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2018年6月18日 (月)

またまた矯め込んでしまいました。

前回書き込みが5/19、その後もあっち行ったりこっち行ったり歩き回っていたのですが、書き込みさぼり続きです。やはりFacebookにちょこっと書くとそれで済んだ気になってしまうのですね。でもFBはやはり流れて行ってしまいますのでこちらにも留めたいと思います。

まずは最近の上京に関して。展覧会関係での上京が続きました。5/24は来年に予定されている4人展打ち合わせ、4月にもやりましたが、今回はもう少し具体的になります。4人で候補画廊に集結、壁面構想を練ります。広さとか価格とか時期とか。その後近くのレストランで食事しながら打ち合わせ。まず、会場画廊は見学した画廊に決定、時期は来年11月上旬に。あとはそれぞれの出展数とか。まだ1年半ありますが、のんびりしているとすぐその時期になってしまいます。私自身絵画制作に復帰して1年ほど、ようやく油彩を描き始めたばかりです。筆捌きは意外と憶えているものです。ただ、画想イメージは戻りません。最初は「何を描こうか?」画題を探す状態でした。学生時代はそんなことはありませんでした。描きたいもの描きたいイメージが次々と現れ、描く方が間に合わず書き損なったイメージも多々ありました。画題を迷う暇が無かったのです。それが今では逆ですので6月に復帰してからの作品は、すべて具体的なもの、静物画・風景画に限られています。具体的な”もの”が目の前に無ければ描き進められません。それでも描き続ける内に、少しずつではありますが、「描きたいイメージ」も浮かぶようになってきています。若い頃そのままに戻るはずはありませんが、歳は歳なりに、描きたい”欲求”は必要です。画面に再現するのは静物や風景の”もの”ではあっても、描きたいのはその”もの”そのままでは無く、そのものを観ている自身の”心・想い”なのですから。

Img_20180618_174202 復帰第1作。昨年6月、パステル画講習会での初日作品です。クレパスは以前以前何作か描いていましたがパステルは初めてでした。

19758 昔描いたクレパス画。この頃の方が色彩も形も実際の風景に囚われることなく、自由に指が動いた気がします。

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20171027_10 20184_f6_4 20184_f6_5 クレパスとパステル、同じようでいてちょっと異なる画材です。最初は色の乗りの違いで戸惑いましたが、段々と慣れてきて多少は自由に描けるようになってきています。最初の頃の絵は見るからに”硬いですね。

201712_f8_3 20181_f10_3 20181_f8_3 アクリルは以前に1~2点描いていたはず、けれどどんな絵を描いたのか憶えがありません。乾きの速さには逆に扱い難さを感じた一面もありますが、筆捌きは油彩と同じですので慣れるのは早かった気がします。復帰後5点描いていますが、1点は気に入らず潰してしまいました。

20181_f10_7 潰した作品がこちら。昔のイメージを追い求め、未消化のままに描いてしまいました。内に無いものを形だけで描こうとするとアンバランスな作品になってしまいます。学生時代でも描いて潰した絵は多々ありました。当時はキャンバス代節約という経済的理由もありましたが。

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1981_mioumiouno4_b5_5 Img_20180204_221047_3 こちらが旧作、キャンバスに描き留める間もなく描き散らした感じでした。描く”欲求”に満ちた時代でした。

Img_20180513_113018 油彩は画材を新たに買って来て、ようやく1作仕上げたばかりです。画材としてはやはり1番合っている気がします。

1977_f8_4 19768_f8_5 こちらは旧作、比べてどうでしょう?やはり今の方がまだ硬いかなぁ?

やはり人物を描きたいと思っています。ただ周りに若い女性がうようよ転がっていた?(笑)  あの頃と異なり、モデルには苦労します。キャンバス地塗りだけはしたのですが、作画は7月の地元美術協会主催の裸婦デッサン会後になりそうです。まだまだ頭の中だけで人物を描くのは無理です。最後に若い頃に描いた人物系作品を羅列しておきます。少しはこれに近いイメージで、年齢なりに熟した味を加味して(笑)描きたい。

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1979_8 Img_20180131_172201_2 Img_20180205_073150 因みに最後の作品は20代の頃の家内です。coldsweats01heart04

Img_20180607_103550_2 段々イメージも涌いてきましたので、キャンバスは買って来て地塗りは済ませてあります。F30にP40、そして10号12号が3枚、そして小品4号が描きかけです。

オマケ:この日打ち合わせを行った「近くのレストラン」ですが、こちらも曰くがあります。学生時代、仲間が集って事ある毎に飲みに通った洋風居酒屋がありました。すっかり風景が変わってしまいましたが、渋谷の、今のマークシティの建っている辺りだったと思います。私達より10歳ちょっと歳上のマスターの経営する店でしたが、気が合い打ち解けて、暇な時には店を閉めてしまってスタッフと一緒の飲み会になったりもした、青春時代想い出の店でした。再開発で渋谷店を閉めましたが、その後原宿や青山・広尾・白金等々、レストラン中心に店舗展開、あっちを閉めこっちに新店舗と精力的に経営を続けていました。現在では恵比寿のレストランと渋谷の飲み屋との2軒体制です。マスターご本人は半ば引退、息子さんが経営を引き継いでいます。打ち合わせ終盤、電話をしてみたらご本人が来てくれました。私は久し振りの再会です。4人展の4人はもちろん、家内も含めての当時の仲間達、青山や芝浦や聖心や上智など、大学美術部に属して付き合いのあった仲間達常連の店でしたので、来年11月の展示会の折には、そんな仲間達が集い再会する場所になると思います。それも楽しみ。lovely Img_20180524_183128

2018年5月19日 (土)

友人の展覧会で上京

17日、東京へ行ってきました。友人の展覧会が2か所で開かれています。最初は銀座でのグループ展に参加している大学美術部同期の展示会です。昨年から35年振りに描き始めた私と違い、描き続け定期的に作品を展示している友人2人が出品しています。

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出身大学は、今では駅伝で有名になってしまった青山学院です。緩い大学のゆるい部活ですので、美術部と言ってもほとんど絵を描かない部員も珍しくありませんでした。その中では熱心に描き続けていた2人です。ま、私も描いていた方なのですが、かの2人は正統派、私は異端前衛派でした。

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銀座から渋谷に移動、次の展示会場を目指します。途中観光名所となっているスクランブル交差点をパチリ、同様に写真を撮っている外国人観光客の姿も多数。街もすっかり変わり、飲んだくれた当時馴染みの焼き鳥屋等、ほとんど残っていません。

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2か所目の展示会場は東急百貨店本館8階画廊です。

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出品している1人谷口朋栄さんは、数年前から注目してきた作家さんです。元々は後述する丸山教授の展示会を訪れた折に、同じ会場の別の部屋で展示会をされていたのが切欠でした。その後数回個展・グループ展を拝見しています。すっかり値が上がってしまいもうちょっと手が届きません。最初の頃に1点買って置けば良かったかなぁ~。ただ、前回も確か会場がデパート画廊でした、画廊側要望もあるのか?画風がおとなしくなり過ぎた感があります。以前はもっと表情に棘というか、鋭さが混じっていた気がします。少し乙女チックに行き過ぎて作品としての魅力に乏しくなりつつある気もします。画家も人気商売、売って生活するには購買者への”忖度”も必要なのかも知れませんが・・・。

当初は「3画廊1美術館」を当日美術巡りの目標としていましたが、如何せん時間が足りません。新宿の「ターナー展」は次回送りとしました。来週も上京予定があります。

3ヵ所目、高校美術部同期の丸山浩司多摩美大教授の展覧会場へ向かい四谷三丁目へ。駅近くのフルーツパーラーで同級生2人と待ち合わせして一緒に会場入りしました。途中お土産のワインを購入。

展示会場は「アートコンプレックスセンター」、欧風貴族の館風の建物の中に大小幾つもの部屋に分かれて展示会場があります。谷口朋栄さんの作品を初めて観たのもここでの小部屋での展示でした。今回、丸山教授の2人展は地下の最も大きな会場で開催されています。

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「たゆたう4」と名付けられた2人展は今回で4回目、女優の城戸真亜子さんとの2人展です。城戸さんと丸山との繋がりは城戸さんの高校生時代、当時確か芸大の助手時代?かと思うのですが、丸山が教えに行っていた縁だそうです。謂わば”教え子”繋がりですね。城戸さんはその後武蔵野美術大に進学、グラビア・女優を経て再び絵を描くようになりました。丸山とはBSのゴルフ番組でも共演、私も1度丸山・城戸夫妻とラウンドさせて頂いたことがあります。城戸さんの版画(シルクスクリーン)を1点購入させて頂きました。丸山の分は先に予約済みです。

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かなり広い会場で作品数も今までで最多です。同期会ゴルフにも参加できず忙しかったのも理解できます。今回の2人展は第2会場もあり、そちらは21日から銀座で開催されます。終了は両方とも27日。銀座会場も次回上京で行ってみようと思っています。

鑑賞後、ご一緒した東京在住高校同期と3人で居酒屋へ。家内の里の清酒一ノ蔵を飲みながら暫し歓談しました。栃木まで帰らなければならない私は8時過ぎに先に退散、次回を約して別れました。

2018年5月10日 (木)

平成最後のGW 1

平成最後のGW、遠出はしませんがそれなりに行事をこなしました。来年からは新年号、昭和は更に遠くなります。

 

私にとっての連休行事初日は4月30日宇都宮、映画を観に行きました。ここのところ続いた芸術家テーマ映画の一応の区切りになります。宇都宮在住の友人と待ち合わせての鑑賞、家内以外と一緒に映画を観たのは、おそらく大学生時代以来かと思います。

Img_20180430_085703_2「ゴッホ~最後の手紙~」ゴッホの死後発見された弟テオへの最後の手紙、パリのテオ宅へ配送されますが宛て所不明で返送されてしまいます。ゴッホの作品にも登場するアルルの郵便配達人ルーランは、息子アルマンにその手紙を託します。酔いどれて暮らすルーランは拒否しますが父親の意思の強さに折れてパリに向かいました。しかし訪ねた先にテオは居らず、ゴッホの死後時を置かずに亡くなったことを知ります。新たな届け先を求めてアルマンは北フランス、イル・ド・フランスのオーヴェル、ガシェ医師を訪ねます。オーヴェルはゴッホ終焉の地、医師ガシェは生前にゴッホの作品を買った唯一の人物です。

 

この作品の特徴は2つ、1つは一般的な伝記作品ではなく、ゴッホの死の真相に迫るサスペンス調のストーリーになっている点です。通常自殺とされるゴッホの死を、殺人・事故をも含めてアルマンがその真相を探ります。もう1つは作品が油絵でのアニメーションで造られている点です。世界各国125名の画家によるゴッホタッチの油絵62,450枚からできているそうです。唯一人、日本人画家も含まれています。古賀陽子という若い女性画家でした。ゴッホの作品に登場する人物を俳優が演じ、それを画家が描きアニメーションとして構成します。サスペンス調の流れも、油絵アニメーションも、特徴的個性的でそれなりの成功を収めているように感じました。感動するほどではありませんでしたが2時間半を楽しむことができました。

 

私の興味を持つ様な作品は、相変わらず地元では上映されません。シネコン3館は3館とも同じような作品、ハリウッド特撮大作とアイドル系アニメ原作の邦画ばかりです。たまには、と第1作を観た「パシフィック・リム」の2作目を調べたのですが、上映は吹替えのみでした。ここは絶対に妥協できない部分です。吹替えは俳優の口からでは無く、映画館の壁とか天井とか何処か別の場所から発せられる気がしてどうにも不自然に感じられてしまいます。次の映画鑑賞もやはり、宇都宮か高崎になりそうです。

 

徒歩で映画館まで来た友人をS660に乗せて県立美術館へ移動、「国吉康雄と清水登之 ふたつの道」を観ました。地元の画材屋で貰った招待券で2人とも無料で観ることができました。同行の友人は大学美術部時代の同期、彼が部長で私が副部長でした。去る20日に渋谷に集まった4人の内の1人です。

Img0022_2 Img003_2 1910年から20年代初めの時期を共にニューヨークで暮らした2人の画家、岡山県出身の国吉康雄と栃木県出身の清水登之、アメリカンモダニズムの影響下、また1924年にパリに移住した清水登之、国吉康雄もまたパスキンの誘いを受けパリに渡りエコール・ド・パリの洗礼を受けます。同時期に同じように欧米のモダニズムの風の中で絵画制作に没頭した2人ですが、太平洋戦争の勃発は2人を別の道へと進ませます。戦中もアメリカに留まった国吉は反ファシズム的立場から反日プロパガンダポスター制作に携わり、帰国した清水は従軍画家として戦争を題材とした絵を描きますが、海軍軍人となった長男(戦艦金剛乗船)が戦死、失意のうちに終戦の年の12月に亡くなっています。一般的知名度は国吉の方が上でしょうが、栃木県出身の清水の作品は桐生の大川美術館にも多くあり、これまでも観る機会の多かった作家です。国吉の晩年の作品、ネオンカラーの人物像とかは、これまであまり観たことがなく印象的でした。

2018年4月21日 (土)

初恋の人に逢ってきました。

昨日金曜日、東京へ行ってきました。日帰りです。

まずは北千住乗り換えで乃木坂駅、国立新美術館へ。「至上の印象派展 ビュールレコレクション」、”世界で最も有名な美少女像”と言われるルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が来日しています。中学生時代に画集で観て恋してしまった作品です。ま、美術好き若者ではそういった人も多かったと思います。

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個人的には全盛期の、あのふわふわしたルノワールの作風はあまり好きではありません。初期のものの方が好みです。国立西洋美術館にある松方コレクションの「アルジェリア風のパリの女たち」とか。しかしイレーヌ嬢、とても”8歳”とは思えません。日本的には15~16歳ですよね。持っていたイメージよりは少し小さめな作品でした。2枚目写真は会場でお土産に買った印刷写真(A4位?)です。こういった画像写真を買ったのは高校生時代以来かも?

ビュールレコレクションはスイス人実業家が集めた、印象派作品を中心とした壮大なコレクションです。セザンヌやマティス等の初期作品も観ることができました。一般的に知られる作風の完成する前に、すでに才能の芽を見通して確信していたのでしょうか?素晴らしいことです。展示作品は、近代絵画の萌芽ドラクロワに始まり、シスレーやマネ、モネ、そしてドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと続きます。原田マハの小説に登場する、チュチュを着たドガの小さな踊り子のブロンズ像もありました。”原色の画家”と言われるゴッホ、彼の作品が決して原色で描かれていないことがよく判ります。混色にかなり白が多投されています。寧ろ原色が感じられるのはゴーギャンの方かも知れません。展示の最後はフォービズム・キュビズムで締めくくられています。この段階で見ると、ピカソよりもブラックの方が才能の息吹を感じることができます。ピカソにとってはキュビズムも通過点にしか過ぎなかったのでしょう。

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今回の展示の目玉のひとつが、これまでスイス国外に出たことが無かったというモネ睡蓮の大作です。4x2mの大作で迫力はありますが、やや散漫な感じもあります。作品の充実度から言えばより魅力的な睡蓮は他にあるように思いました。展示作品中ただ1点、写真撮影が許可されていました。

地下鉄駅に戻り2番目の目的地に行くべく二重橋駅へ。「三菱一号館美術館」です。展覧会は「ルドン 秘密の花園」です。オディロン・ルドンはフランス・ボルドー生まれの幻想画家、私の特に好きな画家のひとりです。鉛筆やリトグラフでの黒白の時代と油絵具やパステルで描かれた色鮮やかな作品の時代とがあります。私の好きなのはもちろん後者の時代です。学生時代に好きでよく使ったエメラルドグリーンやプルシャンブルーは、ルドンの影響もあったように思います。

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今回の展示の目玉は、ルドンの才能を評価して自宅ドムシー城の食堂壁画を依頼したドムシー男爵、その食堂壁画です。一堂に会した作品群は、その多くがオルセー美術館の所蔵となっていますが、その中心ともいうべき巨大パステル画「グラン・ブーケ」が三菱一号館美術館の所蔵となっています。撮影はもちろん禁止ですので写真はサイトからお借りしました。

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三菱所有の古いレンガ造り建物を補修利用しての美術館ですので、ドムシー城の様相は知る由もないのですが、貴族の館の食堂壁画として描かれた作品と非常にマッチして、通常の美術館で観るのとはきっと異なるのだろうと思えます。ルドンの色彩とインスピレーションに包まれて、とても幸せな時間でした。こういった感動は滅多にありません。昨年の川村記念美術館以来の感動です。ただ、ステラ作品に心揺り動かされたその時とは、感動の質は大きく異なります。やはり”幸せに包まれた”との表現が一番マッチする気がします。

パステル画作品の何点かのポストカードを、パステル画会の会員皆さんへのお土産に買って帰ろうと思っていたのですが、目を付けていた作品のすべてが「売り切れ」でした。残念。

山手線で渋谷へ移動、母校に立ち寄ってきました。事前にTwitterでお願いして、懐かしい部室を覗かせて頂くことになっていました。部室は1975年当時と同じ場所に同じようにありました。入学した1973年には2号館裏にあったプレハブ建物が部室でしたが取り壊しが決まり、私達が役員学年でしたので学校側との交渉に当たりました。色々と注文条件を出したのですが、比較的好意的に条件は受け入れて貰ったと思います。それから43年、内部の壁は綺麗に塗り直してあったものの、構造も雰囲気もほとんど当時と変わってはいませんでした。入口ドアに刷られたシルクスクリーン文字は、展示会ポスターや住所録表紙等の試し刷りでした。多くは私の現役時代のものです。塗り潰さずそのまま残されていたのは嬉しかったですね。

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この日最後の予定は友人との飲み会です。ただの飲み会では無く、展示会の打ち合わせが主目的での集まりです。1976年に仲間4人で銀座で4人展を開催しました。同じ青学美術部3人と芝浦工大美術部1人での4人展です。当時美術の中心地は”銀座”というのが定番、銀座での展示会はかなり背伸びした企てでした。それから40数年、長らくお休みしていた絵画制作を復活、昔の若者もすっかり歳を取りました。そして昨年、「もう1度4人展を、」という想いが沸き上がってきました。それを現実化するべく、当時の4人が渋谷の酒場に集まったわけです。一応開催は来年秋を目標に、作品制作に励むことになりました。メンバー2人が少し調べて、会場となる画廊も候補が上がっています。今年中に予約して準備に入ることとなると思います。すっかり鈍ってしまった筆も磨かなくてはなりません。来月にもう1度集合して、候補画廊を4人で見て周り検討する次第です。

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↓の写真は、4人展復活の切欠となった、ひょいと出てきてしまった昔の案内ハガキです。4人展名称は奮っています。若気の至り、今となっては恥ずかしい名前ですが、そんなバカもできた時代が懐かしいです。

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2018年4月11日 (水)

4/10日上京・美術展巡り

昨日は東京へ、美術展巡りをしてきました。結構がんばりました!bearingsun

まずは上野へ。当初の予定では一番終了期限の近い「ピュールレコレクション展」を観るつもりだったのですが、こちらは今月中にもう1度上京することにして、効率良く上野を片付けることにしました。順番にも迷ったのですがやはり疲れない内にメインをと「国立西洋美術館」の「プラド美術館展」から。

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日本では印象派ばかりが人気が高く、以前はこの時代のものは滅多に観られませんでした。最近では随分変わり幅広く観られるようになりましたね。ベラスケスはやはり重厚です。スペインという国は、画家分野では多くの才能を輩出しています。ベラスケス、エル・グレコの時代からピカソ、ダリの時代まで。ゴヤやミロも居ましたね。芸術の中心が欧州からアメリカに移って久しいですが、現代美術ではどうなのでしょう?名前が浮かびません。行ってみたい国のひとつですが、中々難しくなりました。若い内に行っとくべきでした。

今回初めて知ったのですが、常設展部分では多くの作品が「撮影可」となっています。欧米に倣ったのでしょうか、スマホ時代ではそういった要望も強いのでしょう。何枚か撮ってきましたが、以前の習慣からかまだナンカ遠慮してしまいます。常設展の奥、「新館」では「マーグ画廊と20世紀の画家たち」という企画展が開催されていました。マティスやボナールの版画作品も常設展料金で観られます。常々思うのですが、西洋美術館の常設展示は素晴らしく質が高いですね。川崎造船所(現川崎重工業)の松方氏のコレクションですが、当時ではこれでも「一部」だったようです。世界恐慌で国内分は散逸、ロンドン分は火災で焼失、西洋美術館の松方コレクションはパリにあり戦後返還された部分だけだそうです。全部揃っていたら大変なコレクションだったのですね。学生時代はこことブリヂストン美術館の常設展は時々訪れていました。今回はスケジュール過密につき、常設部分は駆け足通過となりました。

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都立美術館へ移動。「美術文化展」、昨年6月から絵画制作に復帰したのですが、その切っ掛けにしたのが市の施設でのパステル画講習会でした。講習会(6月~8月)終了後に参加者の約半数(11人)で自主グルーブ「パステルフレンズ」を結成しました。講習会・そして現在のグループを指導して頂いている先生が出品、招待券も頂いたのでこの会期に合わせての上京でした。

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2枚目の作品が先生の出品作です。指導では静物画とか人物とか具象画ですが本来は抽象です。作品数が多いので流して速足鑑賞です。こちらももちろん撮影可。

↑が無料で観られたので、ついでに「モダンアート展」も入ってみました。800円、ちょっと高く感じられる。こちらもさっさと流して歩きました。学生時代、公募展も時折観ました。「モダンアート展」「新制作展」、「二科展」「日展」、そして「東京ビエンナーレ」とか。銀座の画廊巡りもしましたね。今に比べると美術館の数も限られ、企画展はデパートの催事場で開催されたりしてました。今は亡き、西武美術館のできたのは”新時代到来!”感がありました。

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日本の現代美術?展を2つ続けて観ても、”新しさ”はあまり感じられません。抽象も半抽象もポップもオップも、ナンカ食傷気味。現在美術がマンネリ化してる感があります。一応”自由”なのですが、何か不自由な気もしてくる。続けて観ると、制約のあったベラスケス時代の方が自由を求め易い?ような気もしてしまう。規制が無いと自由の価値も下がるのかな?何をどう描いてよいのか、戸惑ってしまいます。2次元絵画でこうなのだから、3次元・4次元となると尚更で、増々魅力の見つけ所を失ってしまいます。ジャクソン・ポロックやイヴ・クライン、ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、そしてスーパーリアリズムとかを初めて観た時の興奮は今は何処にも感じられません。

「日本パステル画会展」というのを見つけて、予定にはなかったのですが観てきました。無料だったし。

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昨年6月に約35年振りで再開した絵画制作、昔の油絵具はもちろん使い物にならない(とっくに捨てましたが)し、「何をやろうか?」と考えていた時に市の広報で見つけた「パステル画講習会」ですが、パステルは初めて体験する画材でした。ただ、オイルパステル(クレパス)は使ってました。「同じだろう」と思って始めたのですがかなり異なり、色の乗りの違いに最初は戸惑いました。折角始めたパステル画ですので、来年はこの公募展に出品してみようかな?とか考えています。出展作を見てみると、取り合えず”入選”して飾って頂けるレベルだとは思います。上の写真は会員さんの作品ですのでもちろんレベルはずっと上ですが、一般公募通過作はそれほどではありません。あと1年あるし。

美術館展示の後で恐縮ですが、所属する出来たばかりのパステル画会の初展示会も昨週末に開催されました。市の主催する総合展示会への参加という形での出展です。2枚目の2点が私の作品です。油絵は描いてましたが、パステル始めて10ヶ月ですのでまずまずでしょう?coldsweats01

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昨日の最後のスケジュール予定は映画でした。吉祥寺まで移動、最近にできたらしい30数席の小さな映画館です。「COCOMARU THEATER」とか。観た作品は「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」です。例によって田舎には来ないマイナー作、電車賃使ってはるばるやってきました。

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少々長く感じました。ゴーギャンのモデルを務めたテフラという現地女性との出会いと別れを描いていますがやや単調でストーリーが月並み。ゴーギャンをモデルとしたサマセット・モームの傑作「月と6ペンス」は、今まで読んだ海外小説作品中では同じモームの「人間の絆」やディケンズの「デイビット・コパフィールド」と並び心に残る長編小説でしたので、少し期待し過ぎたのかも知れません。テフラ役の”現地で発見した”というツイー・アダムスは、絵画作品の雰囲気を持つ印象的な女性でした。

今週末から都立美術館で始まる「プーシキン美術館展」でもゴーギャン作品が来日します。前売り券を買いました。初めての”シニア券”です。半額!ただ、誕生日はまだですので、それを過ぎないと使えません。6月以降に行く予定です。その前にルノワールとルドンを観に行かなくちゃ。友人の展覧会もあるし暫くは大忙しです。

2018年4月 2日 (月)

謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス

画家主題映画、ジャコメッティ・セザンヌに続くのは個性的過ぎる画家:ヒエロニムス・ボスでした。例によって地元での上映は無く高速道使って高崎へ。生まれた年月も不明の謎だらけの画家ですので、期待して観に行ったのですが裏切られました。高速代がもったいなかった・・・。上映時間の多くをうたた寝して過ごしました。退屈な映画、いや”映画”にもなっていません。単なる”資料”です。評論家や作家や歌手等々、沢山の人物が登場して語るのですが、それだけの羅列としか感じられませんでした。”謎”は何か解明されたのでしょうか?もしかしたらそういった場面もあったのかも知れませんが、うたた寝していたので判りません。時には、疲れて鑑賞中に一時睡魔に襲われてしまうようなこともありますが、大抵は「一時的」です。ストーリーに誘われて目覚め、また映画に集中できるのが通常です。ただ今回は意識が戻っても変わらぬ場面の繰り返しで、再び睡魔の虜に、その繰り返しで終わりました。ドキュメンタリーにしても工夫が無さ過ぎる気がします。謎の画家の謎は謎のまま残り、どういった意図で作られた映画?なのかも謎です。高名な方々を登場させた故に、それぞれの顔を余さず映さないといけない大人の事情?と勘ぐってしまいます。その方々から得た疑問や解説を”資料”に、何かしらストーリーのある”映画”として仕上げて欲しかった。

2018年3月19日 (月)

「セザンヌと過ごした時間」「ジャコメッティ 最後の肖像」

最近観てきた作品です。芸術家テーマの映画2点。「セザンヌと過ごした時間」は、フランスの画家ポール・セザンヌと「居酒屋」「ナナ」で知られた作家エミール・ゾラとの交遊と破断を描いたストーリーです。原田マハの小説「ジヴェルニーの食卓」に収められた4作の中の「タンギー爺さん」の中でも描かれていますが、セザンヌとゴヤとはエクス・アン・プロバンスの中学校で知り合い親友として交流を続けました。もっとも原田マハの小説ではセザンヌ本人は一切登場せず、タンギー爺さんの娘が語る形で描かれています。原田マハの小説もお勧めで、「タンギー爺さん」の他にドガを描いた「エトワール」、マティスを主人公とした「うつくしい墓」、マネを描いた「ジヴェルニーの食卓」が収められています。

映画に話を戻します。エクス・アン・プロバンスの中学校に、イタリア人移民の子(母親はフランス人)として転校してきていじめられる下級生ゾラを、セザンヌが庇って喧嘩するシーンが知り合った最初です。ゾラはその礼に林檎を持ってセザンヌ宅を訪れます。成長したゾラはパリに上り作家としての成功を目指します。ゾラの勧めもあって画家を目指したセザンヌもゾラの後を追って上京します。「テレーズ・ラカン」で小説家としての足場を固めたゾラは、その後「居酒屋」での爆発的ヒットで流行作家としての地位を確立しますが、反してセザンヌはサロンでの落選を続けます。成功者ゾラと一向に芽の出ないセザンヌとの関係は徐々に齟齬をきたし、セザンヌをモデルとした小説「制作(「作品」とも)で決定的に破綻します。(この絶交には他の説(女性関係)もあります)

画家などの芸術家には”貧しい”というイメージが一般的に感じられますが、セザンヌは裕福な銀行家の息子でした。親の意に反して画家を目指したことでパリでは窮乏の日々を過ごしましたが、父親の死後に遺産を相続しています。裕福な家に生まれながら粗雑で人間関係を築くことの下手なセザンヌ、貧しい移民の子に生まれながら成功して紳士然となるゾラ、その対比も映画の主題なのかも知れません。

映画をちょっと離れて印象派成立当時のパリ画壇、芸術の変遷に関して少し書かせてください。通常は芸術分野での進化・変遷としてしか描かれませんが、芸術も社会情勢の流れの中で変遷します。決して世間から独立した存在ではありません。現代では当たり前にある「美術館」も、その成立はフランス革命後です。それ以前、芸術は王侯貴族の専売特許であり、レンブラントやベラスケス等現代人に知られた有名作家も、当時の一般庶民には全く縁のない存在、その作品を一生涯目にする機会はなかったのです。一般人が芸術作品を観ることのできる、唯一の例外は”教会”でした。多くの絵画作品は王侯貴族が自身の宮殿・邸宅等に飾るために職人としての画家に”発注”し買い取るもの、その館を訪れる客人しか目にすることはできません。ですので画題も神話や王侯貴族の肖像画が主体となります。画家が自由に画題を選べる時代ではありませんでした。レンブラントの代表作「夜警」は、注文者が記念写真的目的で依頼したため、「鮮明に描かれていない人物が居る」との理由で受け取りを拒否されています。

美術館の始まりはフランス革命での王家断絶、宮殿開放です。美術品の宝庫ルーブル宮が一般に開放され、一般庶民が初めて芸術作品を目にしたのです。ゴヤの「居酒屋」の中でも、物見遊山でルーブルを訪れるシーンが描かれています。フランス革命、英国の産業革命後に自由経済の中で生まれた中産階級は、それまでの一般庶民と比べ経済的余裕も持つようになり、自身のリビングを飾る絵画に関心を持つようになりました。そして生まれたのが画商・画廊です。そして作品提供者としての”画家”、今までのような宮廷・貴族お抱えの絵師ではない現在の感覚に近い”画家”が生まれます。画題も自由に幅広くなり、写真機の登場により記念撮影的役割からも解放されます。

映画の中に、特に美術に知識・関心を持った方でないと見逃してしまうシーンがありました。印象派の画家たちを援助していた画材屋:タンギー爺さんがセザンヌに「野外用の絵の具」として渡した油絵具です。このシーンも重要なのです。それまでは金属製の注射器のような機材に絵の具を詰め、無くなると中を掃除して画材屋で再び充填して貰ったのです。手間のかかる作業でした。それがチューブ式絵の具の発明で補充・持ち運びが簡単になり、野外での制作に便利になりました。直射日光を避けて北向きの天窓を持つアトリエで描いた中世から、野外の光の中で描いた印象派への移行、単に芸術史的内部変化ではなく、こういった道具の開発も大きく影響しています。チューブ式絵の具を「当たり前」として見ている現代人には気付き難いシーンですね。

セザンヌの代表作に、故郷エクス・アン・プロバンスのサント・ヴィクトワール山を描いた作品が多くありますが、映画に登場する実際の映像よりもセザンヌ作品の方がずっと美しい!もしかするとそれも監督の意図だったのかも?新婚旅行でニースまでは行ったのですがプロバンスまでは行けませんでした。2020年の結婚40周年に海外旅行を思い描いています。今1番の候補はポルトガルなのですが、「プロバンスもイイナ」と迷ってしまいそうです。

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もう1作は彫刻家として有名なジャコメッティを描いた作品です。こちらはセザンヌと異なり、成功して財を成した最晩年のジャコメッティが登場します。尊敬するジャコメッティにモデルを依頼され、「2、3日、長くはかからない」との言葉を信じて嬉々として引き受けたアメリカ人作家・芸術評論家を主人公・語り手とした作品です。実在の人物で、彼の書いた回顧録が元となって作られた映画だそうです。

モデル初日の「肖像画とは決して完成しないものだ」との不吉な言葉通り、2日で済むはずの肖像画は一向に進展しません。突然アトリエに現れる愛人、ジャコメッティと妻との諍いの中で翻弄されるアメリカ人作家は、連日帰国航空便の予約を取り消し・変更を繰り返しながらモデル苦行に耐えますが、完成間近と思える頃にジャコメッティは画面を消しての描き直しを繰り返し一向に完成しません。画家の苦難の半生を描くことの多い芸術家主人公映画ですが、この「最後の肖像画」はその点では異彩です。3週間弱の短い期間に短縮され濃縮された画家(彫刻家)の素顔を、興味深く描いています。ユーモアも交え愉快ですしジャコメッティも納得できるリアル観で描かれています。この肖像画を描いた2年後にジャコメッティは亡くなっています。文字通り(完成した)「最後の肖像画」となったわけです。

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流行りなのか?芸術家主人公映画が大流行り、この後ゴッホ、ゴーギャンが続きます。異才の画家ヒエロニムス・ボスの映画も公開されます。どれもやはり、私の地元には来ません。「セザンヌ~」は宇都宮、「ジェコメッティ~」は高崎まで遠征しての映画鑑賞でした。

2018年2月23日 (金)

「ル・コルビュジエとアイリーン」

久し振りに映画の感想です。映画鑑賞も趣味のひとつ、ここ暫くは何やかやで忙しくて途絶えていましたが、月に1回程度は観ていました。映画館、「シン・ゴジラ」以来か?いや、イ・ビョンホンの「インサイダーズ」も「マグニフィセント・セブン(荒野の七人)」も遅ればせながら観たな。「シン・ゴジラ」は面白かったけれど感想を書く間なく流れてしまった。ちょっと間を置くとダメですね。

ここんとこ、観たい映画が沢山です。ま、ちょっと興味を惹かれる作品があって上映館などを調べると次から次へと出てきてしまう、そんなことですけどね。知らずに居ればそのままです。今回の「ちょっと興味」は「セザンヌと過ごした時間」です。「観てみたい」と思った辺りから忙しくなって未だに未見です。原田マハの「ジベルニーの食卓」でセザンヌとエミール・ゾラとの関係を読んで興味を持っていたエピソードが映画になっているのですから、これは観ずには済ませられません。そしてゴッホ、ゴーギャンと芸術家主人公の作品上映が何故か続いています。そしていずれもマイナー作品ですので、私の居住地周辺での上映はありません。私の住む足利市、隣接する佐野市・太田市、それぞれに1館ずつの映画館、シネコンなるものがあります。このシネコンなるもの、私の好む作品は一向に上映してくれません。派手なアクションばかりで内容の無いハリウッド大作と漫画原作のアイドル系主演作品ばかり、3館もあるのに同じ品揃えで上映します。全く芸が無い・・・。

と言うわけで、今回もシニア料金1,000円ながら往復の高速代をかけての割高鑑賞で宇都宮ヒカリ座遠征です。マイナー作品鑑賞、私の場合は宇都宮か高崎か伊勢崎、というのが常態です。http://hikariza.news.coocan.jp/

そして今回(昨日)観たのが上記”芸術家主人公作品”流れのひとつ「ル・コルビュジエとアイリーン」でした。日本副題で「追憶のヴィラ」とあります。セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホと異なり建築家ですので、”芸術家”並びとは少々異なりますが、一応その類としてリストに入れていました。ただ「一応」ですのでこの4作品の中では一番注目度が低く、「タイミングが合わなければ観なくても~」程度でした。それが、「23日上映終了」という「番組終了30分以内のご注文で~」みたいに急かされて、たまたま真っ先に観に行くはめになってしまいました。そういう次第ですので、内容は全く事前確認しない儘です。偉大な建築家ル・コルビュジエと、彼を崇拝・思慕するアイリーンとの愛と創造を巡る葛藤の物語、みたいなお話を勝手に想像していました。大外れです。そんなロマンチックなものでも感傷的でも感動的でもありません。一般的には至極退屈な物語であったかも知れません。興行的には難しいでしょうね。マイナー作品平日上映ではよくあることですが、観客は私を含めて2人、そしてもう1人はどうやら熟睡している様子。しかしそんな作品なはずですが、不思議と退屈はしませんでした。ドラマチックな展開もサスペンスも無し、よく判らない相互関係や事情もありそうで、私が理解していない部分もありそうなのに、何故か退屈はしなかったのです。ま、感動もしませんでしたけど、刹那のスリルだけのハリウッド大作の「金と時間を返せ!」的な後悔は全く感じません。不思議な作品です。ドキュメンタリー風ですがドキュメンタリーでもありません。軽く皮肉っぽい風刺表現も含まれています。

主役はコルビュジエではなくアイリーンの方、アイリーン・グレイという、私は知りませんでしたが、有名なインテリアデザイナーで建築家でもあったそうです。芸術家として描かれているのは寧ろ彼女の方、ル・コルビュジエはメインキャストではありますが、ややピエロ的な脇役として登場しています。そこが逆に人間的で面白かったようにも思います。どうも上手く表現できませんが、ひと言で現すならやはり「退屈しなかった」というしかありません。チラシにあるような「知られざる愛憎のドラマ」を想像して観ると違ってしまうと思います。

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今回の宇都宮行きには、もうひとつ目的がありました。”栃木県動物愛護指導センター”です。昔の保健所の役割であった、野犬野良犬野良猫保護のための施設です。実は近頃「犬を飼いたい」と思い始めているのです。子供の頃には、家でシェパードを飼っていました。「飼っている」という意識も希薄に犬や猫が普通に日常に居る、という生活でした。世話は主に祖母や叔母がみてくれていました。大学生の頃、叔母の面倒みていたプードルが死んでからは身近な犬猫は居なくなりました。娘が幼かった頃に亀(ミドリガメ)を飼い始め、それは3匹とも未だに生きています。もう30年近くになると思います。

犬を飼っているFacebook友人の、愛護指導センターに収容されている犬に関する書き込みが契機となっています。昨年の入院手術の影響か、”命”に敏感になっているのかも知れません。収容されて”処分”される命に思いを馳せてしまったのです。元々、ペットショップと言う商売には否定的でした。パンやケーキは売れ残れば捨てればいい、でも売れ残った犬や猫は?どうも命の売り買いには疑念が残ります。ですので犬を飼いたいとの思いとペットショップとは、最初からかみ合っていません。最初に紹介された黒い犬は無事貰われていったそうです。あとは出会いを待ちます。その前に、犬を飼った経験が無く不安に思っている家内の説得が先決ですが。

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2017年10月15日 (日)

森高千里ライブと版画展 上京

12日木曜日に上京、2年振りの森高さんライブ参戦です。個人的事情で当初はチケット確保に動かず不参戦を決めていました。しかし日にちが近付いて心が揺れ動いている時、ファン仲間から余っているチケットでのお誘いがありダメ元でお願いしてしまいました。結果無事参戦出来ました。「TOMORROW NEVER KNOWS」と題されたミニツアー、3日間で過去の3種類のライブを再現するという、ちょっと変わった企画です。短期間に3種類のセットリストでの歌唱・演奏を行う、練習が大変だったでしょうね。頭が混乱しそう。衣装は当時の物は残ってなく、再現したものだそうです。

今回は宿泊参戦を決めていました。宿は東陽町のイースト21、前回家内との宿泊上京でも使ったホテルです。スカイツリーが見えるホテルですが、当日はお天気が悪く景色は良くありません。チェックイン時にトラブル。「予約が見当たりません」とのこと。確かに予約確認メールも届いていて、予約はされているはずなのですが・・・。部屋はあり、無事泊まれはしました。当日料金だと高くなってしまうのですが、元々の予約したはずの料金で対応して貰えました。部屋に入った後でPCメールを確認、私のミスだったことが判りました。1月前の9月12日で予約してしまっていたのです。ホテルの対応の善し悪し、トラブル時に判ります。さすが、オークラ・JALグループホテルでした。また利用しようと思います。反対に以前1度だけ使ったことのあるアシアナ航空は、その1回でトラブルがあり、2度と使いたくないと思ってしまっています。トラブル時には、普段見えない姿が見えるものです。

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昼前に足利を出発、時間に余裕があれば画廊くらいは観て周るつもりだったのですが、予定外の体調不良、ギリギリまでホテルで過ごしグッズ販売にも間に合いませんでした。

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会場(Zepp Diver City)に到着したのは丁度グッズ販売の終了時間でした。ファン仲間たちに挨拶するも今一つ気持ちが盛り上がりません。昼食がほとんど腹に入りませんでしたので。非常食のバナナが頼りです。

私の参戦したのは3公演の最後、「LUCKY SEVEN」です。足利市を舞台とした「渡良瀬橋」を収録したアルバムであり全国ツアー名でした。足利でのライブは1993年6月15日、この時すでにファンではありましたが、ライブは観ていません。前月の5月に40歳になり、大多数のファンは20代ですのでその中に入って行く勇気がありませんでした。世代的に周囲にもファン仲間は居ませんでしたし。当時まだ、私の愛車にはCD再生装置が無く、買った「LUCKY SEVEN」アルバムはカセットテープでした。「渡良瀬橋」はシングルCD、次のアルバム「STEP BY STEP」からはCDで買っています。丁度境目の時期だったのですね。

アイドル系に夢中になった経験のない私が唯一好ましく思ったのが森高さんでした。今考えても、一般的なアイドル枠には収まらない歌い手さんです。若い頃に好きだった女性歌手はジャニス・ジョプリン、スージーQ、ユーミン、ティナ・ターナー、小比類巻かほる。森高さんの前後に買っていたCDはマライア・キャリーやBoAでした。(ファンの方には申し訳ないのですが)松田聖子は大嫌いでしたしおニャン子などには全く興味を感じませんでした。海岸を「南の風に乗って走る」など、体育会の鍛錬でしか思い浮かばないです。寧ろ、海水浴に行って、渋滞したり駐車場が満杯だったり海がゴミで汚れていたりが現実的です。森高さんの歌詞は、リアルですし、ご本人もロッカー魂を持ったアイドルなのだと思います。ちなみにアルバム「LUCKY SEVEN」から、ドラムはほとんどご本人が叩くようになりました。ライブでもご本人ドラムから始まります。

今回のZEPPでのライブ、2階席以外はオールスタンディングです。チケット番号順での入場、先に入場した人から立ち場所を占拠します。私は400番台でしたが、それでも比較的前の位置を占めることも可能でした。しかし体調がイマイチですので、多少後ろになっても仕切り棒に寄り掛かって見られる位置を選択しました。これは正解でした。中途半端な位置で押し押されしていては立っているのも大変だったかも。森高さんの全身は見えませんでしたし、いつものようにノリノリではしゃぐことはできませんでしたが、控えながらも現状での最善にはライブを堪能できたと思っています。上記のように24年前のライブは知りませんが、今回のライブの上質だったことは判ります。復活当時より更に動きは良くなっていますし、声もよく出るようになっています。年齢を経ても新しい挑戦をする勇気・意欲と「現状維持」ではなく、若い頃を超える勢いでのパフォーマンスに感嘆しかありません。24年前も参戦していた某氏「100%は望めない、80%で良いと思っていたら150%のパフォーマンスを見せられた!」と感動していました。まさにその通りだったのでしょう。アイドルを超えたアイドルロッカー森高千里の本領発揮したライブイベントでした。ライブ終了後には(終了時間が遅かったので)宿泊組を中心にファン10名で居酒屋打ち上げをしました。ホテルに戻ったのは深夜2時近くでした。体調不良でやるこっちぁない。(笑)

写真は森高さんモノマネ芸人でファン仲間でもあるナナちゃん。TV「ボンビーガール」で一躍有名になりました。ついでにお台場ガンダムの写真も。

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ライブ翌日は上野・都美術館での「版画展」を観て帰りました。渋谷での展示会も観たかったのですが、体調を考慮、チェックアウトぎりぎりまでホテルで休養してスケジュールを絞りました。

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日本版画協会主催の第85回記念版画展です。友人の多摩美大教授丸山浩司氏が版画協会会員でチケットを手配して頂きました。最初の画像が版画協会賞受賞作品ですが、反射で私と背景が写り込んでしまってよく判りませんね。面白い作品でしたが。

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撮影禁止で無いのが嬉しいですね。ただ、ガラスが反射して上手く撮れません。

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日中現代版画交流展も同時開催でしたが、気に入った作品がほとんどありません。こと版画に関しては、日本の方が数段レベルが上のように感じています。これは世界的にも、なのだと思っています。もっともその最上級は北斎・歌麿・写楽・広重でしょうが。中国作品で個人的に目を引いたのは下の1点のみです。日本作品は、だいぶ絞っています。

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友人の丸山教授の作品、同じくコレクションしている国画会会員、若い頃からの知人角田元美氏の出品作も写してきました。最後の部屋で版画小品を販売していて、1点買い求めました。1万円で。堀江良一という名古屋出身の版画家さんです。もちろん購入作ではありませんが、堀江氏の出品作も載せておきます。販売コーナーに行く前に写したものですので、元々気になっていた作家ということです。出していないのか売れたのかは判りませんが、丸山・角田両氏の作品は販売コーナーにはありませんでした。

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この後、東京では観たい展示会が目白押しです。また近々、今度は万全の体調で上京したいものです。

2017年8月15日 (火)

この1週間

この1週間、結構出歩いています。まずは8日(火)、東京に相撲を見に行っていました。夏巡業です。一般的には”地方巡業”とも呼ばれますが、今回は都心・渋谷での巡業です。都心で巡業の行われるのは異例(初めて?)ですが、どうやら元横綱旭富士と貴乃花巡業部長のアイデアらしい。しかも会場は母校体育館、「大相撲渋谷青山学院場所」です。青学は大学としては以前から、こういったアルバイト的副収入事業に熱心な一面がありました。体育館(青山学院記念館)はバスケBリーグの”サンロッカーズ渋谷”のホーム球場にもなっています。大相撲も1度行ってみたいとは思っていたのですが、今は人気で発売即完売状態のようです。地方巡業ではだいぶ以前、地元足利での場所で見に行ったことがあります。その時、「本気の勝負では無い」相撲に、「巡業場所はもういいや」との思いがありましたが、会場が会場でもあり、今回の行動になりました。

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開館は9時でしたがゆっくりの出発でしたので到着は12時半頃、でもこれで丁度良かったかも知れません。幕下の取り組みの始まるところでした。席も狭い(2階椅子席でした)ですので、稽古とか子供相撲とかのアトラクションから見ていたら疲れます。ま、一緒に行った家内はこれでも十分に「疲れた」ようですが。写真は十両取組前に披露された相撲甚句。

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序二段の取り組みはすでに終了していましたが、全部の力士が出場しているわけではなく、足利市出身の斎藤はお休みでした。同じくお目当ての栃木(小山)出身の貴乃花部屋所属幕下、期待の双子力士貴公俊・貴源治の取り組みは見ることができました。写真は貴公俊(兄)です。

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弟、貴源治は元横綱北の富士も名を挙げるくらいに注目されている若手力士です。ひと場所だけ務めた十両では負け越し、現在は幕下ですが、今回は十両最初の取り組みに配されていました。十両土俵入りと貴源治の取り組み。

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幕内土俵入りでは赤ちゃんを抱いた力士も。取り組み前の握手会や子供相撲に参加したお子さん達だと思われます。本場所では見られない和やかな風景です。

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横綱は稀勢の里と鶴竜が休場、白鵬と日馬富士の2横綱になります。

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椅子が狭く疲れましたが、距離もほどほどで良く見え楽しめました。以前は「本気の勝負で無い」と不満だった部分も、こちらが歳を重ねたせいか「巡業で怪我して本場所に影響があっては本末転倒」と寛大になってます。大学理事長の挨拶では「毎年開催」を目指すようなことをおっしゃってました。毎年は兎も角、立地が良いのですから安定した観客動員も可能、恒例開催も不可能ではない気がします。

10日(木)はゴルフでした。会場はゴールド佐野カントリー倶楽部、10数年前50歳を過ぎて始めたゴルフのデビューコースでした。その1週間前から打ちっ放しに通い始め、いきなりコンペ(それも参加50名規模の)参加した無謀な行動、スコアは確か「189」もちろん断トツの最下位です。その後も何回かプレーしていますがアップダウンの少ない綺麗なコースです。池が多く、未だ100を切った経験がありません。

今回のメンバーは集まって定期的にプレーしている仲良しオジン4人組。元々は取引銀行の異業種交流会で知り合いました。私自身は3年半前に事業を閉じてしまっていますが、他3人は今でも現役で活躍しています。社会的環境の変わってしまった後でも交際を続けて頂いています。ありがたいことです。会社を閉めて初めて、社会との繋がりの途絶える不安感を感じました。名刺を持たないことも不便。つい先日、個人名刺(携帯番号、メルアド、Facebook、ブログアドレスを記載)を作りました。前回(5月)から、スコアやオリンピック・罰金・会費等を集めプール、何回か先のお泊りゴルフ資金にしようと貯金を始めています。5回も続ければ宿泊費位にはなるでしょう。それも楽しみです。

さてゴルフ当日、事前予報は”晴れて暑い1日”でしたが前日辺りから予報が曇りに、当日朝はミストシャワー的な涼しい小雨模様の中でのスタートでした。午後多少は蒸したものの、概して快適なゴルフ日和でした。スコアは「51」「51」の平和賞「102」、100切りは成りませんでしたがこのコースでのベストタイ、また初めて池ポチャ無しOB無しで周れました。フェアウェイキープ率も64.3%と高率でした。まずまずでしょう。このメンバーでの次回ゴルフは11月と決まりました。

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翌11日(金・祝)はラグビー観戦です。熊谷スポーツ公園陸上競技場でのパナソニックワイルドナイツvs.ハイランダース(NZ)の一戦です。熊谷ラグビー場は2019年のW杯に向けて現在工事中です。https://matome.naver.jp/odai/2144627206965682401 写真は完成イメージ図。

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ハイランダースはニュージーランドの名門チーム、スーパーリーグに所属、優勝経験もある強豪チームです。ワイルドナイツの田中史朗選手が所属(2013~2016)していた時期もあります。そういった縁での来日なのでしょう。当初「まともな試合になるのだろうか?ぼろ負けじゃいやだなぁ」と思っていたのですが、試合開始直後に先制されたものの、中盤に逆転、後半は終始ワイルドナイツペースで試合が展開されました。最終結果は22対7での圧勝でした。日本のレベルも上がっているのでしょうが、ハイランダースは”若手主体”でのチーム編成、要するに2軍レベルだったようです。終盤は少々面白みに欠ける試合にはなってしまいましたが、2軍とはいえスーパーリーグ強豪チームに、日本のトップリーグチームが単独で対戦できること自体、時代が変わりつつあることを感じさせます。2勝に終わったスーパーリーグのサンウルブスにも、次シーズンでの活躍を期待したいと思います。 https://panasonic.co.jp/sports/rugby/info/2017/170522102800002.html https://sunwolves.or.jp/

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この1週間、次の行事は絵の展覧会です。学生時代に東京で、数大学(青山・芝浦工大・上智・共立・聖心・東工大・早稲田等)の美術部員を誘って絵の会を作りました。その会が今も続いています。元々「卒業しても将来に渡って絵を描き続ける」ことを目標に立ち上げた会です。40年超続いているのですから、その意味では目標に沿った、そしてこれからが”本番”とも言える会なのだと思います。展覧会は今回で44回を数えます。(当初、年2回開催した年もあり) 青山学院からは、美術部長だった男と副部長だった私との2名の参加(設立メンバー)だったのですが、その2人ともが郷里に戻ったこともあり、長らく半幽霊会員状態でした。会費は払い続けていましたし、たまに例会、また出品はしないものの展覧会にも出かけたり、細々とではありますが繋がりは保っていました。その甲斐もあり、意図せず2人とも同時に(打ち合わせたわけでもなく)今回同時に復活出品となりました。東京で幹事役として会の運営を続けていてくれたメンバーに感謝!です。メンバーもだいぶ変わりましたが、残っていた創設時メンバーには大変歓迎され喜んで貰いました。今後は積極的に参加させて頂きたいと思っています。

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今回出品させて頂いたのはパステル画2点です。(6号サイズ) 在学時代は油絵を描いていたのですが、油絵の具は使わずにいると固まってしまいます。一式新に買い揃えるのも大変ですのでパステル画にしました。パステルは全く初めてです。市の広報でたまたま目にした「パステル画教室」募集案内を見たのが切欠でした。前々から「いつかまた描き始めよう」とは思っていたのですが、思っているだけでは「いつか」は永遠に訪れません。1人で描き始めるより、パステル画教室参加が背を押してくれるように思いました。

以前、クレパスで描いた時期はありました。同じように考えていたのですが始めてみると大違いでした。色の載りが異なり思うようになりません。自在にならない不自由さから、タッチも色合いも以前とは違ってしまい、画風がすっかり変わってしまいました。自分でも不自然に感じるくらいにおとなしい作品です。以前の作品を知っている仲間たちも同じよう感じたようです。12日に搬入で上京、大学時代の美術部の仲間、東京在住の高校同期も訪れてくれました。わざわざありがとうございます。また、クッキー・煎餅・お酒等、お気遣いありがとうございます。18日・19日にまた上京在廊します。(18日は夕方から)

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ちなみに昔はこんな作品を描いてました。油絵です。画材に慣れればまた変わってくるかも知れませんが、年齢的なものもあるでしょうから昔に戻ることもないでしょう。感覚も保守的になってるでしょうから。それでもその内、油絵も描き始めたいですね。

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この1週間行事、実はもうひとつありました。”新盆”です。昨年10月に父が他界、施主として葬儀を取り仕切りました。もちろん初めての体験です。外からは見ていたはずなのですが、いざ自分でということになると何も判りません。ただ今では、葬儀屋さんが色々教えてくれますし(料金は発生しますが)手筈も整えて貰えます。随分と助かりました。10日に自宅に新盆棚を設置、13日にお寺に参って迎え盆、昨日14日には和尚さんが自宅を訪れ新盆棚経、16日は送り盆でお寺に、施餓鬼大法要に参列の上卒塔婆を頂いてお参りしてきます。17日には渡良瀬川にて灯籠流しもあります。こちらは少々お天気が心配ですが。

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