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2019年7月29日 (月)

野口五郎コンサートin太田

太田市民会館、野口五郎コンサート、昨日行ってきました。。高校生時代の家内がファンだったとか。それで4月の誕生日プレゼントはチケットにしてみました。大学生時代付き合い始めた頃、彼女は「私鉄沿線」のモデルになったという池上線沿線のアパートを借りていたけれど、特に意識してのことではなかったそうな。

太田市民会館は2017年に移転新装された2代目の市民会館です。本年BCS賞という建築賞を受賞したとか。長らく老朽化を言われながら予算の出ない足利市とは好対照、広い駐車場を持つ最新施設です。駅前の図書館といい、税収格差を感じざるを得ません。

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野口五郎、アンコールはアカペラで歌ったり、マイクを置いて地声で歌ったり、さすがの声量・歌唱力でした。そうとう鍛えてますね。しかし誰も立たない、手拍子も声がけもほとんどないという(ライブじゃなくて)コンサート、久々の体験でした。学生時代のディープ・パープル以外ではラルクと林檎と森高さんしかライブ体験の無い家内、「静かだね」が感想でした。でも私達の世代では、GS嵌って追っかけしてたような人以外では、オールスタンディング未体験が大多数かも知れません。

蛇足です。家内は大学生時代の美術部の後輩、知り合って3年半経ってから付き合い始め、途中2年の遠恋期間を経て結婚、来年で40周年になります。昨年、久々に再会した聖心女子大卒の絵画仲間に「学生時代憧れてたんです!」と言われ「えっ俺に?」と思ったら「同棲に」だった。

当時上村一夫の漫画「同棲時代」が人気となり、1973年にドラマ化・映画化されました。ドラマでの主演は梶芽衣子と沢田研二、挿入歌でモップスの「たどりついたらいつも雨ふり」吉田拓郎の「旅の宿」が使われたそうな。憶えてないけど。映画版は主演が由美かおる・仲雅美、大信田礼子の歌った主題歌がヒットしました。”同棲”という言葉自体が流行し社会現象ともなりました。しかし当初の私の時代では、実際に同棲しているカップルはまだ少数で、”お堅い”聖心女子大生の周辺では遠い夢物語だったそうです。渋谷のトレンディ?大学在学中の私の周辺ではまぁ、そんなに珍しい存在ではなかったですけどね。

野口五郎の最大ヒット曲「私鉄沿線」もそう、”同棲”を主題にした作詞です。当時はそんなテーマの曲や小説・ドラマ、多かったですね。そしてほとんどというか「全部」と言っていいくらいが、悲恋、青春の切ない恋、別れ、で終わっています。ウチは当たり前のように結婚しちゃいましたけどね。来年は結婚40周年、夫婦でちょっと長い旅にでも出かけたいと思っています。

2019年6月28日 (金)

最近観た映画

「グリーンブック」 https://gaga.ne.jp/greenbook/index.html

もうとっくに公開の終わった作品「最近~」じゃないですね。1月の「ボヘミアン~」以来映画に関しては書いてなかった。しかし「ボヘミアン~」観たのが1月だったというのも驚き!そんな昔だったんだぁ~。

題名は黒人向け宿を記したガイドブック、1966年まで発刊されていたそうです。同じ南部でも州によって状況が異なり重宝したとか。その時代(1962年)を舞台に実話を基として作られた映画作品。アカデミー賞作品賞を受賞しています。

ピアニストとして高く評価されながら、敢えて差別困難の伴う南部諸州演奏旅行を企画したドクター・シャーリーは運転手兼ボディガードとしてイタリア系白人トニー・リップを雇う。演奏家として招待されながら会場レストランでは食事できない等不条理な差別、また裕福な黒人として地元黒人からも白い眼を向けられ孤独感を味わうシャーリー。そして差別意識を持ちながら、旅を続ける内にシャーリーへの敬意を高めて行くトニー、そのユーモア溢れるやりとり・エピソードには笑わせられ感動させられます。アカデミー受賞に関しては「白人スーパースター」映画、優位に立つ白人の活躍によって救われる定番型として批判もあったそうです。それだけ人種差別問題もひとランク上の次元で語られなければならないということなのでしょう。判らなくもないですが、自身がその差別世界の中に居ないせいか、単純に感動し楽しみました。社会告発的動機は別として、映画作品としてよくできています。自然と笑わせられてしまいます。

「ねことじいちゃん」 https://nekojii-movie.com/

普段なら観ないタイプの映画なのですが、ラジオで立川志の輔本人が話した映画宣伝が面白く興味を惹かれました。監督に「志の輔さんしか考えられない」と口説かれたとか。確かに映画のイメージによく合いそうな気がしました。ただ結果としては失敗だったと思います。芸達者な助演俳優たちの中にあって、志の輔の素人演技が完全に浮き上がってしまいました。一生懸命「演技しよう」との意図が丸見えです。寧ろ落語家としてそのままの姿で演じればよかった、私の当初のイメージもそれでした。現在65歳の志の輔が70歳の役を演じる、その部分でも無理して年寄り演技をしていて不自然です。ありがちな、下手な技を使わない単純なストーリーなのですから尚更でした。

主役はもちろん猫たちなのでしょう。専門家猫スペシャリストである岩合監督はさすがです。志の輔のラジオで『出演俳優から「何処までがCGなんですか?」と聞かれた』というエピソードを披露していましたが、ホント、信じられないくらい猫たちが”演技”しています。期待される猫像をしっかり理解しているみたいに。CGは全く使っていないそうです。猫にしっかり演技させた岩合監督、人間である志の輔の演技付けには失敗したようです。

「キングダム」 https://kingdom-the-movie.jp/

ご存知人気漫画の映画化です。漫画原作の映画というのも原則観ないのですが、漫画の方を単行本で買って読んでいるもので。歴史好きとしてはハチャメチャ過ぎる創作ですが、別物として単純に楽しんでいます。映画も同様、堅いこと言わずに楽しみました。脚本会議には原作者がずっと立ち合い、切るべき所は遠慮なくカットできるよう配慮したと、漫画本エッセイで書いていました。それが良かったのでしょうね。無駄なく合理的にすっきりとストーリー立てされていました。大沢たかおはこの映画のために、体重増量、筋肉トレーニングでムキムキ体を作り上げたそうです。すごい! きっと続編もできるでしょう。楽しみに待ちます。

「空母いぶき」 https://kuboibuki.jp/

漫画原作は観ない、と言いながら漫画原作が続きます。観た理由は同上です。昔々で判らない部分も多く想像を働かせる範囲の広い戦国時代に比べ、現時代を描くには難しさも伴います。「中華人民共和国」を「実在しない新興国家」に置き変える無理ありありの設定です。もちろん中国への配慮というか苦しい言い訳ですね。もっと苦しいのは結末です。ネタバレ配慮で書かずにおきますが、あり得ないご都合主義でした。丸~~く収まりました。これが可能なのなら漫画にもなりません。

「ゴジラ キングオブモンスターズ」 https://godzilla-movie.jp/

ハリウッド版ゴジラですが、日本版の「三大怪獣 地球最大の決戦」の焼き直しですね。1964年末の作品で小学生時代に観ました。迫力ある映像ですが、何と言ってもストーリーが酷い、無理やりの理由付けにもほどがあります。理由にもなってないし、そんなにまでして理由付けしなければならないのでしょうか?「~いぶき」みたいに外交問題もないのですから、「キングダム」みたいにハチャメチャで構わないと思うのですが。そこが気になって迫力ある映像にも集中できませんでした。

2019年1月17日 (木)

「ボヘミアン・ラプソディ」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」観てきました。「ファンでなくても感動する」との感想を聞いて観に行ったのですがその通りでした。メンバーそれぞれの、人としての描き方が魅力的でした。ドラムのロジャー・テイラー、特に濃く描かれたわけでは無いのですが「きっといい奴なんだろうな」と感じさせる、自然で好ましい演技だったと思います。そして何と言っても歌と演奏が素敵でした。過去の音源、現在のブライアン・メイとロジャー・テイラーの演奏に "公認クイーンコピーバンド"の音とを組み合わせて構成したとか。最後のライヴエイドのシーンは圧巻でしたね!涙ぐみそうなほどに。因みにベースのジョン・ディーコンは「フレディ以外のボーカルで演奏する気にならない」と事実上引退してしまったそうです。

キラー・クイーン」のヒットした1974年は大学2年生、翌1975年には初来日して大騒ぎでしたから、ファンならずともその曲は身近に聴いていました。映画中での曲のほとんどは記憶にあります。ただ、「キラー・クイーン」以外は聴いても曲名は思い浮かびませんし、曲名からメロディも浮かびません。私自身は当時はかぐや姫とかユーミンがメイン、洋楽はディスコに夢中(2次ディスコブーム)だったこともあり、アイク&ティナターナーとかのブラック系の曲を聴いていました。大学生時代はステレオもラジカセも持たずラジオだけでした。買った洋楽LPはアイク&ティナターナーとエマーソン・レイク&パーマーそれぞれ1枚ずつだけだったと思います。

フレディ・マーキュリーは私より7歳年長ですが、音楽シーンとしては同時代人といってもよいと思います。それを1番に感じたのは物語の冒頭に近い部分、メアリーの勤め先としてブティック「BIBA」が出てきたことです。1975年、ロンドンの「BIBA」で買い物しています。ツィーギーとかで時代の先端として有名になったブティックですが、同年にブランド休止していますのでギリギリでした。買ったのはジャケットとジーンズ地のブーツです。ブーツは当時流行のウエッジソール。少し前に処分しようかとも思ったのですが取っておいて良かった~。取り敢えず当分は保存しておこうと思っています。因みに、かなり細めのデザインですが、20代のその頃と体型も体重もほとんど変わりませんので今でも入ります。(笑)

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ロンドンを訪れたのは1975年の夏、スコットランドのエディンバラに2週間滞在の後ロンドン、そして中央ヨーロッパを渡り歩きました。当時ロンドンには大学美術部の先輩が在住しており、先輩の愛車中古ポルシェでケンジントンパレスコート、そしてBIBAに連れて行って貰いました。

2018年6月23日 (土)

「万引き家族」と「タクシー運転手」

最近に観た映画2作品です。「万引き家族」は地元映画館で20日に家内と一緒に。ご存知の通り、今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した作品です。世界三大映画祭での最高賞受賞作というと、だいたいは「面白くない」という印象があります。この作品もそれですね。ただこの場合の「面白くない」は作品の質を表す言葉ではありません。単に「エンタメではない」という意味です。映画は”面白くすべき”なのかどうか、難しい部分です。ただ、最近のハリウッド特撮・アクション作品のように、刹那の”面白さ”だけに特化した作品には疑問符をいくつも付けてしまいます。

事前に詳しくは内容を調べずに観に行ったのですが、”家族”という部分では私の想像通りでした。「多分本当の家族ではないのだろうな・・・」という点で。しかしその内容は想像以上にシリアスでした。つい最近ニュースになった幼児虐待、そしてDV、パチンコ店駐車場幼児放置や浮気・略奪婚も含まれているらしい。それぞれに事情を抱える5人”家族”に両親に虐待される女児が新しい”妹”として加わる部分から話が展開します。

私は小さな子供と遊ぶのが苦手です。目線を下げて同化して遊ぶことができません。結婚前は幼児・赤ちゃんを見ても「可愛い」と思うことがあまりありませんでした。それが結婚して長女が生まれて変わりました。可愛くて愛おしくて堪りません。今でも3歳の頃の娘には恋心を感じます。あの時代に戻れないことが寂しく感じます。父親にとっての娘、”永遠に結ばれない片恋の相手”だと思っています。「親孝行の必要は無い、子供は3歳までに一生分の孝行をしている」というのも本当だと感じています。そんな子供に対して”虐待”という行為が何故に可能なのか?どうにも理解できませんし、先のニュースにも居たたまれない辛さを感じてしまいます。

作品は、離婚した元夫の子供夫婦にたかる老婆、その老婆の家に同居する様々な過去を抱えた”家族”、万引きはするしその万引きを子供達にも教え協力させる”親”、性風俗店で働く娘、事実上の”誘拐”にも匹敵する幼女連れ去り、客観的に見れば「どうしようもない連中」です。しかしその生活には”家族”というものの本質を鋭く問い詰める投げ掛けがあります。シリアスに投げ掛けられたその現実に、映画を観ていても辛くなります。「画面に夢中になり時を忘れる」という没入以前に、「早く先に展開して欲しい」「もうお終いにして欲しい」とまで感じさせる辛さです。あまりにリアルでシリアスで、また俳優陣が皆上手過ぎて、「百円の恋」の安藤サクラはすごい女優ですし、樹木希林やリリー・フランキーはもちろん、子役達が上手過ぎて一層辛くなります。棒読みの昔々の子役は兎も角、しっかり役柄を捉え理解して演じているように見えます。あの歳でこの役柄を理解してしまったら、その辛さを知ってしまったら、そう考えると気の毒でなりません。そしてリアルなあまり”希望的観測”も付け加えては貰えません。どうしようもない現実を突き詰められたまま劇場を去らねばなりません。パルム・ドール綬章の理由や価値は判りますが、「面白くない」と感じた理由も観た方には理解頂けると思います。「面白くない」しかし「観なければ良かった」とは思いません。そんな映画作品でした。

 

翌21日には、高速を使って高崎まで、地元上映の無い韓国映画「タクシー運転手」を観てきました。名優ソン・ガンホ主演での、1980年の韓国南部光州市で起きた「光州事件」を題材とした作品です。軍事政権に反対する民衆の抗議デモに(警察では無く)軍隊が派遣され実弾を発砲、多数の一般民衆(百数十人、後遺症での死亡・行方不明者を含めると500人以上とも)が亡くなった事件です。しかも光州市は完全包囲され電話も遮断、韓国内でも事件真相は全く報道されず、「反政府主義者(アカ・共産主義者)の暴動で警察官が死亡」と報道されたのみだったそうです。そんな光州市に危険を顧みずに侵入したドイツ人記者とそれを運んだ韓国人タクシー運転手の、実話を基にした映画です。

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光州事件は、映像を日本に持ち帰ったドイツ人記者により全世界に発信、事実が知られることになりました。NHK報道で初めて事件を知った韓国人も少なくなかったそうです。しかし当時の日本ではあまり関心を呼ばなかったようです。27歳だった私の記憶には残っていません。韓国にはなんの関心も持たなかった時代です。事件の起きた1980年の夏、新婚旅行でフランスに向かいましたが、航空会社は大韓航空(安かった)でのソウル乗り継ぎ便でした。パリに向かう乗り換えでの金浦空港、マシンガンを抱える空港警備の兵士に「物騒な国だなぁ」と感じたことを憶えています。そんな大変な時代だったとは夢にも思っていませんでした。日本は平和真っ盛りのバブル期です。

「タクシー運転手」は、事実を基にした作品ではありますが、かなりの虚構が加えられ”盛って”あります。「あり得ないだろう!」と思わせる軍車両とタクシーとのカーチェイスとか、韓国映画にありがちなエンタメ的”嘘”があちこちにばら撒かれている感じです。何処までが事実で何処からが”盛り”なのか?はっきりしません。事実を全く書き換えた「軍艦島」や「暗殺」等、知らない人達には大いに誤解を与えるであろう設定脚本も意に介しないのが韓国映画です。その範囲では、誇張はあるでしょうが、「光州事件」という衝撃的な事件を描くにあたりその本質は外していない、エンタメとしての許容範囲での脚色だったようにも思います。シリアス過ぎて辛かった「万引き家族」を観た後でしたので、少しは許容範囲が広がっていたかも知れませんが。

2018年5月10日 (木)

平成最後のGW 1

平成最後のGW、遠出はしませんがそれなりに行事をこなしました。来年からは新年号、昭和は更に遠くなります。

 

私にとっての連休行事初日は4月30日宇都宮、映画を観に行きました。ここのところ続いた芸術家テーマ映画の一応の区切りになります。宇都宮在住の友人と待ち合わせての鑑賞、家内以外と一緒に映画を観たのは、おそらく大学生時代以来かと思います。

Img_20180430_085703_2「ゴッホ~最後の手紙~」ゴッホの死後発見された弟テオへの最後の手紙、パリのテオ宅へ配送されますが宛て所不明で返送されてしまいます。ゴッホの作品にも登場するアルルの郵便配達人ルーランは、息子アルマンにその手紙を託します。酔いどれて暮らすルーランは拒否しますが父親の意思の強さに折れてパリに向かいました。しかし訪ねた先にテオは居らず、ゴッホの死後時を置かずに亡くなったことを知ります。新たな届け先を求めてアルマンは北フランス、イル・ド・フランスのオーヴェル、ガシェ医師を訪ねます。オーヴェルはゴッホ終焉の地、医師ガシェは生前にゴッホの作品を買った唯一の人物です。

 

この作品の特徴は2つ、1つは一般的な伝記作品ではなく、ゴッホの死の真相に迫るサスペンス調のストーリーになっている点です。通常自殺とされるゴッホの死を、殺人・事故をも含めてアルマンがその真相を探ります。もう1つは作品が油絵でのアニメーションで造られている点です。世界各国125名の画家によるゴッホタッチの油絵62,450枚からできているそうです。唯一人、日本人画家も含まれています。古賀陽子という若い女性画家でした。ゴッホの作品に登場する人物を俳優が演じ、それを画家が描きアニメーションとして構成します。サスペンス調の流れも、油絵アニメーションも、特徴的個性的でそれなりの成功を収めているように感じました。感動するほどではありませんでしたが2時間半を楽しむことができました。

 

私の興味を持つ様な作品は、相変わらず地元では上映されません。シネコン3館は3館とも同じような作品、ハリウッド特撮大作とアイドル系アニメ原作の邦画ばかりです。たまには、と第1作を観た「パシフィック・リム」の2作目を調べたのですが、上映は吹替えのみでした。ここは絶対に妥協できない部分です。吹替えは俳優の口からでは無く、映画館の壁とか天井とか何処か別の場所から発せられる気がしてどうにも不自然に感じられてしまいます。次の映画鑑賞もやはり、宇都宮か高崎になりそうです。

 

徒歩で映画館まで来た友人をS660に乗せて県立美術館へ移動、「国吉康雄と清水登之 ふたつの道」を観ました。地元の画材屋で貰った招待券で2人とも無料で観ることができました。同行の友人は大学美術部時代の同期、彼が部長で私が副部長でした。去る20日に渋谷に集まった4人の内の1人です。

Img0022_2 Img003_2 1910年から20年代初めの時期を共にニューヨークで暮らした2人の画家、岡山県出身の国吉康雄と栃木県出身の清水登之、アメリカンモダニズムの影響下、また1924年にパリに移住した清水登之、国吉康雄もまたパスキンの誘いを受けパリに渡りエコール・ド・パリの洗礼を受けます。同時期に同じように欧米のモダニズムの風の中で絵画制作に没頭した2人ですが、太平洋戦争の勃発は2人を別の道へと進ませます。戦中もアメリカに留まった国吉は反ファシズム的立場から反日プロパガンダポスター制作に携わり、帰国した清水は従軍画家として戦争を題材とした絵を描きますが、海軍軍人となった長男(戦艦金剛乗船)が戦死、失意のうちに終戦の年の12月に亡くなっています。一般的知名度は国吉の方が上でしょうが、栃木県出身の清水の作品は桐生の大川美術館にも多くあり、これまでも観る機会の多かった作家です。国吉の晩年の作品、ネオンカラーの人物像とかは、これまであまり観たことがなく印象的でした。

2018年4月11日 (水)

4/10日上京・美術展巡り

昨日は東京へ、美術展巡りをしてきました。結構がんばりました!

まずは上野へ。当初の予定では一番終了期限の近い「ピュールレコレクション展」を観るつもりだったのですが、こちらは今月中にもう1度上京することにして、効率良く上野を片付けることにしました。順番にも迷ったのですがやはり疲れない内にメインをと「国立西洋美術館」の「プラド美術館展」から。

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日本では印象派ばかりが人気が高く、以前はこの時代のものは滅多に観られませんでした。最近では随分変わり幅広く観られるようになりましたね。ベラスケスはやはり重厚です。スペインという国は、画家分野では多くの才能を輩出しています。ベラスケス、エル・グレコの時代からピカソ、ダリの時代まで。ゴヤやミロも居ましたね。芸術の中心が欧州からアメリカに移って久しいですが、現代美術ではどうなのでしょう?名前が浮かびません。行ってみたい国のひとつですが、中々難しくなりました。若い内に行っとくべきでした。

今回初めて知ったのですが、常設展部分では多くの作品が「撮影可」となっています。欧米に倣ったのでしょうか、スマホ時代ではそういった要望も強いのでしょう。何枚か撮ってきましたが、以前の習慣からかまだナンカ遠慮してしまいます。常設展の奥、「新館」では「マーグ画廊と20世紀の画家たち」という企画展が開催されていました。マティスやボナールの版画作品も常設展料金で観られます。常々思うのですが、西洋美術館の常設展示は素晴らしく質が高いですね。川崎造船所(現川崎重工業)の松方氏のコレクションですが、当時ではこれでも「一部」だったようです。世界恐慌で国内分は散逸、ロンドン分は火災で焼失、西洋美術館の松方コレクションはパリにあり戦後返還された部分だけだそうです。全部揃っていたら大変なコレクションだったのですね。学生時代はこことブリヂストン美術館の常設展は時々訪れていました。今回はスケジュール過密につき、常設部分は駆け足通過となりました。

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都立美術館へ移動。「美術文化展」、昨年6月から絵画制作に復帰したのですが、その切っ掛けにしたのが市の施設でのパステル画講習会でした。講習会(6月~8月)終了後に参加者の約半数(11人)で自主グルーブ「パステルフレンズ」を結成しました。講習会・そして現在のグループを指導して頂いている先生が出品、招待券も頂いたのでこの会期に合わせての上京でした。

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2枚目の作品が先生の出品作です。指導では静物画とか人物とか具象画ですが本来は抽象です。作品数が多いので流して速足鑑賞です。こちらももちろん撮影可。

↑が無料で観られたので、ついでに「モダンアート展」も入ってみました。800円、ちょっと高く感じられる。こちらもさっさと流して歩きました。学生時代、公募展も時折観ました。「モダンアート展」「新制作展」、「二科展」「日展」、そして「東京ビエンナーレ」とか。銀座の画廊巡りもしましたね。今に比べると美術館の数も限られ、企画展はデパートの催事場で開催されたりしてました。今は亡き、西武美術館のできたのは”新時代到来!”感がありました。

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日本の現代美術?展を2つ続けて観ても、”新しさ”はあまり感じられません。抽象も半抽象もポップもオップも、ナンカ食傷気味。現在美術がマンネリ化してる感があります。一応”自由”なのですが、何か不自由な気もしてくる。続けて観ると、制約のあったベラスケス時代の方が自由を求め易い?ような気もしてしまう。規制が無いと自由の価値も下がるのかな?何をどう描いてよいのか、戸惑ってしまいます。2次元絵画でこうなのだから、3次元・4次元となると尚更で、増々魅力の見つけ所を失ってしまいます。ジャクソン・ポロックやイヴ・クライン、ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、そしてスーパーリアリズムとかを初めて観た時の興奮は今は何処にも感じられません。

「日本パステル画会展」というのを見つけて、予定にはなかったのですが観てきました。無料だったし。

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昨年6月に約35年振りで再開した絵画制作、昔の油絵具はもちろん使い物にならない(とっくに捨てましたが)し、「何をやろうか?」と考えていた時に市の広報で見つけた「パステル画講習会」ですが、パステルは初めて体験する画材でした。ただ、オイルパステル(クレパス)は使ってました。「同じだろう」と思って始めたのですがかなり異なり、色の乗りの違いに最初は戸惑いました。折角始めたパステル画ですので、来年はこの公募展に出品してみようかな?とか考えています。出展作を見てみると、取り合えず”入選”して飾って頂けるレベルだとは思います。上の写真は会員さんの作品ですのでもちろんレベルはずっと上ですが、一般公募通過作はそれほどではありません。あと1年あるし。

美術館展示の後で恐縮ですが、所属する出来たばかりのパステル画会の初展示会も昨週末に開催されました。市の主催する総合展示会への参加という形での出展です。2枚目の2点が私の作品です。油絵は描いてましたが、パステル始めて10ヶ月ですのでまずまずでしょう?

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昨日の最後のスケジュール予定は映画でした。吉祥寺まで移動、最近にできたらしい30数席の小さな映画館です。「COCOMARU THEATER」とか。観た作品は「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」です。例によって田舎には来ないマイナー作、電車賃使ってはるばるやってきました。

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少々長く感じました。ゴーギャンのモデルを務めたテフラという現地女性との出会いと別れを描いていますがやや単調でストーリーが月並み。ゴーギャンをモデルとしたサマセット・モームの傑作「月と6ペンス」は、今まで読んだ海外小説作品中では同じモームの「人間の絆」やディケンズの「デイビット・コパフィールド」と並び心に残る長編小説でしたので、少し期待し過ぎたのかも知れません。テフラ役の”現地で発見した”というツイー・アダムスは、絵画作品の雰囲気を持つ印象的な女性でした。

今週末から都立美術館で始まる「プーシキン美術館展」でもゴーギャン作品が来日します。前売り券を買いました。初めての”シニア券”です。半額!ただ、誕生日はまだですので、それを過ぎないと使えません。6月以降に行く予定です。その前にルノワールとルドンを観に行かなくちゃ。友人の展覧会もあるし暫くは大忙しです。

2018年4月 2日 (月)

謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス

画家主題映画、ジャコメッティ・セザンヌに続くのは個性的過ぎる画家:ヒエロニムス・ボスでした。例によって地元での上映は無く高速道使って高崎へ。生まれた年月も不明の謎だらけの画家ですので、期待して観に行ったのですが裏切られました。高速代がもったいなかった・・・。上映時間の多くをうたた寝して過ごしました。退屈な映画、いや”映画”にもなっていません。単なる”資料”です。評論家や作家や歌手等々、沢山の人物が登場して語るのですが、それだけの羅列としか感じられませんでした。”謎”は何か解明されたのでしょうか?もしかしたらそういった場面もあったのかも知れませんが、うたた寝していたので判りません。時には、疲れて鑑賞中に一時睡魔に襲われてしまうようなこともありますが、大抵は「一時的」です。ストーリーに誘われて目覚め、また映画に集中できるのが通常です。ただ今回は意識が戻っても変わらぬ場面の繰り返しで、再び睡魔の虜に、その繰り返しで終わりました。ドキュメンタリーにしても工夫が無さ過ぎる気がします。謎の画家の謎は謎のまま残り、どういった意図で作られた映画?なのかも謎です。高名な方々を登場させた故に、それぞれの顔を余さず映さないといけない大人の事情?と勘ぐってしまいます。その方々から得た疑問や解説を”資料”に、何かしらストーリーのある”映画”として仕上げて欲しかった。

2018年3月19日 (月)

「セザンヌと過ごした時間」「ジャコメッティ 最後の肖像」

最近観てきた作品です。芸術家テーマの映画2点。「セザンヌと過ごした時間」は、フランスの画家ポール・セザンヌと「居酒屋」「ナナ」で知られた作家エミール・ゾラとの交遊と破断を描いたストーリーです。原田マハの小説「ジヴェルニーの食卓」に収められた4作の中の「タンギー爺さん」の中でも描かれていますが、セザンヌとゴヤとはエクス・アン・プロバンスの中学校で知り合い親友として交流を続けました。もっとも原田マハの小説ではセザンヌ本人は一切登場せず、タンギー爺さんの娘が語る形で描かれています。原田マハの小説もお勧めで、「タンギー爺さん」の他にドガを描いた「エトワール」、マティスを主人公とした「うつくしい墓」、マネを描いた「ジヴェルニーの食卓」が収められています。

映画に話を戻します。エクス・アン・プロバンスの中学校に、イタリア人移民の子(母親はフランス人)として転校してきていじめられる下級生ゾラを、セザンヌが庇って喧嘩するシーンが知り合った最初です。ゾラはその礼に林檎を持ってセザンヌ宅を訪れます。成長したゾラはパリに上り作家としての成功を目指します。ゾラの勧めもあって画家を目指したセザンヌもゾラの後を追って上京します。「テレーズ・ラカン」で小説家としての足場を固めたゾラは、その後「居酒屋」での爆発的ヒットで流行作家としての地位を確立しますが、反してセザンヌはサロンでの落選を続けます。成功者ゾラと一向に芽の出ないセザンヌとの関係は徐々に齟齬をきたし、セザンヌをモデルとした小説「制作(「作品」とも)で決定的に破綻します。(この絶交には他の説(女性関係)もあります)

画家などの芸術家には”貧しい”というイメージが一般的に感じられますが、セザンヌは裕福な銀行家の息子でした。親の意に反して画家を目指したことでパリでは窮乏の日々を過ごしましたが、父親の死後に遺産を相続しています。裕福な家に生まれながら粗雑で人間関係を築くことの下手なセザンヌ、貧しい移民の子に生まれながら成功して紳士然となるゾラ、その対比も映画の主題なのかも知れません。

映画をちょっと離れて印象派成立当時のパリ画壇、芸術の変遷に関して少し書かせてください。通常は芸術分野での進化・変遷としてしか描かれませんが、芸術も社会情勢の流れの中で変遷します。決して世間から独立した存在ではありません。現代では当たり前にある「美術館」も、その成立はフランス革命後です。それ以前、芸術は王侯貴族の専売特許であり、レンブラントやベラスケス等現代人に知られた有名作家も、当時の一般庶民には全く縁のない存在、その作品を一生涯目にする機会はなかったのです。一般人が芸術作品を観ることのできる、唯一の例外は”教会”でした。多くの絵画作品は王侯貴族が自身の宮殿・邸宅等に飾るために職人としての画家に”発注”し買い取るもの、その館を訪れる客人しか目にすることはできません。ですので画題も神話や王侯貴族の肖像画が主体となります。画家が自由に画題を選べる時代ではありませんでした。レンブラントの代表作「夜警」は、注文者が記念写真的目的で依頼したため、「鮮明に描かれていない人物が居る」との理由で受け取りを拒否されています。

美術館の始まりはフランス革命での王家断絶、宮殿開放です。美術品の宝庫ルーブル宮が一般に開放され、一般庶民が初めて芸術作品を目にしたのです。ゴヤの「居酒屋」の中でも、物見遊山でルーブルを訪れるシーンが描かれています。フランス革命、英国の産業革命後に自由経済の中で生まれた中産階級は、それまでの一般庶民と比べ経済的余裕も持つようになり、自身のリビングを飾る絵画に関心を持つようになりました。そして生まれたのが画商・画廊です。そして作品提供者としての”画家”、今までのような宮廷・貴族お抱えの絵師ではない現在の感覚に近い”画家”が生まれます。画題も自由に幅広くなり、写真機の登場により記念撮影的役割からも解放されます。

映画の中に、特に美術に知識・関心を持った方でないと見逃してしまうシーンがありました。印象派の画家たちを援助していた画材屋:タンギー爺さんがセザンヌに「野外用の絵の具」として渡した油絵具です。このシーンも重要なのです。それまでは金属製の注射器のような機材に絵の具を詰め、無くなると中を掃除して画材屋で再び充填して貰ったのです。手間のかかる作業でした。それがチューブ式絵の具の発明で補充・持ち運びが簡単になり、野外での制作に便利になりました。直射日光を避けて北向きの天窓を持つアトリエで描いた中世から、野外の光の中で描いた印象派への移行、単に芸術史的内部変化ではなく、こういった道具の開発も大きく影響しています。チューブ式絵の具を「当たり前」として見ている現代人には気付き難いシーンですね。

セザンヌの代表作に、故郷エクス・アン・プロバンスのサント・ヴィクトワール山を描いた作品が多くありますが、映画に登場する実際の映像よりもセザンヌ作品の方がずっと美しい!もしかするとそれも監督の意図だったのかも?新婚旅行でニースまでは行ったのですがプロバンスまでは行けませんでした。2020年の結婚40周年に海外旅行を思い描いています。今1番の候補はポルトガルなのですが、「プロバンスもイイナ」と迷ってしまいそうです。

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もう1作は彫刻家として有名なジャコメッティを描いた作品です。こちらはセザンヌと異なり、成功して財を成した最晩年のジャコメッティが登場します。尊敬するジャコメッティにモデルを依頼され、「2、3日、長くはかからない」との言葉を信じて嬉々として引き受けたアメリカ人作家・芸術評論家を主人公・語り手とした作品です。実在の人物で、彼の書いた回顧録が元となって作られた映画だそうです。

モデル初日の「肖像画とは決して完成しないものだ」との不吉な言葉通り、2日で済むはずの肖像画は一向に進展しません。突然アトリエに現れる愛人、ジャコメッティと妻との諍いの中で翻弄されるアメリカ人作家は、連日帰国航空便の予約を取り消し・変更を繰り返しながらモデル苦行に耐えますが、完成間近と思える頃にジャコメッティは画面を消しての描き直しを繰り返し一向に完成しません。画家の苦難の半生を描くことの多い芸術家主人公映画ですが、この「最後の肖像画」はその点では異彩です。3週間弱の短い期間に短縮され濃縮された画家(彫刻家)の素顔を、興味深く描いています。ユーモアも交え愉快ですしジャコメッティも納得できるリアル観で描かれています。この肖像画を描いた2年後にジャコメッティは亡くなっています。文字通り(完成した)「最後の肖像画」となったわけです。

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流行りなのか?芸術家主人公映画が大流行り、この後ゴッホ、ゴーギャンが続きます。異才の画家ヒエロニムス・ボスの映画も公開されます。どれもやはり、私の地元には来ません。「セザンヌ~」は宇都宮、「ジェコメッティ~」は高崎まで遠征しての映画鑑賞でした。

2018年2月23日 (金)

「ル・コルビュジエとアイリーン」

久し振りに映画の感想です。映画鑑賞も趣味のひとつ、ここ暫くは何やかやで忙しくて途絶えていましたが、月に1回程度は観ていました。映画館、「シン・ゴジラ」以来か?いや、イ・ビョンホンの「インサイダーズ」も「マグニフィセント・セブン(荒野の七人)」も遅ればせながら観たな。「シン・ゴジラ」は面白かったけれど感想を書く間なく流れてしまった。ちょっと間を置くとダメですね。

ここんとこ、観たい映画が沢山です。ま、ちょっと興味を惹かれる作品があって上映館などを調べると次から次へと出てきてしまう、そんなことですけどね。知らずに居ればそのままです。今回の「ちょっと興味」は「セザンヌと過ごした時間」です。「観てみたい」と思った辺りから忙しくなって未だに未見です。原田マハの「ジベルニーの食卓」でセザンヌとエミール・ゾラとの関係を読んで興味を持っていたエピソードが映画になっているのですから、これは観ずには済ませられません。そしてゴッホ、ゴーギャンと芸術家主人公の作品上映が何故か続いています。そしていずれもマイナー作品ですので、私の居住地周辺での上映はありません。私の住む足利市、隣接する佐野市・太田市、それぞれに1館ずつの映画館、シネコンなるものがあります。このシネコンなるもの、私の好む作品は一向に上映してくれません。派手なアクションばかりで内容の無いハリウッド大作と漫画原作のアイドル系主演作品ばかり、3館もあるのに同じ品揃えで上映します。全く芸が無い・・・。

と言うわけで、今回もシニア料金1,000円ながら往復の高速代をかけての割高鑑賞で宇都宮ヒカリ座遠征です。マイナー作品鑑賞、私の場合は宇都宮か高崎か伊勢崎、というのが常態です。http://hikariza.news.coocan.jp/

そして今回(昨日)観たのが上記”芸術家主人公作品”流れのひとつ「ル・コルビュジエとアイリーン」でした。日本副題で「追憶のヴィラ」とあります。セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホと異なり建築家ですので、”芸術家”並びとは少々異なりますが、一応その類としてリストに入れていました。ただ「一応」ですのでこの4作品の中では一番注目度が低く、「タイミングが合わなければ観なくても~」程度でした。それが、「23日上映終了」という「番組終了30分以内のご注文で~」みたいに急かされて、たまたま真っ先に観に行くはめになってしまいました。そういう次第ですので、内容は全く事前確認しない儘です。偉大な建築家ル・コルビュジエと、彼を崇拝・思慕するアイリーンとの愛と創造を巡る葛藤の物語、みたいなお話を勝手に想像していました。大外れです。そんなロマンチックなものでも感傷的でも感動的でもありません。一般的には至極退屈な物語であったかも知れません。興行的には難しいでしょうね。マイナー作品平日上映ではよくあることですが、観客は私を含めて2人、そしてもう1人はどうやら熟睡している様子。しかしそんな作品なはずですが、不思議と退屈はしませんでした。ドラマチックな展開もサスペンスも無し、よく判らない相互関係や事情もありそうで、私が理解していない部分もありそうなのに、何故か退屈はしなかったのです。ま、感動もしませんでしたけど、刹那のスリルだけのハリウッド大作の「金と時間を返せ!」的な後悔は全く感じません。不思議な作品です。ドキュメンタリー風ですがドキュメンタリーでもありません。軽く皮肉っぽい風刺表現も含まれています。

主役はコルビュジエではなくアイリーンの方、アイリーン・グレイという、私は知りませんでしたが、有名なインテリアデザイナーで建築家でもあったそうです。芸術家として描かれているのは寧ろ彼女の方、ル・コルビュジエはメインキャストではありますが、ややピエロ的な脇役として登場しています。そこが逆に人間的で面白かったようにも思います。どうも上手く表現できませんが、ひと言で現すならやはり「退屈しなかった」というしかありません。チラシにあるような「知られざる愛憎のドラマ」を想像して観ると違ってしまうと思います。

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今回の宇都宮行きには、もうひとつ目的がありました。”栃木県動物愛護指導センター”です。昔の保健所の役割であった、野犬野良犬野良猫保護のための施設です。実は近頃「犬を飼いたい」と思い始めているのです。子供の頃には、家でシェパードを飼っていました。「飼っている」という意識も希薄に犬や猫が普通に日常に居る、という生活でした。世話は主に祖母や叔母がみてくれていました。大学生の頃、叔母の面倒みていたプードルが死んでからは身近な犬猫は居なくなりました。娘が幼かった頃に亀(ミドリガメ)を飼い始め、それは3匹とも未だに生きています。もう30年近くになると思います。

犬を飼っているFacebook友人の、愛護指導センターに収容されている犬に関する書き込みが契機となっています。昨年の入院手術の影響か、”命”に敏感になっているのかも知れません。収容されて”処分”される命に思いを馳せてしまったのです。元々、ペットショップと言う商売には否定的でした。パンやケーキは売れ残れば捨てればいい、でも売れ残った犬や猫は?どうも命の売り買いには疑念が残ります。ですので犬を飼いたいとの思いとペットショップとは、最初からかみ合っていません。最初に紹介された黒い犬は無事貰われていったそうです。あとは出会いを待ちます。その前に、犬を飼った経験が無く不安に思っている家内の説得が先決ですが。

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2016年12月26日 (月)

「君の名は。」

メジャー系の作品はあまり観ないのですが、「興行収入200億円越え!」の声に逆らえ切れず観てきました。もう盛りは過ぎていますので、シネコンの中では小さめの箱に変わっていましたが、それでも結構席が埋まっていました。私の観に行く作品ではいつもがらがら、家内と2人切りでの貸し切り上映も確か2度ほどありましたので、それに比べるとだいぶ雰囲気も異なります。

さて作品の感想ですが、中々良くできていますし映像も綺麗です。ただ、世間の騒ぎとのギャップは埋めきれませんでした。これはいつものことで、「永遠の0」でも「そんな騒ぐほど?」との感想でしたし、逆に感激した作品、高評価の作品は世間ではあまり話題になりません。どうも世の中と価値観がずれてしまっているようです。元々アニメ作品では、宮崎駿作品は大体観に行っていますし、興収1位の「千と千尋の神隠し」も良かったとは思っていますが、今までに観た歴代作品の中では上位に特筆するほどには思っていません。アニメ作品は、現実離れした内容で描ける自由さはありますが、やはり現実的リアル感に乏しく、自身の内面に融合した迫り来る感じ、なんと言うか、結局は自分には関係のない作り物の世界という感覚が抜けきれないのです。要は感情移入できないのです。映画をエンターテイメントとしてよりも、無意識的に、純文学的感覚で受け止めようとしている部分のあることも影響しているのでしょう。「君の名は。」は、私の中では、「悪くない作品」の範囲を超えるものではありませんでした。前半では眠気を感じる部分もありましたし、感心はしたものの、瞼を熱くする場面もありませんでした。感涙ということでしたら、宮沢りえ主演の「湯を沸かすほどの熱い愛」の方が何度も泣かされましたし、「映像が綺麗」とは言っても所詮絵具色彩の人工的綺麗さで、今年観た作品の中でも、英国映画「愛しき人生のつくりかた」でのノルマンディー海岸の実写映像には勝てはしない気がします。

今年は例年より多く邦画を観ています。確かに邦画当たり年だったのだと思います。「シンゴジラ」は面白かったですし、「殿、利息でござる!」「64」「家族はつらいよ」、いずれも入場料の元を取った作品だったと思います。しかし昨年の「百円の恋」を超える作品には出会えていません。そしてその、近年で一番感動した作品が、どの作品よりもマイナーで知名度が低いことが残念ですし理解できません。映画作品のヒットは、近年ではその質・内容よりも宣伝効果の方がより重要な要素になっているそうです。宣伝に騙されてがっかりした作品も多々ありました。それはまだ良いとして、優れた作品が世間にあまり知られず消え去ってしまうことが残念でなりません。

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