2024年6月 5日 (水)

最近読んだ本『風に舞い~』『モンテレッ~』『松野大社展』

風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年(2021年第14刷・2006年文藝春秋社)Image_20240502_0001

 

 初めて読む作家、だと思って読み始めたのですが、3年前に『みかづき』という作品を読んでいました。すっかり忘れていました。 

6作の短編から成る1冊です。第135回直木賞受賞作。スタートは児童文学で、本作は一般文芸に進んだ初期の作品になるらしい。そのせいかどうかは知りませんが、6作それぞれ色合いが異なります。別々に読んだら同じ作家の作品とは思わなかったかも知れません。解説の藤田香織も「とても驚いたのが収められている6つの物語そのものの質感の違い」と、同じように感じたようです。 

1作目の『器を探して』はイマドキ感のある作品です。『ジェネレーションX』は都合の良過ぎるストーリー展開ですが小説らしい楽しさはある。表題作『風に舞いあがるビニールシート』は世界の現実を知らしめるシビアな作品。直木賞と芥川賞の差異の小さくなっている昨今ですが、その両側を行き来する作品集に感じました。

 

 

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子 文春文庫 2021年(2018年方丈社)Image_20240502_0002

 

 本屋で見て気になってたまたま購入した本です。嘗てイタリアに「本の行商」との職種のあったこと、それが都会ではなくトスカーナの山奥の小さな村だったこと、興味をそそられました。 

外国人として初めての「露天商賞」受賞作品です。「イタリアの本屋大賞」との説明に一瞬躊躇しました。日本での本屋大賞受賞作・候補作はまず買いません。本を娯楽として考えていませんので、「本屋大賞」と聞くと娯楽性重視の本と捉えてしまいます。誤解かも知れませんが。同様に映画化・ドラマ化との一文も購入を避ける要因となっています。 

「露天商賞・金の籠賞」との賞、元々賞の根源が異なるのか?それとも賞の発祥に直接関わるテーマなので特別に選ばれたのか?判りませんが、少なくとも日本の「本屋大賞」には絶対に選ばれないであろう、娯楽性の少ない作品でした。 

私が本屋の本棚でたまたま選んだ時のイメージともかなり異なりました。エッセイ的、緩やかでロマンのある、読み易く楽しい作品をイメージしていました。実際にはかなり生真面目なノンフィクションです。山奥にある交通不便な寒村を何度も訪れ、周辺の街・村、本屋行商に関連する本屋を訪ねたり、研究的調査を重ねた上で書かれています。予想した気楽なエッセイではありませんでしたが、反面読み応えのある作品ではありました。

 

 

『松野大社展』みやこの西の守護神 京都府京都文化博物館 2024年Image_20240604_0001

 

 現在開催されている(6月23日まで)展示会の図録です。図録を端から端まで読んだのはおそらく初めてです。ほとんどは絵画展ですので、通常は作品の写真を眺めて所々拾い読みするだけです。高価な図録を勿体ないと、たまには思います。( ´艸`)

それでも絵の展示ですとそれなりの満足感も得られます。しかし今回は展示品の大部分は「書」で、それも美的書道ではなく城湯としての「書」です。眺めていても何も判りません。読むことも出来ませんし読んでも意味を解せません。。巻末の「作品解説」を読んでようやくその1部を理解できる程度です。

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何故そんな展示を観た、図録を買ったのかと言えば、実は所属する通信美大での講義が絡んでいるせいです。来週末に京都で講義を受け、後日リポートを転出しなければなりません。 

読んでいて眠くなるページも多い図録ですが、興味深い面も無いでもありません。神社の歴史・行事・祭事仕様の他に、多いのは陳情文的な文章です。京都でも高位に位置する神社で荘園から上がる年貢で祭祀を執り行いますが、その年貢が騒乱や時代変遷で届かなくなり、その解決を時の権力者に願う上訴文です。訴願先は時代で変わります。朝廷から鎌倉幕府・足利幕府へ、そして信長・秀吉に。その効果も時代で変わり、武士の世には多くの荘園が有名無実となります。そういった時代変遷を物語る文章の展示会でした。 

NHK大河ドラマファンには懐かしい名も出てきました。「梶原景時」です。ドラマでは中村獅童が演じていました。丹波国雀部荘での荘園代官を務めていた景時、その失脚後の新たな地頭で未払いが続いたそうです。ドラマとは言え知った名が登場すると一挙に興味が深まりますね。

2024年3月10日 (日)

最近読んだ本『青い小~』『孔丘』

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社文庫 1980年第8刷(1973年第1刷、1956年新潮社)20240220_125335

 

 『白い人』『黄色い人』の前年に発表された初の長編小説とのこと。1950年戦後初の留学生として渡仏、その時の経験をもとに書かれたらしい。現地でのアジア人への偏見と差別、敗戦国ドイツ人に対する嫌悪、そして戦中のレジスタンス活動裏側での暗黒面、何処までが実際の話しなのかは判りません。

 本棚から取り出した44年前の本、結婚前の家内が買った本です。最近は読書量の減っている家内ですが、若い頃は読書家でした。1980年は結婚の年、式は12月でしたので結婚間近の時期に読んだのでしょう。結婚前は2年ほど、東京と宮城とで離れて暮らしていました。まだ東北新幹線の無かった時代です。本の内容よりも、当時どのような気持ちでこの本を読んでいたのか?歳月を遡る気持ちになります。

 読書傾向、重なる部分もあるのですが、やはり選択する作家・作品には違いも結構あります。遠藤周作は家内の買ったものの方が多い。吉行淳之介・水上勉は2人共に読んでいるのですがやはり家内本の方がやや多いかも知れません。源氏鶏太・林真理子・田辺聖子はすべて家内の買ったもの。反対に司馬遼太郎など歴史ものはすべて私の方です。時には本棚から、私未読の家内本を読んでみるのも良いかも。家内再発見もあるかも知れません。

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『孔丘』宮城谷昌光 文春文庫上下巻 2023年(2020年文藝春秋社)20240228_213346

  

孔子24歳、物語は母の死から始まっています。「孔丘」は孔子の本名、偉人伝では無く、放浪し苦悩したひとりの人間として描こうとの作者の意図するところが見えます。「激し易い」、時には高弟からも不安視される、そしてあまりに理想を求め過ぎる孔丘。それでいて泰然自若とした悟り切った哲人の姿ではなく、晩年には「天」にすべてを委ねた意思無き姿をも現します。

「礼」とは元々は葬儀・葬送の手順・仕来りを意味するものだったとか。「儒者」は謂わば「葬儀屋」でした。ただ、古来の型通りに葬儀を執り行うことは貴人には欠かせない重要事で、決して卑しい身分ではありません。特殊技能者、といったところでしょうか。その「礼」を、葬礼を超えて政治・外交に、そして人が生きて行く意味合いを示す「哲学」へと昇華して行きます。後世人の世に描かれる「礼」のイメージ・規範は孔丘の創り出したものでした。

孔丘の人生を描くことは想像以上に難しかったようです。著者は50代・60代で「無理だ」と諦め、70過ぎて「死ぬまで書けない」と腹を括って書き始めたそうです。『論語』には時系列が無く、残した言葉が「何時何処で発せられたか」を確定すること自体が難しいとか。著者の苦労の垣間見える作品です。

宮城谷昌光は以前(15~20年位昔?)かなり嵌った時期があります。時代もの自体読む機会が減っています。久々に読むとやはり面白いですね。少し置いてになるでしょうが、また何か読んでみたいと思っています。

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2023年10月19日 (木)

最近読んだ本『青春~』『旅だから~』『ひとたびは~』

『青春ピカソ』岡本太郎 新潮文庫 2000年(2020年14刷・1953年新潮社)20231010_091417

 

 画家・岡本太郎は「芸術は~‼」とか変人ぶってはいましたが、どうもあれは自己演出だったらしい。芸術論と言える著作も多数ある。本書は巨匠・ピカソの関して書いた本ではありますが、寧ろ岡本自身の絵画・芸術との出会い、そしてピカソにピカソの作品に相対しての自身の姿勢、芸術的変容を書き記した、エッセイであり自伝でもあるように感じました。人生に2度だけ「絵画作品の前で泣いた」それはセザンヌとピカソだったそうです。

 岡本は、ピカソを大家として奉ることを否定します。ピカソを「乗り越える」ことが芸術の未来であり自身の目標であると。しかしその実、彼のピカソに対する尊敬と敬愛の情は文章のあちこちに散見されます。ピカソの偉大さを認めながら、師として(もちろんその意識もあるでしょうが、)よりは「ライバル」として、偉大なる障壁として最大の愛情を持って敵視する、そんな関係性なのでしょう。

 本書は1953年に出版された本の文庫化です。70年前、私の生まれた年です。「昭和」イメージの強い作家ですが、実は大正生まれでした。昨年、東京都美術館での「展覧会 岡本太郎」の写真も少し載せておきます。

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『旅だから出逢えた言葉』伊集院 静 小学館文庫2017年(2021年第2刷・2013年小学館)20231010_091417

 

 伊集院静の小説はまだ読んだことがありません。『美の旅人 フランス編』文庫本三巻を読んでいます。その印象(が良くて)で買った本です。おそらく、『美の旅人』シリーズで旅した時に「出逢った言葉」も含まれているのでしょう。旅エッセイとしては悪くないと思います。ただ特に心に刻まれるエピソードがあるわけでもありませんし、「出逢えた言葉」に感銘を受けたわけでもありません。「旅だから」の言葉通り、その時その瞬間にその場所で「出逢えた」故に価値のあった言葉なのでしょう。第三者として傍観する読者には、その感慨は伝わり辛い。特に「言葉」に拘ることなく、旅エッセイとして読んで過不足ない本だと思います。

 特別な感銘は無かったけれど、未読の『美の旅人 スペイン編』を読んでみたくなりました。

  

 

『ひとたびはポプラに臥す1』宮本 輝 集英社文庫 2022年(1997年講談社)20231010_091523

 

 宮本輝の小説は未読、このの本が初めての出会いです。人気のある作家だと聞き、「シルクロード」という言葉に惹かれ手に取りました。昔読んだ井上靖の「敦煌」、佐藤浩市主演での映画もありました。太古の歴史に潜むロマンとエトランジェ的哀愁に浸る旅エッセイ、そんなものを期待して読み始めました。

 ところがドッコイ、全くもってそんな期待はたちどころに粉砕されました。グルメもエトランジェも哀切に満ちた人との出会いも、もぉな~~んもありません。旅エッセイを読んで「こんな所行きたくない!」と思ったのは初めてかも。灼熱と不衛生、文化革命的官僚腐敗、読み続けるのも辛くなるような苦行旅でした。下痢と賄賂と悪路、20年心に抱いていたという作者待望の旅なのだけれど、等の宮本輝氏はいったいどう感じたのか失望と満足と。

気楽に買ってしまって読み始めて暫くして気付きました。「1」だったのだと。全3巻あるとは知りませんでした。第1巻で距離的には半分に近い距離を進んでいます。残り2巻で2/3と言うことは、この先は更に厳しい難路がトラブルが待っているということなのか? 気が重くなって迷います。しかし旅の終わりでの作者の感慨も知りたい。ん~読むか…、少し間を置いて考えよう…。

2023年4月13日 (木)

「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」

今年3回目の映画館、「エブエブ」こと「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」題名を憶えるのが大変、を観てきました。ユナイテッドシネマ足利での最終日、平日の朝9時の回ですが貸し切りでした。普段でも一桁観客鑑賞が普通なのでそう珍しくもないのですが。
アカデミー賞作品賞など、そしてミシェル・ヨーがアジア人女性として初の主演女優賞を得た作品、これは見逃せないと地元での最終回に駆け付けました。特にファンと言うわけではありませんが、ミシェル・ヨーは「グリーン・ディストゥニー」「SAYURI」などを観ています。主演女優賞は納得できます。しかし作品賞を受賞するほどの作品なのか?は疑問。途中3回ほど欠伸を催し「3時間越え?」と思ったら2時間20分の映画でした。長く感じました。
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無意味なドタバタ喜劇が嫌い、アクション主体の作品も好きじゃない、そんな私には合わない作品でした。新しいジャンル開拓の意気込みは感じます。しかしそれだけ。結末はそれなりでしたが、そこに持って行く過程が面倒。同じようなアクションシーンが長過ぎます。ヒットした「マトリックス」や「ハリポタ」でも退屈する私ですので、少数派なのかも知れません。ハリウッド系のアクション映画は、アクションを見せること自体が主体となる傾向があります。そこが合わないのかも。韓国映画の、必然性のあるアクションは嫌いじゃない。

2022年9月21日 (水)

最近読んだ本『~パリの~』『親王殿下~』『ローマ人~』

物語 パリの歴史』福井憲彦 中公新書2021年20220822_204828

 

 

パリは、カエサルによってガリア統治の前線基地として造られた街です。2000年を超える歴史を持つそうです。しかし欧州を代表する都市として輝くのは、やはり中世の絶対王政時代からでしょう。特徴的なのは、ドーバー海峡を隔てたライバル・ロンドンが産業革命・機械革命によって産業・工業の近代都市としてして発展したのに対し、文化・芸術の都として栄えた点でしょう。混乱のフランス革命期でも、革命指導者も王宮の美術品を守りました。 

日本での維新期、偏った西洋化は「廃仏毀釈」による文化財の破壊・散逸を招きました。そしてそれを止めたのは外国人・フェノロサでした。そしてその動きは反面、西洋絵画への反感を生み出してしまいます。フェノロサ・天心の守ろうとしたのはナショナリズム的な「日本文化」でした。その点フランスでは、革命期に王宮美術品を守ったのはフランス人であり、国を超えた美術文化全体でした。階層を超えて美術文化に対する意識が高かったようです。 

当書では、18世紀後半から20世紀にかけてのパリが中心的に描かれています。レストラン・カフェ・ブラッスリー・ブティック・デパート、食もファッションも、パリで生み出され繁栄した部門は少なくありません。新婚旅行で訪れたパリ、40周年を記念しての再訪を考えたのですがコロナにて成らず、行ける日は来るのだろうか? 

 

 

『親王殿下のパティシエール 4』篠原悠希 ハルキ文庫 2021年20220907_142349

 

 

ライト系はほとんど読みませんので「ハルキ文庫」は無縁に近いのですが、なぜかこれだけは4巻まで来ました。「パティシエール」と「中国」という興味を持つ2つの言葉の融合に誘われて読み出しました。読み出すと途中で終われない程度の後引きのある作品です。因みに私は、東京製菓学校出の元パティシエです。 

今回は隨園老人とその甥っ子の厨師という新キャラクターが登場、都合の良い偶然が重なってマリーとの因縁を結びます。リアル小説でしたら突っ込み処です。そして最後には占い師の予言に関わる?かも知れない親王も登場、次号に興味を繋ぎます。永璘皇子の絵画禁止に関わりのありそうな画家カスティリヨーネに関しては謎が解けませんが、僅かの進展も見えます。幸運な偶然を重ねた安易なストーリーではありますが、史実に沿っての展開もあり、フランス革命を逃れたパティシエールと清宮廷厨房、仏中スイーツ融合など、読者の興味を繋ぐ工夫が見られます。史実も丁寧に調べたのでしょう。

5巻は購入済みですが、もうすでに6巻も発売されています。あまり離されないようにしなければ。 

 

 

『ローマ人の物語32 迷走する帝国(上)』塩野七生 新潮文庫 2008年初版 2019年第7刷20220921_092639

 

 

多分もう、5年は読み続けているように思います。緩やかに、でも今よりは速いペースで読み始め、カエサル前後は面白くて速まりました。そして今は、だいぶ地味になった物語を急がずゆっくり読み続けています。決して飽きたわけではありません。 

元々本を読むペースはかなりゆっくりです。しかも常に4~5冊は併読しています。じっくり何時間も読むことは滅多になく、ちょっとした空き時間にぶつ切りで読みます。1番集中するのは上京時での電車内です。夜就寝前にもページを開きますが、歳取ったせいかすぐ眠くなって5ページも読めません。 

現在の併読本『平安京遷都』『凛』『絵画の政治学』『朝鮮半島史』、他に美大教科書も読まなければなりませんし、『古寺行こう』や展覧会図録も拾い読みします。結局単品1冊の読破には、とんでもなく時間がかかっています。若い頃のように「面白くて一気読み」との経験はなくなっています。

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ということで表題の『ローマ人の物語32』ですが、『~31』から少し空いてしまいましたので巻数記憶に自信がなく、読み始めてすぐに読み終わった巻だと気付きましたがそのまま読み切りました。短命皇帝が続きますので、2度読みしても記憶には留まらないでしょう。それでも時代変遷は理解できます。

2021年6月29日 (火)

最近読んだ本「蒼き狼の~」「みかづき」「ソクラテス~」

「蒼き狼の血脈」小前 亮 文春文庫41umrtibll

 

この作者の作品は、「宋の太祖 超匡胤」と「中国皇帝伝」とを講談社文庫で読んでいます。共に記憶は薄いので、今回の作品が1番面白かったようですね。

 

“蒼き狼”チンギス・カンの孫、ジュチ・ウルス(キプチャク汗国)を作り上げたバトゥ(ジュチの次男)を主人公とした物語です。どこら辺まで史実に忠実なのかは判りません。一般知名度の薄い、あまり描かれたことのないバトゥですので、創作自由度は高かったのでしょう、活き活きと描かれています。クリルタイの裏側、興味深かったですが「ホントにここまで?」とかも思ってしまいました。西洋的な視線では、モンゴルもイスラム諸国も、(映画などでは)蛮族的な扱いで描かれることが多かったですが、その偏向を改めて知ることのできる作品でもあります。バトゥ的には、欧州諸国は「文化的に遅れている」感覚なのが面白い。確かにこの時代、文化的先進地域は中国・オリエント地域だったのでしょう。

 

ルーシ国の王女アガフィアとのロマンスは中途半端に感じました。

 

 

みかづき」森 絵都 集英社文庫41ye3fl0f7l_sx343_bo1204203200_

 

初めて読んだ作家です。感想は・・・なんと言っていいか言葉が見つからない、言い表すことが難しい・・・。面白くなかったわけではないけれど、夢中になって読み進んだわけでもない。とてもよく調べてあって、その時代をよく描いています。構成も流れも組み立て良く、三世代に亘って教育に関わる一家、そしてそのそれぞれが異なる関わり方をしている。時代環境で異なる教育の姿、それを描くことが1番のテーマなのでしょう。

 

しかし何故か、深くは入り込めませんでしたし感動もしませんでした。よくは判りませんが、主人公各々が少し画一的で定型的、複数の人生を描こうとして焦点がぼけた部分もあったのかも知れません。最後世代の一郎が一番人間臭く描かれていた気がするのですが、重点としては軽く、締めにまではなっていません。ちょっとテーマを欲張り過ぎたのかも知れません。

 

主人公のひとり蕗子は、私とほぼ同年代(1歳下?)です。北関東の某県生まれですので、塾のできたのは八千代台より少し後ですが、生活に不自由のない商家の生まれですので、小学生低学年から習い事に通わされました。習字・絵画・算盤、3年生位からは算数、5年からは英語の塾。塾と言っても学校の先生副業の個人塾でした。(大っぴらにはできない、黙認?) 塾に通うなどという生徒はクラスに数人程度だったと思います。中学からは旺文社全国模試とかもありました。中卒就職組もまだ居た時代でした。

 

 

「ソクラテスの弁明」プラトン 納富信留 訳 光文社古典新訳文庫Img_20210608_140439

 

中学生時代以来の再読、2012年初版の2020年10刷だから、昔読んだのとは訳者が異なるのでしょう。

 

単純な感想、ソクラテスって嫌味な奴だったんだな~、と。なんせ世間に「知者」と言われる人々を訪ねて、質問して反駁して再質問して「あんたは知者じゃない」と知らしめるンだから。いくら真実を求める道とは言え、公衆の面前で恥かかされた当事者には、そりゃぁ恨まれるわな。

 

とは言え、それで恨まれて裁判に持ち込まれて死刑判決とは、それも酷過ぎます。アテナイの民主制も腐敗してた時期、所謂”衆愚政治”ですね。勿論、「恥かかされたから」じゃ訴訟理由になりません。告訴状は「ソクラテスは、ポリスの信じる神々を信ぜず、別の新奇な神霊のようなものを導入することのゆえに、不正を犯している。また、若者を堕落させることのゆえに、不正を犯している」だったそうな。

 

プラトンは最初の大学(研究施設)「アカデメイア」を創ったのですがそれは、師の災厄を見て公衆の前で論議する危険を回避するために、それ専用の閉鎖空間の必要を感じたのも理由らしい。哲学って面倒で危険。調子に乗って「饗宴」も買って来ちゃいました。

2020年12月14日 (月)

最近読んだ本 「森崎書店~」「フランス人は~」「泣き虫弱虫~」

「森崎書店の日々」小学館文庫 八木沢里志51oeyrueubl

 

 

「ちよだ文学賞」受賞、映画化された作品だそうです。書店で本を選ぶ時、原則として「映画化」原作は買わないことにしています。娯楽性重視で「ただ単に面白いだけ」「内容が薄い」「虚構が過ぎる」とかの印象があるので。偏見かも知れませんが、数少ない経験からの(↑イメージの映画作品は滅多に観ないので)偏見です。(笑) 

ただ今回の選択は「出版社から」選びました。本屋に出かけた時ふと、小学館文庫の棚に嘗て読んで印象の良かった作品が目立って、「出版社選択もあり?」と思ったからです。社方針や編集者の好みでもあるでしょうから、読者との相性はあるかも知れません。逆にほとんど買わない(好みに合いそうな作品が少ない)出版社もあります。あと、主演が内藤剛志だったことも影響したかも。

作品は、恋と仕事をいち時に失った女性の、落胆と再生のお話です。そこに神田の古書店が絡んできます。映画で内藤剛志が演じた“サトル”の生き方と「読書」がメインテーマです。まずます面白い(娯楽的では無い意味で)ですが、それまで本を読まなかった若い女性が、いきなり本にのめり込むことがあるのか?しかもそれが室生犀星ってのがありうるのかなぁ?とちょっと疑問。しかし反面、何か悩みのある時、壁にぶつかった時こそ、読書の意味を知る良い機会でもあるのだとも思います。出逢い、タイミングですね。

受験生・浪人生時代、よく神保町古書店街をぶらつきました。買うことはあまりなかったのですが、美術雑誌や歴史もの浮世絵とか見て歩くのは楽しかった。今の時代、経営は当時より更に厳しいと思うのですが、書店数はどうなのだろう?やはり減っているのでしょうか? 大学生になってからは、神田はスキー屋さん巡りの街に変わりました。そう言えば室生犀星の「或る少女の死まで」、読んでなかったなぁ。

 

 

フランス人は『老い』を愛する」文響社 賀来弓月51gsl5tjel_sy346_

 

 

題名に興味を感じて買いましたが期待した本とは違いました。フランス的なエスプリに満ちた洒落た内容を想像していましたが、実際は教会の説教みたいな文章です。著者は外務省の元外交官、インド在任中に現地の修道院でのボランティアを始め、退職後は毎年2ヶ月間フランスの修道院付属の老人ホームでボランティア介護と、尊敬に値する活動をされていた方です。生真面目な人物なのでしょう。日本的に。フランスの諺や詩人・作家・哲学者、また現地で知り合ったフランス人から投げかけられた言葉など、の羅列で、具体的な日常や行動の記載も少なく、額に書かれた文言みたいであまり身に沁みません。ご本人には、ひとつひとつが現地で得て感動した言葉なのでしょうが、その背景が見えてきません。フランス人が書いたものでしたら、きっとまた異なったのでしょう。中盤からは義務的に、一応最後まで読みました。

 

 

「泣き虫弱虫諸葛孔明」酒見賢一 文春文庫41jycfgo4il

 

 

三国志は定番の吉川を始まりに陳・宮城谷・伴野・安能等、それなりに読んでいます。そこで目に付いたのがこの作品、酒見賢一は「墨攻」が面白かったので即決で買いました。中断して発刊を待った文庫本第伍部の出たのが今年8月、そのまま寝かしてしまったので読了まで通算で1年以上かかってしまいました。遅読の上に複数冊並行して読む私の場合、長編では珍しくもないのですが。

読み始め、かなりの違和感がありました。無理やり軟派的・お笑い的・個性的に描こうとの作為が見え過ぎています。ギャグも低俗で低次元、「お前のかあちゃん出~べ~そ!」的な幼児ギャグも多い。そのくせメインストーリーは定番路線からは大きくは外れず、“新説・真説”というほどのものは少ない。徐々に大人しく普通の三国志に落ち着いて行きますが、「それじゃ恥ずかしい」とばかりに「変態」とかの言葉は処々に使います。単なる奇策で少しも“変態”じゃない。もはや意地で“異色作”を飾ろうとしているだけに見えます。まだ観ていないのですが、大泉洋の「新解釈 三国志」の方が“新説”は多いように思ってしまう。ドタバタお笑いの嫌いでない方(私は嫌い)にはそれなりに楽しめるかも知れませんし、私にも、違和感はあっても別につまらなかったわけではありません。それでも、今まで読んだ「三国志」の中では最下位を争うレベルです。

2020年11月16日 (月)

最近読んだ本「現代アート~」「アノニム」

「現代アートをたのしむ」 原田マハ 高橋瑞木 祥伝社新書Img_20201112_204637

 

お馴染み原田マハと、仲良しらしい、香港CHATエグゼクティブディレクター兼チーフキュレーターの高橋瑞木の共著。一般に取っ付き難いと言われる現代アートを紹介、その「距離を縮める」現代アートガイダンス。なるほどマハらしい、判り易い解説書だとは思いますが、さすが初めて聞くアーティスト名も多く、作品を観たことのない作家も。その点「ゴッホのあしあと」「いちまいの絵」のようにはすんなりと頭に入ってきません。即座に2度読みしました。50年前の高校生時代から草間彌生の存在は知っていましたし、ウォーホルやデュシャン、リキテンシュタインには胸躍る想いもあり、比較的現代美術に接してきた、と自負していた私も自信過剰だったと反省しました。「印象派は好きだけど現代美術は・・・・」との方々には、これ1冊で理解するのは難しいと思います。それでも、興味を抱く出発点としてはよくできた本だと思います。

「現代アート」は「コンテンポラリー・アート」の訳です。つまりは「同時代の~」という意味。ダヴィンチは500年前の、ゴッホは100年前の「現代アート」を描いていたわけです。ゴッホは生前認められなかったわけですが、現代人は「何故だろう?」と疑問に感じる。しかしその現代人も、同時代のアートには首を傾げます。同じなんですね。人間”過去”は見える、しかし身を置く”現代”は見える部分が多過ぎて俯瞰できない、余計なこまごまとしたものまで見てしまうので要約できません。しかし客観的に理解できなくても”感じる”部分はあるはずです。

時代のアーティスト達は「絵とは何か?」という命題に常に悩まされてきました。写真機の現れた時期の印象派の画家達にとっては特に。ピカソは「アヴィニョンの娘たち」を描くことで「綺麗・美しい」という概念にも疑問を呈しました。私も時に考えます、美しい女性を描いた絵、可愛らしい子供を描いた絵、その作品の価値は、描かれた女性・可愛らしい子供なのか?描いた作家自身には価値があるのか?美を写すだけでは模写にしかなりません。コピーです。

印象派の画家達も、ピカソもデュシャンもポロックも「絵とか何か?」「アートとは?」との命題に立ち向かい、概念を崩し新しい世界を築き上げてきました。その破壊と創造は今も続いています。17歳の高校生時代に学校祭で「ピカソ研究」をテーマとしました。(生誕90周年でした)そしてその偉大さに初めて気付きました。と同時に不安にもなりました。同時代に生きるピカソは常に変遷し、ネットの無いその時代に「ピカソの今」を知ることはできませんでした。1973年4月、ピカソの死を知り寧ろ安心しました。「これでピカソを辿ることができる、追い付ける」と。

時代を辿り変遷・変貌する現代アート、それを展望し理解することには結構熱意と努力を要します。しかしそれは同時代に生きる故にできること。私たち達は皆、今の時代のアートの目撃者・検証者です。過去の偉大な画家たちの作品を鑑賞することも、もちろん意義あることです。しかし今を生きる私たちにしかできない、観られない、感じられないこともあるのだと、この本を読みながら感じました。「時代の証人に」なれると。

 

「アノニム」原田マハ 角川文庫Img_20201116_160213

 

近頃「?」な思いもありながら、それなりに嵌り込んでいる原田マハ作品、芸術系作品をメインに読んでいますので、”ジャクソン・ポロック”との名を見て迷わず買ってしまいました。高校時代に読んだ「芸術新潮」での記事だったと思います。テーマは「天才」でした。マティスの系譜を継ぐのがイヴ・クライン、ピカソを継ぐのがジャクソン・ポロックと、何方かが書いていました。高校大学時代、クラインもポロックもステラもウォーホルもヴァザルリ、サム・フランシスも、私にとっては”アイドル”でした。

そんな名を記した作品、もう序盤で失望を感じましたが、最後まで読みました。序盤の失望は「私の期待した作品では無い」、読後の感想は「酷過ぎる、凡作の域にも達していない」でした。全く呆れます。

原田マハ芸術系作品に対する私の期待は、主題となるアーティストの人生を、原田マハの感性を通して蘇らせてくれること、です。高橋瑞木との共著「現代アートをたのしむ」でも、「ともすると、あまりにも特殊な人間だと思いすぎてしまうことはあるかもしれない。~でも、ゴッホだって~私たちと違わない、同じ人間なんですよね」「『ジヴェルニーの食卓』は、まさにその視点で書いたんですよ」とあります。私が嵌った切っ掛けはまさに「ジヴェルニーの食卓」でした。そして「太陽の棘」も傑作でした。「リーチ先生」も面白かった。「モダン」「ロマンシエ」も、少し別路線ですが楽しめました。一方、「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」は、私の望む路線ではありませんでしたが、サスペンスとしては良く出来た作品だと思います。

そして今回の「アノニム」、アルコール依存症とプレッシャーの中で、自死も疑われる自動車事故で44歳の生涯を閉じた、ピカソにも比較される抽象表現画家、この興味深いアーティストの生涯に関してはほとんど描かれていません。そして”サスペンス”部分でも、観るべき場所もない駄作でした。主人公達に都合の良い条件・展開ばかりを羅列した、二流漫画家でも書きそうにない設定、すべての情報を持つスーパースター達が、失敗のしようの無いお気楽犯罪に挑む、ってか?鑑定の基準にも達しないであろう偽作を得て納得するはずもない標的者、世界的オークションに出品されて美術界住人なら誰でも作者の見当の付く作品が「作者不詳」で通用する?どれもこれもあり得ないお伽噺です。出版した出版社にも、文庫化した角川文庫にも、その姿勢を疑います。

原田マハの芸術系作品、「美しき愚か者たちのタブロー」は文庫化されれば読むつもりです。その他作品に関しては、無条件で買うことなく、ぱらぱら読みしてから注意深く判断しようと思っています。マハ離れも、そう遠いことではないかも知れません。というか、これだけの駄作を読まされながらも、まだ読む気が自身に残っていることの方が驚きです。

 

この2冊に共通しているのが”香港”です。高橋瑞木は香港「CHAT」のエグゼクティブディレクター、「現代アートを楽しむ」の中でも、最近の香港での騒ぎ(「逃亡犯条例」制定に関する)にも触れています。「アノニム」の方では、一国二制度の維持と民主化を求める学生運動が描かれています。作品の描かれた2017年段階で2020年の香港を想像するのは難しいでしょうが、その点でも、「かすかな希望を残して、運動はいったん終結した」と、作者の展望の甘かったことを示してしまいました。また、作品中で登場するメガミュージアム企画は、実際に「視覚文化美術館M+」として今年末には開館予定となっています。

2020年11月 9日 (月)

最近読んだ本「透明人間~」「紙の~」「法廷~」

「透明人間は204号室の夢を見る」奥田亜希子 集英社文庫Photo_20201109160002

 

社会適合性の薄いひとを主人公にした作品は結構多く見ます。これもそのひとつですが、どうも私にはピンときません。小川洋子の「ことり」のような真摯な誠実さは感じられませんし、「コンビニ人間」までの現代性も足りなく思えます。こういった人物は居るかも知れない、でもだから何だと言うのか、その先に何を言いたいのかがはっきり掴めません。高校生で小説家デビューした女性が2作目を書けない、ふとした切っ掛けでストーカー的に追いかけた青年との妄想、そして現実での繋がりを得て再び筆を執る。成り行きで知り合った他人を創作復帰の手掛かりとした、それだけの小説に思えます。文庫本帯に「「普通」が難しい女性の、イタくて切ない物語」とあります。イタイかも知れませんが、切なさは感じませんでした。

作者は第39回すばる文学賞を受賞しています。同じように2作目の執筆で苦労されたのでしょう。たまたま読んだ作品が凡作だった故に、却って受賞作に興味が湧きます。

 

「紙の動物園」ケン・リュウ著 古沢嘉道編・訳 ハヤカワ文庫Photo_20201109160003

「ケン・リュウ短編傑作集①」となっていますから②もあるのでしょうね。本屋でたまたま目に付いて買いました。初めてで名も知らなかった作家です。

表題「紙の動物園」には惹きこまれました。全く悲し過ぎる物語です。しかし”泣きたい時”に選ぶ作品ではありません。よく「泣ける」との評の作品がありますが、技巧的作為的な泣かせる意図が込められていそうで避けてしまいます。こちらの作品では泣きたくないのに泣かせられてしまう、「止めてくれ!泣かせるなよ」という、不本意な泣かせられ方です。ですので気持ち良い涙ではありません。辛い涙です。過去に立ち戻って涙の訳を解消したくなる物語です。しかし戻れない、辛さ・・・。ヒューゴー賞/ネピュラ賞/世界幻想文学大賞での史上初3冠作品だそうです。

他に「月へ」「結縄」「太平洋横断海底トンネル小史」「心知五行」「愛のアルゴリズム」「文字占い師」が収録されています。最初に読んだ表題作が強烈で後は薄味に感じました。「愛のアルゴリズム」はテーマに面白みを感じました。最後の「文字占い師」では「紙の~」に次ぐ真剣さがあります。終盤に結末が予想され、読み続けるのを一瞬躊躇いました。

 

「法廷通訳人」丁海玉(チョンヘオク) 角川文庫Photo_20201109160101

最初は多分新聞の書評で見たのだと、ちょっと興味を惹かれたのですが本屋で探す・注文するまでの気持ちはありませんでした。それが他の書籍を買いに出た時にたまたま目に付き、「これも出逢い」としてのついで買い、です。

「興味」は、ほとんど授業にも出ないボンクラ学生でしたが大学での専攻は一応法学でしたし、韓国好き(訪韓20回)でもありますので、自然と目に付きます。あまり読まないノンフィクション部門。

私の娘は”翻訳”を職業としています。英語がペラペラか?というと本人は「そんなことない」と言います。しかし東京外語英語科出ですので、より高レベルな話者を知っているが故の(謙遜ではない)言葉なのだと思っています。そして娘の翻訳する文献、今現在の詳しい話は知りませんが、少し前は米国大手製薬会社の書類でした。輸出入書類や薬品成分・用法等。一般文章や小説等とは異なる専門用語が必要となります。

「法廷通訳人」を読みながらそんな娘を思いました。法廷通訳でも同様に、法律専門用語が必要です。しかし通訳人は専門家ではありません。娘が医師・薬剤師では無いように。そんな中で、一語のニュアンスの伝え方次第で、被告の人生に影響を与えかねない、として緊張し悩む著者の姿が克明に語られた作品でした。中々想像の付かない、大多数の人々には非日常の世界である法廷、嘗て法学部に身を置きながら1度も傍聴に訪れたことはありませんでした。「この機会に」と、近くの裁判所の公判日程を調べたりしています。

2015年5月 4日 (月)

高崎日帰り、映画&だるま寺&高崎市美術館

GWなか日、日本全国、また海外へと民族大移動が繰り広げられている模様。我が家では、金は無いし混んでるところは嫌い、でもちょいと近場くらいは、ということでお隣群馬県の高崎市まで出かけてきました。切っ掛けの目的地は「シネマテーク高崎」、地方では珍しい名画座的な映画館でマイナー作品を上映しています。前回は「百円の恋」を観に行った映画館です。当初の目論みでは午前中に映画を観てしまうつもりでいたのですが、勝手に「関係ない」と決めつけていたGW渋滞(事故渋滞絡み)で上映時間に間に合わず、順番を逆にしてまずは市内観光から始めることになりました。

高崎と言えば”だるま”、正月のだるま市は例年TV等で報道されます。とは言え、実は1度も訪れたことがありませんでした。それで今回はこの「少林山達磨寺(http://www.daruma.or.jp/)」を最初の目的地としてみました。高崎市街から安中方面に10kmほど、約15分ほどで到着します。300年の歴史を誇り、縁起達磨発祥の地でもあるそうです。毎年1月6、7日に開催される「七草大祭だるま市」には数十万人の参詣者が訪れるそう。さして広くない境内に数十万人、と聞いただけで正月には訪れたくないと思ってしまいます。繰り返しますが混んだ場所は嫌い。(笑) GWでも空いていて良かったです。ツツジが綺麗に咲いていました。

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本堂に当たる霊符堂前には、お礼奉納された願掛けだるまが並びます。数としてはやはり”合格”だるまが多いですね。お隣の達磨堂内には、全国のだるまコレクションが展示されてあります。選挙に使われたのでしょうか?群馬県出身の歴代総理大臣の大達磨も並べられていました。

駅に近い市街地中心部に戻り昼食。私は”ソースかつ丼”にしました。玉子で閉じる一般的なものと異なり、ご飯の上にキャベツ・トンカツを乗せソースをかけただけのものです。この辺りでは一般的な食べ方です。食堂に美術館の割引券が置いてありました。ラッキー!300円が250円に。割引無くても安い美術館です。群馬って美術文化事業に結構力を入れています。

食後は「高崎市美術館(http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014011000353/)」へ。駅からも近い市街地内にある美術館です。現在の企画展は「世界をポップに!!ポップアートinアメリカ」でした。ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンシュタイン、アンディ・ウォーホール、フランク・ステラ等の作品が集められていました。日本からは池田満寿夫、草間弥生、靉嘔など。アメリカでは1960年代始めから盛んになっていたようですが、日本で一般的に作品を観ることができるようになったのは1970年代半ばからだったように思います。その当時、大学美術部員として結構本気で絵に取り組んでいたもので、ポップ・オップ・ミニマル、またスーパーリアリズム作品等に熱くなったのを憶えています。東京ビエンナーレとかアンデパンダン展、銀座の画廊でも新進作家の前衛作品が多く展示される時代でした。ユーミンの歌同様、私にとってはポップアート作品も、若き日の想いに繋がるほろ苦さを含みます。

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また美術館隣接の「旧井上房一郎邸」では、特別展示として横野健一という作家の作品が展示されていました。1972年生まれと言いますから現在43歳位でしょうか。木版の版木をそのまま作品にした、といったものですが、中々興味深い作品でした。クラシカルな建物内での展示(この場所での作品展示は異例だそうです)でしたが、調和と不調和との微妙なバランス感覚で、意外と面白い相乗効果を生み出していたように思いました。ちなみに井上房一郎氏は地元群馬の実業家、群馬交響楽団の創設を始め、文化事業に功績のあった方だったそうです。

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最後は映画館「シネマテーク高崎(http://takasaki-cc.jp/)」です。美術館とはさほど離れていないのですが、車で移動します。美術館と映画館それぞれに契約駐車場があり駐車券が発行して貰えます。この日結局は、昼食時間も含んで300円の駐車料金で済みました。

映画は「妻への家路(http://cominghome.gaga.ne.jp/)」、チャン・イーモウ監督コン・リー主演の中国映画です。コン・リーは「紅いコーリャン」以来の好きな女優のひとりです。「菊豆」「春菊の物語」「活きる」「始皇帝暗殺」、チャン・ツィーとの共演の「SAYURI」でも存在感のある役を演じていました。今回は、文化大革命で夫を連れ去られ、心労から夫に対する記憶を失い、再開の時が来ても夫と認識できない妻との役を演じています。チャン・イーモウ作品も出逢えばできるだけ観るようにはしているのですが、昔の「初恋の来た道」などの印象が鮮烈すぎるせいか、最近はいまひとつに感じています。今回も序盤は少々のまだろっこさを、ラストでも割り切れないもやもやの内に打ち切られてしまった感があります。文化大革命への批判も、「活きる」の時のような強烈さは影を潜めています。チャン・イーモウ、コン・リーの組み合わせに期待を持ち過ぎたせいもあるのでしょうが、満足できる出来とは感じませんでした。ただ、コン・リー、ストーリー序盤では実年齢(49歳)に近い年齢の役だったのだと思いますが、終盤ではすっかりおばぁちゃんになり切っていて驚きました。

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