2023年11月14日 (火)

最近読んだ本『乳と卵』『朝鮮半島史』『~足利氏』

『乳と卵(ちちとらん)』川上未映子 文春文庫 2010年(2022年19刷 2008年文藝春秋)20231010_091546

 

 初めて読む作者、帯の「一夜にして、現代日本文学の風景を変えた芥川賞受賞作」との文言に目を惹かれました。芥川賞受賞作というのは、できれば読みたいという気持ちはあるのですが、実際にはあまり読んでいません。単行本は買わない、大部分は文庫本で読んでいます。それで「文庫化されたら読もう」と思いつつ、文庫化された頃には忘れていて読み損ないます。そのせいで余計目に付いた帯文言でした。

確かに「新しい」「今風」といった雰囲気は感じました。2008年作で15年も以前の作品ではありますが、70歳にもなると15年前などは「つい最近」にも感じますので。😅 ただ「一夜にして~変えた」というのは少々オーバーにも思います。

 言葉を交わさない、筆談で応答する母子、奇妙な関係です。ただ読み進むと、そこまでの深刻な要因の在るわけでないことが判ります。私の時代と同じ、ではありませんが、極端な違いはない親子関係、親子での情愛は残っているようで安心した部分はありました。若い時代に親に反発するのは世代を超えた常道でしょう。ただ外見として現れる姿は変わる。私の世代では、言葉は少なくなっても「筆談で」という状況は想像できません。到底許される範囲ではありません。相当に険悪です。それもあり、序盤で深刻な要因を想定してしまったのは世代格差なのかも知れません。

 新しい時代の作家との雰囲気は感じました。ただこの作品でのインパクトは強烈ではありません。軽いジャブ程度です。ただ「もう1作」と思わせる期待感はあります。帯にも紹介されている「夏物語」でも読んでみましょうか?

  

 

『朝鮮半島史』姜 在彦 角川ソフィア文庫 2021年(2006年朝日選書)20231109_100248

  

朝鮮半島の歴史をその神話時代から東学農民戦争まで、つまりは韓国併合までを書いています。随分以前に、韓国に嵌った時期に三国時代を中心に歴史を読んだことがあります。大雑把には知っているつもりでしたが、姜在彦版は更に詳しく述べています。もう新しい知識は定着しません。暗記する必要もありませんので、読み飛ばす程度での読書でした。

 朝鮮半島は、常に隣接する大国、隋や明・元・清などの中華王朝に翻弄されてきました。そして最後には大日本帝国に。生き残るためには情勢を見極め「長いものに巻かれる」処世術が必要でした。そしてまた、党派党略での陰湿な権力闘争も目立ちます。日本的感覚では「陰湿」ではありますが、戦をして大勢が死に巻き込まれた一般民衆が苦難するのと、権力中枢トップの数人が毒殺されるのと、どっちが良いと問われると悩みます。ただ朝鮮王朝末期での密室政治が近代化を遅らせた要因であったことは確かかも知れません。

  

 

『下野国が生んだ 足利氏』下野新聞社編集局著 下野新聞社 2017年(2021年第4刷)20221227_202221

  

栃木県の地元紙「下野新聞」土曜版に連載されていたものを編集して出版した本です。下野新聞は取っていないので新聞記事は知りませんでした。判り易くはありますが、足利市生まれ在住で地元歴史にも興味を持つ私には、目新しい事実はあまりありません。京都「時代まつり」での室町幕府参加が2007年からで、それまでは認められなかった、ことが新しい知識になった程度。帯にある「足利氏通」になるには少々役不足。ごく初歩の入門編といった程度の本です。

2021年1月18日 (月)

最近読んだ本「ソルハ」「無限の網」「リュパン~」

「ソルハ」帚木蓬生 集英社文庫61ciloldx2l

 

 

「三たびの海峡」はかなり印象深い作品だったのですが、著者の作品はこれだけ、他に読んでいません。深いテーマでの著作が多く、読み出す覚悟が求められる気がして躊躇することが。今回は知っているようで知らない「アフガニスタン」「タリバン」を知ってみたい、また「小学館児童出版文化賞受賞」との帯が踏み出す切っ掛けになりました。

 ビビという少女の目線を通して、5歳から15歳までの10年間が描かれます。成長に即して、文体も幼女から少女へと変遷している気がします。押し迫る戦闘とタリバンの影、両親・家族に囲まれた幸せな書き出しは、後の悲劇と対比させる作者の仕掛けに思えて、読み続ける辛さを想像させます。怖さすら感じてしまいました。

 塩野七生作品を読んでいましたので、キリスト教と比べて「イスラム教は寛容な宗教」との知識は持っていました。オスマンでのコンスタンチノープル占拠でも、カトリック教会の存続は許されたのですから。今回この本を読んで、タリバン・アルカイダ・イスラム国の暴挙は、本来のイスラム教の趣旨を逸脱し、権力抗争に利用されたとの事実をよりよく理解することができました。神父・司祭や僧侶という専門の宗教指導者を持たないイスラム教、本来は階級化や権力化を避ける目的だったはず。しかし実際はコーランもイスラムの歴史も熟知しない素人宗教指導者により、歪曲され扇動されることになりました。文盲国民の多い、教育の欠如がそれを加速します。教育の大切さを認識させる書でもありました。

 あと書きに登場するアフガニスタン農業実習生女性は、「軍隊(自衛隊)を派遣するより学校を作った方が良い」と述べます。確かにその通り、しかし反政府組織に殺害された中村医師の記憶も新しく、学校を作るにも農業指導をするにも、治安の維持は必須となります。故中村医師の活動すら、「政府に利する」として敵視する武装組織、根底はやはり「教育の欠如」でしょう。教育は必要、しかし教育を充実させるには治安が必須、鶏が先か卵が先か、堂々巡りです。

最愛の母親を失ったビビ、それでも「ビビ以外は全員死んでしまうのでは・・・」とも想像した私にとっては安堵の結末でした。不必要に悲劇を創作することなく、ノンフィクション的に時代を描こうとした著者の賢明さに感謝しました。2002年現在では一応のハピーエンドです。実際にはその後も苦難の歴史は続いたのですが・・・。

 

 

「無限の網」草間彌生 新潮文庫618txxgzqql

 

 

森美術館での「STARS展」に出かけた折り、カタログはあまり面白そうでなく草間の作品集を買いました。作品集の解説本のつもりで同時購入したのがこの本、著者の自伝本です。2冊合わせてカタログ購入の倍の出費です。草間彌生も91歳、その生涯を捉える機会にと奮発しました。

 自伝ですので誇張や脚色・願望も含まれているかも知れません。反面自我や本質・プライドは処々に見ることができます。岡本太郎は演出された“狂気”でしたが、草間彌生の場合は、かなりリアルな“狂気”なのかも知れません。不安不安定のさ中にも、その反動なのか、高慢とも見える自負も覗きます。

 草間彌生の存在は、高校生時代の1970年代初めから知っていました。美術部部室には先生の購入した「みづゑ」「芸術新潮」などが沢山積み上げられて居り、その雑誌からポップアートやオップアートを知り、草間彌生のNYでのハプニング行動を知りました。当時は何やっているのか理解できませんでした。ゴッホ、セザンヌを愛する生真面目な高校生でした。(笑)

 本としては面白くありません。でも芸術家としての著者を知る、参考書としては貴重な資料です。野生時代新人文学賞受賞の「クリストファー男娼窟」も読んでみたくなりました。

 

 

「リュパン、最後の恋」モーリス・ルブラン 高野優監訳 池畑奈央子訳 創元推理文庫51lcbs48hql

 

 

小学生以来のルパンです。題名は“リュパン”、確かに仏語発音だとそうなります。ルブラン没後に発見された未発表遺稿だそうで、「序」を書いたお孫さんによると“推敲不十分”な作品とか。しかし読んだ後の感想としては「不十分」というレベルではないような・・・。

 外形的に“教育熱心”だった母は、読書家でもないのに子には全何十巻かの少年少女世界文学全集を買い与え、幼い頃から本に取り囲まれていました。「15少年漂流記」は面白かったし、「ロビンソン・クルソー」や「ジャングルブック」「小公子」「空飛ぶ教室」とか、同年代の子達よりは多く読んでいたと思います。しかし自身で進んで読み始めるようになったのは、小学校中学年、図書館で読んだ「鎖の輪61号」という冒険推理小説との出会いからでした。それを契機に(元々冊数は少なかったけれど)図書館に在ったその分野、ルパンとホームズはすべて読みました。しかしホームズの助手ワトソンは少年でした。子供向けの簡易版だったのです。ですのでルブランをきちんと読むのはこれが初めてかも知れません。その意味での期待もあったのですが、しかし内容は・・・全くの“子供だまし”でした。

中学生以降に読んだ、クリスティやクィーン(主にバーナビー・ショー作品)とは全く別物、赤胴鈴之助やナショナルキッド、月光仮面のレベルのお話しでした。つまりは子供向けの冒険活劇漫画です。リュパンは村中の子供たちを集めて体操や水泳を指導していた、白昼堂々のそれを村の大人たちは誰も気付かなかった、そんなことが在り得るでしょうか?登場するエピソードはどれもそれも、都合の良過ぎる非現実的コントです。つまりリュパンは元々、ホームズのように子供向けに改編するまでもなく、根っからの子供向け冒険活劇漫画だった、そういうことなのでしょうか?あの、こころわくわくさせた「奇巌城」「813」も同様なのでしょうか?確かめなければ・・・面倒なことになりました。

2020年11月16日 (月)

最近読んだ本「現代アート~」「アノニム」

「現代アートをたのしむ」 原田マハ 高橋瑞木 祥伝社新書Img_20201112_204637

 

お馴染み原田マハと、仲良しらしい、香港CHATエグゼクティブディレクター兼チーフキュレーターの高橋瑞木の共著。一般に取っ付き難いと言われる現代アートを紹介、その「距離を縮める」現代アートガイダンス。なるほどマハらしい、判り易い解説書だとは思いますが、さすが初めて聞くアーティスト名も多く、作品を観たことのない作家も。その点「ゴッホのあしあと」「いちまいの絵」のようにはすんなりと頭に入ってきません。即座に2度読みしました。50年前の高校生時代から草間彌生の存在は知っていましたし、ウォーホルやデュシャン、リキテンシュタインには胸躍る想いもあり、比較的現代美術に接してきた、と自負していた私も自信過剰だったと反省しました。「印象派は好きだけど現代美術は・・・・」との方々には、これ1冊で理解するのは難しいと思います。それでも、興味を抱く出発点としてはよくできた本だと思います。

「現代アート」は「コンテンポラリー・アート」の訳です。つまりは「同時代の~」という意味。ダヴィンチは500年前の、ゴッホは100年前の「現代アート」を描いていたわけです。ゴッホは生前認められなかったわけですが、現代人は「何故だろう?」と疑問に感じる。しかしその現代人も、同時代のアートには首を傾げます。同じなんですね。人間”過去”は見える、しかし身を置く”現代”は見える部分が多過ぎて俯瞰できない、余計なこまごまとしたものまで見てしまうので要約できません。しかし客観的に理解できなくても”感じる”部分はあるはずです。

時代のアーティスト達は「絵とは何か?」という命題に常に悩まされてきました。写真機の現れた時期の印象派の画家達にとっては特に。ピカソは「アヴィニョンの娘たち」を描くことで「綺麗・美しい」という概念にも疑問を呈しました。私も時に考えます、美しい女性を描いた絵、可愛らしい子供を描いた絵、その作品の価値は、描かれた女性・可愛らしい子供なのか?描いた作家自身には価値があるのか?美を写すだけでは模写にしかなりません。コピーです。

印象派の画家達も、ピカソもデュシャンもポロックも「絵とか何か?」「アートとは?」との命題に立ち向かい、概念を崩し新しい世界を築き上げてきました。その破壊と創造は今も続いています。17歳の高校生時代に学校祭で「ピカソ研究」をテーマとしました。(生誕90周年でした)そしてその偉大さに初めて気付きました。と同時に不安にもなりました。同時代に生きるピカソは常に変遷し、ネットの無いその時代に「ピカソの今」を知ることはできませんでした。1973年4月、ピカソの死を知り寧ろ安心しました。「これでピカソを辿ることができる、追い付ける」と。

時代を辿り変遷・変貌する現代アート、それを展望し理解することには結構熱意と努力を要します。しかしそれは同時代に生きる故にできること。私たち達は皆、今の時代のアートの目撃者・検証者です。過去の偉大な画家たちの作品を鑑賞することも、もちろん意義あることです。しかし今を生きる私たちにしかできない、観られない、感じられないこともあるのだと、この本を読みながら感じました。「時代の証人に」なれると。

 

「アノニム」原田マハ 角川文庫Img_20201116_160213

 

近頃「?」な思いもありながら、それなりに嵌り込んでいる原田マハ作品、芸術系作品をメインに読んでいますので、”ジャクソン・ポロック”との名を見て迷わず買ってしまいました。高校時代に読んだ「芸術新潮」での記事だったと思います。テーマは「天才」でした。マティスの系譜を継ぐのがイヴ・クライン、ピカソを継ぐのがジャクソン・ポロックと、何方かが書いていました。高校大学時代、クラインもポロックもステラもウォーホルもヴァザルリ、サム・フランシスも、私にとっては”アイドル”でした。

そんな名を記した作品、もう序盤で失望を感じましたが、最後まで読みました。序盤の失望は「私の期待した作品では無い」、読後の感想は「酷過ぎる、凡作の域にも達していない」でした。全く呆れます。

原田マハ芸術系作品に対する私の期待は、主題となるアーティストの人生を、原田マハの感性を通して蘇らせてくれること、です。高橋瑞木との共著「現代アートをたのしむ」でも、「ともすると、あまりにも特殊な人間だと思いすぎてしまうことはあるかもしれない。~でも、ゴッホだって~私たちと違わない、同じ人間なんですよね」「『ジヴェルニーの食卓』は、まさにその視点で書いたんですよ」とあります。私が嵌った切っ掛けはまさに「ジヴェルニーの食卓」でした。そして「太陽の棘」も傑作でした。「リーチ先生」も面白かった。「モダン」「ロマンシエ」も、少し別路線ですが楽しめました。一方、「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」は、私の望む路線ではありませんでしたが、サスペンスとしては良く出来た作品だと思います。

そして今回の「アノニム」、アルコール依存症とプレッシャーの中で、自死も疑われる自動車事故で44歳の生涯を閉じた、ピカソにも比較される抽象表現画家、この興味深いアーティストの生涯に関してはほとんど描かれていません。そして”サスペンス”部分でも、観るべき場所もない駄作でした。主人公達に都合の良い条件・展開ばかりを羅列した、二流漫画家でも書きそうにない設定、すべての情報を持つスーパースター達が、失敗のしようの無いお気楽犯罪に挑む、ってか?鑑定の基準にも達しないであろう偽作を得て納得するはずもない標的者、世界的オークションに出品されて美術界住人なら誰でも作者の見当の付く作品が「作者不詳」で通用する?どれもこれもあり得ないお伽噺です。出版した出版社にも、文庫化した角川文庫にも、その姿勢を疑います。

原田マハの芸術系作品、「美しき愚か者たちのタブロー」は文庫化されれば読むつもりです。その他作品に関しては、無条件で買うことなく、ぱらぱら読みしてから注意深く判断しようと思っています。マハ離れも、そう遠いことではないかも知れません。というか、これだけの駄作を読まされながらも、まだ読む気が自身に残っていることの方が驚きです。

 

この2冊に共通しているのが”香港”です。高橋瑞木は香港「CHAT」のエグゼクティブディレクター、「現代アートを楽しむ」の中でも、最近の香港での騒ぎ(「逃亡犯条例」制定に関する)にも触れています。「アノニム」の方では、一国二制度の維持と民主化を求める学生運動が描かれています。作品の描かれた2017年段階で2020年の香港を想像するのは難しいでしょうが、その点でも、「かすかな希望を残して、運動はいったん終結した」と、作者の展望の甘かったことを示してしまいました。また、作品中で登場するメガミュージアム企画は、実際に「視覚文化美術館M+」として今年末には開館予定となっています。

足尾鉱毒事件・祈念鉱毒根絶 太田市毛里田

近くを車で走っていて、気まぐれに田んぼの中の脇道に入り込み、こんな場所を見つけました。「祈念鉱毒根絶碑」足尾鉱毒事件での農民運動を記した碑でした。足尾鉱毒と言えば佐野、田中正造が思い浮かびますが、この場所の碑が記すのは戦後での農民運動、足尾鉱毒事件解決への道でした。森高千里さんの歌「渡良瀬橋」で歌われた我が郷土の渡良瀬川ですが、カドミュウム汚染の歴史があり、現在見ることのできる綺麗な流れを取り戻すための歴史、尽力した人々が居ました。
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銅像の主は板橋明治というお方、農業を営む板橋家の長男として旧毛里田(モリタ)村、現在の太田市只上町に生まれ、毛里田村村会議員・議長、太田市議会議員、毛里田村鉱毒根絶期成同盟会会長として国と古河工業と対峙、1974年に、古河鉱業㈱に責任を認めさせ、15億5千万円の損害賠償を含む調停が成立し、これを農家の救済に当てた、という人だそうです。申し立てに当たっては、弁護士に依頼せず独学で活動を勧めたそうな。2014年に93歳で亡くなられていますが、もっと知られてもよい人だと思いました。「環境問題の解決の至難さを自ら運動の先頭に立って解決しつつ、現代社会に諮問、警告した事で全国に知られる。」とのことです。200pxitabashi_meiji_statuea

因みに日本での公許女医第1号、荻野吟子女史は板橋明治の奥様の親戚だそうです。

2018年9月22日 (土)

Facebook

niftyフォーラムに始まって、HP、mixi、ブログと移り変わるネットコミュニケーション。現在は家族等近い相手限定でのLINE(広げると面倒そう)とFacebook中心で使っていますが、mixiもブログも残してますし時折書き込んでいます。と言ってもmixiは利用頻度はかなり減りましたし、Facebookと重複しますのでこちらブログも書き込む間隔が空きがちです。ただFacebookはどんどん過去に流れて行ってしまい過去記事を探すのは至難の業、少し遅れてもこちらにも書き残すようにしています。ブログの方が詳しく書き残すことができますし。元々、使い捨てのようなSNSには若干の苦手感があります。ですのでTwitterもInstagramもページは持っていますがあまり利用していません。刹那的な書き捨てには違和感を感じています。

というところでFacebook、私の年代では利用率は低いようです。Facebookに限らずネット全般で。未だに携帯はガラケーでメールも禄に打てない同輩も少なくありません。私自身はそういった人達、(リタイヤ組の増えてきている年代ですが)どうやって会社生活を潜り抜けてきたのか不思議にも感じます。私自身、仕事上の必要に駆られて始めたPCです。始めた30代の頃には中小零細企業ではまだ珍しい存在でしたが、間もなく必需品となりました。PC無しの仕事など考えられません。想像ですが同輩達、PCが会社に導入された頃は管理職年代ですので、訳の分からない操作は部下後輩に任せて、虎穴に入らずに何とか逃げ切ったのでしょうか?零細企業主だった私は任せられる部下も無く、自身で憶えたのですが。そのお陰で、仕事上での表計算での生産計画作りやチラシ・値札作り等役だったのは勿論ですが、プライベートでも世界が広がりました。物理的距離は関係しませんので、遠い地に住む知人・友人もできましたし、趣味を同じくする仲間も見つけることができました。

ただこの世界、便利なことも多い反面、面倒な部分もやはり存在します。韓国に嵌り込み情報発信に励んでいた時期には、”2チャンネル”という不可思議世界に住む住人からストーカー攻撃を受け難渋した時期もありました。

さて話題を本題に戻します。Facebookです。現在日常の出来事等を書き込んでいますが、敬愛する森高千里さんファン達との楽しいやり取り、高校同期や大学部活での仲間、そして地元足利市を盛り上げるために頑張っている方々等、概して有意義に活用できていると思っています。ただFacebookには過剰サービスというか、私にとっては「余計な機能」と思える部分もあります。例えば「お友達記念日」、それは2人で祝えばよいと思います。関係ない、その片方とは関係のない、”友達の友達”まで持ち出されても・・・。私は原則シェアしません。誕生日祝いもどうかな?と思っています。Facebook友達が増えれば必然誕生日も増えます。年がら年中誕生祝をしなくてはなりません。滅多に音信のない友達との挨拶、それも必要な部分もあると思いますが、そこは年1回の新年挨拶で済ませて頂きたい。年間通してばら撒かれる儀礼的お祝いメッセージは目障りに感じる時もあります。メッセンジャーとかで個人対個人で伝えれば良いことです。

以上、ま、他愛のない”愚痴”です。真剣に悩んで迷惑に思っているわけではありません。ただひとつ、今面倒に思っていることがあります。”シェア”です。これも利用の仕方次第、便利に使える機能ではあります。ただ「乱用」は迷惑です。最近Facebookお友達になった某氏、多い時は一時に10件近くのシェアを並べます。それも多くはネトウヨ的書き込みのシェアです。内容的には同感できる記事もあり、最初は一応読んでから選択していたのですが、なんせ数が多過ぎます。今ではすべて見つけ次第非表示にしています。そして1番に不満迷惑に感じているのは、彼の書き込みはシェア”だけ”なのです。自身の文章で意見表明することは無く、すべて”シェア”です。本人それなりに意見考え方は持っているのでしょうが、「シェアだけ」というのはあまりに安易です。本人の確固たる信念にも疑惑の目を向けたい気持ちになってしまいます。そういった自覚はないのでしょうね。「同感できる有意義な意見を拡散している」との意識なのでしょうか?Facebook上だけので繋がりならば、お友達削除してお終いですが、元々オフラインでの友人から新たにFacebook友達になった人ですので、その点で面倒なのです。ま、暫くは非表示対応で済ませます。「このような投稿の表示が少なくなります」との効果を信じて。

追記:Facebookの余計なサービス、もうひとつありました。「過去の思い出をシェア」 振り返りたい気持ちもわからないではありますが、「自分の頭の中だけで振り返っていてくれ~」との思いもあります。ひとの寂しがりや一面を捉えた手法なのかも知れません。

2018年9月15日 (土)

8・9月のゴルフ

PC不調時以降のゴルフです。

まずは8月14日(火曜)、盆最中のゴルフです。地元仲間でのゴルフ、ゴルフ場はいつもの「唐沢ゴルフ倶楽部三好コース」でした。暑いさ中、「命に関わる」ほどではないにしてもやはり暑かった~。INスタートの前半は、1度も100を切ったことのない苦手コースの割にはまあまあの「52」で乗り切りました。+3が1ホールあったものの私としては大叩きのないゴルフ、パットも「15」で上出来、ショートを除く7ホール中6ホールでフェアウェイ維持、いいんじゃないですか~! という展開からご想像通り、OUT後半は暑さもピーク、風もほぼ無し、集中力が続きません。パーパットも緊張感無く(´;ω;`)ウゥゥ「ボギーでいいや」と思っているからWボギーになる・・・。上がりの2ホールはトリプルトリプル、耐えていた最後でOBも飛び出し「55」、やはり今回も100を切れない「107」で終了でした。

ゴルフ場でひとっ風呂浴びてからメンバーのひとりの自宅に直行、久し振りの麻雀です。初めての全自動麻雀卓、こりゃ便利です。学生時代大学の周囲は麻雀屋だらけ、部活仲間での定例麻雀大会もありました。時は流れ現在、大学周囲に麻雀屋は1軒もありません。地元に戻ってから何回か卓を囲んだものの、ここ10年ばかりは全く途絶えていました。符の数え方も忘れました。それでも打つ内に感覚も戻り、半荘4回の内2回でトップを取り総合でもトップでした。ゴルフと異なり好調の麻雀でした。終わり良ければすべて良し、です。

続いては8月26日(日)、高校同期3人で周った「レイクウッドゴルフクラブ富岡コース」、景色の綺麗なコースですがやたら池が多い。今回で3回目ですが、前回(4年前)は池に嵌りまくって大叩きの「124」でした。今回も池プレッシャーに弱く、スタートホールティーショットでトップしていきなりの池ポチャ。トリプルトリプルのスタートながらショートでの1オン1パットのバーディもあり、ボギーにまとめて前半ブルーコースは上出来「48」でした。後半はゴールドコース、やはりトリプルスタートでしたがその後はボギーで収めていたのですが、5ホール目で遂にやっちゃいました。ラフからの2打目は当たりは良かったものの右ラフの木に当たり右手前奥へ跳ね返り、更に3打目も木に直撃、打った位置よりも戻されて・・・。結局ロングのこのホール+6の「11」、気落ちしての連続トリプルも出て「57」で計「105」、これでもこのコースでは1番良いスコア。

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富岡からの帰途、出来たばかりの「佐野強戸PA」に立ち寄ってみました。パーキングの少ない北関東道路待望のPAです。レストランもGスタンドもあります。ETCがあれば出入りもできます。施設の両側に駐車場のある、上り下り兼用PAです。できたばかりですので観光バスで立ち寄るお客さんが多かったですね。以前は東北道の佐野SAに利用客が集中、混み合いましたのでこれで多少は分散しますね。

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直近ゴルフは9月9日(日)の高校同窓会ゴルフです。”生存確認”のために毎年開催とした同窓会も今回で11回目です。今年も2名の仲間の旅立ちが報告され、会初頭に黙祷を捧げました。皆64~65歳、それぞれに問題を抱えた方も多く、私も他人事じゃありません。男性の健康寿命(寝たきりでない)は平均で71~72歳です、動ける内にやりたいことはやっておきましょう。リタイアした人も年々増えていますが、「これで追々ゆっくりと~」とか考えている間はありません。出欠返信でも、体調の関係で欠席の方も数人見受けられます。ゴルフ会参加者は少なく7名でしたが、出来る内にやっておいた方が良いのに・・・と思います。

ゴルフ場は市内中心部から(河川敷コースを除いて)1番近い「足利城ゴルフ倶楽部」です。「足利城」というくらいですから昔々は城(時代が古いですので山城です。”砦”と言った方が近いかも)のあった地域です。最初は藤原姓足利氏、後に源姓足利氏(足利尊氏の祖先)、戦国時代には山之内上杉氏の家臣長尾氏が領有した城です。藤原姓足利氏は源姓足利氏との争奪に破れ東北に逃れます。別名「両崖山城(りょうがいさんじょう)」ですが、「両崖」は「要害」のなまったものとの説もあります。そんな要害の地ですので崖を挟んだ両側に張り付いたフェアウェイが狭くアップダウンのあるゴルフ場です。

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7名の内1人はその夜の同窓会を欠席ですので、会費無し賞品なし扱いですが、なんと、その1人が優勝してしまいました。よって2位が繰り上げ優勝となります。繰り上げ優勝と準優勝の2人がニアピン・ドラコン・ベスグロを独占、賞品をごっそり持ち帰りました。幹事であり賞品を用意した私はOB連発の「111」でBM、つまり最下位でした・・・。残念。

そのゴルフ場プレー中での会話ですが、「地球温暖化」が話題となりました。ひとりが「温暖化は太平洋高気圧、自然現象だから仕方ない」と、排ガス等での温室ガス効果を全否定するのです。これは意外でした。トランプ米国大統領と同じですが、トランプ氏の場合は実際にそう信じているのではなく、自国利害優先での政治的発言と思っていました。しかし身近にパリ協定的考え方を否定する人間が居たとは・・・。そういった確固たる説もあるのでしょうか?ちょっと判らなくなりました。

東京オリンピックに関して、「時期をずらして暑い夏を避ければ良い」との発言をしばしば耳にします。私はこの考え方には大反対です。主題はすでにOPではなくなっていると思っています。より大事なのは、一時期酷暑の東京に滞在する選手達ではなく、これからもずっとその地に住み続ける人間、日本人だと思うのです。「命に関わる暑さ」「酷暑」はすでに、今年の局地的大雨・台風・地震、同様、すでに災害の域に達していると思います。このまま放置すれば本当に(今でもですが)人の、特筆すれば北関東人の「命に関わって」きます。北関東の酷暑の要因のひとつは”東京の熱波”です。アスファルト・コンクリートで熱せられた熱、そして冷房排気熱は、上空に巻き上げられ北関東を熱します。まずは「東京を冷やす」政策が必要だと思うのです。道路の耐熱塗装はだいぶ以前に開発されています。しかしかかる費用が高いために実用化に至らずに来ました。その実用化を提言した都知事の発言に対しては、「たった1度のマラソンのために」と「無駄使い」と断じる論調があります。マラソンは「たった1度(男女合わせれば2度ですが)」でも、前述の通り我々はOP後もこの地に住み続けるのです。命の危険を冒して。耐熱塗装もミストシャワーも、また排熱の少ない冷房装置とか、1964年の東京OPが高速道路や新幹線を”OP遺産”として残したように、2020年のOPでも、酷暑対策をOP遺産として残して欲しいと思っています。一部でも研究・実用化が進めば、コストダウンやより効果の期待できる対策の進展にも繋がると思うのです。そのためには「酷暑の東京OP」は、その切欠としなければならないのです。

夕6時からは市内のイタリアンレストランでの同窓会となります。同期旧5組と6組との合同同窓会ですが、今回は旧1組からも1人出席、来年からは3クラス合同を予定しています。仲間は多い方が楽しい!会場のレストランは1年ちょっと前にできた新しい店です。安くて美味しい。元々は他の店で決まりかけていたのですが、たまたま家族で入って美味しさに感激、その場で会場変更を決めてしまいました。足利市朝倉町の「MONA」という店です。65歳前後のオヤジ達には少々不似合いな店ですが、美味しけりゃ文句も出ないでしょう。

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店のメニュー、私のお勧めは「バーニャカウダ」です。イタリア・ピエモンテ州を代表する料理、アンチョビ・ニンニク・オリーブオイル等を混ぜ合わせた暖かいディップソースに野菜を付けて食べる、フォンデュに似たメニューですが、私の少ない経験の中ではこちらのバーニャカウダが1番です!ただ、周りを見渡すと食している人が少なかった。後で考えたら、世代的に料理認知が無く、食べ方も美味しさも知らない人がほとんどだったのかも知れません。う~~む。

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恩師も含めて出席者は22名、新しい参加者、久々の参加者も数名居たのですが、常連拝欠席もあり昨年(20名)とあまり変わらない人数となりました。ただ、リタイア年代ですので来年からの出席を匂わせる返信もいくつかあり、来年は人数が増えるかも知れません。また、人数はほぼ同じでも顔ぶれが異なれば話題も増えます。他のメンバーは知らず、私はいつも以上に話題豊富に楽しく過ごしました。翌日が月曜日だったこともあり、2次会は4人だけでしたが、こちらも楽しく飲みました。さて鬼を笑わせましょう。来年のためにクラス名簿のない旧1組の連絡先を確認しなければなりません。1年かけて芋蔓探索しようと思っています。同窓会企画も、すでに私の”趣味”のひとつになりつつあります。

2018年7月26日 (木)

東京オリンピックマラソンコースでの「耐熱性舗装」

日刊ゲンダイに、「一度きり東京五輪 マラソン酷暑対策に血税100億円投入の愚」という記事が掲載されました。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233943/1
この記事に関しては、「命に係わる暑さ」の渦中に住む北関東住人としては異論があります。「OPは涼しい秋にやれば良い」同様、北関東など、都会の発する熱に迷惑している地域の住民を無視した狭視的論に思えます。熊谷や館林・佐野、酷熱に苦しむ北関東の気温を下げるには、東京の気温を下げることが必要なのです。「たった一度のマラソンコースに」とは言いますが、OP終了と共にその効果が失われるわけではありません。
「耐熱性舗装」は確か、もう10年以上も前に開発されていたはずです。しかし高い経費が災いして実用化されませんでした。残念なことです。今回OPを契機に部分的ではありますが実際に活用されれば、実際の場でその効果が検証されることにより、今後の技術開発やコストダウンにも大きな効果が期待できると思います。「思ったほど効果が出なかった」という結果ももちろんあり得ますが、それも前進のひとつだと思います。首都高速や新幹線は1964年の東京OPを契機として造られました。OPが無ければ設置はもっと遅れていたと思います。私達はOP終了後もこの地に住み続けます。「OPさえ無事に済めば良い」わけではありません。OPを契機として、都会温暖化対策(ミストサウナも。熊谷市駅前に設置されてありますが、限定的とはいえ効果はあります。)の進むことに期待をかけています。
トランプ氏や中国等の非協力的態度で、地球全体での温暖化対策の進むことは当分期待できません。日本は日本で、独自の対策を練る必要に迫られています。一昨日はお隣佐野市で、昨日は遂に我が街足利市でも熱中症による死者が出てしまいました。熱中症対策は緊急な課題なのです。高額な費用にも係わらず実施を指示した都知事の英断に感謝すると共に、OP限定のその場凌ぎにならないことを願い、高速道路や新幹線同様、「耐熱性舗装」がOP遺産として後に行かされることを祈ります。

2016年11月11日 (金)

アメリカ人はジョーカーを引いたのか?

可能性あり、とは思いながらも、あくまでも「もしも?」の話と高を括っていたらまさかまさか、でしたね。本当にトランプさんが大統領に当選してしまいました。これってジョーク?

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アメリカの大統領選はひとつのショーであり、選挙戦での公約はあくまでも選挙用、投票する側も必ずしもそのまま実現するとは思っていない、とかの解説が付いています。本当にそうなのかどうかはアメリカの政治事情に疎い私には判りません。しかし今回の選挙結果から思い出したのは、2009年の衆議院選挙での政権交代、つまりは民主党が絶対安定多数議席を獲得した「政権交代選挙」でした。私は今まで一度として民主党(もちろん民進党にも)に票を投じたことがありません。現在では原則自民党支持ですが、過去には共産党にも民社党にも社会党にも、政権与党になる以前の公明党にすら投票したことがあったのに。2009年の選挙でも、民主党に投票する意思は全くありませんでした。寧ろ、選挙以前でのブーム的な民主党支持の盛り上がりが理解できませんでした。もちろん、当時の自民党のていたらくに失望する気持ちはありました。しかしそれでも、「民主党よりはマシ」と考えていました。知人とそんな点で言い合いなったこともありましたが、知人の言い分は「一度くらい(民主党に)やらせてみても良いのでは?」とかでした。彼は必ずしも民主党を支持していたわけではなく、自民党への失望から減点法での選択だったようですが、そういった消極的支持で投票した人は多かったようです。つまりは、民主党の勝利というよりは、自民党のオウンゴールでの敗退、といった意味合いが強かったような。しかし私は今でも思うのですが、「一度くらいはやらせてみても~」との選択は全くの間違いです。減点法で選ぶとしても、あくまでも政策で選ぶべきでしょう。

当時の民主党の選挙公約、私には、出来ないこととやってはいけないこと、ばかりだったように思っています。やってはいけないことの筆頭は「子供手当」です。これは、「投票してくれれば現金をやるよ」という、選挙民に対する”贈賄”としか思えません。本来は、政策として、行政として、教育現場の改革や子育て環境の整備等に力を尽くす、それが政治です。現金を渡して済まそうとする姿勢、もう行政権の放棄としか思えません。高速道路料金の無料化案も同じです。選挙民のエゴ意識に乗じた迎合策でしかありません。

出来ないこと、こちらには幾分期待した部分もありました。一番は沖縄米軍基地問題でした。「最低でも県外」との公約、実現すれば日本の政治歴史に名を遺す画期的事業です。「事業仕分け」の名で流行語にもなった行政に無駄の削除もそうでした。過去の政権政党が常に公約しながらも実現しなかった懸案です。難しい、無理だろうと思いながらも、これだけ自信たっぷりに公約するのだから、もしかすると既成政権与党には考えも付かなかった画期的な「裏技」を秘めているのかも?微かにそんな期待も持っていたのですが、蓋を開けてみたら、未経験の与党素人だったから、本当の難しさを知らなかっただけ、出来そうに勘違いしていただけ、でした。全くのお笑い種でした。

話しが飛んでしまいました。当時の日本事情と今回のアメリカ大統領選挙とは、おそらく全く異なるのでしょう。ただ、トランプ氏に投票した人の中には、「トランプ氏に」では無く、現状の閉塞感故に方向も見定めずに”変化”だけを求めて票を投じた人も少なくなかったように思います。クリントン氏の、”オウンゴール”面も否定できないように思います。また当時の日本同様、アメリカ人の「自分だけ良ければ」とのエゴ意識を利用しての政策も見受けられます。さてさて、トランプ氏の政治家としての本当の姿、どのような形で現れるのか目が離せません。

2016年2月13日 (土)

「いのちの花展」 -イラク、シリア こどもたちの絵画と写真展-

「いのちの花展」、知人から案内ハガキを頂きましたので行ってきました。昨年12月にはラジオで(http://www.joqr.co.jp/kamata/player/kamata151213.html)、昨日はTVで紹介された活動・イベントですので、あるいはご存知の方もいらっしゃるかも知れません。JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)という、NPO法人の主宰する展示会です。イラクでは、湾岸戦争やイラン戦争で使われた劣化ウラン弾によると思われる小児がん・白血病が多発(日本の5~8倍)しています。しかし、戦争による医療施設の荒廃や近年では更にIS(イスラム国)の勢力拡大により、十分な治療も受かられない子供たちが沢山いるそうです。そういった子供たちを救おうとJIM-NETは活動しています。今開催されている展示会は、イラク・シリアの現状とJIM-NETの活動を紹介すると共に、グッズ販売による寄付を呼び掛けるイベントです。http://jim-net.org/

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会場には、患者である少年少女たちの描いた絵や現地の写真、資料等が展示されてあります。壁面に飾られた大きな作品は、そのひとりの描いた絵をコラージュして拡大したものだそうですが、残念ながら本人はすでに亡くなっているそうです。

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会場ではグッズ販売、という形で寄付を募っていますが、その活動を象徴するものが”チョコ募金”です。毎年、バレンタインの時期に合わせて長年続けられてきました。チョコ缶のデザインには子供達の描いた絵を使い、缶の製造は東日本大震災で被災した缶工場に依頼しているそうです。販売価格の500円(本来の形は”寄付”ですので、「500円以上の寄付を頂いた方に差し上げる」という形を取ります)の内300円をイラクでの活動のために、50円を福島での活動に使われるそうです。今ではスタッフが知恵を絞って、グッズの種類も増えていました。

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安保法案関連で、”平和主義”というものが語られる機会が増えました。ただ、もちろん全部が全部ではないでしょうが、「(外国の戦争に)巻き込まれたくない」「日本だけ平和であれば良い」的な、”エゴ平和主義”とも感じ取れる言葉もしばしば耳にしました。大戦後の日本は、世界でも稀な平和国家として存在してきました。しかしその平和は日本人の手によって勝ち取ったものではありません。大国同士の冷戦の狭間での、たまたま与えられたものだと思っています。そして時局は変わり、日本人の望む”現状維持”は許されない状況になりつつあります。安倍首相の発言とは意味が異なるかも知れませんが、”積極的平和主義”の必要な時代になってくるのだと思っています。「海外への資金のばら撒き」を非難する発言を聞きます。しかし「そんな金があるなら日本の弱者のために~」は方向違いだと思っています。ばら撒くことがいけないのではなく、”ばら撒き方”に問題があるのだと思います。そして資金だけでなく、人材も世界にばら撒かなくてはいけない、それが”積極的平和主義”には不可欠ではないかと。一部の人たちの自己犠牲によって成り立つ平和主義では意味がありません。国が積極的に支援し、安全も守る必要があります。安保法案を”戦争法案”にするか”積極的平和主義法案”にするかは、これからの日本人の意識の持ちようにかかっているのだと考えています。

案内ハガキを送って頂いた事務局長・佐藤真紀氏とは、古くからの知人です。いや本当は、”知人”というレベルにも達していません。学生時代に美術部に属し、他大学の友人たちを誘って絵の会を作りました。40年を超えた現在でもその会は存続して毎年展覧会を開いています。私は創立会員ではありますが、郷里に戻りましたので会での活動はほとんど途絶えています。会費は納めていますが、ごくたまに展覧会場を訪れる程度になっています。佐藤氏は8歳年下ですので、私とは入れ違いに近い形での活動参加になります。展覧会場で何度か顔を合わせた程度です。一流私大卒で就職した有名企業を退社して海外ボランティアに乗り出した氏ですので、そうなると展覧会場でお会いする機会も更に減ってしまいます。実は会場3階で氏を見かけたのですが、来場者と熱心にお話しされていて、声をかけるのを躊躇ってしまいました。元々関係の薄かった上に久し振りですので、お話を遮って話しかけてもおそらく、思い出して頂けるまで時間を要するでしょうから。帰りに募金チョコと佐藤氏の書かれた本を1冊購入しました。

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2011年2月14日 (月)

「日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」

恒例の日曜日”夫婦50歳割引き映画鑑賞”、昨日の日曜日は梯子しました。午前中の1本が「日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」という日米合作ドキュメンタリー作品です。こういったマイナーな作品は、公開期間の短い場合も多く、出遭った時に観ておかないと機会を逸してしまいます。特に地方では。当初は1人で行くつもりだったのですが、1人で1,800円、2人でも2,000円ですので、家内も誘ってみました。http://www.cinematoday.jp/movie/T0009394

作品は、第二次世界大戦時に日系米人で編成された米陸軍422連隊の軌跡をたどるドキュメンタリーです。日本軍によるハワイ・真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争、開戦により運命を翻弄される在米日系人。当時の写真・映像による当時の日系人の立場・境遇の解説で作品は始まります。強制的に収容所に隔離された人々。若者達は自らと家族達の誇りをかけて、志願兵として戦場に赴きます。

当時の映像は、時に目を背けたくなるものも含まれていますが、それ以上に、80歳半ばを超えた元兵士達の証言は凄惨です。「初めて聞きました。」と涙ぐむ家族も居ました。家族にも語ることができなかった体験だったのです。勇猛果敢さ故に戦勝を重ね、優秀さ故に更に激戦地に送られ、そして最強部隊故に飛び抜けた死傷者率を記録してしまう・・・。ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊救出作戦では、211名の救出のために、422部隊は約800名の死傷者を出してしまったそうです。

昨年の東京国際映画祭で上映されたそうですが、一般知名度は低い作品でしょうし、上映館も限られているのでしょう。私の観た回でも、観客は僅かに数人でした。これほど秀逸な作品、いや作品と呼ぶことも憚られる気もします。”事実”なのです。特撮を駆使したハリウッド大作ばかりが持て囃される昨今、映像が娯楽”だけ”の価値しか持たなくなりつつある事を危惧します。伝える力を持つこういった映像が、ごく一部の観衆しか集めない事は残念です。

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