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2018年9月22日 (土)

Facebook

niftyフォーラムに始まって、HP、mixi、ブログと移り変わるネットコミュニケーション。現在は家族等近い相手限定でのLINE(広げると面倒そう)とFacebook中心で使っていますが、mixiもブログも残してますし時折書き込んでいます。と言ってもmixiは利用頻度はかなり減りましたし、Facebookと重複しますのでこちらブログも書き込む間隔が空きがちです。ただFacebookはどんどん過去に流れて行ってしまい過去記事を探すのは至難の業、少し遅れてもこちらにも書き残すようにしています。ブログの方が詳しく書き残すことができますし。元々、使い捨てのようなSNSには若干の苦手感があります。ですのでTwitterもInstagramもページは持っていますがあまり利用していません。刹那的な書き捨てには違和感を感じています。

というところでFacebook、私の年代では利用率は低いようです。Facebookに限らずネット全般で。未だに携帯はガラケーでメールも禄に打てない同輩も少なくありません。私自身はそういった人達、(リタイヤ組の増えてきている年代ですが)どうやって会社生活を潜り抜けてきたのか不思議にも感じます。私自身、仕事上の必要に駆られて始めたPCです。始めた30代の頃には中小零細企業ではまだ珍しい存在でしたが、間もなく必需品となりました。PC無しの仕事など考えられません。想像ですが同輩達、PCが会社に導入された頃は管理職年代ですので、訳の分からない操作は部下後輩に任せて、虎穴に入らずに何とか逃げ切ったのでしょうか?零細企業主だった私は任せられる部下も無く、自身で憶えたのですが。そのお陰で、仕事上での表計算での生産計画作りやチラシ・値札作り等役だったのは勿論ですが、プライベートでも世界が広がりました。物理的距離は関係しませんので、遠い地に住む知人・友人もできましたし、趣味を同じくする仲間も見つけることができました。

ただこの世界、便利なことも多い反面、面倒な部分もやはり存在します。韓国に嵌り込み情報発信に励んでいた時期には、”2チャンネル”という不可思議世界に住む住人からストーカー攻撃を受け難渋した時期もありました。

さて話題を本題に戻します。Facebookです。現在日常の出来事等を書き込んでいますが、敬愛する森高千里さんファン達との楽しいやり取り、高校同期や大学部活での仲間、そして地元足利市を盛り上げるために頑張っている方々等、概して有意義に活用できていると思っています。ただFacebookには過剰サービスというか、私にとっては「余計な機能」と思える部分もあります。例えば「お友達記念日」、それは2人で祝えばよいと思います。関係ない、その片方とは関係のない、”友達の友達”まで持ち出されても・・・。私は原則シェアしません。誕生日祝いもどうかな?と思っています。Facebook友達が増えれば必然誕生日も増えます。年がら年中誕生祝をしなくてはなりません。滅多に音信のない友達との挨拶、それも必要な部分もあると思いますが、そこは年1回の新年挨拶で済ませて頂きたい。年間通してばら撒かれる儀礼的お祝いメッセージは目障りに感じる時もあります。メッセンジャーとかで個人対個人で伝えれば良いことです。

以上、ま、他愛のない”愚痴”です。真剣に悩んで迷惑に思っているわけではありません。ただひとつ、今面倒に思っていることがあります。”シェア”です。これも利用の仕方次第、便利に使える機能ではあります。ただ「乱用」は迷惑です。最近Facebookお友達になった某氏、多い時は一時に10件近くのシェアを並べます。それも多くはネトウヨ的書き込みのシェアです。内容的には同感できる記事もあり、最初は一応読んでから選択していたのですが、なんせ数が多過ぎます。今ではすべて見つけ次第非表示にしています。そして1番に不満迷惑に感じているのは、彼の書き込みはシェア”だけ”なのです。自身の文章で意見表明することは無く、すべて”シェア”です。本人それなりに意見考え方は持っているのでしょうが、「シェアだけ」というのはあまりに安易です。本人の確固たる信念にも疑惑の目を向けたい気持ちになってしまいます。そういった自覚はないのでしょうね。「同感できる有意義な意見を拡散している」との意識なのでしょうか?Facebook上だけので繋がりならば、お友達削除してお終いですが、元々オフラインでの友人から新たにFacebook友達になった人ですので、その点で面倒なのです。ま、暫くは非表示対応で済ませます。「このような投稿の表示が少なくなります」との効果を信じて。

追記:Facebookの余計なサービス、もうひとつありました。「過去の思い出をシェア」 振り返りたい気持ちもわからないではありますが、「自分の頭の中だけで振り返っていてくれ~」との思いもあります。ひとの寂しがりや一面を捉えた手法なのかも知れません。

2018年9月20日 (木)

美術館巡りドライブ

昨日は家内とドライブ、というか千葉県佐倉市まで美術館巡りに行ってきました。大学美術部で知り合った家内、特別に熱心なわけではありませんが、一応”共通の趣味”ということで時々私に付き合ってくれます。美術館同行は先月初めのルーヴル美術館展以来、次回は藤田とボナールはパスでクリムトは一緒に行くそうです。

佐倉の美術館というのは「DIC川村記念美術館」、先月8日に来たばかりです。昨年も来ていますので今回で3回目です。家内に見せたい美術館であるのと、私自身はまだ観ていない所蔵品のあることが再訪の理由です。常設展示品が目的ですので、敢えて企画展のない時期を狙ってみました。常設展ですので私は65歳割引で800円、家内は1,000円。美術館敷地内の散策路も魅力的、1度スケッチにでも来てみたいのですが、中々そういった余裕ある訪問は機会がありません。もう少し近ければ良いのですが・・・。

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東北道から圏央道経由で休憩なしで2時間半、やっぱり遠いですね。圏央道、途中まだ2車線(対面交通)部分がかなりあり、その部分は追い越しできませんので不便です。PAもありませんし。それでも前回よりは少しだけ4車線(片道2車線)部分も増えたようです。おいおい便利になってくるのでしょう。

「企画展のない時期の方が所蔵品展示が多いだろう」と予想したのですが、前回ライリー作品を展示していた部分は閉鎖中、作品数自体は増えていませんでした。ただもちろん入れ替えはあり、初めて観る作品も何点か。家内が期待していたライリー作品は展示されてありませんでした。美術館入場口前にある飯田善國作品を撮ってきました。飯田氏は我が郷土:足利市生まれ、お隣館林中学(現館林高校)出身です。美術品収集選択におけるアドヴァイザー役割を担ったそうです。

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今回の美術館訪問、家内が楽しみにしていたのはもうひとつ、美術館付随のレストランでした。かなり洒落た、そして本格的なレストランです。ランチタイム(11時から)に合わせて、美術館を半分観てからレストランに移動しました。レストランは敷地内ではありますが無料公開地域内にありますので、チケット半券に再入場スタンプを押して頂き一旦退場します。企画展のある時には、企画展イメージに合わせて特別メニューが提供されます。前回ライリー展の折には、カラフルなデザートが用意されたようです。今回は常設展ですので普通のメニューです。パスタランチをお願いしました。写真の他に自家製パン・デザートと飲み物が付きます。

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食後美術館の残り半分を観て、千葉市美術館へ移動しました。元々は佐倉市美術館か千葉県立美術館を考えていたのですが、川村記念美術館でのチラシを見て方向転換しました。千葉市美術館は千葉市中央区役所内に併設されてありました。千葉市は母の故郷、旧千葉駅前には親戚も住んでいますが、すっかり様変わりして何処が何処だか全く判りません。子供時代訪れた千葉駅(旧千葉駅)付近は、足利市より少しだけ賑やかな程度、大きな違いは感じていませんでした。

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チラシにある通りテーマは”1968年”です。1968年、私は中学3年生でした。ですのでこの時代を体感したのはほんの少し上世代ということになります。それでも中3時、時々は美術展を観に上京していましたし、TVニュース等で学生運動やフーテン・アングラ等の話題・映像は目に耳にして暮らしました。高校バス旅行では「受験生ブルース」「自衛隊に入ろう」「友よ」とかを皆で合唱したものです。本気で「夜明けは近い」と思っていた節もあります。時代ですねぇ~。浅間山荘事件はTV生中継で見ました。三里塚闘争は、あまり実感の伴わない近くて遠い世界のものでした。東大闘争を経て、私の大学入学時には学生運動は盛りを過ぎ、母校ノンポリ青学は全く平穏無事、法政や明治ではまだバリケードや立看が健在で休講も多かったようです。

美術界的には変革革命の時代だったのだと思います。異端視され世間一般からは白い目で見られる”前衛”全盛期です。私の学生時代にも、大学演劇部にはまだ天井桟敷的模倣は残っていました。家内は展示に「疲れた~」との感想でしたが、確かに気忙しい疲れる展示です。それでも、先は見えないながらも「時代を作ろう!」との熱い意気込みの感じられる、「表現すべきもの」のある、作家としては意気盛んな時代だったのだと思います。描くべき強い悩みのない、”前衛の平凡化”した現代からは、寧ろ羨ましい思いも少しは感じます。

展示で唯一撮影可だったのは赤坂のディスコ「ムゲン」の当時の館内装飾を再現したコーナーでした。赤坂ムゲンは大学生時代よく通った場所です。ただそれは1975年以降、有名なディスコではありますが、有名になり過ぎて地方からの上京お上りさん客(私もその部類でしたが)が増えて”最先端”から”観光地?”に変貌した頃でした。館内雰囲気も再現とは全く異なります。ですので名前は懐かしいですが、再現装飾に懐かしさは感じません。

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美術館巡り、次回は「藤田嗣治展」です。その前に大学美術部先輩の個展があり、そちらも上京します。

2018年9月15日 (土)

8・9月のゴルフ

PC不調時以降のゴルフです。

まずは8月14日(火曜)、盆最中のゴルフです。地元仲間でのゴルフ、ゴルフ場はいつもの「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」でした。暑いさ中、「命に関わる」ほどではないにしてもやはり暑かった~。INスタートの前半は、1度も100を切ったことのない苦手コースの割にはまあまあの「52」で乗り切りました。+3が1ホールあったものの私としては大叩きのないゴルフ、パットも「15」で上出来、ショートを除く7ホール中6ホールでフェアウェイ維持、いいんじゃないですか~! という展開からご想像通り、OUT後半は暑さもピーク、風もほぼ無し、集中力が続きません。パーパットも緊張感無く(´;ω;`)ウゥゥ「ボギーでいいや」と思っているからWボギーになる・・・。上がりの2ホールはトリプルトリプル、耐えていた最後でOBも飛び出し「55」、やはり今回も100を切れない「107」で終了でした。

ゴルフ場でひとっ風呂浴びてからメンバーのひとりの自宅に直行、久し振りの麻雀です。初めての全自動麻雀卓、こりゃ便利です。学生時代大学の周囲は麻雀屋だらけ、部活仲間での定例麻雀大会もありました。時は流れ現在、大学周囲に麻雀屋は1軒もありません。地元に戻ってから何回か卓を囲んだものの、ここ10年ばかりは全く途絶えていました。符の数え方も忘れました。それでも打つ内に感覚も戻り、半荘4回の内2回でトップを取り総合でもトップでした。ゴルフと異なり好調の麻雀でした。終わり良ければすべて良し、です。

続いては8月26日(日)、高校同期3人で周った「レイクウッドゴルフクラブ富岡コース」、景色の綺麗なコースですがやたら池が多い。今回で3回目ですが、前回(4年前)は池に嵌りまくって大叩きの「124」でした。今回も池プレッシャーに弱く、スタートホールティーショットでトップしていきなりの池ポチャ。トリプルトリプルのスタートながらショートでの1オン1パットのバーディもあり、ボギーにまとめて前半ブルーコースは上出来「48」でした。後半はゴールドコース、やはりトリプルスタートでしたがその後はボギーで収めていたのですが、5ホール目で遂にやっちゃいました。ラフからの2打目は当たりは良かったものの右ラフの木に当たり右手前奥へ跳ね返り、更に3打目も木に直撃、打った位置よりも戻されて・・・。結局ロングのこのホール+6の「11」、気落ちしての連続トリプルも出て「57」で計「105」、これでもこのコースでは1番良いスコア。

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富岡からの帰途、出来たばかりの「佐野強戸PA」に立ち寄ってみました。パーキングの少ない北関東道路待望のPAです。レストランもGスタンドもあります。ETCがあれば出入りもできます。施設の両側に駐車場のある、上り下り兼用PAです。できたばかりですので観光バスで立ち寄るお客さんが多かったですね。以前は東北道の佐野SAに利用客が集中、混み合いましたのでこれで多少は分散しますね。

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直近ゴルフは9月9日(日)の高校同窓会ゴルフです。”生存確認”のために毎年開催とした同窓会も今回で11回目です。今年も2名の仲間の旅立ちが報告され、会初頭に黙祷を捧げました。皆64~65歳、それぞれに問題を抱えた方も多く、私も他人事じゃありません。男性の健康寿命(寝たきりでない)は平均で71~72歳です、動ける内にやりたいことはやっておきましょう。リタイアした人も年々増えていますが、「これで追々ゆっくりと~」とか考えている間はありません。出欠返信でも、体調の関係で欠席の方も数人見受けられます。ゴルフ会参加者は少なく7名でしたが、出来る内にやっておいた方が良いのに・・・と思います。

ゴルフ場は市内中心部から(河川敷コースを除いて)1番近い「足利城ゴルフ倶楽部」です。「足利城」というくらいですから昔々は城(時代が古いですので山城です。”砦”と言った方が近いかも)のあった地域です。最初は藤原姓足利氏、後に源姓足利氏(足利尊氏の祖先)、戦国時代には山之内上杉氏の家臣長尾氏が領有した城です。藤原姓足利氏は源姓足利氏との争奪に破れ東北に逃れます。別名「両崖山城(りょうがいさんじょう)」ですが、「両崖」は「要害」のなまったものとの説もあります。そんな要害の地ですので崖を挟んだ両側に張り付いたフェアウェイが狭くアップダウンのあるゴルフ場です。

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7名の内1人はその夜の同窓会を欠席ですので、会費無し賞品なし扱いですが、なんと、その1人が優勝してしまいました。よって2位が繰り上げ優勝となります。繰り上げ優勝と準優勝の2人がニアピン・ドラコン・ベスグロを独占、賞品をごっそり持ち帰りました。幹事であり賞品を用意した私はOB連発の「111」でBM、つまり最下位でした・・・。残念。

そのゴルフ場プレー中での会話ですが、「地球温暖化」が話題となりました。ひとりが「温暖化は太平洋高気圧、自然現象だから仕方ない」と、排ガス等での温室ガス効果を全否定するのです。これは意外でした。トランプ米国大統領と同じですが、トランプ氏の場合は実際にそう信じているのではなく、自国利害優先での政治的発言と思っていました。しかし身近にパリ協定的考え方を否定する人間が居たとは・・・。そういった確固たる説もあるのでしょうか?ちょっと判らなくなりました。

東京オリンピックに関して、「時期をずらして暑い夏を避ければ良い」との発言をしばしば耳にします。私はこの考え方には大反対です。主題はすでにOPではなくなっていると思っています。より大事なのは、一時期酷暑の東京に滞在する選手達ではなく、これからもずっとその地に住み続ける人間、日本人だと思うのです。「命に関わる暑さ」「酷暑」はすでに、今年の局地的大雨・台風・地震、同様、すでに災害の域に達していると思います。このまま放置すれば本当に(今でもですが)人の、特筆すれば北関東人の「命に関わって」きます。北関東の酷暑の要因のひとつは”東京の熱波”です。アスファルト・コンクリートで熱せられた熱、そして冷房排気熱は、上空に巻き上げられ北関東を熱します。まずは「東京を冷やす」政策が必要だと思うのです。道路の耐熱塗装はだいぶ以前に開発されています。しかしかかる費用が高いために実用化に至らずに来ました。その実用化を提言した都知事の発言に対しては、「たった1度のマラソンのために」と「無駄使い」と断じる論調があります。マラソンは「たった1度(男女合わせれば2度ですが)」でも、前述の通り我々はOP後もこの地に住み続けるのです。命の危険を冒して。耐熱塗装もミストシャワーも、また排熱の少ない冷房装置とか、1964年の東京OPが高速道路や新幹線を”OP遺産”として残したように、2020年のOPでも、酷暑対策をOP遺産として残して欲しいと思っています。一部でも研究・実用化が進めば、コストダウンやより効果の期待できる対策の進展にも繋がると思うのです。そのためには「酷暑の東京OP」は、その切欠としなければならないのです。

夕6時からは市内のイタリアンレストランでの同窓会となります。同期旧5組と6組との合同同窓会ですが、今回は旧1組からも1人出席、来年からは3クラス合同を予定しています。仲間は多い方が楽しい!会場のレストランは1年ちょっと前にできた新しい店です。安くて美味しい。元々は他の店で決まりかけていたのですが、たまたま家族で入って美味しさに感激、その場で会場変更を決めてしまいました。足利市朝倉町の「MONA」という店です。65歳前後のオヤジ達には少々不似合いな店ですが、美味しけりゃ文句も出ないでしょう。

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店のメニュー、私のお勧めは「バーニャカウダ」です。イタリア・ピエモンテ州を代表する料理、アンチョビ・ニンニク・オリーブオイル等を混ぜ合わせた暖かいディップソースに野菜を付けて食べる、フォンデュに似たメニューですが、私の少ない経験の中ではこちらのバーニャカウダが1番です!ただ、周りを見渡すと食している人が少なかった。後で考えたら、世代的に料理認知が無く、食べ方も美味しさも知らない人がほとんどだったのかも知れません。う~~む。

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恩師も含めて出席者は22名、新しい参加者、久々の参加者も数名居たのですが、常連拝欠席もあり昨年(20名)とあまり変わらない人数となりました。ただ、リタイア年代ですので来年からの出席を匂わせる返信もいくつかあり、来年は人数が増えるかも知れません。また、人数はほぼ同じでも顔ぶれが異なれば話題も増えます。他のメンバーは知らず、私はいつも以上に話題豊富に楽しく過ごしました。翌日が月曜日だったこともあり、2次会は4人だけでしたが、こちらも楽しく飲みました。さて鬼を笑わせましょう。来年のためにクラス名簿のない旧1組の連絡先を確認しなければなりません。1年かけて芋蔓探索しようと思っています。同窓会企画も、すでに私の”趣味”のひとつになりつつあります。

2018年9月 6日 (木)

絵画、グループ展

今日の大谷君、その後にHR2本!5打席4打数4安打1四球2HR3打点1盗塁、まるで漫画、凄過ぎ。これで日本人選手メジャーデビュー年最多本塁打数(18本)に並びました。同数1位は城島だけど大谷君の2倍位の試合数を要しての本塁打数です。普通に打者専門で出場していれば、本塁打王も狙える立場だったかも知れないですね。Σ(・□・;) ただ、トミージョン手術を受けるとすれば、大谷君の記録も止まってしまいます。残念・・・・・。

さて、niftyマイページへの入室不可に続くPC不調、結果3週間程度ココログに書き込めない期間ができてしまいました。その間は主に絵画制作に没頭、東京の美術館へも行きました。「ルーヴル美術館展(国立新美術館)」「空山基新作個展(NANZUKA)」「「宇佐美圭司展(南天子画廊)」「ますむらひろしの北斎展(すみだ北斎美術館)」「ミケランジョロと理想の体(国立西洋美術館)」

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ついでにスカイツリーにも昇ってきました。あ、これ、1回の上京ではありません。

ここのところ、川村記念美術館やルドン展など刺激的な展示会が続きましたので、そのせいか少々印象は薄くなっています。空山基が多少印象深かったかな。一番の期待外れはルーヴル、やはり時代感覚なのか、感心はしても感激はできませんでした。名画とは、頭では理解できても感情移入できない部分が多くて・・・。今回はテーマも地味でしたしね。唯一興味を惹かれたのはエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランという女性画家でした。マリー・アントワネットを描いた画家として知られますが、アントワネット妃とは画家と顧客を超えた”友人”であったとも言われます。ま、興味の一番のポイントは”美人画家”だったという点ですが・・・。こんな感じ↓ 2011年に東京で展覧会があったとか。観たかったなぁ。

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この期間、個人的に一番のイベントは東京でのグループ展出品でした。大学生時代は美術部に所属、ろくに授業にも出ず部室に入り浸りでした。そんな時期、「卒業後も絵を描き続けよう」との趣旨で会を作ろうと、芝浦工大・上智大の現役&OB数名で話が持ち上がりました。合同展を開催した経緯もあり、芝浦工大の顔見知り知人から我が青学美術部にも勧誘があり、私を含めた2名が参加することになりました。参加者所属大学の顔触れは、芝浦工大・上智大・青学大の他に東京工大・早稲田大・日大・共立女子大・聖心女子大等々でした。会名を決める集会に集まったのがたまたま23人だったことから安易に「23人の会」と名付けられた会は、代々木の画廊(確か「オーハシ画廊」だったかと)で第1回展を開催、そのままなんと43年続き、今年は第45回展を開催(初期、年2回開催したので回数がずれてます)する運びとなりました。

私自身は、最初の6~7回は出品したものの、地元に戻ってからはたまに例会・飲み会に参加する半幽霊会員となっていました。絵画制作も長年滞っていました。それが昨年6月からパステル画を描くようになり、その後アクリル・油彩も再開しています。半幽霊会員ながら滞りなく会費を納めていたこともあり、昨年夏の44回展に久々の復活参加を遂げ、今回が復帰2回目の出品になります。

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今回の出品作はすべてパステル画、静物2点に渡良瀬川を描いた風景画1点です。昨年に比べるとやや自由さは出てきていますが、まだ硬さが見えますし、テーマ意識が薄いですね。それでもこの展示会時期で再開から1年と2ヶ月、ようやく描きたいテーマがちらちらと見え隠れするようになってきました。出品時にはすでに新しい方向に描き始めていました。次回展示会ではかなりイメージの異なる作品となっていると思います。

期間中、大学先輩や後輩にもお出かけ頂きました。地方在住のため会場に常駐できませんので、お会いできなかった方々、申し訳ありません。会期中には東京在住高校同級生との飲み会も実施でき、滅多にお会いできない会のメンバーとも楽しく過ごせました。43年も経っていますので脱退者・途中入会者もあり顔触れは変わってはいますが、結成呼びかけの芝浦工大・上智大メンバーの残存率はかなり高率です。我が青学大メンバー2名も共に昨年から復帰、健在です。高齢化もありこの先何年続くかは判りませんが、会を支えて頂いた古参メンバーには感謝しきりです。

最後に現在の作品制作状況を少々。パステル画完成が1点、パステル画制作中が2点、油彩画制作中が4点、アクリル画制作中が1点、その他地塗り済みキャンバスが2枚あります。1点1点描いて行けば良いのでしょうが、取り敢えず始めてしまわないとイメージが失われてしまいます。昔も並行作画が多かったですが、更に枚数が増えています。来月の大学OBOG展に1展出品(制作中の油彩画)、足利市美術協会公募展に出品(作品未定)、来年2月には代表を務めるパステル画会の展示会も予定しています。何処か公募展にも出してみたいですし、その内には地元での個展もやりたい。あと、来年秋頃には東京での4人展も企画しています。

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上左は完成パステル作品、中は少し前のアトリエ室状況、描きかけ作品はそれぞれ進展しています。右が中写真左下作品の現状、これでもまだ6~7割です。さ、アトリエに戻ります。

PC不調からの回復。

ここ2週間ばかりPCが不調に陥りログインできませんでした。パスワードを入れる画面までは出るのですが、パスワード入力後は真っ暗に・・・。原因不明。少し前にもniftyマイページに入れないトラブルがあり、その時はnifty対応で解決しました。そのトラブルを機会に「@niftyまかせて365」というサービスに入会していたので、そちらに相談しようと思いながら数日を無為にすごしてしまい、数日前にようやく電話しました。状況を確認するために久し振りにPCの電源を入れて・・・、と、ところが、電話が繋がった途端にPCも繋がり、「あ、あの、・・・PC不調でご相談しようと電話したのですが、今、あの、え~~と回復しそうなので、確認後ダメでしたらまたかけ直します。スミマセン。」  その後無事開通。おそらく、マイPC、何か無駄な動きを続けていて、暫く接続しなかった間に自己解決したのだろう。取り敢えずは解決、でもどうも最近時々不調に陥ります。購入後4年、PCも消費家電時代ですのでそろそろ買い替えを考えないといけないでしょう。DELLに見積もりを依頼、買い替え準備に入っています。

PC不調の間に、故障者リスト入りしていた大谷君が打者として復帰、現地時間日曜日には投手としても復帰登板、HR1本を打たれはしたものの49球を投げまずまずの様子で安心したのも束の間、今朝には「精密検査の結果肘の腱に断裂が発見」され、トミージョン手術するかどうか判断を要する状況になっているとか。一難去ってまた一難。現在テキサスに遠征中ですのでロスに戻って医師と相談してからの決断になるらしいですが、手術をすれば投手としての復帰までは1年を要するとか。若いので手術した方が良いようなのですが、本人の決断次第です。取り敢えず今日はDHで出場、今のところ1安打1四球。

大谷君の試合が終わったら、PC不調の間の出来事を書き込みます。

2018年8月10日 (金)

DIC川村記念美術館

台風接近で荒天予報の8日、千葉県佐倉市の「DIC川村記念美術館に行ってきました。昨年に続き2回目の訪問です。来週からの東京でのグループ展を控えていて、出品予定3点目がまだ未完成、制作に没頭しようかとも考えたのですが、制作方針で迷っていたせいもあり、何か参考になるかとも考え思い切って出かけることにしました。高速利用で2時間半、ちょっと遠いです。できれば泊りで出かけたい、元々は家内と一緒で1泊旅行、成田観光を兼ねてと考えていたのですが、先月終わりに高齢の母が体調を崩し入院、7日に退院はしたのですが夫婦2人での外出は止めておきました。

館林ICから東北道・圏央道経由で向かいました。圏央道開通で多少は近くなったのですが、圏央道は未だ基本は対面交通(片道1車線、時々追い越し車線あり)ですので、前に遅い車が居るとそれに続くしかありません。だいたい80km前後での走行になります。追い越し車線以外で100kmを超えることはほとんどありませんでした。

美術館到着は12時半頃、台風直撃の恐れのあるため急遽閉館を早めて15時半までとか。危なかった。風は多少吹いていましたが雨は小雨程度、まだ台風の気配は薄い状態でした。

企画展はブリジット・ライリー展、英国人女流抽象画家(オプ・アート)です。現在80代後半、美人で有名でダリが心奪われた時期もあったとかなかったとか。4月から始まった企画展ですが、遠いせいもあり延ばし延ばしでしたがいよいよ26日で終了ということで、多少無理しても観たかった展示会です。

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下段3点は会場で買ったカタログから。真ん中と右は同じ作品です。「少し離れて見ると画面にない色が見える」という、錯覚を利用した作品だそうです。確かに白い線が離れると黄色に見えます。展示会には「ゆらぎ」という副題が付いていますが、確かに”揺らぎ”ます。じっと観ていると船酔いしそう。左端の作品は、会場の壁に直接描かれています。この展示会のために制作された作品、展示会終了後は塗り潰してしまうそうです。勿体ない・・・。因みにこのカタログ、ADC「原弘賞」なる賞を受賞しているそうです。立派な作りでした。価格も2.700円と高め。美術館カタログ本も欲しかったのですが、出費が嵩むので諦めました。ところが、帰ってみると美術館カタログは家にありました。昨年買って忘れていたらしい。危なかった~。coldsweats02

この「DIC川村記念美術館」は、大日本インキ化学工業㈱の2代目社長のコレクションを基に、3代目社長が設立したものだそうです。大日本インキって儲かってたんですね~!

館内放送で「2時から学芸員によるガイドツアーが~」とのことで、そちらも参加してきました。1時間少々。興味深かったのは、ライリー女史、自身では描かないそうです。今回の展示で本人が直接描いたのは最初の白黒作品1点のみ、他はすべて女史の指示の基スタッフが制作に当たったそうです。館内の壁に描かれた作品も、(ご本人が高齢なせいもあり)来日したのはスタッフのみだったそうです。「芸術家の仕事は構想そのもの」との考え方で、実際の作業には重きを置かない、というか技巧的に優秀なスタッフが居ればそれで充分、ということらしい。ウォーホルと同様ですね。

昨年、ヴォルス展を切欠に初めて訪れたこの美術館、その時はフランク・ステラの大作群に感動の渦でした。今回は2度目ですのでそこまでは行かないまでも、コレクションの充実度には驚かされます。次回は企画展のない時期に再訪して、まだ観ていない収蔵コレクションを観てみたいと思っています。展示会出品作品に即座に応用することは無理そうですが、刺激にはなりました。やっぱり行って良かったです。

美術館の建物は西欧の古城をイメージしてデザインされているそうです。名前は忘れましたが有名な建築家の作品とか。入口脇にはステラの金属彫刻と清水久兵衛の作品が左右に並びます。広い庭園も歩いてみたいですが、それだと1泊でゆっくり来ないと無理ですね。

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2018年7月26日 (木)

東京オリンピックマラソンコースでの「耐熱性舗装」

日刊ゲンダイに、「一度きり東京五輪 マラソン酷暑対策に血税100億円投入の愚」という記事が掲載されました。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233943/1
この記事に関しては、「命に係わる暑さ」の渦中に住む北関東住人としては異論があります。「OPは涼しい秋にやれば良い」同様、北関東など、都会の発する熱に迷惑している地域の住民を無視した狭視的論に思えます。熊谷や館林・佐野、酷熱に苦しむ北関東の気温を下げるには、東京の気温を下げることが必要なのです。「たった一度のマラソンコースに」とは言いますが、OP終了と共にその効果が失われるわけではありません。
「耐熱性舗装」は確か、もう10年以上も前に開発されていたはずです。しかし高い経費が災いして実用化されませんでした。残念なことです。今回OPを契機に部分的ではありますが実際に活用されれば、実際の場でその効果が検証されることにより、今後の技術開発やコストダウンにも大きな効果が期待できると思います。「思ったほど効果が出なかった」という結果ももちろんあり得ますが、それも前進のひとつだと思います。首都高速や新幹線は1964年の東京OPを契機として造られました。OPが無ければ設置はもっと遅れていたと思います。私達はOP終了後もこの地に住み続けます。「OPさえ無事に済めば良い」わけではありません。OPを契機として、都会温暖化対策(ミストサウナも。熊谷市駅前に設置されてありますが、限定的とはいえ効果はあります。)の進むことに期待をかけています。
トランプ氏や中国等の非協力的態度で、地球全体での温暖化対策の進むことは当分期待できません。日本は日本で、独自の対策を練る必要に迫られています。一昨日はお隣佐野市で、昨日は遂に我が街足利市でも熱中症による死者が出てしまいました。熱中症対策は緊急な課題なのです。高額な費用にも係わらず実施を指示した都知事の英断に感謝すると共に、OP限定のその場凌ぎにならないことを願い、高速道路や新幹線同様、「耐熱性舗装」がOP遺産として後に行かされることを祈ります。

2018年7月12日 (木)

2年振りの東北。

2年振りに東北・宮城を旅してきました。宮城は家内の故郷、といっても転勤族だった義父の事情で生まれたのは北海道(美幌・本人の記憶には無し)、幼少期は大阪で過ごし、小学校からが仙台です。ただ実家のあったのは宮城県北部内陸地、北上川沿いの登米市ですが、義父の教育的配慮での母子での仙台暮らしだったそうです。地元名士だった祖父の死去に伴い実家を継いだ義父は、登米市と仙台市とを行ったり来たりの生活、家内は登米市に住んだ経験は無かったものの、夏休みや冬休み、長期休暇は田舎で過ごしたそうです。私達の子供が小さかった頃は、家内に連れられて我が屋の子供達もこの北上川沿いの田舎町で夏の何日かを過ごすのが毎年の恒例でした。この春5月に義父の13回忌があったのですが、5月GWの東北道は尋常ではなく、こちらに配慮しての「地元家族だけで、」の法事となりました。で今回、家内と2人でのお墓参り訪問となりました。2年振りの東北旅行です。

7日10時頃に出発、北関東道経由で東北道を北上。いつも通り那須SAで1回休憩して仙台到着は15時頃でした。Line_1530934288491_2

7日の予定、まずは楽天生命パーク球場での楽天・西武戦です。16時プレーボールですのでホテル到着後慌ただしく出発、タクシーで球場へ。立派で楽しそうな施設ですね。(内は見てませんが)グッズショップも充実していそうです。当日の先発は懐かしの岸、この時点で勝ちは半分諦めていました。岸投手は元々が宮城県仙台市出身ですので、残念ではありましたが楽天への移籍は致し方なかったと、本人を思えば喜ぶべきなのでしょう。岸に会えるのは嬉しいですが、最下位球団にあっての防御率1位投手ですのでライオンズの勝てる可能性は低くなります。

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球場には続々とエンジユニの地元ファンが押しかけます。一般発売開始2日後にネット接続したのですが、土曜日とあってすでにほとんど満席状態でした。横並びの席が確保できず、やむを得ず縦並びの席になってしまいました。前席が家内、やっぱり不便ですね。

立ち上がり、岸はやや不安な状態ながら強力西武打線を2点に抑えましたが序盤コントロールいまいちで球数を使い7回で降板、一方西武多和田は好調で6回までを1安打に抑えます。一般には西武優位!に思えますが、西武ファンは別なことを考えます。「多和田出来過ぎ、この後大丈夫だろうか?不安・・・」、そして不安は的中します。6回まで完璧だった多和田が7回突然にに別人となり2点献上で同点、8回に栗山のHRで再び1点リードしたものの8回裏アマダーに打たれたところで降板、リリーフ不安の西武に暗雲が差します。家内友人との会食の予定があり、ここで球場を後にしました。7:3で「負けた?」との思いのままで。1点リードでは勝ちを予想できない今年の西武ファン・・・。

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しかし仙台での楽天熱は相当なものです。これまで千葉でのロッテ戦、神宮でのヤクルト戦などのアウェイを経験してきましたが、それとは全く異なります。一応ビジター席を確保したつもりだったのですが、周囲はほとんど楽天ファンで埋め尽くされています。西武ファンは飛び飛びぽつぽつと近辺には数人のみ。その中で西武キャップ・ユニでの観戦です。さすがに歓声は掛けにくい、旗も振り辛い。1枚目写真、中央右寄りに見える青の塊が外野自由席でのライオンズ応援団です。私の席の7~8列前に、岸ネーム入りライオンズユニでの観戦女性が1人いました。岸選手ユニ、他はもちろん全部エンジ色です。

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ホーム球場ならではの楽天応援企画も楽しそうで地元盛り上げは上手いですね。敵地ながら郷土愛楽天愛を感じられる球場でした。ライオンズレオ君も遠征してきてました。

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待ち合わせた家内の地元友人は中学・高校の同級生です。仙台を訪れる時は必ず会う親しい友人です。市内繁華街での居酒屋で会食、ここ暫くの情報交換・知人の近況等で花を咲かせます。酒の肴は、ダダ茶豆・ホヤ酢・カツオ叩き・煮込み等々地元の味を堪能しました。酒は地元の一ノ蔵。会食の初めには、スマホ画面にライオンズ3-2での逃げ切り勝利の報も。岸君にはお気の毒でしたが。Img_20180707_192535_2

Img_20180708_071453 仙台での2日目、7月8日の朝は暑くなりそうな予報、それでも蒸し暑くはなりませんでした。ホテルで朝食を済ませた後に義兄宅を訪問、久々のご挨拶をさせて頂きました。お兄さんも登米市に住んだ経験は無く、仕事の関係で仙台市内に住んでいます。義父義母共に亡くなって住む人の無い実家は先の震災で危険建物に指定されています。義兄も今後共実家に住む予定は無く、土地建物の扱いに困っているようです。

早々に義兄宅を辞しお墓・実家のある登米市へ。距離の割に時間のかかる行程でしたが近くまで高速が延びだいぶ楽になりました。墓は通りから少し登った草深い場所にあります。5月に法事があり義兄達が訪れ掃除したようですが、この季節ですのですでに雑草に覆われています。

Img_20180708_131628_4 Img_20180708_132508 お墓から実家に移動、現況を確認しました。義母が毎年漬けていた梅は拾う人も無く散らばっています。義父が丹精した庭も荒れています。ひとの住まない家は寂しいですね。蔵のひび割れ、2階の歪みも酷くなっています。壊すにも直すにも費用が掛かります。田舎ではそうそう売れるわけでもなく難しいですね。

気仙沼には義姉が住んでいます。「時間があれば」とは思っていたのですが、気仙沼は”陸の孤島”、宮城とは言えほとんど岩手県です。当日の宿泊は女川を予定しており、気仙沼ー女川往復は少々厳しい、今回は断念しました。親族は無事だったとは言え気仙沼も震災被害の激しかった土地、復興の具合を確認したかったのですが。

女川町にも家内は短期(2年ほど)ですが住んだことがあります。私は震災後は2回目、家内の住んでいた頃(35年ほど昔)にも1度訪れたことがあります。家内は震災後で3回目の訪問になります。宿は2年前と同じ”トレーラーハウス”です。大津波で流された地元旅館の女将が作ったホテルです。宿を再興させようと図ったものの建築許可が降りず、苦肉の策が”移動できる”トレーラーハウスだったそうです。2年前とは場所も異なっています。2年前は駅から離れた高台でした。今回は駅のすぐ近くが整備され移動してきています。宿泊棟は車付き、事務所やレストランは普通に地面に着いています。「宿泊設備は建築許可が降りない」ということのようですね。ともあれ駅近になって便利になりました。室内も綺麗で十分な設備です。

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当日も西武・楽天戦は接戦でした。好投の菊池雄星は9回を1失点に抑えましたが、楽天塩見も8回1失点の好投、延長戦に。10回表外崎・メヒアの連続HRで一旦は勝ち越しますがリリーフ・カスティーヨが打たれて再び同点。ここで家内がしびれを切らして止むを得ずTV観戦を中止して風呂へ出かけます。

野球は結局、この日も西武が危うく逃げ切り勝ちました。が、9回熱投の菊池の勝ちを消したカスティーヨが、11回の秋山のHRで(自分が打ったわけでもないのに)勝ち星を拾うという今のルールには納得できません。勝ち星を得るなら、どう見ても菊地でしょう。何とかならないものかなぁ?

津波被害で街の半分以上を削られた女川町、駅周辺は綺麗に整備され家内の記憶とは全く異なる街となっています。仙石線の最終駅、30数年前での訪問で、海を指して途絶える線路は印象的でした。その点では今も同じですが、駅舎は近代的になっています。駅舎に温泉設備が併設され、今回はそこを使ってみることにしました。2階にある温泉は男女別、中には湯舟が2つ、単純な造りです。今流行りの健康ランド的な温泉設備のようなジェットバスや炭酸湯等の設備はありません。蛇口は10個。宿の狭い風呂を使うよりはゆったりできますが、そこまでです。脇にはTVのある休憩所、1階には売店があります。

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夕食の場所を探して”シーパルピア女川”を周ります。女川駅前にできた近代的商店街です。夜は寂しい~。日曜日の夜、多くの店は閉まっています。昼間は多少は賑やか?なのかも知れませんが、泊まる観光客は少ないでしょうからね。2年前に訪れた「OWL」は閉まっていました。後で聞いたらオーナーが体調不良だったとか。「居酒屋カフェM」という店で夕食しました。海鮮メニューの少なかったのが残念。

Img_20180709_072818_2 Img_20180709_072830_2 翌10日は仙台でお土産買い、朝食後女川港をちょっと見て早々に出発しました。女川の街は相変わらずあちこち工事中です。高台に住宅地を造成中のようですが、住民は戻ってくるのでしょうか?震災での人口減比率の1番高いのが女川町です。

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仙台駅近くに車を停め駅ビルで買い物。牛タン・笹蒲鉾・ホヤ・ずんだ餅・そして一ノ蔵酒造の発泡清酒”すず音”、一ノ蔵は足利でも売っているのですがこれはありません。以前、東北復興支援イベントが足利で催された時一ノ蔵酒造が参加出品していた時に買って美味しかった発泡酒です。甘くてシャンパンのようなお酒です。昨夜飲みました。牛タン(真タン)も美味しかった!年々高くなるずんだ餅ももうありません。残るは笹蒲とビン詰めホヤ、今晩出るかな?しかし皆年々高くなります。焼き雲丹、美味しそうだったけど手が出ません・・・。

Img_20180709_122139 お昼は駅ビルで買った雲丹イクラ弁当、旨し。でも「ご飯にも雲丹を沢山混ぜ込みました」って、少なくとも”沢山”では無かった。

帰途、福島猪苗代湖奥の裏磐梯、「諸橋近代美術館」に立ち寄りました。スポーツ量販店”ゼビオ”の創業者である諸橋廷蔵氏のコレクション、造った美術館だそうで、メイン収蔵はサルバドール・ダリとなっています。ゼビオって儲かってたんですね。

ダリ作品は素晴らしいコレクションですが、英国現代作家パメーラ・クルックの作品も面白かったです。若手新進だった時代、オークション参加で訪れた英国でたまたま画廊を訪れ「全部」の大人買いしたそうです。作者も「映画のような出来事」と語っていましたが、ダリ1作を買うに比べたら安かったのでしょうが、さすがの先見眼でした。

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2018年6月25日 (月)

決勝トーナメントへの進出はあるのか?ありそう💛

セネガル戦、はらはらしましたが何とか引き分けに持ち込みました。これで最終ポーランド戦で勝つか引き分けで自力勝ち抜けできるまでになりました。「ポーランドに勝つか引き分け」、W杯開始前では絶望的に思えるほどの条件ですが、今では「易々と」までは行かないまでも、かなり確率の高い条件に思えるようになりました。初戦コロンビア戦での勝利は、棚から牡丹餅、天から頂いたプレゼント的な”ラッキー!”感の方が強かったのですが、今回は「日本の強さ」を感じた一戦でした。先取点を取られた段階では「まだまだ」との思いが強かったのですが、2度目の先行点には「ここまでかな・・・?」との諦め感も正直ありました。しかし選手たちにはそんな思いは無かったようです。日本を応戦しながら見縊っていました。こんなに強かったンですね、SAMURAI日本!自信に満ちた代表チームでした。監督交代が結果的には良い方に転びましたが、それ以前に、日本代表チームは強くなっていたのですね。しっかり自力は育っていた、それが監督交代を好機として表面に現れた、そういう事だったのだと思いました。日本の得点は2点とも、流れの中からしっかりと得た得点でした。知らない間に、日本代表チームは変わっていたのですね。

日曜日、足利市運動公園陸上競技場でのJ3栃木ウーヴァ対市原FCを観戦に出かけました。現在勝ち点で並ぶ同士でのJ3首位争奪直接対決です。結果は栃木の勝利に終わりました。これで単独首位、J2昇格の可能性も出てきています。そんな栃木ウーヴァを見ていて思いました。J2昇格前の栃木SC、JFL時代の栃木SCですが、それに比べ今のウーヴァは格段に強い気がします。きっと今のJ3とJFLとは別物なのでしょう。日本のサッカー自体が底上げされ、自然代表チームもレベルアップした、そういうことだったんじゃないかと思いました。

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栃木ウーヴァはお隣栃木市を本拠とするチームです。足利市での試合数も多く、来週も足利で試合があります。そこで心配になりました。昔のJFL時代の栃木SCも年2試合?だったでしょうか、足利で試合があり応援に行っていました。それがJ2に昇格になり足利での試合が無くなりました。競技場がJ2規格に合わないようです。ウーヴァはどうなのでしょう?仕事でお酒でお世話になった先輩の会社がメインスポンサーになっている縁もあり観戦に来たのですが(昨シーズンも1回)、今日の試合を見て「また来週も」と思っています。足利での試合の無くならないことを祈りつつ、栃木ウーヴァの奮戦を祈ります。

2018年6月18日 (月)

またまた矯め込んでしまいました。

前回書き込みが5/19、その後もあっち行ったりこっち行ったり歩き回っていたのですが、書き込みさぼり続きです。やはりFacebookにちょこっと書くとそれで済んだ気になってしまうのですね。でもFBはやはり流れて行ってしまいますのでこちらにも留めたいと思います。

まずは最近の上京に関して。展覧会関係での上京が続きました。5/24は来年に予定されている4人展打ち合わせ、4月にもやりましたが、今回はもう少し具体的になります。4人で候補画廊に集結、壁面構想を練ります。広さとか価格とか時期とか。その後近くのレストランで食事しながら打ち合わせ。まず、会場画廊は見学した画廊に決定、時期は来年11月上旬に。あとはそれぞれの出展数とか。まだ1年半ありますが、のんびりしているとすぐその時期になってしまいます。私自身絵画制作に復帰して1年ほど、ようやく油彩を描き始めたばかりです。筆捌きは意外と憶えているものです。ただ、画想イメージは戻りません。最初は「何を描こうか?」画題を探す状態でした。学生時代はそんなことはありませんでした。描きたいもの描きたいイメージが次々と現れ、描く方が間に合わず書き損なったイメージも多々ありました。画題を迷う暇が無かったのです。それが今では逆ですので6月に復帰してからの作品は、すべて具体的なもの、静物画・風景画に限られています。具体的な”もの”が目の前に無ければ描き進められません。それでも描き続ける内に、少しずつではありますが、「描きたいイメージ」も浮かぶようになってきています。若い頃そのままに戻るはずはありませんが、歳は歳なりに、描きたい”欲求”は必要です。画面に再現するのは静物や風景の”もの”ではあっても、描きたいのはその”もの”そのままでは無く、そのものを観ている自身の”心・想い”なのですから。

Img_20180618_174202 復帰第1作。昨年6月、パステル画講習会での初日作品です。クレパスは以前以前何作か描いていましたがパステルは初めてでした。

19758 昔描いたクレパス画。この頃の方が色彩も形も実際の風景に囚われることなく、自由に指が動いた気がします。

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20171027_10 20184_f6_4 20184_f6_5 クレパスとパステル、同じようでいてちょっと異なる画材です。最初は色の乗りの違いで戸惑いましたが、段々と慣れてきて多少は自由に描けるようになってきています。最初の頃の絵は見るからに”硬いですね。

201712_f8_3 20181_f10_3 20181_f8_3 アクリルは以前に1~2点描いていたはず、けれどどんな絵を描いたのか憶えがありません。乾きの速さには逆に扱い難さを感じた一面もありますが、筆捌きは油彩と同じですので慣れるのは早かった気がします。復帰後5点描いていますが、1点は気に入らず潰してしまいました。

20181_f10_7 潰した作品がこちら。昔のイメージを追い求め、未消化のままに描いてしまいました。内に無いものを形だけで描こうとするとアンバランスな作品になってしまいます。学生時代でも描いて潰した絵は多々ありました。当時はキャンバス代節約という経済的理由もありましたが。

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1981_mioumiouno4_b5_5 Img_20180204_221047_3 こちらが旧作、キャンバスに描き留める間もなく描き散らした感じでした。描く”欲求”に満ちた時代でした。

Img_20180513_113018 油彩は画材を新たに買って来て、ようやく1作仕上げたばかりです。画材としてはやはり1番合っている気がします。

1977_f8_4 19768_f8_5 こちらは旧作、比べてどうでしょう?やはり今の方がまだ硬いかなぁ?

やはり人物を描きたいと思っています。ただ周りに若い女性がうようよ転がっていた?(笑)  あの頃と異なり、モデルには苦労します。キャンバス地塗りだけはしたのですが、作画は7月の地元美術協会主催の裸婦デッサン会後になりそうです。まだまだ頭の中だけで人物を描くのは無理です。最後に若い頃に描いた人物系作品を羅列しておきます。少しはこれに近いイメージで、年齢なりに熟した味を加味して(笑)描きたい。

1977_f8_6 1978_da_f40_2 1978_mu_f40_2 1978_f8_3 

Img_20180205_072901_3 Img_20180205_073054 1979_7 

1979_8 Img_20180131_172201_2 Img_20180205_073150 因みに最後の作品は20代の頃の家内です。coldsweats01heart04

Img_20180607_103550_2 段々イメージも涌いてきましたので、キャンバスは買って来て地塗りは済ませてあります。F30にP40、そして10号12号が3枚、そして小品4号が描きかけです。

オマケ:この日打ち合わせを行った「近くのレストラン」ですが、こちらも曰くがあります。学生時代、仲間が集って事ある毎に飲みに通った洋風居酒屋がありました。すっかり風景が変わってしまいましたが、渋谷の、今のマークシティの建っている辺りだったと思います。私達より10歳ちょっと歳上のマスターの経営する店でしたが、気が合い打ち解けて、暇な時には店を閉めてしまってスタッフと一緒の飲み会になったりもした、青春時代想い出の店でした。再開発で渋谷店を閉めましたが、その後原宿や青山・広尾・白金等々、レストラン中心に店舗展開、あっちを閉めこっちに新店舗と精力的に経営を続けていました。現在では恵比寿のレストランと渋谷の飲み屋との2軒体制です。マスターご本人は半ば引退、息子さんが経営を引き継いでいます。打ち合わせ終盤、電話をしてみたらご本人が来てくれました。私は久し振りの再会です。4人展の4人はもちろん、家内も含めての当時の仲間達、青山や芝浦や聖心や上智など、大学美術部に属して付き合いのあった仲間達常連の店でしたので、来年11月の展示会の折には、そんな仲間達が集い再会する場所になると思います。それも楽しみ。lovely Img_20180524_183128

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