版宣伝チラシ、その裏面の観光案内で興味を持ちました。再建施設ではありますが、写真での本丸が綺麗で行ってみたくなりました。それまで、白石に城のあることも知りませんでした。学生時代に1度、みやぎ蔵王スキー場で滑ったことがありましたので、白石駅で降りたような気もするのですがほとんど憶えていません。

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城は本丸と大手門が復元再現されています。当時の建築様式に忠実に木造による再現が行われ、全国的にも希少な歴史資料となっているようです。城内の階段は敵の侵入を遅らせるために急角度に造られています。伊達氏から蒲生氏、上杉氏と領主が変わりましたが、関ケ原の合戦寸前に伊達政宗が攻略、伊達家の重臣片倉小十郎景綱が城を預かるようになりました。景綱の息子重長は大阪夏の陣において、落城寸前の城から真田信繁(幸村)の娘阿梅(おうめ)を連れ出し後室(継室)に迎えています。その縁で信繁の次男・守信をも片倉性を名乗らせ保護したそうです。当時としてはかなりの危険を冒したことになります。大河「真田丸」ではその辺は触れられるのでしょうか?

白石市は2016年推計で人口は35.000人を割り込んでいます。地方小都市ではどこでもそうでしょうが、人口は年々減少しているようです。城の周りの商店街にもシャッターの閉まった店舗が目立ちます。

その後は自宅へ向けて一直線、休息を挟みながら夕方には到着しました。運転時間が長くさすがに疲れました。しかし充実した3日間だったように思っています。Dsc03607

2016年7月17日 (日)

女川・仙台2泊3日 ②

2日目☆ 月曜日

翌朝女川での目覚め、家内が「クーラーが効き過ぎてる」と。確認してみたものの、前夜寒く感じたので設定は27℃のまま、実質作動していません。寒さは”常温”でした。旅行中、日中は多少暑くなることはあっても、朝晩は涼しく、特に朝は肌寒いくらいでした。元々が「暑さ日本一!」を競う熊谷市の近くに住んでいる身ですが、今更に南北に長い日本列島の気候差を実感した次第です。朝食は少し大きめのトレーラーハウスにあるレストランで和定食、到着時に朝食時間を予約しています。30分刻みでの予約で私達は7時半を希望しましたが他にお客さんは居ません。その後各テーブルにセッティングされましたので8時予約が多かったようです。他のお客さんに出合いませんでしたので判りませんが、多分復興工事関連のお客さんが多いのだと思います。

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2日目の午前中は松島観光を予定。万石浦に沿う国道398号を西へ進みます。国道両側に並ぶ店舗・住宅が真新しい建物ばかりで綺麗なのが逆に悲しく感じます。石巻からは三陸自動車道を利用。登米市への往復でも利用した三陸道ですが、震災復興物資輸送のために早期開通したため一部は対面交通です。4車線化されていない部分は自動車専用道として運用、無料で走れます。現在、鳴瀬奥松島ICから西が有料部分となっています。

松島北ICで降りて国道45号線で松島へ向かいますが、復興関連かトラックも多く混み合っています。観光客の多い週末は渋滞もするそう。月曜日で良かった~!駐車場も簡単に見付けられました。まずは定番の観光船による松島島巡り観光です。仙台までは何回も来ていますが、松島を訪れるのは初めてです。予約なしで乗れる大型観光船による島巡りは1時間に1本、当日は最も大きい第三仁王丸(定員400名)でした。中型・小型船は団体・小グループ向けで予約が必要です。大型船では入れない浅瀬を抜けたり、島にもより接近できます。観光としては小型船の方が面白そうです。

第三仁王丸による島巡りは1人1.500円、2階はグリーン席で600円の追加料金が必要です。今回は奮発してグリーン席を利用、チケットは入船後に売店で購入します。出港は11時ですが早めに桟橋に並びました。前から数人目。グリーン券買って窓際の席が取れないとつまりません。10分前ほどに観光船が接岸、すぐさま窓掃除が始まります。毎回接岸の度に窓掃除していましたがこれは大事ですね、窓が汚れていては台無しです。平日にも関わらず多くの観光客が列をなしましたが、2階グリーン席が満席になるほどではありませんでした。

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旅行中3日間は晴天に恵まれました。この日は30℃近くになったようですが蒸し暑さはなく快適でした。日本三景松島を堪能するには絶好の日和でした。

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湾内に点在する島たちにはひとつひとつ名前が付いています。観光船の名前の由来になっている仁王島、千貫島、双子島等々。かなりの沖合にまで小さな島がぽっかりぽっかりと浮かんでいます。しかしもちろん浮かんでいるわけではありません。リアス式海岸の谷あいに海水が入り込んで山頂だけが残った沈降地形です。ですので見えない海中には山裾があり、暗礁だらけということ、水深は10メートル以内しかないそうです。それで牡蠣養殖の棚を立てることができたのですね。お天気も良く、海上はのんびりほんわかした風景ですが、海中に潜む渓谷を想像すると恐ろしい心持もします。

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大震災津波で一部崩落した島もあるそうです。元々が浸食で少しずつゆっくり姿を変えています。327年前にこの地を訪れた芭蕉が見た風景とも、きっと少し異なるのでしょうね。

下船後に昼食。家内がネットクチコミで探した寿司店へ。寿司を食うなら塩釜が良いのですが、その後の予定の都合で松島になりました。観光船乗り場からも近い場所にある寿司屋ですので、「観光地だから」とあまり期待はしていませんでした。昼食時ですので混雑も心配しました。ところがあにはからず、普通の寿司店で先客はひと組のみ。こじんまりとした造りですので団体客向けにはならず、観光宣伝もあまりしていないのかも知れません。「季節のおまかせにぎり」3.400円を2人前注文、年金暮らしの身には贅沢ですが、久々の本格握りでした。珍しい生穴子の握りは初めて食べました。やっぱり普通の焼いた穴子の方が良いかな?というか、その”普通の穴子”が特別美味しかったのです。雲丹も地元海なし県ではほとんどお目にかかれない甘さです。鮑も絶品!たまの贅沢ですが後悔の無い出費でした。

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昼食の後、寿司店からすぐの観光地、伊達氏所縁の瑞巌寺へ。津波の塩害で杉林が枯れてしまったとかで参道は通行止め工事中、う回路には洞窟遺跡群が並んでいます。昼だから良いですが、暗くなったら怖そうです。

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瑞巌寺境内も経年劣化と度重なる地震による建物の傷みから、平成20年から”平成の大修理”を行っています。本堂の修復がようやく終了、この春から公開が再開されました。豪華絢爛な襖絵が嘗ての姿を取り戻しています。襖絵は、修理補修だけでなく模写での差し替えも行われているようです。それだけ傷みが激しかったのでしょう。宝物館には模写された原本の方も一部陳列されていました。大修理は更に平成29年11月頃まで続きます。現在、庫裡や大書院などの公開が停止されています。

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撮影禁止ですので画像はありませんが、修復なった本堂襖絵は見応えがあります。長谷川等伯の弟子等胤や狩野派の絵師の手になるものです。HPで一応は見ることができますが、小さな画面ではやはりその魅力は伝わりません。http://www.zuiganji.or.jp/keidai/hondou.html

瑞巌寺から少し石巻方面に戻り、家内の女川小教師時代の旧同僚を訪ねました。私達の結婚式には栃木までお出で頂きました。私はその結婚式以来、家内は震災後も含め何度かは逢っています。お茶とデザートをご馳走になりました。

友人宅を辞して仙台へ。宿泊はJALシティ仙台、駅近くにあるホテルです。家内の家の里はお墓のある登米市とはなっていますが、実は家内、登米市で暮らした経験がありません。転勤族であった義父の仕事の関係で生まれも幼少期も宮城県外です。小学校からは仙台暮らし、登米市は長期休日等に”里帰り”するだけの場所だったそうです。そして高校まで暮らした仙台の家は、1978年の宮城県沖地震で床下に地割れが走ったこともあり、現在は残っていません。仙台は緑も多く降雪も少なく住みやすい場所ですが、過去何回も大きな地震に見舞われています。その、小学校から高校までを暮らした仙台ですが、もう家内のナビは通用しません。それほどに仙台市は巨大化し大きく変貌しています。

ホテルにチェックイン、ひと休みもほどほどに街に繰り出しました。駅ビルでお土産お買い物、牛タンと笹蒲鉾を自宅に送って貰います。この牛タンも家内にとっては今浦島です。笹かまと異なり、比較的新しい仙台名物です。その後歩いて秋田料理店へ。ここで家内の中学高校時代の最も親しかった友人と会食の約束となっています。折角の仙台、たまの仙台ですので、お邪魔虫(私)付ではありますが、こういった設営も家内孝行・家族サービスの一環です。会食中の話題は家内プライベートではありますので割愛、お友達と別れた後、一番町・国分町を家内案内でぶらついてホテルへ戻りました。生ビールと秋田の酒で気持ち良く酔った晩でした。

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3日目 に続きます。

2016年7月14日 (木)

女川・仙台2泊3日 ①

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10日日曜日からの2泊3日、家内の里の墓参りを兼ねて、宮城県を巡ってきました。家内の実家は登米市という、宮城県北部の地にあります。1970年のNHK大河「樅の木は残った」所縁の地でもあり、地元の名士であった義父がNHKの取材番組に出演したこともあったそうです。その義父も亡くなり、義兄も仙台に移り住み、実家の家は住む人もなく時折義兄が掃除に訪れる程度になっていたのですが、5年前の大震災では、倒壊は免れたものの被害を受け、”危険建物”として住むことはできなくなりました。相次いで亡くなった義父・義母の13回忌で訪れたのが2年前でした。義母がよく漬けていた梅の実は摘む人もなく散乱し、住む人の居ない家の寂しさを募らせます。

実家から近いお墓に詣でたのち、石巻に向けて出発しました。気仙沼には義姉が住み2年前の法事の折には訪問したのですが、足利から登米市まで3回の休憩を入れて5時間、三陸自動車道ができても時間がかかります。岩手県との境目にある気仙沼市までは更に片道1時間半はかかり、今回は電話での挨拶のみとしました。気仙沼の義姉宅は大震災津波で1階部分を流されてしまいましたが親族は全員無事、その自宅も改修が終わっています。

石巻では、登米市出身の石ノ森章太郎の作品等を展示する「石ノ森漫画館(http://www.man-bow.com/manga/)」を訪ねました。1度訪ねたいと思いつつ、ここまで機会を逸していました。石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の連載の始まったのが私が11歳の時でした。中学入学最初に所属したのが”漫画愛好会”だったように、当時の私はマンガ好き、中でも石ノ森章太郎は好きな作家で、よく真似して描いていました。

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石ノ森萬画館は旧北上川が石巻湾に流れ込む中州にあり津波の被害を受けていますが、チリ地震時の津波の教訓から1階部分の天井を高く設計、原画等の資料は2階3階部分に保管していたため、一部モニュメントやミュージアムショップの商品に被害はあったものの、周辺の状況と比較すると比較的軽微に収まっています。館内の補修清掃を経て、大震災翌年の11月に営業を再開しました。様々なモニュメントや原画等の資料、仮面ライダーの仮面の変遷を辿るコーナーやトキワ荘再現模型もありました。3階のライブラリーでは、石ノ森作品だけでなく様々な作者の単行本を自由に読むことができます。近所にお住まいでしたら、朝から漫画を読んで1日を過ごせそうです。漫画喫茶より安上がりかも。館内は、1階3階部分が撮影自由となっています。あと、パンフレットでは入館料800円となっていますが何故か実際には600円でした。

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映像ホールでは30分に1回14分程度の短編作品を上映、「シージェッター海斗」の回を観てきました。”シージェッター海斗”は石ノ森原作の石巻市の地元ヒーローです。石ノ森章太郎にローカルヒーローを作って貰えるなんて贅沢ですね。短編作品も、仮面ライダー制作スタッフによる制作だそうです。萬画館入口には海斗の像が飾られてありました。

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当日の宿泊は女川です。向かう途中に「サン・ファン・ヴァウティスタパーク」に立ち寄りました。支倉常長の慶長遣欧使節団の資料を展示する「サンファン館(http://www.santjuan.or.jp/)」はすでに閉館していましたが、係留してある復元船は見ることができました。

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2011年の大震災で大きな被害を受けた女川町は、家内にとって思い入れのある地です。30数年前、短い期間ではありましたが小学校の教師として赴任していました。結婚式では、担任していた児童たちが声をそろえての「○○先生、ご結婚おめでと~ございます!」のテープが披露されました。家内は震災後に1度、当時の同僚先生方と女川を訪れています。私の方は、婚約時代に訪れて以来です。日本有数の漁港を持ち、歌手・中村雅俊の出身地でもあります。

この時点で夕方5時過ぎですので宿を目指しますが、女川町内は工事現場だらけで家内の記憶はもとより、スマホナビもあまり役に立ちません。到着後宿の方に聞いたところでは、ほぼ毎月のように道路ルートが変わってしまうそうです。道を間違えて女川港に侵入、予定外ではありましたが港見物ができました。港は綺麗に再建され、以前の状態を知らない私には震災の傷跡は感じられません。貨物船らしい大型船がびっくりするほどの汽笛を鳴らして出港、写真を撮ってるのに気付いたのか船員さんが手を振ってくれました。

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道を戻り女川駅へ。2015年3月に再開された新駅は、町営の温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ(http://onagawa-yupoppo.com/)」が併設されています。TV等で紹介されていた駅前商業施設はすでに一般店舗は閉まっていて、1部飲食店のみが開いていました。近隣に住宅がないわけですので閑散としています。新しい近代的設備が却って寂しく見えます。ちょっと話題になった手作り”ダンボルギーニ(段ボール製ランボルギーニ)”も窓ガラス越しです。

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再び宿探しが始まります。スマホナビが指図する道は工事中で通行止め、う回路も判り難い。後で判ったことですが、総合運動公園(陸上競技場)内が復興住宅用地に転用され、その中の通路がう回路に利用されているため判り難かったようです。住宅の間にナイター照明塔や元の観覧席が残る不可思議な空間です。

女川での宿は、トレーラーハウス”EL FARO(http://elfaro365.com/index_pc.php)”です。女川町内で旅館を営んでいて地震で全壊してしまった事業者4社が集まって作った協同組合での運営です。ほとんどを建築制限地域に指定されてしまった女川での、窮余の策が移動可能な”トレーラーハウス”ということだそうです。町内全域でかさ上げ工事や道路工事が行われていて先が見えません。建築制限地域にも設置でき、今後の状況変化にも対応可能な宿泊設備ということです。室内環境は快適でした。壁1枚を隔ててのビジネスホテルより良いかも知れません。ただ、ドアを開ければ直接屋外ですので、寒い季節はどうなのか?少し心配ではあります。

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夕食は女川駅前の「シーパルピア女川(http://www.onagawa.org/ekimae/)」でと決めていました。日中に訪れたやたら都会的?な商店街です。当初は「タクシーで」と思い定めていたのですが、宿のスタッフに尋ねたところ女川にタクシーは”5台”のみ、夜間は早く営業終了で予約も不可、との話し。仕方ないので家内にドライバーをお願いしての自力走行となりました。

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駅舎併設の「ゆぽっぽ」には多少のお客さんは入っているようです。復興工事関係者でしょうか? 終電(夜8時代)後の駅ホームも眺めることができました。家内の勤務時と同様に”終着駅”ですので線路はここで途切れます。40年近く前に見た素朴な”終着駅”風景は印象的でした。「ここでお終い」「先がない」という風景は鮮烈でもあります。

日曜定休の店もあり、すでに営業終了した店もあり、開いているのは3件のみでした。その内の1件で夕食。居酒屋というにはモダンで明る過ぎて少々落ち着かない。メニューも漁港らしい香りはあまりありませんでした。もう1軒梯子、”フクロウ”という意味の店名”bar OWL(http://barowl.wix.com/barowl)”へ。当日行われたイベント「我歴stock 女川」運営スタッフの打ち上げとかで「騒がしくて申し訳ありません」と最初にバーテンダーさんに謝られてしまいましたが、寧ろ賑やかで愉快でした。打ち上げでギター片手に歌っていたのがこの店のオーナーさんだそうです。ちなみにこのイベント、倉木麻衣さんも出演されていたとか。知っていれば参加したかった・・・。

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”女川の夜”というオリジナルカクテル(写真無)を注文、料理は”ほやきそば”なるものを食べてみました。ほやきそば、つまりはホヤ入り焼きそばです。”ホヤ”は海蛸とも書く海産動物で、その形状から「海のパイナップル」とも呼ばれます。鮮度が落ちると独特のクセ・匂いが出てかなり好き嫌いの別れる食べ物です。昔1度高田馬場(東京)の居酒屋で食したことがありますが、とても食べられるシロモノではありませんでした。そのクセを酒の肴として好む方もいらしゃるようですが・・・。しかし新鮮なものは、個性的な後味はあるものの全く別な食べ物です。牡鹿半島特産ですので、まさに本場もの、商標登録したという”ほやきそば”はまさに他では食べられない地元の味です。

Dsc03588 北関東の田舎街で、モダン過ぎて長続きしなかった飲食店を何軒も見てきました。シーパルピア女川の将来にも不安を感じる部分はありますが、取り敢えず楽しい夜を過ごすことはできました。何年か後に”その後”を確認にまた訪れたい気持ちになっています。造成工事中ばかりで未来図の見えない女川の街の本当の復興の姿も気にかかります。

2日目 に続きます。

2016年7月 4日 (月)

土曜日上京 母校・ラグビー・展覧会

7月2日の土曜日、夫婦で上京してきました。主目的はラグビー観戦ですが、会場が秩父宮ラグビー場でしたので、まずはほど近い母校に立ち寄ってきました。正門前で大学同級生と待ち合わせ、3人で懐かしい構内に。同級生は部活(美術部)の同期、家内は1年後輩でした。卒業後も時折母校を訪れてはいます。3年前には、チャペルで行われた森高千里ライブに家内と共に参加しました。今回は待ち合わせが丁度昼時だったこともあり、学食に入ってみることにしました。学食は新しくて綺麗な17号館食堂もあるようですが、在学当時からある7号館地下の食堂にしました。部室も同じ7号館にあります。部室も覗いてみたかったのですが、土曜日のことでもあり、誰も居ないようで電気が消えていました。私の時代では、土曜日の昼に部室が閉まっているなどあり得ませんでしたが。(笑) 

学食で食事するのはおそらく30数年振りだと思います。卒業してから40年近くになります。構内では少なくなった在学当時から残る建物です。壁や柱は手が入れられてありますが、基本的な配置や低い天井は昔のままです。しかしメニューは、当たり前ですが画期的に変わっていました。在学当時、コロッケなどのB定食は130円、具の何も入ってないカレーが50円でした。バイト時給の330~350円位の時代です。今では350円から500円の価格帯ですが、周辺の物価からすれば格安でしょうし、メニューもレストランに負けない品揃えです。カレーでも種類が色々あり、”グリーンカレー”まであります。食事の後には、購買部など暫し構内を散策、母校をあとにしました。

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地下鉄でひと駅、外苑前駅下車で会場に向かいます。今回の対戦相手はオーストラリア代表を何人も抱える”ワラターズ”、今期は不調ながら一昨年は優勝昨年は2位の強豪です。会場に向かう人波にも外国人の顔が目立ちます。会場入り口グッズ売り場でタオルを購入、ステッカーも貰いました。試合開始1時間以上前にもかかわらず、配布うちわはすでに終了していました。残念。

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試合開始予定は14:15、開始前の応援練習や高円寺”ひょっとこ連”による阿波踊り披露の後、ほんの少し遅れて始まりました。席は、試合前半は日本側ゴールが近くになります。強豪相手故、目の前近くでのプレーが多くなると予想していましたが、期待以上に日本側(サンウルブス)が健闘、反対側ゴール近くでのプレーが多くなりました。前半30分辺りまではほぼ互角、一時はリードを奪う場面も。しかし前半終了間際に連続でタッチダウンを決められ、12-26でハーフタイムとなりました。

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後半に入るとワラターズが本領を発揮、試合は一方的な展開となりました。サイドが変わっていますので今度はワラターズゴールが近くになります。サンウルブスが攻め込めば目の前で迫力あるプレーが展開されるはずだったのですが、そういった場面はほとんどなく、大半の時間が遠くのゴール近くで消化されました。ずっと左方面に向けていた首が痛くなりました・・・。最後の最後、ラストプレーでゴール近くまで走りこんだものの潰されノーサイド、結局前半のペナルティゴールによる12点のみ、遂にタッチダウンは奪えませんでした。対する相手側は合計で9トライ、12-57の大差を付けられての負けとなりました。身長2mを超える選手も居る体格差もありますが、パスの速さ正確さバリエーションの豊富さ、タックルのスピード・強さ、すべての面において明らかな差を見せつけられました。堀江を欠くスクラムでも押し負けていました。今回は故障者やリオOP出場選手を欠く編成ではありましたが、相手側も条件は同じ、寧ろホームでの利を抱えていたはずでした。しかしチーム初年、負けも経験となると思います。これで今季日本開催試合は終了、残り2試合は南アフリカでのアウェー戦になります。厳しい試合になるでしょう。健闘を祈ります。

ここからは家内とは別行動となります。たまたま、高校時代の友人が上京しているとのタイミングで、東北出身の友人3人での食事会となりました。私の方は四谷三丁目に移動、別の友人と合流します。

これもたまたまでしたが、四谷三丁目の画廊で友人がプロデュースした展示会が開催(1日初日)されていました。友人は大学は別でしたがやはり美術繋がりです。在学当時に大学美術部として交流があり、個人的にも一緒に画廊を借りての展示会も行いました。卒業後彼は建築家となりましたが、今では一線を退き、趣味として若手画家作品のコレクターとなっています。今回はそういった作家のひとりの個展をプロデュースしたそうです。「松野純子 個展」

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作品は、床に置いた紙に上から墨汁を垂らし、偶然にできたハネをペンでたどり微細な曲線や円で埋め尽くして行くという、偶然と根気の要る細かい作業、一見相反する工程を経て作り上げられて行きます。上のリーフレットの写真では実体を捉えることは難しいと思います。私も、頂いた案内ハガキと実物作品とでは全く異なる印象を受けています。個性的ではありますがアクの強くない作品です。アンフォルメル的ではありますが、実際にはかなり工芸的な、それでいて意図・意識感の少ない自動(ではないのですが)書記的な無自覚作業をも感じさせます。一定の条件を与えられたコンピューターが規則性にのっとり積み重ねた所業、とはやはり異なるものの、ひとの営みとしてはやや無感動、微妙な狭間での作品です。今後どこへ向かうのか?将来への期待は感じるものの、それ以上に不安を内包している気がします。意識・無意識、どちらへ向かうのか?どちらへも向かって欲しくない気もして、しかしこのまま不安の狭間に立ち尽くされるのも怖い。偶然と根気作業での制作活動はこのまま淡々と続けられるのか、それともどこかで破裂するのか?怖いもの見たさでこの先5年10年後の気にかかる作家ではあります。今月いっぱい開催されていますので、ご覧ください。画像ではなかなか想像が付かないと思います。http://ts4312r.com/news/891/

2016年6月26日 (日)

野球観戦の一日

あまり熱心ではないライオンズファン、球場観戦は年1回行くか行かないか程度です。今シーズン初めて行ってきました。24日の金曜日、4年振りの群馬県開催試合です。

試合はナイターなのに自宅を朝9時過ぎには出発、お隣太田市の「ゆり園」に立ち寄ってきました。昨年も出かけたのですが7月に入ってからでしたので花はパラパラ状態、今年は少し早めにしたのですが、それでも最盛期は過ぎていたようです。でもこれだけ咲いていれば十分でしょう。あいにくの雨の降る中、小雨でしたが、意外と多くのお客さんが訪れていました。

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晴れの日に比べて、色彩の鮮やかさは劣るかも知れませんが、雨露に濡れた花もまた艶っぽくて素敵です。昨年持ち帰った百合を自宅庭に植えたのですが、これほど見事には咲きません。球場直行ですので、今年は買いませんでした。

プロ野球観戦試合は西武・ロッテ戦、4年振りの群馬開催、前橋市にある上毛新聞敷島野球場です。以前は群馬出身の渡辺監督所以の群馬開催でした。今年は前橋育英出身の高橋光成(コウナ)投手の凱旋試合となっています。初めての敷島球場、到着は12時少し前、まずは駐車場を探します。事前にネット情報を調べてはいたのですが、敷島公園内の陸上競技場・野球場駐車場はほとんど関係者駐車場として確保されていました。交通整理スタッフに聞き、利根川河川敷駐車場に停めました。試合開始6時間前に到着という、余裕のあり過ぎるスケジュールでしたが、直前到着では混乱したでしょうね。河川敷駐車場はまださすがにガラガラ状態でした。出口間近の場所を確保。

天気予報は曇り後雨、折り畳み傘と100円ショップの雨がっぱを用意しました。取り敢えず球場へ。まださすがに人は少なく、屋台等も準備中。今回はユニフォーム配布試合ですが配布は午後3時からとのこと。時間を持て余します。球場入り口前には熱心なファンが待機、選手の入り待ちですね。球場に一番近い駐車場は選手専用になっていて、自家用車で到着する選手はそこから徒歩で球場入りします。12時20分頃に秋山選手が球場入りしました。ユニフォームでないと印象も変わります。子供ファンのサインに応じていました。

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時間潰しに公園内を散策することにしました。この頃から小雨が降りだしますが、まだあまり気にならない程度。公園内には正田醤油スタジアム群馬(陸上競技場)・サッカー場・プール・野球場等のスポーツ施設と、ボート池・バラ園・萩原朔太郎記念館等の文化・行楽施設があります。立派な松の生い茂る公園内を横切り、まずは萩原朔太郎記念館を目指します。

記念館は朔太郎の生家の一部を移築したものでした。作品をちゃんと読んだこともなく、前橋出身であることも知りませんでした。医師の家に生まれ恵まれた幼少期を過ごしたようです。移築は3棟のみで入場無料の地味な施設(管理者も居ませんでした)でしたが、市内にあったという生家は立派な建物だったようです。屋根の鬼瓦には萩原の「萩」の字が刻印され、富家であったことを物語ります。

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すぐお隣の「バラ園」にも立ち入ったのですが、こちらは完全に時期が終わっていました。こちらも入場無料です。

時間もたっぷりありますので、近くで昼食を取ることにしました。駐車場探しで周った時に、この辺りに数件の飲食店のあることを見ています。昼食は蕎麦屋、2種盛りの蕎麦にしたのですが、更科はまあまあでしたがやたら太い田舎蕎麦はいまひとつでした。昼食後すぐ近くにあった「ぶちの店(http://www.geocities.jp/hiro_uchi_flare/Shoukai/shigai/buchi/buchi.htm)」という紅茶とケーキの店へ。こちらは良かったですね。本格紅茶ともなると安くはないですが、優雅な時間を過ごせます。ティーバックとは香りがやはり違います。茶器も良いものを揃えていました。

3時に競技場に戻り、補助陸上競技場でのユニフォーム配布の長蛇の列に並びます。アウェー外野席券を除くすべてのチケット購入者に配られるので焦って並ぶ必要はないのですが、ファン心理でしょうか、かなり早い時間から並んでいた人も居たようです。応援旗は以前に買ったものです。

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小雨は降り続いていますので、後は時間まで公園の屋根付きベンチで待機することにしました。さっき食べたばかりで全然お腹は空いていないのですが、球場内では屋根がありませんので、出店で買った弁当もベンチで半分だけ食べました。雨がっぱ着用で球場に入ったのは5時過ぎでした。

初めての敷島球場ですが、やはりプロ野球球場と異なりかなり小さく感じます。一応、センター122mはあるのですが、観客席が低い(収容人数は20,934人)ですし、外野ファールグラウンドはほとんどありません。その分選手との距離はかなり近くなります。西武プリンスドームでは3塁側がホームになりますが、今回は1塁側がホームです。1塁側内野指定席5段目での観戦です。今回は雨降りでもあり、写真はあまり撮らず観戦に集中しました。試合開始前後は小雨、2回辺りには一旦止み、後半にはやや強めの雨脚になりました。ちなみにこの日はチケットは完売でした。

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試合は1回に森の2ランで西武が先制、2回に1点失ったものの、森の2本目、メヒア・浅村とホームラン攻勢で5回まで1-5でリード、攻撃陣は快調な前半でした。5回終了時には上毛新聞提供の花火も打ち上げられました。

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しかし地元凱旋の高橋光成投手には、最初から力みが見えました。コントロールが定まらず四球を出し、ストライクを取りに行った球を打ち返されます。それでも5回までは何とか1点に抑え勝ち投手の権利を得ましたが、派手に打ちあがった花火も光成投手の後押しにはならず、6回一気に崩れます。2アウトまでは簡単に取ったのですが連続安打と四球とでランナーを溜め押し迫られ、交代した武隈が溜めたランナーを返してしまい一挙6点、逆転されてしまいました。7回には1点返し1点差に迫ったのですが、チャンスに浅村がバント失敗の併殺打で万事休す、7-6での悔しい敗戦となりました。

アウェー外野席でのロッテ応援団は元気でしたねぇ~!敵ながらあっぱれの応援でした。前橋まで遠征する熱心なファン達ですし、実に綺麗に揃っていました。対する西武ファンは、若獅子会も来てはいたのでしょうが、プリンスドームとは勝手が違っていたようです。少ない地方開催ですし、高橋光成応援で初めてプロ野球を観戦した人も多かったかも知れません。プリンスドームとは、本来の意味での”西武ファン比率”は相当に低かったのでしょう。光成投手が本来の力を発揮できなかったのは残念ですが、群馬で西武ファンが少しでも増えてくれたのなら幸いです。初めての雨中観戦になりました。次回はやっぱり、屋根のある西武ドームがイイかな。

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