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2019年2月 8日 (金)

今更ですが、1月26日・27日のこと。

今更ですが1月26日と27日のお出かけに関して書いておきます。1度途中まで書いたのですがPC不調で全部消えてしまい挫けました。今度また同じことでもあれば今度こそ再起不能でしょう・・・。weep

1月26日(土)   狭山へ。森高千里さんのライブツアー、21年振りの全国ツアー初戦に参戦です。会場は狭山市民会館、収容人数1.398人というこじんまりとした規模です。30列ある内の7列中央のチケットを確保、大規模会場と異なり最前列席前のスペースが狭いので7列というとかなり間近に見えます。今回のツアーは全国36か所37公演、その多くは県庁所在地を外して、東京の人見記念講堂の2.008人を最大に1.200~1.600人収容程度の会場が続きます。全盛期の集客力のないことを意識しての選択なのでしょうが、ファンとしてはありがたい設備規模です。

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ライブ中に森高さんが「初めてライブに来た人~?」と声をかけると、意外に多くの手が上がりました。「嘘バッカ~」と冗談かと思ったのですが、本当のことなのでしょう。「全国全公演走破!」とかの濃いファンが身近に何人も居る環境と異なり、「若い頃にCD買ったけどライブまでは行ったことが無い、今回は地元に来ることになったので”初めて”チケットを買ってみた」というファン層も当然存在するわけで。結婚・子育てで歌手活動を休止していた森高さん、ファン層も同様でライブ・音楽活動空白期間を持った人も多いと思います。埼玉県会場が狭山市と熊谷市という設定も、そういったライブ未体験層に配慮してのものかも知れません。演奏選曲も、まだツアーが続きますのでネタバレは避けますが、「初参戦の方に配慮して」シングルカットのメジャー曲ラインアップになっています。

ライブ終了後には、駅近くの居酒屋に顔見知りファン20人ばかりが集まり飲み会をやりました。こういった話をすると「本人は来るの?」という質問を受けることがあります。今回は少人数ですが、2013年の歌手復帰足利ライブ後の集まりでは全国から60数名が参加しました。その時はファンでない友人達何人もから同様の質問が繰り返しありました。彼らにすれば「本人が居ないのにファンだけで集まって何が面白い?」という感覚があるようです。門外漢にとって”ファン”はそれぞれ”見知らぬ他人”でしかないのでしょうから。しかしファンも長年やっているとライブ会場で顔を合わせる機会が増えます。「あの人前回も来てた」から会釈するようになり話しかけるようになる。そういった数人のグループができ、今度はグループ同士が繋がり段々大人数に。といった風に私の周囲でも100人規模の仲間ができていました。森高さん休止時代も、ネットを通して細々と繋がっていました。そういった仲間達にとってはライブも「同窓会」でもあり、仲間と集まるのもライブでの楽しみのひとつなのです。ファン同士で結婚した仲間も数組あります。

今晩は長野でツアー2戦目が開幕します。私の参戦次戦は3月の桐生市(群馬県)、それまでは各地参加組・全制覇組の参戦模様をネットで見ることになります。Img015

1月27日(日)   足利までは帰れませんので狭山駅前のビジネスHに宿泊、同じH泊りのファン友人と3次会で24時まで飲んでました。翌27日は少し東京を散策して帰ります。

西武新宿線に乗るのも久し振りです。進学で上京して最初に住んだのが西武新宿線沿線の中落合(駅は下落合)でした。その次が新井薬師。シーズン初めには狭山の人工スキー場で滑り初め、ライオンズのファンクラブに入っていた時期もあります。ふと思い付いて下落合で降りてみることにしました。

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駅から北に登る聖母病院通りはそのままでも、周囲の建物は全くの様変わり、”懐かしさ”が全然ありません。40年以上経っているのですからそれもそうでしょう。地方都市なら何かしらは”変わらない”景色が残っているものですが・・・。

目的地は「佐伯祐三アトリエ記念館」です。当時住んだアパートのすぐ近くにあったのですが知らずに、引っ越した後に存在を知りました。今回訪れて初めて知ったのですが、私の住んだ1972年にはまだ、佐伯夫人が住んでおられたそうです。何処かの通りですれ違ったとかもあったかも。

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記念館は再現ではあっても新築だそうです。展示作品はコピーで本物は美術館、あくまでアトリエの再現で当時の環境を垣間見るためのものです。等身大の立看もありますが身長150cm台の小柄だったそうです。ボランティアの女性に丁寧にご説明頂きました。入場無料です。その方から「中村彜アトリエ記念館」の存在を知り、梯子してみることにしました。

歩いて10数分移動、中村彜(つね)は佐伯祐三と同時代の洋画家です。両人の実際の接触は無かったそうです。

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こちらでもボランティア女性にお世話になりました。こちらも無料。できるだけ元々の素材を利用しての再現アトリエだそうです。作品はもちろんですが、椅子やテーブル等も再現品で当時使われた本物は水戸の美術館にあるそうです。中村彜は水戸藩士の息子だったとか。

しかし佐伯祐三30歳、中村彜37歳、中原悌二郎32歳、荻原守衛(碌山)30歳、この時代の作家さん、早世が多いですね。

目白駅まで歩いて昼食の後乃木坂国立新美術館へ移動。「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」、詳しくは知らない作家でしたが、ナンカ面白そうなので行ってみました。大阪外語大スペイン語学科卒からセビリア美術大学に留学、現在はベルリン芸術大学教授だそうです。海外で活躍する日本人女性、増えましたね~。

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墨絵的な大作コーナーのみ撮影可でした。全体として、興味深くはあるのですが、私のポイントからは少し外れています。

無料でしたので「日仏現代国際美術展」も入ってみましたが、語るほどのものはありません。もう少しレベル高いと期待もしたのですが。春の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の前売り券を買って帰りました。この春には注目展覧会が目白押しです。

2019年1月24日 (木)

1月20日のお出かけ

大相撲と大坂と錦織とアジア杯サッカーと、TV観戦で忙しくPC前に座る時間が足りませんでした。錦織は残念でしたがあの5時間余の熱戦の後では無理もありません。大阪は今日13時から準決勝、期待できます。夜にはサッカーもあります。大相撲、栃木出身の貴源治は負け越しですが双子の兄貴ノ富士(元貴公俊)は勝ち越し、来場所兄弟同時十両の可能性もあります。

20日の日曜日、北関東道経由で50分高崎市へ。最初の目的地は「高崎市タワー美術館」多分初めての訪問です。前回高崎に来た時にチラシを見て少し興味を持った展示会、どうしてもというほどではなかったので保留していましたが、他に目的ができたので行ってみました。最終日でした。

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すぐ隣のパーキングに停めてしまったのですが、契約駐車場であれば駐車券が出たみたいです。事前に調べていなかったので入り口まで来て知りました。入場はシニア(65歳以上)無料でした。happy01

「長野信濃美術館名品展」が開催されていました。同美術館は建て替えのために閉館中だそうです。興味を惹かれたのはチラシ写真の荻原守衛作品(彫刻)のせいです。学生時代は美術部所属でしたがシーズンに2回スキー合宿があり、1回目が上越・岩原2回目が大糸線・佐野坂で、それぞれ毎年企画されていました。佐野坂のスキーは数回(3回?)幹事として企画設営していました。参加は全部で6回。その折安曇野の「碌山美術館」へ、部員を連れて2回か3回訪れています。そこだけ美術部っぽかったですね。(笑) 自然の中に教会風の建物、印象深い美術館です。http://www.rokuzan.jp/index.html

1度だけ、スキー場に油絵道具を持ち込み描いたことがありした。佐野坂スキー場入口辺りの風景です。19772

話を「タワー美術館」に戻します。今回は碌山美術館とは全く別の「長野信濃美術館」収蔵作品の展覧会、荻原守衛の「女」が出品されていたので話が逸れました。近代日本美術、荻原守衛、菱田春草他長野県所縁の作品を集めた展示会でした。名を知らない作家、聞いたことがあるかな?くらいの作家も多かったですね。荻原守衛<女>は懐かしくも魅力ある作品です。

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この日の主目的地は高崎市の「ガトー・フェスタ・ハラダ」、ご存じ”ラスク”で有名になった菓子店ですが、高崎本社にはギャラリーが併設されていて若手現代作家の展示会が開かれます。丁度2年前にはお隣太田市在住の片山真理さんの個展が開催され訪れました。それ以来の訪問です。

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今回は「大庭大輔展」、東京藝術大学大学院卒、現在京都造形芸術大学大学院准教授という38歳の作家さんです。大学美術部時代の仲間で若手作家のコレクターをやっている友人に誘われての展示会です。彼は大庭氏が大学院学生時代から注目して追っていたそうです。

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回廊を渡るような宮殿並みの豪華な建物、右半分がラスクやケーキなどの販売店、沢山のお客さんが訪れます。休日には団体バスも廻ってくるみたい。奥には工場があり見学コースもあるそうです。左部分にギャラリーがあり企画展が開催されます。入場は無料。

作品はかなり斬新な抽象作品、独自に調合したアクリル系画材を用いて、偶然性を加味した技法で描いているそうです。ガチョウの卵に絵の具を詰めて投げつけるアクションペインティング、画面上で独楽を廻してその軌跡をタッチとした技法など、言葉の説明ではイマイチ理解不十分な作風です。制作風景をビデオにでも撮れば、それがそのまま作品にもなりそうですね。友人に紹介頂いて大庭氏の奥様にご説明頂きました。奥様も作家でシュールっぽい作品を描かれているとか。

「意図と偶然性の融合は、カタチを別の次元へと昇華させ、人間の意識的行為と、制御の利かない運動の間には、自然的宇宙の『法則』が炙り出されてゆくのだ。」と言うことだそうです。判るような判らないような・・・。私の頭では付いて行くのが大変。ただしかし、金属的で神秘的な表層は、その世界に引き込むに十分な魅惑的世界を持っているように感じました。

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2019年1月17日 (木)

「ボヘミアン・ラプソディ」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」観てきました。「ファンでなくても感動する」との感想を聞いて観に行ったのですがその通りでした。メンバーそれぞれの、人としての描き方が魅力的でした。ドラムのロジャー・テイラー、特に濃く描かれたわけでは無いのですが「きっといい奴なんだろうな」と感じさせる、自然で好ましい演技だったと思います。そして何と言っても歌と演奏が素敵でした。過去の音源、現在のブライアン・メイとロジャー・テイラーの演奏に "公認クイーンコピーバンド"の音とを組み合わせて構成したとか。最後のライヴエイドのシーンは圧巻でしたね!涙ぐみそうなほどに。因みにベースのジョン・ディーコンは「フレディ以外のボーカルで演奏する気にならない」と事実上引退してしまったそうです。

キラー・クイーン」のヒットした1974年は大学2年生、翌1975年には初来日して大騒ぎでしたから、ファンならずともその曲は身近に聴いていました。映画中での曲のほとんどは記憶にあります。ただ、「キラー・クイーン」以外は聴いても曲名は思い浮かびませんし、曲名からメロディも浮かびません。私自身は当時はかぐや姫とかユーミンがメイン、洋楽はディスコに夢中(2次ディスコブーム)だったこともあり、アイク&ティナターナーとかのブラック系の曲を聴いていました。大学生時代はステレオもラジカセも持たずラジオだけでした。買った洋楽LPはアイク&ティナターナーとエマーソン・レイク&パーマーそれぞれ1枚ずつだけだったと思います。

フレディ・マーキュリーは私より7歳年長ですが、音楽シーンとしては同時代人といってもよいと思います。それを1番に感じたのは物語の冒頭に近い部分、メアリーの勤め先としてブティック「BIBA」が出てきたことです。1975年、ロンドンの「BIBA」で買い物しています。ツィーギーとかで時代の先端として有名になったブティックですが、同年にブランド休止していますのでギリギリでした。買ったのはジャケットとジーンズ地のブーツです。ブーツは当時流行のウエッジソール。少し前に処分しようかとも思ったのですが取っておいて良かった~。取り敢えず当分は保存しておこうと思っています。因みに、かなり細めのデザインですが、20代のその頃と体型も体重もほとんど変わりませんので今でも入ります。(笑)

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ロンドンを訪れたのは1975年の夏、スコットランドのエディンバラに2週間滞在の後ロンドン、そして中央ヨーロッパを渡り歩きました。当時ロンドンには大学美術部の先輩が在住しており、先輩の愛車中古ポルシェでケンジントンパレスコート、そしてBIBAに連れて行って貰いました。

2019年1月 3日 (木)

謹賀新年 ★年末年始★

新年あけましておめでとうございます。平成の世も残り4か月、新年号は何になるのだろう?

正月一番の楽しみは2日3日の箱根駅伝、元々見てはいたのですが、母校青山学院大の活躍で興味倍々増、これなしでは正月が始まりも終わりもしなくなりました。惜しくも5連覇を逃したものの復路優勝で意地を見せました。往路4区の岩見が低体温症で区間15位のブレーキ、「どうせ5区で挽回」と安心していたはずが、まさかの山登り竹石の不調・・・。こればっかりは予想できませんでした。往路で一番の安定区と思っていましたので。  今日の復路は打って変わっての大快走、6区山下りの小野田が区間新記録で勢いを付けると、7区林1位・8区飯田2位・9区吉田1位・10区鈴木2位と他を圧する走りで復路新記録で総合でも2位になりました。往路での5分半のハンデはさすがに厳しかったですけどね。それ以上に東海大の頑張りがすごかったし。3年前に揃って入学した東海大黄金世代が順調に成長してました。  8区1年生飯田、9区2年生吉田、来年も楽しみ。山下りの小野田が卒業しますが、下りになった途端に復活した竹石を下りにどう?山の神は豊富な選手層の中からこれから見つけるとして。しかし、往路東洋大・復路青学大・総合東海大と優勝が異なるのは珍しい。マスコミ登場の多い原監督批判もあるけど、他校発奮の材料になり、全体レベルを押し上げしてる効果は出ていると思う。昨年、原監督の講演も聴きましたが、監督は青学だけじゃなく陸上界全体のレベルアップを目指して敢えてマスコミを利用してのだと思います。金栗四三氏が”世界的に通用するマラソン選手を”として始めた箱根駅伝、昨今では逆に「箱根駅伝が終着駅になってマラソン選手育成の障害にもなっている」と批判していた原監督、その意図は感じられます。東京OPに間に合うかどうかは難しいけど。

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12月31日は恒例の”大晦日ゴルフ”でした。息子と高校時代の友人と3人または4人で近辺のゴルフ場でプレーするのが毎年の楽しみです。オヤジに付き合ってくれる孝行息子に感謝!それを育てた奥様にも感謝!!

今年のゴルフ場は栃木市の「皆川城カントリークラブ」でした。自宅から車で40分ほど、息子の運転でBRZで出かけました。設備も接客対応も悪くない、今ではアコーディアグループ入りしているコースです。比較的平坦でシンプルですがコース幅はあんまり広くなく、ワンぺナや打ち込みに注意が必要です。グリーン手前には顎のあるバンカーの待ち受ける、そんなホールがやたらと多いワンパターン設計。そしてそのワンパターンにことごとく嵌る悔しさ・・・。今回で4回目のゴルフ場ですが、前3回はすべて「109」という因縁あるコースです。今回もその傾向があったのですが「56」「51」で「107」、辛うじて2コだけ向上しました。前回も感じたのですが、何故かグリーンが良くない。硬くてごつごつした感じがします。全体としてはまあまあなのに不思議なくらいに良くない。それと、これはゴルフ場の責任ではないのでしょうがバンカーが足跡だらけです。自分の足跡を均さない者共、ゴルファーたる資格はないですよね。息子は大叩きホールが複数あり120越え、ゴルフの上手い高校時代からの友人も珍しい100超え(初めて見ました)、私が1番平常スコアでした。(笑) あ、あと皆川城CCで1番良かったこと、昼の”エビカツサンド”が美味しかった~。

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夜は年越し蕎麦とNHK紅白歌合戦が我が家ではお決まりです。世間全般、家族で紅白見ながら集う家庭は少なくなっているようですが、我が家では三世代でTV前で飲み食いしながら見てます。特段に紅白が楽しみなわけではありませんが、集う雰囲気は悪くありません。今年はマテウスロゼ、甘い弱炭酸ポルトガルワインを買ってきました。安いワインです。来年末の結婚40周年旅行、ポルトガルが最有力候補なもんで。

年が明けての1019年、朝はゆっくり起きて午後から初詣に出かけました。89歳の母と家内と息子と私。最初は近所の氏神様、八幡神社。正しくは下野の國一社八幡宮ですが普段は「やわたじんじゃ」と呼んでます。お札と破魔矢を返納して新しいものと交換しました。前九年の役時、源義家が京都の岩清水八幡宮を勧請して勝利を祈願したという歴史ある神社です。義家の四男義国が足利荘を領し、その子義康が”足利氏”を名乗り、後の尊氏に繋がる河内源氏足利氏が生まれます。

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nextは市内緑町にある八雲神社、御存じ森高千里さんの「渡良瀬橋」で歌われた神社です。こちらでは昨年の達磨を返納、一回り大きい達磨に交換しました。家族全員が大過なく1年を過ごせたことに感謝して目を入れました。絵を趣味としていますので、昨年初めに入れた左目は油彩、大晦日に入れた右目はパステルで、共にカラフルに彩色しました。

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帰途、市内喫茶店で珈琲して帰りました。今年は今月下旬から森高千里全国ツアー、取り敢えず2か所のチケットを購入済み。そして9月のW杯ラグビー、まだ1か所しかチケットが得られていません。15日から始まる敗者復活戦で再チャレンジします。11月には東京での展覧会、友人との4人展を予定しています。達磨さん皆さん、今年も宜しくお願いします!

2018年12月12日 (水)

「高輪ゲートウェイ駅」

JR山手線での新駅名が話題になっています。「なんで130位が?」「公募した意味がない!」との批判があり、撤回署名まで始まっているとか。なんでこんな騒ぎになるのか理解できません。私はイイと思っています。単に「高輪駅」じゃ単純すぎて技が無い。1位の「高輪」を使いそのアレンジなのだから、大筋では公募の意味には反していないと思います。「高輪」と「高輪ゲートウェイ」の二者択一、または複数候補からの選択応募でしたら「なんで1位を採用しない?という疑問も判ります。また、「1位応募名称を少しの加算・変更もなくそのまま採用する」との厳密な定義の上での公募だったのでしたら。漠然とした公募では「高輪ゲートウェイ」なんて出てくるわけはありません。おそらく「高輪~~」という多種多様な応募はあったはず。その総数も知りたいですね。総数が多ければ、「単に高輪駅じゃ当たり前過ぎて面白くない」との意見を持つ人も多かった証拠ですので。当初から有力候補と言われた「高輪」と「芝浦」、そのどっちなのかが決まれば、それだけで”公募”の意味は果たせたのかと。もしかして「芝浦ゲートウェイ」になる可能性もあったのかも知れません。「出来レース?」との疑惑も出ていますが、こういったアイデア、大抵は多数の素人案よりも特定プロ案の方が優れているのが一般的、公募で「高輪」が選ばれた民意にプロが味付けした、それで良いんじゃないでしょうか。

「駅名として長過ぎる、誰もそう呼ばない」との意見もありますが、いちいち正式名称呼ばれなくとも、通常は「高輪駅」と呼ばれても、それで無問題でしょう。

もしかしたら、この騒ぎは主催者側の期待通りだったのかも?とも思ってしまいます。この騒ぎで駅名は一挙に全国に知られました。安上がりで効率的な宣伝でした。1位の「高輪駅」にそのまま決まっていたら、軽く流された話題でした。地元商店街等には賑わいをもたらすだろう、恰好の騒ぎでしたね。

2018年11月11日 (日)

最近の美術展巡りなど、

続いてここ暫くのお出かけも書いておきましょう。まずは昨日、群馬高崎、群馬県立近代美術館です。結構久し振りかも。「サラ・ベルナール展」です。

着いてみると駐車場が満車、こんなに混んでいるのは初めてです。会期終了(11月11日)が近いから?そんなに混むような企画とは思えないのに・・・。しかし美術館はがらがらでした。清々しい陽気でしたので”群馬の森”で寛ぐ地元の方が多かったようです。そして美術館の前にはスマホ片手に歩く人が多数。調べてみたら珍しいポケモンの出没する特定地域だとか。名女優サラ・ベルナールはポケモンに負けてました。

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サラ・ベルナールは当時人気を博した女優ではありますが、ファッションやデザイン等で時代を先んじたプロデューサーでもありました。アルフォンス・ミュシャやルネ・ラリックの才能を見出し、アール・ヌーボー、アール・デコの時代を作った才人です。会場にはサラ・ベルナールの写真(ブロマイドの走り?)や衣装・装身具、そしてミュシャのポスターやラリックのガラス器、そして唯一の合作という(ミュシャデザイン、ラリック制作)舞台衣装の冠も展示されています。ロートレックによるサラ・ベルナールのポスターも展示されてありました。

常設展も久々に鑑賞しました。群馬県縁の福沢一郎や山口薫、鶴岡政男など、そして荒川修作や菅井汲などの現代作家作品、欧州印象派作品などなど。それなりに見応えのある作品群です。

もう少し日にちを遡って7日の水曜日、この日は東京で展覧会巡りでした。六本木の国立新美術館、最初はだいぶ前に前売り券を買ってあった「ピエール・ボナール展」、ようやく入りました。

ボナールは中学生時代に上野西洋美術館で「逆光の裸婦」を観て衝撃を受けて以来の、好きな画家のひとりです。オルセー美術館所蔵品をメインとする今回のコレクションも充実していました。あの空気感はどのようにして造られているのでしょう?画面枠を超えて広がり、オーラの如く場の空気を柔らかく変化させます。原色ではない抑えた色調なのに鮮やかで鮮明です。裸婦も草花も一体化して夢想の世界を形作ります。リアルじゃないのにリアル、境目は見えません。

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昼食の後、同じ会場での「日展」の方も覗いてみました。「日展」会場に入ったのは40年振り以上だと思います。文展・帝展の流れを汲む、日本での最大規模と権威を誇る公募展ですね。反面、その起源が官展だったこともあって、「反権威」としてやり玉に挙げられることも多かった「日展」ではあります。

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技術レベルに関しては、やはり公募展中随一なのでしょう。やたら上手い作品ばかりなのに、何故か観ていて楽しめない、浮き立つ気持ちになれません。ボナール展のあとなので尚更なのでしょうが、画面枠に閉じられた堅苦しく気取って縮こまった印象が残ります。「日展入選マニアル」でもあるのではないかと思うような、全体に似たような傾向があるように感じました。「これで会友?」と疑問を感じさせるレベルの公募展もありましたが、そういった公募展での方が逆に観る楽しさはあったようにも思います。

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↑の作品は出展されていた、日展副理事長・日本芸術院会員、佐藤哲氏の作品です。何故この作品だけ取り出したかと言うと、氏の作品をコレクションとして持っているからです。

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実は友人から頂いたものです。バブル期に数十万で購入、引っ越しに伴って処分しようとしたら十数分の一の価格を言われて「それなら絵画の好きな方へ」ということで頂くことになってしまったのです。緻密に丁寧に描かれた出展作に比べると、気儘に筆の赴くままに描かれています。多少”売り絵”的な意識もあったかも知れません。それでもそう悪い作品とは思っていません。部屋に飾るにはほど良い作品です。絵画に対する観方考え方は様々、最終的には”好み”になってしまう部分もあるでしょうし、好みを超えた普遍的価値を考える時もあります。考えれば考えるほど判らなくなります。ま、あんまり考えてもつまらないですね。

7日の上京、元々のというか、1番の目的は来年に予定している四人展打ち合わせの為でした。学生時代に美術部で同じ時を過ごした仲間とのグループ展です。1976年に無理して銀座に画廊を借りて催した四人展、その再現ともいえる展示会です。長年休止していた趣味の絵画を再び描き始めたのが去年の6月、たまたま同じ頃にもうひとりも描き始め、その流れで決まりました。”青春への回顧”という面もあるのでしょう。去年の第1回打ち合わせ会で会場となる画廊を決め仮予約、今回は手付になる画廊代半金を振り込みました。会期も正式に決定したわけです。来春に予定する第3回打ち合わせ会では展示会名とおおよその作品数・振り分けを決めなければなりません。1年はあっという間でしょう。具体的に目標スケジュールが決まったのですから、作品制作に勤しむことに致します。1年後に気持ち良く酒を飲み交わすためにも。happy01

2018年10月21日 (日)

ライオンズCS敗退・・・・・・・・・・・・・・・・

久々優勝したのに・・・CSで負けてしまいました。優勝したのに日本シリーズ出られないなんて~~~~~!!

贔屓球団が負けたから言うのではありません(ホントに!)が、このクライマックスシリーズとかいうもの、始まった当初から反対でした。全く理に合いません。よくある、お笑い系のクイズ番組、「最終問題は、1,000ポイント~!」とかの、「今までの競争はいったい何だったんだ~!」と同じです。最初から勝ち負け関係ないバラエティ番組ならそれも構いませんが、真剣勝負のプロスポーツに持ち込むなんてpoutあり得ません。元々が「シーズン末期の消化試合を減らす」ことが目的で始まったルールです。当時のパシフィックは不人気不採算でリーグ消滅危機も囁かれた状態でした。そんな中改善策として考え出されたのがCS(当時は別の名前でした)と交流戦でした。交流戦はセパでのリーグを超えての試合ですので両リーグ同意の基に始まったわけですが、CS(プレーオフ制度)はパリーグでまず始まり、その成功を受けてセリーグでも導入されました。交流戦・CS共に大リーグからの取り入れ、真似たのだと思います。

交流戦は面白いアイデアでしたが、CSは元々の、メジャーと日本との違いを無視しての導入です。まず球団数が違いますし、リーグ内チーム全部と対戦するにも関わらず順位は東西中3地区に分かれて付けられる、場合によっては勝率5割を切っても地区優勝する可能性もある、という特殊設定に特徴があります。”地域制”を重視する故の設定でしょう。それで東西中それぞれの優勝チームと勝率上位のワイルドカードチームが最終的優勝を争うわけです。地区別でのレベル差によっては、勝率では全体2位でも勝率で劣る他地区1位の下位に甘んじることもありますので、「優勢な強いチームを救済する」意図が強く、日本での「優勝を逃した下位チームを救済する」措置とは、考え方によっては真逆なものになります。

ただしかし、消化試合を減らしシーズン終盤まで(優勝チーム以外を)盛り上げる役目は果たしてきました。観客を集め利益を上げることが目的のプロですので、採算面も無視できません。なら当初に戻り参考にした大リーグ方式に近付ける必要もあると思います。パリーグ先行で始まったが故に、セパそれぞれで分けて行われているCSの統一です。例えば、セパの優勝チームはシード、そしてセリーグ2位とパリーグ3位、パリーグ2位とセリーグ3位とで対戦、勝ち残ったチームが優勝チームと対戦する、という具合。これなら、優勝チームを”2度決め”する今の制度の欠点を多少は緩和できると思います。最終トーナメント全体を「日本シリーズ」とすれば、「優勝チームが日本シリーズに出られない」という状態からは一応脱することができます。

2018年9月22日 (土)

Facebook

niftyフォーラムに始まって、HP、mixi、ブログと移り変わるネットコミュニケーション。現在は家族等近い相手限定でのLINE(広げると面倒そう)とFacebook中心で使っていますが、mixiもブログも残してますし時折書き込んでいます。と言ってもmixiは利用頻度はかなり減りましたし、Facebookと重複しますのでこちらブログも書き込む間隔が空きがちです。ただFacebookはどんどん過去に流れて行ってしまい過去記事を探すのは至難の業、少し遅れてもこちらにも書き残すようにしています。ブログの方が詳しく書き残すことができますし。元々、使い捨てのようなSNSには若干の苦手感があります。ですのでTwitterもInstagramもページは持っていますがあまり利用していません。刹那的な書き捨てには違和感を感じています。

というところでFacebook、私の年代では利用率は低いようです。Facebookに限らずネット全般で。未だに携帯はガラケーでメールも禄に打てない同輩も少なくありません。私自身はそういった人達、(リタイヤ組の増えてきている年代ですが)どうやって会社生活を潜り抜けてきたのか不思議にも感じます。私自身、仕事上の必要に駆られて始めたPCです。始めた30代の頃には中小零細企業ではまだ珍しい存在でしたが、間もなく必需品となりました。PC無しの仕事など考えられません。想像ですが同輩達、PCが会社に導入された頃は管理職年代ですので、訳の分からない操作は部下後輩に任せて、虎穴に入らずに何とか逃げ切ったのでしょうか?零細企業主だった私は任せられる部下も無く、自身で憶えたのですが。そのお陰で、仕事上での表計算での生産計画作りやチラシ・値札作り等役だったのは勿論ですが、プライベートでも世界が広がりました。物理的距離は関係しませんので、遠い地に住む知人・友人もできましたし、趣味を同じくする仲間も見つけることができました。

ただこの世界、便利なことも多い反面、面倒な部分もやはり存在します。韓国に嵌り込み情報発信に励んでいた時期には、”2チャンネル”という不可思議世界に住む住人からストーカー攻撃を受け難渋した時期もありました。

さて話題を本題に戻します。Facebookです。現在日常の出来事等を書き込んでいますが、敬愛する森高千里さんファン達との楽しいやり取り、高校同期や大学部活での仲間、そして地元足利市を盛り上げるために頑張っている方々等、概して有意義に活用できていると思っています。ただFacebookには過剰サービスというか、私にとっては「余計な機能」と思える部分もあります。例えば「お友達記念日」、それは2人で祝えばよいと思います。関係ない、その片方とは関係のない、”友達の友達”まで持ち出されても・・・。私は原則シェアしません。誕生日祝いもどうかな?と思っています。Facebook友達が増えれば必然誕生日も増えます。年がら年中誕生祝をしなくてはなりません。滅多に音信のない友達との挨拶、それも必要な部分もあると思いますが、そこは年1回の新年挨拶で済ませて頂きたい。年間通してばら撒かれる儀礼的お祝いメッセージは目障りに感じる時もあります。メッセンジャーとかで個人対個人で伝えれば良いことです。

以上、ま、他愛のない”愚痴”です。真剣に悩んで迷惑に思っているわけではありません。ただひとつ、今面倒に思っていることがあります。”シェア”です。これも利用の仕方次第、便利に使える機能ではあります。ただ「乱用」は迷惑です。最近Facebookお友達になった某氏、多い時は一時に10件近くのシェアを並べます。それも多くはネトウヨ的書き込みのシェアです。内容的には同感できる記事もあり、最初は一応読んでから選択していたのですが、なんせ数が多過ぎます。今ではすべて見つけ次第非表示にしています。そして1番に不満迷惑に感じているのは、彼の書き込みはシェア”だけ”なのです。自身の文章で意見表明することは無く、すべて”シェア”です。本人それなりに意見考え方は持っているのでしょうが、「シェアだけ」というのはあまりに安易です。本人の確固たる信念にも疑惑の目を向けたい気持ちになってしまいます。そういった自覚はないのでしょうね。「同感できる有意義な意見を拡散している」との意識なのでしょうか?Facebook上だけので繋がりならば、お友達削除してお終いですが、元々オフラインでの友人から新たにFacebook友達になった人ですので、その点で面倒なのです。ま、暫くは非表示対応で済ませます。「このような投稿の表示が少なくなります」との効果を信じて。

追記:Facebookの余計なサービス、もうひとつありました。「過去の思い出をシェア」 振り返りたい気持ちもわからないではありますが、「自分の頭の中だけで振り返っていてくれ~」との思いもあります。ひとの寂しがりや一面を捉えた手法なのかも知れません。

2018年9月20日 (木)

美術館巡りドライブ

昨日は家内とドライブ、というか千葉県佐倉市まで美術館巡りに行ってきました。大学美術部で知り合った家内、特別に熱心なわけではありませんが、一応”共通の趣味”ということで時々私に付き合ってくれます。美術館同行は先月初めのルーヴル美術館展以来、次回は藤田とボナールはパスでクリムトは一緒に行くそうです。

佐倉の美術館というのは「DIC川村記念美術館」、先月8日に来たばかりです。昨年も来ていますので今回で3回目です。家内に見せたい美術館であるのと、私自身はまだ観ていない所蔵品のあることが再訪の理由です。常設展示品が目的ですので、敢えて企画展のない時期を狙ってみました。常設展ですので私は65歳割引で800円、家内は1,000円。美術館敷地内の散策路も魅力的、1度スケッチにでも来てみたいのですが、中々そういった余裕ある訪問は機会がありません。もう少し近ければ良いのですが・・・。

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東北道から圏央道経由で休憩なしで2時間半、やっぱり遠いですね。圏央道、途中まだ2車線(対面交通)部分がかなりあり、その部分は追い越しできませんので不便です。PAもありませんし。それでも前回よりは少しだけ4車線(片道2車線)部分も増えたようです。おいおい便利になってくるのでしょう。

「企画展のない時期の方が所蔵品展示が多いだろう」と予想したのですが、前回ライリー作品を展示していた部分は閉鎖中、作品数自体は増えていませんでした。ただもちろん入れ替えはあり、初めて観る作品も何点か。家内が期待していたライリー作品は展示されてありませんでした。美術館入場口前にある飯田善國作品を撮ってきました。飯田氏は我が郷土:足利市生まれ、お隣館林中学(現館林高校)出身です。美術品収集選択におけるアドヴァイザー役割を担ったそうです。

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今回の美術館訪問、家内が楽しみにしていたのはもうひとつ、美術館付随のレストランでした。かなり洒落た、そして本格的なレストランです。ランチタイム(11時から)に合わせて、美術館を半分観てからレストランに移動しました。レストランは敷地内ではありますが無料公開地域内にありますので、チケット半券に再入場スタンプを押して頂き一旦退場します。企画展のある時には、企画展イメージに合わせて特別メニューが提供されます。前回ライリー展の折には、カラフルなデザートが用意されたようです。今回は常設展ですので普通のメニューです。パスタランチをお願いしました。写真の他に自家製パン・デザートと飲み物が付きます。

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食後美術館の残り半分を観て、千葉市美術館へ移動しました。元々は佐倉市美術館か千葉県立美術館を考えていたのですが、川村記念美術館でのチラシを見て方向転換しました。千葉市美術館は千葉市中央区役所内に併設されてありました。千葉市は母の故郷、旧千葉駅前には親戚も住んでいますが、すっかり様変わりして何処が何処だか全く判りません。子供時代訪れた千葉駅(旧千葉駅)付近は、足利市より少しだけ賑やかな程度、大きな違いは感じていませんでした。

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チラシにある通りテーマは”1968年”です。1968年、私は中学3年生でした。ですのでこの時代を体感したのはほんの少し上世代ということになります。それでも中3時、時々は美術展を観に上京していましたし、TVニュース等で学生運動やフーテン・アングラ等の話題・映像は目に耳にして暮らしました。高校バス旅行では「受験生ブルース」「自衛隊に入ろう」「友よ」とかを皆で合唱したものです。本気で「夜明けは近い」と思っていた節もあります。時代ですねぇ~。浅間山荘事件はTV生中継で見ました。三里塚闘争は、あまり実感の伴わない近くて遠い世界のものでした。東大闘争を経て、私の大学入学時には学生運動は盛りを過ぎ、母校ノンポリ青学は全く平穏無事、法政や明治ではまだバリケードや立看が健在で休講も多かったようです。

美術界的には変革革命の時代だったのだと思います。異端視され世間一般からは白い目で見られる”前衛”全盛期です。私の学生時代にも、大学演劇部にはまだ天井桟敷的模倣は残っていました。家内は展示に「疲れた~」との感想でしたが、確かに気忙しい疲れる展示です。それでも、先は見えないながらも「時代を作ろう!」との熱い意気込みの感じられる、「表現すべきもの」のある、作家としては意気盛んな時代だったのだと思います。描くべき強い悩みのない、”前衛の平凡化”した現代からは、寧ろ羨ましい思いも少しは感じます。

展示で唯一撮影可だったのは赤坂のディスコ「ムゲン」の当時の館内装飾を再現したコーナーでした。赤坂ムゲンは大学生時代よく通った場所です。ただそれは1975年以降、有名なディスコではありますが、有名になり過ぎて地方からの上京お上りさん客(私もその部類でしたが)が増えて”最先端”から”観光地?”に変貌した頃でした。館内雰囲気も再現とは全く異なります。ですので名前は懐かしいですが、再現装飾に懐かしさは感じません。

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美術館巡り、次回は「藤田嗣治展」です。その前に大学美術部先輩の個展があり、そちらも上京します。

2018年9月15日 (土)

8・9月のゴルフ

PC不調時以降のゴルフです。

まずは8月14日(火曜)、盆最中のゴルフです。地元仲間でのゴルフ、ゴルフ場はいつもの「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」でした。暑いさ中、「命に関わる」ほどではないにしてもやはり暑かった~。INスタートの前半は、1度も100を切ったことのない苦手コースの割にはまあまあの「52」で乗り切りました。+3が1ホールあったものの私としては大叩きのないゴルフ、パットも「15」で上出来、ショートを除く7ホール中6ホールでフェアウェイ維持、いいんじゃないですか~! という展開からご想像通り、OUT後半は暑さもピーク、風もほぼ無し、集中力が続きません。パーパットも緊張感無く(´;ω;`)ウゥゥ「ボギーでいいや」と思っているからWボギーになる・・・。上がりの2ホールはトリプルトリプル、耐えていた最後でOBも飛び出し「55」、やはり今回も100を切れない「107」で終了でした。

ゴルフ場でひとっ風呂浴びてからメンバーのひとりの自宅に直行、久し振りの麻雀です。初めての全自動麻雀卓、こりゃ便利です。学生時代大学の周囲は麻雀屋だらけ、部活仲間での定例麻雀大会もありました。時は流れ現在、大学周囲に麻雀屋は1軒もありません。地元に戻ってから何回か卓を囲んだものの、ここ10年ばかりは全く途絶えていました。符の数え方も忘れました。それでも打つ内に感覚も戻り、半荘4回の内2回でトップを取り総合でもトップでした。ゴルフと異なり好調の麻雀でした。終わり良ければすべて良し、です。

続いては8月26日(日)、高校同期3人で周った「レイクウッドゴルフクラブ富岡コース」、景色の綺麗なコースですがやたら池が多い。今回で3回目ですが、前回(4年前)は池に嵌りまくって大叩きの「124」でした。今回も池プレッシャーに弱く、スタートホールティーショットでトップしていきなりの池ポチャ。トリプルトリプルのスタートながらショートでの1オン1パットのバーディもあり、ボギーにまとめて前半ブルーコースは上出来「48」でした。後半はゴールドコース、やはりトリプルスタートでしたがその後はボギーで収めていたのですが、5ホール目で遂にやっちゃいました。ラフからの2打目は当たりは良かったものの右ラフの木に当たり右手前奥へ跳ね返り、更に3打目も木に直撃、打った位置よりも戻されて・・・。結局ロングのこのホール+6の「11」、気落ちしての連続トリプルも出て「57」で計「105」、これでもこのコースでは1番良いスコア。

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富岡からの帰途、出来たばかりの「佐野強戸PA」に立ち寄ってみました。パーキングの少ない北関東道路待望のPAです。レストランもGスタンドもあります。ETCがあれば出入りもできます。施設の両側に駐車場のある、上り下り兼用PAです。できたばかりですので観光バスで立ち寄るお客さんが多かったですね。以前は東北道の佐野SAに利用客が集中、混み合いましたのでこれで多少は分散しますね。

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直近ゴルフは9月9日(日)の高校同窓会ゴルフです。”生存確認”のために毎年開催とした同窓会も今回で11回目です。今年も2名の仲間の旅立ちが報告され、会初頭に黙祷を捧げました。皆64~65歳、それぞれに問題を抱えた方も多く、私も他人事じゃありません。男性の健康寿命(寝たきりでない)は平均で71~72歳です、動ける内にやりたいことはやっておきましょう。リタイアした人も年々増えていますが、「これで追々ゆっくりと~」とか考えている間はありません。出欠返信でも、体調の関係で欠席の方も数人見受けられます。ゴルフ会参加者は少なく7名でしたが、出来る内にやっておいた方が良いのに・・・と思います。

ゴルフ場は市内中心部から(河川敷コースを除いて)1番近い「足利城ゴルフ倶楽部」です。「足利城」というくらいですから昔々は城(時代が古いですので山城です。”砦”と言った方が近いかも)のあった地域です。最初は藤原姓足利氏、後に源姓足利氏(足利尊氏の祖先)、戦国時代には山之内上杉氏の家臣長尾氏が領有した城です。藤原姓足利氏は源姓足利氏との争奪に破れ東北に逃れます。別名「両崖山城(りょうがいさんじょう)」ですが、「両崖」は「要害」のなまったものとの説もあります。そんな要害の地ですので崖を挟んだ両側に張り付いたフェアウェイが狭くアップダウンのあるゴルフ場です。

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7名の内1人はその夜の同窓会を欠席ですので、会費無し賞品なし扱いですが、なんと、その1人が優勝してしまいました。よって2位が繰り上げ優勝となります。繰り上げ優勝と準優勝の2人がニアピン・ドラコン・ベスグロを独占、賞品をごっそり持ち帰りました。幹事であり賞品を用意した私はOB連発の「111」でBM、つまり最下位でした・・・。残念。

そのゴルフ場プレー中での会話ですが、「地球温暖化」が話題となりました。ひとりが「温暖化は太平洋高気圧、自然現象だから仕方ない」と、排ガス等での温室ガス効果を全否定するのです。これは意外でした。トランプ米国大統領と同じですが、トランプ氏の場合は実際にそう信じているのではなく、自国利害優先での政治的発言と思っていました。しかし身近にパリ協定的考え方を否定する人間が居たとは・・・。そういった確固たる説もあるのでしょうか?ちょっと判らなくなりました。

東京オリンピックに関して、「時期をずらして暑い夏を避ければ良い」との発言をしばしば耳にします。私はこの考え方には大反対です。主題はすでにOPではなくなっていると思っています。より大事なのは、一時期酷暑の東京に滞在する選手達ではなく、これからもずっとその地に住み続ける人間、日本人だと思うのです。「命に関わる暑さ」「酷暑」はすでに、今年の局地的大雨・台風・地震、同様、すでに災害の域に達していると思います。このまま放置すれば本当に(今でもですが)人の、特筆すれば北関東人の「命に関わって」きます。北関東の酷暑の要因のひとつは”東京の熱波”です。アスファルト・コンクリートで熱せられた熱、そして冷房排気熱は、上空に巻き上げられ北関東を熱します。まずは「東京を冷やす」政策が必要だと思うのです。道路の耐熱塗装はだいぶ以前に開発されています。しかしかかる費用が高いために実用化に至らずに来ました。その実用化を提言した都知事の発言に対しては、「たった1度のマラソンのために」と「無駄使い」と断じる論調があります。マラソンは「たった1度(男女合わせれば2度ですが)」でも、前述の通り我々はOP後もこの地に住み続けるのです。命の危険を冒して。耐熱塗装もミストシャワーも、また排熱の少ない冷房装置とか、1964年の東京OPが高速道路や新幹線を”OP遺産”として残したように、2020年のOPでも、酷暑対策をOP遺産として残して欲しいと思っています。一部でも研究・実用化が進めば、コストダウンやより効果の期待できる対策の進展にも繋がると思うのです。そのためには「酷暑の東京OP」は、その切欠としなければならないのです。

夕6時からは市内のイタリアンレストランでの同窓会となります。同期旧5組と6組との合同同窓会ですが、今回は旧1組からも1人出席、来年からは3クラス合同を予定しています。仲間は多い方が楽しい!会場のレストランは1年ちょっと前にできた新しい店です。安くて美味しい。元々は他の店で決まりかけていたのですが、たまたま家族で入って美味しさに感激、その場で会場変更を決めてしまいました。足利市朝倉町の「MONA」という店です。65歳前後のオヤジ達には少々不似合いな店ですが、美味しけりゃ文句も出ないでしょう。

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店のメニュー、私のお勧めは「バーニャカウダ」です。イタリア・ピエモンテ州を代表する料理、アンチョビ・ニンニク・オリーブオイル等を混ぜ合わせた暖かいディップソースに野菜を付けて食べる、フォンデュに似たメニューですが、私の少ない経験の中ではこちらのバーニャカウダが1番です!ただ、周りを見渡すと食している人が少なかった。後で考えたら、世代的に料理認知が無く、食べ方も美味しさも知らない人がほとんどだったのかも知れません。う~~む。

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恩師も含めて出席者は22名、新しい参加者、久々の参加者も数名居たのですが、常連拝欠席もあり昨年(20名)とあまり変わらない人数となりました。ただ、リタイア年代ですので来年からの出席を匂わせる返信もいくつかあり、来年は人数が増えるかも知れません。また、人数はほぼ同じでも顔ぶれが異なれば話題も増えます。他のメンバーは知らず、私はいつも以上に話題豊富に楽しく過ごしました。翌日が月曜日だったこともあり、2次会は4人だけでしたが、こちらも楽しく飲みました。さて鬼を笑わせましょう。来年のためにクラス名簿のない旧1組の連絡先を確認しなければなりません。1年かけて芋蔓探索しようと思っています。同窓会企画も、すでに私の”趣味”のひとつになりつつあります。

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