2024年6月 5日 (水)

最近読んだ本『風に舞い~』『モンテレッ~』『松野大社展』

風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年(2021年第14刷・2006年文藝春秋社)Image_20240502_0001

 

 初めて読む作家、だと思って読み始めたのですが、3年前に『みかづき』という作品を読んでいました。すっかり忘れていました。 

6作の短編から成る1冊です。第135回直木賞受賞作。スタートは児童文学で、本作は一般文芸に進んだ初期の作品になるらしい。そのせいかどうかは知りませんが、6作それぞれ色合いが異なります。別々に読んだら同じ作家の作品とは思わなかったかも知れません。解説の藤田香織も「とても驚いたのが収められている6つの物語そのものの質感の違い」と、同じように感じたようです。 

1作目の『器を探して』はイマドキ感のある作品です。『ジェネレーションX』は都合の良過ぎるストーリー展開ですが小説らしい楽しさはある。表題作『風に舞いあがるビニールシート』は世界の現実を知らしめるシビアな作品。直木賞と芥川賞の差異の小さくなっている昨今ですが、その両側を行き来する作品集に感じました。

 

 

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子 文春文庫 2021年(2018年方丈社)Image_20240502_0002

 

 本屋で見て気になってたまたま購入した本です。嘗てイタリアに「本の行商」との職種のあったこと、それが都会ではなくトスカーナの山奥の小さな村だったこと、興味をそそられました。 

外国人として初めての「露天商賞」受賞作品です。「イタリアの本屋大賞」との説明に一瞬躊躇しました。日本での本屋大賞受賞作・候補作はまず買いません。本を娯楽として考えていませんので、「本屋大賞」と聞くと娯楽性重視の本と捉えてしまいます。誤解かも知れませんが。同様に映画化・ドラマ化との一文も購入を避ける要因となっています。 

「露天商賞・金の籠賞」との賞、元々賞の根源が異なるのか?それとも賞の発祥に直接関わるテーマなので特別に選ばれたのか?判りませんが、少なくとも日本の「本屋大賞」には絶対に選ばれないであろう、娯楽性の少ない作品でした。 

私が本屋の本棚でたまたま選んだ時のイメージともかなり異なりました。エッセイ的、緩やかでロマンのある、読み易く楽しい作品をイメージしていました。実際にはかなり生真面目なノンフィクションです。山奥にある交通不便な寒村を何度も訪れ、周辺の街・村、本屋行商に関連する本屋を訪ねたり、研究的調査を重ねた上で書かれています。予想した気楽なエッセイではありませんでしたが、反面読み応えのある作品ではありました。

 

 

『松野大社展』みやこの西の守護神 京都府京都文化博物館 2024年Image_20240604_0001

 

 現在開催されている(6月23日まで)展示会の図録です。図録を端から端まで読んだのはおそらく初めてです。ほとんどは絵画展ですので、通常は作品の写真を眺めて所々拾い読みするだけです。高価な図録を勿体ないと、たまには思います。( ´艸`)

それでも絵の展示ですとそれなりの満足感も得られます。しかし今回は展示品の大部分は「書」で、それも美的書道ではなく城湯としての「書」です。眺めていても何も判りません。読むことも出来ませんし読んでも意味を解せません。。巻末の「作品解説」を読んでようやくその1部を理解できる程度です。

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何故そんな展示を観た、図録を買ったのかと言えば、実は所属する通信美大での講義が絡んでいるせいです。来週末に京都で講義を受け、後日リポートを転出しなければなりません。 

読んでいて眠くなるページも多い図録ですが、興味深い面も無いでもありません。神社の歴史・行事・祭事仕様の他に、多いのは陳情文的な文章です。京都でも高位に位置する神社で荘園から上がる年貢で祭祀を執り行いますが、その年貢が騒乱や時代変遷で届かなくなり、その解決を時の権力者に願う上訴文です。訴願先は時代で変わります。朝廷から鎌倉幕府・足利幕府へ、そして信長・秀吉に。その効果も時代で変わり、武士の世には多くの荘園が有名無実となります。そういった時代変遷を物語る文章の展示会でした。 

NHK大河ドラマファンには懐かしい名も出てきました。「梶原景時」です。ドラマでは中村獅童が演じていました。丹波国雀部荘での荘園代官を務めていた景時、その失脚後の新たな地頭で未払いが続いたそうです。ドラマとは言え知った名が登場すると一挙に興味が深まりますね。

2024年4月17日 (水)

最近読んだ本『ピカソに~』『私の家』『原田マハの~』『旅だから~』

『ピカソになれない私たち』一色さゆり 幻冬舎文庫 2022年(2020年幻冬舎)20240326_201010

 

 東京藝術大学出身の作者が、架空の芸術大学「東京美術大学」での、油画科で1番厳しいという森本ゼミで卒業製作に励む4人のゼミ生の1年間を描きます。50年以上の昔、美大進学を父親に反対され一般大学に進学しました。作品文中に「20倍もの競争率になる」と書かれている合格率、モデルとなった東京藝大油画科、私の時代では50倍に近かった。圧倒的に多い女子比率といい、時代は変わっています。 

そして古希を迎えた現在、通信美大在籍3年目を迎えています。最初の2年間は芸術学専攻でしたので、油画では1年を終了したところです。卒業製作は来年に予定しています。その意味では身に滲む部分も多い。砂利道の小石を1粒1粒描く精密描写課題などやりたくない。似たようなことはやらされるんですけど…。終盤は他人事とは思えず感極まって涙ぐみそうにもなりました。他人事として読む方々はどう感じるのだろう?  

 

『私の家』青山七恵 集英社文庫 2022年 Image_20240409_0008

 

 2007年に芥川龍之介賞を受賞した作家だそうですが、初めて読みました。どうやって選んだのか記憶にありません。「たまたま手に取った」のでしょう。そういった出会いもあります。 

親子・兄弟・大叔母、三代に渡る親族の「家」にまつわる物語です。それぞれの関係・悩み・行動、親族ならではの近しい関係でのぶつかり・イザコザ、日常的にありそうな些細での苛つき、軋轢。読んでいて少しイラつかされる部分はあります。あと、それと「家」との結び付きが、私にはピンと来ませんでした。章により主人公が入れ替わる、時代も行きつ戻りつするので戸惑う部分もありました。判るようで判らない、煮え切らない思いの残った作品でした。何かの折に、思い当たることもあるのかも知れません。そういった読書も過去にはありました。  

 

芸術新潮4月号『原田マハのポスト印象派物語』原田マハ 2024年4月新潮社Image_20240409_0007  

 

 高いので美術雑誌は大抵立ち読みですが、今号は原田マハがメイン記事を書いていたので買ってしまいました。税込み1,500円。 

「ポスト印象派物語」として、5人の画家を取り上げています。時空を超えて、エミール・ベルナールと共にそれぞれの画家を訪ねるとの設定です。今でも最も好きなマハ作品は『ジヴェルニーの食卓』です。『原田マハの印象派物語』も悪くない。そこまでは行きませんがそこそこ楽しめる文章でした。エッセイ以上小説未満。オーヴェールもポン=タヴェンも行きたいなぁ、もちろんパリも。

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『旅だから出逢えた言葉Ⅱ』伊集院静 小学館文庫(2021年・2017年小学館)Image_20240415_0002


『~Ⅰ』に続いての購読です。面白い、興味深い言葉も、何故敢えて?との言葉も混在しますが、その時々、その旅の中で心に滲みた言葉を挙げていますので、部外者読者には想像の届かない部分もあるのだと思います。『~Ⅰ』よりもしんみり読むことができました。

松井秀喜、国民栄誉賞受賞時での記事、「おそらく今後あらわれるかどうかわからないワールドシリーズMVPという栄誉~」との言葉があります。当時は想像もできなかったであろう大谷君の活躍、昨年11月に73歳で亡くなられた作者、松井に続く快挙を想像していたかも知れません。『~Ⅲ』も出ていますが買うかどうかは判りません。もうイイかな? 寧ろ『美の旅人 スペイン編』に心が動きます。

2024年3月26日 (火)

最近読んだ本『紫色の~』『お菓子で~』『美麗島~』

『紫色の場所』林 真理子 角川文庫 1986年20240315_171440

 

 バブル初期、当時「アイドル作家」とも言われて持て囃された時代の林真理子の作品です。今や日大理事長ですね。立場危うそうだけれド…。

主人公はスタイリスト、当時流行先端の職種に就く彼女が新宗教に興味を持つという、「時代だなぁ」という作品。今読むと古臭さを感じてしまいます。しかも宗教に嵌り掛けた原因が「教会で知り合った信者の男」という軽さ、林真理子らしい。オーム真理教での事件前の作品なのでこんな扱いもできたのでしょう。「久慈尊光教」というモデル丸判りの宗教団体名「おひかり」との言葉も出てくるし。クレーム付かなかったのだろうか?

 本棚から取り出した本です。若かりし頃の家内が買ったらしい。子育てに忙しかった時期にこんな本を読んでいたのかと思うとちょっと笑ってしまう。書棚には林真理子の本が数冊あります。すべて家内本、私は多分初・林真理子。 

 

『お菓子でたどるフランス史』池上俊一 岩波ジュニア新書 2013年(2021年第12刷)20240317_164037

 

 著者は西洋中世・ルネサンス史を専門とする東京大学大学院教授、『パスタでたどるイタリア史』に続く著作です。宗教や政治、素材、時代を経てのお菓子の歴史を辿ります。命を繋ぐ「食」という意味からは、必ずしも必要とは限らない「余分なもの」としてお菓子。祭事や神事から嗜好食品へとの変遷して行くには、大航海時代での砂糖やカカオの導入、そして植民地プランテーションでの大量生産化が必要でした。香辛料並みの高価品だった砂糖は、悲惨な奴隷制の犠牲の下に一般化されたのです。その中でフランスは、政略結婚によるスペイン・イタリアからの文化移入としてグルメ大国を創り上げて行きました。テーマ毎の編集で時系列を遡る部分もありやや混乱する場面もありましたが、興味深く読むことができました。

 商才無く10年前に店を閉めましたが、製菓学校卒の元パティシエです。新婚旅行ではフランスを2週間巡りました。最終章に登場する、ヌーヴェル・パティスリーを牽引した「ルノートル」、出店した西武デパートには通いましたし、ガストン・ルノートル氏来日での講習会にも参加しました。食を離れてから自宅で作ることは無く、すっかり忘れてしまいました。

 書棚にはまだ専門書も何冊か残されています。開くことは全くありませんでした。1982年、5万円の本です。当時の大卒初任給が12~13万円の時代でした。

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『美麗島プリズム気候』乃南アサ 新潮文庫 2022年(2020年集英社)20240326_101817

 

 小説を主として読んでいるのですが、時としてほんわかと、旅紀行とかエッセイとかも読みたくなります。そんな時のために買って置いた本です。台湾は行ったことないけど惹かれる部分もある国です。

 そんな気持ち・期待からは少し離れた内容でした。初めて読む作家です。お気楽な旅紀行文ではなく、台湾の歴史に食い込んだかなり真面目な考察を提供しています。「日本兵として戦った本省人と、日本兵を敵として戦った外省人」の同居する国、歴史的には確かにそうなのですが、意識したことがありませんでした。親日国として知られる台湾の、新たな一面も垣間見ることができました。期待とは異なりほっこりとはなりませんでしたが、読み応えのある作品ではあります。

2024年3月13日 (水)

最近読んだ本『源氏物語』

『源氏物語』紫式部 瀬戸内寂聴 訳 講談社文庫全10巻(2007年・2001年講談社)20221226_112245
NHK大河、最近は没入できない作品も多くなっていますが、「光る君へ」には嵌っています。今回は吉高由里子主演、というのも魅力になっています。朝ドラ「花子とアン」も好きでした。

次々回大河が発表になって間もなく、瀬戸内寂聴訳で『源氏物語』を読み始めました。講談社文庫全10巻です。購入した第1巻は2022年第33刷版、発行は6月ですが読み始めたのは22年末(11月位)でした。そして今月、ようやく読み終わりました。第10巻は2024年第13刷、かなりの脱落者が出ていると想像されます。(´;ω;`)ウッ… 大学生時代に谷崎潤一郎訳で読みましたがかなり印象が異なります。
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谷崎版は表現をボカシ、王朝文化を雰囲気持って伝えていたように思います。その点瀬戸内版は表現がリアルです。暴露本的で、勿論現代ものとは異なりますが、登場人物が肉感的に実在を感じさせます。読んでいて呆れるくらいに浮気者でちゃらんぽらんな人物が多数登場します。生活も派手で浪費家(貴族は全人口の数%で富を独占)、貴族が没落して武士の世が出現するのも「当然」と感じてしまいます。特に匂宮には呆れ果てます。単なるスケコマシですね。「君しか居ない!」とか情熱的に迫ったおきながら、浮舟が死んだと聞かされた途端に他の女人に手を出す。誠意も何もあったもんじゃない。そんな匂宮に心惹かれる浮舟、口の達者な悪っぽい男に傾く女心は現代とも共通するのでしょう。青春期その反対側に居た私は、読んでいて怒りさえ覚えます( ´艸`)  ま、誠実と表現されている薫の君も50歩100歩ではありますが…。



読んでいての小さな疑問。作中で男も女もやたら泣きます。現代的には「悲し気な目をする」程度で十分と思われる場面でも。「泣く」ことが悲しみを表現する定番で必須な態度だったのか?(泣き女感覚) それとも平安人は普通に涙脆かったのか?不思議。

訳者でこれほどに印象が異なるとは思いませんでした。大学時代の印象が正しかったのか?確かめることにしました。谷崎版は探しても第2巻しか出てきません。メルカリで買い直しました。谷崎版では宇治十帖は読んでなかったように思うし。
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ps.ラジオでたまたま、NHK大河で時代考証をされた学者さんの話を聞きました。勿論現代とは異なりますが、平安時代は一般に「平安な時代」だったそうです。大河での演出は「ドラマ的」要素も含まれています。「私の時代考証通り作ったら、面白くない物語になったでしょう」とも。また、貴族でも北の方(正妻)の他には+1人位で、物語のような浮気者は少数派だったとか。(当時の)現実を超えた創作が読者を獲得するのも今と同様です。『源氏物語』もエンタメ小説です。読んで「平安時代を理解した」とは早計のようです。

更にオマケ、大学美術部時代に『源氏物語』をテーマに作品を描いていました。谷崎版で読んでいた当時です。今見ると繋がりの判らない勝手なイメージですが、当時はそのつもりでした。( ´艸`) 
写真は左から《空蝉》《夕顔》《若紫》《朧月夜》《Lady Murasaki(紫の上)》
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今回読み始める前には「また描いてみようか」との気持ちもあったのですが、読み終わって今のところは、その気になりません。

2024年3月10日 (日)

最近読んだ本『青い小~』『孔丘』

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社文庫 1980年第8刷(1973年第1刷、1956年新潮社)20240220_125335

 

 『白い人』『黄色い人』の前年に発表された初の長編小説とのこと。1950年戦後初の留学生として渡仏、その時の経験をもとに書かれたらしい。現地でのアジア人への偏見と差別、敗戦国ドイツ人に対する嫌悪、そして戦中のレジスタンス活動裏側での暗黒面、何処までが実際の話しなのかは判りません。

 本棚から取り出した44年前の本、結婚前の家内が買った本です。最近は読書量の減っている家内ですが、若い頃は読書家でした。1980年は結婚の年、式は12月でしたので結婚間近の時期に読んだのでしょう。結婚前は2年ほど、東京と宮城とで離れて暮らしていました。まだ東北新幹線の無かった時代です。本の内容よりも、当時どのような気持ちでこの本を読んでいたのか?歳月を遡る気持ちになります。

 読書傾向、重なる部分もあるのですが、やはり選択する作家・作品には違いも結構あります。遠藤周作は家内の買ったものの方が多い。吉行淳之介・水上勉は2人共に読んでいるのですがやはり家内本の方がやや多いかも知れません。源氏鶏太・林真理子・田辺聖子はすべて家内の買ったもの。反対に司馬遼太郎など歴史ものはすべて私の方です。時には本棚から、私未読の家内本を読んでみるのも良いかも。家内再発見もあるかも知れません。

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『孔丘』宮城谷昌光 文春文庫上下巻 2023年(2020年文藝春秋社)20240228_213346

  

孔子24歳、物語は母の死から始まっています。「孔丘」は孔子の本名、偉人伝では無く、放浪し苦悩したひとりの人間として描こうとの作者の意図するところが見えます。「激し易い」、時には高弟からも不安視される、そしてあまりに理想を求め過ぎる孔丘。それでいて泰然自若とした悟り切った哲人の姿ではなく、晩年には「天」にすべてを委ねた意思無き姿をも現します。

「礼」とは元々は葬儀・葬送の手順・仕来りを意味するものだったとか。「儒者」は謂わば「葬儀屋」でした。ただ、古来の型通りに葬儀を執り行うことは貴人には欠かせない重要事で、決して卑しい身分ではありません。特殊技能者、といったところでしょうか。その「礼」を、葬礼を超えて政治・外交に、そして人が生きて行く意味合いを示す「哲学」へと昇華して行きます。後世人の世に描かれる「礼」のイメージ・規範は孔丘の創り出したものでした。

孔丘の人生を描くことは想像以上に難しかったようです。著者は50代・60代で「無理だ」と諦め、70過ぎて「死ぬまで書けない」と腹を括って書き始めたそうです。『論語』には時系列が無く、残した言葉が「何時何処で発せられたか」を確定すること自体が難しいとか。著者の苦労の垣間見える作品です。

宮城谷昌光は以前(15~20年位昔?)かなり嵌った時期があります。時代もの自体読む機会が減っています。久々に読むとやはり面白いですね。少し置いてになるでしょうが、また何か読んでみたいと思っています。

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2024年2月11日 (日)

最近読んだ本『虞美人草』『82年生~』『紫式部~』

『虞美人草』夏目漱石 旺文社文庫 1968年20240207_081752

 

夏目漱石を読んだのは何年振りだろう? 一生懸命読んでいたのは中学・高校時代なので52~57年ほど昔ということになります。その後にもぽつりぽつりとは読んだと思うのですが、はっきりした記憶はありません。 

漱石が『虞美人草』を書いたのは1907年、『坊ちゃん』『草枕』と同じ年です。1905年には『吾輩は猫である』を、1908年には『三四郎』を書いています。前後作品と比べて文体がやや漢語調で装飾過剰、特に前半は漱石らしくなく古臭く感じます。前後作品の方が読み易いので、時代変遷ではないはず。何故この作品だけ文調が異なるのか判りません。解説を担当した英文学者・海老池俊治は「遺憾ながら一種の出来損ない」とまで書いています。また、教養を持ち時代の「新しい女性像」藤尾を貶め、控えめな糸子・小夜子を持ち上げる、「漱石も明治人」なのだと、尤もながら再確認することになります。ストーリーも型に嵌った堅苦しさを感じます。 

虞美人はご存じ通り楚の将軍項羽の愛姫で虞美人草はヒナゲシ、「虞美人草」と「ヒナゲシ」とでは随分と語感が異なりますね。 

中学時代の最後、高校入試前日に自宅が火事に遭っていますので、中学時代の本は1冊も残っていません。新潮・角川がメインでしたが、文豪作家のものは少し高い旺文社文庫で買っていました。旺文社文庫はハードカバーで小さいながら函入りでした。ページ末に字句解説も付いています。旺文社には「中一時代」などの時代シリーズ学習雑誌や全国模試、大学受験ラジオ講座でお世話になりました。 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳 ちくま文庫 2023年(2018年筑摩書房)20240209_102719

 

 この文庫本の出た時点だと思うのですが、韓国で136万部、日本で23万部という大ベストセラー本です。榎本マリコのシュールっぽい表紙も目立ちます。

 男優先の時代を活きたある女性の33歳から物語は始まります。ある日突然、キム・ジヨンは自身の母に、その後には大学の先輩に、憑依したかのように他人格となって話し行動し始めます。驚き戸惑った夫チョン・デヒョンは妻を精神科医に連れて行きます。そして物語は1982年に戻り、キム・ジヨンの成長過程を描き出します。 

ジェンダーの問題が、社会生活上での男女格差の問われる時代です。日本よりやや男性優先意識の強い韓国、しかしその差は明らかな場面もありますが、隔絶したほどの差はありません。私自身韓国が好きで頻繁に訪れた時期もあり(20回訪韓しています)、韓国関連の書物、歴史ものや呉善花やら黒田福美やら、一般日本人よりはかなり多く読み知識も多いと自認しています。 

そんな近くて遠い、似てまた非なる国でのジェンダー意識を、特別でなく「ごく普通な」韓国女性の30年余りを描いて、韓国で多くの共感を得た作品です。非常非常識な差別でも極端な男尊女卑でもなく、普通の社会生活上にある、少し前なら日本でも「常識内」にあった性差別を描いたことで、より身近に意識することができたのでしょう。現在70歳の私の家事・育児を「手伝う」との意識、私の世代ではそれでも「良き夫・父親」範囲内に入っていたと思っていたのですが、娘世代には否定されます。「手伝う」と言う意識自体「家事・育児は女の仕事」との前提で出てしまう言葉ですから…。男としては身につまされる部分もある作品です。 

 

 

『紫式部日記・和泉式部日記』与謝野晶子訳 角川ソフィア文庫 2023年20240131_1950342

 

 読み終わりました。さほど面白くはない。訳した本文よりも、訳者の書いた「自序」「紫式部考」が作品を作者を知る上で興味深いものとなっています。 

『紫式部日記』は「文学」というより「記録」なのだろう。日々の行事・できごとを、貴人や女房の衣装装束までこまごまと記しています。文章としての滑らかさよりも、創作の資料として残している風に感じました。それ故、当時の風俗を記録した資料として価値あるものとされているようです。 

『和泉式部日記』はそれに比べるとやや「小説」的要素もあります。「私」ではなく「和泉」と、第三者の立場として書かれています。「和泉」との主語は与謝野晶子での意訳部分も多いらしい。小説的要素もあるにしても、その要素は源氏とは比較のしようもない程狭い。師の宮と和泉式部との二人のやり取りが大部分を占めます。正直言って飽きます。やはり日記文学は『更級日記』が(読んだ中では)1番内容があるように感じています。 

瀬戸内寂聴版『源氏物語』は「巻九」まで読み終わっているのですが、「巻十」が「入荷待ち」で10日待たされ未だ連絡が入りません。NHK大河影響で売れて在庫が切れたのかも知れません。前もって買っておけば良かった。

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姿を見なくなっていた谷崎潤一郎訳『源氏物語』が、本棚整理中に「巻二」だけ出てきました。中公文庫1973年初版です。大学生時代に読み、就職時に実家に送ったのだと思います。残りも何処かにあるのか紛失したのか判りません。先の瀬戸内版入荷待ちと対照的に、少し前は古本でしか手に入らなかった与謝野晶子版・谷崎潤一郎版が買えるようになっていました。大河人気での復刻なのでしょうか?谷崎版は挿画作家が豪華です。

2024年2月 5日 (月)

最近読んだ本『ノボさん』『すべて真夜中の~』『イメージを~』

『ノボさん』伊集院 静 講談社文庫上下巻 2016年(2013年講談社)20231121_095055

 

正岡子規の半生を描いた作品。夏目漱石との交流をも書いていますが「小説 正岡子規と夏目漱石」との副題で想像するほどには漱石に重点は置かれていません。あくまで主役は子規で、その最も親しく重要な友として漱石が登場しています。題名の「ノボさん」は子規の幼名「升(のぼる)」からきています。

小説は一校時代の、ベースボールに夢中になった子規の姿から始まりその死で終わります。疾風の如くに駆け抜けた34年間でした。「打者」「走者」「四球」など、現在も使われている野球用語の多くを翻訳創作しています。(「野球」は違うらしい)

伊集院静の筆は、隠居の手慰みだった「俳句」を文学の域の高めた功績に留まらず、ひとりの明治人、「ひと」としての正岡子規を愛情込めて描いています。読後には、その距離感はかなり縮まった感があります。また、結核菌が引き起こした脊椎カリエスでの病態も克明に描かれ、壮絶な描写に後ずさりしてしまいます。

 

 

『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子 講談社文庫 2014年(2022年第43刷/2011年講談社)20231121_095247

  

川上未映子2冊目ですが、前読の芥川賞受賞作『乳と卵』より3割増しで良かったと感じています。刷数を重ねているだけのことはあります。ま、刷数は「売れた」というだけで、必ずしも作品の質と一致するわけではありませんが。

ひとと接すること、一般社会でのコミュニケーション力に不安のある主人公、出版物の誤字脱字、間違いを探す校閲者として働いています。仕事は基本的には単独行動ですが、会社に勤める以上接する社員同士の社会関係はあります。それが上手く出来ずにストレスを抱える主人公は、仕事上の知人からの紹介を切っ掛けに会社を辞め、「フリーランス」として仕事を続けることにします。買い物など必要最小限以外ではほとんど他人と接することの無い生活が始まります。

たまに繁華街に出ても、遊び方も判らずウインドウショッピングすら気楽に楽しめない。そんな主人公がひょんなことから年上の中年男性と知り合い、恋心を抱く、そんなお話しです。

私自身、主人公ほどではありませんが世間話が苦手、普通に社会生活の送れる範囲内ではありますが、コミュニケーション力は劣る部分があります。その分共感できる範囲は広いかも知れません。結末ネタバレはしませんが、現実的に納得できる、しかも部分的には安心もできる収め方になっています。芥川賞から3年後でこの安定感、最近の作品も読んでみたくなりました。

 

 

『イメージを読む』若桑みどり ちくま学芸文庫2005年(2021年第13刷-1993年筑摩書房)20231010_091532

 

若桑みどりの著作を読むのはこれが3冊目になります。千葉大学教養部での「美術史」、4日間に渡る講義を纏めて文書化したものです。美術を専門にする学生向けでない点で判り易く、それでいて美術史の原則を外さない興味深い内容となっています。

中学生時代の歴史の授業で、「ナポレオンが生まれたからこの時代になったのでは無い、この時代だからナポレオンが生まれたのだ」と習い歴史が好きになりました。同様に、美術も時代から離れることはできません。必ずある時代・ある社会・ある文化の中で生み出されます。この本はその、芸術作品の創造された背景を探る「イコノロジー(図像解釈学)」を学ぶ美術史入門書です。

この本を読んで初めて知ったこと、ルネサンス・マニエリスム等の言葉の意味です。芸術様式の初期段階をプリミティヴ、完璧な様式を完成させた時代をルネサンス、技巧が洗練されワンパターン化してくるのがマニエリスム、と表現されているのだそうです。また、著者の書く「芸術の価値のひとつは、それがどれだけ人間にとって普遍的な真実をふくんでいるか、という点にあると思います」との言葉が印象的でした。

初めて読んだ若桑みどり著作は『クアトロ・ラガッツイ』でした。信長・秀吉の時代、九州の大名がローマに送り出した「天正少年使節」を描いた小説です。くどくどと煩わしく、なんとか読み切ったものの即座にBOOK OFF 行きとなった作品です。切っ掛けが無ければ二度と読まない作家だったでしょう。切っ掛けは通信美大(現役学生です)での参考文献に著作名があったことでした。『絵画を読む』との本でした。この本で著者が小説家では無く「学者」であることを知りました。『クワトロ~』でのくどくどしさは学者故の拘りだったのでしょう。その流れで本作も読むことになりました。芸術系では、まだ読みたい本もあります。2007年に71歳で亡くなられています。51qmppeol

2023年11月14日 (火)

最近読んだ本『乳と卵』『朝鮮半島史』『~足利氏』

『乳と卵(ちちとらん)』川上未映子 文春文庫 2010年(2022年19刷 2008年文藝春秋)20231010_091546

 

 初めて読む作者、帯の「一夜にして、現代日本文学の風景を変えた芥川賞受賞作」との文言に目を惹かれました。芥川賞受賞作というのは、できれば読みたいという気持ちはあるのですが、実際にはあまり読んでいません。単行本は買わない、大部分は文庫本で読んでいます。それで「文庫化されたら読もう」と思いつつ、文庫化された頃には忘れていて読み損ないます。そのせいで余計目に付いた帯文言でした。

確かに「新しい」「今風」といった雰囲気は感じました。2008年作で15年も以前の作品ではありますが、70歳にもなると15年前などは「つい最近」にも感じますので。😅 ただ「一夜にして~変えた」というのは少々オーバーにも思います。

 言葉を交わさない、筆談で応答する母子、奇妙な関係です。ただ読み進むと、そこまでの深刻な要因の在るわけでないことが判ります。私の時代と同じ、ではありませんが、極端な違いはない親子関係、親子での情愛は残っているようで安心した部分はありました。若い時代に親に反発するのは世代を超えた常道でしょう。ただ外見として現れる姿は変わる。私の世代では、言葉は少なくなっても「筆談で」という状況は想像できません。到底許される範囲ではありません。相当に険悪です。それもあり、序盤で深刻な要因を想定してしまったのは世代格差なのかも知れません。

 新しい時代の作家との雰囲気は感じました。ただこの作品でのインパクトは強烈ではありません。軽いジャブ程度です。ただ「もう1作」と思わせる期待感はあります。帯にも紹介されている「夏物語」でも読んでみましょうか?

  

 

『朝鮮半島史』姜 在彦 角川ソフィア文庫 2021年(2006年朝日選書)20231109_100248

  

朝鮮半島の歴史をその神話時代から東学農民戦争まで、つまりは韓国併合までを書いています。随分以前に、韓国に嵌った時期に三国時代を中心に歴史を読んだことがあります。大雑把には知っているつもりでしたが、姜在彦版は更に詳しく述べています。もう新しい知識は定着しません。暗記する必要もありませんので、読み飛ばす程度での読書でした。

 朝鮮半島は、常に隣接する大国、隋や明・元・清などの中華王朝に翻弄されてきました。そして最後には大日本帝国に。生き残るためには情勢を見極め「長いものに巻かれる」処世術が必要でした。そしてまた、党派党略での陰湿な権力闘争も目立ちます。日本的感覚では「陰湿」ではありますが、戦をして大勢が死に巻き込まれた一般民衆が苦難するのと、権力中枢トップの数人が毒殺されるのと、どっちが良いと問われると悩みます。ただ朝鮮王朝末期での密室政治が近代化を遅らせた要因であったことは確かかも知れません。

  

 

『下野国が生んだ 足利氏』下野新聞社編集局著 下野新聞社 2017年(2021年第4刷)20221227_202221

  

栃木県の地元紙「下野新聞」土曜版に連載されていたものを編集して出版した本です。下野新聞は取っていないので新聞記事は知りませんでした。判り易くはありますが、足利市生まれ在住で地元歴史にも興味を持つ私には、目新しい事実はあまりありません。京都「時代まつり」での室町幕府参加が2007年からで、それまでは認められなかった、ことが新しい知識になった程度。帯にある「足利氏通」になるには少々役不足。ごく初歩の入門編といった程度の本です。

2023年10月19日 (木)

最近読んだ本『青春~』『旅だから~』『ひとたびは~』

『青春ピカソ』岡本太郎 新潮文庫 2000年(2020年14刷・1953年新潮社)20231010_091417

 

 画家・岡本太郎は「芸術は~‼」とか変人ぶってはいましたが、どうもあれは自己演出だったらしい。芸術論と言える著作も多数ある。本書は巨匠・ピカソの関して書いた本ではありますが、寧ろ岡本自身の絵画・芸術との出会い、そしてピカソにピカソの作品に相対しての自身の姿勢、芸術的変容を書き記した、エッセイであり自伝でもあるように感じました。人生に2度だけ「絵画作品の前で泣いた」それはセザンヌとピカソだったそうです。

 岡本は、ピカソを大家として奉ることを否定します。ピカソを「乗り越える」ことが芸術の未来であり自身の目標であると。しかしその実、彼のピカソに対する尊敬と敬愛の情は文章のあちこちに散見されます。ピカソの偉大さを認めながら、師として(もちろんその意識もあるでしょうが、)よりは「ライバル」として、偉大なる障壁として最大の愛情を持って敵視する、そんな関係性なのでしょう。

 本書は1953年に出版された本の文庫化です。70年前、私の生まれた年です。「昭和」イメージの強い作家ですが、実は大正生まれでした。昨年、東京都美術館での「展覧会 岡本太郎」の写真も少し載せておきます。

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『旅だから出逢えた言葉』伊集院 静 小学館文庫2017年(2021年第2刷・2013年小学館)20231010_091417

 

 伊集院静の小説はまだ読んだことがありません。『美の旅人 フランス編』文庫本三巻を読んでいます。その印象(が良くて)で買った本です。おそらく、『美の旅人』シリーズで旅した時に「出逢った言葉」も含まれているのでしょう。旅エッセイとしては悪くないと思います。ただ特に心に刻まれるエピソードがあるわけでもありませんし、「出逢えた言葉」に感銘を受けたわけでもありません。「旅だから」の言葉通り、その時その瞬間にその場所で「出逢えた」故に価値のあった言葉なのでしょう。第三者として傍観する読者には、その感慨は伝わり辛い。特に「言葉」に拘ることなく、旅エッセイとして読んで過不足ない本だと思います。

 特別な感銘は無かったけれど、未読の『美の旅人 スペイン編』を読んでみたくなりました。

  

 

『ひとたびはポプラに臥す1』宮本 輝 集英社文庫 2022年(1997年講談社)20231010_091523

 

 宮本輝の小説は未読、このの本が初めての出会いです。人気のある作家だと聞き、「シルクロード」という言葉に惹かれ手に取りました。昔読んだ井上靖の「敦煌」、佐藤浩市主演での映画もありました。太古の歴史に潜むロマンとエトランジェ的哀愁に浸る旅エッセイ、そんなものを期待して読み始めました。

 ところがドッコイ、全くもってそんな期待はたちどころに粉砕されました。グルメもエトランジェも哀切に満ちた人との出会いも、もぉな~~んもありません。旅エッセイを読んで「こんな所行きたくない!」と思ったのは初めてかも。灼熱と不衛生、文化革命的官僚腐敗、読み続けるのも辛くなるような苦行旅でした。下痢と賄賂と悪路、20年心に抱いていたという作者待望の旅なのだけれど、等の宮本輝氏はいったいどう感じたのか失望と満足と。

気楽に買ってしまって読み始めて暫くして気付きました。「1」だったのだと。全3巻あるとは知りませんでした。第1巻で距離的には半分に近い距離を進んでいます。残り2巻で2/3と言うことは、この先は更に厳しい難路がトラブルが待っているということなのか? 気が重くなって迷います。しかし旅の終わりでの作者の感慨も知りたい。ん~読むか…、少し間を置いて考えよう…。

2023年9月15日 (金)

最近読んだ本『堀辰雄~』『絵画を~』『風神雷神』

『堀辰雄 ちくま日本文学』堀辰雄 筑摩書房 2009年(2022年第4刷)20230815_084808

 

 

「ちくま日本文学」文庫版全40巻の内の1冊です。堀辰雄作品は『聖家族』『美しい村』『菜穂子』他、主要作はほとんど読んでいました。50年以上も前の高校生時代のことです。映画『風立ちぬ』を機会に数冊をその時に読み返しています。ゴルフで訪れた軽井沢、通りがかりに入ったブックカフェで目に付いた本です。街中の本屋だったら買わなかったでしょう。軽井沢で堀辰雄、というのが運命めいて思わず買ってしまいました。『風立ちぬ』以外は未読の作品だったこともあります。

デビュー作『ルウベンスの戯画』から数作は、若さ故の気負いのようなものが感じられます。ただ最初に載っている『鳥料理』は『聖家族』よりも後に書かれているし、必ずしも初期作品の特徴と言うわけでも無さそう。テーマにもよるのでしょう。やはり軽井沢情景の作品が落ち着きます。乙女チックな物語として男性ファンは少ないのかも知れませんが、何故か惹かれる部分の多い作家です。嘗ての軽井沢に対する郷愁もあるのかも知れません。軽井沢もすっかり変わってしまいましたから。『風立ちぬ』はこれで、3度目か4度目の購読になります。

 

 

 

『絵画を読む イコノロジー入門』若桑みどり ちくま学芸文庫 2022年(1993年NHK出版)20230829_103542

 

 

リタイアシニアなのですが通信系で美大生やっています。現在は洋画コースなのですが、最初の2年間は芸術学コースに所属していました。学術研究はどうも身に合わず専攻変更しました。しかしこの2年間が無駄だったとは思いません。「研究」するまでの興味はないのですが、知識として持つことは有益だと思っています。芸術学授業の最初に「感性で絵画を理解することはできません」とはっきり言われました。感性は勿論大切です。しかしそれだけではあまりに大雑把になりがちに思います。「最終的には好き嫌い」というのも間違いだと思っています。「好き嫌い」は当然あります。それを超えて理解しようとする努力無くしては、それこそ時間潰しの趣味で終わってしまいます。理解することで、好き嫌いを超えてある種の感慨に至ることもあると思います。

 「イコノロジー」は「図像解釈学」と訳されています。時代が新しくなるほどに、感性比率が高くなりイコノロジー比率が低くなります。新古典派以前、特に中世期の作品ではイコノロジー無しでは到底理解はできません。本書は、古典12作品に関して図像解釈したイコノロジー入門書です。多少の事前知識を持つ方には判り易い文章だと思います。

 コンテンポラリーアート(現代美術)ではまた別の意味で、感性だけでは理解できかねる作品も増えています。コンセプチュアルアートのように。それはまた別の話しです。

 

 

 

27冊目の原田マハ『風神雷神(上)(下)』PHP文芸文庫 2022年(2019年PHP研究所)20230914_193714

 

 

まさにぶっ飛んだ発想です。『暗幕のゲルニカ』でも「ここまで飛躍しちゃって大丈夫?」と心配しましたが、『風神~』では心配するのもあほくさい程の破綻です。もうなんでもござれ、マハさんにすべてお任せします。(笑)

俵屋宗達は国宝指定3点、《風神雷神図屛風》は知らない人も居ないほどの超有名作です。なのに「生没年不明」という謎の多い人物です。町絵師としては異例の「法橋」の位を与えられ、皇室からの作画依頼も受けたほどの絵師でありながら、光琳が私淑するまでは注目されず、その後も明治まで低い評価に甘んじていました。故に時代での資料があまり残されておらず、研究もされていませんでした。そのことが、マハさんに思い切り過ぎるほどの創意・発想の場を与えました。「史実が判らないなら何書いてもへっちゃらじゃい!」とかでしょうか。通信美大授業で《風神雷神図屏風》レポートを書いたことがありますが、遣欧使節やカラヴァッジョとの接触など、ツユほども結び付きませんでした。

 個人的には『たゆたえども沈まず』は不満でしたし失敗作と感じています。宗達と異なりゴッホは、美術史的知識の薄い方々にも幾つかのエピソードが知られるほどの有名人気画家です。それがマハ的飛躍発想を阻害したのでしょう。そのストレスはこちらで、倍々にして発散されました。ただ、坂本龍馬が司馬遼太郎の創作人物と知らずに「史実」と信じてしまっている人も多い、ので、「宗達も」とならないか少し心配。そりゃ無いか…。

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