2024年2月11日 (日)

最近読んだ本『虞美人草』『82年生~』『紫式部~』

『虞美人草』夏目漱石 旺文社文庫 1968年20240207_081752

 

夏目漱石を読んだのは何年振りだろう? 一生懸命読んでいたのは中学・高校時代なので52~57年ほど昔ということになります。その後にもぽつりぽつりとは読んだと思うのですが、はっきりした記憶はありません。 

漱石が『虞美人草』を書いたのは1907年、『坊ちゃん』『草枕』と同じ年です。1905年には『吾輩は猫である』を、1908年には『三四郎』を書いています。前後作品と比べて文体がやや漢語調で装飾過剰、特に前半は漱石らしくなく古臭く感じます。前後作品の方が読み易いので、時代変遷ではないはず。何故この作品だけ文調が異なるのか判りません。解説を担当した英文学者・海老池俊治は「遺憾ながら一種の出来損ない」とまで書いています。また、教養を持ち時代の「新しい女性像」藤尾を貶め、控えめな糸子・小夜子を持ち上げる、「漱石も明治人」なのだと、尤もながら再確認することになります。ストーリーも型に嵌った堅苦しさを感じます。 

虞美人はご存じ通り楚の将軍項羽の愛姫で虞美人草はヒナゲシ、「虞美人草」と「ヒナゲシ」とでは随分と語感が異なりますね。 

中学時代の最後、高校入試前日に自宅が火事に遭っていますので、中学時代の本は1冊も残っていません。新潮・角川がメインでしたが、文豪作家のものは少し高い旺文社文庫で買っていました。旺文社文庫はハードカバーで小さいながら函入りでした。ページ末に字句解説も付いています。旺文社には「中一時代」などの時代シリーズ学習雑誌や全国模試、大学受験ラジオ講座でお世話になりました。 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳 ちくま文庫 2023年(2018年筑摩書房)20240209_102719

 

 この文庫本の出た時点だと思うのですが、韓国で136万部、日本で23万部という大ベストセラー本です。榎本マリコのシュールっぽい表紙も目立ちます。

 男優先の時代を活きたある女性の33歳から物語は始まります。ある日突然、キム・ジヨンは自身の母に、その後には大学の先輩に、憑依したかのように他人格となって話し行動し始めます。驚き戸惑った夫チョン・デヒョンは妻を精神科医に連れて行きます。そして物語は1982年に戻り、キム・ジヨンの成長過程を描き出します。 

ジェンダーの問題が、社会生活上での男女格差の問われる時代です。日本よりやや男性優先意識の強い韓国、しかしその差は明らかな場面もありますが、隔絶したほどの差はありません。私自身韓国が好きで頻繁に訪れた時期もあり(20回訪韓しています)、韓国関連の書物、歴史ものや呉善花やら黒田福美やら、一般日本人よりはかなり多く読み知識も多いと自認しています。 

そんな近くて遠い、似てまた非なる国でのジェンダー意識を、特別でなく「ごく普通な」韓国女性の30年余りを描いて、韓国で多くの共感を得た作品です。非常非常識な差別でも極端な男尊女卑でもなく、普通の社会生活上にある、少し前なら日本でも「常識内」にあった性差別を描いたことで、より身近に意識することができたのでしょう。現在70歳の私の家事・育児を「手伝う」との意識、私の世代ではそれでも「良き夫・父親」範囲内に入っていたと思っていたのですが、娘世代には否定されます。「手伝う」と言う意識自体「家事・育児は女の仕事」との前提で出てしまう言葉ですから…。男としては身につまされる部分もある作品です。 

 

 

『紫式部日記・和泉式部日記』与謝野晶子訳 角川ソフィア文庫 2023年20240131_1950342

 

 読み終わりました。さほど面白くはない。訳した本文よりも、訳者の書いた「自序」「紫式部考」が作品を作者を知る上で興味深いものとなっています。 

『紫式部日記』は「文学」というより「記録」なのだろう。日々の行事・できごとを、貴人や女房の衣装装束までこまごまと記しています。文章としての滑らかさよりも、創作の資料として残している風に感じました。それ故、当時の風俗を記録した資料として価値あるものとされているようです。 

『和泉式部日記』はそれに比べるとやや「小説」的要素もあります。「私」ではなく「和泉」と、第三者の立場として書かれています。「和泉」との主語は与謝野晶子での意訳部分も多いらしい。小説的要素もあるにしても、その要素は源氏とは比較のしようもない程狭い。師の宮と和泉式部との二人のやり取りが大部分を占めます。正直言って飽きます。やはり日記文学は『更級日記』が(読んだ中では)1番内容があるように感じています。 

瀬戸内寂聴版『源氏物語』は「巻九」まで読み終わっているのですが、「巻十」が「入荷待ち」で10日待たされ未だ連絡が入りません。NHK大河影響で売れて在庫が切れたのかも知れません。前もって買っておけば良かった。

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姿を見なくなっていた谷崎潤一郎訳『源氏物語』が、本棚整理中に「巻二」だけ出てきました。中公文庫1973年初版です。大学生時代に読み、就職時に実家に送ったのだと思います。残りも何処かにあるのか紛失したのか判りません。先の瀬戸内版入荷待ちと対照的に、少し前は古本でしか手に入らなかった与謝野晶子版・谷崎潤一郎版が買えるようになっていました。大河人気での復刻なのでしょうか?谷崎版は挿画作家が豪華です。

2024年1月 7日 (日)

2024年1月2日・3日、箱根駅伝。

2024年、明けましておめでとうございます。新年早々北陸でも羽田でも、大変な事態となってしまい「おめでとう」と言い辛い年初にはなってしまいましたけれど…。

我が家の正月は2日からの箱根駅伝で始まる風があります。私は青山学院大学出身、部活で知り合った家内も勿論青山です。ですので2日は朝からTV前に張り付いての応援です。今年は(去年もですが)駒沢大がやたら強く、出雲も全日本もやられました。事前ミーティングでは原監督から「準優勝でいい」との言葉もあったと後から聞きました。本心なのかリラックスさせる意図だったのかは判りませんが。私自身も優勝は、半分以上諦めた気持ちで「2位を目指す」覚悟は出来ていました。多くの駅伝ファンは皆同じ気分だったと思います。結果はご存じの通りですが、「駅伝はコワイ」と、勝った身(走ったわけでもないけれど、)ながらに思います。

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あとから何を言っても結果論ではありますが、1万m27分台を確か3人?擁する駒沢に対し1人も居ない青山、しかし28分台は13人もの、絶対的エースは居ないものの層の厚い青山、原監督の選手選択での采配が生きたレースだったのだと思います。1区荒巻は区間9位と言う、他区間すべてを3位以内で走った青山にあっては最も悪い区間順位ではありますが、途中まで先頭集団を走り粘った大健闘の走りだったように思います。後続選手に勢いを与え、駒沢にスタートダッシュを許さなかった効果には繋がったかと。最強駒沢にプレッシャーを与える走りでした。誰も成し得ていない「連続3冠」はやはり大きなプレッシャーだったのでしょう。追う者は強く守る者は険しい。チャレンジャーとなればフレッシュグリーンは最強です。笑顔で走ってましたし。

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私の現役4年時、1976年にも、青学は箱根駅伝に出場していました。最終ランナーがゴール手前150mで脱水症状で倒れ襷を繋ぐことができませんでした。それ以降33年間予選会での敗退を続けました。原監督での印象が強く「新鋭校」のように思われている面もありますが、上位成績は残せていなかったものの、出場常連校ではあったのです。佐藤一世はじめ好走した4年生は卒業しますが、黒田朝日・太田蒼生・若林宏樹、来年の青山も期待できます。

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2023年10月19日 (木)

最近読んだ本『青春~』『旅だから~』『ひとたびは~』

『青春ピカソ』岡本太郎 新潮文庫 2000年(2020年14刷・1953年新潮社)20231010_091417

 

 画家・岡本太郎は「芸術は~‼」とか変人ぶってはいましたが、どうもあれは自己演出だったらしい。芸術論と言える著作も多数ある。本書は巨匠・ピカソの関して書いた本ではありますが、寧ろ岡本自身の絵画・芸術との出会い、そしてピカソにピカソの作品に相対しての自身の姿勢、芸術的変容を書き記した、エッセイであり自伝でもあるように感じました。人生に2度だけ「絵画作品の前で泣いた」それはセザンヌとピカソだったそうです。

 岡本は、ピカソを大家として奉ることを否定します。ピカソを「乗り越える」ことが芸術の未来であり自身の目標であると。しかしその実、彼のピカソに対する尊敬と敬愛の情は文章のあちこちに散見されます。ピカソの偉大さを認めながら、師として(もちろんその意識もあるでしょうが、)よりは「ライバル」として、偉大なる障壁として最大の愛情を持って敵視する、そんな関係性なのでしょう。

 本書は1953年に出版された本の文庫化です。70年前、私の生まれた年です。「昭和」イメージの強い作家ですが、実は大正生まれでした。昨年、東京都美術館での「展覧会 岡本太郎」の写真も少し載せておきます。

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『旅だから出逢えた言葉』伊集院 静 小学館文庫2017年(2021年第2刷・2013年小学館)20231010_091417

 

 伊集院静の小説はまだ読んだことがありません。『美の旅人 フランス編』文庫本三巻を読んでいます。その印象(が良くて)で買った本です。おそらく、『美の旅人』シリーズで旅した時に「出逢った言葉」も含まれているのでしょう。旅エッセイとしては悪くないと思います。ただ特に心に刻まれるエピソードがあるわけでもありませんし、「出逢えた言葉」に感銘を受けたわけでもありません。「旅だから」の言葉通り、その時その瞬間にその場所で「出逢えた」故に価値のあった言葉なのでしょう。第三者として傍観する読者には、その感慨は伝わり辛い。特に「言葉」に拘ることなく、旅エッセイとして読んで過不足ない本だと思います。

 特別な感銘は無かったけれど、未読の『美の旅人 スペイン編』を読んでみたくなりました。

  

 

『ひとたびはポプラに臥す1』宮本 輝 集英社文庫 2022年(1997年講談社)20231010_091523

 

 宮本輝の小説は未読、このの本が初めての出会いです。人気のある作家だと聞き、「シルクロード」という言葉に惹かれ手に取りました。昔読んだ井上靖の「敦煌」、佐藤浩市主演での映画もありました。太古の歴史に潜むロマンとエトランジェ的哀愁に浸る旅エッセイ、そんなものを期待して読み始めました。

 ところがドッコイ、全くもってそんな期待はたちどころに粉砕されました。グルメもエトランジェも哀切に満ちた人との出会いも、もぉな~~んもありません。旅エッセイを読んで「こんな所行きたくない!」と思ったのは初めてかも。灼熱と不衛生、文化革命的官僚腐敗、読み続けるのも辛くなるような苦行旅でした。下痢と賄賂と悪路、20年心に抱いていたという作者待望の旅なのだけれど、等の宮本輝氏はいったいどう感じたのか失望と満足と。

気楽に買ってしまって読み始めて暫くして気付きました。「1」だったのだと。全3巻あるとは知りませんでした。第1巻で距離的には半分に近い距離を進んでいます。残り2巻で2/3と言うことは、この先は更に厳しい難路がトラブルが待っているということなのか? 気が重くなって迷います。しかし旅の終わりでの作者の感慨も知りたい。ん~読むか…、少し間を置いて考えよう…。

2023年9月15日 (金)

最近読んだ本『堀辰雄~』『絵画を~』『風神雷神』

『堀辰雄 ちくま日本文学』堀辰雄 筑摩書房 2009年(2022年第4刷)20230815_084808

 

 

「ちくま日本文学」文庫版全40巻の内の1冊です。堀辰雄作品は『聖家族』『美しい村』『菜穂子』他、主要作はほとんど読んでいました。50年以上も前の高校生時代のことです。映画『風立ちぬ』を機会に数冊をその時に読み返しています。ゴルフで訪れた軽井沢、通りがかりに入ったブックカフェで目に付いた本です。街中の本屋だったら買わなかったでしょう。軽井沢で堀辰雄、というのが運命めいて思わず買ってしまいました。『風立ちぬ』以外は未読の作品だったこともあります。

デビュー作『ルウベンスの戯画』から数作は、若さ故の気負いのようなものが感じられます。ただ最初に載っている『鳥料理』は『聖家族』よりも後に書かれているし、必ずしも初期作品の特徴と言うわけでも無さそう。テーマにもよるのでしょう。やはり軽井沢情景の作品が落ち着きます。乙女チックな物語として男性ファンは少ないのかも知れませんが、何故か惹かれる部分の多い作家です。嘗ての軽井沢に対する郷愁もあるのかも知れません。軽井沢もすっかり変わってしまいましたから。『風立ちぬ』はこれで、3度目か4度目の購読になります。

 

 

 

『絵画を読む イコノロジー入門』若桑みどり ちくま学芸文庫 2022年(1993年NHK出版)20230829_103542

 

 

リタイアシニアなのですが通信系で美大生やっています。現在は洋画コースなのですが、最初の2年間は芸術学コースに所属していました。学術研究はどうも身に合わず専攻変更しました。しかしこの2年間が無駄だったとは思いません。「研究」するまでの興味はないのですが、知識として持つことは有益だと思っています。芸術学授業の最初に「感性で絵画を理解することはできません」とはっきり言われました。感性は勿論大切です。しかしそれだけではあまりに大雑把になりがちに思います。「最終的には好き嫌い」というのも間違いだと思っています。「好き嫌い」は当然あります。それを超えて理解しようとする努力無くしては、それこそ時間潰しの趣味で終わってしまいます。理解することで、好き嫌いを超えてある種の感慨に至ることもあると思います。

 「イコノロジー」は「図像解釈学」と訳されています。時代が新しくなるほどに、感性比率が高くなりイコノロジー比率が低くなります。新古典派以前、特に中世期の作品ではイコノロジー無しでは到底理解はできません。本書は、古典12作品に関して図像解釈したイコノロジー入門書です。多少の事前知識を持つ方には判り易い文章だと思います。

 コンテンポラリーアート(現代美術)ではまた別の意味で、感性だけでは理解できかねる作品も増えています。コンセプチュアルアートのように。それはまた別の話しです。

 

 

 

27冊目の原田マハ『風神雷神(上)(下)』PHP文芸文庫 2022年(2019年PHP研究所)20230914_193714

 

 

まさにぶっ飛んだ発想です。『暗幕のゲルニカ』でも「ここまで飛躍しちゃって大丈夫?」と心配しましたが、『風神~』では心配するのもあほくさい程の破綻です。もうなんでもござれ、マハさんにすべてお任せします。(笑)

俵屋宗達は国宝指定3点、《風神雷神図屛風》は知らない人も居ないほどの超有名作です。なのに「生没年不明」という謎の多い人物です。町絵師としては異例の「法橋」の位を与えられ、皇室からの作画依頼も受けたほどの絵師でありながら、光琳が私淑するまでは注目されず、その後も明治まで低い評価に甘んじていました。故に時代での資料があまり残されておらず、研究もされていませんでした。そのことが、マハさんに思い切り過ぎるほどの創意・発想の場を与えました。「史実が判らないなら何書いてもへっちゃらじゃい!」とかでしょうか。通信美大授業で《風神雷神図屏風》レポートを書いたことがありますが、遣欧使節やカラヴァッジョとの接触など、ツユほども結び付きませんでした。

 個人的には『たゆたえども沈まず』は不満でしたし失敗作と感じています。宗達と異なりゴッホは、美術史的知識の薄い方々にも幾つかのエピソードが知られるほどの有名人気画家です。それがマハ的飛躍発想を阻害したのでしょう。そのストレスはこちらで、倍々にして発散されました。ただ、坂本龍馬が司馬遼太郎の創作人物と知らずに「史実」と信じてしまっている人も多い、ので、「宗達も」とならないか少し心配。そりゃ無いか…。

2023年8月12日 (土)

最近読んだ本『国境の南~』『源氏物語の~』『pray human』

『国境の南、太陽の西』村上春樹 講談社 1992年20230622_193445

 

東京に行った時に、通りがかった古本屋の店先で目に付いて買ってしまった本です。単純に題名が気に入って買いました。

 村上春樹は私の鬼門です。初めて読んだ『ダンス・ダンス・ダンス』で挫折しました。つまらなくて訳が分からなくて、苦痛で読むのを断念しました。これが「どんなに難解でもつまらなくても最後まで読む」との、自身のプライドに引っかかっています。軽いエッセイで肩慣らしと読んだ『もし僕らの言葉がウィスキーであったなら』でも、嫌みなキザが目に付いただけ。『羊をめぐる冒険』でようやく普通に読めたのですが、感動するほどではない。ややマシな凡作、程度にしか思えません。

映画『ドライブ・マイ・カー』は良かったけれど、原作と言う『女のいない男たち』を読んだら、良かったところの多くは脚本での付け足しだった。

 そして今回の『国境の~』です。読み始めは悪く感じませんでした。ミステリアスな彼女の、その背景に潜む物語を楽しみにしていたら種明かしはナシ、騙された思いです。「書き下ろし」なので、安易に書き始めて結局説得力のある謎解きが成立せず誤魔化して終わりにした、としか思えません。中途半端なライトノベル。

 本当にノーベル文学賞候補作家なのでしょうか?そう多く読んでいる訳ではありませんが、パール・バックやヘルマン・ヘッセ、ヘミングウェイ、カミュ、スタインベック、には及びもつかないし、川端康成・大江健三郎、カズオ・イシグロと比較しても、同等とは思えない。そもそもノーベル財団は候補者を発表しているわけでは無い、単にマスコミが騒いでいるだけ。もしかしたら本人も迷惑しているのかも。個人的には、単なる流行作家以上とは感じられません。やっぱり「ノルウェイの森」を読んでみないと判らないのか?

 

 

『源氏物語の女君たち』瀬戸内寂聴 文春文庫 2018年20230713_201425

 

今年の大河はもう諦めて、来年の大河を楽しみに瀬戸内版『源氏物語』を読んでいるのですが、文庫本10巻の内丁度半ばの5巻を読み終わるところです。一緒に買ったこの本、副読本のつもりで予習か復習か、結果として先走りして予習で読んでしまいました。

 昔、学生時代に読んだ源氏は谷崎版でした。実写をぼかして雰囲気で描く谷崎版に対して、瀬戸内版はかなり具体的に描写しています。副読本『源氏物語の女君たち』になると、更に生々しく男女の関りを具体化して説明します。全くもう、光るの君って嘘つきで調子良くって女たらし、歌舞伎町のホストにも負けていません。武士に権力を奪われるのも当然ですね。

 しかし他人事としては、小説としては実に面白い。時代の流行作家だったのですね。後半の流れ出来事もネタバレで(前回は宇治十条まで読んでなかった)知ってしまいましたが、知った上でも楽しみです。さ、後半も元気に読み始めます。その前に第6巻買ってこなくちゃ。

 

 

『pray human』崔実(Che Sil)講談社文庫 2022年(単行本2020年)20230812_095842

 

文庫本の帯を『コンビニ人間』の村田紗耶香が書いています。それに惹かれて買ったわけでは無いのですが、背を押す効果はあったかも知れません。ただ村田紗耶香の帯は、良くも悪くも読む人を限定してしまう危惧はありそうです。尤も、限定されても不都合ない程度に先鋭的な作品です。何しろ「精神病病棟の患者」を「患者目線で」描いた作品です。読者にある程度の「覚悟を強いる」ことを意識した帯なのかも知れません。

 何が異常で何が正常なのか、目線の違いで世界は異なって見えます。『コンビニ人間』的世界を、また全く異なる環境から描いています。人間って本当に面倒臭い生き物です。だからこそ文学が必要なのでしょう。在日三世として生まれ朝鮮学校で過ごした作者、幼い頃に性的被害を受けた過去も持っているそうです。作品中での主人公は、過去を語る機会を得ます。

芥川賞候補にもなったデビュー作『ジニのパズル』では朝鮮学校を舞台に、精神病棟も登場するそうです。機会があれば読んでみたい。因みに題名は『pray human』です。『play human』ではありません。

2023年6月 2日 (金)

最近読んだ本『文鳥・~』『親王殿下~』『線は僕を~』

『文鳥・夢十夜』夏目漱石 新潮文庫 1976年(2021年92刷)20230423_114058  

 

何だったのか? 他の本だったのか、引用だかナンだか、『夢十夜』に関する繋がりがあって買ったのですが、何だったのか忘れました。🥹 たぶん昔の本(おそらく講談社文庫)が本棚の奥にでもあると思うのですが新たに買いました。今の本の方が字が大きくて読み易いので。老眼対策。 

以前に読んだのは確か高校生時代、中学終わりから漱石はよく読みました。『文鳥』は読んだ記憶が蘇る。『夢十夜』は忘れたのか元々読んでなかったのか、一向に思い当たらない。『思い出す事など』はそんな本を読んだ記憶はあるのだけれど、内容的には曖昧、ま、その他全般に曖昧な記憶しか残っていません。 

解説の三好行雄は「小品」とジャンル分けしています。確かにエッセイとは異なります。「創作された随筆」と言った感じなのでしょうか? 皮肉とユーモアの相混じった、クラシカルでモダンな、明治の近代人としての理性的な洒落の利いたまさに「小品」です。本格小説も読み返したくなります。 

 

『親王殿下のパティシエール 5』篠原悠希 ハルキ文庫 2021年Img00001

 

 ライト系ノベルはあまり読まないのですが唯一読み続けています。「ハルキ文庫」自体、これしか手にしていないように思います。自身元パティシエなのと、歴史・中国史に興味があるのと、その組み合わせで読み始めました。5巻まで来ましたが、すでに7巻も発売されています。ま、焦ることもないのですが。 

今回のメインテーマは「ピエス・モンテ作り」です。要は菓子細工ですね。自身の体験からは「面倒・大変」とのイメージしかありません。見るのはイイけれど作りたくはありません。製作過程描写、具体的に判るだけに思い浮かべて寧ろ憂鬱になります。(笑) 

乾隆帝登場、永璘に絵を禁じた謎に少し近付きました。次号で明らかにされるのか? 本屋に6巻在庫はありませんでした。積読本も溜まっているので次巻はもう少し先延ばしにします。 

 

『線は、僕を描く』砥上裕將 講談社文庫 2021年20230526_100923395

 

 作者は水墨画家でもあるそうです。交通事故で突然に両親を失った青年が、ひょんなことから水墨画に出会い、人生を再生して行くというお話し。基本、「本屋大賞」や「漫画化・映画化」との宣伝のある作品は避けてしまいます。読者に阿ったエンタメ系の匂いを感じてしまうからです。 

今回この本を手に取ったのは、通信美大授業で日中の水墨画歴史を学んだこと、またFacebookお友達に水墨画家のいらっしゃること、が切っ掛けでした。因みにこのお方、ちらっと観た作品に興味を憶えてお友達申請したのですが、現代水墨画協会の理事というお偉い方でした。(*_*; お会いしたことのない方にお友達申請することは滅多にありません。貴重な出会いです。その後展覧会にお邪魔してご挨拶させて頂きました。 

小説は、面白くもあったのですが、やはり感動はしませんでした。孤独な青年が偶然に水墨画大家に出会い、気に入られてその才能が目覚める、という安易なストーリー、そして水墨画の世界も一般的興味の対象として「期待を裏切らない」描き方に感じました。作り物小説としては面白い部分もありますが、真に迫る感慨は感じられません。 

ただしかし、先日地元展示会で感じた疑問に答えるヒントは頂いた気がします。情感を込めようとして失敗している「センスの無い絵」と「上手に描かれた絵」、前者には描く前提に「感動」があり、後者にはそれが「無かったのかも知れない」ということです。 

美しい夕陽を見て感動して描こうとする、やたらと「赤」を塗りたくり勝ち。感動を感動として表現するには冷静な構成力も必要となります。しかし絵を描く動機として、端緒に「感情・感動」のあることは必要条件でもあります。無ければ単なる手先の運動にも成りかねません。 

水彩画の淡彩など、感想として「上手」しか出てこない、上手いけどナンカ面白くない作品、って、その「感情・感動」無しで描き始めてしまったのかも知れません。「上手に描こう」との意識が優先してしまっているのかも? またそういった作品、「上手に描ける題材」を選んで描いている、それでいつも同じような作品が仕上がる、と言う傾向もあるように感じます。 

技術・技巧に凝る方は、得てしてその方面への追及に夢中になって、視野の狭くなる傾向もあるかも知れません。感情・感動と「より良い・新しい作品を描こう」との意識があって初めて「アート」は成り立つのだと、技術・技巧はそのより深い表現のために必要となる「道具」なのだと、当たり前のことに気付かせて頂いた、そんな小説でもありました。

2023年4月13日 (木)

「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」

今年3回目の映画館、「エブエブ」こと「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」題名を憶えるのが大変、を観てきました。ユナイテッドシネマ足利での最終日、平日の朝9時の回ですが貸し切りでした。普段でも一桁観客鑑賞が普通なのでそう珍しくもないのですが。
アカデミー賞作品賞など、そしてミシェル・ヨーがアジア人女性として初の主演女優賞を得た作品、これは見逃せないと地元での最終回に駆け付けました。特にファンと言うわけではありませんが、ミシェル・ヨーは「グリーン・ディストゥニー」「SAYURI」などを観ています。主演女優賞は納得できます。しかし作品賞を受賞するほどの作品なのか?は疑問。途中3回ほど欠伸を催し「3時間越え?」と思ったら2時間20分の映画でした。長く感じました。
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無意味なドタバタ喜劇が嫌い、アクション主体の作品も好きじゃない、そんな私には合わない作品でした。新しいジャンル開拓の意気込みは感じます。しかしそれだけ。結末はそれなりでしたが、そこに持って行く過程が面倒。同じようなアクションシーンが長過ぎます。ヒットした「マトリックス」や「ハリポタ」でも退屈する私ですので、少数派なのかも知れません。ハリウッド系のアクション映画は、アクションを見せること自体が主体となる傾向があります。そこが合わないのかも。韓国映画の、必然性のあるアクションは嫌いじゃない。

2023年4月 4日 (火)

最近読んだ本『20世紀~』『かもめ・~』『八本目~』

『20世紀絵画-モダニズム美術史を問い直す-』宮下 誠 光文社新書 2005年20230227_215050

 

抽象絵画の「わかる、わからない」から話しが始まります。具象画は「わかる」、しかしそれは何が描かれているか、家なのか果物なのか人物なのか、それが判っても絵画を「わかった」わけでは無い。「わかる」「わからない」での二元論での思考を「絵画に失礼」と断じています。「はじめに」で10ページ、「序章」に40ページを割いています。始まるまでが少々面倒臭い。しかし概論として後に生きることになります。第一章からは個別作家に対する解説となりわかり易くなります。

 

近頃この手の本を連続して読んでいます。全体の流れとしては共通点が多いのですが、捉え方、理解の仕方、説明方向、それぞれに異なります。また、評論家と作家とでも視点の違いが感じられます。大きな価値観の変換を迫られた20世紀美術、描く側も観る側も、解説する評論家にとっても、難しい、しかし面白い時代なのだと思います。本を読んだだけで「わかる」までは行かないでしょうが、その助けには確実になっていると思いました。

 

 

 

『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ 著 神西 清 訳 新潮文庫 1967年(2021年58刷)20230327_195501  

 

たぶん数十年振りでの戯曲、やはり今ひとつ馴染めません。昔々シェークスピアを読んだ時もそうでした。3冊位で慣れました。今回は慣れるために他を読む予定はナシ。チェーホフは『桜の園・三人姉妹』を読んだ切り、それも数十年昔。たぶん高校生時代。

 

映画『ドライブマイカー』が切っ掛けて購入した本です。映画の中での戯曲演出舞台裏、読み合わせとか、興味深かった。原作『女のいない男たち』と映画とでは異なっていました。『ワーニャ伯父さん』戯曲練習場面が無ければ、映画の魅力は半減します。

 

肝心の内容ですが、どうも理解できません。戯曲に慣れないせいなのか、時代背景に無知なせいなのか? 高校生時代の『桜の園・三人姉妹』にはそういった記憶がありません。頭が柔らかかったンでしょうね。

 

20230327_1953542 ps.『源氏物語 巻四』、やっちゃいました。三巻読み終わったので買ってきたのですが、本棚に既にありました。来年大河に備えて読んでいます。

 

 

 

『八本目の槍』今村翔悟 新潮文庫 2022年20230404_091628

  

2018~2019年「小説新潮」に連載、2019年に刊行、吉川英治文学新人賞受賞作品です。初めて読んだ作家です。2022年に『塞王の楯』で直木賞を受賞しましたね。私が元々三成押しで家康嫌い(だから今年の大河はあまり見ていない🙃)なのと、「賤ヶ岳の七本槍の面々から見た三成像」との視点に興味を惹かれて手に取りました。結果として実に面白かったです。

 

三成を良く描き過ぎている、七本槍面々との関係を理想化し過ぎ、との意見もあると思います。三成好きが「こうあって欲しかった」との望みを創作した作品でもあるのだと思います。家康押しの方や、歴史事実の検証を趣味とされる方には不評かも知れません。事実私も「ないだろうなぁ~?」と思いながらも、十分に楽しませて頂きました。そこは「小説」ですから。

2023年3月15日 (水)

最近読んだ本『女のいない~』『ブルボン王朝~』『美しき愚かもの~』

『女のいない男たち』村上春樹、文春文庫、2016年(2022年第11刷)20230222_102242

 

 

2013~14年に「文芸春秋」に掲載された短編をまとめたもの、単行本は2014年刊行。本を買う時「映画化決定」とかの帯が目に付くと手が遠のく体質なので、こちらは「映画を観て良かった」ので買った文庫本です。

 

 映画とは異なる、とは聞いていました。6編の載った短編集ですので、『ドライブ・マイ・カー』に他のどれかの短編とを組み合わせて映画の脚本としたのだろうと想像していました。実際には、他4編は全く繋がっていませんでした。残る1編表題の『女のいない男たち』も、テーマとしては重なるのでしょうがストーリーは別のものです。映画を興味深いものにした大きな要因である、舞台演劇の裏舞台は、脚本家のオリジナルになるのだろう、か? 短編『ドライブ・マイ・カー』も悪くはないのですが、映画はより濃い内容になっていました。ドライブ先も異なります。原作にはない長距離ドライブも、映画では重要な役割を担っていました。

 

『ドライブ・マイ・カー』以外の短編もそれなりに興味深かったのですが、短編集のために書き下ろしたという最後の『女のいない男たち』は、読者を惑わす技巧的な言葉遊びが目立ち、薄らいでいた「村上アレルギー」が再発しそうに感じました。「表題作が無い」とのことで最後に付け加えた書き下ろしだそうですが、蛇足でした。

 

20230222_102328 常に何作か併読していますので、前後して瀬戸内寂聴の『源氏物語』も第2巻が読み終わり第3巻を買ってきました。(全10巻) こちらも面白い。

 

 

 

『ブルボン王朝12の物語』中野京子 光文社新書 2010年(2021年15刷)20230308_212414

 

 

中野作品は『ハプスブルク家12の物語』に次いで2冊目です。「名画で読み解く」シリーズですが、「美術書」ではありません。その時代の有名名画を切っ掛けとして、描かれた人物・経歴・時代を解き明かす歴史エッセイ、と受け取っています。ルイ14世・15世・16世の個性の違いが面白い。運の悪かった16世が少し可哀そうに感じました。この種の本で11年で15刷はすごいですね。さすが人気作家。

 

政略結婚で入り組んでいますので、『ハプスブルク~』と交差する部分も多い。欧州ではこの2つの結び付きが1番濃いのでしょうが、他の中野作品『ロマノフ家~』『イギリス王家~』『プロイセン王家~』も全部読んで完成になるのかも知れません。取り敢えずひと休みしますが、間を置いて読んでみたいと思います。

 

よく「絵は感性」と言われますが、それは近代以降での話し、中世までの絵画では「感性」だけで読み解くのは無理です。作者が自由に描けたわけではありません。依頼主あっての製作でしたので依頼主の意向が重視されますし、キリスト教的決まり事も多かったのです。知識無しでは読み解けない作品も多かったですし、読み解く深さも異なります。

 

しかし表紙になっているカンタン・ド・ラ・トゥール《ポンパドゥール》ですが、「パステル画」というのには驚きます。行けるならルーヴルまで観に行きたい。

 

 

 

『美しき愚かものたちのタブロー』原田マハ 文春文庫 2022年(2019年文藝春秋社刊)20230315_200312

 

 

原田マハ得意の芸術畑作品、今回は松方コレクションの松方幸次郎を取り上げています。単行本発刊が2019年、開館60周年記念の「松方コレクション展」に合わせての宣伝?と『デトロイト美術館の奇跡』での失望感を思い浮かべました。しかし杞憂でした。数ページで「傑作」感を感じ取ってしまいました。遅読の上に数冊を並行して読む習慣で、読み終わるのにひと月以上かかるのが普通の私、「5日間読破」というのは近年稀なことです。ゴッホの《アルルの寝室》を登場させている点、展示会の開催に合わせての執筆であることは間違いないでしょうが、巻末の参考文献量を見ても、宣伝本意のやっつけ仕事では無かったことは確かでしょう。直木賞受賞は伊達ではありませんでした。

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主人公田代雄一が偽名の他は、実在の人物を登場させています。その田代雄一も、しっかりとした実在のモデルが存在します。勿論描かれたエピソードは原田マハの創作ではありますが、あたかも事実をそのままに描いた如くのリアル感を感じさせます。実話を下敷きにした存在感と、原田マハの表現力を遺憾なく発揮した作品だと思いました。

 

北関東の田舎街に生まれた私が、初めて本物の絵画に接したのは、この「国立西洋美術館」でした。1960年代の終わり、中学の2年か3年生の時でした。展示会名は憶えていませんが、ボナールの《逆光の裸婦》に魅せられたのが1番の印象です。他の作品でも、教科書で知る作品が目の前にあることに驚きました。「日本の若者が実際に西洋美術に触れられる美術館を作りたい」との松方幸次郎の大望の、恩恵に私自身も与かっているわけです。

2022年12月23日 (金)

最近読んだ本『あちらに~』『常設展示室』『20世紀美術』

『あちらにいる鬼』井上荒野 朝日文庫 2021年第2刷(第1刷2021年)20221114_2017212

 

 

井上光晴の娘が、父と母、そして愛人・瀬戸内晴美(寂聴)とをモデルに描いたと言われる不思議な小説。光晴との愛人関係を断ち切るために得度したと言われる寂聴、そしてそのまま終生友人関係を続けたと言われます。寂聴と荒野の母親とは雑誌企画で対談もしている。荒野は寂聴に可愛がられ、当作執筆に当たっては「なんでもお聞きなさい」と全面協力したそう。世俗の一般人には図りようのない関係です。小説であるのだからすべて事実と言うわけではないだろう。井上荒野の創作した世界、しかしそのリアル感は、事実のなせる業とも思えます。事実関係は置くとしても、小説としての迫力には重みがあるし問題なく面白かった。寺島しのぶ・広末涼子主演で映画化されています。観に行っても良い。

 

直前に読んだ作品が寂聴の『京まんだら』でした。晴美時代を含めて、寂聴作品は読んだことありません。それが残念に思えるほどに良くできた作品でした。その寂聴に感じた筆のちから故に、この作品に登場する「長内みはる」にも、現実の寂聴を見出してしまうのかも知れません。久し振りに読み応えのある作品が2作続きました。

 

しかし井上光晴も、私の読書歴から抜け落ちた存在です。プロレタリア小説に傾倒したことのない私には、主だった作品の題名も浮かびません。最初「井上」と聞いた時も「靖」の方を思い浮かべてしまいました。

 

 

 

『常設展示室』原田マハ 新潮文庫 2021年20221221_110349

 

 

記念すべき?原田マハ25冊目。『ジヴェルニーの食卓』で嵌ったマハさん、『楽園のキャンヴァス』や『暗幕のゲルニカ』などの実在の作家を扱った(主人公にした)作品をメインに読み始めたのですが、そっち系既存作をほぼ読み終わった時点でそれ以外にも手を出しています。「それ以外」つまりはラブストーリーだったり、ただマハ作品では純粋のラブストーリーは意外と少ない。ある個人の日常や生い立ちとかを少々ドラマチックに創作した感動系物語。着想や手際が実に上手くて感心させられるのですが、時に「やり過ぎじゃない?」と思われる、都合の良い創作の過ぎることもあります。涙を強要する作り話は好きじゃないのですが、マハ的「ドラマチック」はその際どい境目を突きます。20221222_100042

 

今回の『常設展示室』は6作の短編からなります。それぞれに著名な作家の作品が登場しますが、その作家・作品が主人公ではありません。「美術系」ではありますが、主題は「ドラマチック系」での短編です。そしてそれぞれがまた、上手く作りやがっています。美術系本格小説を書いて貰いたい私には悔しいほどに。そして極めつけは最後に控える『道』です。

 

題名を見て即座に「東山魁夷?」と少々うんざりしました。しかしそれは私の早合点、6作中唯一の「著名作家」名の登場しない作品でした。読まされて、全く持って都合の良過ぎる偶然の組み合わせに呆れるのに、少々時間を要しました。ケンシロウではないけれど、切られたことに、都合の良過ぎる作り物「嘘っぱち」を読まされたことに暫く気付かない、とか。マハさんには負けます。騙されたことを快感に思えるほどの嘘っぱち作り物、暴涙の作品でした。認めたくないけど…。

 

高校生の時、今は亡き恩師に勧められて行きだした美術館常設展、その頃も想い出しました。国立西洋・国立近代・ブリヂストンなど。

 

 

 

『20世紀美術』高階秀爾 ちくま学芸文庫1993年(2018年第15刷)20220105_165736_20221223101201

 

 

授業課題図書で読みました。正直って高階秀爾の本をまともに読んだのはこれが2冊目、先に読んだのが『近代絵画史(上)(下)』でこれも今年になってから。有名な美術評論家として、勿論名は知っていましたが読んだのは展覧会図録等での短い評のみでした。読んで初めて、偉い評論家だったのだと知りました。( ´艸`)20220203_103410_20221223101201

 

「実物にはいっこう感心しない。ところがこの実物が絵になると、人は実物に似ていると言って感心する。世に絵画ほど空しいものはない。」本の中で引用されたフランスの哲学者パスカルの言葉です。勿論パスカルが本心で空しいと思ったと言うより、世間の人の絵画評価への皮肉でしょう。しかし妙に納得してしまいます。

 

田舎でグループ展などを開催してよく聞く誉め言葉が「わぁすごい!写真みたい!」とのもの。画風的に私の作品に投げ掛けられることは少ないので幸いですが(それでもたまにはアル)、どうにも複雑な気持ちにさせられる言葉です。「写真みたい」が誉め言葉と言うことは「写真>絵画」ということなのか?「似ている」ことが「偉い」のか?言っている方々に悪気はないので尚更対応には困ります。

 

しかし最近では、それもひとの持つ根源的欲求なのかも?とか思うこともあります。写実主義から印象派、キュビズム、フォービズム、その辺りまでは理解し易い。しかしその先、コンセプチュアルとかミニマル、ランド・アートとか、アポロプリエーションとかになると何が何だか判らなくなります。

 

新古典主義までは到達目標がはっきりしていました。つまりは、「100m走って10秒を切る」とか、皆同じような価値観で同じような方向に走り競っていたのです。それが20世紀美術では「自由」を勝ち得ました。「自由」「なんでもアリ」、しかし自由は大変、なんでもアリは何もないのと一緒、100m走で「どっちに向かって走ってもイイ」とか言われたら競いようが無くなります。

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