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2017年3月30日 (木)

”刀剣女子”がやって来た!

今週末4月2日まで、地元足利市の足利市立美術館にて「山姥切国広展(http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017kunihiro.html)」なる企画展示会が開かれています。戦国時代の刀匠・堀川国広の代表作と言われる、重要文化財「山姥切国広」が展示されています。以前、国広が足利学校で打ったとの、足利市民財団所蔵の短刀「布袋国広」が同美術館で展示されたことがあり、家内と訪れました。その折、”刀剣女子”という言葉を初めて知りました。刀がイケメン男子に擬人化された「刀剣乱舞」なるゲームがあり、その流れで刀剣に興味を持った女性達を”刀剣女子”と呼ぶとか。「布袋国広」展示の折にも、それらしき、普段市立美術館ではあまり見かけない若い女性客をチラホラと見かけました。今までも”御朱印ガール”とか”歴女”とかの話題がマスコミで取り上げられましたけれど、私自身御朱印帳は持っていますが、それらしき姿に遭遇したことが無く、「珍しいから」「少数だから」話題として取り上げられるだけ、との認識でいました。それが今回は大きく事情が異なっていました。

展示会初日、「入館4時間待ち」との、全く予想外の情報が入ってきました。それ以降でも、美術館周辺はもちろん、駅から美術館へ向かう道筋、足利学校周辺等でも、”刀剣女子”らしき姿を平日でも頻繁に見かけるようになりました。展示会に合わせた”國廣メニュー”提供の飲食店では、昼時に長蛇の列のできているのも目撃しました。人口減少、ドーナツ化、そして地方都市特有の車社会ですので、普段の街中は歩く人をほとんど見かけません。こんなに歩く人を見るのは、13年の森高千里さんライブの折以来かも知れません。それも、森高さんライブの折は2日間のみライブ会場への行き帰り時間のみですが、今回は会期中ずっとその状態が続いています。会期当初の「4時間待ち」対策として会期途中からは整理券の配布が始まり、指定入場時間までは市内散策に出歩けるようになり、足利学校や鑁阿寺等でも広く”刀剣女子”を見かけるようになりました。30年?も昔に一時「信長の野望」に嵌った時はありましたが、それ以降ゲームに夢中になったことはなく、今回の事態は想像の他でした。

28日の火曜日、話のタネに美術館へ行ってみることにしました。午前中は混み合うだろうからと午後ゆっくりに出て、到着は午後3時頃でした。しかしこれがまた事態を軽く見過ぎていたことになります。平日にも関わらず、入館できるのは早くに来て整理券を得た人達のみでした。整理券配布で館外に人込みはありませんが、館内には「午後3時入場」の整理券を持つ人の列ができています。

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もう入館はできないわけですし、元々刀剣には差ほどの興味を持つわけでもなく、興味の方向は”刀剣女子”にあったわけで、残念な気分もあまりなく美術館を後にしました。後は刀剣女子ウォッチング、市内をブラ歩き、鑁阿寺を目指します。

途中「ハマダプラザ(旧ハマダレコード)」店内を抜けてみました。ここの社長さんは今回の「國廣降臨」企画の中心人物の一人です。店内カフェは刀剣女子で埋まり、オリジナル関連グッズ「刀剣クランチチョコ」や刀剣乱舞関連のグッズ賞品が並んでいました。重要文化財・山姥切国広は個人所有です。その出展を粘り強く交渉してきた美術館関係者、そして商店会を動かしポスターや旗指物の制作や設置を行った浜田さんを始めとする方々、その苦労は並大抵ではなかったものと想像します。”街興し”は行政頼みでは決して成功しません。こういった現場の方々の地道なご苦労の上にしか成立しないものと思います。

今回のイベント盛況の要因は、もうひとつ重要なものがあると思っています。それは「足利」という街そのものが持つ歴史です。単に「刀の展示会」だけではこれだけの盛り上がりにはならなかったと思います。山姥切国広所有者が展示を許可下さったのも、堀川国広所縁の足利学校のある足利だったからこそでしょうし、訪れる”刀剣女子”の皆さんにも、鎌倉・室町の風情を残す足利学校・鑁阿寺の存在は欠くべからざるものであったと想像します。地元に住む人々にとっては当たり前の日常で、単なる田舎、地方都市にしか過ぎないのですが、こういった時には、文化資材に恵まれた土地柄なのだと、思い知らされます。鑁阿寺にも足利学校にも、多くの”刀剣女子”の姿を見ることができました。

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ちなみに、足利学校内にある森高千里さん植樹の藤、今年は花咲きそうです。時期は4月下旬から5月初めでしょうかね?

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2017年3月18日 (土)

車買い換えました。

1月の末に、14年10ヵ月、14万数千キロ走った愛車とお別れしました。TOYOTAのライトウェイトスポーツカー、MR-Sでした。色は白、2シーター1,800cc。あまり大事には扱わなかったので内も外も傷だらけになってしまいましたが、随分と楽しませて貰いました。手動のオープンソフトトップですが、徐々に生地がゴワゴワになってしまい、最後の数年は破れてしまいそうで怖くて開けることができませんでした。元々日本では、雨が多いし夏は暑いしで、オープンで楽しめる季節は短いのですが、その短い季節での爽快感はひとしおでした。寒い中、革ジャン着て走る冬のオープンも味なものでした。

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そんな愛車も年を経て疲れも見えてきました。手を入れてやればそれなりに走れるのですが、性能維持には費用もかかりますし経年車両は保険料も高くなります。半ば引退して年金生活に入ってしまっていますので、経費節減の必要もあり買い替えることにしました。ただ、「買い替える」ことを決めて「さて、何にしようか?」と迷い選んだわけではありません。寧ろ逆でこの車が発売されたので買い替えることに決めた、つまりは「欲しくなってしまった」というのが本音でしょう。HONDAのS660です。軽ですので税金は安くなりますし燃費も大幅に向上します。家内を説得するには好材料、一応の名目は立ちます。しかし、なんやかんやで購入費用は250万円ほど、普通車を買える金額になってしまいました。発売当初は半年以上待たされたそうですが、オーダーから3ヵ月で納車されました。色は当初は黄色と赤で迷ったのですが、ま、歳も考えて地味にグレーに決めました。

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”フル”ではなく”セミ”オープンで、手仕事での取り外しのソフトトップです。今日初めて取り外して走ってみました。フルオープンに比べると開放感は限定的ですが、高原でも走ってみればそれなりの爽快感は味わえそうです。これからの季節、ゴルフドライブが楽しみです。バゲージはありませんのでキャディバッグは助手席ですが、それはMR-Sでも同じでした。購入前、助手席にキャディバッグの入ることは確認済みです。

学生時代は東京で過ごし就職もしましたので、免許を取ったのは田舎に戻って必要に迫まれた30歳過ぎでした。初めて買った車はスズキのアルト、当時の軽は550ccですし力も無かったですので、家族でのドライブ旅行、榛名山を登るのに苦労した記憶があります。次がダイハツのシャレードでした。チラシにあった「安い」シャレードに惹かれて買いに行ったのですが、現場で見るとどうしても良い方に気持ちが動きます。結局は展示されてあったシャレードで一番高かった”セルジオ・タッキーニ”デザインの車を買ってしまいました。綺麗な青で結構お気に入りでした。3台目はスバルのインプレッサスポーツワゴン4WD、スキーでの雪道走行を考えて買った車です。シャレードは家内用に保持。ここから2台体制になります。そしてそろそろシャレードの買い替えを考え始めた頃、スズキの販売店で目に付いた”キャラ”というマイナー車種に気を惹かれてしまいました。軽なのに中古で100万円という価格でした。”キャラ”はスズキの軽スポーツカー、扉が上に開くガルウイング車です。一般的にはマツダのAZ-1としての方が知られていますが、製造元はスズキで同じ軽スポーツのカプチーノのエンジンが使われています。当時は「一番早い軽カー」と言われていました。その後、キャラはMR-Sに、インプレッサは同じスバルのフォレスターに変わっています。ちなみにフォレスターは、家内の希望で初めての、そして唯一のオートマ車購入でした。

インプレッサまでは”必要な道具・行動手段”との認識が強かったように思います。キャラがその認識を変えてしまいました。”運転すること”それ自体に楽しみを見出すようになったのです。荷物の積めない不便な車3台目のS660、当分はこれで楽しませて頂きます。年齢的にはこれが最後かも知れません。ちなみに父親の血を継いだのか、息子の愛車はスバルインプレッサWRX→BRZとなっています。

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2016年12月21日 (水)

先週15日の上京

一週間経ってしまいました。書き込みに、どうもタイムラグができてしまいます。先週15日(木)、ちょっくら東京に出かけてきました。今回の目的は4ヵ所、そんな忙しいスケジュールを立てると周り切らなくなることが多いのですが、今回は珍しく完走できました。

8時発の特急で出発、早起きはしたのですが自宅でゆっくりし過ぎてギリギリ乗車、指定券を買う暇がなく車内で購入しました。ここで乗り遅れたら完走は無理でした。最初の目的地は上野、上野の森美術館で開催中の「デトロイト美術館展」です。米国自動車産業の最盛期、圧倒的な資金力を背景に集めた印象派を中心とする欧州近代絵画コレクション展です。売りはゴッホの自画像でポスターにも使われています。入館料は1,600円。

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上野の森美術館を訪れるのは久し振りです。私の大学浪人中の1972年の開館ですので、開館時の印象が残っているせいか、未だに”新しい美術館”との思いが払拭できません。(笑) 当時は(今も?)現代美術の紹介をメインテーマとした美術館でした。上野の美術館群、国立・公立のイメージがありますが、こちらは”私立”美術館、フジサンケイグループによる開館です。どの展覧会をどの会場で観たのか、記憶のはっきりしない部分も多いのですが、学生時代に魅せられた当時の最新現代美術、スーパーリアリズムやシルクスクリーン作品などは、ここ上野の森美術館で最初に観たような気がします。

開館直後(9分後)に入館、平日でもありさほど混んではいませんでした。目玉のゴッホ自画像は思ったより小さな作品で、1点だけぽつんと展示されてあり、少々物足りない思いもありました。ゴッホのもう1点、川辺のボート遊びを描いた作品の方が迫力がありました。モディリアニの肖像画群も印象に残った作品です。圧巻はピカソの婦人像でした。輝くばかりのピンクがかったジョンブリアンは眩しいばかりの迫力でした。ピンクの時代やキュービズム時代の作品もあり、ピカソ作品は充実していたように思います。私の好きなマティスは2点、大きな作品ですがかなり粗く、近距離で観るとどこが良いのかよく判らない、でも離れて観るとしっかり完成されています。マティス作品には当たり外れがあるというか、その時の自身の内心状態で感じ方が異なるように思います。今回の2点はうまくマッチングしませんでした。ボナールは1点のみ、相変わらず心安らぐ色使いです。中学生時代から油絵を描き絵画好きでしたが、当時観ることができたのは画集の中だけです。初めて本物を観ることができたのは中学3年生、友人と3人で訪れた上野西洋美術館での絵画展でした。どこの美術館展だったかは忘れましたが、海外の美術館作品展だったと思います。その時に観た、ボナールの「逆光の裸婦」に魅せられました。ほとんど”恋”してしまったほどに。(笑) デトロイト美術館展、充実はしていましたが、予想よりも作品数は少なめでした。ちょっと力抜け。月曜火曜には写真撮影が許可されるそうですが、当日は木曜日、下の写真は最新コピー技術による立体模写(油絵の具の盛り上がりも再現)2点(ゴッホとマティス)とポストカード(ピカソ)です。

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次の目的地は新宿、知り合いの個展が開催されていました。知り合いと言っても、もう30年近く会っていません。大学生時代、美術部に属していました。大学間交流で知り合った他大学美術部員達と大学横断の”会”を作りました。私の所属した青学と芝浦工大、上智、共立、聖心を中心に、東工大や東大、日大等の学生が集まりました。メンバーの入れ替わりはありますが、その会は今でも続いています。私自身はすっかり描かなくなってしまいましたが、年2回の展示会は継続していて、私もたまには上京して交友を温めています。

今回個展を開催したのは会創設時のメンバーのひとり、当時は共立女子大の学生でした。そのまま画家になった数少ないひとりです。「伊藤和子展」小田急百貨店10階アートギャラリーでの開催でした。今回はたまたま他の作家の展示会を検索していて見つけたのですが、以前にも1度展示会を訪れたことがありました。その時はたまたま本人不在でした。今回はお会いできました。お互いの年を経て、街ですれ違ったら判らなかったでしょうね。会場で写真を撮りませんでしたので、デパートHPでの作家紹介写真と過去作品を載せます。写実系の油絵作品です。

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3ヵ所目の目的地は神田小川町、これは絵画展ではありません。スキー靴の購入が目的です。初めてスキー靴を履いたのは小学生の時、群馬・大穴スキー場でした。その後暫く間が空いて、高校時代の体育授業でのスキー合宿を経て、大学時代に夢中になりました。11月の狭山スキー場(人工)を皮切りに、天神平かかぐらスキー場での滑り初め、上越(岩原、新日本、湯沢等)・白馬(佐野坂、青木湖、八方等)には毎年数日から1週間程度滞在していました。今考えると、よく金が続いたものです。初めての板はカザマ、靴はミズノでした。これは親に買って貰いました。その後はバイト資金で購入、買うのはいつも神田小川町でした。当時はスキーバブル時代、小川町にはスキー屋が林立していました。高いニューモデルには手が出ませんので、前年前々年の型落ち品をあさり歩いていました。滑る回数の減った近年は、板はレンタルで済ませています。最近はレンタルでもそこそこの板を置いています。靴の方は昨シーズンの滑降中にサロモンの底が剥がれました。crying 経年による劣化です。他にハンソンが残っているのですがこれも古い型ですので危なそう、買うことにしました。

リフトに長蛇の列を成したのも今は昔の物語、今では、地方都市ではスキー用品を扱う店もほとんどなくなりました。選択肢を得るには東京まで行くしかありません。当時に比べると随分店数は減りましたが、そこは東京小川町、買い迷うだけの選択範囲はあります。何軒か巡り試着して、ある店の靴にほぼ決めかけていたのですが、最後にもう1軒、懐かしい名前の「ニッピン」を覗いてみました。学生時代によく訪れた店でした。ここで見つけたのがラングのレディス25.5cm、昨年モデル現品限り税込み29,000円ほどの品でした。足サイズが小さいですのでレディスでも可能、同じレベルのものですとレディスの方が安いのが一般的です。もうガンガン滑るわけでもありませんし、脚力も落ちていますのでその意味でも丁度良さそうです。何より、試し履きした時のフィッティング具合が即断レベルでした。前の店で妥協しなくて良かった~! ラングは学生時代の憧れの靴でした。当時は一段高かった印象があります。今では特に人気のブランドではありませんが、やはり当時の思いも影響していたのかも知れません。今年中はもう無理ですが、スキー場に行くのが楽しみです。

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最後に上野に戻りました。東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」を観るためです。こちらは上野の森美術館より1時間遅い17時半まで開いています。美術館到着は16時。会期終了間近(18日まで)でしたが、この時間帯は、混んではいるものの鑑賞に堪える範囲内でした。デトロイト美術館展の半券で100円引きの1,500円で入館、珍しく音声ガイドも借りました。(520円)

バルビゾン派の影響を受けたオランダ時代のゴッホの暗い色調の作品に始まり、パリに出ての印象派との出会い、そしてゴーギャンとの出会い、時代を追って2人作品と同時代作家達の作品が展示されます。所々に2人の、ゴッホの弟テオや同時代の画家ベルナール等に宛てた手紙の文章の一部が例示され、2人の関係性が浮き彫りにされます。アルルでの共同生活と破綻、ゴッホの死、ゴーギャンのタヒチへの移住、交錯する2人の思いがその作品によって語られます。企画として面白く、作品の質量共に大変充実した展示会だったと思います。惜しむらくは、私の事情ですが、時間が足りませんでした。鑑賞半ばで「閉館30分前」のアナウンスがあり、後半はかなりはしょって観ることとなってしまいました。

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ゴッホ、日本では大変人気のある作家ですが、私にとっても特別の人物でした。中学高校時代は憧れであると共に、若者特有の傲慢さで”目標”でもありました。ある時、16歳当時のゴッホのデッサンを画集で観て、同年齢での自身の技量との差に呆然自失した記憶が残っています。大学2年次での初海外旅行では、団体旅行であったにも関わらず自由時間がかなりあり、友人と2人で旅程にはなかったゴッホ美術館を訪ねました。ネットはもちろんたいした情報もない時代、ガイドブックも持たずに言葉も通じず、どうやって行ったのか記憶にありません。若者特権の行動力、というか恐れ知らずというか、あまり考えていませんでしたね。欧州の治安も、今よりはずっと良かった気がします。

最後は忙しかったものの、充実の1日でした。

2016年11月12日 (土)

秋の水上小旅行

書き損ねていた日記、最後は家内との群馬水上1泊旅行です。最初の目的地は”吹割の滝”です。随分以前に家内と訪れたことがあります。通常は高速を使って沼田経由ですが、今回は別のルートを辿ってみました。桐生市からみどり市(旧大間々町)を通り赤城山の北面を周る道です。子供たちがまだ小さかった頃、群馬のスキー場へ行った時に一度だけ通ったことがありました。当時は崖にへばり付いた狭い山道でした。ただ沼田側は綺麗に整備されていて、大間々側も一部新しい橋やトンネルの工事が始まっていました。20年近く経ちどう変わっているのか確かめたい気持ちがありました。結果、頭の中に残っていた景色は何処にも発見できない、全くの別の道路に変わっていました。すれ違うのも難しい狭いつづれ織り道は何処にも残っていません。何処にでもありそうな普通の道路で拍子抜けでした。

道路が快適だったせいで、予定より30分以上早く吹割の滝に到着、まだ観光客の姿もあまり見ません。近くのお土産屋さん駐車場に駐車。吹割の滝周辺の飲食店や土産物屋さんの駐車場、原則駐車無料です。以前は「利用者に限る」、また購買を強要する雰囲気もあったようですが、今では「できるだけご利用ください」との柔らかい対応になっています。エチケットとして、滝見学後に土産物&ソフトクリームを購入いたしました。

滝は、水量が少なく迫力はいまひとつでしたが、記憶に残るあの独特の流れは楽しむことができました。滝の周囲を巡るハイクコース(周回約1時間)ができていました。山際の道では、今年は”熊出没!”もあったとの注意書きが。所々に熊よけ(熊に人の存在を知らせる)鉦が設置されていて、叩いて鳴らしながら進みます。家内はかなり怯えていましたが、幸い遭遇はしませんでした。でも確かに、出そうな雰囲気はある道でした。

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この日のメインイベントは水上での”カヌー体験”でした。沼田から水上に移動、予約していたイベント会社(レイクウォーク http://www.lakewalk.jp/contents/for-bigginer/)で受付を済ませ、体験会場の赤谷湖に向かいます。水上では川や湖を利用したレジャーイベントが様々企画されています。企画会社も多数あります。ラフティングやキャニオニング等々、バンジージャンプも。昨年体験したキャニオニングも水上の別の会社の企画でした。

現地集合場所には、インストラクターの男性スタッフと参加者お二人が待っていました。お二人は東京からの参加とか。まずはライフジャケットの装着。こちらで用意したものは長靴と風よけのジャケットですが、これもレンタルが可能です。夏場は長靴ではなく、”濡れても良い靴”になります。集合場所の駐車場から湖岸に降りて、基本的な説明、パドル(オール)の操作練習、注意事項確認が行われます。そしていよいよ湖に乗り出します。

当日は暖かい日和で寒さを感じることもなく、ゆったり快適な時間を過ごすことができました。カヌーは2人乗り、家内が前私が後席です。当初はパドル操作に戸惑い、中々真っ直ぐ走りませんでしたが、じき慣れて安定して漕ぐことができるようになりました。当初渋っていた家内も、意外なほどにパドル操作を楽しんでいる雰囲気になってきました。慣れて力が抜けてくると、反対に推進力は増します。湖面に反射する光、木々の木漏れ日、お天気に恵まれた幸いを満喫できる景色です。期待した紅葉は、例年よりかなり遅れているそうでまだ早かったのですが、そんな残念さも忘れさせる癒しの時間となりました。操作に慣れてきたところで、少し狭い渓谷に乗り出します。細い滝の流れ落ちる場所があるのですが、インストラクターの勧めで触れてみると「温かい!」温泉の滝でした。”源泉かけ流し”温泉宿から流れ出る滝だそうです。

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落として水没させてしまう危険もありますので、原則スマホを含む貴重品はカヌーには持ち込みません。写真はスタッフが撮ってくれます。(有料:後日CD-Rで郵送されてきます) カヌー内に持ち込んだのはペットボトルの飲み物だけです。結構一生懸命漕いだのですが、家内も私も意外と筋肉痛にはなりませんでした。吹割の滝同様、こちらも水量は普段より少ないそうです。多い時期にはこれより5mは水位が上がり景色も全く異なって見えるとか。家内も喜んでくれました。またいつか別の季節に、訪れてみたい気がします。

2016年11月 7日 (月)

被災地復興支援イベント

書き損ねた日記、1週間戻って10月30日の出来事です。10月29日・30日の土日2日間、渡良瀬川河川敷公園で、「被災地復興支援イベント”つながるマルシェ足利”」が開催されました。被災地の特産品等を仕入れ販売して復興の手助けをする、また、日数を経て関心の薄れてしまった感もある東日本大震災、その被災地はいまだ復興途上にあることを再確認して、息の長い支援を続けようとの思いを込めたイベントです。特産品販売は、被災地からの直接の出店もあり、物産を仕入れての地元ボランティアによる販売もあります。Facebookでこの企画を知り、29日は仕事のため、30日の1日だけではあるのですが、ボランティアとしてお手伝いさせて頂きました。

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当日割り振られた私の担当は”陸前高田”物産販売テントでした。ホヤの燻製やコンブ、茎わかめの漬物等、海産物加工品を中心とする品物が並べられています。お隣テーブルには陸前高田以外の岩手県物産が並べられてあります。

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宮城県からは銘酒”一ノ蔵”が出店、石巻ライオンズクラブの皆様も遠路はるばる参加されていました。熊本県のコーナーも。

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物販テントの他に音楽イベントも企画、ハワイアンやらジャズやらビートルズやら、入れ代わり立ち代わりの演奏は夜まで続きました。夜は夜で野外映画上映会も企画されていましたが、そこまではお付き合いし難く、先に失礼させて頂きました。また会場の周囲には、被災地を応援する言葉の書かれた黄色いハンカチが並べられてあります。

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私の家内は宮城県出身、気仙沼の親類が津波で被災しています。そんな思いもあり今回お手伝いさせて頂いたのですが、売店で突っ立っているばかりで、あまりお役に立てなかったのではと申し訳なく思っています。テントの設営・撤収やハンカチの取り付け等、主宰された方々のご苦労は並大抵ではなかったと思います。今回このイベントを知ったのが遅く何もできなかったのですが、気仙沼の甥に頼んで観光パンフレットだけは送って貰い会場に置いて頂きました。

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ブログにも書きましたが、この夏に被災地・女川を訪れました。一度無に帰した街を復興することの大変さを実感してきました。それ以前に”復興”ということはどういうことなのか?考えさせられることの多い旅でした。また再び、女川を気仙沼を訪れる機会を作りたいと思っています。

2016年11月 6日 (日)

母校の応援、駅伝&ラグビー

元々たまにしか書いていないブログですが、随分と間隔が空いてしまいました。書く内容は沢山あったのですが、ある事情で忙しくなってしまい、また風邪などひいてしまったこともあり、日が過ぎてしまいました。ようやく落ち着いてきましたのでぼちぼち書き始めます。まずは最新の、今日の出来事から。

11月6日日曜日、今日は全日本大学駅伝の当日でした。母校・青山学院大は、昨年この大会で負けた(東洋大に)ために三冠を逃してしまいました。今年も初戦の出雲駅伝に勝ち、大学三大駅伝中唯一優勝のないこの大会に臨みます。今年も優勝候補NO.1であることは間違いないでしょうが、昨年の例もあり安心できません。東洋大には服部弾馬が健在ですし、山梨学院大のニャイロの存在も脅威です。その前にどうしても見たい番組があり、スタート直前の午前8時よりTV観戦を開始しました。原監督の作戦では、序盤は抑え気味に4区辺りから首位に立ち逃げ切る、とのものだそうな。そのスタートの1区、東洋大の服部弾馬が快走します。「首位から15秒以内なら上出来」という原監督の計算の倍の30秒の差を付けられて青学は8位で襷を繋ぎます。しかし2区の3年生田村和希が区間1位の走りで東洋大を逆転、「こりゃ楽勝かな?」と安心したのも束の間、4区のキャプテン安藤が不調、そこにきて早稲田が予想外の絶好調、3区からトップに立ち優勝候補校を引き離しにかかります。

とここでタイムリミット、車に乗って出発します。母校応援ブッキングで、同じく青学出身のかみさんと、熊谷ラグビー場にラグビー部の応援に行くことになっていたのです。暫しは車内ラジオ(文化放送)にて観戦です。警戒した東洋大は順位を下げ、最終区のニャイロが驚異の山梨学院大も伸びません。しかし早稲田は「どうしちゃったの?」ってくらいの好調、一時は1分以上の差を付けられてしまいます。

途中マックで昼食を買い熊谷ラグビー場到着は11時頃、駅伝応援は暫し休止、時折スマホで情報を確認しつつのラグビー観戦となりました。試合開始は11:30、Aグラウンドは2019年W杯に備えて改修工事中ですのでBグラウンドでの試合です。全席自由席1,000円。写真背景には回収工事中の熊谷ラグビー場Aグラウンドが見えます。改修後はこうなる予定。→http://www.rugbyworldcup.com//venues/kumagaya-rugby-ground

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今日の対戦相手は成蹊大、大学対抗戦Aグループ(1部)内で共に4戦全敗同士です。つまりは、Aグループ残留を決めるに大事な一戦です。暖かいながらも、グラウンドには強い風が吹いていました。不利な風下でキックオフ、始まった途端にPKで3点を献上する幸先悪いスタートでした。それでも徐々に形勢を挽回、前半は1T1Gで7-3でリードで終えます。

収容24,000人のAグラウンドに対し、Bグラウンドは6,700人(そんなに入るのかなぁ?)、昨年観戦に来た慶応戦(Aグラウンド)では閑散としたスタンドもほぼほぼ埋まっています。多くは選手の親御さんなのでしょう。スタンドセンターのブレザー姿は1年生部員、大昔の1年次、ほんの3ヶ月だけ体育会に所属してましたが当時は詰襟学生服でした。時代なのか、ラグビー部だからなのかは判りません。

後半はやや風は収まってきましたが強風風下の不利は無くなり2T2G、結果、21-3で勝利しました。慶応、日体大戦を残していますが、ひと安心です。体格的にはやや劣勢に思えたのですが、スクラムもパスも走力も、若干ではありますが上回っていたようです。トップリーグに比べると選手の体格も線が細いですし、パススピードや当たりの迫力も異なります。ノックオンにならないようかなり後ろにパスしますので、中々前に進みません。(笑)

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さて駅伝です。試合途中のスマホ情報では、5区6区で区間賞を取るも早稲田の勢いは収まらず差は縮まらない、50秒の差で最終区一色に襷が渡った、とまで。急ぎ車に戻った途端にラジオから流れたのは、逆転してゴールに迫る一色を伝える実況、ゴールの瞬間は生中継で聴くことができました。これで二冠達成!正月の箱根駅伝がますます楽しみなってきました。

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駅伝、ラグビーと1日2勝の母校の活躍でしたが、ひとつだけすっきりしない出来事が。スタンド観戦でのすぐ後ろの席に、OBらしい爺さんが居ました。後輩らしい大学ブレザー姿の紳士(60歳代?)相手に、OB会?への不満・愚痴を偉そうに高飛車にず~~~っと話し続けています。その紳士が去った後には、今度は選手のプレーにケチを付け、試合開始から終了までひとりでしゃべり続けるのです。「ほら蹴れよ蹴ればいいんだよ、ガツンガツンやるこたぁないだ、回せよ回せ回しゃいいんだ、なにやってるんだか」 「プレッシャー!」とか「回せ~!」とか、選手を発破激励する声のあるのもラグビー応援ですが、この爺さんのはただの”悪態”に過ぎません。選手に届く声ではありませんし、非難愚弄する口調です。きっとOB会でも鼻つまみ者なのでしょう。そんな先輩でも立てなければならないブレザー紳士の苦労が思いやられます。気分悪い声を聞かせられた周囲の観客も迷惑至極でした。歳をとっても、あんな爺さんにはなりたくないものです。

2016年10月 4日 (火)

今年はパックラフト

昨年の夏に”キャニオニング”というアウトドアスポーツを体験しました。(http://hahakigi-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-8408.html) そして昨日の日曜日、同じ会社主催の”パックラフト(パックラフティング)”なるものを体験してきました。空気を入れて膨らませるインフレータブルボート、いわばゴムボート型カヌー、を繰って渓流や湖を移動するスポーツです。(空気を抜いて)パッキングできるラフトボートで”パックラフト”とか。(異説もあるようですが) 他に大型ゴムボートで渓流を降る、ジェットコースター感覚?の”ラフティング”というものもありますが、パックラフトの方はオールを使っての自力走行です。

昨年は水上が会場でしたが、今回は奥多摩です。行きは下道で3時間弱、帰りは関越・北関東道経由でやはり2時間半ほどかかりました。高速利用では高崎Jct経由でかなり大回りになります。それで往路は国道407号経由で奥多摩を目指しました。しかし帰途は道路混雑が予想され、遠回りでも高速経由の方が早いと判断したのです。パックラフト開始時間は午後ですが、奥多摩観光も絡ませようと早めに出発、10時半には目的地に着いていました。お天気も良く、日曜日の奥多摩には多くの人が出ていました。主催会社の奥多摩基地隣接の「せせらぎの里美術館」を見学の後、奥多摩湖までドライブ、奥多摩湖の写真も撮りたかったのですが、駐車場は混み合っていました。狭い道路の割には交通量があり、沢山のバイクの他にサイクリストやハイキング客も多く、路肩に停めての撮影も憚られます。結局湖の写真は無し、美術館と水車の写真を撮っただけでした。

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13時の集合時間に合わせてキャニオンズ(主催会社)に戻り、受付を済ませます。ツアー申込は7月中旬に済ませていたのですが、催行は2名以上ですので開催の決まったのは1週間前の日曜日でした。半ば諦めていました。1週間前になって申し込んだお二人(ペア)のお陰で参加できました。ですのでお客は3人、それにスタッフが3人付くという豪華な対応になっていました。申し込んだのは初心者向けの”レイクコース”、他に流れを降る”ダウンリバー”というコースがあります。

基本説明の後にウエットスーツに着替え車で会場に向かいます。会場はその時の条件、天候や水量で変更されるようです。当日の会場は白丸ダムに堰き止められた人造湖です。湖と言っても細長い、河に近い雰囲気です。ただ、堰き止められていますので流れは緩やかです。スタッフが膨らませたパックラフトを担いで湖のやや上流に降ります。膝ほどの深さの場所でパドル(オール)操作の説明&練習、ラフトボートへの乗り方等、基本的な説明の後いよいよ出発です。スタートの場所のみやや早い流れがありました。岩の手前には波があり、「波には直角に入るよう。斜めに入ると転覆しやすい」とのこと。しかし操作説明だけで方向の定まるはずもありません。ウエットスーツにヘルメット・ライフジャケットの装備ですので、転覆して元々、とのことなのでしょうね。私は危ういながらも運良く無事通過してしまいましたが。

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最初の部分だけで、その先は緩やかな流れになります。徐々に慣れて思う方向に進むこともできるようになります。久々の陽光にも恵まれ、自然になかに溶け込むような気持ちになれます。時の流れもゆったりと感じられ。流れの緩やかになってからはほとんど自由行動、湖の中を勝手気ままに移動できます。カモも近くに浮かんでいました。

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湖には他の企画会社のツアー客も来ています。普通のカヌーも居ますし、SUP(サップ、スタンドアップパドルサーフィン)という、ボードの上に立ってパドルを操作する乗り物もあります。これが今”トレンド”なんだとか。

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途中、スタッフのひとりイングランド人のフィルがボートを転覆させに周ってきます。私が水に浸かったのはこの時1度だけですが、後になって、もっとはちゃめちゃ楽しめば良かったと後悔しています。ライフジャケットで浮きますし、ウエットスーツで少しも寒くありません。水の冷たさを感じたのは、パドル操作練習に最初に川に入った時だけです。スーツと皮膚の間に入った水が体温で温められ層を作ることで保温するのがウエットスーツ、文字通り”濡れた”スーツです。完全に水を遮断するのがドライスーツですね。私は特にですが、日本人の大多数はどうも、羽目を外すのが苦手なようです。昨年のキャニオニングを考えれば、水に飛び込んでも何の問題もありません。フィルは岸辺の蔓に登ってターザンを気取っていました。

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次回は転覆当たり前の”ダウンリバー”コースにもチャレンジしてみたい気持ちになりました。想像以上に楽しい体験でした。なお写真はスタッフ撮影のものです。個人でカメラやスマホを持って行っては水没の危険がありますので。

2016年9月29日 (木)

同期会ゴルフコンペ

4日前になりますが、先の日曜日に高校同期生を中心とするゴルフコンペが開かれました。今回で14回目になりますが、開催されるようになった元々の発端は、2008年に10数年振りで開かれたクラス同窓会にあります。その時のクラスメート住所確認の際に、級友の突然の死を知りました。そして同窓会当日、生徒会長だった某氏の提案がありました。「我々ももういい歳、何があってもおかしくない。生存確認のためにも毎年同窓会を開こう」と。それ以来毎年お盆時期にクラス同窓会が開かれています。そして2009年の同窓会の折には「ゴルフ会も」との提案があり、同年11月に第1回のコンペが開かれました。参加は7名でした。それ以来春と秋との年2回開催されています。第2回からはクラス枠も外され、その後”高校同期”との枠も外し、広く同年同期に呼びかけての開催となっています。14回目になる今回は参加12名でした。第3回までは新ペリア、4回目からはハンデ制になっています。また別に、2010年からは夏の同窓会の折にもゴルフ会が開かれるようになっています。こちらは新ペリア。

今回14回目の開催地は市内の「つつじヶ丘カントリー倶楽部」でした。これは記念すべき第1回大会と同じです。これまで第2回から第13回まで、すべて異なるゴルフ場で開催してきました。市内ゴルフ場、隣接の佐野市・栃木市、県境を超えたお隣の太田市・桐生市、そして群馬県の富岡市周辺。富岡市周辺にはフェアウェイの広い綺麗なゴルフ場が多くあります。北関東道ができて以来、所要時間も近隣ゴルフ場と変わらなくなっています。そして今回、第1回会場に戻っての開催となりました。まだ未開催のゴルグ場も残ってはいるのですが、”タネが尽きた”感も多少はあっての選択とも言えます。ただ、8月に息子と行った時にブログにも書きましたが、このゴルフ場の好印象高評価も選択の要因になっています。未開催の候補ゴルフ場には、いずこも帯に短したすきに長し、狭かったり遠かったり高かったり、それぞれ選択を躊躇する要因があったりもしますので。数字的には多少価格高めでもあるのですが、接客対応等を考えると納得できる範囲です。9月の日曜日で昼食付パーティ代込で15,000円少々でした。富岡周辺ですと10,000円前後でプレーできるゴルフ場もあるのですが、往復の高速代を含めると差ほど変わらなくなってしまいます。

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コースに関しては8月のブログにも書きましたが、バラエティに富み戦略的です。今回は長雨の晴れ間(寸前まで当日も雨予報でした)でしたので、フェアウェイの一部はぬかるんでいましたしグリーンは柔らかくボールマークの付き易い状態でしたが、普段は整備状態の良いゴルフ場です。高低差もこの辺りでは小さい部類に入ります。コース内売店でのサービスは、トコロテン(前回と同じ)と杏仁豆腐、昼食時のおまけは冷奴でした。昼食の手打ち蕎麦はお代わりができます。同組の3人ともお代わりしていましたが、小食の私は1枚で十分。蒸し暑い時間帯もありましたが、全体としては快適な気候の中でのゴルフでした。優勝賞品もゴルフ場に依頼、スタッフの方とはメールで何度もやり取りしてお世話をおかけしてしまいました。フルハンデの元教員がハンデを活用して初優勝、和牛サーロインステーキ肉を獲得しました。私は「53」「54」での「107」、第1回大会でのこのコースでのベスト「100」はまたしても更新できませんでした。しかし2年も切れなかった「100」をここ10回で2回切り、少しは上向き調子にはなっています。次回同期生コンペは来年の3月下旬を予定しています。第1回以来万年幹事を引き受けていますが、ゴルフ場を選んだりの開催過程もそれなりに楽しんでいます。さて次回、また近場にするか富岡まで出陣するか、まだ練るには早過ぎます。

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2016年7月21日 (木)

女川・仙台2泊3日 ③

3日目 火曜日

たかが2泊3日の旅行記を書くのに1週間以上もかかってしまっています。考えてみると、家内と2人きりでの国内旅行(韓国は何回も2人で行ってますが)は、宮城での法事と東京1泊旅行を除くと36年振りかも知れない。

3日目の朝、ホテルJALシティでバイキング朝食、開放感からか日常よりも食欲があります。特に家内の方は・・・。のんびりと9時頃にチェックアウト。この日最初の目的地が9時半開館ですので急いでも仕方ありません。目的地は宮城県美術館(http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/)、伊達氏の居城のあった青葉山裾にあり、過去1度訪れたことがあります。今回の目的は付属の「佐藤忠良記念館」です。当日は特別な企画展は開催されておらず、常設展と記念館とを鑑賞しました。

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日本を代表する具象彫刻家・佐藤忠良氏は、宮城県出身(先日観た映画「殿!利息でござる」の舞台に近いらしい)ではありますが、6歳までしか居なかったよう。それでも特別な愛着を感じていたのか、氏の作品寄贈により記念館ができました。マイヨール、ロダンの影響を受けて彫刻家を志したそうです。具象彫刻の本道を貫いた作家ですが、ジーンズを穿いた女性像等、現代的なスタイリッシュな作品を残しています。「職人に勲章は要らない」と、文化勲章等国家からの賞はすべて辞退しています。女優の佐藤オリエは娘で、幼少期の娘をモデルとした作品も展示されてありました。

彫刻家佐藤忠良は私たち夫婦にとって想い出に繋がる作家です。1981年の新婚旅行はフランスでした。当時メインだった”JALパック”とかのツアーではなく、リュック担いで「その日の宿はその日に探す」というフランス国内2週間の旅でした。大学美術部で知り合った2人ですので、フランスでは何ヶ所かの美術館を巡っています。パリでは「ギュスターブ・モロー美術館」と「ロダン美術館(http://www.musee-rodin.fr/)」とを訪れています。共に印象深い美術館でしたが、ほんとうにタマタマ奇跡のように、そのロダン美術館で「佐藤忠良展」が開かれていたのです。「日本人初」の快挙でした。当時はもちろんネットはありませんし、海外情報は「地球の歩き方」などの印刷物で得るのみ、美術館の概略や住所等しか事前には判りませんでした。「今どんな展示が行われているのか?」などは知りようがなかったのです。そんな中であの国立ロダン美術館で、「日本人初」の、そして家内の出身地である宮城県生まれの佐藤忠良氏の個展が開かれている、まさに”奇跡”的タイミングでした。

次の観光目的地は同じく仙台市内の大崎八幡宮です。元々は足利氏の流れを汲む大崎氏の祀った神社ですが、後に伊達政宗が仙台に遷し保護したそうです。豪華絢爛な社殿は国宝に指定されていますが、観光施設ではなく一般の神社として拝観は無料です。

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大崎八幡宮では御朱印を頂きました。右ページは前日に頂いた瑞巌寺のものです。

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仙台市を離れて東北道へ。白石ICで高速を降ります。今回の旅の最後の目的地は”白石城”です。今月初めに観た映画「殿!利息でござる」での河北新報(宮城県の新聞)版宣伝チラシ、その裏面の観光案内で興味を持ちました。再建施設ではありますが、写真での本丸が綺麗で行ってみたくなりました。それまで、白石に城のあることも知りませんでした。学生時代に1度、みやぎ蔵王スキー場で滑ったことがありましたので、白石駅で降りたような気もするのですがほとんど憶えていません。

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城は本丸と大手門が復元再現されています。当時の建築様式に忠実に木造による再現が行われ、全国的にも希少な歴史資料となっているようです。城内の階段は敵の侵入を遅らせるために急角度に造られています。伊達氏から蒲生氏、上杉氏と領主が変わりましたが、関ケ原の合戦寸前に伊達政宗が攻略、伊達家の重臣片倉小十郎景綱が城を預かるようになりました。景綱の息子重長は大阪夏の陣において、落城寸前の城から真田信繁(幸村)の娘阿梅(おうめ)を連れ出し後室(継室)に迎えています。その縁で信繁の次男・守信をも片倉性を名乗らせ保護したそうです。当時としてはかなりの危険を冒したことになります。大河「真田丸」ではその辺は触れられるのでしょうか?

白石市は2016年推計で人口は35.000人を割り込んでいます。地方小都市ではどこでもそうでしょうが、人口は年々減少しているようです。城の周りの商店街にもシャッターの閉まった店舗が目立ちます。

その後は自宅へ向けて一直線、休息を挟みながら夕方には到着しました。運転時間が長くさすがに疲れました。しかし充実した3日間だったように思っています。Dsc03607

2016年7月17日 (日)

女川・仙台2泊3日 ②

2日目☆ 月曜日

翌朝女川での目覚め、家内が「クーラーが効き過ぎてる」と。確認してみたものの、前夜寒く感じたので設定は27℃のまま、実質作動していません。寒さは”常温”でした。旅行中、日中は多少暑くなることはあっても、朝晩は涼しく、特に朝は肌寒いくらいでした。元々が「暑さ日本一!」を競う熊谷市の近くに住んでいる身ですが、今更に南北に長い日本列島の気候差を実感した次第です。朝食は少し大きめのトレーラーハウスにあるレストランで和定食、到着時に朝食時間を予約しています。30分刻みでの予約で私達は7時半を希望しましたが他にお客さんは居ません。その後各テーブルにセッティングされましたので8時予約が多かったようです。他のお客さんに出合いませんでしたので判りませんが、多分復興工事関連のお客さんが多いのだと思います。

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2日目の午前中は松島観光を予定。万石浦に沿う国道398号を西へ進みます。国道両側に並ぶ店舗・住宅が真新しい建物ばかりで綺麗なのが逆に悲しく感じます。石巻からは三陸自動車道を利用。登米市への往復でも利用した三陸道ですが、震災復興物資輸送のために早期開通したため一部は対面交通です。4車線化されていない部分は自動車専用道として運用、無料で走れます。現在、鳴瀬奥松島ICから西が有料部分となっています。

松島北ICで降りて国道45号線で松島へ向かいますが、復興関連かトラックも多く混み合っています。観光客の多い週末は渋滞もするそう。月曜日で良かった~!駐車場も簡単に見付けられました。まずは定番の観光船による松島島巡り観光です。仙台までは何回も来ていますが、松島を訪れるのは初めてです。予約なしで乗れる大型観光船による島巡りは1時間に1本、当日は最も大きい第三仁王丸(定員400名)でした。中型・小型船は団体・小グループ向けで予約が必要です。大型船では入れない浅瀬を抜けたり、島にもより接近できます。観光としては小型船の方が面白そうです。

第三仁王丸による島巡りは1人1.500円、2階はグリーン席で600円の追加料金が必要です。今回は奮発してグリーン席を利用、チケットは入船後に売店で購入します。出港は11時ですが早めに桟橋に並びました。前から数人目。グリーン券買って窓際の席が取れないとつまりません。10分前ほどに観光船が接岸、すぐさま窓掃除が始まります。毎回接岸の度に窓掃除していましたがこれは大事ですね、窓が汚れていては台無しです。平日にも関わらず多くの観光客が列をなしましたが、2階グリーン席が満席になるほどではありませんでした。

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旅行中3日間は晴天に恵まれました。この日は30℃近くになったようですが蒸し暑さはなく快適でした。日本三景松島を堪能するには絶好の日和でした。

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湾内に点在する島たちにはひとつひとつ名前が付いています。観光船の名前の由来になっている仁王島、千貫島、双子島等々。かなりの沖合にまで小さな島がぽっかりぽっかりと浮かんでいます。しかしもちろん浮かんでいるわけではありません。リアス式海岸の谷あいに海水が入り込んで山頂だけが残った沈降地形です。ですので見えない海中には山裾があり、暗礁だらけということ、水深は10メートル以内しかないそうです。それで牡蠣養殖の棚を立てることができたのですね。お天気も良く、海上はのんびりほんわかした風景ですが、海中に潜む渓谷を想像すると恐ろしい心持もします。

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大震災津波で一部崩落した島もあるそうです。元々が浸食で少しずつゆっくり姿を変えています。327年前にこの地を訪れた芭蕉が見た風景とも、きっと少し異なるのでしょうね。

下船後に昼食。家内がネットクチコミで探した寿司店へ。寿司を食うなら塩釜が良いのですが、その後の予定の都合で松島になりました。観光船乗り場からも近い場所にある寿司屋ですので、「観光地だから」とあまり期待はしていませんでした。昼食時ですので混雑も心配しました。ところがあにはからず、普通の寿司店で先客はひと組のみ。こじんまりとした造りですので団体客向けにはならず、観光宣伝もあまりしていないのかも知れません。「季節のおまかせにぎり」3.400円を2人前注文、年金暮らしの身には贅沢ですが、久々の本格握りでした。珍しい生穴子の握りは初めて食べました。やっぱり普通の焼いた穴子の方が良いかな?というか、その”普通の穴子”が特別美味しかったのです。雲丹も地元海なし県ではほとんどお目にかかれない甘さです。鮑も絶品!たまの贅沢ですが後悔の無い出費でした。

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昼食の後、寿司店からすぐの観光地、伊達氏所縁の瑞巌寺へ。津波の塩害で杉林が枯れてしまったとかで参道は通行止め工事中、う回路には洞窟遺跡群が並んでいます。昼だから良いですが、暗くなったら怖そうです。

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瑞巌寺境内も経年劣化と度重なる地震による建物の傷みから、平成20年から”平成の大修理”を行っています。本堂の修復がようやく終了、この春から公開が再開されました。豪華絢爛な襖絵が嘗ての姿を取り戻しています。襖絵は、修理補修だけでなく模写での差し替えも行われているようです。それだけ傷みが激しかったのでしょう。宝物館には模写された原本の方も一部陳列されていました。大修理は更に平成29年11月頃まで続きます。現在、庫裡や大書院などの公開が停止されています。

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撮影禁止ですので画像はありませんが、修復なった本堂襖絵は見応えがあります。長谷川等伯の弟子等胤や狩野派の絵師の手になるものです。HPで一応は見ることができますが、小さな画面ではやはりその魅力は伝わりません。http://www.zuiganji.or.jp/keidai/hondou.html

瑞巌寺から少し石巻方面に戻り、家内の女川小教師時代の旧同僚を訪ねました。私達の結婚式には栃木までお出で頂きました。私はその結婚式以来、家内は震災後も含め何度かは逢っています。お茶とデザートをご馳走になりました。

友人宅を辞して仙台へ。宿泊はJALシティ仙台、駅近くにあるホテルです。家内の家の里はお墓のある登米市とはなっていますが、実は家内、登米市で暮らした経験がありません。転勤族であった義父の仕事の関係で生まれも幼少期も宮城県外です。小学校からは仙台暮らし、登米市は長期休日等に”里帰り”するだけの場所だったそうです。そして高校まで暮らした仙台の家は、1978年の宮城県沖地震で床下に地割れが走ったこともあり、現在は残っていません。仙台は緑も多く降雪も少なく住みやすい場所ですが、過去何回も大きな地震に見舞われています。その、小学校から高校までを暮らした仙台ですが、もう家内のナビは通用しません。それほどに仙台市は巨大化し大きく変貌しています。

ホテルにチェックイン、ひと休みもほどほどに街に繰り出しました。駅ビルでお土産お買い物、牛タンと笹蒲鉾を自宅に送って貰います。この牛タンも家内にとっては今浦島です。笹かまと異なり、比較的新しい仙台名物です。その後歩いて秋田料理店へ。ここで家内の中学高校時代の最も親しかった友人と会食の約束となっています。折角の仙台、たまの仙台ですので、お邪魔虫(私)付ではありますが、こういった設営も家内孝行・家族サービスの一環です。会食中の話題は家内プライベートではありますので割愛、お友達と別れた後、一番町・国分町を家内案内でぶらついてホテルへ戻りました。生ビールと秋田の酒で気持ち良く酔った晩でした。

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3日目 に続きます。

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