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2017年8月15日 (火)

この1週間

この1週間、結構出歩いています。まずは8日(火)、東京に相撲を見に行っていました。夏巡業です。一般的には”地方巡業”とも呼ばれますが、今回は都心・渋谷での巡業です。都心で巡業の行われるのは異例(初めて?)ですが、どうやら元横綱旭富士と貴乃花巡業部長のアイデアらしい。しかも会場は母校体育館、「大相撲渋谷青山学院場所」です。青学は大学としては以前から、こういったアルバイト的副収入事業に熱心な一面がありました。体育館(青山学院記念館)はバスケBリーグの”サンロッカーズ渋谷”のホーム球場にもなっています。大相撲も1度行ってみたいとは思っていたのですが、今は人気で発売即完売状態のようです。地方巡業ではだいぶ以前、地元足利での場所で見に行ったことがあります。その時、「本気の勝負では無い」相撲に、「巡業場所はもういいや」との思いがありましたが、会場が会場でもあり、今回の行動になりました。

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開館は9時でしたがゆっくりの出発でしたので到着は12時半頃、でもこれで丁度良かったかも知れません。幕下の取り組みの始まるところでした。席も狭い(2階椅子席でした)ですので、稽古とか子供相撲とかのアトラクションから見ていたら疲れます。ま、一緒に行った家内はこれでも十分に「疲れた」ようですが。写真は十両取組前に披露された相撲甚句。

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序二段の取り組みはすでに終了していましたが、全部の力士が出場しているわけではなく、足利市出身の斎藤はお休みでした。同じくお目当ての栃木(小山)出身の貴乃花部屋所属幕下、期待の双子力士貴公俊・貴源治の取り組みは見ることができました。写真は貴公俊(兄)です。

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弟、貴源治は元横綱北の富士も名を挙げるくらいに注目されている若手力士です。ひと場所だけ務めた十両では負け越し、現在は幕下ですが、今回は十両最初の取り組みに配されていました。十両土俵入りと貴源治の取り組み。

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幕内土俵入りでは赤ちゃんを抱いた力士も。取り組み前の握手会や子供相撲に参加したお子さん達だと思われます。本場所では見られない和やかな風景です。

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横綱は稀勢の里と鶴竜が休場、白鵬と日馬富士の2横綱になります。

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椅子が狭く疲れましたが、距離もほどほどで良く見え楽しめました。以前は「本気の勝負で無い」と不満だった部分も、こちらが歳を重ねたせいか「巡業で怪我して本場所に影響があっては本末転倒」と寛大になってます。大学理事長の挨拶では「毎年開催」を目指すようなことをおっしゃってました。毎年は兎も角、立地が良いのですから安定した観客動員も可能、恒例開催も不可能ではない気がします。

10日(木)はゴルフでした。会場はゴールド佐野カントリー倶楽部、10数年前50歳を過ぎて始めたゴルフのデビューコースでした。その1週間前から打ちっ放しに通い始め、いきなりコンペ(それも参加50名規模の)参加した無謀な行動、スコアは確か「189」もちろん断トツの最下位です。その後も何回かプレーしていますがアップダウンの少ない綺麗なコースです。池が多く、未だ100を切った経験がありません。

今回のメンバーは集まって定期的にプレーしている仲良しオジン4人組。元々は取引銀行の異業種交流会で知り合いました。私自身は3年半前に事業を閉じてしまっていますが、他3人は今でも現役で活躍しています。社会的環境の変わってしまった後でも交際を続けて頂いています。ありがたいことです。会社を閉めて初めて、社会との繋がりの途絶える不安感を感じました。名刺を持たないことも不便。つい先日、個人名刺(携帯番号、メルアド、Facebook、ブログアドレスを記載)を作りました。前回(5月)から、スコアやオリンピック・罰金・会費等を集めプール、何回か先のお泊りゴルフ資金にしようと貯金を始めています。5回も続ければ宿泊費位にはなるでしょう。それも楽しみです。

さてゴルフ当日、事前予報は”晴れて暑い1日”でしたが前日辺りから予報が曇りに、当日朝はミストシャワー的な涼しい小雨模様の中でのスタートでした。午後多少は蒸したものの、概して快適なゴルフ日和でした。スコアは「51」「51」の平和賞「102」、100切りは成りませんでしたがこのコースでのベストタイ、また初めて池ポチャ無しOB無しで周れました。フェアウェイキープ率も64.3%と高率でした。まずまずでしょう。このメンバーでの次回ゴルフは11月と決まりました。

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翌11日(金・祝)はラグビー観戦です。熊谷スポーツ公園陸上競技場でのパナソニックワイルドナイツvs.ハイランダース(NZ)の一戦です。熊谷ラグビー場は2019年のW杯に向けて現在工事中です。https://matome.naver.jp/odai/2144627206965682401 写真は完成イメージ図。

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ハイランダースはニュージーランドの名門チーム、スーパーリーグに所属、優勝経験もある強豪チームです。ワイルドナイツの田中史朗選手が所属(2013~2016)していた時期もあります。そういった縁での来日なのでしょう。当初「まともな試合になるのだろうか?ぼろ負けじゃいやだなぁ」と思っていたのですが、試合開始直後に先制されたものの、中盤に逆転、後半は終始ワイルドナイツペースで試合が展開されました。最終結果は22対7での圧勝でした。日本のレベルも上がっているのでしょうが、ハイランダースは”若手主体”でのチーム編成、要するに2軍レベルだったようです。終盤は少々面白みに欠ける試合にはなってしまいましたが、2軍とはいえスーパーリーグ強豪チームに、日本のトップリーグチームが単独で対戦できること自体、時代が変わりつつあることを感じさせます。2勝に終わったスーパーリーグのサンウルブスにも、次シーズンでの活躍を期待したいと思います。 https://panasonic.co.jp/sports/rugby/info/2017/170522102800002.html https://sunwolves.or.jp/

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この1週間、次の行事は絵の展覧会です。学生時代に東京で、数大学(青山・芝浦工大・上智・共立・聖心・東工大・早稲田等)の美術部員を誘って絵の会を作りました。その会が今も続いています。元々「卒業しても将来に渡って絵を描き続ける」ことを目標に立ち上げた会です。40年超続いているのですから、その意味では目標に沿った、そしてこれからが”本番”とも言える会なのだと思います。展覧会は今回で44回を数えます。(当初、年2回開催した年もあり) 青山学院からは、美術部長だった男と副部長だった私との2名の参加(設立メンバー)だったのですが、その2人ともが郷里に戻ったこともあり、長らく半幽霊会員状態でした。会費は払い続けていましたし、たまに例会、また出品はしないものの展覧会にも出かけたり、細々とではありますが繋がりは保っていました。その甲斐もあり、意図せず2人とも同時に(打ち合わせたわけでもなく)今回同時に復活出品となりました。東京で幹事役として会の運営を続けていてくれたメンバーに感謝!です。メンバーもだいぶ変わりましたが、残っていた創設時メンバーには大変歓迎され喜んで貰いました。今後は積極的に参加させて頂きたいと思っています。

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今回出品させて頂いたのはパステル画2点です。(6号サイズ) 在学時代は油絵を描いていたのですが、油絵の具は使わずにいると固まってしまいます。一式新に買い揃えるのも大変ですのでパステル画にしました。パステルは全く初めてです。市の広報でたまたま目にした「パステル画教室」募集案内を見たのが切欠でした。前々から「いつかまた描き始めよう」とは思っていたのですが、思っているだけでは「いつか」は永遠に訪れません。1人で描き始めるより、パステル画教室参加が背を押してくれるように思いました。

以前、クレパスで描いた時期はありました。同じように考えていたのですが始めてみると大違いでした。色の載りが異なり思うようになりません。自在にならない不自由さから、タッチも色合いも以前とは違ってしまい、画風がすっかり変わってしまいました。自分でも不自然に感じるくらいにおとなしい作品です。以前の作品を知っている仲間たちも同じよう感じたようです。12日に搬入で上京、大学時代の美術部の仲間、東京在住の高校同期も訪れてくれました。わざわざありがとうございます。また、クッキー・煎餅・お酒等、お気遣いありがとうございます。18日・19日にまた上京在廊します。(18日は夕方から)

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ちなみに昔はこんな作品を描いてました。油絵です。画材に慣れればまた変わってくるかも知れませんが、年齢的なものもあるでしょうから昔に戻ることもないでしょう。感覚も保守的になってるでしょうから。それでもその内、油絵も描き始めたいですね。

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この1週間行事、実はもうひとつありました。”新盆”です。昨年10月に父が他界、施主として葬儀を取り仕切りました。もちろん初めての体験です。外からは見ていたはずなのですが、いざ自分でということになると何も判りません。ただ今では、葬儀屋さんが色々教えてくれますし(料金は発生しますが)手筈も整えて貰えます。随分と助かりました。10日に自宅に新盆棚を設置、13日にお寺に参って迎え盆、昨日14日には和尚さんが自宅を訪れ新盆棚経、16日は送り盆でお寺に、施餓鬼大法要に参列の上卒塔婆を頂いてお参りしてきます。17日には渡良瀬川にて灯籠流しもあります。こちらは少々お天気が心配ですが。

2017年6月 2日 (金)

「パステル画講習会」に通い始めました。

小学校の頃に絵画教室に通ったのは親の意思でした。ただ、「芸術家に育てよう」とかの気持ちのあったわけではないようです。高校卒業時の「芸術系の大学受験」という希望は無下に却下されました。

中学で初めて油絵を描き、ゴッホに憧れました。高校では美術部部長、大学では副部長でした。大学在学中に幾つかの大学の美術部員を集めて「卒業後も描き続ける」ことを目標に絵の会を作りました。その会は、40年以上経った今現在も存続しています。私の方は絵からはすっかり遠ざかり、最後の出展は今は昔、ほぼ毎月開かれている例会も、実技部門では2009年にヌードクロッキー会に参加したのが最後、それ以降は年2回の展示会をたまに観に行って打ち上げに参加する程度、ほとんど会費を払うだけの会員となっています。そんな幽霊会員も、「また描き始めたい」との思いは心底に残っていました。ただ「いつか」と思うだけではその「いつか」はいつになっても訪れません。油絵をと思っても、昔の画材は(絵の具が固まってしまい)もう使えません...。買い替えなければ、と思うだけで挫けていました。写真は2009年でのクロッキー会での作品。

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そんな折、市の広報での「パステル画講習会」参加者募集に反応してしまいました。クレパスは昔少し描きましたが、パステルは未経験です。それでも、油彩よりは気軽に描き始められそうに感じましたし、ひとりで、よりは講習会参加は描き始める切欠になりそうです。思い切って申し込んでみました。その初日が今日でした。参加19名中17名が女性、男性は私を含めて2名だけです。こういったサークル、何処でも女性が中心、男性は元気がありません。
初日の今日は説明や自己紹介、基本説明の後、実技は”試し描き”程度でした。初めてのパステルはまだ具合がよく判りませんが、短時間の割にはなんとか恰好はついたかも知れません。これから週一の講習があと9週続きます。次回までに1度、野外スケッチにでも出かけてみようかとも思っています。元々は今年夏の東京での展示会への「たまには出品してよ」との久々出展依頼が始まりです。それまでに出展できそうな作品が仕上がるかどうか?ぼちぼちやってみます。

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2017年1月22日 (日)

片山真理展覧会「19872017」

高崎まで展覧会を観に行ってきました。片山真理展覧会「19872017」http://www.gateaufesta-harada.com/event_news/detail/61

元々は群馬県立近代美術館で彼女の展覧会を開催中です。県立近代美術館の方が新作、ラスクで有名になったお菓子屋さん「ガトーフェスタハラダ」ギャラリーでの方は、題名の通り1987~2017年、今までの作品の回顧展のような立ち位置のようです。昨年の六本木森美術館でのものを始め3ヵ所での展示会を観ていますので、観た作品も多かったのですが、西洋のお城風の円柱を背景にすると雰囲気も異なってきます。時代の異なる作品群を一挙に観ることのできたことも興味深かったです。広く綺麗な会場で観易かったのですが、独特のおどろおどろした趣は薄くなってしまいます。入場無料、写真撮影自由です。(動画は不可)

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何年か前、群馬県立近代美術館で「群馬青年ビエンナーレ」を観た時に過去受賞者(2005年奨励賞)として名を知り、お隣太田市在住ということもあり興味を持ったのが始まりです。昨年は森美術館での「六本木クロッシング2016」と3331アーツ千代田での個展とを観に行きました。そういった見方が作家本人にとってどうなのかは判りませんが、ヴンダーリッヒや金子國義に魅せられた時代もあり、彼らの絵や四谷シモンの人形が命を得て動き出している、そういった魅惑を感じてしまいます。ガトーフェスタハラダでの展覧会の方は期間が短く、今日しか行けそうな日がありませんでした。その今日も、県立近代美術館と両方を巡る時間はありません。そちらは3月20日まで期間がありますのでまた来月にでも行ってみようと考えています。

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2016年12月21日 (水)

先週15日の上京

一週間経ってしまいました。書き込みに、どうもタイムラグができてしまいます。先週15日(木)、ちょっくら東京に出かけてきました。今回の目的は4ヵ所、そんな忙しいスケジュールを立てると周り切らなくなることが多いのですが、今回は珍しく完走できました。

8時発の特急で出発、早起きはしたのですが自宅でゆっくりし過ぎてギリギリ乗車、指定券を買う暇がなく車内で購入しました。ここで乗り遅れたら完走は無理でした。最初の目的地は上野、上野の森美術館で開催中の「デトロイト美術館展」です。米国自動車産業の最盛期、圧倒的な資金力を背景に集めた印象派を中心とする欧州近代絵画コレクション展です。売りはゴッホの自画像でポスターにも使われています。入館料は1,600円。

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上野の森美術館を訪れるのは久し振りです。私の大学浪人中の1972年の開館ですので、開館時の印象が残っているせいか、未だに”新しい美術館”との思いが払拭できません。(笑) 当時は(今も?)現代美術の紹介をメインテーマとした美術館でした。上野の美術館群、国立・公立のイメージがありますが、こちらは”私立”美術館、フジサンケイグループによる開館です。どの展覧会をどの会場で観たのか、記憶のはっきりしない部分も多いのですが、学生時代に魅せられた当時の最新現代美術、スーパーリアリズムやシルクスクリーン作品などは、ここ上野の森美術館で最初に観たような気がします。

開館直後(9分後)に入館、平日でもありさほど混んではいませんでした。目玉のゴッホ自画像は思ったより小さな作品で、1点だけぽつんと展示されてあり、少々物足りない思いもありました。ゴッホのもう1点、川辺のボート遊びを描いた作品の方が迫力がありました。モディリアニの肖像画群も印象に残った作品です。圧巻はピカソの婦人像でした。輝くばかりのピンクがかったジョンブリアンは眩しいばかりの迫力でした。ピンクの時代やキュービズム時代の作品もあり、ピカソ作品は充実していたように思います。私の好きなマティスは2点、大きな作品ですがかなり粗く、近距離で観るとどこが良いのかよく判らない、でも離れて観るとしっかり完成されています。マティス作品には当たり外れがあるというか、その時の自身の内心状態で感じ方が異なるように思います。今回の2点はうまくマッチングしませんでした。ボナールは1点のみ、相変わらず心安らぐ色使いです。中学生時代から油絵を描き絵画好きでしたが、当時観ることができたのは画集の中だけです。初めて本物を観ることができたのは中学3年生、友人と3人で訪れた上野西洋美術館での絵画展でした。どこの美術館展だったかは忘れましたが、海外の美術館作品展だったと思います。その時に観た、ボナールの「逆光の裸婦」に魅せられました。ほとんど”恋”してしまったほどに。(笑) デトロイト美術館展、充実はしていましたが、予想よりも作品数は少なめでした。ちょっと力抜け。月曜火曜には写真撮影が許可されるそうですが、当日は木曜日、下の写真は最新コピー技術による立体模写(油絵の具の盛り上がりも再現)2点(ゴッホとマティス)とポストカード(ピカソ)です。

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次の目的地は新宿、知り合いの個展が開催されていました。知り合いと言っても、もう30年近く会っていません。大学生時代、美術部に属していました。大学間交流で知り合った他大学美術部員達と大学横断の”会”を作りました。私の所属した青学と芝浦工大、上智、共立、聖心を中心に、東工大や東大、日大等の学生が集まりました。メンバーの入れ替わりはありますが、その会は今でも続いています。私自身はすっかり描かなくなってしまいましたが、年2回の展示会は継続していて、私もたまには上京して交友を温めています。

今回個展を開催したのは会創設時のメンバーのひとり、当時は共立女子大の学生でした。そのまま画家になった数少ないひとりです。「伊藤和子展」小田急百貨店10階アートギャラリーでの開催でした。今回はたまたま他の作家の展示会を検索していて見つけたのですが、以前にも1度展示会を訪れたことがありました。その時はたまたま本人不在でした。今回はお会いできました。お互いの年を経て、街ですれ違ったら判らなかったでしょうね。会場で写真を撮りませんでしたので、デパートHPでの作家紹介写真と過去作品を載せます。写実系の油絵作品です。

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3ヵ所目の目的地は神田小川町、これは絵画展ではありません。スキー靴の購入が目的です。初めてスキー靴を履いたのは小学生の時、群馬・大穴スキー場でした。その後暫く間が空いて、高校時代の体育授業でのスキー合宿を経て、大学時代に夢中になりました。11月の狭山スキー場(人工)を皮切りに、天神平かかぐらスキー場での滑り初め、上越(岩原、新日本、湯沢等)・白馬(佐野坂、青木湖、八方等)には毎年数日から1週間程度滞在していました。今考えると、よく金が続いたものです。初めての板はカザマ、靴はミズノでした。これは親に買って貰いました。その後はバイト資金で購入、買うのはいつも神田小川町でした。当時はスキーバブル時代、小川町にはスキー屋が林立していました。高いニューモデルには手が出ませんので、前年前々年の型落ち品をあさり歩いていました。滑る回数の減った近年は、板はレンタルで済ませています。最近はレンタルでもそこそこの板を置いています。靴の方は昨シーズンの滑降中にサロモンの底が剥がれました。crying 経年による劣化です。他にハンソンが残っているのですがこれも古い型ですので危なそう、買うことにしました。

リフトに長蛇の列を成したのも今は昔の物語、今では、地方都市ではスキー用品を扱う店もほとんどなくなりました。選択肢を得るには東京まで行くしかありません。当時に比べると随分店数は減りましたが、そこは東京小川町、買い迷うだけの選択範囲はあります。何軒か巡り試着して、ある店の靴にほぼ決めかけていたのですが、最後にもう1軒、懐かしい名前の「ニッピン」を覗いてみました。学生時代によく訪れた店でした。ここで見つけたのがラングのレディス25.5cm、昨年モデル現品限り税込み29,000円ほどの品でした。足サイズが小さいですのでレディスでも可能、同じレベルのものですとレディスの方が安いのが一般的です。もうガンガン滑るわけでもありませんし、脚力も落ちていますのでその意味でも丁度良さそうです。何より、試し履きした時のフィッティング具合が即断レベルでした。前の店で妥協しなくて良かった~! ラングは学生時代の憧れの靴でした。当時は一段高かった印象があります。今では特に人気のブランドではありませんが、やはり当時の思いも影響していたのかも知れません。今年中はもう無理ですが、スキー場に行くのが楽しみです。

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最後に上野に戻りました。東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」を観るためです。こちらは上野の森美術館より1時間遅い17時半まで開いています。美術館到着は16時。会期終了間近(18日まで)でしたが、この時間帯は、混んではいるものの鑑賞に堪える範囲内でした。デトロイト美術館展の半券で100円引きの1,500円で入館、珍しく音声ガイドも借りました。(520円)

バルビゾン派の影響を受けたオランダ時代のゴッホの暗い色調の作品に始まり、パリに出ての印象派との出会い、そしてゴーギャンとの出会い、時代を追って2人作品と同時代作家達の作品が展示されます。所々に2人の、ゴッホの弟テオや同時代の画家ベルナール等に宛てた手紙の文章の一部が例示され、2人の関係性が浮き彫りにされます。アルルでの共同生活と破綻、ゴッホの死、ゴーギャンのタヒチへの移住、交錯する2人の思いがその作品によって語られます。企画として面白く、作品の質量共に大変充実した展示会だったと思います。惜しむらくは、私の事情ですが、時間が足りませんでした。鑑賞半ばで「閉館30分前」のアナウンスがあり、後半はかなりはしょって観ることとなってしまいました。

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ゴッホ、日本では大変人気のある作家ですが、私にとっても特別の人物でした。中学高校時代は憧れであると共に、若者特有の傲慢さで”目標”でもありました。ある時、16歳当時のゴッホのデッサンを画集で観て、同年齢での自身の技量との差に呆然自失した記憶が残っています。大学2年次での初海外旅行では、団体旅行であったにも関わらず自由時間がかなりあり、友人と2人で旅程にはなかったゴッホ美術館を訪ねました。ネットはもちろんたいした情報もない時代、ガイドブックも持たずに言葉も通じず、どうやって行ったのか記憶にありません。若者特権の行動力、というか恐れ知らずというか、あまり考えていませんでしたね。欧州の治安も、今よりはずっと良かった気がします。

最後は忙しかったものの、充実の1日でした。

2016年8月 8日 (月)

金曜日から昨日まで

イベントが続くと書き込みが遅れます。

先週の金曜日は展覧会を観に東京へ。目的地は2か所。最初は池袋にある画廊へ、知人が版画公募に入賞しました。「The 1st TKO International Miniprint Exhibition 2016」という、版画小品(ミニプリント)を集めた展覧会です。今回新しく始まった公募展で、世界43か国からの応募があったそうです。330作家、599作品の中から、知人は審査員特別賞を受賞しました。会場に置いてあったパンフレットは立派なもので、まさかと思い確認したのですが”無料”でした。申し訳なくも頂いてきました。

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欧州やアジア、様々な国からの応募があった公募展ですが、こうしてみると日本の版画レベルの高さを実感します。入賞した知人の、これからの益々の活躍を祈ります。

池袋から山手線で上野へ。もうひとつの展覧会は都美術館で開催中の「ポンピドゥー・センター傑作展」です。当日(8/5)は夜9時までの開館です。それもあり地元を出発したのは午後1時過ぎでした。上野到着は夕5時頃、そのせいか元々人気がないのか、会場は空いていました。印象派に人気が偏る日本ですので現代美術系の展覧会は一般的に人気薄です。

ポンピドゥー・センターにはちょっとした思い入れもあります。1981年の新婚旅行で訪れた場所です。開館が1977年ですので開館間もない時期となります。未来的な建物で一部で話題になったのですが、パリの観光地としては日本ではほぼ知名度のない時期だったと思います。主目的はセンター内にある「現代美術館」だったのですが、ネットのない当時では具体的情報はほとんどなく、英語表記もなく、建物内をうろうろしただけで結局美術館には辿り付けませんでした。それでも、今見てもSFチックな建物ですので、それだけでも印象に深く残りました。

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今回の「傑作展」は、1906年から1977年まで、その年に制作された作品を1点づつ選び展示して時代を追う企画となっています。幕開けは1906年に描かれたラウル・デュフィの「旗で飾られた通り」でした。写真ではよく観る有名な作品です。この歳にセザンヌが没しています。並べられた作品には、よく知られた有名な作家の作品もあり、名前を知らない作家の作品もありました。1928年にはレオナール・フジタの自画像が並びます。翌1929年はセラフィーヌ・ルイ、本格的な美術教育を経ずに家政婦から画家になったという変わり種です。画風に記憶はあるのですが名前は知りませんでした。1931年はピエール・ボナールの裸婦です。ボナールも想い出深い画家です。デパートでの展示会は観ていたものの、初めて美術館(国立西洋美術館)を訪れた時、最も印象深い作品がボナールでした。この作品ではありませんがやはり裸婦像で、かなり魅せられたものです。1933年はオットー・フロイントリッヒ、ユダヤ系ドイツ人ですが、ナチスのユダヤ人収容所で没しています。1948年のアンリ・マティスも好きな作家のひとりです。私の生まれた1953年はフェルナン・レジェでした。この年に最初のデュフィが亡くなっています。1961年は梱包作家のクリスト、私のイメージする”現代美術”はこのあたりから始まります。1967年はヴィクトル・ヴァザルリ、学生時代に日本でも展覧会が開かれ話題になりました。最後の1977年の作家はポンピドゥー・センターをデザインした2人、展示はセンターの模型でした。

写実主義、ロマン派、印象派、野獣派、キュビズム、ダダ、ポップ、美術運動の歴史は技法や主義主張、思考回路等で現されます。しかし”現代美術”は時系列でしかありません。”今”は常に”過去”になる運命を持っています。センターの出来た時点では”現代美術”であったデュフィも(今でも新しさを感じさせますが)、すでに”現代美術”と呼ぶには確立され過ぎています。私の内での”現代”は学生時代に心躍らせたイヴ・クラインやウォーホールや荒川修作、池田満寿夫等々ですが、今の若手画家にとってはすでに古典になっているのか?興味深い展示会でしたが、最大の欠点は「会場が寒過ぎた」ことです。いつもなら一旦全体を観てまた最初に戻って観直すのですが、寒過ぎて耐えられず早々に退出してしまいました。

昨日の日曜日はゴルフでした。予定は無かったのですが急遽友人に誘われました。メンバーに欠員が出たのでしょう。ゴルフ場は「赤城カントリー倶楽部(http://www.akagi-cc.com/)」、以前には女子プロツアー(SANKYOレディス)の開催されていたコースです。SANKYO(三共)は大手パチンコ台製造会社です。あまり一般には知られていないかも知れませんでしたが、群馬県桐生市は名古屋と並ぶパチンコ台産地です。パチンコも今では釘師の活躍する時代ではありません。コンピューター関連会社になっています。そのSANKYOの経営するゴルフ場です。

当日は大変暑い日でしたが、赤城山の中腹海抜400mにあるゴルフ場には涼しい風(微風)が吹いていました。気温も下界よりは少しは低かったのでしょう。(山腹にある割には)アップダウンの少なくフェアウェイも広いコースですが、女子ツアーに使われていた位ですので、池やバンカーの巧妙に配置された戦略性の高い難しいコースです。ラフの芝も粘ります。距離も長くレギュラーで6,300yあるのですが、参加メンバーの関係でこの日はバックからのプレーとなってしまいました。6,700y余、元々距離の出ない私ですので、パーオンはもちろんボギーオンもほとんどなく、ショートホール以外では現実的なパーチャンスは1回もありませんでした。スコアは「59」「55」の「114」と散々ではありましたが、条件からすると個人的には健闘した部類だと思っています。視野の狭いバックティー(レギュラーTから先は開けています)からで、ナイスショットも少なかったもののOBは1発もありませんでした。通常メンバーではバックTを使わせて貰えませんので、良い経験をしました。スコアは悪くても楽しいプレーでした。

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2016年7月 4日 (月)

土曜日上京 母校・ラグビー・展覧会

7月2日の土曜日、夫婦で上京してきました。主目的はラグビー観戦ですが、会場が秩父宮ラグビー場でしたので、まずはほど近い母校に立ち寄ってきました。正門前で大学同級生と待ち合わせ、3人で懐かしい構内に。同級生は部活(美術部)の同期、家内は1年後輩でした。卒業後も時折母校を訪れてはいます。3年前には、チャペルで行われた森高千里ライブに家内と共に参加しました。今回は待ち合わせが丁度昼時だったこともあり、学食に入ってみることにしました。学食は新しくて綺麗な17号館食堂もあるようですが、在学当時からある7号館地下の食堂にしました。部室も同じ7号館にあります。部室も覗いてみたかったのですが、土曜日のことでもあり、誰も居ないようで電気が消えていました。私の時代では、土曜日の昼に部室が閉まっているなどあり得ませんでしたが。(笑) 

学食で食事するのはおそらく30数年振りだと思います。卒業してから40年近くになります。構内では少なくなった在学当時から残る建物です。壁や柱は手が入れられてありますが、基本的な配置や低い天井は昔のままです。しかしメニューは、当たり前ですが画期的に変わっていました。在学当時、コロッケなどのB定食は130円、具の何も入ってないカレーが50円でした。バイト時給の330~350円位の時代です。今では350円から500円の価格帯ですが、周辺の物価からすれば格安でしょうし、メニューもレストランに負けない品揃えです。カレーでも種類が色々あり、”グリーンカレー”まであります。食事の後には、購買部など暫し構内を散策、母校をあとにしました。

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地下鉄でひと駅、外苑前駅下車で会場に向かいます。今回の対戦相手はオーストラリア代表を何人も抱える”ワラターズ”、今期は不調ながら一昨年は優勝昨年は2位の強豪です。会場に向かう人波にも外国人の顔が目立ちます。会場入り口グッズ売り場でタオルを購入、ステッカーも貰いました。試合開始1時間以上前にもかかわらず、配布うちわはすでに終了していました。残念。

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試合開始予定は14:15、開始前の応援練習や高円寺”ひょっとこ連”による阿波踊り披露の後、ほんの少し遅れて始まりました。席は、試合前半は日本側ゴールが近くになります。強豪相手故、目の前近くでのプレーが多くなると予想していましたが、期待以上に日本側(サンウルブス)が健闘、反対側ゴール近くでのプレーが多くなりました。前半30分辺りまではほぼ互角、一時はリードを奪う場面も。しかし前半終了間際に連続でタッチダウンを決められ、12-26でハーフタイムとなりました。

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後半に入るとワラターズが本領を発揮、試合は一方的な展開となりました。サイドが変わっていますので今度はワラターズゴールが近くになります。サンウルブスが攻め込めば目の前で迫力あるプレーが展開されるはずだったのですが、そういった場面はほとんどなく、大半の時間が遠くのゴール近くで消化されました。ずっと左方面に向けていた首が痛くなりました・・・。最後の最後、ラストプレーでゴール近くまで走りこんだものの潰されノーサイド、結局前半のペナルティゴールによる12点のみ、遂にタッチダウンは奪えませんでした。対する相手側は合計で9トライ、12-57の大差を付けられての負けとなりました。身長2mを超える選手も居る体格差もありますが、パスの速さ正確さバリエーションの豊富さ、タックルのスピード・強さ、すべての面において明らかな差を見せつけられました。堀江を欠くスクラムでも押し負けていました。今回は故障者やリオOP出場選手を欠く編成ではありましたが、相手側も条件は同じ、寧ろホームでの利を抱えていたはずでした。しかしチーム初年、負けも経験となると思います。これで今季日本開催試合は終了、残り2試合は南アフリカでのアウェー戦になります。厳しい試合になるでしょう。健闘を祈ります。

ここからは家内とは別行動となります。たまたま、高校時代の友人が上京しているとのタイミングで、東北出身の友人3人での食事会となりました。私の方は四谷三丁目に移動、別の友人と合流します。

これもたまたまでしたが、四谷三丁目の画廊で友人がプロデュースした展示会が開催(1日初日)されていました。友人は大学は別でしたがやはり美術繋がりです。在学当時に大学美術部として交流があり、個人的にも一緒に画廊を借りての展示会も行いました。卒業後彼は建築家となりましたが、今では一線を退き、趣味として若手画家作品のコレクターとなっています。今回はそういった作家のひとりの個展をプロデュースしたそうです。「松野純子 個展」

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作品は、床に置いた紙に上から墨汁を垂らし、偶然にできたハネをペンでたどり微細な曲線や円で埋め尽くして行くという、偶然と根気の要る細かい作業、一見相反する工程を経て作り上げられて行きます。上のリーフレットの写真では実体を捉えることは難しいと思います。私も、頂いた案内ハガキと実物作品とでは全く異なる印象を受けています。個性的ではありますがアクの強くない作品です。アンフォルメル的ではありますが、実際にはかなり工芸的な、それでいて意図・意識感の少ない自動(ではないのですが)書記的な無自覚作業をも感じさせます。一定の条件を与えられたコンピューターが規則性にのっとり積み重ねた所業、とはやはり異なるものの、ひとの営みとしてはやや無感動、微妙な狭間での作品です。今後どこへ向かうのか?将来への期待は感じるものの、それ以上に不安を内包している気がします。意識・無意識、どちらへ向かうのか?どちらへも向かって欲しくない気もして、しかしこのまま不安の狭間に立ち尽くされるのも怖い。偶然と根気作業での制作活動はこのまま淡々と続けられるのか、それともどこかで破裂するのか?怖いもの見たさでこの先5年10年後の気にかかる作家ではあります。今月いっぱい開催されていますので、ご覧ください。画像ではなかなか想像が付かないと思います。http://ts4312r.com/news/891/

2016年5月29日 (日)

東京美術館巡り

金曜日、東京に行ってきました。元々は友人の展覧会を観に行くことが目的でしたが、たまの上京、「折角の機会だから」とついつい予定を詰め込み過ぎてしまいます。休日のお出かけ、(ゴルフ以外は)ほとんどは家内と一緒ですが、今回は孫の世話に家内が呼び出され、久々の単独上京になりました。

最初の目的地は上野、北千住から地下鉄に乗り換えます。東京都美術館到着は10時半くらいでした。国立西洋美術館の「カラバッチョ展」は長蛇の列になっていました。先程発表された世界文化遺産登録も影響しているのでしょうか?私のお目当ては都美術館での「公募団体ベストセレクション美術2016」なる展示会です。学生時代からの知人が国画会会員で招待状を送って頂きました。入館料もばかになりませんので助かります。

今回の展示会は27の公募団体が参加しての合同企画です。学生時代には公募展もよく観に行きました。日展も行きましたし、新制作協会や独立美術協会も行きました。若かった時代ですので前衛的な作品に魅力を感じていました。逆に東郷青児率いる二科会などには反発を持つ、今考えればありがちな美術好き青年でした。参加団体には懐かしさを感じる名前も、今回初めて接する団体名もあります。こういった機会でもなければ決して訪れることもないだろう公募団体も多く、その意味ではちょこちょこつまみ食いできる楽しい企画でした。団体それぞれに特徴があります。この作品数で作風特徴を特定するのは早計なのかも知れませんが、漠然とイメージする公募団体作風傾向は、ほぼ裏切られませんでした。しかし公募団体の日本美術界での位置、あの当時とは変わってきているように思います。池田満寿夫がヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を受賞したのは1966年、これ以降美術界でのスターは公募団体以外から登場することが多くなりましたが、それでもまだ権威を保っていた気がします。私自身の関心が薄くなってしまってそう感じるのかも知れませんが、昨今の公募団体、”美術界の潮流”という点では随分と影の薄くなった感が否めません。

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今回出品している知人は、大学美術部時代に知り合った方です。一般大学美術部所属の私と違い、彼女は美大在学中でそのまま美術の道(版画)に進みました。個展等にも時折足を運び、作品も10数点所蔵しています。↓は私のコレクションの一部です。写真のできはかなり悪いですがご容赦下さい。

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次の目的地は六本木、日比谷線で1本です。六本木では2か所を周ります。まずは国立新美術館での「MIYAKE ISSEY展」、今回の上京では最後にプラスされたイベントです。ファッションに興味を持ち、美術雑誌以上にファッション雑誌を購読していた時期もありました。ただ、実用衣料としての関心よりも、美術同様に”作品”としての観方の方が強かったように思います。ですので関心を持ったデザイナーはゴルチエやヘルムート・ラング等、三宅一生もその流れですね。一生の”プラスティック・ボディ”には魅惑されました。今回初めてその実物を観ることができました。ただ惜しむらくは、裏側(背中側)を観られない展示方法だったことです。ほとんどの作品は360度周囲を開放していたのに、この一角だけが前面からだけの鑑賞でした。

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しかし三宅一生の頭の中はどんな構造になっているのだろう?一枚の布を折って畳んで立体にしてしまう、考えるとこんがらがってしまいます。

スケジュールが詰まっていますのでそうそうゆっくりもできません。六本木駅近くで昼食を済ませ、反対側の森美術館へ向かいます。「六本木クロッシング2016展」が3か所目の展示会です。こちらでの目当ては最近興味を持っている片山真理という作家です。9歳の時に両足を切断、義足を付けた自身そのものを個性として作品にしています。実際にご本人にお会いしたらどう接してよいのか困りそうですが、作品としては強いインパクトを感じます。三宅一生の”プラスティック・ボディ”に感じる魅惑とはかなり異なるのですが、どこか一部通じる部分もあるような気がしています。生身の肉体と人工的な義足、彼女の作るオブジェはその双方を含み、また共に拒む部分もあるような気がします。下面に鏡を配置した作品がエロスティックでした。今回の展示会は「クリエイティブ・コモン・ライセンス」とかで、非営利目的に限り写真撮影が許されています。

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この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

「六本木クロッシング2016展」での他の作家の作品ですが、映像や鑑賞者を参加させるもの、行動や事象を作品化しようとした実験的な作品が多くなっています。難解で片山真理さんの作品がもしかしたら一番判りやすいかも知れません。こういった作品は、何かの折にふと意図が想像ついたりします。しかしそれまでは、「美術・芸術の定義・範囲」との思惑で鑑賞者を不安にします。芸術は自由であるべきです。しかし自身の考える”自由”の外にはみ出してしまった作品に対しては成すすべを無くします。やはり何か約束事で縛られている方が安心感はあるのでしょう。ただ昔、今でも一番好きな作家のひとりであるイヴ・クライン、なんだか判らなかったその作品が、ある日突然「判った!」気がした、その時の感動は忘れられません。もちろん、ちゃんと理解したわけでもなく、ちょっとした取っ掛かりを見つけただけだったのですが、一挙にそれで世界が広がった気がしました。理解しがたい作品に出合っても、あまり頭を悩ませず、「その内判るかも知れない」と放置するのもひとつの鑑賞方法かも知れません。

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最後は高校時代の同級生の作品展、今回は銀座での2人展です。「第三回たゆたう展」、タレント活動もしている城戸真亜子さんは友人(現多摩美大教授)の教え子だったそうで、その縁での2人展の3回目です。私は過去2回の展示会にもお邪魔しています。

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2人展は3回とも会場は異にします。今回は銀座の「ギャラリーあづま」、以前友人が個展でも使った場所です。今回はここ暫く続く花や樹木をイメージしたモノクロ主体の作品の他に、”木版ドローイング”なる色付きの作品も展示されてありました。若かりし頃はカラフルな色彩を特徴とした作家でしたが、久々の色使いです。もっとも路線変更というわけでもなさそうです。版画専門誌「版画藝術(安倍出版)」最新号(171号)にて特集された時に、技法紹介の意味合いも持って制作したシリーズの流れだそうです。その”木版ドローイング”の1作を購入予約してきました。彼の作品、所蔵は多分20点ほどだと思うのですが、リストも作っていません。「いつか時間を作って」と思いながら先延ばしになっています。10点ほどは家のあちこちに飾り、時折交換しています。

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ちなみにメットは息子のもの。私は自動二輪免許は持っていません。

美術館を巡ると先の展覧会のパンフも目にしてしまいます。見ると行きたくなる。今回目に付いたのは下の2展ですが、混み合うのは目に見えています。混むのが嫌いでディズニーランドにも行ったことがありませんし、”行列のできるラーメン店”などには絶対に行きません。”暴風雨の平日”でもあればチャンスかも?

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2016年1月 9日 (土)

東京遊歩 渋谷・市ヶ谷・浅草

7日、上京してきました。家内と2人での東京小旅行です。

浅草から地下鉄で渋谷へ。学生時代を過ごした街ですが、当時とはかなり様変わりしています。東急文化会館も、通った居酒屋もなくなり、井之頭線の駅も全く面影を残していません。今回の渋谷での目的はBunkamura ザ・ミュージアムでの展覧会「ラファエル前派展」でした。当初、三菱一号館美術館での「プラド美術館展」と迷ったのですが、家内に聞いてみたらこちらの方が見たいとのことで決めました。

東急本店に向かう道玄坂は、店舗は入れ替わっているものの、街並みには懐かしさを感じます。久々でぶんか村の位置を忘れデパートインフォメーションで確認しました。入館料は1,500円、平日でもあり空いています。でもきっと、これが印象派美術展でしたら平日でも混みあっているのでしょうね。”ラファエル前派”という名称、いったいどの程度の知名度なのでしょう? ラファエル前派は1848年英国にて、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウイリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイによって結成されました。”古典回帰”ではありますが、これも革新路線です。アカデミーの硬質化した古典偏重に対し、ラファエロ以前の初期ルネッサンスの自由な気風を模範としました。ですので、古典的な画題を選びながらも宗教画等でのアカデミックな縛りからは離れています。後の象徴主義に影響を与えています。今回の展示での目玉は、ロセッティの「パルミフェラ」とバーン=ジョーンズの「レバノンの花嫁」でしょうか。何年か前にもラファエル前派の展覧会を観た記憶がありますが、今回はリバプール国立美術館所蔵品による展示となっています。水彩・グアッシュによる大作には驚かされます。見応えのある展覧会でした。

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ドーバー海峡での隔たりのせいでしょうか、気候・民族特質なのでしょうか?英国とフランスとの違いは興味深いです。ターナー、コンスタブル等の英国絵画は、普仏戦争を避けて避難していたフランス人画家たちに刺激を与え、印象派への道を開きましたが、英国では印象派は興隆しません。アカデミズムへの抵抗も、破壊ではなくアカデミズム以前への古典回帰として進展しました。日本人は印象派への偏重が甚だしく、画家の人気・知名度も偏っています。空いていてゆっくり観られてありがたいのですが、こういった充実した展覧会があまり話題にならないのは寂しい気がします。

ラファエル前派には学生時代の思い出もあります。大学時代美術部に属していました。部内で”ゼミ”と呼ばれるグループを作ることができ、私も2年次に現代美術をテーマとするゼミを主宰しました。その3期目、私のゼミに数人の1年生女子が入ってきました。彼女たちの趣味が”ラファエル前派”でした。当時私が、羽の生えた人物像とか、少々象徴主義的な作品を描いていたせいのようです。私自身にラファエル前派的な思考はなく、多少の美術史的知識を持つのみでしたので、にわか勉強する必要に迫られたものでした。今ならネットで簡単に知識を得られますけどね。

今回の上京は、ある韓国料理店の閉店がその切欠となっています。7日がその最終日です。店名は「オンマ家」、市ヶ谷に店はあります。この店自体は1年少々の期間でしかないと思いますが、それ以前は浅草・上野に2店を構えた「四季の里」、そして最初は新大久保の「チャンナムチプ」でした。「チャンナムチプ」は韓流以前からの、韓国料理がマイナーだった時代での隠れた名店でした。NHKラジオ講座や「るるぶ」等での韓国料理記事で、一部の韓国好きには有名になった八田氏が「韓国の父・母」と慕う陽気な名物オーナーの店です。新大久保「チャンナムチプ」は知人だか親戚?だかの方が経営を引き継いで、現在でも営業しています。やはり歳を経るとお国が恋しくなるのでしょうか。最終日ですので、家内が注文した参鶏湯も冷麺もすでに終了、結局スンドゥップチゲとカルビチムを食べてきました。名物オーナーとのお別れは寂しいですが、「チャンナムチプ」引退も帰国が理由でしたので、再々日本デビューを期待する声もあるようです。

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市ヶ谷から浅草に移動、帰途、浅草寺にお参りすることにしました。正月の混雑も一段落、”普通に”混んでいました。

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浅草ではもう1か所立ち寄りたい場所がありました。昨年秋にオープンしたばかりの、全国アンテナショップの集合体「まるごとにっぽん」です。浅草六区に新しくできたビルの1~4階に参加自治体の名産物が並び、それぞれの街の紹介等のコーナーが設けられています。5階から上はホテルとなっています。足利市も参加、小さな紹介ブースの他、ココファームのワインや一茶庵の蕎麦、月星のジャム等の販売も行われています。紹介ブースは簡素で寂しいですが、裏に一応、渡良瀬橋のパンフレットも置いてありました。ただ何故か、紹介ビデオの夕日は中橋でした・・・?今週末11日までは、とちおとめ等の販売や八木節パフォーマンスも行われるそうです。

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2015年12月27日 (日)

最近読んだ本

2015年も残り数日となりました。ゴルフは相変わらずの不調、年内に1回はスキーに行こうと思っていたのですが雪は降らず・・・。年賀状の準備もできていません。

「半島へ、ふたたび」 蓮池 薫著 新潮文庫  拉致事件での生還者、蓮池氏の韓国訪問記です。この作品で新潮ドキュメント賞を受賞しています。蓮池氏の作品は、韓国人作家・金薫氏の著作の翻訳本「孤将」を以前読んでいます。今回の訪問記ではその金薫氏を始めとする3人の韓国人作家と会い語らっています。韓国では作家の社会的地位が必ずしも高くない、との現状も書かれていました。ソウルの街中観光の様子も描かれていますが、私も訪れたことのある西大門刑務所や戦争記念館等、一般の観光客とはやはり訪問先の選択肢は異なっています。冒頭、飛行機から見た景色に北朝鮮を思い出し、恐怖と絶望の24年間が蘇る”トラウマ”から始まる文面には、通常ではあり得ない体験を強制された氏の緊張感を感じます。韓国訪問記ではありますが、途中ところどころに北朝鮮拉致時の出来事や当時の心境が記されています。感情的にならずに淡々と書かれていますが、それが却って不条理な拉致の残酷さを描き出しています。作品後半では、拉致からの帰国後「孤将」の翻訳を手掛ける切欠や経緯も描かれ興味深いです。

「きいろいゾウ」 西 加奈子著 小学館文庫  椎名林檎繋がりで読みだした作者の2作目です。宮崎あおい主演での映画も観ましたが、雰囲気だけで主題が分かりませんでした。原作を読んで、多少理解できた部分もあるとは思うのですが、まだしっくり来ません。「さくら」もそうでしたが、”作られたお話し”感が強く、実生活でのリアル感がありません。何かが表現されていることは判るのですが、何のためにそれを書くのか、その必然性が掴めないのです。原則文庫本でしか読みませんので、直木賞受賞の話題作「サラバ!」が文庫にでもなったら読んでみたいと思います。

「三国志」 宮城谷昌光著 文春文庫  文藝春秋にて12年間に渡り連載された大作です。文庫本発刊も2008年から7年かかりました。私が第1巻を買ったのが2010年ですので、読破に5年を要しています。発刊を待って読み続けましたので結構間隔が空いてしまっています。新刊の出る度に前の巻の最後を読み返し話の流れを確認する必要がありました。長編ですし、時間をかけ過ぎて忘れてしまっている部分も多いと思います。もう1度読み返しても良いかも知れません。その価値のある作品だと思います。  三国志、劉備・関羽・張飛3人の出会い、”桃園の誓い”から始まり五丈原での孔明の死をもって終わるのが三国志の定番ですが、宮城谷版では楊震のエピソードから始まります。「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。」の「四知」は、漠然と「聞いたことはあるかな?」程度でしたが、この作品で内容を知りました。また強く印象に残るエピソードでした。作品全体を通しての主題の一つなのかも知れません。  宮城谷三国志には、膨大な数の人物が登場します。楊震に関してもその父楊宝から始まります。楊震の人物像を描くのに、その父親の生き様も描く必要があると感じたのでしょう。ストーリーの大筋にあまり影響しないような人物でも、経歴や血筋等にまで及んで描かれる場合もあります。宮城谷作品に慣れない人では、面倒に感じるかも知れません。しかしそれが、大河としてのダイナミズムを形成しているのだと思います。ビルの高層階から眺める街の灯、その灯り一つ一つに生活があり人生がある、そう考えると切なくも愛おしくもなりますが、大きな歴史の流れも、その時代を生きた人達の人生の集合体として成り立つと考えればまた感慨もひとしおです。北方健三の「史記 武帝紀」のように特定個人に感情移入はしません。資料的に客観的に無感情に書き綴っているようにも見えます。しかし不思議に、その人の生き様が見えてくるように感じます。昔「アンナ・カレーニナ」を読んだ時、数多くの登場人物の一人一人の人生を描き、その人生の集合体としての”世界”を描く手法に感心した覚えがあります。当時は日本的私小説を中心に読んでいましたので尚更鮮烈でした。もちろん、全く別物ではありますが、宮城谷三国志にもその”世界”があると感じたのです。宮城谷作品は数多く読みましたが、その中でも秀でた作品だと感じました。

「北条綱成」 江宮隆之著 PHP文庫  「関東北条氏最強の猛将」との副題が付いています。北条氏綱・氏康二代に仕えた武将の一生を描いた歴史小説です。あまり知名度のない武将ですので、それだけ作者の想像力を生かせる題材でもあったのでしょう。宮城谷三国志と並行して読んでいましたの、作品の軽重が際立ってしまいました。宮城谷作品の淡々とした大きさもなく、北方作品の熱い血潮も感じられない、ただあらすじを追うだけの展開になってしまいました。決してつまらなくはないのですが、主人公の生き様が”生きて”見えてこないのです。若年での初陣と最後と、重ねた歳の重さが見えません。  著者紹介で「白磁の人」の原作者であることを知りました。小説は読んでいませんが、映画作品は観ました。同じ歴史ものでも戦国と近代とは異なります。

塩野七生の「ローマ人の物語」は文庫本43巻の内ようやく10巻まで来ました。ユリウス・カエサルの章ですので、一番面白い場面なのだと思います。その9巻の中で、カエサルの「ガリア戦記」に関して、「二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男でもあった。」との文章がありました。考えてみればその通り、すごいことです。高校時代に読んだ「ガリア戦記」を探してみたのですが見つかりませんでした。新たに買って読もうと思ったのですが、書店では見つかりません。もう、読む人は少ないのでしょうか。

2015年11月10日 (火)

アルフレッド・シスレー展

日曜日、練馬区立美術館(http://www.neribun.or.jp/museum.html)での「アルフレッド・シスレー展」に行ってきました。印象派を代表する画家ではありますが一般的にはちょっとマイナー、会場もややマイナー、そこが気に入って観に行きました。現在上野では「モネ展」開催中ではありますが、こちらはおそらく大混雑でしょう。日曜日では鑑賞どころではないでしょう。元々混んだ場所は嫌い、わざわざ出かけてお金払って、人の頭ばかり見ていたのでは作品に浸ることはできません。却ってイライラが募るばかりです。前日の土曜日にテレビ東京の「出没!アド街ック天国」で紹介されたとかで少し心配しましたが、影響は少なかったようです。

シスレーは以前から嫌いな画家ではありませんでした。初期印象派の画法を終生守り続けた画家です。ピサロと似た印象があります。好感は持てるけれどそれ以上にはのめり込めない、そんな感じ。今回の展示会で改めて、シスレーが”英国人”だったことを思い出しました。英国人夫婦の間に生まれたフランス生まれ・育ちの英国人、フランスでの市民権を願望しながらも生前にはついに認可されなかった画家。貿易商だった父親の意向で18歳の時にビジネス修行で渡英、ターナーやコンスタブルの作品に刺激されて画家を目指すようになります。ターナー、コンスタブルも好きな画家です。7月にはターナーを描いた映画も観ました。画風は異なりますが、シスレーにも共通の何かを感じていたのかも知れません。

日本の美術教育は(少なくとも私の時代には)印象派への偏りが顕著です。中学時代に初めて油絵を描いた時、もちろん稚拙ではありますが、点描というか、新印象派のような”点”ではありませんが、パレットで色をあまり混ぜずにキャンバスに筆跡を残す、印象派的手法を当たり前のように真似ていました。それまで見ていた画集の影響なのでしょう。現在でも、素人画家の展示会、上手に器用に仕上げた作品には印象派テクニックの作品が目に付きます。19世紀半ばでは画期的で過激で、サロンでは認められなかった画法が、今では珍しくもない保守的な画法になっています。美大でしたら、ピサロ、シスレー程度のテクニックを持つ学生も珍しくないようにも思います。印象派発足の中心的画家として新たな時代を打ち開きながら、新印象派・後期印象派、更にフォービズムへと進む時代への参加は回避、終生初期印象派の画風を守り通した画家、画題も風景画に特化され、新時代の扉を開いた革新の画家に似合わぬ頑なさを見せています。その頑なさ故での地味さで、印象派大人気の日本でもイマイチの知名度になっています。ま、そのお陰で今回もゆっくり鑑賞できたわけではありますが。

開館30周年の記念事業とかで、かなり力の入った企画でした。作品も粒揃いです。というか、(マルモッタンから持ち込んだ「モネ展」と異なり)日本国内にこれだけの秀作が揃っていることに驚きです。地方美術館所蔵品が多かったようですが、モネ、ルノワール等に比べると予算的に楽なせいなのでしょうか?現在休館中のブリヂズトン美術館所蔵の見慣れた作品も並んでいました。それでも、美術館全体を埋め尽くすまでの数は揃いません。そこを「河川工学の発展」から日本の荒川にまで結びつける荒業企画で補っています。しかしこれも中々面白い企画でした。元々印象派は時代革新と大きく結びついて生まれています。英国での産業革命に始まる新時代の到来、中産階級ブルジョアジーの躍進、画商・美術館の登場。一部王侯貴族の専有物だった芸術が巷に拡散、依頼仕事に従事する職人仕事だった画家が独立した芸術家へ。現在では至極当たり前の状態の原型がこの時代に作られました。その意味では興味深い考察でした。予算をアイデアで補った学芸員諸氏の努力に拍手です。

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