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2018年8月10日 (金)

DIC川村記念美術館

台風接近で荒天予報の8日、千葉県佐倉市の「DIC川村記念美術館に行ってきました。昨年に続き2回目の訪問です。来週からの東京でのグループ展を控えていて、出品予定3点目がまだ未完成、制作に没頭しようかとも考えたのですが、制作方針で迷っていたせいもあり、何か参考になるかとも考え思い切って出かけることにしました。高速利用で2時間半、ちょっと遠いです。できれば泊りで出かけたい、元々は家内と一緒で1泊旅行、成田観光を兼ねてと考えていたのですが、先月終わりに高齢の母が体調を崩し入院、7日に退院はしたのですが夫婦2人での外出は止めておきました。

館林ICから東北道・圏央道経由で向かいました。圏央道開通で多少は近くなったのですが、圏央道は未だ基本は対面交通(片道1車線、時々追い越し車線あり)ですので、前に遅い車が居るとそれに続くしかありません。だいたい80km前後での走行になります。追い越し車線以外で100kmを超えることはほとんどありませんでした。

美術館到着は12時半頃、台風直撃の恐れのあるため急遽閉館を早めて15時半までとか。危なかった。風は多少吹いていましたが雨は小雨程度、まだ台風の気配は薄い状態でした。

企画展はブリジット・ライリー展、英国人女流抽象画家(オプ・アート)です。現在80代後半、美人で有名でダリが心奪われた時期もあったとかなかったとか。4月から始まった企画展ですが、遠いせいもあり延ばし延ばしでしたがいよいよ26日で終了ということで、多少無理しても観たかった展示会です。

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下段3点は会場で買ったカタログから。真ん中と右は同じ作品です。「少し離れて見ると画面にない色が見える」という、錯覚を利用した作品だそうです。確かに白い線が離れると黄色に見えます。展示会には「ゆらぎ」という副題が付いていますが、確かに”揺らぎ”ます。じっと観ていると船酔いしそう。左端の作品は、会場の壁に直接描かれています。この展示会のために制作された作品、展示会終了後は塗り潰してしまうそうです。勿体ない・・・。因みにこのカタログ、ADC「原弘賞」なる賞を受賞しているそうです。立派な作りでした。価格も2.700円と高め。美術館カタログ本も欲しかったのですが、出費が嵩むので諦めました。ところが、帰ってみると美術館カタログは家にありました。昨年買って忘れていたらしい。危なかった~。coldsweats02

この「DIC川村記念美術館」は、大日本インキ化学工業㈱の2代目社長のコレクションを基に、3代目社長が設立したものだそうです。大日本インキって儲かってたんですね~!

館内放送で「2時から学芸員によるガイドツアーが~」とのことで、そちらも参加してきました。1時間少々。興味深かったのは、ライリー女史、自身では描かないそうです。今回の展示で本人が直接描いたのは最初の白黒作品1点のみ、他はすべて女史の指示の基スタッフが制作に当たったそうです。館内の壁に描かれた作品も、(ご本人が高齢なせいもあり)来日したのはスタッフのみだったそうです。「芸術家の仕事は構想そのもの」との考え方で、実際の作業には重きを置かない、というか技巧的に優秀なスタッフが居ればそれで充分、ということらしい。ウォーホルと同様ですね。

昨年、ヴォルス展を切欠に初めて訪れたこの美術館、その時はフランク・ステラの大作群に感動の渦でした。今回は2度目ですのでそこまでは行かないまでも、コレクションの充実度には驚かされます。次回は企画展のない時期に再訪して、まだ観ていない収蔵コレクションを観てみたいと思っています。展示会出品作品に即座に応用することは無理そうですが、刺激にはなりました。やっぱり行って良かったです。

美術館の建物は西欧の古城をイメージしてデザインされているそうです。名前は忘れましたが有名な建築家の作品とか。入口脇にはステラの金属彫刻と清水久兵衛の作品が左右に並びます。広い庭園も歩いてみたいですが、それだと1泊でゆっくり来ないと無理ですね。

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2018年7月26日 (木)

東京オリンピックマラソンコースでの「耐熱性舗装」

日刊ゲンダイに、「一度きり東京五輪 マラソン酷暑対策に血税100億円投入の愚」という記事が掲載されました。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233943/1
この記事に関しては、「命に係わる暑さ」の渦中に住む北関東住人としては異論があります。「OPは涼しい秋にやれば良い」同様、北関東など、都会の発する熱に迷惑している地域の住民を無視した狭視的論に思えます。熊谷や館林・佐野、酷熱に苦しむ北関東の気温を下げるには、東京の気温を下げることが必要なのです。「たった一度のマラソンコースに」とは言いますが、OP終了と共にその効果が失われるわけではありません。
「耐熱性舗装」は確か、もう10年以上も前に開発されていたはずです。しかし高い経費が災いして実用化されませんでした。残念なことです。今回OPを契機に部分的ではありますが実際に活用されれば、実際の場でその効果が検証されることにより、今後の技術開発やコストダウンにも大きな効果が期待できると思います。「思ったほど効果が出なかった」という結果ももちろんあり得ますが、それも前進のひとつだと思います。首都高速や新幹線は1964年の東京OPを契機として造られました。OPが無ければ設置はもっと遅れていたと思います。私達はOP終了後もこの地に住み続けます。「OPさえ無事に済めば良い」わけではありません。OPを契機として、都会温暖化対策(ミストサウナも。熊谷市駅前に設置されてありますが、限定的とはいえ効果はあります。)の進むことに期待をかけています。
トランプ氏や中国等の非協力的態度で、地球全体での温暖化対策の進むことは当分期待できません。日本は日本で、独自の対策を練る必要に迫られています。一昨日はお隣佐野市で、昨日は遂に我が街足利市でも熱中症による死者が出てしまいました。熱中症対策は緊急な課題なのです。高額な費用にも係わらず実施を指示した都知事の英断に感謝すると共に、OP限定のその場凌ぎにならないことを願い、高速道路や新幹線同様、「耐熱性舗装」がOP遺産として後に行かされることを祈ります。

2018年7月12日 (木)

2年振りの東北。

2年振りに東北・宮城を旅してきました。宮城は家内の故郷、といっても転勤族だった義父の事情で生まれたのは北海道(美幌・本人の記憶には無し)、幼少期は大阪で過ごし、小学校からが仙台です。ただ実家のあったのは宮城県北部内陸地、北上川沿いの登米市ですが、義父の教育的配慮での母子での仙台暮らしだったそうです。地元名士だった祖父の死去に伴い実家を継いだ義父は、登米市と仙台市とを行ったり来たりの生活、家内は登米市に住んだ経験は無かったものの、夏休みや冬休み、長期休暇は田舎で過ごしたそうです。私達の子供が小さかった頃は、家内に連れられて我が屋の子供達もこの北上川沿いの田舎町で夏の何日かを過ごすのが毎年の恒例でした。この春5月に義父の13回忌があったのですが、5月GWの東北道は尋常ではなく、こちらに配慮しての「地元家族だけで、」の法事となりました。で今回、家内と2人でのお墓参り訪問となりました。2年振りの東北旅行です。

7日10時頃に出発、北関東道経由で東北道を北上。いつも通り那須SAで1回休憩して仙台到着は15時頃でした。Line_1530934288491_2

7日の予定、まずは楽天生命パーク球場での楽天・西武戦です。16時プレーボールですのでホテル到着後慌ただしく出発、タクシーで球場へ。立派で楽しそうな施設ですね。(内は見てませんが)グッズショップも充実していそうです。当日の先発は懐かしの岸、この時点で勝ちは半分諦めていました。岸投手は元々が宮城県仙台市出身ですので、残念ではありましたが楽天への移籍は致し方なかったと、本人を思えば喜ぶべきなのでしょう。岸に会えるのは嬉しいですが、最下位球団にあっての防御率1位投手ですのでライオンズの勝てる可能性は低くなります。

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球場には続々とエンジユニの地元ファンが押しかけます。一般発売開始2日後にネット接続したのですが、土曜日とあってすでにほとんど満席状態でした。横並びの席が確保できず、やむを得ず縦並びの席になってしまいました。前席が家内、やっぱり不便ですね。

立ち上がり、岸はやや不安な状態ながら強力西武打線を2点に抑えましたが序盤コントロールいまいちで球数を使い7回で降板、一方西武多和田は好調で6回までを1安打に抑えます。一般には西武優位!に思えますが、西武ファンは別なことを考えます。「多和田出来過ぎ、この後大丈夫だろうか?不安・・・」、そして不安は的中します。6回まで完璧だった多和田が7回突然にに別人となり2点献上で同点、8回に栗山のHRで再び1点リードしたものの8回裏アマダーに打たれたところで降板、リリーフ不安の西武に暗雲が差します。家内友人との会食の予定があり、ここで球場を後にしました。7:3で「負けた?」との思いのままで。1点リードでは勝ちを予想できない今年の西武ファン・・・。

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しかし仙台での楽天熱は相当なものです。これまで千葉でのロッテ戦、神宮でのヤクルト戦などのアウェイを経験してきましたが、それとは全く異なります。一応ビジター席を確保したつもりだったのですが、周囲はほとんど楽天ファンで埋め尽くされています。西武ファンは飛び飛びぽつぽつと近辺には数人のみ。その中で西武キャップ・ユニでの観戦です。さすがに歓声は掛けにくい、旗も振り辛い。1枚目写真、中央右寄りに見える青の塊が外野自由席でのライオンズ応援団です。私の席の7~8列前に、岸ネーム入りライオンズユニでの観戦女性が1人いました。岸選手ユニ、他はもちろん全部エンジ色です。

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ホーム球場ならではの楽天応援企画も楽しそうで地元盛り上げは上手いですね。敵地ながら郷土愛楽天愛を感じられる球場でした。ライオンズレオ君も遠征してきてました。

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待ち合わせた家内の地元友人は中学・高校の同級生です。仙台を訪れる時は必ず会う親しい友人です。市内繁華街での居酒屋で会食、ここ暫くの情報交換・知人の近況等で花を咲かせます。酒の肴は、ダダ茶豆・ホヤ酢・カツオ叩き・煮込み等々地元の味を堪能しました。酒は地元の一ノ蔵。会食の初めには、スマホ画面にライオンズ3-2での逃げ切り勝利の報も。岸君にはお気の毒でしたが。Img_20180707_192535_2

Img_20180708_071453 仙台での2日目、7月8日の朝は暑くなりそうな予報、それでも蒸し暑くはなりませんでした。ホテルで朝食を済ませた後に義兄宅を訪問、久々のご挨拶をさせて頂きました。お兄さんも登米市に住んだ経験は無く、仕事の関係で仙台市内に住んでいます。義父義母共に亡くなって住む人の無い実家は先の震災で危険建物に指定されています。義兄も今後共実家に住む予定は無く、土地建物の扱いに困っているようです。

早々に義兄宅を辞しお墓・実家のある登米市へ。距離の割に時間のかかる行程でしたが近くまで高速が延びだいぶ楽になりました。墓は通りから少し登った草深い場所にあります。5月に法事があり義兄達が訪れ掃除したようですが、この季節ですのですでに雑草に覆われています。

Img_20180708_131628_4 Img_20180708_132508 お墓から実家に移動、現況を確認しました。義母が毎年漬けていた梅は拾う人も無く散らばっています。義父が丹精した庭も荒れています。ひとの住まない家は寂しいですね。蔵のひび割れ、2階の歪みも酷くなっています。壊すにも直すにも費用が掛かります。田舎ではそうそう売れるわけでもなく難しいですね。

気仙沼には義姉が住んでいます。「時間があれば」とは思っていたのですが、気仙沼は”陸の孤島”、宮城とは言えほとんど岩手県です。当日の宿泊は女川を予定しており、気仙沼ー女川往復は少々厳しい、今回は断念しました。親族は無事だったとは言え気仙沼も震災被害の激しかった土地、復興の具合を確認したかったのですが。

女川町にも家内は短期(2年ほど)ですが住んだことがあります。私は震災後は2回目、家内の住んでいた頃(35年ほど昔)にも1度訪れたことがあります。家内は震災後で3回目の訪問になります。宿は2年前と同じ”トレーラーハウス”です。大津波で流された地元旅館の女将が作ったホテルです。宿を再興させようと図ったものの建築許可が降りず、苦肉の策が”移動できる”トレーラーハウスだったそうです。2年前とは場所も異なっています。2年前は駅から離れた高台でした。今回は駅のすぐ近くが整備され移動してきています。宿泊棟は車付き、事務所やレストランは普通に地面に着いています。「宿泊設備は建築許可が降りない」ということのようですね。ともあれ駅近になって便利になりました。室内も綺麗で十分な設備です。

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当日も西武・楽天戦は接戦でした。好投の菊池雄星は9回を1失点に抑えましたが、楽天塩見も8回1失点の好投、延長戦に。10回表外崎・メヒアの連続HRで一旦は勝ち越しますがリリーフ・カスティーヨが打たれて再び同点。ここで家内がしびれを切らして止むを得ずTV観戦を中止して風呂へ出かけます。

野球は結局、この日も西武が危うく逃げ切り勝ちました。が、9回熱投の菊池の勝ちを消したカスティーヨが、11回の秋山のHRで(自分が打ったわけでもないのに)勝ち星を拾うという今のルールには納得できません。勝ち星を得るなら、どう見ても菊地でしょう。何とかならないものかなぁ?

津波被害で街の半分以上を削られた女川町、駅周辺は綺麗に整備され家内の記憶とは全く異なる街となっています。仙石線の最終駅、30数年前での訪問で、海を指して途絶える線路は印象的でした。その点では今も同じですが、駅舎は近代的になっています。駅舎に温泉設備が併設され、今回はそこを使ってみることにしました。2階にある温泉は男女別、中には湯舟が2つ、単純な造りです。今流行りの健康ランド的な温泉設備のようなジェットバスや炭酸湯等の設備はありません。蛇口は10個。宿の狭い風呂を使うよりはゆったりできますが、そこまでです。脇にはTVのある休憩所、1階には売店があります。

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夕食の場所を探して”シーパルピア女川”を周ります。女川駅前にできた近代的商店街です。夜は寂しい~。日曜日の夜、多くの店は閉まっています。昼間は多少は賑やか?なのかも知れませんが、泊まる観光客は少ないでしょうからね。2年前に訪れた「OWL」は閉まっていました。後で聞いたらオーナーが体調不良だったとか。「居酒屋カフェM」という店で夕食しました。海鮮メニューの少なかったのが残念。

Img_20180709_072818_2 Img_20180709_072830_2 翌10日は仙台でお土産買い、朝食後女川港をちょっと見て早々に出発しました。女川の街は相変わらずあちこち工事中です。高台に住宅地を造成中のようですが、住民は戻ってくるのでしょうか?震災での人口減比率の1番高いのが女川町です。

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仙台駅近くに車を停め駅ビルで買い物。牛タン・笹蒲鉾・ホヤ・ずんだ餅・そして一ノ蔵酒造の発泡清酒”すず音”、一ノ蔵は足利でも売っているのですがこれはありません。以前、東北復興支援イベントが足利で催された時一ノ蔵酒造が参加出品していた時に買って美味しかった発泡酒です。甘くてシャンパンのようなお酒です。昨夜飲みました。牛タン(真タン)も美味しかった!年々高くなるずんだ餅ももうありません。残るは笹蒲とビン詰めホヤ、今晩出るかな?しかし皆年々高くなります。焼き雲丹、美味しそうだったけど手が出ません・・・。

Img_20180709_122139 お昼は駅ビルで買った雲丹イクラ弁当、旨し。でも「ご飯にも雲丹を沢山混ぜ込みました」って、少なくとも”沢山”では無かった。

帰途、福島猪苗代湖奥の裏磐梯、「諸橋近代美術館」に立ち寄りました。スポーツ量販店”ゼビオ”の創業者である諸橋廷蔵氏のコレクション、造った美術館だそうで、メイン収蔵はサルバドール・ダリとなっています。ゼビオって儲かってたんですね。

ダリ作品は素晴らしいコレクションですが、英国現代作家パメーラ・クルックの作品も面白かったです。若手新進だった時代、オークション参加で訪れた英国でたまたま画廊を訪れ「全部」の大人買いしたそうです。作者も「映画のような出来事」と語っていましたが、ダリ1作を買うに比べたら安かったのでしょうが、さすがの先見眼でした。

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2018年6月25日 (月)

決勝トーナメントへの進出はあるのか?ありそう💛

セネガル戦、はらはらしましたが何とか引き分けに持ち込みました。これで最終ポーランド戦で勝つか引き分けで自力勝ち抜けできるまでになりました。「ポーランドに勝つか引き分け」、W杯開始前では絶望的に思えるほどの条件ですが、今では「易々と」までは行かないまでも、かなり確率の高い条件に思えるようになりました。初戦コロンビア戦での勝利は、棚から牡丹餅、天から頂いたプレゼント的な”ラッキー!”感の方が強かったのですが、今回は「日本の強さ」を感じた一戦でした。先取点を取られた段階では「まだまだ」との思いが強かったのですが、2度目の先行点には「ここまでかな・・・?」との諦め感も正直ありました。しかし選手たちにはそんな思いは無かったようです。日本を応戦しながら見縊っていました。こんなに強かったンですね、SAMURAI日本!自信に満ちた代表チームでした。監督交代が結果的には良い方に転びましたが、それ以前に、日本代表チームは強くなっていたのですね。しっかり自力は育っていた、それが監督交代を好機として表面に現れた、そういう事だったのだと思いました。日本の得点は2点とも、流れの中からしっかりと得た得点でした。知らない間に、日本代表チームは変わっていたのですね。

日曜日、足利市運動公園陸上競技場でのJ3栃木ウーヴァ対市原FCを観戦に出かけました。現在勝ち点で並ぶ同士でのJ3首位争奪直接対決です。結果は栃木の勝利に終わりました。これで単独首位、J2昇格の可能性も出てきています。そんな栃木ウーヴァを見ていて思いました。J2昇格前の栃木SC、JFL時代の栃木SCですが、それに比べ今のウーヴァは格段に強い気がします。きっと今のJ3とJFLとは別物なのでしょう。日本のサッカー自体が底上げされ、自然代表チームもレベルアップした、そういうことだったんじゃないかと思いました。

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栃木ウーヴァはお隣栃木市を本拠とするチームです。足利市での試合数も多く、来週も足利で試合があります。そこで心配になりました。昔のJFL時代の栃木SCも年2試合?だったでしょうか、足利で試合があり応援に行っていました。それがJ2に昇格になり足利での試合が無くなりました。競技場がJ2規格に合わないようです。ウーヴァはどうなのでしょう?仕事でお酒でお世話になった先輩の会社がメインスポンサーになっている縁もあり観戦に来たのですが(昨シーズンも1回)、今日の試合を見て「また来週も」と思っています。足利での試合の無くならないことを祈りつつ、栃木ウーヴァの奮戦を祈ります。

2018年6月18日 (月)

またまた矯め込んでしまいました。

前回書き込みが5/19、その後もあっち行ったりこっち行ったり歩き回っていたのですが、書き込みさぼり続きです。やはりFacebookにちょこっと書くとそれで済んだ気になってしまうのですね。でもFBはやはり流れて行ってしまいますのでこちらにも留めたいと思います。

まずは最近の上京に関して。展覧会関係での上京が続きました。5/24は来年に予定されている4人展打ち合わせ、4月にもやりましたが、今回はもう少し具体的になります。4人で候補画廊に集結、壁面構想を練ります。広さとか価格とか時期とか。その後近くのレストランで食事しながら打ち合わせ。まず、会場画廊は見学した画廊に決定、時期は来年11月上旬に。あとはそれぞれの出展数とか。まだ1年半ありますが、のんびりしているとすぐその時期になってしまいます。私自身絵画制作に復帰して1年ほど、ようやく油彩を描き始めたばかりです。筆捌きは意外と憶えているものです。ただ、画想イメージは戻りません。最初は「何を描こうか?」画題を探す状態でした。学生時代はそんなことはありませんでした。描きたいもの描きたいイメージが次々と現れ、描く方が間に合わず書き損なったイメージも多々ありました。画題を迷う暇が無かったのです。それが今では逆ですので6月に復帰してからの作品は、すべて具体的なもの、静物画・風景画に限られています。具体的な”もの”が目の前に無ければ描き進められません。それでも描き続ける内に、少しずつではありますが、「描きたいイメージ」も浮かぶようになってきています。若い頃そのままに戻るはずはありませんが、歳は歳なりに、描きたい”欲求”は必要です。画面に再現するのは静物や風景の”もの”ではあっても、描きたいのはその”もの”そのままでは無く、そのものを観ている自身の”心・想い”なのですから。

Img_20180618_174202 復帰第1作。昨年6月、パステル画講習会での初日作品です。クレパスは以前以前何作か描いていましたがパステルは初めてでした。

19758 昔描いたクレパス画。この頃の方が色彩も形も実際の風景に囚われることなく、自由に指が動いた気がします。

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20171027_10 20184_f6_4 20184_f6_5 クレパスとパステル、同じようでいてちょっと異なる画材です。最初は色の乗りの違いで戸惑いましたが、段々と慣れてきて多少は自由に描けるようになってきています。最初の頃の絵は見るからに”硬いですね。

201712_f8_3 20181_f10_3 20181_f8_3 アクリルは以前に1~2点描いていたはず、けれどどんな絵を描いたのか憶えがありません。乾きの速さには逆に扱い難さを感じた一面もありますが、筆捌きは油彩と同じですので慣れるのは早かった気がします。復帰後5点描いていますが、1点は気に入らず潰してしまいました。

20181_f10_7 潰した作品がこちら。昔のイメージを追い求め、未消化のままに描いてしまいました。内に無いものを形だけで描こうとするとアンバランスな作品になってしまいます。学生時代でも描いて潰した絵は多々ありました。当時はキャンバス代節約という経済的理由もありましたが。

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1981_mioumiouno4_b5_5 Img_20180204_221047_3 こちらが旧作、キャンバスに描き留める間もなく描き散らした感じでした。描く”欲求”に満ちた時代でした。

Img_20180513_113018 油彩は画材を新たに買って来て、ようやく1作仕上げたばかりです。画材としてはやはり1番合っている気がします。

1977_f8_4 19768_f8_5 こちらは旧作、比べてどうでしょう?やはり今の方がまだ硬いかなぁ?

やはり人物を描きたいと思っています。ただ周りに若い女性がうようよ転がっていた?(笑)  あの頃と異なり、モデルには苦労します。キャンバス地塗りだけはしたのですが、作画は7月の地元美術協会主催の裸婦デッサン会後になりそうです。まだまだ頭の中だけで人物を描くのは無理です。最後に若い頃に描いた人物系作品を羅列しておきます。少しはこれに近いイメージで、年齢なりに熟した味を加味して(笑)描きたい。

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1979_8 Img_20180131_172201_2 Img_20180205_073150 因みに最後の作品は20代の頃の家内です。coldsweats01heart04

Img_20180607_103550_2 段々イメージも涌いてきましたので、キャンバスは買って来て地塗りは済ませてあります。F30にP40、そして10号12号が3枚、そして小品4号が描きかけです。

オマケ:この日打ち合わせを行った「近くのレストラン」ですが、こちらも曰くがあります。学生時代、仲間が集って事ある毎に飲みに通った洋風居酒屋がありました。すっかり風景が変わってしまいましたが、渋谷の、今のマークシティの建っている辺りだったと思います。私達より10歳ちょっと歳上のマスターの経営する店でしたが、気が合い打ち解けて、暇な時には店を閉めてしまってスタッフと一緒の飲み会になったりもした、青春時代想い出の店でした。再開発で渋谷店を閉めましたが、その後原宿や青山・広尾・白金等々、レストラン中心に店舗展開、あっちを閉めこっちに新店舗と精力的に経営を続けていました。現在では恵比寿のレストランと渋谷の飲み屋との2軒体制です。マスターご本人は半ば引退、息子さんが経営を引き継いでいます。打ち合わせ終盤、電話をしてみたらご本人が来てくれました。私は久し振りの再会です。4人展の4人はもちろん、家内も含めての当時の仲間達、青山や芝浦や聖心や上智など、大学美術部に属して付き合いのあった仲間達常連の店でしたので、来年11月の展示会の折には、そんな仲間達が集い再会する場所になると思います。それも楽しみ。lovely Img_20180524_183128

2018年4月29日 (日)

我が家の庭

庭の花が春から初夏へ、彩を移しています。4月初めには牡丹・パンジー・マーガレット・ハナニラ、おまけでタンポポ。藤の花芽も膨らんできています。

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20日過ぎにはクレマチスが咲き始めました。椎名林檎の歌に因み買って来て植えた花です。毎年綺麗に咲いてくれます。妖艶で色っぽさを感じさせる花、楽しみにしている花のひとつです。

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茂り過ぎたので昨年多めに剪定した藤、切り過ぎたのか今年は花が少ないです。鈴蘭は朝露に濡れて愛らしく、家族の目にも付かない庭の奥にひっそりと咲いています。雑草取りをしていたら様子を見に来た家内「あらこんなとこで咲いてたのね」「そう、誰にも気付かれずひっそり」「私みたい」だって・・・。

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薔薇も咲き始めました。先の蕾が26日、右は今朝の写真です。私の誕生月5月の花、とのイメージが強いですが、薔薇も今年は早く咲きました。百合も茎が延び、次に控えています。

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一昨年に父が亡くなりました。89歳と言う天寿に近い年齢ではありましたがやはり寂しくなります。葬儀での沢山の花や果物盛り籠、以前は単に”習慣”として、寧ろ無駄なようにも感じる部分がありました。しかし父の亡くなった後の花や果物には、何か慰められる気持ちがありました。普段はやや贅沢品で、頂くことはあっても自身で買うことはない果物盛り籠、甘い果物も、何か一点欠けた家族空間を癒してくれます。居間や仏壇・玄関の花、父の亡くなった後では、母の買ってくる花の量が5割増しになっています。やはり寂しさを埋める役割を持っているのでしょう。”習慣”は習慣として始まったわけでは無く、”必要”な理由があった始まったのですね。しかし咲いた花は散るもの、花瓶の花は「また買って来れば」という”商品”感覚がありますが、庭の花の散るのには儚さを感じさせられます。癒しと共に、”生”の無限でない事を指し示されている気がします。季節は廻ります。ひとの人生も巡ります。いつの間にか自身も、老齢と言われる歳に近付きつつあります。

2018年4月21日 (土)

初恋の人に逢ってきました。

昨日金曜日、東京へ行ってきました。日帰りです。

まずは北千住乗り換えで乃木坂駅、国立新美術館へ。「至上の印象派展 ビュールレコレクション」、”世界で最も有名な美少女像”と言われるルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が来日しています。中学生時代に画集で観て恋してしまった作品です。ま、美術好き若者ではそういった人も多かったと思います。

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個人的には全盛期の、あのふわふわしたルノワールの作風はあまり好きではありません。初期のものの方が好みです。国立西洋美術館にある松方コレクションの「アルジェリア風のパリの女たち」とか。しかしイレーヌ嬢、とても”8歳”とは思えません。日本的には15~16歳ですよね。持っていたイメージよりは少し小さめな作品でした。2枚目写真は会場でお土産に買った印刷写真(A4位?)です。こういった画像写真を買ったのは高校生時代以来かも?

ビュールレコレクションはスイス人実業家が集めた、印象派作品を中心とした壮大なコレクションです。セザンヌやマティス等の初期作品も観ることができました。一般的に知られる作風の完成する前に、すでに才能の芽を見通して確信していたのでしょうか?素晴らしいことです。展示作品は、近代絵画の萌芽ドラクロワに始まり、シスレーやマネ、モネ、そしてドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと続きます。原田マハの小説に登場する、チュチュを着たドガの小さな踊り子のブロンズ像もありました。”原色の画家”と言われるゴッホ、彼の作品が決して原色で描かれていないことがよく判ります。混色にかなり白が多投されています。寧ろ原色が感じられるのはゴーギャンの方かも知れません。展示の最後はフォービズム・キュビズムで締めくくられています。この段階で見ると、ピカソよりもブラックの方が才能の息吹を感じることができます。ピカソにとってはキュビズムも通過点にしか過ぎなかったのでしょう。

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今回の展示の目玉のひとつが、これまでスイス国外に出たことが無かったというモネ睡蓮の大作です。4x2mの大作で迫力はありますが、やや散漫な感じもあります。作品の充実度から言えばより魅力的な睡蓮は他にあるように思いました。展示作品中ただ1点、写真撮影が許可されていました。

地下鉄駅に戻り2番目の目的地に行くべく二重橋駅へ。「三菱一号館美術館」です。展覧会は「ルドン 秘密の花園」です。オディロン・ルドンはフランス・ボルドー生まれの幻想画家、私の特に好きな画家のひとりです。鉛筆やリトグラフでの黒白の時代と油絵具やパステルで描かれた色鮮やかな作品の時代とがあります。私の好きなのはもちろん後者の時代です。学生時代に好きでよく使ったエメラルドグリーンやプルシャンブルーは、ルドンの影響もあったように思います。

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今回の展示の目玉は、ルドンの才能を評価して自宅ドムシー城の食堂壁画を依頼したドムシー男爵、その食堂壁画です。一堂に会した作品群は、その多くがオルセー美術館の所蔵となっていますが、その中心ともいうべき巨大パステル画「グラン・ブーケ」が三菱一号館美術館の所蔵となっています。撮影はもちろん禁止ですので写真はサイトからお借りしました。

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三菱所有の古いレンガ造り建物を補修利用しての美術館ですので、ドムシー城の様相は知る由もないのですが、貴族の館の食堂壁画として描かれた作品と非常にマッチして、通常の美術館で観るのとはきっと異なるのだろうと思えます。ルドンの色彩とインスピレーションに包まれて、とても幸せな時間でした。こういった感動は滅多にありません。昨年の川村記念美術館以来の感動です。ただ、ステラ作品に心揺り動かされたその時とは、感動の質は大きく異なります。やはり”幸せに包まれた”との表現が一番マッチする気がします。

パステル画作品の何点かのポストカードを、パステル画会の会員皆さんへのお土産に買って帰ろうと思っていたのですが、目を付けていた作品のすべてが「売り切れ」でした。残念。

山手線で渋谷へ移動、母校に立ち寄ってきました。事前にTwitterでお願いして、懐かしい部室を覗かせて頂くことになっていました。部室は1975年当時と同じ場所に同じようにありました。入学した1973年には2号館裏にあったプレハブ建物が部室でしたが取り壊しが決まり、私達が役員学年でしたので学校側との交渉に当たりました。色々と注文条件を出したのですが、比較的好意的に条件は受け入れて貰ったと思います。それから43年、内部の壁は綺麗に塗り直してあったものの、構造も雰囲気もほとんど当時と変わってはいませんでした。入口ドアに刷られたシルクスクリーン文字は、展示会ポスターや住所録表紙等の試し刷りでした。多くは私の現役時代のものです。塗り潰さずそのまま残されていたのは嬉しかったですね。

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この日最後の予定は友人との飲み会です。ただの飲み会では無く、展示会の打ち合わせが主目的での集まりです。1976年に仲間4人で銀座で4人展を開催しました。同じ青学美術部3人と芝浦工大美術部1人での4人展です。当時美術の中心地は”銀座”というのが定番、銀座での展示会はかなり背伸びした企てでした。それから40数年、長らくお休みしていた絵画制作を復活、昔の若者もすっかり歳を取りました。そして昨年、「もう1度4人展を、」という想いが沸き上がってきました。それを現実化するべく、当時の4人が渋谷の酒場に集まったわけです。一応開催は来年秋を目標に、作品制作に励むことになりました。メンバー2人が少し調べて、会場となる画廊も候補が上がっています。今年中に予約して準備に入ることとなると思います。すっかり鈍ってしまった筆も磨かなくてはなりません。来月にもう1度集合して、候補画廊を4人で見て周り検討する次第です。

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↓の写真は、4人展復活の切欠となった、ひょいと出てきてしまった昔の案内ハガキです。4人展名称は奮っています。若気の至り、今となっては恥ずかしい名前ですが、そんなバカもできた時代が懐かしいです。

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2018年4月19日 (木)

同窓会

どうも書き込みが遅れてしまいます。今日は先週14日(土)のお話し、中学時代の同窓会です。

同窓会、高校同級生でのものはここ10年毎年開催しています。その10年前の同窓会が久々の20年振り位での開催でした。同級生住所を確認している段階で数か月前に級友が急死していたことを知りました。それ以来「もう何があってもおかしくない歳」ということで、”毎年同窓会”が提案され今日に至っています。一昨年からはお隣クラスとの合同同窓会となっています。今年も秋に開催が予定されています。

さて今回は中学校での同窓会です。開催は5年振り、前回が”還暦同窓会”、今回は”年金受給同窓会”です。田舎地方都市では珍しい私立中学校、幼稚園・中学・高校があり、私の卒業後ですが大学もできています。1学年2クラスだけで(英才教育方針で)授業毎での入れ替えもありましたので、1組だったのか2組だったのか、大半の生徒は憶えていません。ですので同窓会も学年単位です。当時の在校生54名の内物故者2名、残り52名の内住所の確認できている39名に案内状を送付しました。今回の出席は少々少なめの17名、先生2名(案内状送付7枚)と合わせて19名での同窓会でした。5年間が空くと前回住所では返送されてきてしまうものもあります。こちらも、今後はもう少し間隔を狭めて開催したいと考えています。

同窓会会場は市内の和風海鮮料理屋さんでした。少々高めではありますが新鮮な魚介類が提供されます。料理5.000円、飲み放題コース設定はありませんので、飲み物は実費精算です。「皆歳だからそうは飲まないだろう」と7.000円で会費設定しましたが、1万円近くの赤字が出てしまいました。500円ずつ徴収するのも面倒、今回は幹事負担してしまいましたが、私自身も楽しみましたので苦な負担ではありません。惜しむらくは中学校当時恋心を抱いていた女性が欠席だったこと。coldsweats01

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今回は5年前より数名少ない参加者数だったのですが、1名、久々(多分20年以上逢っていない)の参加者がありました。1名だけでもこれは嬉しいものです。もうリタイア者の増える年代ですので、健康である限り(これが1番の問題ですが)参加者は増えるものと期待しています。

今回欠席者の中には、先月にご主人を亡くされての欠席もありました。生徒での新たな物故者は居ませんでしたが、恩師のひとりが3年ほど前に亡くなられていたことを知りました。出席同窓生の中に仏僧が居ますので、乾杯前に般若心経読経でご冥福を祈らせて頂きました。私自身、昨年には初めての入院・手術を経験、死を身近に感じた時期もあったものです。そういった健康面での話題はどうしても多くなりますね。同じように癌手術経験者は数名居ましたし、それ以外に持病を抱えている方も多くなります。やはり次回は2年後位には開催したいものです。それくらいなら住所変更も確認し易いですし。

夕6時開始で8時半頃に中締め、私馴染みのスナックでの2次会に移動しました。参加は先生1名を含む13名、思ったより集まりました。時節柄歓送迎会が多かったようでタクシー待ちで最後に到着、そのくせカラオケ歌い出しを求められました。「諸葛が歌わないと皆が歌えない」とはどういう意味?上手い奴が初めに歌うと後が歌い辛い、ということ?ま、しょうがない(その実カラオケ好き)と選んだナンバーは「私がオバさんになっても」、このブログを読まれている方はご存知でしょうが、私森高さんファンです。自身好みから言えば他の曲を選択したかも知れませんが、ここは森高素人さん向けに定番曲にしておきました。それまで誰も歌っていなかったのに、私の後には続々歌い始めます。やはり私の後は歌い易い?

翌日にはゴルフを控えていましたので、飲み会で途中退場は珍しいのですが今回は”お先失礼”致しました。次の企画は秋の高校同級同窓会、ゴルフ会企画も含め”幹事”も私の趣味?のひとつになりつつあります。happy01

2018年4月 2日 (月)

我が家の庭の春

春が来た! 我が家の庭にも。

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藤の木にも春の予感。細長いのが葉芽、やや丸っこいのが花芽。毎年連休前には咲きます。

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近くの小学校の桜。今はもう葉桜になりかけています。

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2018年3月22日 (木)

ゴルフ、困ったチャン

ゴルフも相変わらずやってます。3/05「栃木ノースヒルズゴルフコース」、3/17「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」、3/18「吉井南陽台ゴルフコース」と3月は3回、しかも後の2か所は連荘でした。「栃木ノースヒルズ」は初コース、以前は「太郎門」という名称で武家屋敷のような入口門が印象的です。ゴルフ場の並ぶ”ゴルフ街道”国道293号を通る度に門が目に付き気になっていました。「ひとり予約」でのプレーでしたが初対面メンバーとも和気あいあいと周れました。ひとり予約では元々”人付き合いの苦手”な人は申し込まないでしょうから、ニガテ系の人に出会ったことがありません。コースはトリッキー系、見かけは狭いわけではありませんが、フェアウェイセンターを外すと凸凹小山群や坂下に吸い込まれライの悪い位置から打たなければならなくなります。グリーンはかなり砂の入ったホールもあり、ホール毎に速さが異なり戸惑いました。

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「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」は2番目にプレー回数の多いゴルフ場、なれど1度も100を切ったことがありません。ベストは確か101、今回も前半に大叩きして113という成績でした。今回はフェアウェイウッドでのミスが多過ぎました。梅が満開、花粉も満開でした。coldsweats01 私は花粉症はないので大丈夫でしたが、同行者は大変そうです。

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3ヵ所目の「吉井南陽台ゴルフコース」は高校同期でのゴルフコンペでした。年2回の開催で今回で17回目になります。私が毎回幹事役を受け持っています。このゴルフ場は2回目、前回は2011年でした。高校同期会でのコンペ、だいたい2組か3組で開催されてます。今回も3組で予約しましたが集まりが悪く2組8名に予約変更。しかし更に、メンバー表を載せた最終確認ハガキ発送後に3名のキャンセルが出てしまいました。2組5名というのは1番困る人数です。しかも賞品手配をゴルフ場にお願いしてありました。一応直前キャンセル対策として、賞品をゴルフ場にお願いする場合もニアピン・ドラコン等は直前に自前手配、ドタキャンのあった場合は余った順位賞品を横流しして調整するようにしています。しかしそれも3名ものキャンセルのあった場合は追いつきません。その点では今回、ゴルフ場スタッフの温かい対応に助けられました。ツーサムになる組も割り増しはありませんでしたし、パーティ予約人数変更、商品数減少にも対応して頂きました。余った賞品の一部でキャンセルできないものは、スタッフが買い取ったものもあったようです。誠に申し訳ありません。お陰様で赤字も最小限で収まりました。またこういった場合、適時対応して頂いても、どうしても表情には困った感が出てしまうものですが、そういった雰囲気は一切なく、親切丁寧に対応して頂きました。スタッフの一生懸命感が素晴らしかったです。レストランスタッフの接客対応も暖かく、湯舟が無くシャワーのみとかロッカーが安っぽいとか、設備不満を忘れさせる効果も満点です。(笑) それだけでも再訪価値のあるゴルフ場だと思いました。ありがとうございました。

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表題の「困ったチャン」、ドタキャンしたメンバーを指したものではありません。葬儀やお母さんの骨折等緊急で止むを得ない事情です。困りものは参加メンバーのひとりです。元々他者が見えない、気遣いのできない(本人はそうは思っていないのですが)部分があるのでツーサムになってしまった後組から入れ替えて私と同組にしました。参加メンバーの中では一番親しい私が面倒見ないといけないかな、と。そうして始まったプレー、やはりトラブルはありました。他人のボールには無関心、見ていない・記憶していない男ですのでその意味でもツーサムは無理です。あるホール、私のボールが右側に外れOBの恐れのある山林方向へ。取り敢えず暫定球を打ちました。困ったちゃんAのボールも右側に、しかも私の使用球と同じ黄色ボールです。ここで読者の皆さんは「誤球?」と当たり前の想像をされると思います。さにあらず、そんな常識内の出来事ではありません。

私は取り敢えず暫定球2打目を打ってからとフェアウェイセンターへ。私のボールを探しに行ってくれた同行メンバーBが遠目に黄色ボール2個を発見、そばにいたAに誤球しないように「自分のボールを確認して打って」と声掛けしました。すると自分のボールを確認したAは、もうひとつのボールを「拾い上げ」「ポケットに入れた」のだそうです。Bに注意されボールは元に戻しましたが、元々他人のボール行き先を見ていないA、私のボールだとは思わず、彼の感覚だと「綺麗なボールが”落ちている”貰っとこう」なのでしょう。それが私のボールでなくても、完全なOB位置に散らばっているなら兎も角、コース内ラフにあるボールは隣接ホールからのものかも知れず、勝手に「貰っとこう」はマナー違反です。Bが見ていてくれなければ、私のボールはOBと判断されたでしょう。

しかもこれ、初めてではないのです。以前にもありました。他のゴルフ場ですがその時はAと私のボールがコース左側ラフ、落ち位置は判りましたのでまずは私は、右側坂下に落ちた他の同行メンバーの球を探しに行きました。その後自分のボールのあるはずの場所に行ったのですが見つかりません。結局ロスト2打罰でプレーを再開しました。私がボールを探していたのはAも承知していたはずです。その後数ホールを経たところで、Aが私と同じボールを持っているのを発見しました。東京で買ってきた珍しいデザインのボールです。地元のゴルフショップでは売っていません。「それどうした?」と聞いたところ「拾った」とのこと。他人のボール行き先を見ていないA、私が最初に右側に行ったことで「左は俺だけ」「落ちているボールは持ち主無し」と判断したようです。私だけで2度の経験です。もしかすると以前にもあったかも知れません。無くなるような位置ではないボールが見つからないことは屡々あります。もうなると過去のロストにも疑いが及びそうです。何より、前例に懲りていなかったことが信じ難い思いです。

Aは他の出来事でもBに注意を受けていましたが、後半はヘソを曲げたのか無口になり、ピンも抜かなくなりました。プレー後は会費は払っていったものの賞品辞退でパーティ出ずに帰ってしまいました。ついでに他の同期生が主催する来月のコンペ、すでに参加表明していたのですがそれずらキャンセルして。まるで小学生です。2週間ほど前に、飲みに誘って私が少し説教した(ゴルフ以外のことでです)ことも、影響していたのかも知れません。「こんな調子じゃ友達無くすぞ」と”友達として”説教させて貰いました。「そんなことねぇ」とは言っていましたが、仕事から離れることも近い年代です。リタイアしてしまえば、”友達として”の説教もできない、無難に表面だけで付き合っているような友人達は即座に離れて行ってしまいます。私自身、ボール事件は兎も角として、その後の態度には失望しています。私の説教が身に染みていないなら、これ以上立ち入る必要もないでしょう。本当に「友達を無くした」後でないと気付かないのかも知れません。

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